第38話

 次の日。

 ハルトは朝食をたいらげ、早速ハナツキの部屋へと訪れたが、予想通り結果は芳しくない。 

 やはり、原因を本人から直接聞こうとしたのが違った。


 なにせ、ハナツキは一言も喋らない。


 昨日のハナツキを思い出せばそんな事は安易に予想できそうだが、ハルトも解決案が閃かず切羽詰まっていたのだろう。

 危うく、更にハナツキの心を追い込むところだった。


「なら、あのメイドに聞き出すしかないか」


 ハルトにとってこれが最良の選択肢だったが、メイドは今国王の使いでこの屋敷を出ていた。

 おかげで机の上には美味しそう昼食があらかじめ用意されている。

 時刻はもうお昼。

 結局ハルトは何も進捗がないままお昼を迎えることになった。


「ふぅ……ごちそうさま。で、これからどうするか」


 結果から言えば今日は何もすることがなかった。

 このままハナツキの所へ行ってもきっと状況は変わらない。

 不本意だが、今日はおとなしく引き下がる事にした。


「でも、このままこの部屋にいるのもな……そういえば屋敷の外はまだ案内されてなかったか」


 部屋で暇を潰していても時間が無駄に過ぎるだけ。 

 そう考えたハルトは散歩がてらこの屋敷の周囲を見て回ることにした。

 先ず踏み入れたのは屋敷の入口からすぐ出たところにある庭らしき場所だ。


「これ庭というか広場だろ」


 きっちり手入れが行き届いた数種類の花が地面から顔を出し、大層な木々も屋敷を囲むようにびしっと連なっている。

 流石は国王の屋敷といったところ。


 ハルトそれからもどんどん足を進めていくが、意外にも屋敷の周りは同じ景観ばかりで特に目新しい場所はない。


 して、屋敷外の探索は呆気なく終わり、張るはそのままその場に腰を下ろした。

 見上げると、そこには曇り一つない快晴の空。

 気温も湿度も良好、風も嫌味なく心地良い。


「……いや似合わないな」


 らしくもない感情に、ハルトは恥ずかしさを覚える。

 して、その恥ずかしさを隠すようにハルトは地面に背中を預けた。


「……何もする事がない。一人で特訓でもしとくか? でも、もう飽きんだよな、一人で体術の練習をするの。はぁ……戦闘魔法が使えないからこういった練習しかできな――魔法?……魔法か……そうだ」


 暇を持て余そうとた時、ハルトはとある事を思い出し途端に上半身を起こした。

 ハルトはキョロキョロと周りに人がいない事を確認すると、勢いよく腰を上げた。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


「……」


 金髪の少女――ハナツキはベッドから立ち上がり、無性に窓の外を見つめたくなった。

 映るのはいつもと変わらない日常。

 だが、たった一つ見知らない風景がそこにあった。


 それがハルトの存在だ。


 今、ハナツキはハルトという人物があまりにも不可思議に見えていた。

 これまで来た人達は、ハナツキの容赦無い沈黙に心折れ、一早に依頼を放棄していた。

 でも、ハルトは違う。


「……変な人です」


 そう言って見つめる先に、ハナツキのいうその変な人がいる。 

 力強く仁王立ちし、両手を上空に目一杯伸ばすハルトが。


「……ふふ」


 もう他人とは関わらないと決めたのに、それでもハナツキはそんな奇妙な行動を取るハルトから視線を外せない。

 ハナツキの心は今、その優しい笑みとは裏腹に激しく葛藤していた。


 ――でも、久しぶりだった。


 無意識に他人へと興味が持っていかれるこの感覚がとてつもなく。

 

「……一体あの人は何をやっているんでしょうか」


 先程からハルトはちょくちょく周りを見ては、途端に妙なポーズを取り始める。

 大きく腕を左右に振ったり、落ち着いたかと思ったら突拍子もなく目をかっぴらいたり。

 丸で不審者の様相である。


「……」


 そんなハルトを見ていると、過去の嫌な記憶が引きずり出されそうになる。

 脳の奥底に封印したはずの血まみれの思い出が。


「……最悪です」


 少しだけ思い出してしまった。

 身の危険も顧みず、ただハナツキを側で見守ってくれていた大切な人を。

 強靭で端整でお人好しだった人を。


 やっぱり、嫌な記憶というのは忘れようとしても、きっかけ一つで簡単に脳裏に思い浮かんでくる。

 当分は頭にこびりついて離れてくれないだろう。

 

