第2話

 土鬼神 第二話。

 

 「初めに言っておく。フィル、土鬼神は神ではない。」

 村襲撃事件のあった翌日の夜、父親はフィルを呼び寄せそう告げた。

 フィルは耳を疑った。今まで土鬼神は神だと教えられてきたのである。その教えがまさか覆されるとは思いもよらなかった。

 「だけどお父さん、土鬼神様は村を守ってくれたわ!それにお父さんだって土鬼神様を神様だって教えてくれたじゃない!」

 フィルは必死になって抵抗した。今まで教えられてきた事は全て嘘だったのか?あれほど学んだ事が全て偽りだったのか?フィルを支えている知識は今、風前の灯となりつつある。

 父親は満身創痍の体を床に横たえて、それでも声は明瞭にフィルに言った。

 「すまない、フィル。お前に本当の事を話そうか迷っていたんだが、どうやらそんな場合ではなさそうなのでね。」

 父は語る。土鬼神の真の姿を。

 「あれがいつからここにあったのかは定かではない。ただ、言い伝えによると古代の人型兵器だったらしい。太古の昔、我々よりもはるかに進んだ文明を持った人々いた。そして大きな戦争があった。彼らはその戦争で多くの仲間を失った。人を失えば当然兵力、労働力が減る。そこで彼らの持つ技術により発明されたのが、死んだ人間の記憶を人型の器に転写し、兵力、労働力を確保する事だったんだ。それが土鬼神なんだ。」

 父の言葉を聞いてもフィルはまだ信じられなかった。いや、信じたくなかった。その話を是とすると、今までフィルを支えていた何かが根底から覆されてしまうからだ。

 父親は続ける。

 「その話が本当だったとは、昨日フィルが土鬼神を目覚めさせるまで信じられなかった。何しろ檜祖父の代から土鬼神は動かなかったらしいからね。」

 フィルは耐え切れず叫んでいた。

 「いいえ、土鬼神様は神様よ!だって私たちを救ってくれたんですもの!」

 フィルは悔しかったのだ、今まで信じてきたものが根底から覆されるのが。その言葉を信じてしまったら自分は明日からどう生きていけば良いのか?フィルは本当に目の前が真っ暗になったような気がした。

 それでも父親はフィルに優しく、しかしはっきりと言う。

 「違うよ、フィル。神とは万物に宿る真理のことだよ。誰かを救ってくれたりはしない。冷徹にそこに在り、法則として存在するんだ。」

 フィルは反論しようとした。だが、理性的に反論する事は無理だった。感情の波に流されるままに、口をついて出てきた言葉は何の重さもない言葉だった。

 「でも、でも……。」

 父親の言わんとするところが分からないフィルではない。元々頭のいい子である。ただ、

感情がその言葉を認めようとはしない。フィルはいつの間にか泣いていた。涙ながらに父親に訴える。

 「どうして、どうして今まで本当のことを言ってくれなかったの?」

 父親は、それでも優しくフィルに言った。

 「言ったろう、フィル。私も言い伝えが本当だった事は昨日初めて知ったんだ。こんな事態にならなければ、お前もこんな事実は知らなくても良かったんだが……。だが、いつかは話そうと思っていた、土鬼神に纏わるひとつの言い伝えとして……。」

 フィルは涙を拭って言った。

 「お父さん、少し考える時間を下さい……。」

 父親は優しく微笑みながら言った。

 「突然の事なので納得できないかもしれないけど、落着いてゆっくり考えなさい。」

 フィルは頷いて父親の枕元を去った。

 その寄り合い所には父親のほかにも何人も怪我人が集められていた。在る者は呻き、在る者は涙を流しながら苦痛を訴えていた。フィルも怪我人の手当てをするために奔走した。

 

 

 

 イクシャータ王宮。カリアシ・ドゥル・イクシャータ王は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。まさか敵軍の進行がこれほど速いとは思ってなかったのだ。しかも、一直線に首都へ攻め込んでくると思っていたのが、近隣の村まで焼き尽くすとは……。

 「どういうつもりだ?奴らはいったい……。」

 そこへシュマッダ元帥が報告書を携えて入ってきた。

 「失礼します。我が王、イクシャータ様。ご報告があります。」

 王はシュマッダを横目で一瞬見ると、続きを促した。

 「では。偵察部隊からの報告によりますと、敵軍は物資を次々と街道都市に搬入しているようです。恐らく、物資集積所兼駐屯所としての要塞を築くものと思われます」

 王は驚いた、敵は何故そんな呑気な事をやっているのか?要塞が完成するまでこちらが攻撃しないとでも思っているのか?

