ケース2 バカ娘の帰宅
言葉は通じない。だが、何を言っているかはわかる。
「ありがとう、お世話になったね。おばあちゃんもお元気でね」
どれくらいの歳月そこにあったのだろう。木漏れ日をうけて屋根の苔の緑が映える。
ふるいふるい丸太小屋の戸口で少女の両手を握り、彼女の国の言葉で話しかける老婆に少女は微笑みと感謝をささげた。身につけているのは丈をあわせた民族衣装。老婆のきているものより華やかだが、作りは同じものだ。老婆が古いものを直してくれたのである。
迎えの男は黒一色のやせたこうもりのような男だった。あごひげをたくわえ、トルコ帽のような帽子をかぶっている。
「急ぎましょう。一時間ほど歩きです」
「黒根さん、でしたっけ。おばあちゃんは言葉がわからないからきけなかったけど、あなたなら教えてくれますよね」
「もちろん。でもまずは街道に出て車にのりましょう」
足もとがよいとはいえない踏み分け道を進む事一時間ほど。ようやく拓けたところに車道があり、路肩に迷彩シートをかけた車がおいてあった。どこかわからないが、少女にとってはやはり外国のどこかであるようだ。
シートをとると、古い年式の小さな車が出てくる。
「乗ってください。帰国のため飛行場に行きましょう」
「ここはどこですか」
彼女の質問はそこからだった。黒根の答えた地名は彼女の耳になれないものだった。
「小さな国ですからね」
「世界地図でいうとどのへんです? 」
「中央アジアのかなり西よりです」
それが本当なのかどうか、彼女に判断の手段はなかった。彼女は次の質問にうつる。一番肝心な質問だ。
「私、どうしてここにいるんでしょう。」
「死んだはずなのに、ですか? そうですね、狂言自殺が失敗して外国で蘇生措置を受けたとでももうして起きましょうか」
「それ、近くの病院でことたりませんか」
「無理ですね。あなたは一度火葬場の煙になっている」
「やっぱり死んだことになってるんだ」
黒根はだまって助手席においた新聞を彼女にさしだした。
「日付」
キリル文字だろうか。読めないアルファベットでかかれた記事はさっぱりわからないが、日付はどこでも使われているアラビア数字でどれが年かはすぐにわかった。
「え、これ十五年先」
「いたずらの類じゃないですからね」
「どういうこと? 」
「そこに封筒があるでしょう。その中にあずかってきたものがあります」
分厚いそれには三人の名前のはいった戸籍謄本のコピーがはいっていた。
そのうち二人は死亡除籍の文字がある。
「ねえ、悪い冗談だよね」
「これから、少し寄り道しますがお父様のところに送り届けます。ご自分で確かめてください」
民家くらいの建物があるだけの滑走路が見えてきた。これが空港らしい。日本のもういまはないバス会社のロゴのはいった古いバスがとまっていて、その前に天幕が広げられ、地元の人らしいものうりが店をひろげている。そこで飛行機まちらしい人々が十数名わいわいやってるそばに黒根は車を止めた。髭にトルコ帽の壮年の男が立ち上がってひょこひょこよってくる。黒根は彼に車の鍵をわたした。少女の知らない言葉で少しやりとりしてこれまた見慣れない紙幣が黒根の手から男に渡される。借り賃についての交渉だということは彼女にもわかった。
もう一人、こちらはスカーフを顔にまきつけた三十過ぎくらいの女が黒根に手をふっている。
「あの人が途中までの連れです。言葉は通じないと思いますが、仲良くしてください」
女性は立ち上がると少女のところにまっすぐやってきて口笛でも吹きそうな顔になった。手を広げて何かほめているようだ。
「その衣装、とてもかわいいっていってるよ」
「ありがとう」
気持ちだけ通じればいいや、少女は微笑みで答えた。
その途端、いきなり女性にだきしめられ、ほおずりされた。なにをいってるのかわからないが、満面の笑顔がすべてを物語っている。
「ちょうど飛行機がきましたね」
これまた古い見慣れないプロペラ機がおりてきた。
「あれに乗るんですか? 」
ありえない、と彼女は思った。
「そうです、一度乗り継ぎますが、そっちは普通だから安心して」
飛行機はがたがたいいながら停止した。これまたお古のタラップ車がのんびりよせてドアが開く。
バスがぐるっと回り込んでここで降りるひとたちを迎える形になった。
「チケットです。のるとき見せて」
席の番号すらかかれてないチケット。あるのは通し番号らしい。
「中は自由席です。適当にすわってください」
