エピローグ
夜半から降り出した雨は朝には止んでいた。
けれど夕方近くになり、雲行きのあやしさに走り出したとたん雨は落ちてきた。
うわ、と思いつつも臨はしばらく走ったが、雨足は激しくなるばかりで、ようやく見つけた店舗の軒先に駆け込んだ。
「あーやられたっ…」
濡れた体を手で払う。コートのポケットの中で携帯が鳴り出し、臨は濡れた指先をジーンズで拭って携帯を掴んだ。
「はい?」
『リーンごめん、ノート借りっぱだったー』
臨は笑う。店舗の中から店員らしき女性がちらちらとこちらを見ていることに気づき、軽く会釈を返した。そこは小さな飲食店のようで、扉の前にいられるのは迷惑のようだった。
「いいよ明日で」
『んー、あ、そういや高木君まだ構内にいたっぽいかな、渡しとこうか?』
「ああ、うん」
じゃあそれでいいよ、と臨は返す。どうせ同じ場所に帰るのだ。渡しておいてもらえるならそれに越したことはなかった。
『わかった。でも未だに信じらんないわ、おまえらが同居とか』
「家吹っ飛んだんだからしょうがないだろ」
臨は笑いながら返した。
『あの現場見た俺は死ぬかと思ったよマジで…』
いやもうほんとに、と繰り返す宮原を適当にあしらってから臨は通話を切った。いまだこちらを窺っている店員に会釈してから、臨は頃合を見てまた雨の中を走り出した。
二週間前、目が覚めたとき、臨は高木一臣の部屋にいた。
記憶は不鮮明で曖昧としていたが、どうやら深夜のコンビニで出くわし、そのまま高木の部屋に上がりこんで話しているうちに眠ってしまっていたようだった。そして朝になり、高木が状況を説明している最中に同期生の宮原から連絡があった。昨夜、いつものように仮眠をさせてもらおうと臨の部屋を訪れた宮原は、臨の住むマンションがガス漏れで一部倒壊し、騒然とするところに行き合わせたらしかった。
──よかった! すげえ心配したんだぞ!
話を聞き、臨はぞっとした。つまりあのとき高木の部屋に行かず家に帰っていたら、臨も何らかの被害を被っていたはずだ。幸いにして死傷者などは出なかったが、マンションは補修工事をするが、いつ住めるようになるか見込みがつかず、透子のところに行くかどうかと考えあぐねていたところに、見兼ねた高木が同居を申し出たのだった。
――狭いけど、良ければうちに来るか?
願ってもない申し出だった。
そのような経緯で、今、臨は高木と暮らしている。
路地に差し掛かったとき、暗がりの中に小さな犬が蹲っていた。濡れそぼった茶色の毛が痩せた体に張りつき、寒さに震えるさまに思わず臨は足を止めた。髪を濡らした雨が臨の頬を伝って落ちた。
ぽたりと落ちていくそれに意味もなく悲しみが込み上げる。
雨の日はいつも悲しくなる。
「…なんだおまえ、捨てられたの?」
いけないと分かりつつも手を伸ばした。
犬は臨の指先の匂いをかぎ、体を寄せてくる。
「なんだよ…置いてかれたのか?」
抱き上げて胸に寄せると雨の匂いがした。
連れて帰ったら高木はきっと怒るだろうな、と臨はふいに落ちた涙を誤魔化すように笑った。
皇帝の使者 宇土為 名 @utonamey
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