 「分からん、奴ら何を考えている……?」

 王が思案をめぐらせようとしたとき、元帥が奇妙な報告をした。

 「我が王、それとひとつ妙な報告がありまして、伝令が妙なものを見たと……。」

 「妙なもの?」

 王は問い返した。その問いに元帥が続ける。

 「はい、エソン村で人型の陶器で出来た物体が敵軍を追い払ったとのことで……。」

 「ふむ……。」

 王は頷いた。元帥は報告を続ける。

 「何でも、少女がその人型の指揮をしていたとか……。」

 「少女が?」

 なんとも奇妙な報告である。だが、王は興味をそそられた。

 「伝令の兵士が村の民に聞いてみたところ、それは村の守り神らしく確か名前は『土鬼神』とか申しておりました。」

 元帥はそう告げて報告を終了した。

 王は一時苦悩を忘れて愉快そうに笑った。

 「あっはっは、その話が本当ならその村は神に守られていると言う事か。それが戦力になれば国民にこれ以上犠牲を強いる事もなく、その指揮をしていたと言う少女も美少女であれば我が軍の士気も高まるであろうに!見世物には丁度良い!面白い、その少女と連絡を取って見よ。本物なら王都まで連れてくるんだ!」

 王はそう言い放つと、それ以上何も言わずに自分の思考に没頭し始めた。元帥は、また王の気まぐれが始まったかと、やや呆れた様子で首を左右に振った。

 

 

 

 エソンの村は焼け野原となっていた。フィルはその光景を見るたび悲しくなってくる。何故戦争が起きたのか、何故隣の国同士仲良くやれないのか、何故大切に思っていたものを奪われなくてはならないのか?そんな思いもフィルにはある。だが、そんな思いはひとまず胸の奥にしまい、やるべきことをやるしかない。まずは村の復興だ。

 男たちは総出で村の復興に当たっていた。男と言っても残っているのは老人と子供ぐらいしかいない。作業が進まぬ事おびただしい。

 そこでフィルは土鬼神に手伝わせる事を思いついた。祠に行き、兄の神像に語りかける。

 「お兄ちゃん、村の人たちが困っているの。お願い、村の再建を手伝って。」

 そして杖を一振りした。

 しかし、土鬼神は一寸たりとも動かない。

 フィルはもう一度杖を振る。だが、やはり土鬼神は動かない。

 「どうして……?」

 フィルは唖然とした。昨日は動いたはずの土鬼神は沈黙を守っている。

 「お願い、動いて!」

 フィルはそう叫びながら何度も杖を振った。

 だが土鬼神は動かない。フィルは泣きそうになった。

 「動いて!でないと私も困る!」

 そう言って杖を振った刹那、轟音とともに土鬼神が動き出した。

 

 

 

 十六体の土鬼神を祠から連れ帰ってくると、村では大変な噂が流れていた。

 「敵が街道沿いの国境付近に大勢集まっているらしいぞ!」

 「王都は何をしてるんだ!我々を見捨てる気か?」

 「敵は何かを建造しているらしい。しばらくは動かないのではないか?」

 「何を言ってる、すぐ攻め込んでくるに決まってるじゃないか!」

 噂が噂を呼び、皆冷静な判断が出来なくなっていた。その場に、フィルは土鬼神を連れ、のこのこと顔を出してしまった。フィルと土鬼神を見つけた瞬間、村人たちの態度が変わった。

 「フィル様だ!」

 「神の御使いだ!」

 村人たちは口々にそう言い、フィルの前まで来ると跪いて懇願した。

 「フィル様お願いします。どうかこの村をお守りください!」

 「どうかお願いいたします!」

 フィルは正直とまどっていた、人々の態度の豹変に。今まではお譲ちゃん扱いだったのが、いきなり神の御使いなどと呼ばれるようになってしまったからだ。だがフィルは人々を落胆させないよう、精一杯努力して笑顔を作った。

 「大丈夫です、皆さん。私たちには土鬼神様がついてます。これ以上敵に蹂躙される事はありません。それより早く村を再建させましょう。土鬼神様も力をお貸しします。」

 フィルがそう言うと、人々の顔に希望の光が宿った。

 「そうだ、土鬼神様がいる!」

 「この村は安泰だ!」

 人々は口々にそう言い、村の再建のためにフィルの元を離れた。フィルは村人の後に付いて行き、何か手伝う事はないかと聞いた。だが村人の答えは誰に聞いても大体同じだった。

