どうしようもない家族になる

げえる

どうしようもない家族

 もう我慢の限界だ。二十三時すぎに就寝して、目を覚ましたのが午前二時ごろ。最近どうにもうまく眠れない。まぁこのまま水でも飲んでまたベッドに潜れば再び眠りにつくことができるのだけれど、私としては陽の光とともに気持ちのいい朝を迎えたい思いなんだ。

 なにが睡眠を妨げるのか。心当たりはある。

 小野さんと一緒にご飯を食べたい――これだ。このささやかな願望がなかなか叶えられない。いやまぁ普通に誘って食いに行けばいいんだけどさ。でもね、あれなんだよ。ちょっといまって世の中の風潮的にヤバいでしょ。誰かと一緒に呑気にご飯を食うなんて許されないわけよ。

 それでも、世間のことなんか全部を無視してなんでも好きな物を食いに行けばいい派もいる。一理ある。たしかに一理あるんだけど、なんとなく心苦しいし、後ろめたい。私ひとりの問題でもないし。

 それに小野さんって、掴みどころのない男なんだよね。

 

 今の職場に入社したのが一月の中旬で、それからしばらくは各部署を転々としながら研修や雑用をこなして配属先が決まったのが二月。小野さんとはそこで出会ったんだ。

 顔合わせのとき、私の元気いっぱいな挨拶に対して小野さんは、オノデス、よろしくおね……(以下、聞き取れず)ってボソボソって言いながらエプロンについた名札を見せてくれた。自分の口調がボソってる自覚があるあたりに私は謎の好感を持ってしまった。

 それからはほぼ毎日、口数のすくない小野さんのことを知りたいぜ! って思ってぐいぐいと攻めて、ようやく日常会話をできるくらいにはなれた。それまでに半年くらいかかってるけどよしとした。いや、よしではない。連絡先を交換したのだって先週だし。それだって苦心したんだ。

 用事があるわけでもないのに、どんな口実で連絡先を聞き出すか――悩んだ挙句に私は、新しいスタンプを使いたいんですけど友達がいないのでつって、友達のひとりもいない女であることをアピールするはめになった。それなのにだよ、身を切る思いだったのに、小野さんは、チャットボットに送ればいいのでは? なんて言いやがって、カチンときた私はスマホを取り上げてふるふる的な機能で無理矢理にID交換したんだから。ほんとさ、小野てめぇ、いい加減に私の好意に気づけよマジで。


 とにかく明日は休みだし、連絡するなら早いほうがいいよな。深夜二時すぎに起きてるのかわかんないけど! メッセージだけ投げておこう。


『土用の丑の日も近いですし、スタミナつけにうなぎでも』――ダメだダメだ。生態系に疎い女だと思われる。うなぎはダメだ。


『餃子とか食べに行きませんか! 夏バテ予防的な感じで』


 お、いいな。ニンニクの入った料理なら色っぽい雰囲気になりようもないし(=変なプレッシャーをかけないし)それに加えて餃子って含みを持たせることで、餃子に限定されない多様な中華料理を連想させて楽しそう感もアップ。なにより体調を気遣ってるのがポイント高いかも。これで送ろ。

 メッセージを飛ばしてキッチンで水を飲んでから布団へ潜った。同時にスマホが震える。


『森川さんは餃子のタレ、どうしますか』


 ふん、タレときたか。っていうか起きてんのかよ、すげぇな。触れないけど。


『醤油にお酢、ラー油もちょっと入れますかね』


『餃子をメインとした店舗では餃子のタレがあらかじめ用意されていると思いますが、それでも醤油お酢ラー油ですか』


 いや、さっきの問いかけでなんて選択肢があるとは思わないでしょ。それともなに、餃子のタレをどう扱うかってこと? 容器を手に持って、それを傾けて小皿に移しますっていうのが正解だったわけ? 問いが曖昧なんだよもう。


『餃子のタレがあるならそれで食べますよ。小皿で』


『そうですか。ではその餃子のタレを箸で味見したときに、思っていたよりも濃い目だった場合、お酢は追加しますか』


『んー、それが店側の意向であれば味は変えないですかね。たぶん餃子自体がジューシーで、溢れ出る肉汁によってタレが薄まるとこを加味してのことだと判断します』


『いいですね。タレに手を加えるのは邪道です』


 あっぶねぇ。小野さんはアレンジタレが気に食わないタイプだったみたいだ。いるよね、あえてそのままがいい人。こだわりがないようで、めっちゃこだわる人。そういうわかりにくいところ、すごくいいよ小野さん。


『それで明日なんですけど。明日っていうか、日付変わって今日なんですけど、食べ行きますか?』


『それはダメですよ。会食はやめるように言われているじゃないですか』


 そう、小野さんは変に常識的なんだ。融通が利かないっていうかさ。


『大丈夫です。マスクして食べますから』


『バカなんですか? 不織布越しに飲食ができるわけないじゃないですか』


『そりゃさすがにマスクに餃子をめり込ませようってわけじゃないですけど! パッと外してポイって口に入れて、すぐマスクしてモグモグしますし。ちゃんとテーブルも二メートルくらい距離を空けますし』


