窮愁の狭間で

坂本治

窮愁の狭間で


                     

   一

 ある日の夕暮れ時であった。私が自身の診療所の玄関戸を引くと雲の厚い空が覗いている。久しぶりの空気はシンと冷えていた。肺を膨らめて吸い込むとろっ骨を突き上げる体の節々が痛み、少しばかりの伸びでは解消できない倦怠感を伴って、頭痛もあった。原因は感染予防のマスクを着け続けているせいで呼吸がまともにできないことの他にも、緊迫した状況とあてのない不安が、余計に疲弊を及ぼしていたのだろうと思う。

 数十年前まで目新しかった鉄道がついにこの村へもやって来て数年した頃合いの年。簡素な村にも新しい風が吹き都会への若者の流出も増えてきた。私の視界は自然と村の辺りを見渡した。あぜ道の向こうに走る黒い線路と、山を背後に置かれた簡素な屋根の家々がのぞいている。生まれ育ち、長年診療を続けてきたのどかな村だ。この生活がいつまでも安寧に続くようにと、ついこの間の年初めに初日はつひへ拝み、年に一度の村の懇親会では村民らが集まり発展を想う盃を交わした。

 けれどもこの村の発展は例年通りのようにはいかず、私も村の年長者であっても生まれてはじめての危機に脅かされることとなったのだ。汽車の線路でつながれた東京で感染病患者が出たのは、四週間と幾日か前で、発生から数日遅れて村まで情報が届いたその頃にはこれほど大規模な感染拡大が引き起こされることは予想できなかった。ましてや小さな田舎村であり、人の来訪もほとんどない所であったから。しかし不運にも近年開設された駅を利用して都会へ出入りする人間が少なからず出てきていたことから、都見物に出かけた村人が帰って来た後にそれらしき症状を発症させた。この感染病について都会でのニュースを耳に入れていた私はその患者の症状をはじめからそのものだと疑ってかかった。厄介なその病は風邪のような初期症状を催すらしく、感染力も特段強いという。そしてこれまた厄介なのは感染しても必ずしも症状を見せず、ふつうの健康体であるかのような者がウイルスをうつす可能性があることだ。未知のウイルスなど持ち込まれては、設備もなく人でも足りない私の診療所のような所は対応しきれず機能が停止してしまう。

 私はふだん外来を設け、村民の受診と薬の処方を受けつける他、重大な容態の患者には都心の総合病院を紹介する手順をとっていた。言った通り小さな医療機関の崩壊を避ける為、何より距離の近い暮らしをする集落住人の健康の確保の為に、私はそこら中へ連絡を出して感染病の情報を調べた。そうする内に都心を源して感染病の蔓延は爆発的に増え続け、近郊の都市へも足音を響かせるようになった。

 感染を広めたのはとにかく人の行き交いだろう。とくに人の多い東京ではそれが早かった。感染拡大の状況、感染を抑える為の国の対応待つ間に、地方の医療人とそれ以上にそういったことへ疎い大勢の人々は自発的な危機管理をすることを余儀なくされた。知らないことが幸せと言ってしまえばそれまでだが、知らない間は呑気であっても気づいた時には大変焦る気持ちを生じさせることだろう。多くを見て想像することが誰しもにとっても重要なわけで、私もこの村で一番に情報を得たわけであったから、対策へ尽力する責務を感じていた。田舎の医師だてらに役場やら自治会報を通して感染病の情報を広げ、予防を呼びかけたりしたのだ。最初に発症した患者を東京の病院へ送り検査を依頼すると暫くしてから要請である電報が届いた。しかしそれは一時の解決にしか過ぎなかった。私はこの頃駅から出てくるまばらな人の動きを見て、この感染病により停止しかけている都市部の生活や経済の復旧を、前代未聞のこの事態の行く末に頭を悩ませた。けれどもまだどこかで、素早い終息を根拠もなく期待していたのである。自分にできる処置はひとまずのところ様子を見ることしかできないのだと。

 が、やがてその甘い考えは打ち破られた。一人、村からの感染者が出た後、十日あまり経ってから這う水のごとく幾人も感染者を増やすこととなったのだ。私のもとにも疑わしい症状を訴える者が詰めかけて、少ない情報を頼りに感染病らしき者の隔離の処置をとった。けれどもモノがそろわぬ小さな診療所では陽性であるかの検査をすることも、病床の数を保つこともできなかった。

