おじさんは一番最初に目があった人についてくる

ちびまるフォイ

ひよこ人間たち

「サトシ、洗面所ってどこ?」

「トイレの先」

「わかった」


家に遊びに来た彼女は化粧を治したいと洗面所へ向かった。


「サトシ、ちょっとこれ汚すぎない?」


「なにが?」


「鏡の水アカすごいんだけど、これじゃ見えないじゃない」


「あぁ、そう」


「そうって……こういうの気にならないの?」

「慣れだよ慣れ」


「信じられない……」


勝手に汚れていくのに掃除をする意味がよくわからなかった。

賽の河原で石を積むようなものじゃないか。


「ちょっと出てくる」


「サトシ、どこ行くの?」


「そのへんふらつくだけだって。すぐ戻る」


「うん」


これから始まる同棲への緊張をごまかすのと、

どうして掃除しないの裁判に立たされるのを避けるため家を出た。


行くあてもなくプラプラしていると、赤信号に阻まれて横断歩道で止まった。


スマホを操作しながらふと顔を上げると道路を挟んだ向かいのおじさんと目があった。

会釈でもしようかと思ったが知り合いではないので顔を下に戻す。


信号が変わって渡り始める。

おじさんとすれ違ったとき、おじさんはUターンして俺の後ろに並んだ。


ぎょっとしたが無視して歩き続けるが、おじさんは俺の後ろをキープし続ける。


「あ、あの! なんで俺の後ろをついてくるんですか!?」


たまらず振り返っておじさんを問い詰めた。

おじさんはじっとこちらの目を見ているだけだった。


「無視しないでください! これ以上つきまとうなら警察呼びますよ!」


おじさんは答えない。

近くの交番に駆け込んだ。


「すみません! 俺の後ろに変なおじさんがついてくるんです!」


交番にいた警官は俺と目が合うと、おじさんの後ろに並んだ。


「なに遊んでるんですか! ふざけないでください!!」


おじさんも警官も黙っている。

だんだん気味悪くなってきた。


足に力を入れると全力疾走で二人を引き離した。


「はぁっ……はぁっ……どうだ……これだけ離れれば……」


どんなに遠くに引き離しても、おじさんと警官は並んだまま追いかけてくる。

隠れてもセンサーがあるかのように必ずついてくる。


「もういい加減にしてくれよ!!」


ふたたびダッシュして今度は地下鉄へと向かった。

あえて発車ぎりぎりのドアに体を突っ込む。


おじさんと警官はホームでぽかんと突っ立っていた。


「はははは! ざまあみろ! これでもう追ってこれないだろ!!」


遠ざかる二人に向かって中指を立てて挑発した。

駆け込み乗車した自分に電車内の人から視線が送られる。


「あ、すみません……あはは」


恥ずかしくなって軽く頭を下げた。

ふたたび頭を上げると、車内にいた乗客はなぜか俺の後ろに並んでいた。


「ちょ、ちょっと!? なんで並ぶんですか!?」


誰ひとりとして答えない。

何車両にも渡って続くムカデのような行列ができてしまった。


「なにかの撮影ですか!? いたずらなら止めてください!!」


電車を降りて駅員に助けを求める。

目を合わせた駅員は黙って最後尾へと並んだ。


「くそ! いったいどうなってるんだよ!!」


自分と目を合わせた人は俺の後ろに並んでしまう。

できるだけ目を合わせないように自分のつま先を見ながら歩くことに。


「うっ……や、やばい……!」


こんな状況にも関わらずお腹が痛くなってきた。

慌てて近くのトイレに向かうと、行列も男女お構いなしに同じトイレに入る。


「ちくしょう! ついてくるんじゃねぇよ!!」


ダッシュしてトイレの鍵を締めた。

なんとか個室に入るのを阻止できたが、ガラガラのトイレで俺のいる個室だけに謎の行列ができている。


個室の向こうでは「うぉっ」とか驚く人の声が聞こえる。


「はぁ……どうしよう……」


個室の中でふんばりながら考えをめぐらせた。

