摂氏五十度のエデン

鬼頭雅英

摂氏五十度のエデン

 二百十二番目のカプセルで少女は目覚めた。その時見たのは、船殻に穿うがたれた展望窓の外にある、大きすぎる太陽だった。


 棺桶というには大き過ぎるサイズのカプセルの内側は、ほとんどエネルギーを使わない省電力ライトによって緑色に照らされていた。身体は数時間前から代謝を取り戻していたようで、眼球は充分な涙で潤っており、目蓋は滑るように開いた。空腹はなく、排泄したいという欲求も感じない。

 カプセルには小さな窓が開けられて、分厚いガラス越しにではあるが、そこから外が見える。密閉する事こそがこのカプセルの主たる機能である事を考えると、窓なんてものはコストもリスクも増す設計でしかないのだが、冬眠状態から目を覚ました時に見当識けんとうしき(上下左右の感覚や自分がどういう状態にあるかの認知)を失いパニックに陥るのを防ぐためと、巡回ロボットにカプセルを「視認」させる事でカプセル内のカメラを一つ減らすためというのを口実に、エンジニアはこの設計をごり押しした。実のところは、目を覚ました少年少女たちに、美しい惑星、彼らの母星となる星を見せてあげたいという粋な計らいでしかないし、その事は設計検証委員の誰もが気づいていたのだが、カプセルを設計できるのはそのエンジニアただ一人だけだったので結局承認しないという事はできないのであった。

 ソーダ水のキャップを開いた時のような、プシュッという小さな音を発してカプセルの扉が開くと、船体内の空気がカプセル内に進入し肌に触れた。熱い。人が居住する空間にあるとは思えない温度の気体が、少女の全身を包む。実際この時、船体内の気温は摂氏五十度に達していた。

 体表のクリームが一斉に固体化していき、菓子を包むオブラートの様な薄いフィルムに変化した。身体を動かすとボロボロと剥がれ落ち、ゆっくりと床に落ちていく。顔に残ったフィルムのかけらが気になったので手で払うと、頭髪と眉と睫毛が無い為に、簡単に払い落とす事ができた。

 カプセルは壁に立てかけられるような形に立ち上がっていた。そこから身体を起こす。二段の階段を降りて床に立つと、足の裏に熱を感じる。床は空気以上に熱い。窓から降り注ぐ太陽光に熱せられているのだ。同じ場所に長く立っていたいとは思えない。

 改めて船体の外を見る。漆黒の宇宙に、巨大な太陽が浮かんでいる。注意して見ると、惑星と思われる星も見える。少女が目を覚ました時に窓の外に見えるのは、緑と深い青に染められた美しい惑星であるはずだった。カプセルの中で眠っている間に、そう教えられたのだ。何処かに大きな間違いが起きている事を、感じざるを得なかった。


「みんなプールにいるよ」

 いつの間にか隣に立っていた少年がそう言って、袖の無いシャツと短パンを少女に向かって差し出した。少年は彼女が出てくるのを待っていたようだったが、この暑さの中、さほど消耗した様子が見えない事からすると、このカプセルが開くタイミングをかなりの精度で知っていたようだ。少年の肌は浅黒く日焼けしており、眉毛と、短いが髪の毛があった。少女は渡されたものを着る。白くて柔らかく、触り心地が良かった。

「プール?」

 それが、少女が生まれて初めて発した言葉だった。

「水はたっぷりあるんだ……ついて来て」

 そういうと少年は背を向け、廊下を歩き出した。二人で歩くにはあまりに広い廊下。天井高は身長の数倍ある。

 人工的に重力を生み出すためリング状に作られたその通路は、わずかに上りながらまっすぐ続いていた。右手の壁には宇宙空間に向けて開かれた巨大な窓が並び、左手には先ほどまで少女が入っていたものと同じカプセルが、床に寝た状態で並ぶ。幾つかのカプセルは、少女のものがそうであったように、壁にもたれかかるような形で立ち上がり扉が解放されていた。


 窓と窓の間の柱が作る影の部分だけ、床が熱くない。そんな事を感じながら少女は少年の後を追って歩いた。

「私たち、死ぬの?」

 それが、少女が生まれて二番目に発した言葉だった。

「そうだよ」

 少年は振り返らずに答えた。


(了)

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