後 編
「健一!!」
春子は、僕の先を駆けて行く。
「春子、そんなに走るなよ。僕は今やデスクワークだぞ?」
ゼイゼイと鳴る自分の肺がうるさい。
「だって、時間になっちゃうでしょ?」
僕は腕時計を見た。
針は午後4時30分をさしている。
「もう、30分しかない」
「まだ、30分もあるよ」
僕たちの声は揃った。
息は合うが、気が合わない。
そんな関係が僕たちだ。
今も、昔も。
深緑のスカートを翻して走る春子の後ろ姿を眩しく見上げながらも、僕の胸の内は暗い気持ちに捕らわれていた。
手に持ったガラケーを強く握る。
さっきのメールは、
『春子が消えて16年後の僕』から貰ったのだ。
つまり、去年の僕。
去年の僕が、今年の僕へと伝えたかった話がギッシリと書かれていた。
詳しく説明しよう。
2003年のあの日、僕はバックレようと思ったが、やはり大好きな春子からの呼び出しに応じて体育館裏に行った。
そして、告白を受け、僕は二つ返事でOKした。
感極まった春子が僕へと飛び出して来た時、僕の目の前で春子は穴に落ちた。
今の今まで無かった、謎の穴に。
その瞬間、僕は『川上春子という存在』を忘れた。
僕だけじゃなくて、春子と関わっていた人物……春子の両親でさえ、春子の事を忘れたのだ。
そして、僕は地元の公立工業大学に進学をした。
――そして、大学進学して一年後の3月5日。
相変わらず冴えない生活をしていた僕は、何故か卒業した高校の体育館の裏に来ていたそうだ。
自分に恐怖を覚え、帰ろうとした時、春子が現れた。
一年前の制服の姿で。
その瞬間、僕は春子を思い出したそうだ。
しかし、春子の時間は穴に落ちた時の数十秒前から、止まっていて再び告白されたそうだ。
僕は、それをOKして、事情を話そうとするが、再び春子は僕に駆け寄ろうとして穴に落ちて、僕は記憶を失った。
その翌年。大学二年生。
その年も、気が付けば3月5日は、上原高校の体育館裏にいたそうだ。
同じく、春子は現れて、告白をOKし、春子は穴に落ちて、記憶を失った。
更に翌年。大学三年生。
この年の3月5日は、親族の法事で青森に居た筈なのに、気が付けば上原高校の体育館裏に居た。そして、告白されOKして、春子は穴に落ちて、記憶を失った。
信じられない話だが、春子は16年間、ずっと謎の空間に閉じ込められ、毎年3月5日の5時3分の数分前だけ、現実世界に戻れる事が出来るという……恐ろしい世界に生きていたのだ。
これは神隠し。と言ってもいいのかもしれない。
だが、去年。
僕34歳。現状と大差ないサラリーマン。
負のローテーションに異変が起きた。
春子が、体育館裏に行く前に現れたのだ。
時間にして午後4時頃。
ちょうど、一時間前に。
去年の僕は、告白を受けてOKをして、僕と同じく昔のガラケーを取り出したらしい。
春子を元へ戻す手がかりを探すために。
だが、ガラケーには何も情報も無く、とりあえず現場検証? という事で、上原高校へ行く事にしたそうだ。
念のため、去年の僕は、その時の内容をガラケーのメールに記入していたのだ。
流石、僕としか言いようがない。
上原高校へ辿り着くと、春子に異変が起きた。
体育館裏に急ぐ春子と、そこへ行くのを拒否する春子。
拒否する春子から、毎年3月5日に数分だけ、この世界に戻れる事を知ったらしい。
春子は、戦っていた。
自分で招いた呪縛に。
その時の僕は、とにかく春子を体育館裏へと連れて行かない様に抱きしめて止めていたらしい。
しかし、気が付けば5時2分。
体育館裏にいたそうだ。二人で。
春子は、泣きながら僕に告白をした。
僕はOKをする。そして、春子は消えた。
その瞬間、僕はメール送信ボタンを押して、記憶が消えた。
そして、今に至る。
情報を得た僕は、まだ自分の運命を知らない春子と上原高校への道を走っている。
きっと、高校に入れば春子は気が付く筈だ。自分の呪縛に。
それまでに、僕は考えないといけない。
春子を助ける手段を。
なぜ、同じ光景を繰り返すのか。
「は、春子! ちょっと、タンマ!!」
僕は、学校まであと数メートルという所で春子を呼び止めた。
そこは、学校最寄りのバス停で、ちょうど待合用の寂れた緑のベンチがある。
「なにー? もうちょっとだから、早く行こうよ!!」
「ダメ。おっさん、もう走れない」
僕は、ベンチにどっかりと座り、頑なに『ここから動かないぞアピール』をする。
すると、春子は渋々、坂を下り、僕の隣に座った。
「情けない!」
「30代の体力なめんな」
「……ジュース飲む?」
バス停の隣に設置してあった赤い自動販売機を指差す。
「僕が買うよ。春子はファンタ?」
「うん」
ペットボトルのファンタグレープを購入し、手渡す。
僕は、緑茶を買った。
「なあ、春子。お前さ、何か困ってない?」
「困ってるじゃん、未来に来ちゃったんだよ?」
「それも、そうだけど。それ以外に気持ちの方とか」
「別に」
「古っ、エリカ様!?」
「誰、エリカ様って?」
おっと。これは2003年後の話だった。
「……うーん。心情だと……焦りかな」
「何に対する?」
「……さっきも言ったじゃん? 私と健一、大学別々なの。健一は地元の公立大学。私は東京の私立大学……。
離れ離れになっちゃうの、凄く焦る」
「僕、電話もメールもたくさんするし、東京もここから高速バスで二時間だよ? 毎週会いに行くよ」
「健一のエッチ」
「そ、そういう事じゃないだろ!?」
「ごめん。違うの。これから、私達は違う世界で暮らしていくでしょ?