機内は何やら獣くさかった。そして汚い。床にいろいろ散らかっているし、彼女の知る飛行機のようにカーペットがしかれておらず、すべりどめのついたビニールシートを適当に端を重ねてしいてあるだけ。
経験に基づいて少女は翼の上あたりの席にすわった。その隣にあの外国人女性が座る。黒根は後ろの席にはいった。
ここでは自分が外国人なのだ、と彼女は思った。
わからない機内アナウンス、飛行機は乗客を乗せ終わるとドアをしめてすぐに動き出した。窓から去って行くバスと、店じまいを始めた露店が見える。私服の何人かは空港職員だったらしい。
がたがたと飛行機はよく揺れた。急にがくんと落ちるようなときもあった。あまり生きた心地はしなかったが隣の人がしきりにはなしかけるので少しうるさくって怖がってばかりもいられなかった。
彼女はふと気付いた。この人も不安なんじゃないかと。なんとなく、その手を握って微笑むとびっくりされた後に、満面の笑みでまた抱きしめられた。黒根は後ろの席で隣の見知らぬ現地人とこれまたわからない言葉で話をしている。
(この人は何カ国語を話せるのだろう)
ようやく飛行機が着陸したときには彼女は安堵の息を大きくはいた。隣からも同じように息をはいている音が聞こえた。彼女らはなんとなく顔を見合わせて笑った。
下りたところは少女の常識からすると田舎の空港という感じだった。ただそれより駐機している数が多いし、乗ってきたおんぼろよりちゃんとした機体ばかりだ。
「ここで一泊します。彼女とはここでお別れですよ」
ロビーには隣席の彼女の家族なのだろう。同じくらいの年配の男性と五つ六つくらいの女の子がまっていた。抱き合い、ほおずりしあい、彼らは再会を喜んだ。
家族は黒根にお礼をいってむつまじくさっていった。
「何となく」
少女は根拠のない感想をだいた。
「あの人、なにかまだ不安みたい」
「めずらしいことではありませんし、あなたにとっても他人事ではないと思いますよ。それと、荷物がとどいているはずですので、受け取りましょう」
旅行用スーツケースだった。中はぐちゃぐちゃにものが詰められている。出てきたのは彼女の服、下着、小物。スーツケースそのものは亡くなった母のものだ。
「お父さんね。ひどい詰め方」
「途中であけられて中を荒らされたんですよ」
黒根はあたりまえのことのように言った。
「お父さんには封筒にドルを少し入れておくよう助言しておきました。それが残ってたら送り主が悪い」
封筒はなかった。荷物荒らしが懐におさめて他の処理が面倒なものはほっといてくれたらしい。
「ゆっくりしてください。明日は早朝便ですよ」
ホテルも安いビジネスホテルという作りであったが、それでも休むことはできた。食事はラウンジのようなところで簡単なコース。スパイスの風味が独特な主菜に温野菜サラダという西洋料理なのか地元料理なわからないものだ。
「これを渡しておきます」
黒根はパスポートを彼女に渡した。あけると制服姿の写真と名前はあっているが生年月日が違っている。
「そっか、十五年たってるんですよね」
「はい、あなたを三十過ぎとして扱うのは無理があります」
「でも、よく作れましたねこれ」
「一応、本物ですよ。戸籍のほうはちょっと操作が必要でしたが」
たぶんちょっと、ではないだろうなと少女は思った。母がなくなったときに父の手伝いをして今の戸籍が電子化されていることは知っている。紙の記録より加工しやすそうに思えるがそれは役所も知っているはずで、通常は不可能なしかけがあるはずだ。
明日はいよいよ帰国か。彼女は言葉もわからない、どんな人がいるかわからない町にふらふらでていくことはしなかったが、ホテルの窓から異国の灯りを感慨深くながめた。
翌日、早朝、彼らは眠そうな出国管理官にパスポートへのスタンプをもらって機上の人となった。
ほとんど田舎の乗り合いバスだった最初の飛行機と違ってあまり見栄えのよくない機内食がでて数時間のフライト。ふたたびどこかわからないがアジアの暑い国の空港で日本の航空会社の機体に乗り継ぎ、ふたたび数時間。
「羽田だ」
またいじったのか、建物の様子の違う国際空港に彼女は降り立った。
「東京に移動して新幹線にのります」
はて、と彼女は思った。家は一応東京だったはずだが。
「お父様はいまは金沢にすんでおられます。奥様の実家だった家です」
その家は知っていた。古い屋敷で、お香なのか独特の香りに満ちていた思い出がある。
電車もずいぶんかわっていた。紙の吊り広告はなくなって空中に動く画像が表示されるようになっている。外には見たことのない建物が増えていた。あるはずの建物がなくなっていた。機あらば確かめた日付はすべて確かに十五年たったことを示している。
