喉仏

勝哉 道花

喉仏

 死因を述べるとしたら『過労死』。それが彼の死因だという。


 葬式の日取りが決まったと知らせが届いたので、そこに書かれた日時に従って、僕は彼の葬式に向かった。常識に従い、持っていなかった黒スーツをわざわざ新調して臨んだ彼の葬式は、とてもよく知る厳かな葬式だった。


 仕事の同期としてやってきた僕は、線香をあげ終えたら出ていくはずだった。

 が、彼の母親がそれを止めてきた。曰く「とても仲が良い友人だと聞いていたから」というそんな理由で、僕は彼の火葬にも参列する事となった。


 知り合いの母親とは言え、今まで会った事もない相手と話すのに緊張しないわけもなく、今すぐ帰りたい気持ちにもなった。

 だが断ることもできず、僕は彼の母親と共に、彼の父親が運転する車で火葬場へと向かうこととなった。


 小さな四人乗りの軽自動車。僕の緊張など知らない彼の母親が、僕と共に車の後ろに乗り込む。そうして人の好さそうな、穏やかな笑みを浮かべながら僕に話しかけてくる。


「あの子はよくアナタのお話をしていたわ。変わった声の子が同期にいるんだって。あまりにも変わっているから忘れられなかったって」


「そうですか」と僕はその『変わった声』とやらで返事をする。すると彼の母は「あら、本当に特徴的な声なのね」と口にした。

 その声音が小さなものだったのは、率直にこぼすには失礼に当たると思ったからか、それとも本当は心の中だけで思っているつもりの声だったからなのか。判別はつかないが、悪気が合ってのものではない事は、これまでの経験上よくわかった。


 僕の耳にはなんの変哲もない、『普通』の声に聴こえる僕の声。

 しかし僕は、それが他人から聞いた時に『変わった声』になる事を知っている。


 昔はそれでいじめられていたりもしていた。だから、相手のそれが僕に対する嘲笑のものなのか、それとも違うものなのか、その判別をするのは僕にとってそう難しくない事となっていた。


 狭い車内が、陽気な彼の母親の声でいっぱいになる。彼女は僕にたくさん彼の話をしてきた。

 いや、正確には、僕に彼の話をさせようとしていたように思う。事務所ではどうだったの、だの、お仕事はどんな感じでいつもしてたの、だの、今日のお天気は晴れてるわね、ぐらいの調子で明朗に明るく、活舌よく話す。

 

 そのさまは、なんとなく彼の喋りと似ていて、あぁ、この人は本当に彼の母親なのだな、とそんなことを僕は考える。


 だから僕も答える。彼が『変わった声』と称した僕の声で、今はいない彼の代わりに彼の話をする。


 彼は世間一般的に言う、人気者だった。僕らの仕事は個人の人気が成績に反映される世界だった。特に僕らは『声』そのもので仕事をする人間だった。僕らは僕ら個人が商品であり、僕らの喉に価値のある仕事をしていた。


 最近では、『声』の仕事であればなんでもやる世界となっていて、彼の場合はその人気から来月には大きな演奏会が予定されていた。ツアーと呼ばれるそれは、全国各地で定期的に行われる予定だった。


 世間は彼の『声』を求めた。しかし求めたのは彼の『声』であって、彼自身のことではなかった。

 それ故の過労。それ故の永遠の時間の止まり。それが、今の『彼』だった。


「私はそういう世界の事はよくわからなくてねぇ」と彼の母親は言った。けれど、彼が人気であった事を心から喜んでいる事はその声音からよくわかった。その人気が彼をこのような形に追いやってしまったなど、露ほども思っていないかのような、嬉しそうな声音だった。


「あなたもきっと人気なのでしょうね。そんな特徴的な声をしているのだから」


 悪気のない言葉に「どうでしょう」と僕は愛想笑いと共に返す。彼と比べたら僕など、ちっぽけな存在である。仕事の数は彼なんかよりも全然劣っている。仕事がくるだけマシと言えばマシな方なのだろうが、それでも彼と比べたら『人気』とは言えない程度のものである。


「あの子も言っていたわ。特徴的な声だからこそ、忘れられない。そういう声はいずれ最高の武器になるって」


『武器』その言葉は、僕も前々から彼に言われていた言葉だった。僕が仕事で失敗する度に、お前の声は武器になるんだ、と彼は言って来た。


「その特徴はお前しか持ってない武器だ。武器を磨け、尖らせてもっと声をあげろ。俺はお前のそういう声が好きだぜ」


 記憶の中の彼が笑う。先刻葬式会場で見た遺影の中の彼と同じように。でも静止していたそれとは違って、確かな動きを思って、僕の頭の中でその声を響かせながら笑う。


 それを思いだしながら「僕も」とふいに口をついて言葉が出る。「僕も彼の声が好きでした」と。「彼のそういう声が、好きでした」と記憶の中のそれに語るように、目の前の現実の人物にむかって言う。


 すると彼の母親が驚いたように目を丸める。と、次の瞬間、その両目から涙がこぼれだす。


「ありがとうね、ありがとう」とこらえきれないと言った様子で彼の母親が涙する。本物の演技でもなんでもない純粋な涙声。僕らが仕事で演じるそれなんかとは違う、本物の。それが狭い車内に、先ほどまでの賑やかさとは真逆に静かに落とされる。