 先ほどまで見ていた感染の疑われる診療所の小部屋に簡易入院している患者や、待合室の様子が瞼の裏に焼き付いている。汽車では地方から患者を大きな都市病院へ移す特別車両が設けられ、今も検査をしに行くのを待つ患者が二名いる。幸いどちらにも特別重篤な症状は出ていないのだが。ただ看護師も物資も足りず、いつ自分が感染するかわからない恐怖には連日苛まれた。というのも、日に日に都心の病床は感染者で満床を迎え受け入れが困難になってきていることを知り得たからだ。危険な都市部へもし感染者でない村の患者を向かわせた場合かえって感染のリスクに晒すことや、また患者が集まり手一杯の医療人たちの心中を察するとここの判断はやさしいものではなかった。こうした判断を求められると腹を下したときのようなつめたい脂汗が静かに吹出すのだ。このところ考えなくてはいけないことが山積しすぎて頭がパンクしそうだった。すでに普段から薬をもらいに来ているお年寄りらを診療所に寄らないよう強いているのだから十分に対応できているとはいえない。私の診療所は丸坊主のゴムタイヤなのだ。死者が増えはじめたことばかりが耳に伝えられる日々だった。

   

   二

 そういうことがあって私はほとほと疲れてしまっていたのである。そうしたとき玄関から見える駅のプラットフォオムから、大きな荷を背負ってこちらへ駆けてくる一つの姿があった。それが見知った顔だとわかったので外していたマスクを慌ててつけた。

「長旅ご苦労さま、東京の病院はどうだろうか? うちの患者は皆、受け入れてもらえましたか?」

「なんとか入れてもらいましたが、もうこれ以上は当分の間難しいでしょう、あすこいらはここよりも何十倍と感染者が多い」到着した若い丈夫は疲れをにじませながら深刻そうに通達した。私が安堵とも不安ともない声を漏らすとそれが打ち消されるほど声を張って、

「それからこれ、少しばかりですが手に入った物資です。どこも不足していて困り果てましたが、つてを使ってどうにか。最前線に立たれる先生たちが使ってください」積み荷をおろして箱を見せてみる。

 村で出た感染者であろう人々を大病院へ移す仕事をかってでて、毎日のように東京へと行ったり来たりを繰り返している彼もまた、危険にさらされている第一人者であることに違いはなかった。彼の赤らんだ鼻頭が暦よりも遅れてまだやって来ない春の訪れを待ち遠しく思わせるのだが、心なしかそれはまだまだ先のことだと誠に勝手ながら思ってしまうのである。

「君はマスクがないですか?」

「いやあ、すみません、足りていませんで。自分がウイルスいうのをもっとったら、うつしてしまうかもしれんのですよね。先生のところに余っていたり、しますか?」

 おずおずと切り出す彼の言葉に、私は少しだけ安心する。こんな非常時にと思われるだろうが、実際の皆のウイルスへの意識とはかなり低いもので、飛沫を吸い込まないことよりも飛沫を飛ばさないことが重要だとわかっている者が少なかったのだ。

「待っていてください。少しならあるでしょう」荷を降ろさせて診療所のアルミ戸を引く。中へは感染を防ぐ為あまり人を多く入れないようにしている。診療所には保ウイルス者もおるかもしれないので、彼を感染させない為、またもし彼が保ウイルス者ならばほかの患者にうつさせない為それらを考慮することが必要なのだ。

 中に入るとお年寄りの一人が「先生、さむいね」と訴えた。熱を出し感染を疑ってやむなくやって来たその人へ、換気のために窓は閉められんのだよと心苦しく伝える。その人へ近づくことも、すでに感染しているかもしれぬ自分では恐ろしさがさしてできなくなる。私の貸してやった毛布を膝の上で握りしめている老婆が腰掛るベンチの傍にストーブを寄せてやることしか今はできない。二枚の布マスクを戸棚からとりだして、(長年働いてくれている看護師の女性に睨まれたのだが)それを玄関口で待つ彼へ譲る。

「恩にきます。絶対に今はまだ罹らんように、先生のお世話にならんように気をつけます」さっそくそれを着用して答えながら私の顔を見た。そうして私はそこからしばし目を離せなかった。彼はすぐ言った。

