最終話 辞めた日
あおいは言った。「……凛姉ちゃん、すべて正解だよ」
「──本当か」
「うん」
「そうか……」
内海は違うことを願っていた。その推理は破綻していると、否定してほしかった。そう思いながら、胸を苦しめ話していた。
「凛姉ちゃんが言ったように、私が先生を殺した」とあおいは静かに話し出した。「私にとって、先生は一番恐ろしくて、卑怯で憎い存在。お父さんたちに打ち明けようかとも思ったけど、そうしても先生は捕まるだけ。何年か刑務所に入って、またのうのうと街を歩ける。そんなの許せなかった……。私がされたことはみんなに知られ、哀れみの視線を向けられ続ける。ずっと恥ずかしい思いをし、苦しんでいかなくちゃいけない。そんなのは嫌だった……。
だから、私は自分で決着をつけたかった。これからのためにも、復讐のためにも。ここで終わらせたかった。ずっと怯えているのは嫌だ。私がされたことをみんなに知られても、私がすべてを終わらせたと思えれば、耐えられる。すぐに日常にも戻れる。でも逮捕されたら、裁判も起こり、色々掘り下げられてしまう。苦痛が続いていく……はやく終わらせたかったの……」
「けれど、罪の意識はあったんだろ……」と内海は言った。「別荘に踏み込んだとき、涙を流していた跡が色濃くあった。夜通し泣いていたんだろう? 苦痛を終わらせるためといえど、殺人にあおいが苦しまないはずはない」
「なんだ……やっぱり凛姉ちゃんには、すべてお通しか。そう、先生を殺しても、達成感なんてなかった。すっきりもしなかった。苦しむ先生を見ていると、私の中で、なにかが音を立て壊れた気がしたの。するとなんだか泣けてきた……拭っても拭っても、おさまらなかった。人を殺してしまった。私も先生と同じ、罪を犯してしまった。もう、普通の人には戻れないんだって……」
あおいは、涙声になりながら言った。瞬きをすると、一粒の涙が落ちた。
たまらなかった。あおいを想うと、目頭が熱くなってきた。唇がかすかに震えている。表情が崩れそうだった。
殺人は殺人。だがあおいの気持ちは痛いくらいわかる。まだ十代も半ばで傷つけられ、心を殺された。憎いはずだ。許せないはずだ。できることなら忘れたいはずだ。すべてをなかったことに──。しかし、それはできない。だから自分の手で下す。
人殺しという、けっして正しくない勇気を持ってしまった、あおいの気持ちがわかる。考えただけでも苦しかった。同じ女だからだろうか。あおいのことを、妹のように思っているからだろうか。
父なら、こんなときどんな言葉をかけるのだろう。
「凛姉ちゃん、これから私はどうなるの……」とあおいは言った。
内海は、子供の頃の色んな記憶を思い出していた。
あおいはまだ幼く、内海も少女だった。きょうだいのなかった内海は、あおいを妹と思い可愛がり、遊んであげた。映画館にも行った、買い物にも行った、あおいが友達と喧嘩したと悩んでいると、相談にも乗った。内海が受験で辛かったときも、凛姉ちゃんと、顔をくしゃくしゃにし、あおいは眩しく笑っていた。どれだけ勇気づけられたか。どれも暖かな思い出だ。色褪せることはなかった。
同時に、警察官になった今までの日々も思い出していた。正しいことをしたくて警察官になり、被害者に心を痛め、犯人探しに奔走した。初めて犯人を逮捕したときの、達成感は今も覚えている。武藤の叱咤も褒め言葉も、愛が詰まっていた。辛いこともあったが、それだけ充実もしていた。
しかし、あおいが殺人を犯したと気づいたときから、決めていた。
刑事としての責務を取るのか、従姉としてのあおいへの想いを取るのか。
「警察官なら、見逃すことはできない。けど私は、報告なんてしたくない。あおいは、多田野に傷つけられた自分を救おうとしたんだ。痛みがわかる。殺人という手段が間違いだなんて、軽々しく言うことなんてできない……」内海の声はかすれ、震えていた。「私はあおいのことを、家族だと思っているよ……。死んだ父や、母と同様に想っている……」
「り、凛姉ちゃん……」あおいの目から涙が溢れ、両手で口を押さえた。感情は涙となって、流れ落ちていった。
「普通の人には戻れないと、言ったよね。私もあおいの罪を被るよ。あおいだけに辛い思いはさせない、警察になんて言わない。あおいは守る。家族を、助けたいって思うのが普通だ……」
──警察として人として、たとえ間違いだったとしても。
「い、いいの、凛姉ちゃん……?」
「当たり前だ」内海は頷いた。
内海は頷いたまま、顔を上げなかった。視界が霞むと思っていたら、涙が流れていた。流れるがままに、任せておくことにした。膝においた両手を、強く握った。
「凛姉ちゃん……」
内海は顔を上げた。「……心配しないで。ちょっと涙が出ただけ。ただそれだけだから」
あおいは大粒の涙を落としながら、内海に抱きついてきた。力強く、暖かく、頼られていることがわかる。人の暖かさは、久しぶりだった。最後に触れた父の頬は、とても冷たかった。
内海も優しく抱き返した。想いを込め、あおいに伝わるように。いつまでも、あおいと抱き合い、涙を落とした。
この決断に悩み続け、罪悪感で心がすり減る思いをするかも知れない。だが逆の判断を取るほうが、いつまでも後悔し続けそうだった。これで良かったんだ。この決断で良かったんだ。このあおいの暖かさが、それを証明していた。
その日、内海は警察バッジを置いた。
祈りながら生きてきた タマ木ハマキ @ACmomoyama
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