センス発行所

西順

第1話 路傍の魚

 とかく現世このよは生き辛い。生き苦しくて窒息しそうだ。


 俺がこんなにも醜くもがいていると言うのに、世の有象無象は水を得た魚のようにスイスイ生きている。


 何かが違う。俺は何かが足りていない。それは生きるセンスじゃなかろうか。


 水の中で溺れないように魚にえらがあるように、人にも世を生きるセンスえらがあるのではなかろうか。そして俺はそのセンスが喪失している気がしてならない。


 どうにかならないものだろうか。


 こういった時、世の進化とは有り難く思える。


 パソコンの検索サイトに『世を生きる センス』と入力すると、一番上にこんなものが出てきた。


『センス発行所』


 このセンス発行所なる役所では、世を生きるありとあらゆるセンスが発行されていると言う。


 役所がセンスを発行していたとは驚きだが、役所ならば宣伝しておらず、世に埋もれていてもおかしくない。


 俺はサイトに書かれている住所を書き留め、早速センス発行所に赴いた。


 役所と言うだけあり、駅からバスで5分程の所にそのセンス発行所はあった。見た目は役所と言うより病院と言った印象だ。



「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」


 受付嬢がにこやかに挨拶してくれる。


 中も病院の待合室のようで、センスが欲しいのであろう有象無象でひしめき合っていた。


「あのう、ここでセンスを発行しているってサイトで見て来たんですけど」


「お客様は当センス発行所をご利用になられるのは、初めてでしょうか?」


「はい」


「でしたらこちらの用紙に必要事項を記入されましたら、三番のプレートの掛けられたドアの前でお待ち下さい」


 俺は待合室で用紙に名前や生年月日、どんなセンスが欲しいかなどのアンケートを記入すると、受付嬢にそれを渡し、三番と書かれたプレートの垂れ下がったドアの前の長椅子に腰掛けた。


 長椅子には他に何人も腰掛けており、センス発行所が盛況なのが窺い知れる。これだけの人がセンスを発行して貰い、世をスイスイ泳いでいたのだ。何のセンスも無い俺なんぞ、溺れていて当然だ。


 なんだかんだと一時間程待ちぼうけていると、三番のドアを開いて看護師のような女性が俺の名前を呼ぶ。


 ドアを潜り中に入ると、正に医者と呼ぶべき白衣の男が椅子に腰掛けていた。


「初めまして、センス発行士をしている百舌鳥もずと申します」


 センス発行士なんて職業があったのか。何でもセンス発行士は俺のようなセンスを欲する欲深に、適切なセンスを発行するのが仕事だそうだ。


「ええと、世を生きるのが辛く息苦しい。世を生きるセンスが欲しい、と」


 俺が先程受付嬢に渡したアンケートを読み上げるセンス発行士。


「はい。どうにも俺には生きるセンスが無いんです。歩くのも遅ければ、仕事をこなすのも時間が掛かる。周りの人と比べたら、兎と亀どころか、魚と海鼠なまこぐらい差が有ります」


 俺の独白を、センス発行士は「ほうほう」と頷きながら真剣に聞いてくれた。


「確かにね。いるんですよね。あなたのようにセンスを発行される前に社会に出てしまう人が」


「え? 他の人は社会に出る前にセンスを発行されるんですか?」


「そりゃあそうですよ。センスが無きゃ、どんな職業に着こうと苦労するでしょう。皆苦労はしたくないですからねえ。普通親がセンス発行を薦めるものものなんですが、あなたは残念ながらそうじゃなかったようですねえ」


 まさか親が薦める程浸透していたなんて。ウチの親は何を怠けていたんだ。


「近頃はセンス発行も低年齢化してきましてねえ。ほら、最近SNSなんかをやる子供がいるじゃないですか。あの子たちの為に親御さんがセンスを発行して貰いに親子揃ってくるんですよ」


 確かに最近SNSを見ていると低年齢化を感じる。あんな子供がどうして大人に負けない話芸や腹芸が出来るのか不思議だったが、ここでセンスを発行して貰っていたのか。


「で、あなたは世を生きるセンスが欲しい、と言う事で良いのですかね」


「はい」


 俺は力強く頷いた。


「500円になります」


 え? ああ、お金取るんだ。役所と言っても慈善事業じゃないんだなあ。まあ、500円くらいなら。


「払います」


「では帰りに受付で支払ってください」


 センス発行士は言って用紙にさらさらとサインをし、看護師のような助手にそれを手渡すと、椅子から立ち上がり、奥の部屋へと続くドアのドアノブに手を掛ける。


「こちらへ」


 ドアを開けられた奥の部屋には、人一人が横になれる、まるでCTのような機器が中央に鎮座していた。


「そこに横になって下さい」


 俺が機器に横になると、センス発行士が機器を操作する。CTのようなあの輪が俺挟んで上下に動く。なんだか変な気分だ。


「もう良いですよ」


 センス発行士に続いて元の部屋に戻ると、センス発行士は先程のスキャンで出てきた情報を吟味している。


 それが終わるとセンス発行士は用紙に何事か書き込み、それを助手に渡す。


「もう結構ですよ。受付で今回の支払いをして、センス発行証ライセンスを受け取って下さい」


 これで何が分かって、どうやったらセンス発行に繋がったのかまるで分からない。が、これで俺も世を生きるセンスが発行されたのだ。


 その日俺はセンス発行証を受付で渡され、スキップして家に帰ったのだった。



 その日からの俺は、正に鰓が生えたかのようにスイスイと生活が楽になった。


 歩くのも軽妙となり、仕事もサクサクと終わらせていく。いつもならサービス残業で居残り仕事なのに、もう三日連続で定時退社だ。


「有り難うございます!」


「いえいえ。それで今回はどのようなご用件でしょうか」


 俺は今センス発行士を前にしている。当然センスを発行して貰う為だ。


「いえね、俺は昔から漫画家になるのが夢だったんですよ。でね、漫画が上手になるセンス、なんてもの有ったりしないかなあ、と」


「有りますよ」


 おお! 有るのか!


