第9話 訓練(2)

「ではまずこの訓練において何が必要とされるかそれから考えましょう」


 家の庭(というより空き地のような場所)で俺は座って八重垣さんのレクチャーに耳を傾けていた。


「それでは青さん、一つ尋ねます。訓練の際、あなたはどのような事を意識していますか?」


「意識?」


「そうです。何を考えて、何に注目して、逃げているのかそれを教えてください」


「強いて言うのならこれまで立案した作戦を実行できるようにですかね…」


 八重垣さんは「…成る程」と少しの間思案した後


「浅いです」


 そうバッサリと切り捨てた。


 ちょっと心が痛い…。


「浅い…とは?」


「具体性が無さすぎます。師匠が逃げ切るのが最終目標であり、その目標を達成するために作戦を実行に移すのは当然のことです」


 無表情で淡々と語る八重垣さんの言葉がナイフの様に突き刺さる。


「真に考えるべきは、走る、逃げる、避ける、といったシンプルな行動にどのような意味合いを持たせ、それによって何を得られるのか、です」


「何を、得られるか…」


 コクりと頷く八重垣さん。


 考えたこともなかった。力量の差はここにもあったのか。


「この訓練において重要なのは2つ、『距離感と予測』、です」


 おもむろに首をかしげてみる。


「攻めに転じる行動には総じて“間合い“というものが存在します」


「相手との距離、ですね」


「一般的にはそうです。しかし此処で言う“間合い”というのは、『この距離なら殺せる』と判断できる範囲のことです」


 なんとも物騒な…。


「つまりこの範囲の内に入ることは死を意味するのです。まあ今回の訓練に置き換えるなら『捕まる』ですが」


「つまりその“間合い”に入らないように立ち回れ、ということですね」


「ぶぶー」


 え?今何て…?


「間合いに入ることは死を意味すると先程言いましたが、説明不足でしたね。間合いには入らねば死にます」


「はい?」


 間合いに入れば死ぬし、入らなければ死ぬ。完全に矛盾していないか?どういう事だ?


「実際の近接戦闘において“間合い”に入らないことなんて無いんです。何故か解りますか?自分が攻撃出来ないからです」


 そうか、確かに遠距離でのやりあいならともかく、近接戦闘では接近しあった状態でいることが余儀なくされる。


「ここで重要になってくるのが『予測』です。相手が次に何処に、何をしてくるのか。これを『予測』する力が必要となります。私が昨日師匠の攻撃を防ぐことが出来たのは偏にこの技術を鍛えていたからなのです」


 俺はちょっと気になったことがあったので手を挙げた。「はい青さん」と学校の教諭のようなセリフと共にさされる。


「ちなみにそれはどうすれば鍛えられますか?」


 ここで八重垣さんに立ち上がるように促され、言われるがままにした。


「それは体に叩き込むしかありません。何十、何百、何千回と。回数は多ければ多い方が良いですからね。というわけで──」


 何となくこの後の展開を察する。


「今から一対一で避けてください。これから私の接触全てを」


 この人何だかんだ言って師匠に良く似てるな…。割と脳筋な所とか。


「最初は軽めに行きます。いいですね?」


「はい」


 覚悟を決めて構える。


 八重垣さんが一歩二歩と距離を詰める。速いが追えない程ではなかった。三歩目を踏み込んだ八重垣さんの左手が伸びる。その手は俺の左胸辺りに狙いを定めて、距離が縮まり、縮んで、縮んで、




 ────触れた。




 それから俺達は何度も何度も、幾度となく繰り返した。初動で触れられ、二撃目で触れられ、進歩することのない攻防が二人の間で行われた。日が暮れて周囲が完全に暗くなるまで、お互いがお互いを見つめて離さなかった。


 今日の試行で解ったことがある。


 俺は


 見てから、判断して、行動に移すまでのラグが大きすぎるのだ。俺が「来る!」と思った時には既に相手に間合いに入られている。これが致命的なのだ。


 だから俺は見ることにした。手を、腕を、肩を、脚を、八重垣さんの挙動その一切を。


 当然すぐに変われるようなことはなかった。しかし、八重垣さんの動きに慣れてきたのかはたまた予測する力が付いたのか、回数を重ね、時を重ね、日を重ねる毎に俺の体に、一滴ずつ垂れる水滴がじんわりと布に染みていくように、俺の知りようの無い「何か」が確かに形成されていた。