少なくとも、自分が目を合わせなければみんな普通に生活している。

目を合わせた途端に謎の力により俺のうしろに並ぶようになる。


まずは家に帰って鍵を締めて、行列を外に締め出す。

そのうえで警察に近所迷惑だと通報すれば、まともな警察が強制退去させてくれるだろう。


「よし。この方法しかない。家には彼女もいる。

 事情を話して彼女に警察への応対をしてもらえれば完璧だ」


ストーカーに悩んでいるとか言わせれば警察も動くだろう。

俺が応対しなければまた警官が行列のえじきになる心配はない。


トイレの個室から出ると、並んでいる行列とそれに引き寄せられて集まる人でごった返していた。


「え!? 誰!? 有名人!?」

「いや知らない」

「誰だ?」


やじうまはスマホを構えて写真を撮りまくる。

トイレの前に行列ができていたことで、個室に入っているのが芸能人だと勘違いしたんだろう。


すぐに顔を伏せたがそれが逆に身元バレをふせぐ芸能人だと思われたらしい。


「あっ! 逃げたぞ!」

「転売用のサインください!!」

「お忍びで芸能人が来てるぞーー!」


「行列だけでも邪魔なのに!! もう付いてこないでくれーー!!」


俺を付いてくる人だかりは雪だるま式に増えてゆく。

パレードのような人数がどこまでも追ってくる。


タクシーを止めると、すぐに乗り込んだ。


「俺の家まで急いでください!」


「お客さん、後ろの……」


「いいから早く!! バックミラーは見ないで!!」


「はいぃ!」


タクシーの運転手と目が合わないように顔を横に向けて叫んだ。

横の窓から見える風景を頼りに運転手に指示を出した。


家に到着するとひと安心。


「まだ追いついていないみたいだな……よかった」


俺の後ろについてまわる行列はどんなに引き離したところでGPSでもあるかのように追いついてくる。

家の前に行列ができるのも時間の問題だろう。


家に入ると、すぐに鍵を締めてチェーンをがっちりとかける。


「サトシ、おかえり。ずいぶん遅かったね。暇だったから掃除しちゃったよ」


「ストップ!!」


俺は顔を下に向けたまま、駆け寄る彼女の前に手のひらを出して制止させた。


「バカみたいな話なんだけど、信じてほしいことがある」


「……?」


俺はこれまでの経緯と、これから家の前に行列ができることを説明した。

そして、目が合わせられないことも。


「ということなんだ。信じてくれる?」


「いや……信じられないけど……」


「ダメか……そうだよな。こんな突拍子もないこと信じてもらえないよな……」


「でも、そうしてほしいって言うなら協力するよ。

 今は目を合わせなければ良いんでしょう?」


「カオリ……!!」


理解ある彼女のありがたさに顔を見たくなったが、慌てて顔を伏せた。

彼女まで俺の行列奴隷にしてしまったら頼れる人などいなくなる。


「とにかく、行列が外にできたら私が警察に通報して

 外にストーカーがいるからどうにかしてほしいと言えばいいのよね?」


「ああ、ああ! そう、そうだよ! ありがとう!!」


「サトシはとにかく落ち着いて。私はいつでも味方だから」


「ありがとう……本当にありがとう……!」


こんなにも心の支えになってくれる人がいるなんて。

ありがたさに涙が流れた。


「……ちょっと、顔洗ってくる」


涙をごまかすために顔を洗いに洗面所へ向かった。

バシャバシャと顔を水で汚れと涙を洗い流した。


タオルで顔を拭いて顔を上げると、目が合った。

遠くから彼女の声が聞こえた。




「サトシ、鏡すごくきれいになったでしょう?

 帰ってくるまでにちょっと磨いておいたのよ」



返事はなかった。



「サトシ?」



洗面所にはもう誰もいなくなっていた。

湿ったタオルが鏡の中から垂れていた。

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