「……だからもう人と関わらないと決めたのに」


 もう、あんな悲しい思いはもう二度としたくないから。

 なのに、ハナツキは今もハルトから目が離せない。

 

 一体ハルトの何がそうさせるのか。

 ハナツキはそれを上手く言葉にする事が出来ないが、それでも一つだけ分かる事があった。


 ――ハルトの存在があまりにも異端すぎる。


「……くすっ」

 

 ハナツキがふと笑みをこぼす。

 みれば、ハルトは情けない格好のまま地面に横たわっていた。

 頭を抑えながら悶えていて、恐らく近くに転がっている木板が原因だろう。

 痛そうにのたうち回っている。


 故に、それがあの変哲な格好を決めていた時の出来事だと思うとハナツキも無意識に笑みがこぼれていた。


「……本当に変な人です」


 気づけばこびりついていた嫌な記憶がハナツキの脳裏から無くなっていた。

 いや、実際は消えてない。

 これはハルトという存在が異質なせいで、その記憶が一瞬かき消されただけに過ぎない。


 結局、ハナツキはそれからもずっとハルトの動向に意識が持っていかれるのだった。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


「というわけで先ずはこうなってしまった原因を知ろうと思いまして」


「なるほど」


 時は夜。

 国王の使いから戻っていたメイドがハルトに夜の食事を持ってやってきた。

 そして、ハルトはメイドが料理を並べているタイミングでそんな問いを投げてみた。

 それを聞いたメイドは料理を並べて終えると視線をハルトに向ける。


「実はこれまで依頼を受けていただいた人達にもその原因は教えていません。お嬢様も第三者の口からペラペラと喋られるのは嫌でしょうから。だから、依頼者にはそれを伏せた上でこの依頼を受けてもらっていました。それで解決できれば一番ですから」


「やっぱりダメな感じですか? 」


 ハルトの問いに対し、メイドは瞼を落としじっくりと考え込む。

 そして、ゆっくりと足を進め始めたメイドはふとハルトの隣に腰を下ろした。

 

「……お嬢様は人の感情が読めてしまうんです」


「え? 」


 思いもしなかった言葉にハルトは眉を歪めた。


「読める……というよりは人の感情が分かってしまうと言った方が正しいですね」


「人の感情が分かる……そんな事が。でも一体何の関係が」


「……お嬢様には遠い未来までその身を添い遂げようとした大切な方がいました。ですが、その方は一年前に亡くなられ、その原因はお嬢様に……」


 

 なんとなく、これは適当に聞いてていい話ではないとハルトは悟る。

 

「お嬢様はこの街でも有数の名門学園へと通われていました。国王の娘という、とてつもないプレッシャーをその小さな背中に背負って。ですが、お嬢様はそんなプレッシャーを跳ね除けるほどの強い心を知らない内に持っておりました。お嬢様は私達が想像していた以上にご立派に成長されていたのです。そんなお嬢様はその看板に恥じない優秀な学園生活を過ごし、いつしか周囲からは、流石は国王様の娘、と持て囃されるほどの成績を収めていきました。ですが、それが特定の人物には遺憾だったのでしょう。お嬢様のような生まれつき恵まれた者を良く思わない人がいた。そして……きっとハルト様も経験があるのではないでしょうか」


 メイドの一言でふと思い出される。

 ハナツキと同じ境遇の記憶。

 違いがあるとすれば、それに至るまでの過程。


 ――いじめである。

 

「最初は付き人であったリージッヒ様が懸命にお嬢様を守っていたのですが、その行動が原因でまた相手の怒りを買い、嫌がらせは日を過ぎる毎に酷くなっていきまた。そして、いつしかお嬢様に向いていた矛先はリージッヒ様へと切り替わっていたのです」


「……それでお嬢様は? 」


「それからお嬢様には危害が及ぶ事は殆どありませんでした。今思えばこれら全てはリージッヒ様の策略だったのかもしれません。わざわざ恨みを買うような発言をして、これ以上お嬢様にいじめの手が伸びないようするために。リージッヒ様はとにかくお嬢様第一でしたから」


「優しい人だったんですね」


「そうですね。だから、きっとそんな優しいリージッヒ様だから、お嬢様は純粋な恋心を抱き、己の精神をすり減らして考えたのです。どうすれば自分の代わりにいじめられているリージッヒを助けてあげられるかと」


