第39話

 少し目覚めが悪い朝。

 体には妙な重さとベタつくような空気が、ハルトの肌に粘着する。

 普段は窓から射す元気な陽光も今日は姿がなく静かだ。

 ハルトは重い瞼を上げ、ふと窓の外を見てみる。


「雨か……」


 陽光も負けてしまうほどの真っ黒な雲。

 見れば、パラパラとした小雨が宙を舞っている。

 本来なら気落ちするような天気だが、ハルトはむしろこういった気候を好む。

 理由はよく分からないが、簡単にいえば暗い方が落ち着くらしい。

 ハルトの陰気臭さがここにも滲み出ている。

 

「この天気だと今日はお嬢様に付きっきりかな」


 まぁ晴れていても、付きっきりで接するつもりだった。

 しかし、ハルトのこの決心は無駄になってしまう。


「え? 今日、お嬢様と会ってはいけないんですか? 」


「はい。お嬢様は天気が悪いとずっと布団に包まって出てこないのです。恐らく気候によって体調が悪くなるのだと思います」


 朝食を食べ終えたハルトに衝撃の報告。

 一方でメイドは淡々と空き皿を台座に乗せ、あまり気にしてはいない様子。

 良くある事なのだろう。


「流石はメイド。もう、お嬢様の事は何でも分かるって感じですか?」


「何でも分かってあげられているのなら、今頃お嬢様は元気に学園に登校してます」


「ああ……」


 墓穴を掘ってしまった。

 して、メイドはガタガタと台車を押して部屋を出ていった。

 昨日、深く落ち込んでいたあのメイドとは全く別人。

 やはり、あの淡々さがあのメイドの素なのかもしれない。


「にしても、今日は頑張ろうと思ったんだけどな」


 メイドからああ言われてしまえば、ハルトも無茶な事は出来ない。

 今日も暇な一日を送る事になりそうだ。


 それから何分何時間と時間が経っていくが、雨音だけが響くこの部屋は退屈で仕方ない。

 

「……またやるか」


 ハルトはスパッと立ち上がって洗面台に視線を向ける。

 そこに映るのは冴えない一人の男。

 しかし、前髪を上げるだけでその陰気臭さはたちまち一蹴される。


「いちいち前髪をセットしないといけないのはめんどいな。ずっとユキハにやってもらってたから余計に。それに屋敷内にはメイドさんも一杯いるし、気まずいんだよな」


 メイドから、部屋を出る際は容姿に気をつける事を徹底されている。

 風呂上がりなどは仕方ないが、特にそのうっとおしい前髪は常に上げるようにと仰せつかった。

 屋敷に住まわってる手前、何も文句は言えない。


「雨も降ってるし服装はこれでいいだろう」


 服装は初めてここに来たときの装い。

 ハルトはこの雨の中で、どこかに外出しようとしていた。

 して、ハルトが向かった昨日と全く同じ場所、あの広場のような庭だった。


「よし、これくらいの雨なら体調に影響もでないだろう」 


 そして、また奇妙なポーズをして――。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


 女性ではよく気候が悪いと体調がもろに悪くなってしまう人がいる。

 そしてそれはハナツキも同じだった。

 メイドの言うとおりハナツキは布団に包まりながらベッドに横たわっていた。

 

「雨ですか……ここ最近は雨が多いですね」


 ハルトとは逆にハナツキは雨が好きじゃない。

 一定の雨音は耳障りでしかなく、光の少ない視界は何倍も気落ちしてしまう。

 だから、ハナツキは天気が悪い時はこのように基本ベッドからでない。

 

 でも、ハナツキはまた妙に窓の外が気になった。

 昨日の事もあってか、妙に興味がそそられる。

 ハナツキは布団に包まりながら立ち上がり、ふと窓の外を見てみる。


「またいました……でもなんであんなにびしょ濡れなのでしょうか。見た感じ小雨だと思いますが。まさかこの雨の中で長居しているのでしょうか」


 ハナツキの視線の先に、皮服をビショビショに濡らして歓喜してるハルトの姿があった。

 歓喜している理由は分からないが、通常、小雨で程度で服はあんなにも濡れない。

 小雨の合間に強い雨に当てられてしまったのか。


「……何故あんなにも喜んでいるのでしょう。ほんと子供みたいな人ですね」


 こうしてハナツキが疑問を持つことは珍しい。

 なにせ、ハナツキは人の感情を読めば大体のことが分かる。

 でも、ハルトからは何も感情が受け取れない。

 

「人の感情が読めない……素晴らしい事です」


 ハナツキも一昨日の事から自分にその力がなくなったのではないかと思い、試しにメイドの感情を読んでみたが、苦しくもはっきりと伝わってしまった。

 つまり、この時点でハナツキはハルトに何かあるのだと断定した。


「人の感情なんて感じず、ただ普通の女の子を生活を送る……私にはそんな未来があるのでしょうか」


 届きもしない疑問を窓越しのハルトにぶつけてみる。

 しかし、そんな言葉が聞こえる訳もなく。

 当たり前だ、ハルトはハナツキと違って、感情を受け取れないのだから。


「何故、私はみなさんと違うのでしょうか……私はただ普通の女の子でいたいだけなのに……私がお父様の娘だから? 人の感情が分かってしまうから? 答えてください」


 聞こえるはずのないハナツキの言葉はただ虚空を漂うだけ。

 して、ハナツキは再びベッドに体を預けて心を閉ざしてしまった。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


「……」

 

 ふとハルトは視線を上に上げる。

 ハルトはこの天気が好きだ。

 この薄暗さは心を落ち着かせてくれる。

 でも、なぜか今だけは早く晴れてくれと切実に願っていた。


「なんで雨なんて降るんだよ……」


 ハルトは雨が好きだ。

 心を落ち着かせてくるこの気候には感謝しないといけない。

 でも。


「止まない雨なんてないよな……」


 そんな事を言いながら、ハルトはふと後ろの方へと視線を向けた。

 何十とある窓の一つをピンポイントに。

 見える窓全てにカーテンがかかっているが、たった一つカーテンの見えない窓がある。

 それがハルトが向けた視線の先だった。


「……」

 

 しばらくと見つめ、ハルトは雨で崩れた前髪をかきあげながら、屋敷へと入っていった。

 して、これからハルトが向かう先は。


「ふぅ……やっぱり風呂は最高だ」


 雨に濡れたままでは風邪をひいてしまう。

 となれば、全身温かいお湯に浸かることこそが正しい風邪予防だ。


「今日も怠惰な一日だったな」


 それから一時間と風呂に浸かることによって風邪の発症を完全に抑え込んだハルトは、ふらふらとした足取りで部屋へと戻っていくのであった

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