「それでは先生もお気をつけなすってください。私はこの後の汽車でもう一度東京へ戻ります」

「忙しないですね。自宅で一泊していくこともかないませんか」

「向こうへ着くまではただ乗っているだけで仕事があるわけじゃないですよ。医療もそうですが物の運び手も足りてないのだそうです。汽車の荷物を降ろして要所に運んだ後は向こうで宿をとります」

 彼はそれ以上細かには答えなかった。暫くしてから「もしかしたらこういった行き来がよくないとして、私もここへ戻って来られなくなるかもしません。また何かありましたらご連絡します」と言って少しばかり寂しさをにじませているふうにみえた。彼を感染の猛威の中心に行かせる心配だか同情なのか、私にはその時の自分の思いがはっきりしなくてなんだか嫌に思えた。

「では明日の朝、ひとまず様子を知らせてもらってもよいですか」

「わかりました。それでは行って参ります」歳も多くなってきた彼の両親と接触しない為かもわからぬが、家にも寄らず駅舎へ引き返していく彼の姿を見送った。

 じっさい私には人々の健康をどこまで守れるか、限りなく自信がなくなっていた。が、弱気になってはいられぬとその瞳に姿勢を正され励まされたのだ。


   三

 日がさらに傾くころやって来る患者も少なくなってきたとみて、看護師らに順に着替え等をとりに家に戻るよう許可を出した。今夜診療所に残ってくれている看護師は二人、昼間だけ家庭を切り盛りしながら働きに来てくれる者も二人いたが人手が足りていない現状に変わりはない。彼女らには極力、村民と接触しないよう呼びかけたのだが、戻って来た彼女らは商店街がいつも通り人でにぎわっていたと言った。医療に携わる彼女らは昼夜気を張り続けている。だがそれと同じだけの緊張感が、彼らにはないのだと軽く衝撃を受けた。

 私が自宅に帰るのは五日・六日ぶりであった。本当はもっと経っていたかもしれない。私の家にも高齢の母がおり、患者と直に接する私が同じ家屋にいることで感染の危険性が上がることが懸念されたので、ことさら帰宅することを避けていたのだ。

 久しぶりに見る村内の様子がどんなになっているか若干の緊張があった。というのも診療所の対応に忙しく、そちらへの注意喚起に遅れがでたことを心配していた。役所の人間に協力を頼み、商店街の運営を休ませるよう要請を出させていたのだが、効果がどれほど出ているか見回りまでできていなかった。私は表通りの店が連なる通りへ出た。そこには予想したよりも多くの人々が、いや、いつも通りの暮らしがあったのである。

 所どころ要請に応えたのかシャッターも見受けられたが、店の軒先は夕飯の買い物客から、井戸端会議を開く年寄り衆が互いに笑顔を向けている。戸惑いも少なからずぶら下げて、歩みを進めていく中に自身の母親の姿を見つけた。近所の友人らと七輪を囲み小さなピクニック用の折りたたみ式椅子まで置いて会話を楽しんでいた。それを見つけると咄嗟に駆け寄り、

「おっかあ、うちにいるよう言っただろう」はて、とした他の老婆たちの顔も見回し「みんなも。今東京や、この村で怖い病気が流行っているんだ、なるべく人と会わないようにって言ったじゃないか」声を抑えながらの注意は思うように彼女らに届かない。

「だってアンタ、ずっと家にいたらどうにかなってしまうよ。娯楽もない村なんだ、楽しみをとるんじゃないよ」

「そうだい、アタシらの他にもこんなに人が出てきているんだ。アタシらだけ我慢するんじゃ不公平だよ」

「そうそう。それにねェ先生、こうしてお友達と喋って元気にしているのが、病気にならない、ひ、け、つ、な、の」と口々にすきなことを述べた。言い聞かせるようにゆっくり協調する言い方にも意味が感じられなかった。なんともない時分ならば、大して気にならぬ彼女の喋り方の特徴であったのだろうが。

 根拠のない持論はこういったときに程脅威をみせる。唄い鳥ではない大きいだけの声が疲れた体に堪えた。実を言うと普段からこのような人たちに何を言っても無駄だとはわかってはいたのだ。私は珍しくむきになった。

「罹ってからじゃ遅いのだよ。この病気はね、症状が出るのに時間がかかるし、もし罹っていたらアッという間に重篤にまってしまうかもしれないのだからね」彼女らの手に握られたカップ酒が恨めしく私の視界に入る。それでもなお彼女らは続ける。

