星屑とりんご

青木はじめ

星屑とりんご

それは全て、なんとなく。であった。

なんとなく入った店で働いていた店員に一目惚れしたくらいの気軽な「なんとなく」であったのだ。

否、例えがややこしいか。

兎も角、偶然が予想を上回ったということだ。

なんとなく。便利な言葉だ。


その日は珍しくあの子が熱を出した日だった。

朝高熱を出し、薬を飲み昼を過ぎたら少し熱は下がったが、いかんせん食欲がなく朝から少量の水しか口にしていない。何か食べたいものは無いのかと聞いても首を横に振るだけ。これまた珍しく強情な少女に叔母さんもお手上げ状態の時に、俺が立ち上がったというわけだ。

俺が聞いたことはただ一言。

「最近行ったケーキ屋は?」

数秒おいてぽつりと零した言葉を脳内にメモし、ぽかんとした叔母さんを背に俺は家を出た。


「ここか…」

家から数駅と徒歩10分程度の場所にこじんまりとしながらも、いかにも女子ウケが良さそうなファンシーさを醸し出す外観。

日本人が経営しているのであろう、ローマ字で書かれた日本語の看板をじっと見つめる。

あの子が小さく零した情報。

スマホで探したらすぐに出てきたパティスリー。

ケーキ程は食べられなくてもゼリー系なら食べられるだろう。そう思い来たはいいが、なにせファンシーが過ぎる。190センチもある己が入っても良かろうかと1度たたらを踏む。

だがそれも1度で済んだ。

店内のイートインスペースに一人の男性がいるのを見つけた。

よし、これなら入りやすい。

少し勇気をくれた青年に感謝しつつ、背中を曲げて店内に入る。

店名の通り、彩り豊かなスイーツが並ぶ光景に感嘆の声が漏れそうになる。

あの子にあのフリルを着せて横に並ばせたい。もちろんウサギのぬいぐるみを抱かせて。

店内のあちらこちらに飾られている猫のぬいぐるみにも感動しながらショーケースを吟味する。

ゼリー系だけでも数種類ある。

「マスカット…ベリー…は、あまり好きじゃないしな…。」

体を曲げてうんうん唸っていると小さく「あの…」と横から声がした。

「ここのラズベリーはあまりきつくないですよ」

先程イートインスペースにいた青年だ。

いつの間に横に立っていたんだろう。先程まで睨みつけるように見ていたショーケースに指をさして言った。

「一番人気で食べやすいのはオレンジゼリーですね。後味もくどくない」

どこかキリリとした目付きであれやこれや説明する姿はまるで職人だ。ここの店員なのだろうか。

「これは酸味が強くて…って、あっ!す、すみません、突然べらべらと…!すみません…」

はっと我に返ったようにへこへこ頭を下げる青年に慌てて言葉を返す。

「いや、助かります。たくさんあって何がいいか分からなかったので」

そう言うと青年はまた目をキリリと輝かせて「贈り物ですか?」と言った。

やはりパティシエかなにかなのだろう。ここは彼に手を借りようと思った。

「ええ。姪っ子が風邪をひきましてね、ゼリーなら食べれるかと思い、買いに来たんですよ」

「そうでしたか…お大事になさってください。その子はどんなものが好きなんですか?」

お気の毒に、と眉を下げてからまたキリリといかにもリサーチしますといった顔つきになる青年に思わず笑みが零れた。

「あっさりした甘さが好きで、逆に酸味や渋みが苦手ですね。梨やバナナを好みます」

「それでしたら、これとか…」

おかしな光景だっただろう。

店員でもない青年がショーケースの前であれこれプレゼンする姿は。

しかし何故だかそれが心地よかった。

今までなんでも器用にこなし全て自分ひとりでやりとげてきた自分には初めてのような、誰かの手を借りるという感覚。

不思議な青年に会ったとあの子に話してあげなければ、と青年のプレゼンを聞きながら思った。

なんとなく、で頼るのもたまにはいいのかもしれない。


ーーーー


火照った体をつるりと巡る甘味。

さっぱりとした梨の舌触りにほんのり桃のフレーバー。

まるで紅茶を飲んでいるかのようなスプーンひとさじに、重たい体から少し力が抜けたような気がした。

「ありがと、こうたろさん」

すこし鼻のかかった声でお礼を言うと、叔父さんは何故か、くくっと笑い声をもらした。

「いやなに、面白い兄さんがいたんだ」

叔父さんが話す事はたいていが紛らわしい冗談だが、今回はまるで小さな星屑がきらきらと瞬きながら落ちてくるような話に感じた。もっと話してほしい。もっと聞かせてほしいと、強く思った。

