お菓子の時間

「イレーナお帰り! 上手に事が運んだようで……本当によかったあ~!」


「まるで問題なかったよ。フィオナさん、日に当たれて本当に嬉しそうだった。ちょっとはしゃいでたぐらいだし」


 寝る前にセットした目覚まし時計は十分に働いてくれた。目覚めたのは十五時。それから夕食のための買い物をする時間はたくさんあった。

 本当のところを言えば、今も少し眠たいけれども。明日は火曜日、一限から出席の必要があるのだから、余り昼からゆっくりとは眠っていられない。


 異端審問が滞りなく行われたことは、イレーナが手帳を用いて教えてくれた。タイムスタンプを見るに、お祈りの真っ最中だったんじゃないかと思うんだけど、よく知らせてくれたね。

 

「お腹空いたでしょ。ほら、今日は良い具合の鯛があったから、アクアパッツァにしたよ」


 買ってきたのはだいたい三十センチぐらいの鯛。鯛だけで言えばさらに半分大きいぐらいの方が美味しい。だけど、アクアパッツァにするに限れば、頭まで一緒に調理できる方が、骨から出汁が出ていい仕上がりになる。だけど、そんなに大きいのだと二人で食べきれないし……お母さんが帰ってきたら考えようかな。いつになるかわからないけど。


「えっお魚!? やった……このタイミングであえてスティバレ料理? おいしいから良いけど。はい、これ」


「ん、ん? ありがとう」


 おや。早速席について、自分の分を取り分けるのかと思いきや、イレーナは二人分のお水を入れてくれた。好物の一つである魚料理を前にして、お腹が空いているだろうに、がっつかないどころかこんな事をしてくれるなんて大人になったね。まさかそんなにお腹空いていなかったりする?

 ……そんなふうに感心してたらイレーナに睨まれた。どうして。でも、いざ取り分けたアクアパッツァを口に運んだら、表情が綻んでいた。

 

「はぁ、おいしい。ねえステファ兄、これも夕飯ローテーションに加わったりしないかな?」


「今回はたまたま手に入ったけど、ルディングだとあんまり新鮮な海産物が入ってこないからなぁ……できなくはないけど、川魚になっちゃうかも」


「う、うーん? おいしいならいいんだけど……」


「自信がないからやめておくね。ルディングの食堂には鮭が大抵はあるようだから、どうしてもお魚が恋しかったらそっちの方が良いかも」


「しょうがないね。ふっ、おいしい」


 ちょっとがっかりしたかと思えば、また魚を口に入れて、元通りに頬を綻ばせる。ご飯を食べている時の妹はやっぱり可愛い。

 

 川魚は鯉ばっかりが捕れがちなルイステンでは、やっぱり魚といえば海産物だ。鯉だって別に食べられないわけじゃないけど、淡水ゆえの寄生虫の処理だとか、そういった手間に見合う味と言えるかは……どうかなあ。たまに市場で見かける鮭なんかが手に入ればちょっとはマシなんだけど。

 けれどルディングは内陸部に入るので、そうそう海産物が手に入る環境じゃない。特にイレーナは海魚の味が大好きだし、それに勝るとまではいかなくとも、劣らないレベルさえもちょっと保てそうにない。


「そういえば、明日はエダートンさんが放課後にお祝いをするって言っていたよ」


「そうなんだ。でもなんで今日しないの?」


「これから用事があるって伝えたら延期してくれたよ」


「なんで。行くってことだけ連絡くれたらそれでよかったのに」


「ステファ兄のご飯を差し置いて行くわけないでしょ。しかも珍しくお魚。帰ってきて正解だった。ほんとおいしい。えへへ」


 イレーナ……遠慮しているんだね。フィオナさんについて興味を持っていた様子も見せていたし、折角の機会なのだから行ってきてくれてもよかったのに。

 

「ああ、晩ご飯は勝手に食べとくから、楽しんできてね」


「うーん……」


「もう。理由ならあるんだよ? 私がエダートンさんとこ行ったら、非公開の研究成果がうっかり目に入っちゃうかも知れないし。それをステラとして盗み見るような真似はしたくないの」


「ああ! なるほど。マーシアさんって、お話した感じ……ちょっと、ずぼらそうだもんね」


「私だってお菓子の空袋はさすがに片付けるよ……」


 人の研究室にお菓子のがらを散らかして帰っていたマーシアさん。この行動だけでデリカシーの度合いについては伺い知れる。そんな人が己の学習机を整えているかと言うと……微妙だ。

