第40話
次の日の朝。
ハルトの視界は昨日と全く変わらない映像が映し出されていた。
天気は不良、雨足も昨日より些か強い。
メイドが言うに、最近は雨の降るがかなり多いとのこと。
この先も当分は同じような天気になるのではと、メイドが言っていた。
「ふぅ……ごちそうさま」
朝食を終えたハルトは強張った体をほぐすようにして伸ばす。
この爆弾低気圧のせいで少し体が重いみたいだ。
恐らく、今日もハナツキは寝たっきりになるだろう。
「今日も暇か」
さて、今日はどうしようか。
ハルトはそんな疑問を浮かべながらも、実際にやる事は決まっている。
昨日よりも雨音は激しいが、豪雨ではない。
ハルトはメイドに洗濯してもらった昨日の服を装い、またあの庭へと足を向ける。
そして軽く準備運動を始めるのだった。
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「……」
少し雨が嫌いじゃなくなってきた。
その理由はいつも通り、奇妙な動きをしているハルトのせい。
布団に包まりつつも、興味が抑えられないハナツキはまたこうしてハルトの行動を観察している。
感情が読めないハルトを見つめているととても安心する。
ハナツキも元々は活発で示した興味は意地でも津々になってしまう。
久しぶりに興味という感情が蘇ったハナツキは、少し朝が楽しみになっている。
「今日はどんな不運が待ち受けているのでしょうか」
木板に激突されたり、雨で全身ずぶ濡れにされたり。
悪趣味ではあるが、悪運という変なところに興味を持ってしまったハナツキ。
それに、あの変哲な動きはいつ見ても笑みがこぼれそうになったりする。
きっとそういったところを見ていたいというのがハナツキの本心。
「……何も起こりませんね」
あれからある程度の時間が流れた。
天気は回復する予兆も見せず、正午にさしかかったというのに朝の時と視界が変わらない。
「大丈夫なのでしょうか……風邪、ひいたりしないでしょうか」
体は昨日よりも濡れてないが、ハルト自身かなり集中しているらしく、雨に当てられている事を忘れている。
今は腰を下ろしてじっとしているが、ずっとあのままだときっと風邪をひいてしまう。
でも、心を閉ざしているハナツキにそういった言葉をかける勇気はない。
そんな視線をハルトに向けるだけ。
「……かなり動いていましたからね」
体を動かしていたからか、ハルトの全身から微かな湯気が立ち込めていた。
しかし、ハルトは腰をおろして何をしているのか。
ハルトはハナツキと同じ方向を見ている為、この部屋からは直接表情が読みとれない。
まぁ、そのおかげでハナツキはこうして視線を向けていられる。
それから数分。
じっとしていたハルトはふと上半身を地面に預ける。
ようやく見れたハルトの表情はとても清々しく、少し笑みも浮かべていた。
そしてその笑みは次の日も続いた。
三度の雨にも関わらず、ハルトはずっとそこにいて。
それに今日は頬にいくつかの擦り傷が垣間見える。
起床の遅れたハナツキにはなぜあんな事になっているのか理解に及ばない。
だが、窓から微かにコツコツといった衝突音は聞こえていた。
実際ハナツキはその音で目を覚ましている。
もしかしたらなにか関係があるのかもしれない。
「あんなに魅力的なお顔をしているのに、傷を作ることに躊躇いはないのでしょうか」
ハナツキからみてもハルトの容姿は魅力的だと感じている。
変なナルシスト感は一切なく、その笑みに全く嫌味がない。
丸で、自分が魅力的な人間だと思ってないような。
まぁ実際のところ、ハルトは本当にそう思っていないが、心の読めないハナツキにその真意は伝わらない。
それからハルトはまた決まった動きを始める。
奇天烈な動きを見せ、それを見てハナツキは静かに笑みを浮かべる。
そして、いつしかハナツキはハルトに完全な興味を持ってしまった。
ほんの少しだけならお喋りも、なんて思ってしまうが、やはりそこには大きな壁がある。
もし、ハルトの事を受け入れてしまったら、またあのような悲しい思いをするかもしれない。
仏のように優しくても、神のように強くてもいざとなったら人の命は簡単に潰えてしまう。
そしてそれがまた自分せいともなれば、その罪はもう一生償えるものではない。
「……そう考えると私も十分に不運な人生ですね」
ハナツキはそう言って、現に不運な男に視線を向ける。
決して悲劇のヒロインを演じてなんていない
実際そうなのだから仕方ない。
もっと己の心が強ければ。
きっと心が軟弱だから、ハナツキはこうして傍からでしかハルトを見られない。
「……今度は何をするつもりなのでしょう」
不運な男を襲名されたハルトはボソボソとつぶやきながら、静かに手を上げている。