 初めてその変化の兆しが見えたのはその訓練を行って一週間後のことだった。


 この訓練を始めてどれくらいの日が経っただろうか。俺はいつも通り師匠に追われていた。警泥訓練である。


 今回は珍しく八重垣さんが先に捕まってしまい、例の如く雑に設定された牢屋に入ったのを確認して俺は鬱蒼とした木々を飛び越えて救出に向かう。幾度もこの森を駆けたおかげで地理はほとんど頭に入っている。その成果もあって初めての頃より格段に逃げる速度が速くなっているのが解る。


 師匠に遠目から見られたのだろう、此方に飛んでくる視線を感じた。それから数刻と経たない内に師匠が林の中から姿を現し、俺が牢屋に到着するより先に圧倒的な速度で駆けつけ、俺の眼前に立ち塞がった。


 こうなれば本来は敗北が確定したようなものだ。逃げても捕まり、突破しようにも捕まる。


 無理だ、といつもの俺ならそう言うだろうし。そうしてきた。


 だが、今回だけは違った。


 いける、とそういった確信があるわけではない。だが、。何故かそう思った。ただそれだけだった。


 俺は切り替える。全身の意識を観察と反射に集中する。


 これまでの八重垣さんとの訓練を思い出す。師匠の速度には程遠かったが幾度にも経験した触れるぞ、という意識。それを何度も何度も何度も肌で受け喰らい続けた俺はこの一度の攻防に賭けた。



 師匠が踏み込む、右手が伸びる。それが左腕に触れに来るのを反射で退いて避ける。案の定だった。


 


 師匠が地面を蹴る。先程より更に深く確実に手が伸びる。本命の掴みだ。


 俺は退く姿勢から重心を低く前に持っていき、攻めの姿勢に入ると、師匠の“間合い”に自ら飛び込んだ。


 師匠は一瞬驚いたような表情をしたがすぐさま挑戦的な笑みを見せ、掴みにかかる。


 手と俺の体までの距離を完全に捕捉し、ある一定の距離、「掴まれる」と「避けられる」のボーダーラインに達した瞬間、俺は体を外側に翻しそれを避けた。避けれたのだ。


 ここで油断してはならない。このまま走っても掴まれる。ならば──


 師匠の伸びきった腕をしっかりと掴む。師匠の勢いと俺の微かな遠心力で俺は師匠の体を引いた。いや、放り投げた。


 師匠の体がバランスを失う。

 それと同時に俺も走る。


 勢いを、この熱を逃さぬために。


 今しか無い!


 俺は全力で全身を駆動する。八重垣さんが視界に鮮明に映る。


 唸るように叫び手を伸ばす。


「うおおらあぁぁ!」


 八重垣さんも何かを訴えかけている。何故か音が遠い。でももう少しで─────


 そこで俺の視界は唐突に地を写した。


 何故?その答えは単純なものだった。


 掴まれたのだ。師匠に。

 恐らくあの直後最短距離で此方こちらに方向転換し、跳んで腕を目一杯伸ばしその身長とリーチで俺の足首を掴んだのだ。


 地面に顔面がダイブする寸前にその事に気付き敗北をしっかりと悟った。


 あ~あ最悪だ。


 脳も体もすっかりと冷えきったよ。


 そんな俺の体は受け身を取ることを忘れ、地面に血溜まりを付けた事を最後に今日の訓練は終了した。





「師匠、訓練って言葉の意味知ってます?」


 皮肉を込めて師匠に問う。俺は溢れ出る鼻血を抑え、氷水で鼻を冷やしていた。


「ああ知っているとも。これも訓練だ!」


 開き直りやがったこの人!


「でもこれはやり過ぎですよ…。大人気ない」


「うーむ。まあ、その、なんだ、すまなかった、青。」


 八重垣さんの追及にしどろもどろに謝辞を述べる師匠。


「まあ別に良いですけど…」


 受け身を取らなかった俺も俺だし。


「なぁ青、そいつが治ったら頼みたい事が有るんだがいいか?」


 これまた早急な…。


「なんですか?」


「お使いを頼まれてくれ」


「却下で」


 師匠の言葉を一蹴する。当たり前だ。


「何故だ?」


「俺のこの姿を見ても尚そんな態度が取れるとは、凄いですね。図々しさ世界大会があれば予選は余裕で突破できますよ」


 全力の嫌みと皮肉をぶちまける。まじでふざけるな、とそう言ってやりたい。


「それなら私が行きますよ」


 八重垣さんは手を挙げてお使いを買って出た。

 心の中でそっと感謝する。


「いや、八重には別の仕事を頼みたいんだ。というわけで、頼んだぞ!青!」


 まじでいつかぶん殴ってやろう。

 心の中でそっと決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

回生する咎 冬蜜柑 @syouyusashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