私の小説を書いてくれませんか?

ugena

私の小説を書いてくれませんか?

「私の小説を書いてくれませんか?」

 そう彼女から言われたのは、高校二年生の七月の上旬頃だった。


 努力をすることで、今のどうしようもない現実から逃れられると思っていた中学三年生の僕は、身の丈に合わない高校を第一志望に掲げ、

「お前らとは違うんだ」

 と心の中で同学年の生徒たちに向かって何度も叫ぶことで精神を保ち、勉強以外の事をしなくなった。勉強以外の事をしなくなったというと大げさに聞こえるかもしれない。でも事実、勉強に本腰を入れてから、元々これといった趣味もなかった僕は自宅ではもちろん、学校の授業の休憩の合間だって、昼休憩だって、塾の授業の休憩の合間だって勉強していた。今思えば、

「僕はこんなに努力しているんだぞ」

 というのを誰かに認めて欲しかっただけだったのかもしれない。惜しくも当時の僕には、僕の事を認めてくれるような親しい友人はいなかったけれど。


 無事、努力の甲斐あって第一志望の高校に入学したはいいものの、中学時代の嫌忌けんきしていた自分は、高校に入学したからといって、簡単には変わらなかった。

 高校に入れば何かが変わると妄信していた僕にとって、この事実は絶望と呼ぶに相応しかった。髪型や眉毛を整えても、人間の根本的な欠陥は補われないのだ。


 現実とは無慈悲なもので、中学時代に辛いことがあったとき、一種の希望のように思い描いていたような高校生活とは、一回りも二回りも違う高校生活を送っている自分が、惨めで仕方なく、小説を拠り所にするようになった。

 別によすがとするものは何でも良かったのだ。音楽でも、絵でも、そのひと時だけ現実を忘れられれば。ただ、僕がたまたま小説を選んだだけだ。

 中学の頃は勉強だけが取り柄だった僕は、高校に入ってからその唯一の取り柄すらも失った。

 友人がいない僕は、授業の休憩の合間に小説を読んでいないことだけををプライドに生きていたが、ロッカーを整理するふりと寝たふりをするのもばかばかしくなり、休憩中も小説を読んだ。

 孤独な人間であればあるほど、自分が周りからどう思われているかを気にするのではないかと僕は思う。信頼出来る友人や、恋人がいる普通の人間は、その信頼出来る人にだけどう思われたいかを気にすればいいわけだが、信頼できる人がいない僕のような人間は、周りのすべての人間から嫌われないためにどうすればよいかを事あるごとに考え結局は、いてもいなくてもたいして変わらない人間になる。


 現実を受け入れ、自分の人生はこれからもずっとこんな調子だろうと思っていた高校二年生の夏休みまであと少しという時期に、一人の生徒が昼休憩中にいつも通り図書室で本を読んでいた僕の、空いている前の席に座った。

 クラスの女子と日常会話はおろか、授業中に無理やり隣の席のクラスメイトと話し合いをさせられることくらいでしか学校内で言葉を発さなかった僕は、前の席に座ったのが自分のクラスメイトであるとは気づかなかった。

 ふと、本から目を離し、時計で時間を確認しようと顔を上げた瞬間、前の席でこちらを見つめていた水無瀬柚みなせゆずと目が合った。彼女は、やっと気づいてくれたと言わんばかりのなんとも形容しがたい表情を浮かべ、

「私の小説を書いてくれませんか?」

 彼女は真面目な口調でそう言った。

 

 水無瀬柚は、肩にかからない程度に切り揃えられた絹のような美しい黒髪が印象的だった。クラスでは大人しくて口数も少なく、声も小さい。だが、僕と違って少人数だが友人はいるし、腫物のような扱いは受けていないどころか、口には出さないが、彼女の事を目で追ってしまう男子生徒も少なからずはいると僕は思っていた。

 そんな彼女に話しかけられた僕は、慌てふためくでも、思考が停止して固まってしまうでもなく意外と冷静に、僕を僕と認識して目を合わせて話しかけてくれたのは、家族以外でどれくらいぶりだろうと考えていた。