 「神様にこんな雑事を押し付けたら悪い。」

 それが村人たちの一致した意見だった。フィルは反論した。土鬼神に手伝ってもらわないと圧倒的に人手不足である。何をためらう必要があるのか?そう説くフィルにその集団の最年長らしき男がフィルに告げた。

 「フィル様、我々は村を守っていただければそれで良いのです。神様にこんな雑事を手伝わせたらそれこそ罰が当たる。ですからフィル様は村を守ることだけ考えていてくださ

い。」

 フィルは土鬼神への信仰がどれほど厚いかを知り、口をつぐんだ。替りに何をすべきか聞いてみた。答えはこうだった。

 「敵軍が攻めてこないように要所をお守りください。」

 フィルはしぶしぶ土鬼神を連れて、街道へ伸びている道へと向かった。すると道を登ってくる騎兵が数騎見えた。敵かと想い身構えるフィル。だが良く見ると、それは敵ではなく味方だった。それでも警戒するフィルに一騎の騎兵が近づいてきて詰問した。

 「お前が神の使いか?なるほど、命なき者を従えているな。」

 フィルは少々怒り気味に問い返した。

 「あなたは誰?何故ここに来たの?」

 「警戒を解け、我々は援軍だ。」

 男はそう前置きし、ふもとの町まで味方の騎兵一万が来ていることを告げた。

 「だが、騎兵たった一万ではあの大軍を破るのは不可能だ。王都から援軍が来るまで街道に防衛線を引くしかない。そこで近隣の自警団、労働力になりそうな者を現地調達している。お前も来い。」

 「嫌よ。」

 フィルは言った。

 「何?」

 男は不愉快な呈を示した。フィルはさらに言う。

 「私はこの村を守らなくてはならないの。あなたたちについていく事はできないわ。」

 男はますます不愉快になって言った。

 「貴様、今がどういうときか分かって言ってるのか?国土内にあんな要塞を作られたらそれこそわが国は敵の好き放題にされるぞ、この村だって危ないんだ!」

 しかしフィルは男の威勢に呑まれず、毅然として答えた。

 「この村は私が守る。敵の好きにはさせない。」

 それを聞いた男は笑い出して言った。

 「あっはっは、小娘、たった十六体の守り神だけで敵兵数万に対抗する事は無理だ!それより我が軍に手を貸せ、そのほうが利口だぞ!」

 フィルはすかさず言い返した。

 「土鬼神様ならできる。」

 男は、やれやれと言った呈でフィルに名前を問うて来た。

 「私はフィル。フィオルの妹。」

 フィルは兄の名前をわざと口にした。アバレスタ中将とか言う偉そうな人が弔問に訪れてきたぐらいだ、兄は相当出世したに違いない。軍にいるものがこの名を覚えていればもしかしたらこの村は優遇されるかもしれない。

 効果はてきめんだった。

 「フィオル殿の妹君!」

 男はそう叫ぶと馬を下りて跪いた。

 「失礼した。私の名はレオン。先の戦いでそなたの兄上に命を救われた一人である。先ほどの無礼、許されよ。」

 しめた、と想い、フィルは一気にまくし立てた。

 「怪我人がいるの。後、住むところもなくなってしまったわ。食料も。お願い、村の再建を手伝って!今動けるのはお年寄りと子供しかいないの!」

 その言葉を聞いたレオンは顎に手を当てて数瞬考えていたが、やがてフィルに向かってこう言った。

 「分かった、救援物資は何とかしよう。元々そのために来た故、異存は無い。ただ、この村は奥まったところにある。物資が届くまでかなり待つ事になるが……。」

 「そんな……。優先的に物資を送ってもらえないの?」

 フィルのその問いに返ってきた答えはこうだった。

 「我々は国民全体を守る義務がある。この村だけ特別扱いは出来ない。」

 「そんな……。」

 フィルの目論見は外れた。

 「それよりフィル殿、その守り神と一緒に我が軍にはせ参じてくれまいか?」

 「でも私は……。」

 言い返そうとして、フィルは止めた。村を守るためにはレオンについていったほうが良い様に思えたのだ。フィルは静かに頷くと、両親にいきさつを告げるためいったん寄り合い所へと向かった。