私達ってさ。小さい頃は凄く心も体も通じ合っていた気がしたの。
でも、ここ数年は家が隣同士でも、一緒の高校に居ても、凄く遠かった。遠い世界で別々に暮らしていたよね」
「……確かに、高校時代は僕と春子の接点はあんまり無かったよ。でも、それは」
恥ずかしいからで。
思春期のシャイな男子ならそういう態度とってしまう訳で。
「告白、OKしてくれて凄く嬉しい。でも、同時に凄く不安なの。私達、これから物理的にも遠くなっちゃうんだよ?
きっと、大学に入ると新しい環境に忙しくて、いっぱいいっぱいで、それで、会えなくなって……いつか終わっちゃうんじゃないかって」
そして、春子は言った。
「今が、最高の時なの。このまま、時間が止まればいいって思っているくらい」
「違う!!」
僕は、慌てて立ち上がった。勢い良すぎて、緑茶のペットボトルが転がって坂を下って行く。
「違うよ、春子。そんな事、思っちゃダメだよ!! 今が最高な訳ないだろ!?」
「でも、先走って深読みしちゃう性格だから私。そして自己完結して、次に行っちゃうんだよね」
「なんで、僕と付き合うのに、一人で考えて、一人で結論出しているんだよ!?
これからの事、勝手に悲劇にしないでよ!」
「健一」
「見ろよ!」
僕は、自分の胸を叩いた。
「春子には、僕がどう見える!?」
「おっさん」
「他には!?」
「髭の生えた、薄汚いおっさん」
「だろ!!」
「そんな、自信もって「だろ!!」って言われても」
「こんなダサい男……。
春子しか好きじゃねーよ!
春子しか愛してくれないよ!!
そして、こんな僕を何度も何度も何度も!! 好きだと言ってくれる女の子の事、一生離す訳ないだろうが!」
「健一……」
春子がゆらりと立ち上がった。
「行かなくっちゃ」
春子の目つきが変わった。
彼女の目が、学校へと向けられる。
僕は、ハッとして腕時計を見ると同時に、午後5時の帰宅のチャイムが鳴る。
「春子!?」
フラフラと、春子は導かれるように、学校への入口へ歩いて行く。
「ダメだ、春子。行っちゃダメだ!!」
###
気が付けば、風景が変わっていた。
左側は亀裂の入った白い壁。右側には緑のフェンス越しにプール。
体育館の裏にいつの間にか来ていた。
「え? ええ? 今、何時!?」
僕は、腕時計を見る。午後5時2分。
運命の、一分間。
目の前には、春子が立っていた。
その春子は、嗚咽しながら泣いていた。
「健一、……怖い。怖いよ。私、ここから出られないよぉ!!」
「春子! 不安を感じないで、楽しい未来を考えて!!」
春子は、フルフルと首を振る。
「無理、無理だよ」
その時、春子の目つきが変わった。
『健一、ごめんね。急に呼び出しちゃって』
業務的な淡々とした声色で、春子は喋り出した。
『そんなに、怯えないで。あのね、ずっと、健一に言いたかった事があるの』
――思い出した!
これは、17年前の告白の台詞。
春子は、運命に逆らえず、また同じ事を繰り返そうとしている!!
