地球を登る彼をあなたは笑うだろうか──。いや、そりゃあ笑うだろう。傍から見れば、地面を這っているようにしか見えないのだから。笑うなり、見て見ぬ振りと洒落込んで澄ませるなら未だ良し、最悪通報という選択肢だってあり得るやもしれない。
しかし、地球を登る男──アースクライマーのシゲさんは云う。
「そこに地球があるから、登りたい」
眩しいほどの笑顔で、"それ"は人生を懸けるに足ると断言する。
地球を登るシゲさんをあなたはバカだと思うかもしれない。しかし、ここで一旦立ち止まって考えてみてほしい。ここは小説投稿サイトなので──些か安直ではあるがあなたがプロの小説家になりたいと志していたとしよう。何千何万という字数を書けど、何十何百という作品を書いて送れど一向に見向きもされない──そういうアマチュア作家の一人だったとしよう。
それでもなお、決して挫けまいと筆を投げ出さぬあなたを傍から見て、「バカ」だと思うヤツが全くいないとはたして云い切れるだろうか。自らの人生を懸けるに値する"何か"へ向かって頑張る人は、ときとしてバカに映るものである。
目標を達成する上でポジティブな未来像を思い描くことが科学的に推奨されない理由は、明るい将来をイメージしただけで脳が満足してしまうからである。肝心の行動にシフトしないのである。
イメージという名の足踏みはリアルを呼ばない。リアルを呼ぶのはただひとつ、リアルだけである。
シゲさんは云う。
「頂きと言うリアルの先にはさらに面白いことがあるんだ。それはいつもそうだ。だから、目標を達成することを恐れてはいけない。次は必ずあるから」
あなたに人生の目標と呼べるものがあったとして、その"頂き"は何処だろう。その頂きから次なる頂きは望めるだろうか。あるいは、山の中腹辺りでもっと心惹かれる別の頂きを見つけるだろうか。
あなたがあなただけの頂きを目指し、直向きに歩むその姿は、いつか誰かの心を奮い立たせるリアルになるかもしれない。
男は地球を登ります。山ではなく、地球そのものを登ります。一見意味不明な試みに、それでも心を惹かれ、男に人生の決め方を聞くお話。
「自分は〇〇をする」というシンプルな表現に、どれだけの思考と計画と決定が込められているか。
本気で取り組みながら、どれだけ臨機応変を差し込んで生きていたい人生をリアルに進んでいくか。
単純な熱意だけではない、詰め込んできたものがあるから、他人から見たら突拍子もないことも下らないことではなくなり、魅力や賛同が生まれるのでしょう。そして新しい結びつきや活力も。
言葉が個人的にザクザクと突き刺さりました。私もがんばります。