ネクロマンサー

@HighTaka

ケース1 追跡者

 視線の主に彼女は心当たりがあった。こんなところで出会うとは思わなかった。なつかしいが避けたくもある相手だった。

 波がしぶきをあげ、床からは重々しく規則正しい拍動のひびきが伝わる。クルーズ船は四日間の旅程で美しい島々を訪問して回るはずだ。そんな逃げることもできない場所でまさかの再会に驚かないわけもなく、運命を感じることもあるだろう。彼女の場合、その運命はよいものとはあまり思えなかったが。

「失礼」

 三十少し前、華やかさはないが堅実な感じの青年は古風なハンサムだった。むかしの彼女は彼のことは嫌いではなかった。

「なんでしょう」

 しかしここは他人のふりをしなければならない。彼の知ってる彼女はここにはいないはずなのだから。

「どこかでお会いしませんでしたか」

「あらまあ」

 彼女は微笑む。内心はなりひびく警報でうるさいほどなのに。

 だが、青年のまなざしはまっすぐだった。

「中上楓という名前に聞き覚えはありませんか? 」

「いいえ」

 意外そうな感じが出ただろうか。彼女は不安だった。嘘を見抜かれる恐怖で胸が苦しい。

「知ってますね」

 ごまかしきれなかった。彼女は首をふっていいえ、とだけ繰り返す。

「すみません」

 やり過ぎた。そう思った青年が謝罪した。

「あなたを追いつめるつもりはありません。落ち着いたら、お話を聞かせてもらえますか」

 彼女は逡巡した。しかし青年は彼女の身の上について確信を持っている。

(否定を繰り返して噂になるより、彼の誠実さにかけて話をしたほうがいいかも知れない)

 それでも気持ちが落ち着くまで話はできないだろう。彼女はただこくんとうなずいた。

 船は明け方、神域のある島についた。船客たちは上陸し、朝あがったばかりの海鮮で朝食をいただく。

「といってるけど、このへんはわざわざ本土の市場から取り寄せてるね」

 無粋なことを得々と語る夫と、いらんことはいうなと目で牽制する妻の老夫婦の声をよそに青年と彼女は向かい合って食事をとっていた。じっと自分を見る視線に彼女は困惑する。

「あの、人目がありますから」

「おっと、ごめん」

 そういいながらも彼の目は自然に彼女にすいつけられる。これの繰り返しで彼らはほとんど意味のある会話ができなかった。

 神域の島には千年はありそうな樹齢の木がうっそうと茂っている。その中をクルーズ客たちは気ままに散歩し、奥まった古い小さな神殿にお参りをしたりする。こけむして何が刻まれてるかよくわからない石像や石碑も散見される。いくつかには説明が表示され、何やら感心して写真を取る人もいた。

「ここには一人で? 」

 彼女を連れ出した青年は気まずそう聞いた。

「ええ、ちょっと疲れちゃって」

「君は死んだと思っていた」

「あなたの知ってる中上楓は死んでるわ。わたしは双子のようなものよ。名前は中村桜」

「一卵性の双子でも、ほくろの位置まで一致はしない。君は中上だ」

「よく知ってるわね」

「あのころ、君だけを見ていた。君はまるで気付かなかったけどね」

「そうね、あのころのわたしは別の人だけを見ていた」

「君はどうしてここにいる? 聞かせてくれないか」

 彼女はまだ迷っていた。自分でも実はいまだに信じられないのだ。

「わたしにもわからないの」

 彼女は素直に答えた。

「苦しみがやっと終わったと思ったらどこか外国の寺院で目覚めて、言葉の通じないお坊さんに何日か面倒を見てもらったわ。帰れなくってこまっていたら黒根という人がやってきて、私の写真がはられた違う名前のパスポートをくれて、船にのったり狭い汚い飛行機にのったりして帰ってきたの」

「黒根か。日本人だった? 」

「わからない。そうとも思えるし、中東の人のようにも見えた。くわしいことは何も教えてくれなかった。ただ、つらいことは忘れて待ってくれる人のところに帰りなさいとだけ」

「待ってくれる人って、誰? 」

「父と、母と、彼よ」

 一瞬で消したが、青年のつらそうな表情を彼女は見逃さなかった。

「ねえ、あなたの気持ちは嬉しいわ。でも、あなたがわたしを見ている間、あなたを見ていた女の子がいたことには気付いてた? 」

 青年は無言だった。

「わたしもあなたを振り返ってみた。あなたもそうしてあげて」

 それだけいうと、彼女は足早に神社のほう、人のいるほうへと戻って行った。

 深い深いため息をついて青年は首をふった。

 それから最終日になるまで、彼らは接触を避けた。いや、避けているのは彼女で、彼は執拗にならないようよく自制していた。

 最後の夜、青年は彼女を甲板に呼び出した。

「君にいっておかねばならないことがあった」

「なんでしょう」

 隠しきれない警戒心。彼女は青年を怒らせるかもしれないと心配でもあった。

「俺が君と出会ったのは偶然じゃない」

「どういうこと? 」

「死んだ人間が生き返るっていうのはいろいろ不都合があるんだ。俺の仕事は君が本人かどうかの確認と、本人だった場合の処理だ」

「処理って」

 その顔に恐怖が広がって行く様子に青年は少し愉しささえ覚えた。

「少しだけちくっとするが、それ以外の痛みと苦しみはないことを約束する」

「やめて」

「死ぬのはこわい? 」

「こわいわ」

「じゃあ、取引しないか」

「取引? 」

「俺のものになってくれ」

 ひどいことをいっている自覚はあった。だが、青年にはどうしようもなかった。

「もちろん、協力者として別人としてだ。そして黒根とやらについて知ってること、僧院の場所を特定するための協力をしてもらうことになる」

 彼女は葛藤した。もう一度死にたくない。それは強い思いだった。一人旅に出たのも整理したい心があるからだ。だが、そっちはまだ整理できてない。ここで屈したらひどい後悔に死んだほうがましだと思う日々になるかも知れない。

 長いようで短い時間がすぎ、彼女はきっと顔をあげた。

「ごめんなさい。無理です」

「俺のものにはならないと? 」

「あなたのことは嫌いじゃありません。だから無理なの」

 その言葉に、青年は泣きそうな顔になるのを自分ではおさえきれない。

「なんでだよ」

 その声は小さな子供のようにも聞こえた。


 翌朝、一人下船する青年の心は暗かった。彼女の荷物は処分し、いつ下船したのかもわからなくしておいた。死体は海に鎮めた。彼の荷物には彼女の荷物から回収した住所の手がかりと、いくつかの品物が増えている。彼女を呼び戻した者たちを探して、黒根という男の接触手段を聞き出さなければならない。それは誰の任務になるかはわからなかった。

 彼女はまた帰ってくるだろうか。

 バスの窓から流れさる港の波を見ながら彼は思った。

「今度は俺にものになってくれ」

 それが彼女が彼を受け入れなかった理由とも知らず、青年はつぶやいた。

 どこまでも追いかける。彼は決心していた。

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