「罹ったらそのときだよ」「そうだよオ、でもこの村には先生がいるから安心だねェ」仲間の発言に笑って答えるその輪の中で、私は眩暈を覚えたのだ。

「治すのがとても難しいのだよ。私ではおろか、大きな病院の先生でも何人かしか助けられないのだからね。日に日にたくさんの人が死んでしまっているんだ」私の説教はうるさいだけのように思われているかもしれない。

「いいよ、年寄りは助からないのだろう。罹ったらその辺に放っておいてくだすってよござんす」皮肉なように「ハイハイ、お医者さま」というように私の方へペコペコして見せるのをどう受け止めたらよいのだろうか。

 サッと通りの人々の視線を感じて振り返ると、商店街のひとつに並ぶ酒屋の店主と目があったので彼に近づいて行き、店を自粛するよう訴えにかかる。

「感染病の患者がこの村にも出ています。人から人へうつるんです。今は酒類の販売は遠慮して、なるべくお客を呼ばないようにしてほしい。本当に生活に必要な八百屋なんかの食べ物屋だけ営業するようにあなたからも商店街へ伝えてください」医者が詰め寄って話しても、店主がそれに応えてくれることはなく、

「先生、役場の者もそう言いに来たけど、店を閉めたら俺の家の生計がたたなくなる。どこの店だってそうだぞ。自粛なんてのは無理だ」

「今だけですから、二週間だけでも往来を減らせば感染者は減らせる。今のところは汽車で東京を行き来していた人やその家族に限られていますから。これ以上の感染を止めなくてならない!」

「感染者、感染者って数人だろう! じゃあ何か、村のみんなを疑って過ごせっていうのか」店主が大きな声を出す周りに人が寄ってきて、いつの間にか人だかりがつくられていた。

 私よりも齢の多い経営者らが寄ってたかり始める。

 保障されるものもなきゃ店は閉められねえ! 自粛なんかしてみろ、店がつぶれるぞ! 感染した者をそんな風に隔離して! 東京の病院に任せっきりか!

 実際に声を出しているのは四人ほどだっただろうに、十数名に囲まれて野次を飛ばされている錯覚に陥ったし、その掛け声に気負される内に自分が間違っているように思えてどんどん首が下がっていったのだ。商店街の通りだったことを思い出し、自分の靴の周りに集まった足の数を眺めながら人々をなだめることになった。

「みんな、落ち着いて」と自分から声をかけたとき、囲われる人々の間から先ほど叱った母親と取り巻きの姿が見え、少々心配したようにこちらを窺っている。

「状況がわからないまま要請を受けても困るのはわかります。けれども、まずは健康を守ることが一番なんです。国がどういう対応をしてくれるか、今に知らせが来ますから、そうしたらちゃんと伝えに来ますから」彼らの一人がすぐに言った。

「だがね、国はどうにもしないと思うよ」

「都心だけでもいっぱいなんだろう。こんな村のことまで」

 再びどよめきが起きる中、「天子さまも金がないのさ」役場の役人をしていた爺は昔から天皇陛下のことをそう呼び、間をおかず呟かれたそれに周囲も押し黙る。国の資金がどこから出るのか今ここで説明しても無駄である。

「小さな村だからすぐに感染が広まってしまうんです。家族も友人も皆健康で乗り越えて、ふつうの暮らしにならないと。生き延びないと」

 私が左右の人たちをゆっくり見やっては歩みを進め出したのをとめる者はなく、皆が勢いの切れた私の背を見送るのが生温い温度で感じられた。この村の医療の崩壊はすぐそこまで来ているのだ。しかしここで言い争いをしても何も得られないだろう。

「生き延びるだなんて、大げさな」

「店がやれないならそれが死だよ」

 遠のく背後で誰かが言ったそれらが聞きたくもないのに聞こえてきたのは背中を撫でた風のせいだろうか。切羽詰まった状況が村の人たち皆にもわかるように情報が公開されたなら、都市の様子が目にわかれば危機管理によかったのだろうか。


 自宅の近くまでたどり着いた私の目に留まったのは、数軒となりの家に住まう老婆の家の新聞入れであった。夫を亡くし一人暮らしの彼女の表札を一瞥した後、溜まった新聞に不安を掻き立てられる。ガンガンと曇りガラスの引き戸を手甲で叩き様子をみる。一度目の応答はなく何度も繰り返すうちに呼びかけも加えると、暫くして扉が開けられた。目を丸くした顔が現れた。

