明日見ちえりがいた夏のこと

@___123

第一話

 明日見ちえりという女の噂をご存知だろうか。あのキテレツで破天荒な女のことを、僕はよおく知っている。僕よりも学年が一つ上で、生徒会長で、背が低いくせにプライドは高くて、よく頬を膨らませて「何よ」と僕を睨みつけていた。

 彼女がいなくなって、もう一年が経つ。僕は一年生から二年生になり、彼女は大学生になった。高校生でなくなった彼女とはもうずっと連絡をとっていない。ワイシャツの袖をまくる彼女を見ることは、もうないのだ。それでも、僕は。



 どんどん日が伸びていって、朝になるのが四時ごろになった。

 埼玉の小さな小さな町で暮らしている僕たちは、いつも朝方にやってくるゴミ収集車の音で目を覚ます。平和で安全と謳っているこの町は、朝はやたらとうるさい。

「先輩、先輩ってば」

「ん」

「もう、樹貴先輩、まだ寝ぼけてるんですか?」

「寝ぼけてるよ、まだ朝の六時だもの」

 家からすぐだから、という理由で選んだ公立高校の偏差値は中の中(こんな単語あるか?)。部活でも、郊外活動でも特に目立つことなく、ごく一般の、特徴がこれと言ってない学校だ。その名も波浜高等学校。波も浜もこの町にはないけど。

 線路沿いをまっすぐ進むと見えてくるこの波浜高校にはルールがある。生徒会委員は夏休みから決まったスケジュールで学校に来て、校内の安全を確認すること。時間は早朝六時から。確認が済み次第帰っていいことになっている。

「でもこのルール、できたの去年ですよね」

 新校舎に建て替えられた職員室の前にはでかい緑色の掲示板があり、町の催し事や部活の勧誘のチラシが貼ってある。「来れ! バレーボール部!」と水色のマーカーで描かれたチラシを見ながら、僕は伏見沙希子に「うん」と言った。

「去年の生徒会長様が作られたルールだ。真っ当な高校生活を送るためには、校内の環境が良くなくてはならない。私たちが模範となり、そして規律を正し……えっと、なんだったかな」

「なんですか? その熱血マンみたいなセリフ」

「熱血生徒会長様のありがたーいお言葉だよ」

「へえー」と感心のなさそうに、伏見は僕と同じように掲示板のチラシを見た。

 僕は伏見をチラリ、と横目で見る。

 伏見沙希子は胸が大きい、と言うのはこの学校では有名である。入学式の新入生代表の言葉を読み上げたのはこいつであり、今では僕の後輩。生徒会の仲間だ。身長は僕と変わらないくらい(ムカつく)、耳の辺りで切りそろえられた短い黒髪と、それに大変似合った幼い顔立ちをしている。目がまん丸くて、薄い唇。いつも口角が上がっている、ような気がする。

「なんすかなんすか先輩」と同じ目線にいる(ムカつく)伏見が肘で僕を突いてくる。チラ見がバレた。

「なんでもねーですよ、伏見ってかわいーなと思っただけさ」

「嘘ですね」「ええ嘘ですとも」

 ヒッヒッヒ、と伏見は笑いながら「さあ早く校内見回りしましょうよ」と言った。白い膝丈のソックスを履く伏見はその場で足踏みをし始め、催促する。

「分かった、分かったよ」

 波浜高校は去年校舎が半分建て替えられた。「コ」の字に建てられいる我が校は現在「コ」の上半分が旧校舎。下半分が新校舎だ。

「どうやって建て替えたんですか?」と廊下を歩きながら伏見が聞いてくる。

「去年の夏休みにさ。インドアの部活さんたちには旧校舎に移動してもらったんだ」

「???」と伏見は混乱する。頭を大きく右に、左にを繰り返し、「えっと、じゃ私たちがいるのは新新校舎ってことですか?」

 僕と並んで歩いていた伏見は立ち止まって、両手の人差し指を床へ向け、ここ、こことポーズをとる。

「……そうだな、ここは新新校舎だ」

 まだ新しい、ほとんど傷のない床に壁。教室の扉はスライド式になり、教室が見えるように上半分は窓ガラスになっている。

「そうですか、新新校舎ですか……」

 右手を顎に添えて、伏見は何秒か目を瞑り、パッと目を開いた。

「じゃあ新校舎だったところは、今や旧校舎になったわけですね!」

「……うん、まあ、そういうこと」

 朝から元気なやつだ、と思いながら僕は伏見を置いて廊下を進む。静かさが目立つ朝の校内には、ぺたぺたと廊下を踏みつける僕の足音と、「待ってくださいよぉ」と駆け足でやってくる伏見の足音がする。

「熱血生徒会長様って、どんな人だったんですか? 歴代の委員長の写真の欄にないですよね、その人の写真」

 僕は立ち止まった。

「聞きたいか?」

「ええ、まあ」

 去年の夏、僕は明日見ちえりと時間旅行をした。

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