 両親は承知しなかった。女が戦場へ向かうなどもってのほかだ、フィオルを失ったように今度はフィルまで失うことになったら生きる希望がなくなってしまう、等と言った言葉でフィルを説得しようとした。だが、フィルの皆を助けたいと言う熱意に負けて、不承不承承知した。

 こうしてフィルはレオンについていく事にした。これが後に大きな過ちだったと気付くまで、それほどの時間を費やす事はなかったが。

 

 

 

 駐屯地までレオンの騎馬の後ろに乗ってゆくと、そこでは男たちの好奇の視線が待っていた。十七の少女が戦場に来ただけでなく、後ろにぞろぞろと陶器で出来た異形の人型を連れてきたからだ。フィルは噂の的だった。

 「あれが守り神とその神の御使いか。」

 「魔女ではないのか?」

 等とそれぞれが思い思いに噂する。フィルには男たちの好奇の視線が痛かった。その様子を感じ取ったのか、レオンがフィルに声をかけてきた。

 「フィル殿、どうされたか?」

 フィルは頬を赤く染め、俯き加減で呟いた。

 「恥ずかしい……。」

 するとレオンは軽く笑って思うところを述べた。

 「はは、そうであろう。うら若き乙女が来る場所ではないからな。」

 そう言われてフィルは耳まで赤くなった。

 

 

 

 「大佐殿、神の御使いをお連れいたしました。」

 レオンにそう紹介されたフィルは、やはりここでも好奇の視線を浴びせられる事となった。大佐と呼ばれた人物は胡散臭げにフィルを見て言った。

 「そなた、名はなんと申す?」

 フィルは消え入りたいような心境になり、小声で答えた。

 「フィルです……。」

 その時レオンが間に割って入った。

 「フィル殿はフィオル殿の妹君だそうです。」

 それを聞いたとたん、大佐の態度が打ち解けた様子になった。そしてその場にいる幕僚たちからざわめきが起こった。

 「そうか、あのフィオル殿の……。活躍を期待する、フィル殿。」

 大佐は感慨深げな顔でそう述べた。レオンはそっとフィルに耳打ちした。

 「大佐殿もフィオル殿に助けられたうちの一人だ。」

 大佐はそれ以上話を広げるでもなく、フィルたちは作戦本部となっている建物を辞した。レオンは先に歩きながらフィルに言った。

 「フィル殿には支援部隊の一斑をやってもらおうか。」

 「支援部隊って?」

 聞き返すフィル。

 「なに、直接戦闘をしない部隊、言ってしまえば雑用だ。」

 レオンはそう言って笑った。フィルはその言葉を聞いて少々不安になった。この人は直接戦闘に関わらない部隊は全て雑用の一言で済ませてしまうのか、と。そんなフィルの不安をよそにレオンは一人の男を呼び止めた。二言三言話すと、今度はフィルに向き直り言った。

 「フィル殿、食糧輸送係をやってはくれまいか?」

 レオンは言う。丁度輸送用馬車が足りなくなっていた事、前線の兵士に調理された食事を届けたい事、さらにはうら若き乙女が食料を運んでくる事により前線に花を添え兵士の士気を高めたい事、これらを訥々と述べた。

 フィルは三番目の理由がまるで見世物にされるようで気に入らなかったが、了承する事にした。

 

 

 

 その日の夕刻、フィルは十六台の荷車にそれぞれ土鬼神を配置し、前線へ向けて食料を運び出した。前線までは十キロほどある。土鬼神の足では二時間ほどかかる計算になる。前線まで道は一本。フィル出陣のときだった。

 フィルは杖を振りかざし、振り下ろした。土鬼神は荷車を押して歩き出す。フィルは兄の土鬼神の肩に乗っていた。

 

 

 

 フィルは警戒していたが、道中何の支障もなくあっさり目的地についてしまった。そこはくぼ地だった。左右を見回しても味方は誰もいない。森が茂っているだけだった。フィルは目的地を間違えたかと思って焦った。その時、不意に森の茂みの中から一騎の騎馬兵が現れた。

 「おーい、フィル殿!」

 遠くからフィルを呼ぶ声はレオンだった。

 「こちらだ!我々は森の中だ!」

 フィルはあわてて森へと土鬼神を走らせた。

 「遅かったではないか。何かあったのではないかと心配した。」

 レオンはそう言い、兵士たちに飯が来たぞと告げた。すると続々と人が現れ、我先に飯へとありつこうとした。一体何人いるのかとフィルが問うと、レオンは笑って答えた。

 「五百騎だ。対岸にもう五百騎いる。」

 「何故こんなところにいるの?」

 と、フィルは聞いてみた。

 「あれだけの大軍を動かすのだ、広い街道を通ってくるだろう。数の上で不利な我々は地形を利用して奇襲するしかなく、こうして待ち伏せている。」

 そうレオンは言った。フィルはその説明を受けて不安を拭う事にした。どうやらこの人も一応は軍人だったらしい。兵士たちに食料が行き届いたのを見届けると、フィルは安心して帰路についた。

