スーラントは、ゆっくりと首を横に振った。恐れている場合ではない。今はただ、アルテマイシャを止める事だけを考えるべきだ。精神状態を悟られる危険を避けるためか、ヨルダは一言も発しなくなった。ヘルマイシャは縄で手足を縛られて動けないが、思念通話以外の能力も持っているはずだ。アルテマイシャは知っているのに、こちらがそうでないのが難点だ。ニアは聖剣を抜くタイミングを見計らっている。さて、どうするか。


 いつ空間転移して来ても防げるよう、スーラントはできるだけニアの側に寄っておく。本当に魔王を復活させる気なのか定かではないが、確かな事がひとつある。生け贄にするための少女が、一人足りないはずなのだ。それに今まで見てきた限り、魔王城は特殊な空間だ。今ここに立つアルテマイシャは、何をしてくるか分からない。だが説得は必要だ。

「君が魔王を復活させようとしている、とは本当か?」

「だったらどうする」

「こんな事はやめて、一緒に帰ろう。取り返しのつかなくなる前に」

「そうよアルテマイシャ。今ならまだ引き返せる」

 ヘルマイシャも気力を絞って、一緒に説得しようとしてくれる。しかしアルテマイシャには届かない。

「こっちの台詞だぜ。何度も、言わせるな!」

 予備動作なしで、アルテマイシャの姿が消える。十八番の空間転移だ。彼に悟られないよう、足元に注意を払っていたかいがあった。スーラントの視覚機能は、重要な痕跡をとらえる。置きざりにされた影が、一秒にも満たない間残っていた。影に現れた揺らぎは、向かって右方向へ向かったと示している。

 一瞬遅れてニアも理解し、聖剣を抜刀した。自分にできる限りの全方位警戒を始める。向こうが攻撃をしかけるつもりならば、すぐに出てくるはずだ。しかし、アルテマイシャはなかなか現れない。なるほどどうして。スーラントは歯噛みする。こちらの手は読まれていた。現実に出るギリギリ近くで転移を繰り返し、しかける機会を窺っている。扱い使いなれているアルテマイシャとはいえ、長くは持たないはずだ。



 と思い至った直後、背中に強い衝撃をくらった。足だけでは踏ん張り切れず、スーラントは吹き飛ばされる。やけにゆっくりと流れる視界の中、倒れながらもニアの方へ顔を向ける。だがアルテマイシャは、ニアを確保しには行かなかった。判断を迷う内にも、スーラントはアルテマイシャと揉み合いになる。その内に、首の辺りがほんのり温かくなっているのに気づく。ヨルダがアルテマイシャを燃やさないよう、慌てて釘を刺しておくスーラントだった。ある懸念から、ついでにひとつ頼み事をしておく。ヨルダは隙を見て離脱し、ヘルマイシャの元へ向かうニアと合流すべく駆け出した。


 アルテマイシャが目を離した隙に、ニアはヘルマイシャの縄を解こうとしている。こちらはなんとか自力で対処するしかない。とっさに官給品の剣を奪う事に成功し、できるだけ遠くに放り投げる。剣は回転しながら床を滑って、光が届かない闇の中へ消えた。鉄と石のぶつかる音が遠ざかっても、恒温動物の熱い皮膚と息づかいは近いままだ。アルテマイシャは離れなかった。武器を取り返すよりも、優先されるべき事項があったらしい。そろそろ彼を友と思っている場合ではない。思考が迷う内に、また判断が遅れる。


 アルテマイシャはスーラントの両足を封じると、襟を掴んで後頭部を思い切り床に打ちつけた。一度、二度、三度。表面が衝撃に耐えきれず、銀色の体組織が液状となって漏れ出した。さながら血のように滴り、飛び散る。擬態の頭部を破損したところで、核に影響はない。一時的に視覚映像が霞む中、銀の触手を絡ませて相手の両腕を封じる。ついでに胸ぐらを掴み返した。

