情報系統をかなり圧迫されるものの、力の放出は堪えられる範囲だ。時々来る強い波は、少女達に魂を返せば軽減できるだろう。加減をしながら力を込めると、体から小さな光が飛び出して、ふらふらと持ち主に帰って行った。離れたのは少しの間だったから、まだ間に合うはずだ。

 次にスーラントは、できる限り髪を伸ばして表面積を増やし、過剰な魔素と熱の放出を試みる。だが一気にこの場に放出しては、人間達に害を与えてしまう。ヨルダにも魔素を持って行ってもらうとしよう。

 彼女はすぐに、王の意思を理解した。肩まで駆け上がり、首筋からできるだけ吸収してくれる。小さな蜥蜴は、子猫ほど小さなドラゴンの姿になった。



 最悪の事態は、なんとか回避できた。アルテマイシャの逆算の仕掛けが下手でよかった、とスーラントは胸を撫で下ろす。まあ現代技術では、魔王城内でも再現できないのかもしれないが。真の復活をさせられていたら、目覚めてすぐに浄化機能として動いているはずだ。おまけにもっと巨大になって、誰にも手がつけられなくなっている。


 右手を頭にやって押さえた時、輝く長い角が生えているのに気づいた。落ち着いてくると、人の視線が恐ろしくなる。特に、ニアの。

「魔王」

 呆然として、ニアが呟く声がした。聞いた事のない声色だ。彼女は絶望しただろうか。落胆しただろうか。しかし全く、気分が悪い。胸にある核を上から押さえ、しつこい発作の波をやり過ごす。楽になった頃に、スーラントはようやく口を開く。不安になっているだろうニア達へ、これだけは伝えたい事があった。

「まだ……意識が…………あるよ」

「先生、先生なんですね?!」

 予想外にも嬉しそうな声だった。スーラントは顔を跳ね上げ、彼女の顔を見る。アイスブルーの瞳から、大粒の涙を流していた。目の前の小さな勇者から、表現しがたいめちゃくちゃな感情が伝わってくる。逃げ出したい気持ちと、駆け寄りたい気持ちが拮抗し、小さな手足が震えている。聖剣は持っているが、構えてはいなかった。


 スーラントは一歩を踏み出そうとして、やめた。今近づけばそれだけで、人間はたちまち大火傷してしまう。抱き締める事も、涙を拭ってやる事もできない。だが幸い、会話をする事はできる。

「本当に先生なんですか? 顔が全然違いますけど」

「あれは、擬態用の姿だったからな。声は同じだろう」

 確かに今は、擬態完成度のためにまで力を割いている余裕はない。喋る機能の方が大事だ。具体的に言うと、右半身の情報を左半身にも複製して、適当に人体を作っている。完全な左右対称なんて、人間としては不自然な構造のはずだ。情報系統に余裕のない中で笑うと、ぎこちない微笑みになってしまった。ニアはまた泣き出してしまう。何だか分からないが焦る。

「そんなに泣いたら、身体中の水分がなくなってしまうぞ。君は小さいんだから」

「もう、何言ってるんですか。そんな訳ないじゃない」

「そうか」

「我慢できますか?」

「なんとか」



「なぜ浄化が始まらない! 俺は……、独自の要素を入れすぎたかもしれないが、起動はさせたはずだ!」

 ニア達の反対側には、アルテマイシャが立っていた。右の肩口を押さえながら。よかった、生きている。また怪我が増えているものの、何とか巻き込まれずにいられたようだ。

「いや全然正確じゃない。具沢山クリームシチューを作ると聞いていたのに、出てきたのがオニオンコンソメスープだった、くらいに違う」

「例えが意味分からん」

 ちょっと伝わりにくかったか。

「とにかくだ。君にはひとつの、大きな誤算がある」

「なんだと」

「私は魔王だが、それ以前にスーラントなんだ」

 アルテマイシャは、明らかにピンと来た感じの顔をした。今度は分かってもらえたようだ。

「かつて初代の勇者は言った。一人の存在が多くを背負う時代は終わった。これからは、皆が少しづつ背負う時代だと」

 この言葉には、アルテマイシャも覚えがあるはずだった。大陸中で有名な言葉だ。そしてここから先は、魔王しか知らない言葉だ。

「人類は確かに、今は未熟だ。だが、いつか必ずあなたの隣に立ち、共に世界を守る盟友となろう。……そう言った男がいる。だから私は、今も信じている」

「では、今のあなたは世界を滅ぼさないのね?」

 意思を確認するために、ヘルマイシャが問いかける。

「ああ、全く気が乗らない。そもそも私は世界の機構であり、人為的に制御できるようなものではない。この覚醒自体もめちゃくちゃ不完全だ」

 それに、とスーラントは続ける。聖剣を携えるニアの姿に、すぐに別れを告げざるをえなかった、最初の友の面影を感じながら。

「約束を、したからな」

 ニアは不思議そうにして黙ってしまった。記憶にないのは当たり前だ。彼女自身と約束したわけではないのだから。

「乙女の魂より、人間の作った料理の方が美味しいし」

「お前らしい」

 アルテマイシャは呆れ顔で、眉間の辺りを片手で押さえた。

「俺の計画は、最初から詰んでた。スーラント、お前がどこまでもそういう奴だったのが運の尽きってか。やってられないぜ」

 彼は再び、一昔前の高級椅子に座り直す。力なくこちらを眺める彼の姿には、そこはかとない敗北感が漂っている。剣を取りに行く気力もないらしい。ここまで起動を進めても、スーラント本人に全くやる気がない。ならば、形勢逆転もあり得ない。アルテマイシャも、そろそろ悟ったはずだ。犯人はお前だ! と言うタイミングがなかったのが、残念といえば残念だった。

