3
(ちなみに。妾が依り代にしていた人間の女は、しかるべき病院に運ばれて行った。安心されよ)
「いてててて!」
スーラントが口を動かした直後、言葉は悲鳴に変わる。蜥蜴の体が燃え上がり、いっそう強く締め上げてきたのだ。突然、ここにいるはずのない声が響く。
「大丈夫ですか先生!」
「なんでいるの?!」
慌ててニアが走り寄って来るのが見えた。彼女はヨルダを警戒しながら、聖剣を抜き放つ。
「何度だってあなたを助けに行くって、約束しましたよね!」
「してないが?!」
「そうでしたっけ」
「とにかく、今はヨルダを刺激するな。私が逃げようとしなければ、攻撃して来ないようだ」
スーラントは、ヨルダの言う通りにした。ヨルダの精神状態をニアに教えようとすれば、アルテマイシャにも知られる可能性が高い。今は、小さな炎蜥蜴がヨルダだと分かっていれば十分だ。大人しくしていると、締め上げている炎が解除される。ニアは言われた通りに、聖剣の切っ先を下げた。状況が落ち着いたところで、ようやく詳しい調査を始められる。
「ここはどこでしょうか」
独り言のようなニアの疑問に、スーラントは答えられなかった。確かなのは、ここが中央公園ではない事だけだ。魔法扉を通った記憶があるので、オスカロの言葉通りなら中央公園の地下空間だろう。それにしては明るいし、微風まで吹いている。スーラントは上を見上げてみた。外の世界と同じような青空があり、見慣れた形の雲が流れている。いくら探しても太陽はない。
次に地面を調べてみる。人の作った道はなく、どこまでも続く草原が見える。時々丘があったり、種類は分からないが木が生えたりしている。もう少し感覚を磨ぎ澄ませて、自分達以外の動くものを探す。野花があるのに虫の羽音はなく、草食動物や鳥がいる気配もない。草木が風で擦れる音だけがする。
スーラントの興味は、自分の足元に移った。ごく普通の土の上に、背の低い草が生えている。千切ってみると、植物特有の青臭い香りが弾けた。
「あ、あれ」
スーラントの後方を担当していたニアが、驚きの声を上げる。指差す方向を見ると、草原の中にぽつりと小さな森がある。真ん中辺りには、黒色をした立派な尖塔が飛び出していた。
「お城があります」
(あれは魔王城じゃな)
ヨルダは頭をもたげ、目視で確認すると言った。スーラントだけに聞こえる思念で。
とんでもない事を聞いてしまった。ヨルダは魔王城とはっきり言った。四天王だった者が言うなら間違いないだろう。首都アマリは、魔王城の上に作られたのか。
「魔王城……」
何だか懐かしい響きだ。スーラントは魔物だから、恐れよりも親近感の方が湧くのだ。
「あそこに悪者がいるんだわ。よーし、行きましょう」
ニアは聖剣を鞘に納める。魔王城と聞いて、スーラントの答えも待たずに勇んで歩き出した。悪者がいるかは分からないが、行ってみる価値はあるだろう。いかにも怪しい建物を無視する理由はない。広い草原へ出て別の何かを探すより、遥かに理に叶っている。
森を歩き、空気を吸う内に、だんだん思い出してきた事があった。しかしスーラントは、知らない体を装っていた。自分の正体を彼女に知られるのが、今度こそ怖かったのだ。体がスライムでできているのがバレるかバレないか、のレベルではない。もっとガチのやつだ。今までの悩みが小さく感じるほどの。
「結構距離があったな。疲れてないか?」
二人は庭先で井戸を見つけ、水を飲む事にした。もちろん、安全性は確認済みだ。スーラントが素手を入れてみれば、飲めるかどうかすぐに分かる。ここも植物だけで、虫や動物の気配はなかった。魔物の姿も全くない。整えられた小路の奥には、鉄の装飾が施された頑丈な扉が見える。花のある庭も。魔法扉を潜ってから向こう、スーラントは不気味さを感じていた。庭が整備されているなら、人の手が入っているはずだが。
「大丈夫です。水が飲めましたから。ところで、ここに魔王がいるんでしょうか?」
「どうだろうな。私的には、アルテマイシャをさっさと捕まえて帰りたいんだが」
「あっ。そうでした。わたし達の目的は、アルテマイシャさんを捕まえて、拐われた女の子達を助ける事でした」
ニアは軽く両手を打つと、慌てて走り出した。そのままの勢いで玄関に突入しそうだったので、止めに入るスーラントだった。先が思いやられる。
「待った、気をつけろ。玄関ホールにすぐ犯人が待ち構えている、なんて事もありえる」
「何言ってるんですか先生。最初に戦うのは四天王第四位……ってまさか、あなた」
ニアが注目したのはスーラント、ではなく、肩にいるヨルダだ。静かに体を休息させていたヨルダは、おもむろに目を開いた。面倒そうな顔だ。人間に蜥蜴の表情は分かりにくいかもしれないが。
(それはない)
「こんな小さな蜥蜴に、戦う元気は残ってなさそうだぞ」
スーラントは独断と偏見で意訳した。そしてニアの前に出て、両手を扉にかける。意を決して押し開くと、耳障りな音を立てた。
玄関ホールは、予想していたほどの豪勢さはなかった。だが簡素路線なだけで、いい素材が使われている。天井から下がる乳白色のシャンデリアは、巨大な精霊結晶の塊だった。無属性結晶は今でもかなりの高級品だ。壁を観察してみる。移ろいゆく空の上に、季節の動植物や魔物達、二本角の白い巨人が描かれている。
床には宝石で作られた星の模様がある。大部分が大理石の中、輝きが違うのですぐに分かった。その周囲には円を描くように檻が配置されており、上から精霊結晶の塊が柔らかい光を落とす。中には少女が一人ずつ入っていて、誰もがうずくまっている。ニアが、少女達の中から友を見つけるまで、そう時間はかからなかった。
「エレナ!」
また走り出しそうになるニアを、スーラントは片腕で制する。
「動くな。罠かもしれない」
「よく来たな、勇者一行よ。なんてな」
玄関ホールの奥に、いるのは一人。アルテマイシャが一昔前の高級椅子に座り、自嘲的な笑みを浮かべている。官給品の剣を抜き身のまま、右手に引っかけるようにして持ちながら。乾いた血の臭いがする。彼もまた、ランドールに手痛い反撃を受けたらしい。身体中傷だらけだ。
足元に転がっているのは、縄で縛られたヘルマイシャだ。口も目も塞がれていないが、頬が少し切れているなどの軽い怪我をしている。アルテマイシャと戦った時についた傷だろう。目視からは、それ以外の傷は確認できない。異常な魔素の匂いもしない。疲れた顔をしているだけで、命に別状はなさそうだ。
「アルテマイシャさん! まさか、あなたはまお」
「違います」
「こいつが魔王よ!」
勇者の本能が暴走するニア。割り込むヘルマイシャ。
「あなたが魔王だったなんて!」
「姉上ややこしくすんな」
「でも全身黒で、豪華な椅子に座ってて、色んな種族の女の子達が回りに」
「スーツとかの色、近くの廊下にあった椅子、檻に入った人質。だろ?」
アルテマイシャはすっかり毒気を抜かれてしまった顔で、指まで使いながら律儀に説明している。ニアは魔王を何だと思っているのだろうか。そもそも学校で教えられる内容を、スーラントは知らない。今度見せてもらおう、と思ってから、今度がないかもしれないのに気がつく。隣に立つ小さな勇者は、どこまで察しているだろうか。
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