「ああ先生。よかった、いいえ先生にはよくないかもしれない」マスクをつけた小さい顔を下に向けて、何か思いあぐねたように首を振っている。「どうしました? 体調は悪くありませんか?」こちらから尋ねると、

「ずっと胸が辛くて。ここ何日かは起き上がるのもやっとなの。けれど今診療所は怖い病気の人がいるから来ない方がいいよって、先生言って、いつものお薬を多く出しておいてくれたでしょう。だけれど苦しくて、先生のお家に行ってみてもお留守だし、どうしようって思ってたの」ハッとして一週間ほど前にこの人へ言った注意を思い出したのだが、何から話してよいか先ほどの村民とのやりとりからショックを引きずり言葉に詰まってしまった。

「すみません、気にしてあげられんで。だるさがありますか? 咳は出ますか?」元より肺に持病のある彼女は診療所に長く通っていた。すみません、と繰り返す私と交互に「いいの、いいの」と皺の多い目尻にさらに皺を集めて、恐縮したように繰り返した。

「私、悪いのよ。先生の言うこと聞かないで商店街へ行っちゃったの。ご飯を買いに行っただけなのよ。でも私なんかもう、やわやわ生きている人だから、感染しないか怖いなあって思って不安になっちゃう」

「大丈夫だよ、外に出たら必ず感染するわけではないからね。それにもし罹ってしまっても、大きい病院に行けば治してくれる先生がいるからね」

「先生はそう言ってくれるね。だから村のみんなも安心できているのだわ」悪びれない言葉の内容だけが再び脳内に濃いよどみを呼び寄せる。私はいっぱいになりそうな気持を抑えた。

「けれどまだまだ感染は収まりそうにない。脅かすわけじゃアないよ。ウイルスは目に見えないから、村のみんなの体の中に隠れているかもしれない」

「汽車で外に出ていた人が罹ってこの村にまで持ち込んでしまったのでしょう。他の村にも広まってしまったの?」

「今はとにかく情報が足りないんだ。みんながばあちゃんみたいに協力してくれたらいいけれど、このままだとこの村からもたくさん感染者が出てしまう。一気に病気の人がいっぱい来たら、お医者さんの数も薬も、病床も足りないってことわかってくれるよね」

 早口で言ってしまった私の正面で曲がった背中ごと、うん、うんと何度も頷いてくれている。「わかるとも」そう聞こえてくる。

 首を捻り、右へ左へしてから躊躇いがちに

「私はまた診療所に籠らないといけない。ばあちゃん今の体調は? 

 もし今より悪くなったら診療所まで来れるかな?」

 狭い村だから大した距離はないが、足腰も弱く容態も悪化したばあちゃんを一人で来させることを懸念した。感染が疑われる患者を隔離している診療所に彼女を置くことも抵抗があった。しかしもしかしたらこの人も感染の兆候が出ているとも考えると、連れて行った方がよいのであろうかとも思う。

 思いつめたとき口を開いた。

「怖いね、怖いよ。本当にね」

 ばあちゃんが呟いていた。自分よりも小さい甲羅のような背中が訴える声は落ち着いていて、ひょっとしたら独り言のようで、私の心に刺さった。いいや、そんな攻撃的ではなかったとも。子どもの投げた紙風船があたったみたいにふと忘れていた弱い存在に気づかされた。

 自宅から荷物をもって戻るときその老婆も連れて行った。「来月、孫娘の結婚式なんだよ。それまでは死ねないよ」足取りはひどくゆっくりだが、ばあちゃんは大そう嬉しそうに微笑んでいたのだ。

「絶対行けるよ。まだ感染しているかもわからないからね。早くこんな状況は収まるといいね」

「そうだね」

「そうだよ」

 ひと時私は心を落ち着けられたが、励まされているのは私ばかりであった。診療所は窓を閉められず冷えるからと、用意させた毛布を代わりにもっている腕の重さもこの時間ばかりは心地いいほどであった。


   四

 そんな心持ちが一変したのはその日の夜中になってからである。日付が変わろうとする頃に急患がやって来た。あろうことか立て続けに三件であった。すでに埋まっていた病床を補充するべく、私と看護師らは簡易の床を至急に作り上げ付き添いの家族らと隔離した。家に帰るよう指示された家族が看護師と揉めそうになったのをなだめて、他の村民と接触しないよう言い聞かせた。急に高熱を出したその患者の容体をみる限り、私も看護師も普段の風邪とはどこか違う気配を感じている。患者の家族も少なからず私たちの異様な様子を読み取ったらしく、その頃になってようやくこの病の恐ろしさを薄々感じ始めたのだろう。