 その夜、兵士に夜食を届けようとフィルが準備していると、味方の伝令が大声を上げて駐屯地に駆け込んできた。

 「敵が動いたぞ!その数およそ二万!」

 やけに少ない兵力だな、とフィルは思った。こちらには騎兵一万騎しかいないのを見抜いたか、街道に大軍を投入して身動きが出来なくなるのを嫌ったか、さもなければ二万でも勝算があると踏んだか……。そんな事を考えているうちに当番兵が来て言った。

 「今日の夜食を届けたら後は休んでいいぞ。当分飯を届ける必要がなくなった。」

 その当番兵の話では、明け方戦闘になるらしいとのことだった。フィルは最後の食事をレオンたちに運んでいった。

 

 

 

 レオン達に食事を運んでいった帰り、フィルは遠くで馬の嘶きが聞こえたような気がした。耳を澄ませて見たが、それっきり何も聞こえなかった。フィルは気のせいかと想い、再び帰路についた。

 

 

 

 翌日の明け方、フィルは誰かが叫んでいる大声で目覚めた。フィルは女だからと言う理由で屋敷の一室をあてがわれている。その部屋の窓外に見える所では伝令が騒いでいた。

 「敵軍進行停止、敵軍進行停止!」

 フィルは胸がざわついて自室から飛び出した。廊下では兵士たちが囁きあっている。何事かと問うフィルにその兵士は言った。

 「お嬢ちゃんは部屋でまだ寝てな。」

 フィルは正直むっとした。自分はもう立派に仕事をこなしている。一人前として扱われなかった事に腹を立てたのだ。フィルはその兵士に反論した。

 「私はお嬢ちゃんじゃないわ、フィルよ。何があったの?私にも教えて!」

 「だからそれを今、大佐殿に報告している最中だろうが。お嬢ちゃんは命令があるまで部屋で大人しくしてな。」

 その兵士は再びフィルの怒りを買うようなことをいった。

 「分かりました!」

 フィルは兵士にあてつけのように言って部屋に戻った。部屋に戻ったが、フィルはまだむくれていた。そこまで邪険に扱わなくてもいいだろうと思ったからだ。

 フィルはベッドに寝転がった。兵士の事は頭にきていたが、それよりも嫌な胸騒ぎが大きくなりつつあることが気になった。何か良からぬことがおきそうだ……。そんな事を考えていたが、まだ睡魔が体に残っていたためいつしか眠ってしまった。

 

 

 

 大佐は焦っていた。残りの騎兵九千を突出させ罠まで誘い込むか、それともこれは敵の罠か、判断がつかない状況だった。現在、敵は罠の一キロ手前で進軍を停止している。罠が見破られたのだろうか?

 幕僚たちの意見は慎重だった。数的にこちらが不利なので、敵が進軍してくるまで待ったほうがいいのではないかという意見が多数を占めた。大佐もその意見を承認した。

 

 

 

 変化は急激に起こった。

 「敵だー!」

 と、誰かが叫ぶ声で、フィルは自室から屋敷の外へと飛び出した。そこでフィルは目撃した。道なきはずの森から敵の騎兵約二百が現れたのを。フィルは胸騒ぎの正体を知った。敵は罠を迂回して奇襲をかけてきたのだ。

 司令部に残っている兵力は現地徴用された自警団、労働者のみ。訓練された兵士には赤子の手をひねるようなものだ。次々に切り捨てられ、敵は司令部へと迫ってくる。

 フィルは急いで土鬼神の元へ走ろうとしたが、不意に肩をつかまれ呼び止められた。

 「どこへ行くんだ!ここは危ない、子供はさっさと逃げろ!」

 声の主は先ほどのいやみな兵士だった。フィルは反論した。

 「土鬼神様なら何とかしてくれるかも知れないわ!」

 そう言って、手を振りほどいて土鬼神の元へと向かう。

 その時、一筋の矢がフィルめがけて飛んできた。

 「危ない!」

 その言葉を聞いた刹那、フィルは肉の壁に目の前を覆われていた。鈍い音がし、肉の壁に矢が刺さったようである。肉の壁はフィルの視界で人の姿へと変貌していった。それはフィルが嫌味な兵士と思った人物だった。その兵士はフィルに言った。

