きつねのおやど


少し見ない間に、僕のおじいちゃんはずいぶん小さくなってしまった。

今日は二か月前に入院したおじいちゃんのお見舞いに来ている。

ちょっと前までは僕と一緒にいっぱい遊んでくれたのに。

大好きなおじいちゃんがこのままどんどん小さくなって、消えてしまうような気がして嫌な気持ちになった。



僕の横でママがニコニコしている。僕がどう声をかければいいのか分からなくて困っていると、おじいちゃんが何かを差し出した。くしゃくしゃの紙だった。

にっこりと笑っておじいちゃんが言った。

「ええもんあげよう」

僕はうなずいた。

「ありがと」

お礼を言ったら涙が出てきそうになったので、ぐっと我慢した。




病室から出るとママが大きくため息をついた。

「あーやだやだ。なんか病室の匂いが染みついた気がする。」

僕はうつむいた。

「あ、そういえばあんたお義父さんから何かもらってたわね。ママが捨てといてあげるからちょうだい」

僕はとっさにポケットの中に入っていた小テストをくしゃくしゃにして渡した。

「ただの紙くずじゃないの。何がええもんあげよう、よ。全くもう」

ママは病院のゴミ箱にそれを放り込んだ。




その夜、僕は自分の部屋でおじいちゃんにもらった紙をこっそり開いた。

外側は真っ白だったが、内側にいろいろ書いてある。

「しょう、たい、じょう、きつねの、おやど?」

全部平仮名で書いてあった。幼稚園の子が初めて習った平仮名で一生懸命書きました、みたいな感じだ。紙は古びた感じなのに、なぜかつるつるしている。

文章以外にも赤い模様がいっぱい書いてある。一体なんだろう。

 


おじいちゃんには本当に色んなことを教えてもらった。山の登り方、釣りの仕方、畑の野菜のおいしい食べ方、虫の名前、天気の当て方、それから僕が一番好きだったのが妖怪のはなし。ママはそういう本を嫌がって買ってくれなかったけれど、おじいちゃんがたくさんお話ししてくれた。本屋さんで売ってるおばけの本なんかよりずっと面白かった。おじいちゃんはいつだって、まるで見てきたかのように話してくれるのだ。

こんな紙なんていらないから、早くおじいちゃんに帰ってきてほしい。僕はぎゅっと紙を握った。



すると突然、ごう、と風が吹いた。目を開けていられないほどの強い風に、思わず目をつぶる。






次に目を開けると、そこは知らない旅館だった。

黒っぽい木でできた、つるりとした床に僕は座り込んでいた。

僕が座っている床から上を見上げると、上の方までずっと吹き抜けになっている。十階建てはくだらないだろう。

まわり一体に人、じゃなくて妖怪がひしめき合っている。おじいちゃんに聞いたことのある妖怪もいるみたいだ。妖怪だけじゃなくて、真っ黒の炭みたいなものや首のないのもいる。妖怪じゃないみたいだけど一体何なんだろう。



「おや、珍しい。人間のお客様ですねぇ」

目の前のカウンターにしっぽが三本の白い狐が座っている。

「きつねだ...」

「そりゃあここは狐のお宿ですもの」

狐が目を細める。

「あの、おじいちゃんにもらった紙を見てたらここに来ちゃったんですけど、」

「ほぉ、ちょいと拝見」

くしゃくしゃの紙を見つめていた狐の顔色が変わる。

「これは大変だ、坊はあの尾長様のお孫さんかい」



白い狐が他の狐を呼んで、なにごとか囁くと、その狐もどこかへすっ飛んでいった。

「やぁ、よくぞいらっしゃいました。お孫さんのお名前は?」

「まことです」

「良い名前ですね、名づけはおじいさまが?」

「はい」

そう答えると白い狐はにっこりと笑った。

「良い名前だ」

狐はそう繰り返すと、何度も頷いた。



「あの、僕のおじいちゃんがなにかしたんですか」

僕が恐る恐る聞くと、狐がさっとこちらを向いた。

「なにかしたなんてとんでもない。まことさまのおじいさまは、我々の親方様を猟師の罠から助け出してくださったのですよ。あの紙はその後おじいさまにお渡しした当旅館の招待券なのです。もっとも、その親方様は去年亡くなられたのですが...

それはさておき、今宵はまことさまを精一杯おもてなしさせていただきます」



その夜は今までで一番楽しい夜だった。

白い狐と一緒に旅館を探検して、厄除けの根付を買ってもらった。根付は紫の石でできていて、狐のかたちをしていた。

「まことさまは普通のヒトより少し、目が良いみたいですので。それを持っていれば悪いものにちょっかいを出されにくいでしょう」

と白い狐が言った。

狐と一緒に露天風呂に入ったあとは、宴会が始まった。

綺麗な天女に化けた狐たちの舞を見たり、妖術が得意な狐たちの奇術ショーを見たりした。

とっても美味しそうな料理をじっと見ていると、白い狐が笑いながらこう言った。

「この料理も化かしてるんじゃないか、という顔をしていますね。

大丈夫ですよ、我々が化かして馬糞を食わせたりするのは何か仕返しをするときとかですので。たぬきどもはどうか分かりませんがね」

僕は意を決して料理を食べると、口の中で味がじんわり広がった。

「優しい味がする」

「それはようございました」

狐がにっこり微笑んだ。



宴は途中だったが、僕は狐にこっそり話しかけた。

「あのね、朝になる前には帰らないといけないんだけど」

「そうですか、でもずっとここにいてくださってもいいんですよ、まことさま」

紫の瞳でじっと見つめてくる。

「ありがとう。でも僕は戻らなきゃ」

「そうですよね、えぇ、わかってますとも」

狐はしゅんとしながら玄関まで送ってくれた。

「僕が死んだらまた来れる?」

「ここは此岸と彼岸の境にありますので」

紫の瞳が僕を見透かしているようだ。

「じゃあまた会えるね」

「えぇ」



「ありがとう、どうもお世話になりました」

「いいえ、こちらこそ。

またいつかお会いできるのを楽しみにしております。

玄関を出て3歩進めば元の場所に着きますので...ただし、その間に絶対に振り向かないでくださいね」

「振り向くとどうなるの」

「さて...ここでも元の場所でもないどこかに連れていかれることは確かです」

「怖」

ふふふ、と狐が笑う。



「さぁさぁ、もうじき夜が明けます。そんな顔をしたって私はついていけませんよ。あの根付はちゃんと持っていますか?私の声がしても偽物ですから絶対に振り向かないでくださいね」

「......わかった。またね」






玄関を出て一歩踏み出す。

『まことさま、やっぱり私もついてきましたよ、ちょっと待ってくださいな』

これは偽物だ。





もう一歩。『お~い、まこと。わしと一緒におやどに行こうや』

おじいちゃんだ!僕は振り向きたいのをぐっとこらえた。





もう一歩。





するとそこは見慣れた僕の部屋だった。








あれから20年たったけれど、僕の手元にはまだ紫の狐の根付がある。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異界ホテル探訪 琥珀もどき @mochiko_m

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