 イレーナはその事を気にかけていたんだね。いつかは挑発するような事を言っていたけど、実力勝負に関してはフェアに挑むつもりなんだ。……ルディングの必修単位を僕に代わりに取らせて、召喚術の勉強の時間に充てようという試みがフェアかはわからないけど。

 

「だけど、彼女たちはルディングの学費を二人だけで用意したそうだよ。すごいよね」


「あーもう。この兄はすぐこれだ。別に魔法で優れてても人ができてるってわけじゃないんだよ」


 これは僕の悪い癖だ。うっかり、これだけ素晴らしい実力を持っているのだから、人格も伴っているに違いないと思い込んでしまう。マーシアさんだって、そりゃ普段の行いは微妙かも知れないけれど、学費の工面をかつての地位相応の資産はあるであろう、子爵家であったご実家に殆ど頼らなかったんだ。その点については絶対に称賛されるべき事だと考えている。

 女装して兄が潜り込んでいる兄妹となんかでは、比べようがないぐらいに偉大なことだよね……。


 僕だって自分の年齢の割には、そこそこ広い年代の凄腕の人たちを見てきているつもりだ。……アラフォー部門ではお母さんが一番、なんて言うと世間知らず感が凄いけど。事実だから仕方がない。その僕を驚かせるぐらいには、同世代なら結構ストイックに打ち込める人でないといけない。その域に達している生徒はそうそういないはず。

 ルディングの関係者だけで言うなら、ヴァイオレット、アイラさん、フィオナさん、マーシアさん、スペイサイド先生も面倒くさがりだけどきっとそうかな……あれ? 他に知り合いいたっけ?


「今後の練習がてら、僕らも召喚獣で商売をするのもいいかも知れないね」


「開発はエダートンさんに負けじとできるつもりだけど……売れるぐらいの品質を保つなら、その都度高い触媒買わないとだよね。それじゃ儲けがでないでしょ」


「ううっ!」


 痛いところを突かれた。イレーナとマーシアさんの実力なら拮抗しているけど、僕とフィオナさんでは全くもってそうじゃない。己でもその様に認識したばかりだ。フィオナさんが組紐を編み、マーシアさんが出荷する召喚獣を作り出す。同じようなやり方は真似できようもなかった。

 

「だけど、召喚術に関する知識では、ステファ兄の方がずっと上だと思う。フィオナさん、そっちに関してはまるで素人だったし。持ち前の手先の器用さで力押ししてる感じかな。家具作って売ってた人なんでしょう?」


「そうだね。そういう意味じゃ、フィオナさんには商売の経験でも一日の長があるんだね。負けられないなぁ」


「頑張ってね。私も二人で商売するのはやぶさかじゃないし」


「わあ……! 卒業した後はそれでやっていくのも良いかも知れないね!」


 そんな未来を想うと、思わず頬が緩んでしまう。そんな僕の喜びようを見てか、恥ずかしそうにはにかむようなイレーナの表情。いつになく素直な妹のこんな顔は、近年じゃ食事中以外だとすっかり珍しい。ここ四年で一番の笑顔かも。今も食事中ではあるけど、そんな表情を見せてくれたのは話題の内容によるはずだきっと。


「召喚術の知識もあって、組紐もできる人ってそういないんだよ。その方がより適した組紐を作ってくれるだろうし。そんな人を早くから補佐に確保できるなら私は嬉しいな」


「あぁ、やっぱりそうなんだ。同じようなことをマーシアさんにも言われたかも」


「絶対! あっちには寝返らないでね!?」


「うぅわわぁっ」


 記憶を辿っていたら、くわっと目を見開いたイレーナが両肩を掴んできた。召喚術について、ここまで必死になれるということはやっぱり素晴らしい。僕も自分の専攻候補にしている製図に対して、これぐらいの意欲で取り組めるといいな。


「寝返るだなんて。召喚術のことでまさかイレーナを差し置いて、マーシアさんの手助けをしようとは思わないよ」


「やっぱり、卒業してもフィオナさんとお付き合いするのはやめて。一緒になって運命の赤い組紐を作られたら……絶対追いつけすらしなくなっちゃう」


「妙な例えはやめてよ。フィオナさんとお付き合いをする気はないから、そんな未来は来ないよ。安心して」


 フィオナさんは僕にはもったいないぐらいに素敵な人だ。もしそんな未来が本当にあるのなら、避ける理由は考えづらい……だけどそれも、ステラとして接している時間さえなければ、だ。

 仮に卒業してからであっても、僕がちゃんと男としてお付き合いをするとしたら、学生の間に女装生活をしていた事は必然的にバレてしまう。そんな負い目を残したまま、女性とお付き合いはしたくないなぁ……。

 

 この先、特定の人を作る時が来たなら、この行いを知らない人がいいな。ちゃんとステファンとして出会えた人なら問題ないだろうか。その時は、このような真似を働いていた事実は絶対に封印するんだ。イレーナにも固く口止めしておかないと。蜂蜜とかでならできたりしないかな?