『好き。ずっと、好きだったの。付き合って下さい』
『突然ごめんね。どうしてもお別れの前にいいたくて!!』
『だって、私達……これから離れ離れになってしまうでしょ?このまま好きって言わないでサヨナラなんて……嫌だったの』
春子の目から、涙が止まらない。
もうすぐ、一分が経つ。
ダメなのか?
また、春子は消えて、僕は一歳年を取り、永遠と春子を助ける事が出来ないのか?
僕の口が、強制的に返事をしようとする。
口が『は』の形を作ろうとする。
くっそ。
僕も春子の運命に翻弄されているのか。
「は、ははははははは……」
僕の喉から、まるで笑い声の様な音が漏れる。
死んでも『はい』なんて、言うか。
「ははははははははっはっつ!!」
腕時計が、5時3分を差す。
持ちこたえろ、俺の口と喉!!
「は、ははははははっつはははっ」
――しかし僕という人間の器の小ささを思い知る。
「ははは…………、はい!!」
――終わった……。
「健一!」
春子が走ってくる。
瞬間、春子の足元が光り輝き、ぽっかりと白い穴が開いた。
「春子!!」
「健一!!」
僕は、春子の腕を掴んだ。
物凄い力が、春子を穴へと引っ張る。
「健一、もういいよ。ありがとう。
ずっと、好きだから!」
春子はもう、諦めていた。
僕は急に、悲しくなった。
彼女は、まるっきり、僕を信じていないのだ。好きだと言いながら、僕の事を全く見ていない。
気が付けば、僕の目からボロボロと涙が溢れて、雫は春子に降りかかった。
「……健一?」
「怖い、不安、だって? 僕だって、怖いんだよ。不安なんだよ!!
君は僕と離れるのが不安だって? 笑わせんなよ、僕の方が春子を失ったらダメなんだよ。17年も健一を見てきて分かんなかったのかよ!?
怖いなら、不安なら、もっと話そうよ! 僕たちに必要なのは、別れじゃなくて、話し合いだろう! だから、戻れ、戻ってくれ! 春子!!」
「……!!」
そして、腕時計は5時4分を示し『川上春子』は消えた。
###
キーンコーンカーンコーン♪
……僕は、どうして上原高校に居るんだろう?
腕時計を見る。
午後5時5分。
ぼりぼりと頭を掻き、周囲を見回した。
誰も居ない。
けれど、微かにグラウンドでカキーンと金属バットにボールの当たる音。
それと、吹奏楽部の「ルパン三世」の曲が聞こえてきた。
――もしや、酒の飲みすぎで、ここまで来た?
最近寝不足だったし……?
……帰るか。
そして、校門をくぐった時、僕はなんとも言えない寂しさを味わった。
###
僕の名前は、三沢健一。35歳。
半導体部品の開発メーカーに勤めて11年目、今年係長に昇進した若手のホープだ。
上原高校までの帰路をノロノロと歩き、両親から譲り受けた築15年の一軒家に入る。
「……ただいま」
返事は返って来ないと分かっているけど、一応小声で挨拶する。
そして自分の家なのに、ソーッと忍び足でリビングへと向かう。
薄暗い明かりが灯ったリビングへとソッと入ると、そこには母親に抱かれ、スヤスヤ眠る赤ん坊と世話に疲れ切った母親が眠っていた。
僕が帰ってきた音で母親――三沢春子はハッとし、そして拳を上げて小声で怒鳴った。
「――パパっ、何処いってたの!?」
「ごめん、ごめん。……僕にも、よく分からないんだ」
春子は、ハアッと顔を歪め、彼女の胸に収まる赤ん坊に話し掛けた。
「信じられないパパですね。ママは晩御飯を作った挙げ句、パパのアニメの録画予約もしてあげたのにねー」
「あ、新シリーズのやつ? ありがとう、春子~」
と、僕は春子の頬にキスをする。
春子は「もぉ! 誤魔化さないで」と言うが、満更でも無さそうだ。
そして、急に真顔になり、僕の顔をまじまじと見た。
「……おっさんね」
「うるせー。そんな僕におっさんずラブなのは誰だよ」
「相変わらず、寒いコト言って……。体、震えるわ」
しかし、春子はそんな寒いおっさんの頬に顔を寄せて、囁いた。
「……ありがとう。ただいま」
「何が?」
「いいのよ。……何も知らなくて」
僕は、訳が分からなかったけど……。
なんだか幸せだったから、春子と赤ん坊を優しく抱きしめたのだった。
うん。
――おかえり、春子。
ーENDー
次元を駆ける、スプリングガール! さくらみお @Yukimidaihuku
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