「10万円になります」


 さ、流石に高い。しかしこれで漫画家になれるなら。


「カードって使えます?」


「ええ。では」


 センス発行士はさらさらと用紙に何なら書き込むと、俺を奥の部屋へと招き入れ、またもCTのような機器に掛けたのだった。


 どうやらこのCTのような機器が、俺にセンスを与えてくれているらしい。



 さて、10万円もの大金を支払って漫画のセンスを発行してもらった俺だが、漫画家ってどうやったらなれるんだ?


 俺はやり方が分からないので、取り敢えずSNSに描いた漫画をアップしてみた。


 おお! 流石は漫画のセンスを発行して貰った俺の漫画。俺の漫画を読んだ読者から称賛の嵐である。



 そして俺は仕事の無い休日、出版社の編集と会う算段となった。


 俺の前に現れた編集は何だか軽薄な雰囲気だったが、話せば悪い奴じゃない。彼もセンス発行所で編集のセンスを発行して貰っているとの事だった。


「先生、先生の漫画センスって、何級ですか?」


 唐突にそう聞かれたが、センスに等級があるのだろうか?


 俺は御守り代わりに肌身離さず持ち歩いているセンス発行証を見てみる。3級とあった。


「ああ、それじゃあ駄目ですね」


「駄目、ですか?」


「ええ、漫画家になれるのは1級からなんですよ。センス取り直して来て下さい」


 編集にそう突っぱねられ、俺は急いでセンス発行所に赴いた。念願の漫画家まであと一歩なのだ。これを逃す手は無い。


「100万円になります」


 ぐふう。血反吐が出そうになりながらも、俺はローンを組んで乗り越えた。


 これで俺も晴れて漫画家である。



 だが漫画家になった俺は順風満帆とはいかなかった。


 読み切りこそ好評だが、連載は続かず、短期連載と打ち切りを繰り返す毎日だ。おかしい。俺は1級の漫画センスを持っていると言うのに。


 編集にその事を相談すると、不思議そうな顔をされた。


「何言ってるんですか先生。他の漫画家も1級以上の漫画センスを持っているんですから、打ち切りも当然じゃあないですか」


 目から鱗が落ちた気持ちだ。それはそうだ。世の有象無象は皆センス発行証を持って生活しているのだ。失念していた。


「あれ? 今、1級以上って言いました?」


「あ、バレました? 実はここだけの話、1級の上に特級が有るんですよ」


 俺は直ぐ様センス発行所に赴き、特級の漫画センスを発行してくれるように懇願した。


「1000万円になります」


 気絶した。起きたら1000万円の借金を背負っていた。


 しかしそれからの漫画家人生は売れっ子街道まっしぐらで、気付けば俺は雑誌の看板作家となっていた。


 億万長者で女には不自由せず、周りからはちやほやされる。これぞ我が世の春である。



 その日は突然訪れた。


 漫画を描く最中のBGMとして、テレビを付けっぱなしにしているのだが、アナウンサーがこんな事を言いやがったのだ。


「昨日、かねてよりセンスが無いと悩む人を騙し、センス発行証なる何の効力も無い発行証を高額で売り付けていた、センス発行所が摘発されました」


 青天の霹靂である。


 アナウンサーがニュースを読み終えると、コメンテーターが半笑いで口を開く。


「センス発行所って、その名前にセンスが無いよねえ」


 慌ててセンス発行所に連絡を入れるも電話は通じず、サイトも閉じられていた。更には俺の編集とも音信不通になる始末。



 それからの俺は転落人生一直線だ。


 あれほど人気のあった俺の漫画は、あっという間に最底辺へと転がり落ち打ち切りに。


 大金が入ると見込んで建てた豪邸は、住む前に売りに出す羽目になり、女からも逃げられた。


「ああ、あなたもですか。最近多いんですよねえ。センス発行所がらみの相談」


 電話の向こうで消費者相談窓口の職員がうんざりした声を上げている。


「いや、でも、センス発行所に行ってから俺の人生鰻登りで良くなっていったんですけど?」


「いやあ、そう言われましてもねえ。プラシーボ効果って奴じゃないですか」


 そんな馬鹿な。あれだけ好転した人生が気の持ちようだっただと? ふざけている。俺はこれから何をよすがに生きていけば良いんだ。


「……まるで地獄じゃないか」


 俺は何の気なしにスマホに向かってこぼしていた。すると、


「おや? もしやお宅、ここを現世と間違えている口ですか?」


 電話の向こうからそんな返答があった。何を言っているのだこの職員は。


「いるんですよねえ。ここが余りにも現世とそっくりだからって、現世と混同しちゃう人。いいですか、あなたの住むここは地獄です。皆すべからく苦しむように出来ているんですよ」



 その後、どこをどう歩いてきたのか、俺はビルの屋上に立っていた。空気が重い。まるで水の中にいるようだ。今なら空だって泳げるんじゃないか?


 あなたがいるのは現世ですか?

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センス発行所 西順 @nisijun624

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