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 どれくらいそうしていただろう。

 いつの間にか眠っていたらしい。何もせず、またする気も起きないまま意識が飛ぶのは、最近では特に珍しくもなかった。

 時刻は真夜中。俺はのろのろと起き上がると、渇いた喉を潤すためにキッチンへと向かった。時間も時間なので家族とは会わずに済む。それでもなんだかいけないことをしている気分になって、麦茶をコップに一杯分飲み干すと、俺はそそくさと部屋に戻った。

 自室のドアを閉めると、少しだけ気持ちが落ち着いた。またベッドに倒れ込むと、くしゃくしゃに丸まった掛け布団が妙な安心感で包んでくれた。

 このまま何も考えず、何も感じずにいたいと切に願った。時間なんて止まってしまえばいい。

 そうして自分自身を安心させていないと、心が砕けそうだった。だってそうだろう? 俺はゲームが好きだったのに、それを隠しているうちに本当に嫌いになっていたんだ。思い出のゲームですらこの様なんだから。

 今の俺には何もない。本当に好きなことも、心を動かす原動力も自分で揉み消した。しかも無理やり偽ってただけだから、代わりにできることなんて何もない。空っぽの寂しい人生。

 ああ、また不安が押し寄せてきた。

 俺は布団を乱雑にかき集めた。考えるな。悩むな。心を空にしろ……。

 そう思えば思うほど、焦りは募っていく。駄目だ。何か……何か気を紛らわす物はないか。

 そんな俺の目に留まったのは新品のゲーム機。

 そう、新品の。さっきまでは思い出の、だったけれど。その幻想が崩れ去った今はやっとその存在が新鮮に思えた。

 俺は深く考えずにコントローラーを握った。物語に入れ込めなくてもいい……ただ少しでも絶望という現実から目を逸らしたい。そういう想いさえ、できるだけ考えないように。

 オートセーブ機能が働いたのか、ヒロインが間一髪で助かったところからゲームは再開された。

 この先の展開を、俺は知らない。そんな当たり前のことがようやくわかった。

 物語は進んでいく。知っているけど、知らない世界を俺は冒険した。記憶とはちょっと印象が違う仲間達と、少しずつ歩んでいく。いつしか違和感は消えていた。

 ヒロインを仕留め損なった敵は、魔王軍の中で落ちぶれて、名誉挽回のため幾度となく立ちはだかる好敵手となった。そんなあいつに、いつしか感情移入している自分がいた。

 躓きは、そいつにとっては小さなものだったのかもしれない。ヒロインの命がかかっていたからこちらとしては譲るわけにはいかなかったけれど、向こうからすれば小娘一人倒せなかったことで人生は一変した。プライドも部下も友も失って、それでもあいつは立ち塞がり続けた。

 胸が、熱くなった。

 物語はどうやら終局へ。魔王を倒し、世界に平和が訪れたかに見えたその時、あいつは最後の戦いを挑んできた。

 もう守るものも得るものもない戦いのはずだった。それでもあいつは諦めない。

 魔王よりずっと苦戦し、時間をかけて、俺は、勇者はあいつに勝った。

 消滅していくあいつは、俺の人生に意味なんてなかったのかもな、と呟いた。


 そんなこと、あるかよ。


 ドキッとした。何も考えないでいようと努めていたのに、物語になんか感情移入できないはずだったのに、たしかにその一声が、俺と、そして勇者の声で再生された。

 弱きを助け、悪に抗う……俺の。

 俺のヒーローが、俺の中にいる。

 どうかしていると弱い自分は警鐘を鳴らす。じっとしていろ、俺は病気なんだと諭す。

 だけどそれより大きな衝動が、急に目覚めた夢の名残りが、俺の心を突き動かす。

 馬鹿げてたっていい。だって俺は今嬉しいんだ。こんなにも美しい物語を見届けられたのだから。

 おそらく世界にはまだたくさんの感動が満ち溢れているのだろう。心に蓋さえしなければ、それらはきっと俺を旧友のように迎えてくれる。

 あの夏はもう二度と来ないけれど、あの夏のような日々はきっとまた過ごせるんだ。

 外はとっくに日が昇っていた。セミ達の大合唱が聞こえる。空調の効きが悪いから、汗がダラダラ流れてくる。

 ああ、俺は。


 この2020年の夏も、生きていたい。

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あの夏リメイク 井沢 翔 @N150Delic

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