 一人目の急患の隔離が整ったころ、続けて中年の男性患者が妻に付き添われやってきた。今日も仕事をしてきたということだが急に胸が苦しくなり、最近の感染病騒ぎを気にして、もしやと尋ねてきたという。これまで集まった患者らは高齢者が多く、風邪をこじらせているのか持病が悪化しているか、はたまたウイルスが悪さをしているか見極めきれないでいたのだが、この患者はかなりの高確率で流行りの感染病ではないかと判断できた。検査をしなくては何もいえないのが本当なのであるが。わからないが故に我々の意識は過敏になっていたといえよう。

 真夜中の医院に患者の咳音が響くようになると、ざわざわと不思議な不安が募ってくるのだ。早く朝を迎えたいという心細さや焦りは、闇の中で灯りを頼りに作業する看護師らのよく見えぬ表情に関わらず鮮明に受け取れた。

 デスクの引き出しから、夕方留守にしていた間に届いたという近隣の病院への受け入れを頼む申請書は二枠だけであった。患者の誰を、なにを基準に優先して決めたらよいのか悩まされた。明日の汽車が動く時刻までにこれ以上患者が増えないことを祈るしかなかった。すでに診療所にいる体調不良の患者は、大病院へ行ける二名よりも多く集まってしまっているのだから。その枠に書く名前の選択に私が患者らの顔を思い浮かべていたとき、夕方連れてきたばあちゃんが咳き込み始めた。実を言うと小さなものをずっとしていたのだが、肺の持病ももっていたのでそんな咳は日ごろからのことだったのだ。しかし今日のものはただ痰を詰まらせたものではないように思え、先ほど来た患者に触発されてしまったのかウイルスなのか不安はぬぐえなかった。

 だんだんと騒がしくなってくる診療所、もとい普段は待合室であるはずのそこにもベッドが置かれた。もはや隔離の処置など部屋も足りないわけであって、できる筈がなくなっていた。慌ただしいその空間へ玄関から呼び声がする。小さな女の子と男の子の二人兄弟が母親、父親にそれぞれ抱えられてやって来た。彼らの困ったような顔を私の頭についたライトが照らして、私もきっと同じ顔をしているのだろうと予感した。そんな風に思うだけの気力があったというのに驚きもした。しかしここにはもう場所がなかった。兄弟は高い熱を出していて呼吸が浅く、時折咳き込むように見えたがマスクもしていなかった。両親に口を覆えるものをマスクでなくてもよいから用意するように言ってそして換気をよくして家で様子を見てくれるよういったのだ。彼らはここへ来ればどうにかなると思っていただろうし、狼狽しているのがよく分かったが、そうすることが最善だと判断した。勿論両親の心配する思いを無下にするつもりは毛頭ない。ただ今できることは限られてしまっているのだ。

 もうすぐ夜明け。その頃に二人目の急患が変容した。やって来て暫くしてから診察をしたときに肺炎の症状が見られて束の間、酸素の吸入が必要と見られた。が、そこには十分な設備も人手もない。薄明るくなり始めた窓の外を誰しもがじっとこらえるように見つめている。

 朝の気配が強くなる薄暗い院内。

 患者を見回りに行き「ばあちゃん、苦しくない?」と私が静かに声をかけると縮こまって横になる老婆の骨に張り付いた眉が少しだけ上がる。肺はよくない音を立てているが意識はあるようなのを確認して、それ以上は言葉を切り上げる。ばあちゃんも何も喋りはしなかった。同様に他の患者らを見回って最後に、最も苦しそうな中年の患者につく。「大丈夫ですよ……」と言いかけた自分の喉からかすれた咳がこぼれたとき、私は思ったよりも冷静であった。日が昇れば連絡を来くれるだろう若い彼のことも思い浮かべ、まだまだと唱えては、順に脳裏に患者の顔を並べる。


   五

 朝を迎え、重・軽度に分けた患者の世話をする。元から居る患者の二名は高齢で、普段付き添っている家族や介護士がそれぞれ立ち会えない為に看護師がお世話を手伝った。彼女たちは何も言わなかったが、余計に体力を必要としてしまっただろうことは否めない。その合間に昼間の看護師へ引き継ぐ準備を進める彼女らがもう少し残るといってくれる。その申し出に感謝しながらも、休めるときに休んで欲しいと頼んだ。先生こそ、といってくれる言葉を聞きすぎると、なぜだか余計に頑張りたくなってしまうから困ったものである。

