自然や生き物と会話ができるなら、何を伝えるべきか?
冬が終わり夏が近づくと、家の中が虫だらけになる。彼らはドラクエの主人公のように堂々と家に出入りする。その自由さは、RPG好きとしてはうらやましい限りだ。
しかし現れる場所によっては、彼らに命の危機が迫ることがある。そこで私は「動物と話すコツ」を使って語りかけてみた。窓の近くにいたハエトリグモと、足元にいたクロゴキブリの幼虫に。
「そこにいては危ないです。不注意な私はきっと、あなたを潰してしまうでしょう。どうか安全なところへお逃げください。」
ハエトリグモはキラキラと輝く目で、こちらをじっと見ていた。
クロゴキブリの幼虫も、先端の白い触角をこちらへ伸ばし、耳を傾けてくれているようだった。
見つめ合いは数十秒間続き、私は誠意をもってメッセージを伝えた。
ところが彼らは全然言うことを聞いてくれなかった。
ハエトリグモはその後も窓のレールにいたし、クロゴキブリの幼虫は足元をチョロチョロし続けた。数十秒間アイコンタクトを交わしたあの時間は何だったのか。やはり私が肉ばかり好んで食べるのがいけないということだろうか。
いやでもよく考えたら、人間以外の生き物はナワバリを他の生き物と共有している。別種族の生き物同士が近くにいることも多く、林や草むらには多種多様な生物が生息している。ナワバリから虫や野草を追い出そうとするのは人間だけだ。
善人ヅラして一方的に「出ておゆき」などと言ったところで、そもそも自然界の理屈にかなっていない傲慢な態度をとっている。だから彼らは自らの誇りをかけて抗議したのだ。
なるほど、そういうことであったか……。私は悟りを得た。話しかけても無駄だから、やっぱり次からは実力行使に出よう。
その後動物と話せない理由についてぼんやりと考えていたが、そもそも言葉が通じたところで意志疎通ができるということにはならない。現に人間社会では争いが絶えないし、家族間ですら思いは伝わらずすれ違う。
そんな人類の勝手な理想を生き物に押し付けようとしたって、そもそもすべてが間違っているかもしれないのだ。
人間は無害な生物とか、益虫・益獣、人間になついてくれる可愛らしい生き物を大切にしがちだ。生態系のバランスを考慮し、悪影響を及ぼす生き物を駆除することもある。
しかし人間が言う「生態系への悪影響……」という意見はそもそも合っているのだろうか? ある生物が多くてある生物が少ないとしても、自然にそうなった場合、生態系的にバランスを欠いているとは限らない。また、それを調整するのは人間でなく地球の役割ではないのか。
そして人間と、犬や猫などの可愛い動物は世界に増え続けているだろうが、それは良いのか? 益虫・益獣や可愛らしい生き物ばかり愛することで何か偏りが生じることはないのか?
Aの場合の地球とBの場合の地球を見比べる術はないから、人間の判断基準が及ぼす影響は分からない。とにかく人が思い浮かべる理想の自然像や社会像には、きっと偏りがあることだろう。
他にも私はコロナに対して、「終息しますように」と何度も願った。
しかしそれでめでたしめでたしとなるのだろうか?
もしコロナと会話ができたら、私はコロナに「消えてくださいお願いします」と伝えるべきなのだろうか?
私は湿疹ができて病院に行ったとき、診察してもらい、薬をいただいただけで終わったことに少々疑問を持った。
そもそも何が原因で病気になったのだろう? 治れば「ああ良かった、これでおしまい」で良いのか? この出来事の意味は? と思ってしまったのだ。
もしかしたらコロナも、何かを止めるために現れたのかもしれない。
人類は第三次世界大戦とか核兵器戦争を起こして地球もろとも吹っ飛ばすかもしれないし、環境破壊で様々な生物たちを絶滅に追いやり、地球にとって大事な場所を気づかず潰してしまうかもしれない。この現状に対して、地球が何の手も打たないとは考えられないのだ。
すると、「コロナとの戦い」に人類が勝利するのが良いのかどうかもよく分からない。コロナによって被害を被った動物たちもいるし、一概には言えないが、ウイルスは人類に対する何かしらの抑止力になった可能性もあるのだ。
もしかしたらコロナがいなければ今頃もっとひどいことが起こり、生き物たちが大打撃を受けていたのかもしれない。
別にウイルスを天罰とは思わない。
そもそも自然界の罪のない動物たちにも多くは天敵である種族がいて、天敵の存在によってバランスが保たれている。天敵は必要なものなのだろう。
恐ろしいハチなども、人類が森を刈り尽くさないように自然を守る守護者なのかもしれない。
すると私がハエトリグモやクロゴキブリ幼虫に「出ておゆきなさい」と言うのはお門違いだったようだ。考えようによっては私こそこの星から出て行くべきである。「出て行くのはそっちだ」と言われてもしょうがない。
しかし「出て行け」なんて言われたら悲しい。
ならば相手だって同じだ。相手の気持ちになって考えてみたら、「出て行け」なんて初対面の虫に向かって放つ言葉ではない。
自然に対して伝えるべき意志も確立していない今は、ただ虫と目と目を合わせて見つめ合う方が良いだろう。そんな気がした。
ちなみにハエトリグモやクロゴキブリにメッセージは伝わらなかったが、虫を逃がそうとして指を差し出したらススッと乗ってくれることはある。そういうときはささやかな幸せで心が満たされる。
アリが乗ってくれたこともあったし、クロバネキノコバエ(多分)が乗ってくれたこともあった。食事中に皿に入ったクロバネキノコバエが皿から出てテーブルに降り立ち、体が汚れたのか、羽をパタパタさせていた。そこで指を虫の前に出したらスムーズに乗ってくれたのだ。そのまま窓を開けて指を外に差し出すとクロバネキノコバエは飛んでいった。
虫と見つめ合っていた時間を思い出しながら考える。
地球上に間違いや問題があろうとなかろうと、今ある命を駆除だとか処分だとか自然淘汰とか、そんなことで解決してほしくない。生まれた命には大切にされる権利があるはずだ。すべての生き物を平等に愛する方法があるはずだ。大切にできない命なら最初から生み出してはいけない。
そしてもし偏りがあったとしても、まずは自分の好きな存在を大事にしないと何も始まらない。「みんなが好きな人は誰も好きじゃないのと同じ」という言葉もある。人間だってもっと人間に大切にされて良いはずだ。
いつか世界から理不尽な死や弱肉強食がなくなってほしい。
もしも自然や生き物と話せたら……本当は何を伝えるべきなのだろうか。
*
関連エッセイ
「動物と話すコツ」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896019060/episodes/1177354054896060269
「可愛いハエトリグモ」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896019060/episodes/1177354054896263337
「エネルギーの大元、太陽はコントロールできない」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896019060/episodes/1177354054896804819
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