 「大丈夫か、お嬢ちゃん。怪我はないか?」

 フィルはその兵士を心配して言った。

 「大丈夫?しっかりして!私は大丈夫よ!」

 「そうか……、良かった。子供を死なせては兵士の名折れ、お嬢ちゃんが無事なだけでも良かった……。」

 その兵士は背中に矢をつきたてたまま意識不明に陥った。そうこう言ってる間に敵軍は司令部へと突進んで行く。フィルは涙を呑んで土鬼神の元へと走っていった。

 土鬼神の元へとついたフィルは、兄の土鬼神にお願いした、

 「お兄ちゃん、お願い皆を守って!」

 しかし土鬼神は動かない。フィルは涙ながらに訴えた。

 「お願い土鬼神様、皆を助けて!」

 しかし土鬼神は動かなかった。

 「お兄ちゃん、どうして、どうして……!」

 フィルは苦悶した。その時、一騎の兵士がフィルを襲ってきた。フィルは叫んだ。

 「嫌—!お兄ちゃん!」

 フィルの瞳から涙が一滴こぼれた。

 その時、土鬼神が動いた。轟と言う音ともに腕が相手の顎を打ち砕く。フィルは言った。

 「敵をやっつけて!」

 土鬼神はその命令に忠実だった。敵を十六体だけで蹂躙していった。

 馬の肩を殴り、乗馬している相手がバランスを崩し、落ちたところで滅多打ちにし、相手を戦闘不能にして行く。その破壊力は尋常ならざるものだった。一騎また一騎と次々に倒してゆく。土鬼神は十六体であっという間に二百騎の騎兵を倒してしまった。

 兵士の間からは歓声があがった。

 「土鬼神様!」

 「神の御使い様!」

 フィルは回りの兵士からもみくちゃにされて動けなくなった。兵士の熱狂はとどまるところを知らず、フィルは非常に困惑したが、それを見ていた幕僚たちの声で助けられた。

 「貴様らフィル殿が困惑しているではないか!控えよ!」

 その言葉でフィルを取り巻く一同は静かになった。

 「フィル殿、こちらへ。」

 幕僚の一人がフィルを呼び寄せた。そうしてフィルは司令室へと通された。そこには大佐が喜びとも苦渋とも分からない顔でフィルを見つめていた。

 「フィル殿、やはりそなたは英雄の血筋を受けているようだ。神を連れ、我が軍にはせ参じてはくれまいか?参じてくれれば少尉の待遇で扱うが。」

 大佐はそう言ったが、フィルにはそれがどれほどの待遇か分からない。だが大佐は説明する、既に一個小隊以上の活躍を示されては、土鬼神を補給兵に使うのは遺憾である。その破壊力を持って我が軍を勝利に導いてくれはしまいか、と。

 正直フィルは迷った。それが自分の村に有利に働くかどうかを。思案に暮れた挙句、フィルは質問した。

 「軍隊に入ったら私の村を助けてくれますか?」

 「どういうことかね?」

 大佐は問い返した。フィルはこれまでの経緯を説明した。大佐は顎に手を当ててしばらく考えていたが、ふと手を顎から離すと重々しく言った。

 「それがフィル殿の条件であれば。」

 要望を受け入れられてフィルは快諾した。これで村の事は一応安心である。その後は契約などの雑事に追われた。

 そして昼ごろ、敵軍撤退の報が入った。どうやら奇襲に失敗したと悟った事と、こちらの窮状が漏れていなかったらしい。見方の騎兵は続々と駐屯地に戻ってきた。その中にレオンの顔もあった。

 「フィル殿、前線司令部を守ってくれたそうで有難い。さすが神の御使い。感謝する。」

 レオンはそう言ったが、さらにフィルが少尉に任官した事を聞くと笑って答えた。

 「あっはっは、女子が任官されるなど前代未聞である。これは愉快!」

 そう言ってフィルの頭をくしゃくしゃに撫でた。

 「子ども扱いしないでよ!」

 フィルがそう怒ると、レオンは笑いながら司令部のほうへ去っていった。フィルはその手のぬくもりを懐かしく感じ、姿が見えなくなるまでレオンの背中をいつまでも見守っていた。

 

 

 

                             第二話、完。

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