 汽車や、近くの町へ出した使いを待つ間に短い仮眠をとったのだ。椅子に腰かけたまま、ここ数日のことを振り返るうち夢を見た。患者のうち誰が助かり、誰が助からぬという実に気分のよくないものである。そんな夢を見るなんて、私は命の選別を許された神にでもなったのだろうか。次の瞬間わっと、目を見開くとデスク上の天井が目に入る。看護師に呼ばれた声で反射的に目覚めた体は、大して眠っていないのに覚醒したように軽やかであった。

 診療所の玄関に数名の人だかりができていた。何事かと思って見やると、よく知る商店街の高齢者たちが体調不良を訴えていた。中には診療所前の花壇に座り込んだまま動けぬ者まで出てきている。まだ村外からの助っ人も、頼れる病院の確保もないというのにどうしたらよいだろう。蹲り家族や知人に支えられる目の前の患者らと診療所内のおよそ五名、それから家に帰した幼い兄弟二名、途端に膨張した感染に混乱した。事態に慌てるなというのは難しい。

「みんな、今、診療所の中には人をたくさんいれられない。この辺りに座れるところを作るから少し待っていてください」そう説明する流れの中で段差に蹲る老婆が自分の母親だと知った。一つ息を飲んで、言葉を続けた後に動作を止める時間はなく、看護師へすぐ指示を出さなければならなかった。

 新たに増えた患者のことを考えつつ、診療所内のソファから聞こえる寝息や咳を無意識に拾っては行き来する。不安な心と困難な状況とを一緒くたにしてはいけない。こうなってしまってもまだ間に合う。焦らず、感染を止めなくてはいけない一心で、一つひとつこなしていく。物資の底もみえているが、まだやれる、まだ手遅れにはしない。

「先生、電報です!」

 顔を上げた瞬間にこめかみの汗が滑り落ちる。よい知らせだと期待してはいけないとわかってはいたが、一抹の救いの手を求めてその知らせへ飛びつきたい気持ちが込み上げた。玄関へ急いだ自分でないような俊敏さ。起き抜けから感じていた体の軽さはこの時の為のもののようであった。期待してはいけなかったのに。

 ――汽車動カズ。病院ナシ。佐々木発熱――

 東京から届いた信号を紙へ起こしてくれたそれを凝視して何度も往復して確認する。単語のみが並ぶそれの送り主は間違いなく、昨日も患者の送り届けから物資の調達をしていた佐々木青年であっただろうが、今度こそ私は足元が崩れていくのを感じたのだ。社会的使命を果たそうとする者がどうして危険な目に合うのか、彼は知らぬ土地で一人どうするのかと増える心配の種にまた焦りは募る。私の気持ちの限界が近かった。

 いったい何が足りなかったのだろう。たくさんの交通があれば物資も滞らず、多くの患者も治療を受けられただろうか。情報の通達がよくなされて一人一人にこの大変な状況下が知られていたらもっと対策ができただろうか。資金があればすべてが上手くいっただろうか。いいや。村に取り残された我々と向こうの彼と、どの命が救われ、どの命が間に合わないだろう。私、彼、今いる患者たち、看護師たち、ばあちゃん、母親、村人。絶望的な世の中ならば、私はもてる力の最後の権利で命の選択をするかもわからない。

 私は田舎の医者である。生きる為の行動をした者を助けたい。思いを遂げて私が役目を果たせるか、正しいかどうかはわからないが、人間である故に最後に思うのはそれかもしれない。まだ枠の埋まらない申請書が白衣の内ポケットにしまってある。

                       〈終わり〉


 あとがき

 最後までお読み下さりありがとうございます。流行最中の出来事を見つめる機会を得ましたので題材に取り上げましたが、練る間は不謹慎ではないかと懸念がぬぐいきれませんでした。それでも私の目を通した現在の世の中を文章の中に映し、薄れていく記憶から書いたものではない渦中の私が創った話だということを記録するものとして残します。まだまだ知識、勉強不足で作中の医者をはじめとする登場人物の言動の違和が生じているかと思います。

 お付き合いいただき改めてお礼申し上げます。     

  坂本治さかもとはる

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窮愁の狭間で 坂本治 @skmt1215

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