インスタントサマー

もりひさ

インスタントサマー


「すいません。インスタントサマー売ってますか」

 申し訳程度に買ったのであろう鮭のおにぎりをレジに出して彼は私に尋ねた。


「はい、取り扱っています」


 こんな時の返事は大抵こうだ。

 私は無理に見えない程度の笑みを口に貼り付けて彼の次の言葉を待つ。

 朝のピークを終えて客足は疎らだった。この時間帯は店員も私しかいない。

 駅前といえども草木や野花で囲まれた森林公園の中にめり込んでいるコンビニといえばこんなものなのだろう。


「じゃあ一つお願いします」

「かしこまりました。インスタントサマーの使用は初めてですか?」

「はい」


 彼はすっきりと答える。日本人にしてはずいぶん大きい背丈だ。

 服装から察するに大学生か高校生ぐらいだろう。背中も丸くなくて足から頭までが一点でぴんと張っていてより一層高く見える。


「では説明させていただきます」


 こんな言葉を聞けるのはここのコンビニだけかもしれない。


 インスタントサマーは読んで字の如く“手軽な夏”ということだ。実物は後日郵送されるらしいので私は見たことはないが、このコンビニではなぜか昔からそんな不可思議な商品を取り扱っているらしい。無論店頭には売っていない。店員に直接尋ねて初めて買える。いわば裏メニューのような立ち位置だ。


 だから説明すると言っても別に大それたことは言わないし言えない。

 ただ商品郵送から半日効力があること。使用による過失やいかなる被害も当店では一切の責任を負わないこと。それだけを告げて同意を求める。


「わかりました」


 説明の途中植物の蔓が暖簾のように垂れ下がる店の外を見ていた彼は私の説明を終えて考える間もなくそう言った。


「ではこちらにサインをしてください」


 私は店で用意されているメモ用紙とペンを彼の前に出す。

 すらすらと綴った名前はカタカナでアオイと書かれていた。


「あ、漢字のほうがよかったですか」


 気遣った一言。恐らく本当に好青年なのだろう。


「問題ありません。わざわざありがとうございます」

 アオイは少しそわそわした様子で紙をレジの下にしまう私を見ていた。


「では明日郵送されますので料金は郵送員にお渡しください」

「はい、ありがとうございました」


 アオイは御辞儀をして外へ出ていった。


 このコンビニには日差しがほとんど入ってこない。

 元々店自体が公園の奥まった場所にあるので周囲はほとんど人の手もついていない樹木が生い茂っているのだ。だから昼間でも照明が眩しいぐらいに点いていて、僅かに明かりが満たせない部分には仄暗い影が落ちている。


 明らかにコンビニを建てるには似合わない立地のせいで流れ着いてコンビニに来る人もいる。大抵の人は虚な目を浮かべいて、最初は公園内で迷ったか行先がわからないだけだと思っていたが、そのうち来客はその限りではないと分かった。


 そしては必ずインスタントサマーを買うのだ。


 彼は迷わずに帰路に着けたのだろうか。

 なんとなく窓の外を見ると遠くの方に太い木の幹が見える。よく目を凝らすと真新しい紐の跡が不規則な木目と混ざり歪な模様を作っていた。


 それから何度かアオイはコンビニに来た。

 

 アオイはすっかりなじみの客なってアオイと私は短い会話を交わすようになっていた。少し世間話をして、たまにすっからかんな客足を互いに気にする。そしてまたアオイはありがとうございます、と言って私の方に頭を下げて帰って行くのだった。


「インスタントサマー使ったんです。一度見に来てくれませんか」


 いつもの会計の折アオイは唐突に言った。

 私はその場返事でなんとなく了承した。

 

 もしかしたらいつも一人きりの店員という役回りが寂しかったのかもしれないし、アオイの稀に見る真っ直ぐさにどこかで私は惹かれているのかもしれない。


 人間は身体の奥底で反響してる本音をいつもどうしてか包み隠してしまう生き物なのだ。


 成長し大人になり心の蔓が伸びれば伸びるほど、覆い隠す容量は大きくなる。そして何より隠しているはずの当人が隠し物の正体を見失ったりする。

 

 私は森林公園の寝静まった管理棟の前で彼を待っていた。


 夜の大気は日中と全て入れ替わったようだ。

 澄明な空気は公園の奥へと続いて行く街灯に触れて、明るみから乱立する樹木の一部を剥き出しにしている。


 ほどなくして彼は来た。


「待たせましたか」


 息を切らして大きな肩を揺らしている。

 

