第7話 最後の力

 倒した狼の死骸を持って村を訪れると、俺たちは大歓待を受け、死骸は直ぐに解体され、毛皮と肉に分けられていった。

 少し濃い肌の色に、癖を持った黒髪、左右対象に並んだ黒目は少し垂れ目がちな人が多い。

 皆、白、というよりかは生成りの毛糸で作った、布を紐で縛ったような格好をしている。


 俺たちは藁で覆った小さな小屋に案内され、麦を煮たスープと果物、牛乳の様な温かい飲み物をご馳走になった。

 牛はいない様だったのでヤギか羊の乳かもしれない。少し野生くささはあったが、腹が減っていたので吸い込む様に完食してしまった。


 ここの人たちはもちろん、何語を喋っているのか分からない。村の中でも見た事のないものばかりで、やはり俺は異世界にいるのではと思えてくる。

 誰も知らない世界。


「相川、毛布もらって来た。この家は使っていいみたいだから休ませてもらおう。さすがに昨日の仮眠じゃ疲れが取れていない」

「ああ、そうだな」

 言葉の通じない場所で、こいつは凄い行動力だな。むしろ、いきいきしている様に感じるぞ。艶のある黒髪に濃い肌色の藁池は、村の中でも馴染んでしまいそうだ。もっとも、眼鏡をかけてこんな綺麗な身なりをした奴は居ないけどな。


「ウウヲアルーヲア」

 何と言ってるのか分からない言葉で話しかけながら、何人かの村人たちが小屋に入ってきた。

 背が高く余計な脂肪など無い、筋肉質な村人たちだが、皆ニコニコしているので、害意はない様だ。

「ヲヲアア、ヨールウヴァー?」

 うん、でもやはり何と言ってるか分からない。


 ただ、毛糸で作られた服や毛布、藁で編まれたカゴのようなものを持っていることから、それらを俺たちに渡しに来たことが伺える。


 藁池はその人の良さそうなおじさんおばさん達に頷くと、鞄から何かを取り出した。掌に入る大きさの、四角いプラスチックのケースだ。

 その中から取り出したコインを差し出すと、藁池は村人たちと服や食べ物を交換しはじめた。


「藁池、いつの間にここの金なんか手に入れたんだ?」

「勘違いするな、これは俺がいつも持っている物だ。銅って言うのは加工しやすく、初期の頃から使われていた金属なんだよ」

 また金属かよ、俺の頬がヒクと引きつる。

「お前も少しくらい持ってるだろう?」


 そう言って藁池が見せてくれたコインケースに入っていたのは、大量の10円玉だった。

「日本は金属加工の得意な国だぞ」

 10円玉を指で弾き上げた藁池は自慢げだった。


 深い眠りについていたんだと思う。知らない場所で、慣れない山下りや狼との戦闘なんかして、本当に疲れていたようだ。

 目を覚ますと藁池がルーズリーフの日時計に時間を記しているところだった。12時10分。

 ポケットからスマホを取り出そうとして俺は手を止めた。


「寝なかったのか?」

「いや、寝たぞ。相川より早く起きただけだ」

 日時計や鉛筆を鞄にしまい、藁池は持ち物のチェックをし始めた。アルミ手裏剣の数、ルーズリーフの残り枚数、革手袋のほつれ具合の確認。


「本当に寝たのか?」

 昨日もそうだったが、こいつの顔色は悪い。元の色が濃いから分かりにくいが、もしかしたら出会った当初から具合が悪かったのかもしれない。


「何か、していなければ落ち着かない」

「確かにこんな状況じゃそうだよな」

 生きていけるのかも分からない世界。俺はこれを望んでいたはずなのに、心が落ち着かない。

 俺の特殊能力はいつ目覚めるんだ……。


「いつもだ」

「え?」

 聞き逃しそうになった藁池の言葉を聞き返す。


「俺にとってこれはいつもの事だ。生き延びるためには自分に、身体に何かを詰め込まなければ。何でもいい、生き抜くために何かをしなければーー」

 ぐっと藁池の眉間にしわが寄った。

「きっと俺は死ぬ」


 死、という言葉が俺の胸にも突き刺さった。怖い。単純にそう思う。


「大丈夫だ! 俺がいるから大船に乗ったつもりで寛いでろ。なんて言ったって俺は、黒魔クロマニオン人になる男だからな」

 ビシリと額に指を突きつけ、ニヤリと笑って見せれば、大きく見開いた黒目が俺に向けられる。

「生き延びられる。お前も、俺も!」

 ふっと藁池の顔が和らぎ、心なしか顔色が良くなったように感じられた。


 ヴヴヴヲオオオオオ!!!