『それ動画に収めてもいいですか』


『んー、個人使用の範囲内ならオッケーです』


『個人です』


『やっぱちょっとヤダ』


 いまいち結論がでない。行くのか行かないのか。いや、小野さんは行かないって言ってるんだけど、ここまできたらちょっと引けないな。諦めがつかない。私は聞き分けのない人間なんだ。


『私と小野さんはいつも職場でデスクを並べて働いていますが、例えばそこらへんの家族であればこういう状況下でも毎日毎日バカみたいに同じ食卓を囲むわけじゃないですか。どっちの距離感がヤバいって、そこらの家族の方がヤバいですよね。っていうか、いっそヤバい関係になりませんか』


『なるほど。そこらへんのどうしようもない家族はバカみたいにどうしようもないテレビ番組を観ながらどうしようもない飯をどうしようもない顔して食い散らかしているっていうのに、ぼくらが一緒に餃子を食べることのどこに問題があるのか、そう言いたいわけですか。加えてほのかに求婚の意味合いも含まれていますね』


『だいたい正解です』


『実はぼくもずっと前から餃子を食べたいと思っていたんですよ』


 ていうか餃子が好物だったのかな。初耳だな。

 私は返信をいったん保留した。

 小野さんが『そういうわけだからさっさと結婚して餃子を食べに行こう。家族なら問題はないよ、森川さん――じゃないな、朝子』って、続けてメッセージを送ってくれることを期待したんだ。深夜三時。ちょっとでも間を空けるとどちらかが寝落ちしてしまうかもしれないリスクはあるけれど私は小野さんを信じて待つことにした。


『森川さんの耳がよくないんです』


『は? なんすかそれ』


『耳たぶの感じが蒸し餃子の皮に似ていて、幾度となく口に含みそうになりました。ずっと我慢していましたし、思い出すだけで夜も眠れません。今夜だってそうです』


『アブノーマルな告白、恐れ入ります』


 耳たぶを触った。ちょっとだけ熱を持っていて、触感も食べごろって感じがする。


『どうしようもない家族になってしまえば、食卓ということで餃子でもなんでも食べられるわけですが。しかしこの状況下に、そんな理由で結婚するのってそれこそどうしようもない感が強いですね』


『ですね』


『でも名案です』


『お、するか? 結婚』


『しましょう。餃子も食べたいですし』


 結婚のついでに餃子なのか、餃子のついでに結婚なのか最早わからないけど私たちは結婚することにした。餃子も食べたいし。



 それから私は餃子の調理を開始して、餡を皮に包み始めたあたりで小野さんが家にやって来たんだ。小野さんは、この時点ではまだ他人なので二メートルくらい離れてください、なんてことを言いやがってぶん殴ってやろうかと思ったけど、まぁそういうこと言っちゃうのが小野さんだよなって感じがしてすこし嬉しくもあった。

 小野さん曰く、婚姻届はダウンロードもできるらしい。でも証人欄の記入とか戸籍謄本なんかも必要みたいで。面倒だからそういうのは夜が明けてからやっつけることにしたんだけど、さしあたって形式的な部分だけでもちゃんとしておきたいってことで、バックの中から取り出した二本のココナッツジュースをとりあえず飲めって押しつけてきたんだ。缶には日本語ではない言葉がびっしり書かれていたからたぶん外国産なんだろう。わけがわかんないけど美味しくいただいた。ふたりとも一気飲みだった。三三九度にしては雑だな。


「薬指だしてください」


「あ、はい」


 左手の薬指にココナッツジュースのプルタブが装着される。


「すげぇ昭和感」


「このタイプの缶ジュースを探すのに苦労しました」


「そっすか。小野さんにもつけてあげますよ」


 こうして婚約した私たちはせっせと餃子作りに励んだわけだけど、婚約指輪であるプルタブが引っ掛かって餃子の皮は破れちゃうし隙間に餡が詰まって気持ち悪いしで結局外して捨てた。廃棄したけど婚約は破棄してないよ。


 包み終わった餃子を熱したフライパンにのせて蓋をした。タレは醤油にお酢とラー油、胡椒もすこし入れてみた。

 いまはキッチンで焼き上がるのを待ってる。

 小野さんの視線はフライパンではなくて私の耳にある。あえて髪を耳にかけてるしな。まんまとかかったな。


「耳、食べてもいいですよ。優しい感じでお願いします」


「餃子のあとでいただきます」


「えぇー、食ったらすぐ寝たいんですけど。ベッド小さいんで帰ってくださいよね」


「家族とは……?」

 

 餃子は綺麗に焼き目がついた。テーブルに皿とかお酒なんかを並べた。どうしようもなくだらしない顔で食べた。これがどうしようもない家族か、意外と悪くないなって思って、私は小野さんとの距離をちょっとだけ詰める。そのまま体をよじってカーテンをめくって、窓を開けた。ひんやりした空気が頬を撫でて、気持ちよくて、なんだか久しぶりにいい感じの朝を迎えらた気がして、どうしようもなく幸せでいっぱいだった。


 (了)

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