そして目を開いて視線を上に向けた瞬間、全身に眩い光が通過した。
その光はバチバチと激しい音を立て、そしてまたハルトの体から姿を消す。
残音と土煙だけが残る空間で、ハルトはバタッと地面に背中を打ちつけた。
その瞬間、ハナツキは不安の表情を浮かべてまま勢いよく部屋をでていった。
「もう!! どうしてあの人はあんなにも不運なんですか!! 」
ハナツキが目にしたのは紛れもなく落雷だ。
まさかあのタイミングであの一点に雷が落ちるとは。
不運以外のなにものでもない。
階段を凄まじい速度で下っていき、裸足で屋敷を出てハルトの元へと駆けつけた。
「大丈夫ですか……って」
とてつもない不安にかられていたハナツキの表情が瞬時に困惑へと変わる。
「……え? お嬢様? どうしてここに? え?」
こちらもまた激しく困惑している様子のハルト。
ハナツキは確かにハルトに雷が落ちたのを見た。
でも、当のハルトはピンピンしている。
「一体どうなって……」
「お嬢様が……喋った」
「……ひぁ!?」
ハナツキは咄嗟に口元を押さえる。
そして、ハルトが無事だった事に安心したのもつかの間。
ハナツキは冷静にこの状況を分析する。
珍しく感情のままに駆け、あろうことか一年ぶりに他人に対して口を開いてしまった。
妙な不安感、そして心をかすめていく焦燥感。
――早くここから逃げなきゃ。
ハナツキは瞬時に悟り、踵を勢いよく返す。
しかし、そんなハナツキの行動を読んでいたハルトは咄嗟にその腕を掴んで。
「何故逃げようとするんですかお嬢様」
「だ、だって……」
そう言って今にも泣き出しそうなるハナツキ。
「……大丈夫ですお嬢様。ほら、俺の感情、分からないですよね? ああ、でも今は感情が読めない方が駄目なのか……お、お願いしますお嬢様!! 少しだけ、ほんの少しだけでもいいです。お喋りしませんか? 」
ハナツキがこれだけ至近距離で接近しているのに、やはりハルトの感情が全く読み取れない。
でも、はっきりと映るハルトの優しい瞳は、何故か警戒心を緩和させてくれる。
「でも、私と関わるときっと後悔します……私はもう誰とも関わりたくないんです」
ビクビクと震えるハナツキの手が、ハルトの体に伝わる。
ハナツキの気持ちは痛いほど分かる。
だが、ここで身を引けばこの依頼の終わりを意味する気がする。
絶好の機会、逃す訳にはいかない。
当たって砕けろだ。
「う、うおおおお!? 」
「へ? 」
何を考えたのか、ハルトがハナツキの腕を離したかと思ったら、唐突に苦しむような仕草をし始めた。
勢いで背中にも地を着け、右に左にキレよくのたうち回る。
ハナツキも突然の出来事にキョトンとした表情。
「さ、さっき雷に打たれた傷が今になって痛み始めたぁぁ!! 」
「え? ええ?」
「動けない!! これは誰かに看病してもらわないと!! 」
「えっと……」
感情を読めなくとも、流石にこれは嘘だと分かる。
これはあれだ、いわゆる共感性羞恥というやつだ。
ハナツキはハルトを恥ずかしそうにして見ているが、何故か自然に笑みも浮かんでいる。
「……部屋来ますか?」
疲れで次第にキレがなくなったていったハルトの行動がハナツキの言葉でピタリ止まる。
視界には小さく笑うハナツキの姿。
笑うというよりは苦笑に近いが。
「いいんですか? 」
「よくはないです。でも怪我……してるんですよね?」
「は、はい!! もうめちゃめちゃ痛いです!! 全身の毛穴から血が吹き出そう!! 」
「やっぱり変な人……」
して、ハルトは苦笑を浮かべるハナツキに連れられそのまま部屋へと案内された。
ハナツキはクローゼットの中から包帯などが入ったキットを取り出し、不慣れながらもハルトを手当てし始める。
大げさな演技だったとはいえ、体に傷がある事は事実。
でもその間、二人からは一切の言葉が生まれなかった。
それは傷口の手当てが終わった今も。
これは自分から動かないとこのまま何も起こらない。
そう考えたハルトは精一杯の言葉を絞りだす。
「……お嬢様は後悔してますか?」
「え? 」
それはハナツキも思ってもいなかった言葉だった。
というよりも、いきなり本題をぶつけるハルトがあまりにも不器用過ぎた。
でも、その言葉の破壊力がこの気まず空気を壊してくれた。
「お嬢様はリージッヒさんと出会った事、後悔してますか?」
「そ、そんなの……」
後悔している……そう心では思っているのに、口にしようするとはっきり言えない。
刹那、唐突に思い出されるリージッヒの記憶。
自分に向ける温かい笑顔、ストレスで廃れた心を安心させてくれる優しさ。
今度は雨なんかじゃない、気づけばはっきりとした涙がハナツキの頬をつたっていた。
「……そんなの……してないに……決まっています」