通っていた学校にもう彼女の席はない。居心地はよくなかったが住んでいた家も、自分の部屋ももうない。友達とはきっと年齢も生活もかけ離れて話があわないだろう。
「私をよびもどしたのは父ですか」
「ええ、一応、こういう時におきそうなことは説明してよく考えるよう勧めたのですが」
少女はため息をついた。
「いかなければなりませんか? 」
「ビジネスは完遂させてください。そこからはあなたの自由です」
「わかりました」
身寄りはないし、黒根と争っても得るものはない。
「黒根さんはずっとこのお仕事を? 」
新幹線の席で、彼女は話題を変えた。
「ええ、とても長いですね」
何年とはいわず、長く、とだけ言う。
「途中まで一緒だったあの人も私と同じですか」
出迎えた彼女の夫と子供らしい人たち。依頼人は彼らだろう。
「そうです。この仕事は二つ重なることは滅多にないので、あれはかなり珍しいことなんですよ」
黒根はかばんから紙を出した。
「読んでおいてください。一応、あなたはこういう形で金沢に転居するのでばれないように」
書かれているのは東京の私立高校の女生徒が彼女の父のもとに養子縁組で転居、転校するという筋書きだった。元の学校が彼女のいた学校よりずいぶん下のランクで、退学者も多い学校であることは知っていた。
「やっぱりトラブルになるんですね」
「ええ、あなたのような人や、私の存在を許せない人たちがおりましてね」
「知られるとどうなるのです」
黒根は何もいわず、手の平で喉をきる仕草をした。
「まさか」
「非公式ですが、国家がついているので可能ですよ。私も、いや私の同僚も何回かやられています」
「そんな怖い思いをして続けるお仕事? 」
「まあ、私には私の事情がありますので」
苦い笑いがこれ以上の質問を拒否していた。
「わかりました」
少女はふたたび紙に目を落とした。印刷物なので誰が作成したのかわからないが、何もかも黒根が手配したのではないだろう。いるわけないと思ったが、彼女はまわりの座席を見回した。
築何十年かの古びた家。詳しい人がみれば作り方で時期が分かるのだろうが、素人目には古いとしか言えない田舎の一軒家。元はあたりの地主であったし、第二次世界大戦後の高度経済成長の都市化で消えてもおかしくなかったその家は、色あせはしたが静かにたたずんでいた。寂しい感じがするのはあのころは庭に放し飼いになっていた鶏はもうおらず、日常の野菜を植えていた庭の小さな畑が雑草まみれになっているせいだろう。
黒根がベルをならすと、記憶より白髪の増えた父親が姿を現した。
少女にとっては十日も前でない隔絶でしかない。しかし、彼女はこのとき本当に十五年たったのだと知った。
「お父さん」
「千代」
ふるふると震える手。
少女はため息を深くついた。振り返って黒根に頭をさげる。
「黒根さん、ありがとうございました」
「なに、ビジネスですよ。それでは、私の仕事は終わりましたので」
彼もまた深々と頭を下げると、きびすを返して待たせてあったタクシーのほうへと向かう。
振り返るそぶりもなかった。
「空港へ」
そういうのが聞こえた最後だった。
「千代、おかえり」
「あがるね」
「疲れたろう。部屋はわかるね」
「ええ、でもその前に仏壇にお線香をあげなきゃ」
「おばあちゃんも喜ぶよ」
「いいえ」
彼女はかぶりをふった。
「十五年前に死んだあなたの娘にお線香をあげるの」
「いや、でも位牌はしまってしまったよ」
「出して。きっとあなたのことだから、毎日拝んでいたんでしょう。不自然よ」
「でも、おまえはここに生きているじゃないか」
「黒根さんから聞いてない? それを知られることはいろいろまずいって」
「気にならないのかい」
「生前葬だってあるんだから、どうってことはないわ」
「わかったよ」
気圧され、しぶしぶ了解した父に彼女は悲しいものを感じた。
そう、これは知っている父ではない。あの独善的で、自覚なく高圧的だった男ではない。
彼女は自分の胸に指をあてた。コギト・エルゴ・スム。私はだれだ。
仏壇で彼女は自分の位牌を手にとり、享年、戒名を見る。よくわからないが位牌ふくめてお金がかかっている。彼女は自分の名前を眺め、仏壇に戻して線香を点した。
さようなら、馬鹿でかわいそうな私。彼女は祈った。
どうかわたしをみまもっていてください。
ネクロマンサー @HighTaka
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