「自首前に動機でも聞いてけよ。ここでしか、本当の事を話せないからな」

「もう悪い事はしませんね?」

 ニアが釘を刺している。

「ああ。降参だ。ヨルダも全然俺の味方をしてくれないしな」

『未来の妾が何か言ってたかもしれんな。しかし妾達は基本的に、王のために動く存在なのじゃ』

 ヨルダがはっきりと喋った。朦朧としてきた意識の中、スーラントは懸命に周囲の声へ耳を傾け続ける。少し疲れたのは正直な話だ。しかし、放熱も終わっていない状態で、気絶する訳にはいかない。動機も気になるし。

「確かに人間の技術向上速度は凄まじい。いい事だと思ってるか? だが、人間はいずれ必ず、神をも凌ぐ力を手に入れる。神を制御し、人間が人間を滅ぼす時代が来てしまうんだ」

 ニアが半ば反射的に口を開いた。

「そんな事……」

「いいや、あり得る。俺はこの目で見た。空間転移で大きく飛びすぎた時にな」

 スーラントは言葉を失った。人間が神を越えるなど、突拍子もない考えだ。さっき制御できないと言ったはずだが。

「驚いたぜ。目を覚ましたら未来の世界だったんだからな。結構いた気がしたんだが、こっちでは三日しか行方不明状態になってなかった」

 ヘルマイシャが驚きに目を見開く。ところどころに縄の跡がついた手足を、庇いながら立っている。

「それは、まさか、カーラマイシャと関係がある?」

 アルテマイシャは肯定した。



「そこでは、精霊結晶の光で何もかもが動く。うんざりするほど眩しくて高い塔だらけだ。エルフの思念通話は廃れ、映像と音声を誰もが享受できる。多くのエルフは実験台にされ、おぞましい人工魔物が兵器として使われる。鉄の竜が空を飛び、海を泳ぐ。いつもどこかが戦争や大災害で破壊されている。昼も夜も眠れずに疲れた人々が蹲る街を、俺とカーラ姉はさ迷った……」



「帰りたい、帰りたいと毎晩思っていた。ある日俺が目を覚ますと、自宅近くの井戸にいた。カーラ姉は単純な行方不明じゃない。俺はあの残酷な時代に、彼女を置き去りにしてしまったんだ」

「じゃあ、もう一度そこへ行って、」

 ニアが言う。彼女なりに解決策を考えた結果だったが、彼の神経を逆撫でしてしまう。

「やった! 何度もやった! やろうとした! だが、時を越える事は二度と出来なくなっていた!」

 アルテマイシャは唐突に逆上した。悲痛な叫び声を上げながら、左手で乱暴に黒髪を乱す。アルテマイシャの気迫に怯んだが、ニアは諦めなかった。

「じゃあ、一生懸命長生きして、」

「どれほど遠くの未来か、分からないのにか? エルフですら届かないかもしれない」

 ニアは今度こそ、何も言えなくなってしまった。胸の辺りを両手で握りしめ、小さな息を吐く。


 アルテマイシャの矛先は、次にスーラントへと向かった。魔王の顔を、刺すような目で真っ直ぐに見つめる。獣のように歯を食い縛り、息を荒げたまま。

「お前だってな、スーラント。いや魔王。あの時図書館で、俺の言葉に頷いていれば、あるいは、」

 アルテマイシャは、その先を言わなかった。自らの唇を噛んで、何も漏れないようにしてしまう。うつ向いて、絞り出すような声で言う。

「俺にできるのは、あんな未来が来ないようにする事だけなんだ。ずっと、そう思い込んでいた」



「だから、世界を元に戻そうとしたのね」

 興奮する事に疲れてうちひしがれる弟に、ヘルマイシャは厳しい言葉をかける。姉として、監獄長として。

「でも、間違っていたわ。あなたのした事は、初代勇者の信じたものを全否定する所業だった」

「俺だって、途中から気づいてましたよ。あーやだやだ。これだからエルフ女は冷たくて嫌だ。何でも正論で殴ればいいってもんじゃないぜ」

 アルテマイシャは脱力し、歯に衣着せず言いたい事を言いまくった。かつての彼なら、長姉を恐れてとても言えなかったような内容を。ヘルマイシャは嫌味に動じず、片方の眉を持ち上げる。

「いい顔ね。これからは今日みたいに、正直に生きたらいいわ」

「この際どうでもよくなったんだ。姉貴を縄で縛り上げた時にな。明日から楽しみにしとけ」

「あら残念。あなたが行くのは、遠く離れた私とは全然関係ない監獄よ」

 それを聞いたアルテマイシャは、口の片端を持ち上げた。悪意のない、不敵な笑みだった。





「よし、アルテマイシャ。帰ったら君は、地位種族に関係なく法の裁きを受けるはずだ。世間的にはそれでいいだろう。だが今回ばかりは、さすがに私の気が済まない。つまり、思いっっ切り君をぶん殴りたい気持ちでいっぱいだ。分かるな? 排熱は終わっているから安全だ。全身で受け止めてくれ」

 とは言えスーラントには、彼に対してまだ深い情があった。なのでわざわざ懇切丁寧に説明をしたし、行くぞ、と警告してから助走をつけるのだ。

 繰り出された渾身の右手は、怖じ気づいたアルテマイシャに避けられてしまった。勢い余って転びそうになったスーラントと、仰け反って固まるアルテマイシャの目が合う。アルテマイシャの瞳に映るスーラントは、この期に及んでお前、とてもじゃないが信じられない、みたいな顔をしていた事だろう。自分でも分かる。

「避けるなーー!!」

 スーラントは、もう一度右手でぶん殴った。思い切り、この一発に力を込めて。


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