 外から地響きのような声が聞こえてきたのはその時だった。

 同時に聞き慣れない悲鳴や意味不明な叫び声が乱雑する。

 ガツンとガツンと硬い物同士のぶつかる激しい音が鳴り響いた。


「村が襲われてる!?」

 入り口から外を見た藁池が真っ青になって震え出す。

 俺も音を立てないようにしながら外を覗き見た。

 最初に来たのは匂いだった。鼻を覆いたくなるような悪臭が漂っている。

 肉の腐ったような吐き気を催す、大量の血の匂い。


「うおおおおお!」

「ヤアオオォォ!」

 言葉とも怒声とも取れない命をかけた叫び声が空気を振動させる。

 屈強な男ばかり、鈍く光る金属の鎧らしき物を身につけた人間が、槍や斧を振り回して、村人達に襲いかかっている。

 逃げる者、武器を持つ者、ひたすら叫ぶ者。地に伏せて命乞いをしている者。

 阿鼻叫喚とはこのような地獄の様を表した言葉だったろうか。


「逃げるぞ」

 藁池が鞄を抱えながら絞り出したような声で言う。

「村人を助けないのか!?」

 リュックサックを背負いながら俺は鉄アレイを手にする。


「この状況で、俺たちに何が出来るって言うんだ。真っ先に逃げ出した所で逃げ切れるかも分からないだろう!」

 押し殺しながらも気迫のこもった声で説かれれば、確かにその通りだ。本物の武器を持った相手に、俺たちに何が出来る。


 俺は藁池と共に、慎重に周囲の様子を伺いながら走り出した。物を殴る音、悲鳴、悲鳴、悲鳴!

「何で、こんな事に」

 走りながら足の感覚がおかしくなる。指先が酷く震えていた。


「言っただろう。アナトリアは戦禍に見舞われ続けた土地だって。つまりはこう言う事だ。土地を奪い、物を奪い、人を奪う。人類の歴史はこの繰り返しだ」

 まるでこうなる事が分かっていたかのように、藁池の足の運びは淀みない。


 その叫び声はすぐ側から聞こえた。他の声よりも耳に付いたのはどの声よりも高かったから。

 血に塗れた母親らしき女性に庇われた子供が、まさにこの世の終わりと言う声を上げていた。

「ッアアアアアー!!!」


 俺の足が動いた理由は分からない。あんなに必死に逃げようとした時にはもどかしかった足が、最良のパフォーマンスで動き出す。

 走る勢いのまま子供を抱き抱えた俺は、襲いかかる男の剣からまろび出た。


「相川っ!」

 藁池の声が俺を呼ぶ。

 すまない藁池、俺はここで死ぬ運命だったのかもしれない。異世界だ何だって言ってたけどな、結局俺は、誰かのヒーローになりたかったんだよ。

 それが一瞬で終わる人生でも、誰かのために生きたかったんだ!


「藁池、お前は逃げろ! 俺は」

 どうせ死ぬなら、最後の最後は。

「死ぬまで戦ってやるっ!」


 後ろに守る者がある奴は、どんな時だって、強くなれるんだよ!

 振り下ろされる剣を避け、男の顔面に鉄アレイを送り込む。鼻の潰れる音と、大量の血が降りかかってきた。

「フーッ! フーッ!」

 漏れ出る熱い息を荒いまま吐き出し、俺は男が動かなくなるまで殴り続けた。

 体が沸騰するように熱い。暑い熱い熱い!


 俺に気付いた襲撃団が、一人また一人と集まって俺に近づいて来る。

 死ぬ。死ぬ、でも死にたくない!


 俺は近づいて来た一人に殴りかかる。鉄アレイがまた人の骨を砕いた。

「フーッ、フーッ!」

 俺は、こんな獣じみた息を吐くんだったか。冷静な俺が小さな窓から俺を見ている様に感じる。

 だが、俺の体は本能のままと言えるように殴り付け、殴り付け、命を燃やすようにして襲いかかる武器を躱す。


「フーッ、フーッ、ヲオオーッ!」

 苦しい、息が苦しい。腕が重い。ほんの数瞬しか戦っていないのに俺の体力はもう消耗していた。

 重い拳は振り回しても当たらない。

「フーッ、フーッ」

 死ぬ、ここまでか。かっこ悪い、何もしてねぇじゃねえか俺は。


 子供は逃げられたのかも分からない。

 鉄アレイがもう持ち上がらない。

 俺は最後の力を振り絞ってファイティングポーズをとった。

 振り抜かれる、剣に頭の骨を突き破られるかと想像していた俺は、

「相川ーっ!」

 この世界に一緒に来た相棒に、助けられていた。


 いつの間にか鉄アレイを握った藁池が拳を振り抜くと、男の持っていた剣が、鉄アレイにぶつかり粉々に砕けていった。

「青銅は鉄より脆い」

 やばい。藁池、カッコいいぜ。


 その藁池の背後で別の襲撃者が振りかぶっていた。銀色の剣が鈍く光り、藁池の背中へと突き刺される。


「うわぁぁぁ藁池ぇええ!」

 俺は声の限りに叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る