 何も言わない僕に対して彼女は

「何か質問はありますか?」

 と言葉には出さずに顔の表情だけで訴えかけていた。質問したいことは山ほどあるので、一つ一つ丁寧に聞いてみた。

「さっきの言葉の確認だが、僕が君が主人公の小説を書くという解釈であってる?」

「その通りですが、別に私は主人公でもヒロインでも構いません」

「なんで僕なんだ? 僕よりもっと君の事を知っている人のほうが適任じゃないか?」

「それは私も思いましたけど、どうせなら小説が好きな人に書いてもらいたかったんです。私が知っている中で一番小説が好きな人と言ったら、あなたです」

「確かに僕はいつも小説を読んでいるけど、一度も書いたことなんてないよ」

「書いたことある人なんてほとんどいないと思いますけど」

「それもそうか」

「ええ」

「もし、僕が書くとして期限はいつまでだ? あと、ページ数はどれくらいにすればいい?」

「うーん、期限は夏休みが終わるまでで、ページ数は平均的な小説程度であれば何ページでも構いません」

「もし、僕が書くとしてジャンルとかは決めてるのか?」

「なんでもいいですよ。あなたが決めてください」

「最後の質問だけど、僕が書かないって言ったら?」

「それは困りますね」

 そう彼女が言ったところで授業開始五分前を告げるチャイムが鳴った。

「これIDなんで、今日中に書くか書かないか決めてください」

 彼女はメモを僕に渡して席を立った。


 午後の授業の間中僕は、水無瀬との会話を何度も何度も頭の中で繰り返し再現していた。久しぶりの会話と呼べる会話をしたことが嬉しかったのと、単純に女子からお願いをされるのが初めてで驚いたのと、水無瀬とあんなに喋った男子は僕だけではないかという優越感とが入り混じった感情が、僕の判断力を鈍らせていたのかもしれない。僕は帰りのホームルームが終わってすぐに、彼女にメッセージを送った。既読はすぐにつき、

「良かったです、今日は部活は休みの日なので駅前のファミレスで会いましょう」

 そう返事が返ってきた。


 青春という言葉が僕という人間と正反対の位置にあるのと同様、放課後に女子と二人きりでファミレスという言葉も僕と正反対の位置にあると思っていたが、後者は僕と割と近い位置にあったらしい。その日から僕と水無瀬はこのファミレスに夏休みまでの期間中の彼女の部活が休みの日に二回、夏休みに入ってから五回集まった。このことを僕たちは打ち合わせと呼び、いつもは無口な二人が疲れるまで話し合った。


 打ち合わせを進めていくうちに僕たちは、お互いの考えが似ていることに気づいた。例を挙げるときりがないが、僕は小学校の頃に自分の将来の夢を先生に書かされるのが謎でしかなかった。今の時代、どんどん新しい職業が増えているのに小学生の時点で既存の職業の中から決めるのは洗脳されている気がしていたのだけど、水無瀬もまったく同じような考えを僕に語ってくれた。そんな感じで小説を書くにあたって必要な、彼女の性格やこれまでの人生であった一番嬉しかったこと、悲しかったことなどを僕に教えてくれた。その時に赤面しながらも、いかにも気にしてないですよといった風に彼女が語った人生で一番恥ずかしかったことは、墓場まで持っていくことを約束した。何でも僕に話してくれた彼女だが、なぜか小説を書いてほしい理由だけは頑なに話そうとしなかった。


 水無瀬にもいっていないが僕は一度だけ小説を書いたことがあった――途中で断念したが。

 そのおかげもあってか小説は存外スムーズに書き始めることができた。


 終業式が終わり、夏休みに入ってから一回目のうち合わせで水無瀬は、小説に入れたいシチュエーションがあると言い出した。それは僕たち高校生がこれこそ夏休みだ、と信じて疑わないようなものばかりだった。さらに彼女はそれを実際に二人で行ってみて、どう感じたかを小説に組み込んで欲しいと言った。


 その日からの僕たちは、死期を悟ったセミのように作り物の青春を謳歌した。自分でも自分の自分らしくなさは滑稽だったけど、楽しくなかったといったらうそになる。水無瀬も夏休みの残り日数が減るにつれて僕に見せる笑顔が増えていった。一番印象に残ってるのは夏祭りに二人で行って、会場からは少し離れた小高い場所にあるベンチで、花火を見ていた彼女の横顔だ。僕は一瞬、僕と水無瀬は付き合っていると勘違いした。それは夏の暑さによる錯覚だろう。二千二十年の夏は記録的猛暑だったらしい。

 

 水無瀬が指定した小説の完成期限ぎりぎりの八月三十一日の午後一時に僕は、完成した小説をコンビニで印刷していつものファミレスで彼女に渡した。二十八日の夜にはとっくに完成していたのだが、何度も読み返し、渡すのを躊躇っていたら期限の三十一日になっていた。小説を渡すなり彼女は家に帰って一人で読みたいといって足早に帰ってしまった。

 家に帰ってすぐに僕は、電話で水無瀬に告白するつもりだった。この関係が明日から終わることに耐えられなかった。しかし、通話ボタンを押す寸前のところで勇気が出なかった。


 九月一日の始業式に水無瀬は出席しなかった。担任から水無瀬の死が伝えられた。噂では首つり自殺だったそうだ。


 僕は水無瀬のご両親から話を伺う機会があった。水無瀬は精神障害の一種であるタナトフィリア〈死性愛〉と呼ばれる、首吊りや入水などの自殺行為、殉死じゅんしや切腹などの自傷行為への性的嗜好を持っていたらしい。中学の頃は何度も自殺未遂、自傷行為を繰り返していたらしく、死への憧れは年を重ねるごとに大きく膨れ上がっていたようだ。彼女は遺書を書くことが大好きだったそうだ。死を一番簡単に身近に感じられるらしい。


 僕の小説は水無瀬にとって、他者から書いてもらう遺書のようなものだったのだろうか。


 僕が書いた小説は、水無瀬がヒロインの恋愛小説だった。

 あの時、水無瀬に電話をかけていれば何かが変わっていたのかもしれない。




 


 


 


 





 


 


 





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