「それでお嬢様はどうしたんです? 」


「お嬢様が出した答えは単純なもので、加害者と話し合うというものでした。お嬢様は無闇な喧嘩を嫌います。だから、何一つ武器も持たず相手に敵意は無いと示した上で素直に加害者に懇願しに行ったのです。そして、自分がまた代わりになる、だからリージッヒにはもう手を出さないで、と。ですが、相手はお嬢様が思っている以上に冷酷な人間でした。その者はリージッヒを助けようとする優しいお嬢様に残酷な選択肢を与えたのです。お嬢様がここで命を絶てばもう手は出さないという……くっ!! ……お嬢様の優しい心を逆撫でするような卑劣な選択をっ!! 」


「そんな……」


 第三者から見れば嘘みたいな話だが、これは紛れもなく現実に起こった本当の話。

 途中でメイドが感情を隠しきれなかったように、ハルトにとっても極めて胸糞悪い話しである。

 

「お嬢様は他人の感情が分かってしまう。そう、だから分かるのです。その者の発言の全てが適当な虚言だということを。当然、お嬢様は怒りました。当たり前です。お嬢様が死を選んでも、リージッヒ様にはまた手を出すつもりだったのですから。ですが、その者はお嬢様のその反骨心が気に入らないかったのでしょう。また相手の怒りを買い容赦ない暴力が次々とお嬢様を襲いました。恐らくその者はお嬢様を殺すつもりだったでしょう。そしてその危険をいち早く察知したのがリージッヒ様でした。リージッヒ様は剣で突き刺されそうになったお嬢様のところへ飛び込み、そして……」


「まさか……」


「はい。加害者が突き刺した剣はリージッヒ様の心臓を一突き。即死だったようです」


「そんな……。じゃあお嬢様は好きな人が目の前で死んでいく一部始終を見てしまったって事ですか? 」


「……はい。お嬢様はきっと自分をこれでもかと攻めたではずです。自分がこんな事をしなければリージッヒ様は死ななかったのにと」


 メイドは表情を落とし、力無く言葉を紡いだ。

 そして、ハナツキはその時からその心を奥底に閉ざしてしまった。

 

「ですが、お嬢様の心に追い討ちをかけたのはそれだけではありません。話によれば、これまで仲の良かったご友人も実際はお嬢様の事を良く思っていなかったようで。まぁお嬢様は相手の感情が分かりますから、きっと入学した時からそのことは認知していたでしょう。ですが、それも結局はリージッヒ様がいたから耐えられていた事。今のお嬢様では到底耐えられない。やっぱりお嬢様はまだか弱かった」

 

 外面は人当たりが良くても心の中では、なんて人間はこの世にクソほどいる。

 ハナツキもきっとその現実をまざまざと見せつけられたはずだ。


 ハナツキはまだ若い。

 まだ身体も出来上がっていない女の子だ。

 そんな残酷な現実、耐えられる訳がない。

 

「……結果、お嬢様はあのように引きこもってしまいました。きっと、リージッヒ様が亡くなってしまったことが大凡の要因でしょうが、お嬢様のあの感情が分かってしまう力にも少なからず原因があると思われます。あれ以来、お嬢様は他人と一切関わらなくなりましのたで」


「人間不信……って事なんでしょうか? 」


「それに関してはお嬢様にしか分からない事ですが、私はそれに近い状態なのではないかと思っております。これはあくまで私の推測になりますが、これまで依頼を受けにきてくださった者達は、学友だった生徒達と同じような邪な心を持った人だったのではないかと思うのです。お嬢様は心を開くどころか、余計に自分を閉ざしてしまわれましたから」


「全員が本当にそんな奴らだったのなら、人間不信になってもおかしくないか……じゃあつまり、またお嬢様が信頼できるような人物が現れればもう一度元気になるかもしれないと? 」


「そうですね。でもそれは所詮、ただの願望に過ぎないでしょう。私にはよく分かりませんが、大切な人が目の前からいなくなってしまうというのは、とてもお辛い事だと思います。きっとその悲しみはそう簡単には癒せません」


 メイドの悲しそうな表情がその言葉に現実感をもたらす。

 ハルトも目の前で妹達の死にゆく様を見た後で、幸せになれる自信なんてない。

 リージッヒが妹達だったらと考えると、気を失いそう。


「……お嬢様は人間不信に近いと言ってましたが、それって他のメイドさんや国王様……父親でも同じなのでしょうか? 」


 ハルトの発言に、メイドを首を左右に振る。


「分かりません。なにせ、私も、そして国王様さえもその心の中ではお嬢様に対して何かひどい事を言っていたかもしれませんから。ですが、私は心の底からお嬢様が大好きだと言えます。だから、またお目にかかりたいのです。お嬢様のあのお日様のようの笑顔をこの目で……」


