幸福について考えるに

むらさき毒きのこ

第1話 人の数だけ幸福論がある

「自分がして欲しくない事を他人にしてはいけない」


 なんて、子供の頃どこかで聞いた事があるけれど、して欲しくない事なんて人それぞれなのだ。逆に、して欲しい事も然り。


「他人を傷つける奴は悪い奴だ」


 なんてのも、どっかで聞いたような説教だけど、何だろうなあ。余計なお世話っていう言葉があってですね。そもそも、罪を裁くのは法であって、感情では無いんですよ。感情で裁く事を「私刑(リンチ)」って言うでしょう。法に依らない刑罰の執行。


 物語だと、ありふれた題材ではあるんですがね、悪い奴をやっつけるとか。読者の感情を、悪役を憎むように持って行って……主人公が悪人をやっつける時、読者はスカッとするという構造は……子供だましだと思っていても、ついつい乗っちゃう時もありますよ。アニメだと特に、ビジュアルに引き込まれたりするから。孤独なヒーローが、ワンパンチで醜悪な怪物を倒す映像とか妙な爽快感がありますよ。


 さて現実はというと、そんなに簡単ではない。嫌いな人を殴れば、暴行罪。好きな人に付きまとえばストーカー。好みの人を許可なく触れば強制わいせつ。憎い人を殺したら殺人罪。例え事実であったとしても、個人の悪行を公に暴露すれば名誉棄損。面倒に思う、世話の必要な身内に関わる事を放棄すれば、遺棄罪です。


 現実世界、日本国内がどうにかこうにか平和であるのは、個人の我慢の賜物(たまもの)であります。もしも各個人が我慢をすることをやめたらおそらく街は、ならず者が跋扈(ばっこ)する戦場と化すことでしょう。


 さて、幸福について考えるとき、私はこう考える。「生きる事からの解放」と。なぜなら、生きているだけで他の存在を消費しなければならないからだ。私が生きるために食べる時、他の生物を殺さなければならない。私が仕事場の上司に評価され時給が上がる時、私をライバル視する先輩が苦々しく思う。私が幸福に生きているのを見て、「私は独りぼっちだ」と泣く友人がいたり。どこに行っても何をしても、喜びの裏には悲しみや怒りがある。日陰に行けば、楽だろうと思うがそうもいかない。身内に迷惑がかかるからだ。


 ある自責の念にかられている人物のために、一つ語ろうと思う。それは、一人の学生の話だ。私が十代の頃の話。


 十九歳のその彼、Оは、ある日の夜、車で老人をひき殺した。彼は大学を辞める事になった。そして同じ時期に、つき合っていた彼女(17)が妊娠、中絶をした。

 当時のОの様子は、飄々としていた、ように見えた。内心はどうだったのか、分からない。毎日する事も無いのかアニメを見ては、部屋に引きこもったりブラブラしたり。交通事故の被害者宅に、定期的に両親と謝罪に行ったりもしていた。

 Оの両親は、一人息子のОの事でかなり胸を痛めていた。私はたまにОと会って話したりしていたが、裕福な家庭で大事に育てられていたОは、ドブみたいな路地の風呂無し長屋で酒乱の父に蹴られて育ったような私に比べたら、品性がゲロとスープくらい違っているように思えた。とにかく怒らない人だったのだ。


 ある時私は、Оの家にてОの母親に、家庭の事情を話しながら泣いていた。母親から「死んでほしい」と言われたので、辛かったのだ。まあ、育てにくい娘でもあったのだが。そうしたらばОの母は、熱いコンソメスープを食べさせてくれた。それまで生きてきた中で、食べた事無いような上品な味で、余計に泣けた。そして、思った。何でこの親の子供が、人殺しになって引きこもってるんだろうと。世間のシステムに怒り、ぶっ壊してやりたいと周囲を憎んでいる自分は、世間的には「まとも」に生きているのに、と。


 交通事故や望まない妊娠っていうのは、世の中にありふれている。数字で示すとこういう事だろう。



『平成29年中の交通事故の発生状況・警察庁交通局』より

発生件数 47万2,165件

死亡事故 3,630件

重傷事故 3万4,940件

軽傷事故 43万3,595件


死傷者数 58万4,541人

死者数 3,694人


『平成30年度衛生行政報告例の概況』より

6 母体保護関係

平成 30 年度の人工妊娠中絶件数は 161,741 件で、前年度に比べ 2,880 件( 1.7%)減少している。 「20 歳未満」について各歳でみると、「19 歳」が 5,916 件と最も多く、次いで「18 歳」が 3,434 件となっている。



 さて、罪というのは目に見えない。人を殺した手が、血に塗れているというのは文学的な表現であって、実際は汚れてはいないのだ。そして、罪を償うといっても、懲役が済んだら被害者の気が晴れるのかと言えばたぶん、そんな事は無いだろう。

 ではどうしたらいいのか。思うに、生きるしか無いのだ。生きているから、生きるしか無い。それだけなんだと思う。他に理由など、ありはしない。そして、幸福というのはおそらく、生きる理由など問わなくていい状態の事だと思う。

 つまり、幸福とは、ありふれた、そんなに大したこと無い、だけどそこまで悪いものでもない、そんなものなんだろうな。

 

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