 ズッ、と鼻をすするような音が前方から聞こえた。それが運転席に座る彼の父のものであることは、見なくともわかることだった。


「こんなにいい友人に出会えて、きっとあの子は幸せだったでしょうね。これで恋人の1人でもいたら、本当に完璧だったのでしょうけど」


「全く、孫の顔も見せずにさっさと逝っちゃうなんて、親不孝ものにしても程があるわよねぇ」と彼の母親が茶化したように笑う。その瞳からこぼれる涙をごまかすかのように。


「ねぇ」と同意を求めてくる彼女に僕が愛想笑いを返したところで、僕らは火葬場に到着した。


 その後、彼の火葬が終わったのは、僕らが火葬場についてから1時間半後のことだった。


 1時間半前までは肉体をもっていた筈の彼が、白い骨だけになって僕らの前に現れる。彼の両親を含む彼の親戚達、そして第三者の僕に向かって、彼を運んで来た火葬場の人が「それでは」と頭をさげた。

 

「これより、収骨を行わせて頂きます。ご遺族の方々から2人1組となりまして、こちらの箸を使い、故人の骨を骨壺にご収納して頂きます。ですが、その前にまずは故人の骨についてご説明をさせて頂きます」


 火葬場の人が手慣れたように、流暢に、しかし一音一音大事にするかのような厳かな声で、彼の持っていた骨について説明してくれる。これはどこそこの骨です、これはどこそこの何でどのような骨です。知っている名前から知らない名前まで次から次に丁寧に紹介がされる。


「こちらが喉仏です」


 最後に指し示された骨に、僕の目が向く。


 喉ぼとけ。

 彼の声帯を、仕事という生体を、守り通りぬいていきた骨。

 それが今、僕の目の前にさらけ出されている。先刻、僕が「好き」だと言った声を守った骨が、そこで静かに佇んでいる。


 小さな骨だな、と思った。しかし、係の人曰く、これが綺麗な形なのだそうだ。

 本来なら火葬の段階で焼失する事が多く、ここまで綺麗に形が残っている事は無いのだという。


「故人は生前お声に関するお仕事をしていたと伺っておりますので、もしかしたらそれ故の奇跡なのかもしれませんね。お声を大事にしたいという思いが形に残ったのかもしれません」と係の人の言葉に、彼の母親がまた瞳をうるませる。それを横目で見ている内に、収骨が始まる。


『仏』という形がつくだけあり、喉仏は最後の方に大事にしまわれるらしい。

 彼と一番縁のあったものがしまうのが通常の流れだという。


 足から1つ1つ大事にしまわれていく彼の骨達。僕も隣り合った彼の親族と共に骨を仕舞っていく。


 最後に喉仏が残された時、ふいに彼と一番縁のある筈の彼の母親が、僕に箸を渡して来た。


「最後はあなたがいれてあげてくださる?」

「え」

「あなたがいいと思うの。だって、喉仏だから」


「あの子が好きだと言った声の子にしまわれた方が、きっとあの子も喜ぶと思うから」そう純粋に微笑んで、困惑する僕に箸を握らせる。

 そうして「さぁ」と僕の背中を彼の喉仏の前へと押し出す。


 ごくりと、音をたてたのは僕の喉。

 僕の中の、まだ生きてる喉仏が唾の下落によって上下に動く。


 灰の上、静かに佇む小さな彼の喉仏。声という部分に関わりを持つ骨。彼の声を生み出す場所に深い繋がりを持っていた骨。彼の、声の、骨。


 特徴的、変わっている声、と僕を評価した、「そういう声が好きだ」と語ったその彼の声の傍にいた骨。



 ――2に、彼が口にした言葉を誰よりも近くで聞いていた骨。



 先の彼の母親の声が僕の脳内を横切る。「いい友人」「恋人」その言葉が、僕の喉元までにきゅっと何かを押し上げようとしてくる。


 武器だと、声をあげろ、とそう言われたあの過去の言葉を押し上げるかのように、僕の武器を口から発っさせようとしてくる。――僕が何者であるかを、今この場に告げろと言わんばかりに。


 あぁ、あぁ、と声にならない僕の声を前に、僕の喉仏が動く事なく喉の中で鎮座し続ける。


 君は僕の『声』を武器と言ったね。この声をもっとあげろと。


 でも君は知らない。

『武器』というのは、本人が扱う事のできるサイズのものにこそ意味がある。


 たとえどんなに鋭くとがり、磨きあげられた武器であれ、それが持ち主の手におさまりきらない武器ならば、それは動きを鈍重とさせる錘にしかならない。


 周囲の人だけではない。自分自身を傷つけるしかない武器になる事を。


 守る声帯を失い骨だけになってしまった君が知る事は、もう二度とないのだろう。


 前方には、彼の父親が優しげないたわりを持った微笑み立っている。背中には、彼がこの世で命を持ったその瞬間から傍で見守り続けた女性の手が、純粋な優しさでもって僕を押してくれている。


 ――きっとこれからも僕は、この『声』をあげることはないのだろう。


 そう心の中で思いながら、僕は手にした箸の片割れを、彼の喉仏へとむけたのだった。

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