 急いで来たのだろう。時間よりはまだ十分も早いのに彼は短く謝った。

 大丈夫ですよ、と言って私も少しだけ身体を前に倒す。


 “来てくれてありがとう”と。


「それじゃあ行きましょうか」


 彼は管理棟の扉に手を押し込んだ。

 一瞬を虚を疲れたように立ち尽くした私を彼は暗がりの扉の奥から呼んでいる。


「管理人さんなんですか」

 私の問いにアオイは「まあそんなものです」と曖昧に答えた。


 前を歩く彼の僅かに見える大きい背中を追って行く。

 やがて薄い土に植えられた芽や蕾や花がぽつぽつと広がる花園に出た。


 ビニールの透明な天井から澄んだ月明かりが溢れている。

 壁はコンビニと似て蔓が垂れ下がり天井までは覆わずとも端の花には蔓の壁が邪魔して月明かりが届かず暗がりに隠されて見えない。


「暑い」


 私は思わず声を上げた。

 植物園の扉を開けた瞬間に煙るように熱が肌に染み付いてくる。


 彼は恐らくここでインスタントサマーを使ったのだ。


「本当はここはもう使われていないんです」


 元々は先代の管理人の道楽で作られた場所らしい。

 ところが今の管理人に変わってここにある花は近く全て売り払われる予定なのだと教えてくれた。


「どうしてこんな場所に花を植えようとしたんですか」

 花園を見渡しながら彼は私の問いに対する答えを少し考えた。


「どうしてここだったのかはわからないですけど、ここの花は少し特殊なんです」

「特殊ですか」

「ええ」


 特殊。その一言に至るまでに彼は大分言葉を選んだように見えた。

 説明しても伝わらないのか、言えないようなことなのか。


 花園というには咲いている花が少ないような気がした。そのせいか夏夜となった一帯には水分を浮かすような蒸し暑さだけがある。


「きっとなくなっちゃいますけど。でも、この部屋で最後の一夜を過ごすなら夏じゃないといけないなと思うんです」


 仄かな光が彼の身体に斜めがかって当たる。


「自分の好きな人と過ごした最後の季節だから」


 そこで私はようやく花園の奥の方にある小さな仏壇に気付いた。

 優しく触れるような微かな香の匂い、側には密やかな弔いに添えられた小さな花があった。


 恋人です。

 彼は静かに言った。


 生まれた時から病の中でずっと生きていたのだという。

 静かで、悲しそうで、でも嬉しい時は静かに喜ぶ、そんな人。


「ここに彼女を一度だけ連れ出したんです。後でずいぶん色々な人に怒られましたけどね」

 

 彼は照れ臭く笑った。

 どうしてか見たこともない彼の恋人に似ている気がする。


 無理に明るく振る舞う彼には似合わない寂しげな香の匂いが辺りを包んで。

 

 伸びゆく光を覆い、花園の中心に立つ私達の周囲で芽が生えた。

 

 芽は驚くべき速度で成長し、背を伸ばし、ビニールに閉じ込められた花園は黄色に背の高い向日葵で埋め尽くされた。


 まるで月と夏の糸に引かれて成長したような向日葵が夜に向かって咲き乱れている。


 私は人生で始めて失恋した。

 亡くした恋人のアオイという名前を使っていた優しい青年に。



 疎らだったコンビニの客足は少しづつ増えてきて私は元のなんでもない店員に戻って日々を過ごしていた。


 彼はコンビニには来ない。


 何度か管理棟に行ったことはあったがそこに彼はいなかったしそもそも管理棟自体に鍵がかけられており人気はないように見えた。


 調べてみるとあの管理棟はもう何年も使われてないらしい。


 彼の笑い顔を思い浮かべる。いい人だったな。少し損した気分だ。

 いつかお金ができたらあそこに向日葵畑を作ろう。


 そう思いながら外を見る。この頃も相変わらず日は差し込まない。

 しかし、既に暖かさを通り越した暑さと蝉時雨が肌を焼く季節になっていた。


「すいません。インスタントサマーありますか」


 申し訳程度の小物を買って客は私に尋ねる。

 インスタントサマーは案外夏でも人気なのだ。





























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