 そう言ってメイドは視線を床に落とした。

 ハルトもそんなメイドに対してかける言葉が見つからないでいた。

 でも、何か言えるとしたら。


「……もしかしたらお嬢様はメイドさんや国王様の事を思って引きこもっているのかもしれません」


「え? 」


 あまりに予想外な発言だったのだろう、メイドはぱっと視線を上げた。


「今の話を聞く限り、お嬢様はとても正義感のある優しい女の子だと認知しました。そしてお嬢様のように正義感が強ければきっと自分の身近な人は是が非でも守りたいと思うはずです。実際リージッヒさんの時もそうでしたよね。自分の事など顧みずに助けようとした。でも、同時にこうも考えるはずです。もし、自分がまた関われば今度は屋敷にいるメイドさん達や国王様にも危害が加わってしまうかもしれない。それがお嬢様の考えなのかもしれません。自分と関わらなければみなさんに危険はない。心の優しいお嬢様ならそう考えていてもおかしくはありませんよね? 」

 

「お嬢様……」


 メイドは露骨に声を震わした。

 ただ他人からみればこのハルトの発言は現実的とは言えず、言ってしまえば励ましにすぎない。

 実際、ハナツキが父親やメイドと関わったとしても、きっと危害なんて加わらないだろう。

 いくらいじめの加害者でも普通は国王やその近辺になんて手をつけない。

 だが、正義感の強いハナツキならそう思ってしまっているのかもしれない。

 

「お嬢様が今、本当にそう考えているのなら、少なくともメイドさん達や国王様の事は信頼していると思います。でないと、わざわざ守ろうとなんて思わないですよね。だから、その思い込みがなくなれば、またお嬢様を笑顔にできるかもしれませんね」


「はぁ……なんと心強くお優しい言葉なのでしょうか。やはりあなた様がここに来てくれてよかった。まだ少しですが暗闇に光が射したような気がします」


 メイドの安堵した表情を見て、ハルトも肩を落とす。

 そうして色々と思考と巡る内に、ハナツキの事で一つ分かった事があった。


「……お嬢様の人の感情を読めるって力、それってお嬢様の魔法なんですね」


「はい。そしてハルト様は魔法を無効化する力を持っているとロータス様から聞きました。私はそれを知り、この人で無理ならもう、と考えていました」


 これでハルトはハナツキの奇妙な行動に納得がいった。

 何故ハナツキがあんなしかめっ面でハルトの事を見つめていたのか。

 

「ってことは、お嬢様は俺の感情を読めていないのか……」


「恐らくそう思われます。きっとハルト様の事をとても奇妙な人物だと認識しているでしょう」


「なるほど……」

 

 確かに、突然目の前に感情が読み取れない人物が現れれば、あのようなしかめっ面になる。

 でもおかげで、あの心を閉ざしたハナツキに一歩近づける可能性が増えた。

 だが、それに伴って気をつけないといけない事もある。

 それは感情が読めない事によって逆に疑心暗鬼になっていく可能性があるということだ。

 むしろ、人間不信気味の今のハナツキには、何を考えているのか分からない、ハルトみたいな人間の方が恐怖なはず。

 人間不信というものは本来そういうものだ。


「……ありがとうございますメイドさん。色々と言いにくい事も教えてもらって」


「いえ。満足していただけたのでしたらこちらとしても話したかいがあります」

 

 そう言ってメイドはスッと腰を上げ、折れたスカートの裾を直す動作を見せた。 

 そしてふとハルトの方へと視線を向けると、メイドは深々と頭を下げる。


「どうか、お嬢様の事をよろしくお願いします」


「はい。できる限りの事ははやってみようと思います。俺もお嬢様には笑顔が一番似合うと思いますから」


 ハルトの言葉に対しメイドはニコッと笑みをこぼし、そのまま台車を引いて部屋を出ていった。 

 ハルトはメイドが部屋を出ていった同時に、目の前の料理に箸を伸ばしていく。


 正直、今もいい策は一つも思い浮かばない。

 それからハルトは就寝までの時間をハナツキの為に費やしたのだった。

 

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