口にした瞬間、ハナツキの感情が一気に悲しみに包まれた。
今でもまだ気を失いそうなほどの悲しみが、心の奥底に封印していたリージッヒとの思い出が全てフラッシュバックのように蘇る。
そして、ハナツキの体から一気に力が抜けてしまう。
「よっと」
ハナツキの側にいたハルトはその軽い体をひょいっと受け止める。
そしてハナツキはハルトの胸で大粒のなみだを流していた。
声を押し殺し、それでも嗚咽は止まらず。
そんな悲しい涙を流している女の子にハルトは何ができるか。
「……お嬢様。これから俺と一緒に頑張りませんか?」
「ひっ……ひっ……」
嗚咽を繰り返しながら、ハナツキはハルトへと視線を向ける。
「お嬢様はこれからどうなされたいですか? 」
ぐにゃぐにゃと滲むハナツキの視界にハルトの柔和が笑顔がある。
気のせいじゃない、その優しい表情はどこかリージッヒに似ている。
だが、その感情がハナツキに伝わる事はない。
でもきっと、本当に自分の事を思っていてくれている。
ハナツキは懸命に声を絞り、自分の思いを吐露し始めた。
「……私は……普通になりたいです。普通の女の子になって人の感情も気にならない、そんな平穏な生活を……」
「そうですか。だったらもう一度。お嬢様、これから俺と頑張ってみませんか?」
ハルトには既に覚悟がある。
その発言はハルトの覚悟を表した言葉だ。
「でも……私は嫌でも人の感情が読めてしまうんです……心の弱い私には耐えられません。前に進む事も……」
ハナツキの小さな体はビクビクと震え、今にも砕けてしまいそうなほど細くそして脆い。
ハルトはそんな今にも壊れそうな体を包んで。
「お嬢様……」
自分の未来に絶望し、生きていく事を諦めた人間の様をハルトは真正面から対峙している。
だからハルトは――
「一緒に強くなっていきませんか?」
「一緒に?」
「はい。実はですね俺も学園ではいじめられているんです」
「……え?」
ハルトと言葉にハナツキはひょこっと視線を上げた。
「まぁそうなった理由はお嬢様と違うんですが、まぁ何が言いたいかっていうとですね、傍から見れば俺もまだまだ弱いって事です。実際、パーティーから追放されてる位ですからね」
その言葉でハナツキの瞳の少し揺らついたのをハルトは見逃さなかった。
「だから、弱いから耐えられない、前に進めないというお嬢様と気持ちはなんとなく分かったりするんです。でもですね。人の心は元々繊細で、些細な事でも泣きたくなったり、考え込んだりするものだと俺は思うんです。そして、それでも人類は未来の為に今を必死に生きようとしています。俺もそてお嬢様もその内の一人なんです。お嬢様、俺は人間は心が強いから前に進むんじゃなくて、心を強くするために前に進むんじゃないかって思うんです」
「心を強くするため……」
ハルトだって最初は心の強い人間じゃなかった。
でも、妹達の為に生きていく内にいつしかハルトの心は強くなっていった。
ハルトにはちゃんとした実体験があるのだ。
「最初から心の強い人間なんていません。きっとリージッヒさんもそうだったと思います。でも、お嬢様がいたから前に進め、そしてお嬢様を守れるくらい強くなれた。だからリージッヒさんも思っているはずです。自分はお嬢様のおかげで強くなれた、そしてその身を守れてよかったと」
「……リージッヒ」
ハナツキとリージッヒの関係は幼少期から。
幼少の頃のリージッヒはとても女々しく、いつもハナツキの後ろを歩き、とてもじゃないが男とは思えないほどか弱かった。
ハナツキはそんなリージッヒの面倒をよく見ていた。
でも、リージッヒは歳を取るにつれ表情も体つきも凛々しく、たくましくなっていき、気づけば誰よりも強く優しい男になっていた。
(今思えばいつからだったのでしょうか、リージッヒが私の前を歩くようになったのは)
「きっとお嬢様も強くなれると思います。リージッヒさんが体を張ってそれを証明してくれたんです。それが何ににも勝らない、信頼、だと俺は思います」
「うっ……」
ハナツキの瞳がみるみるうちに涙で溢れ、そして。
「うわぁぁぁ!! 」
丸で感情が爆発したかのしように、ハナツキがハルトの胸で泣き叫ぶ。
決して我慢なんかしない、ありのままに涙を流し、ただ思うことを口走っていく。
正直、涙声で何を言っているのかは聞き取れない。
でも、ハルトを何も言うことなくその言葉を受け止める。
昔に流れるはずだった涙が枯れ果てるまで。
実はS級の学生、お金を頂戴する為に偽りのD級を演じる。〜付き人仕事では悪を頂戴するらしいです〜 じゅんくん @07juny
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