第2話 斑良少年
なんだかいいなあ、と思った。ただの興味に他ならない。隣からふわふわと昇ってゆく煙が、目の前の小さな紙箱の中に詰まっているのかと思うと不思議な感覚がした。見慣れた銘柄の箱が、突然とびきり魅力的に見えたのだ。
「おい」
霞みがかった脳味噌を突風のように晴らしたのは、指先に与えられた衝撃だった。
「…痛って!」
痛くしてんだよ。そう言って周はあの煙をふうとゆっくり吐いた。
「いいじゃんか別に」
大体ヘビースモーカーの奴に喫煙を止められるというのも納得がいかない。
「駄目」
「周が言っても説得力ねえよ」
「俺はいいの。大人だから」
当たり前のことを言ってやったというのに、彼は愉しそうに肩を揺らした。効果はどうやらゼロらしい。
「俺だってハタチ超えてんのに。社会人になったら良いわけ?」
これが理不尽てやつなのかなと思って問うと、更に理不尽な答えが返ってきた。
「いーや?夕は社会人になっても禁止」
酒は良いけどな。と付け加えてけらけらと笑う。てんで理屈になってない。なんて大人だ。というより、子供みたいな大人だろう、これは。
「なんでだよ」
馬鹿にされているのか、揶揄われているのかどちらにせよ悔しくなってもう一度同じ問いを投げた。
「じゃあ、夕はなんでいきなり煙草吸いたいとか言うわけ?」
質問に質問返し。ずるいと思っているのに、俺はその答えを探してみる。いつもふわふわと漂わせている煙が今日は何故だか綺麗に見えた。薄い唇から美味そうに吐き出されるその味を知ってみたくなった。けれどその現象自体は日常の中にいくつもあった。何故そんなにもその体験をしてみたくなったか。残念ながら自分のことだというのにわからない。
「んー、なんかわかんなくなった」
「は?」
「周の見てたら良いように見えたっていうか」
結局陳腐な言葉を伝えることしか出来ない。案の定、周はあっそと素っ気ない返事をして灰皿へぐいとそれを押し付けた。
「大体な、こんなん肺が黒くなるだけ」
「なら、なんで周は吸ってんの」
「さあ?なんでかね」
本当にわからないといったように、首を傾げる姿が可笑しかった。なんだか上手く誤魔化されたような気がしないでもないけれど。
「ま、一度知ったら戻れないってな。良く言うだろ?」
だからお前はこれで十分だ。掠れた小さな声が唐突に耳元で響いた。同時にざらざらとした苦さが舌に絡まって喉が悲鳴を上げる。
「っげ」
嫌味に弧を描いた唇が滲んで遠くなっていった。気管に流れた煙さと灰のじゃりじゃりとした感覚が鼻の奥や舌にじわりと広がっていく。
「お前、なにすんだ!」
「味はこれでわかったろ?」
目の端に滲んだ水分を拭うと、周は俺の顔を見てにやりと笑った。
「まだ煙草吸いたいか?」
「っ!いらねえよ!」
「そりゃよかったよ、青少年」
くつくつと喉を鳴らして、彼は指の先で細長く白い爆弾を拾い上げる。俺はまだ少し噎せながら、もう二度と煙草なんて吸うもうかと思った。でも、すぐにそれは限りなく無理に近いことに気付く。
「でもよく考えたらさ」
「慣れればましとか思った?」
「違えよ」
お子様には向いてないと馬鹿にする手を押し退ける。
「俺、吸ってるようなもんだった」
「は?」
珍しくきょとんと見開かれた目を、今度はこっちがにやりと見てやった。
「フクリューエンだよ、フクリューエン」
ぽかんとした表情がしまったというものに変わっていくのが見て取れた。
「つまり、俺の肺が真っ黒になったらそれは全部周の煙ってわけ」
どうだ、参ったか。周はさぞかし悔しがっているだろうともう一度その顔を見上げる。
「なにお前、それ、なんのつもりなの」
だけどそれは叶わずに、ぎゅうぎゅうと腕の中に押し込められてしまった。
「え!」
怒っているのかと再び顔を上げようとすると、見るなとすぐさま遮られた。
「周?」
「馬鹿。本当馬鹿」
連発される言葉はあまりにも辿々しかった。
「周?」
「お前それ他の奴の前で言うなよ」
「は?言わねえけど?」
どうやら怒っているわけでは無さそうで、周は俺を腕の中に閉じ込めたままだ。耳に落ちてくる連発された馬鹿という言葉が天邪鬼な子供の呟きみたいだったので、言葉の意味は気にしないことにした。
「周」
「…なに」
不機嫌そうな声がくすぐったい。
「俺、周のフクリューエンだったら肺が真っ黒になっちゃってもいいよ」
「……そういうのはちゃんと漢字で書けるようになってから言え」
憎まれ口が淡く響いて溶けていった。さっきは吐き出したいほど苦かった感覚は、随分と薄れてしまっている。微かに残った舌先のほろ苦さは少しだけ好きになれる気がした。
流煙に溶ける 七夕ねむり @yuki_kotatu1
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