第二節 今夜、流れ星を君と
1
「本当に行くのか?」
よく晴れた空だ。朝の『柏ノ木亭』には、準備中の看板が掛かっている。オーク族の店主ノンブは、全く同じ質問をする。スーラントが、玄関で靴を履いている最中だった。帰宅するなり旅に出ると告白した昨晩と、荷物を纏めている最中と、朝食を食べている時と、トイレにいる時も聞かれた。首を縦に振るのも何度目かしれない。スーラントの体がぷるぷるでも、意思は固いのだ。
「突然すぎやしないかい? せめて、星祭りを見てからにすればいいのに。今夜なんだし」
引き留めようとするアーリヤに、いつもと同じ平凡な顔で笑いかけた。今日は雲ひとつなく、雨など降りそうにない天気だ。フォルテナの星祭りにはうってつけの空と言っていい。流れ星がよく見えるに違いなかった。
「夜までいたら、きっと、ここを離れられなくなる」
気持ちは本当にありがたいが、それはできない。魔王城の近くに魔王がいたら、誰かに正体を知られたら、またいつ昨日のような危機が訪れるか分からない。あの時は結構危ないところだったし、次も無事回避できるとは限らないのだ。スーラントは、優しい人々を傷つけるのを恐れていた。
今日の朝、今すぐに旅立つ。スーラントはそう自分に言い聞かせ、トランクの持ち手を掴む。彼はもう、人間の道具を使えるスライムだ。蒸気機関車の乗り方を知っている。貨物車両の方に忍び込んで、気が済むまで遠くへ行くのもいい。見知らぬ土地へ行けば、誰もが自分の事を知らない。スーラントにとっての知り合いも、一人もいなくなるが。仕方のない事だ。
「落ち着いたら、手紙でも書くさ」
と言ってみたものの、とうぶん手紙など書けないし、送る事もない。もし返事が来たら、急いで戻りたくなってしまう。名残惜しい気持ち全開の顔で、ノンブが言った。あれだけ働け働けと煩かったのが、幻だったかのように。
「いつかアマリに来る事があったら、ウチに顔出せよな」
「そうする。変わらず温かく迎えてくれると嬉しい」
「当たり前だろ」
スーラントは、また嘘をついてしまった。たとえ戻って来るとしても、何十年後になるか分からない。彼らはこの世にいないかもしれない。数十年前にもこんな別れがあった。だから大丈夫だ。慣れている。慣れているったら慣れている。後ろ髪を引かれる思いで、スーラントはドアノブを捻った。ドアを開ければ、お馴染みの店先がいつもと違って美しい。見納めだ。
大きく一歩を踏み出すと、猛烈な勢いで黒い塊が横切った。何だあれ。スーラントは、鼻先を押さえながら恐る恐る顔を出す。
少し奥にある他人の家に。黒い毛並みの大きな生き物が。尻だけ出して埋まっていた。誰の玄関か知らないが、植木鉢や煉瓦の塀がめちゃくちゃだ。黒い毛玉からフサフサの尻尾と、三つの頭が飛び出した。特徴的な鋲のついた首輪が目に入る。あれはまさか、ケルちゃんではないだろうか。朝から災難だな、などと他人事のように思うスーラントだった。
ケルベロスの上から飛び降りたのは、ヒューマンの子どもだった。歳相応にお洒落な今時の服を着て、栗色の長い髪を翻す、美しい少女。軽やかな身のこなしで走り寄る。聖剣に選ばれた、初代勇者の玄孫の、アイスブルーの瞳を持つ。ニア・フェデルテ・ヴァルグレン。目の前まで来たニアは、問答無用でスーラントに飛びついた。強く、強く抱き締める。もっと強く……強すぎる。
「中身出る中身が」
「助手に相談もないなんて、酷い先生ですね!」
離れたかと思えば、一方的に怒鳴りつけられた。スーラントは、すぐに言葉が出なかった。怒られている理由は分かるし、ニアの言い分にも納得できるが。
しかし、なぜだろう。別れを告げずに去れば、気づかれないと思っていた。旅立ちを考えている素振りは、一切見せなかったのに。行く手を阻む嵐は、やる気全開で向こうからやってきてしまった。スーラントは呆然として、少女の顔を見つめる。
「どうして」
「どうしても何もありません。お迎えに来たんです」
「そういう訳だよ」
鼻息荒いニアの後ろから、悠然とした足取りで視界に入って来たのは、長身の金髪碧眼眼鏡男。ニアの兄、ランドールだ。いたのか。腕には小型化させたケルベロスが抱えられている。
「なんだお前、ついに逮捕されるのか?!」
「何やらかしたんだい?!」
ランドールの顔を見るなり、後方のマルメン夫婦がほぼ同時に叫んだ。スーラントは慌てて否定する。
「人聞きが悪いな!」
「まあ、ある意味やらかしたよね」
愉快そうにランドールは言った。笑い事ではない。昨日はうっかり世界が終わるところだったのだ。ちゃんと分かっているのだろうか、このシスコン眼鏡は。
「何もやらかしてませんって」
「とにかく、先生の考えている事なんて、助手のわたしはお見通しなんです。先生の勝手な決定には、皆さんも大反対してるんですから」
ニアが大きめの紙を広げ、スーラントに表を見せた。スーラントが眠っている間に署名を集めるなんて、凄い執念だ。この勇者、多分眠れてないだろうな。眠れてないから事故ったんだろうな。