「圧迫を強くしたら、へし折れるぞ」

「やってみろよ」

 疲労困憊となりながらも、アルテマイシャは強気に答えた。できないと知っていて言うのだ、この男は。スーラントは言い返さず、だだ彼と睨み合う。星を描く宝石の光に乗って、奪われた少女達の魂が集まってくる。


 アルテマイシャの肩越しに、中央の巨大シャンデリアが見える。攻防の内に、どうやら星模様の中心に連れて来られた。違和感を覚えて見つめていると、更に大きくなった気がする。スーラントはようやく、今まさにシャンデリアが落下中と知る。遠くの床で伏せっているヘルマイシャが、右手を高く伸ばしている。顔が苦しげに歪んでいた。ニアが解かれた縄を持っている。シャンデリアの鎖を切ったのはヘルマイシャだ。アルテマイシャが巻き込まれると承知の上で。

 だがスーラントは納得いかなかった。大きく鋭利な精霊結晶の塊は、人間を切り裂き押し潰すには十分すぎるほどだ。アルテマイシャは計画遂行中のため、まだ遠くへ逃げないという確信もあった。己の甘さを自嘲しながらも、とっさに触手の力を緩める。アルテマイシャは一瞬戸惑った表情を浮かべた後、空間転移で離脱した。近くに、美しい、シャンデリアだ。





 実は魔王城は、魔王本人が建てた訳ではない。

 遥か昔に人間達が、大地深くに魔王が眠っているのに気がつき、その上に迷宮を作ったのがそもそもの発端だった。『行く手を阻む』のではなく、『外へ出さない』事を目的とした迷宮だった。もし魔王が目を覚ましても、すぐには外へ出られないように。古来より魔王は、人間達から破壊の化身と恐れられていた。目を覚ませば必ず大厄災を起こし、多くの種を絶やしたとの伝説が語り継がれていたからだ。


 数百年が経った。迷宮がどこにあるかも分からなくなった頃だった。次に迷宮を再発見した人間達は、興味本位から探検を始めた。珍しい環境下で不思議な変化を遂げた動植物、希少な鉱石類、そして異常に強い魔物。他にもおかしな事がある。自然の罠もあったが、明らかに古の人工物らしき罠が多い。外からの進行を阻むはずの罠が、すべからく内側へ向いているのだ。しかも時に、人間を助ける構造になっている。不気味なものを感じながら、多くの調査隊と冒険者が再深部を目指した。多くの犠牲を払いながらも見たものは、先人達が記したある言葉だった。


『ここに魔王が封じられている。かれを起こしてはならない』


 逃げ帰った人間達は、ほんの一部となっていた。彼らは迷宮の上に大きな城を建てて、内部に封印を施した。『侵攻を防ぐ』のではなく、『外へ出さない』事を目的とした城だった。こうして古代の封印と、中世の封印、二重の封印が完成された。


 そして現在。





 破損した精霊結晶は温かさを失い、銀色の血で深く染まる。それをきっかけとして、空間全体に停滞していた魔素が収束し、乱雑に渦巻く風を起こす。ヨルダはスーラントとの約束通り、炎の壁で彼女達を守った。


 銀色の血が息を吹き返した。砕けたシャンデリアの上を舐めるように移動する。精霊結晶に蓄えられていた膨大な魔素が、ある一点に吸い込まれて行く。結晶の塊が砕かれ、次々と吸収される。供物をやすやすと平らげた銀色の流動体は白く輝き、不気味に脈打ちながら人影を形作っていく。スーラントの精神が、白に塗りかえられて行く。





 私は、魔王だ。





 いやいや、違う。スーラントだ。



 スーラントは背を丸めながら、己の体に力が満ち満ちているのを感じていた。痛いほどに体中が熱く、おまけに酷く核が軋む。身体中から煙が出ている。着ていた服は焼け落ちて、糸屑一本残っていない。覚醒が極めて不完全であり、スライム生始まって以来の不愉快な気分だ。まだスーラントとしての意識が残っているだけいいだろう。個の自我は、自覚していた以上に強靭だ。あってよかった、強固な自我。やっててよかった、意識確認。


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