「お前さんもいつか会えるといいな」

叔父さんがこういう時は本当になることが多い。

会えたら、いいなあ。

身も知らぬ相手に、何故か、そう願った。


夏も過ぎた10月。カーディガンを引っ張り出して暖をとる季節が来た。

下校時間になり、鞄に荷物を詰めていると、隣の席の石橋さんが声をかけてきた。

「ねぇ、一緒に帰ろうよ」

なんと珍しい。

今日は彼氏さんが部活で遅くなるからと先に帰れと言われたらしい。

どこかむずむずする心で頷くと石橋さんに手を引かれ校舎を出た。

「一緒に帰ろう」は「寄り道しようぜ」だと知ったのは10数分前。

バス停を通り過ぎ、目に入るキラキラしたお店に入ったり出たり入ったり。

頭がくらくらしてきた頃にようやっと駅に着いた。

「石橋さん、逆だよ?」

帰りが同じ方面の石橋さんがいつもとは反対のホームへ向かったので声をかけると、「逆じゃありませーん」とドヤ顔が返ってきた。

タタン、タタン。

暫くの静寂。

スマホをいじる石橋さんがふと顔を上げた。

「ほら、降りるよ」


降りた先は有名な歓楽街だった。

駅から少し歩けば大きなショッピングモールもあり、テレビで紹介されるようなグルメ街もある。

石橋さんに置いていかれないようにあちこち目移りしながらもついていくと、開けた道に出た。

「ね、この先の店に超絶イケメンが働いてるんだよ」

こそこそと近寄ってきた石橋さんに内心びびりながらも、ふむふむと聞く。

「たまにしかホールに出てこないんだけど、スイーツも美味しいんだって!」

いこいこ!と再び手を引かれ例の店へ向かう。

どこか懐かしい香りがした。


外観はいたって普通。というよりパティスリーにしてはシンプルなくらい。

外から見ると時間も時間だからか人もまばら。

これならゆっくり出来るだろうと石橋さんを先頭に店内へ入った。

ふわりと香るのは花の香りだろうか。あの店とは違う、といつも比べてしまう。でもどこか懐かしい香りがする。焼き菓子でも焼いているのだろうか。

きょろきょろと店内を見渡していると少し離れたところから石橋さんの「イートインいいですか?」という声がする。

店内のあちこちに一輪挿しの花が飾られている。紅茶の香りもよくただよっている。

石橋さんに手招きされて、奥の椅子へ座る。

なんだろう、この懐かしい気持ちは。

ぞわぞわともわくわくとも違う落ち着かなさ。

すると甘い香りが強くなった。

「シュークリーム出来たてでーす!」

息が止まった。

時じゃない、たしかに息が止まった。

現に石橋さんはなにやらきゃあきゃあ言っている。動けないのはわたしだ。

「ねえ!あの人だよ!まじイケメンなんだけど!」

小声で顔を寄せてくる石橋さんに複雑な気持ちがぐるぐると渦巻く。

深呼吸をして、声の主の方へ向く。

喉がヒュッと鳴る感覚。

ああ、あの人だ。

向こうとは違うユニフォームを着てショーケースへ出来たての一番人気のシュークリームを入れる横顔に、何故だか泣きたくなった。

今すぐ帰りたい。帰りたくない。

もう店を出たい。まだここに居たい。

全てを忘れたい。なくしたくない。

あの人の声を聞きたい。

少しでも近くに。

そそくさとショーケースへ向かう石橋さんの後をゆっくりと追いかける。

気付かれるだろうか。

ドキドキと頬が熱くなってくる。

石橋さんが1歩ずれて、ふと目が合った。

大きく開いた名も知らぬ宝石のような瞳に問う。

「おすすめはなんですか?」

語尾が震えてしまっただろうか。

大きな瞳が揺れていたから。

彼は少し考えた素振りをしてから、

「シュークリーム…いえ、」

と見つめ返し、

「マドレーヌです」

ふんわりと、どこか幼く微笑んだ。


fin

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星屑とりんご 青木はじめ @hajime_aoki

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