第8話 俺はいつか異世界への扉を開く!

「うわぁぁ藁池えぇぇーっ!」

「何だー、様子見に来てみれば何を騒いでるんだー」

 真っ直ぐな黒髪に小さな身長、間延びした口調は小鳥先生だ。

 資料室の入り口からヒョコリと顔を出している。


「えっ?」

 資料室。そう、資料室だ。俺たちは何もなかったように静かな資料室に蹲っていた。

 だが俺の身体の疲労感は本物だ。蒸気の昇りそうなほど熱い体は、適度を超えた倦怠感により動かす事も難しい。


「そうだ、藁池は!?」

 刺された筈の藁池は、目の前で未だに蹲っている。

「藁池、藁池! 大丈夫か、しっかりしろ!」

 俺が叫んで駆け寄れば、ウッと藁池から呻く声が聞こえた。

「小鳥先生、早く救急車を!」


 俺の鬼気迫る声に小鳥先生は驚きながらもスマホに指を伸ばしている。

「まて。先生、大丈夫です。相川が大袈裟なんですよ」


 ふーと息を吐くと、ゆっくりと藁池が起き上がった。

「かなり痛かったが、大した傷じゃない」

 本物の剣で刺されて、大した事ない訳がない。

「いいから、傷口見せてみろ! 早く止血を!」


 藁池の背中を見れば、確かに制服の切れた跡がある。なのに、

「傷が無いっ、だと?」

 切れたワイシャツの下、白いシャツには剣による血の跡まで付いているのに、肌までは突き抜けていなかった。


 ドンドン、と藁池が自分の腹を叩いた。人の身体からは出ない硬い音がする。

「防刃ベストだ。傷はできていない」


「防刃ベスト、だとっ」

 俺は絶句していた。どれだけ準備がいいんだ、こいつは。


「なー、先生よく分かんないんだが、何でお前らそんなにボロボロなんだー?」

 首を傾げた小鳥先生、可愛い。


「これは、今まで俺たちここじゃ無い場所にいて……」

 俺の説明に小鳥先生は目をパチクリさせて反対側に首を傾げる。

「藁池ー、何があったー?」

 小鳥先生、何で藁池に聞くんですか? 俺の説明聞いて?


「相川が窓を開けて換気するって聞かないんですよ」

 服の埃を叩きながら藁池は立ち上がった。

「相川ー、資料室の窓は閉め切りだぞー。換気は換気扇でしろー」

 間延びした声で小鳥先生が電気の下のスイッチを押す。

 ブゥーンと天井から小さな音が鳴り始めた。


「いや、だって、藁池、何がどうなってんだ?」

「現実を見ろ、相川。俺たちは資料室にいる。スマホの時刻は4月6日11時20分だ」

 突き付けられた藁池のスマホ画面に俺は、その日時を思い出した。

「異世界転移する前!」

「あそこは異世界じゃ無いぞ」


 深い溜息を吐いて、藁池は呆れたように頭を振り被っていた。

「お前、一体何者……」

「そうだ相川」

 俺の言葉を遮って藁池が口を開く。


「俺は一つ、異世界を知っている」

「何っー!!!」


「美しく誰もが苦しみを知らない場所だ。ずっと昔から、俺たち人類は知っていた」

「どう言う事だ??」


 藁池の言葉に俺も小鳥先生も頭にクエスチョンマークを並べている。

「天国という場所だ」

「あー、確かに異世界かもなー」

 小鳥先生が大きく頷いている。

 俺は、虚を突かれた気分だった。天国が異世界。考えた事も無かった。

「ふむ。という事は、やはり死んだら異世界に行ける」

「地獄に堕ちなければ、な」

 この時の藁池の悪い笑顔をニヒルな笑いと呼ぶのかもしれない。


 ボロボロの制服を着た俺たちは下校の途にいた。昨日と今日、体験した出来事がまだ頭の中で理解し切れていない。

 だがもしこの経験を解明できたなら、俺は、きっと異世界に行ける筈だ。


「俺は多分、前世の記憶を持っている」

 隣を歩く藁池がポツリと呟いた。

「日本とは違う土地で、その国の言葉を話し、ある日突然集落を襲った連中に殺された。そんなのが日常茶飯事な場所だったんだ」

 口を挟むのを憚れる真剣な声音に、俺はただ耳を傾けた。


「その時俺は、母に庇われた命を逃げる事もできず、落とそうとしていた。恐怖でただ泣き叫んでいたんだ。そうしたら、見知らぬ格好をした男が、見知らぬ言葉を喋りながら、俺を庇って助けてくれた。ようやく叫ぶのを止めた俺は、無我夢中で逃げたよ」

 その光景が、どうしてか俺の頭の中で鮮明に再生された。艶やかな黒髪、泣き叫ぶ子供、驚愕に見開いた黒い瞳。


「生き延びて伴侶を得て、そうして年老いた先で、俺は天の国に至った。誰もが幸せで、笑っていて。とても気持ちのいい場所なのに、そこでは誰も理解しないんだ。目の前で俺を庇って死んだ人間が、そこにいない苦しさを」

 眼鏡越しに真っ直ぐに俺を見る黒い瞳が、泣き叫ぶ子供と重なった。

「命を貰ったのは俺だ。ありがとう、相川」

 ここにもう、顔色の悪い藁池は居なかった。


「っっっ前世の記憶持ちか! いや、もしかしたら憑依って可能性もあるかも知れない!」

 異世界への扉が近付いたことを、俺は確信した。

 だからだろう胸の動悸が止まらないのは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日出処の転生者 千夜 @senyanii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