『スーちゃんへ。借金返さないで逃げるなんて、絶対許さないんだから~』
カミラだ。
『俺のララ(おっとヤベェ、とでも思ったのか、ララの字が黒く塗りつぶしてある) 特殊任務はどうした。行かねえってんなら今すぐレムス川に沈めるぞ』
なるほど、これはハラルだ。
『スーラント殿がいなくなると、ハゥラル宅にケルベロスが戻されるんだが? 我輩犬の世話とかしたくないのだが?? これは冗談だ。勇者殿を悲しませる選択を考えているなら、やめておいた方がいい』
ドミニクだ。魔物のくせして、意外と字が上手いな。
『P.S. 王には人間の街で株を上げていただき、さりげなくグランクスト監獄内の環境改善を訴えて欲しいのじゃ。ヨルダより。だそうだ』
ヨルダの分まで書いてやったのか。彼女は人間の文字が書けないからな。そんな事を思い、スーラントは少し懐かしくなる。
手紙の右端には、朱肉からなる小さな犬の肉球跡と、妖精の青い鱗粉が擦りつけてある。ケルベロスとローズだ。言いたい事は分かる。同意の意味での押印だ。
「全部読みましたか?」
視線が下まで行った頃合いを見計らって、ニアが声をかける。スーラントは急に、上手く情報が処理できなくなる。核がほんのり熱く、ぼんやりした状態が続く。視覚機能が上手く動作せず、微妙に正確でない像しか結べない。スライムには涙を流す機能はないが、もしかするとこれが。これが、涙が出るほど嬉しいという感情だ。大きく心を揺さぶられながら、スーラントは何とか肯定した。
「これからどうなるか、についてですが」
「ああ」
スーラントは肯定した。
「先生には兄上の家に住んでもらいます」
「あ……はい?」
突然何を言い出すのか。
「わたしも一緒に住みます」
「は?」
さすがに聞き間違いかもしれない。ランドールの方を見ると、彼からの突っ込みは一切なかった。ケルベロスを足元に下ろしてやった後は、複雑な顔をしているのみだ。聞き間違いじゃないの?
「悪いねスーラント君。聖剣が近くにないと許可できない、と言われてしまって」
「いやいや、え?」
スーラントは、事態を理解しきれず戸惑うばかりだ。ランドールは片手でニアへ合図を送った。ニアは目配せをして了解の意を示し、ノンブ達と話を始める。
呆然と立ち尽くすスーラントは、肩へ触れてきたランドールによって、近くの物影に連れて行かれた。彼が声を潜めて言う事には、こうだ。一度秘密裏に魔王を封印するべきと結論が出たが、ランドールが何とかこの条件にしてくれた。スーラントの平和を愛する魔王柄を説き、意識を残したままで監視・運用する事の有用性を強く主張した、とか何とか。
書類を何枚書いたか知らないが、多分ランドールも眠れてないだろう。眼鏡の奥にうっすら隈が確認できる。魔王の首を勇者が徹夜で守るなど前代未聞だ。命の恩人かもしれない。魔王は滅ぼされる事はあっても、完全には消滅しないから、命の恩人という表現は正しくないかもしれないが。しかし、本当にいいのだろうか。厚意を受け取るべきか迷うスーラントに、ランドールは怪しく眼鏡を光らせた。
「ここで僕に頷いておかないと、どうなると思う? 何としてもあなたを封印棺へぶち込みたい勢力に、連日連夜世界の果てまで追いかけ回される事に……」
「行きます」
スーラントは即答した。ヨルダの体験談から、封印棺は相当精神的にキツイと分かっている。どうやら、お言葉に甘える以外を選べる立場にないらしい。
物影から戻ってくると、ニアが夫婦に事情説明をし終えたところだった。とは言え、全てを話した訳ではない。例えば魔王に関する話は、機密レベル最高の秘匿情報だ。推測するに夫婦に話したのは、スーラントが『柏ノ木亭』を離れる事についての……。
「なんだい全く、紛らわしいね。モグリのくせして警視庁からお声がかかったってだけじゃないか!」
アーリヤが突然、スーラントの背中に平手打ちした。平和な朝に、実にいい音が響く。痛い。
「宛のない旅に出るなんて、モグリのくせして悲しい嘘つくんじゃねえよ。びっくりしたじゃねえか!」
ノンブまで背中に平手打ちしてくる。アーリヤより痛い。オークは力が強くて困る。あとモグリのくせしては余計だ。
悲しい嘘ではなかったが、今となっては悲しい嘘になってしまった。スーラントの体はどうせぷるぷるで、どうせ意思までぷるぷるだ。それでもよかった。当代勇者達の提案は、悪い気がしないのだ。むしろ光栄とさえ感じる。やはり初代勇者との約束通り、彼の祖先達を見守る使命につこう。アルテマイシャの見た悲しい未来を、少しでも回避するためにも。
スーラントという名の魔王は、二人の勇者と対峙する。以前もこんな状況があった。しかし、全く同じではない。争うためではなく、協力し合うために。モグリの探偵と、警部とその妹として。今はただ、笑い合う。黒手袋に包まれた手を、差し伸べた。
「君達に協力しよう。私が、世界を忘れるまでは」
魔王が世界を忘れるまでは 政木朝義 @masa-asa
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