 

 まあしばらくは、そんな未来は来そうにもないから安心だった。恋愛をしたくないとまでは言わないけど、それは学校を卒業してからのことだし。ステラでいる間は勉強一筋でいたい。

 

 さて。勉強といえば、ここしばらく組紐にばかり触れていたから、その他の分野がおざなりになってしまっている。それらの自習をすることで一日を過ごした。

 

 

――――――



「あっ! きたきた。おーい」


「ステラさーん。こちらです」


 授業を終えて、エントランスへ駆け足気味に向かった。椅子に腰掛けていたマーシアさんとフィオナさんが見えた。二人もこちらに気がついたのか、立ち上がってこちらに向けて手を振ってくれた。マーシアさんは大きく弧を描くように元気よく、フィオナさんは肩の高さでお淑やかに。振り方は二人で対象的だった。

 今回のお祝いのため、マーシアさんが下宿先に招いてくれていた。

 

「ごめんなさいお二人とも。お待たせしました」


「集合は十六時と伝えていたはずです。まだ回っていませんから、なんの問題もありませんよ」


「そうよ。早速お買い物行きましょう!」


「おっと待った」


「んんげえぇぇ」


 僕とフィオナさんの手を取って駆け出そうとしたマーシアさんがつんのめる。フィオナさんは勿論のこと、僕も不安に思ったから踏ん張ったからだ。

 

 フィオナさんはこれみよがしに遮光のスクロールを取り出した。案の定、そこから伸びている組紐の先端は輝いていなかった。また同じものを用意しようとするとかなりの手間だし、節約を意識してくれているようだった。

 

 だけどまたあれがなくなったら、フィオナさんは外に出ることができなくなる。また作るのは面倒なのでごめんなさい、では余りにも情けない。今回辛かったのは時間がなかったためであって、余裕を持っていいならいくらだって作ってもいいんだ。

 だけど、今度はインクだけで効果が成立させられるように製図してみたい。その方法をフィオナさんに教えてあげられれば。一番いいのは、スクロールに一生付き合うことになり得る本人が無理なく自力で描けることだからね。


 組紐に青い光を灯して、いざ市場へと向かう。夕食の準備を控えるこの時間帯は、いつも人でごった返している。到着するや否や、マーシアさんはすいすいっと進んでは、腕に提げた藁の買い物かごにひょいひょいとお菓子を入れていく。


「全く、油断も隙もありはしませんね。ステラさん、あの子に追いつきます。はぐれないよう掴まっていて下さいね」


「はっ、はい!」


 かごを提げていない側の腕で僕の腕をがっしりと抱えて、フィオナさんはずんずんとマーシアさんの方に近寄っていく。僕だって別に、この人の流れを歩くのに慣れていないわけじゃないけど、フィオナさんの足取りは力強くもスムーズだった。彼女の手がマーシアさんの肩を掴むまでそう時間はかからなかった。肩を引っ張られて、瓶を取ろうとしていたマーシアさんの手がピタリと止まる。

 

「マーシア。そろそろいい加減になさい」


「えうぅ……捕まっちゃった」


「またそんな高価な物を買おうとして!」


 ため息をつくフィオナさん。マーシアさんが買おうとしていたのはネクタール。果物をすり潰して作るジュースだった。普通のジュースとは違って、濃厚な味わいで美味しい。けれど、少々値が張るせいでなかなか既製品には手が出ない。

 それがどのくらいかと言うと……お母さんが晩酌の定番にしているワインと同じぐらい。ちなみにお母さんは、三千レジンするワインを人から貰っても「料理酒にどうだ?」だなんて言って、僕に送ってくる人だ。一口だって口にしやしない。料理に使うにしても、その三から四分の一ぐらいの値段の物で十分なのに。かといって家には他に誰も飲む人がいないから、結局は料理酒にするしかないけど。

 

「いいじゃないお祝いなんだから。それにそれに、ステラさんにも感謝の気持ちを伝えないといけないでしょう? たまには貴女も水以外の物も飲みなさいよ」


「貴女が飲みたいだけでしょうが。ステラさんが苦手としていたらどうするんですか」


「それもそうだね。ステラさん、ネクタールはいかがかしら?」


 期待と嘆願を多分に込めた瞳で、こちらを上目遣いがちに見つめてくるマーシアさん。僕より彼女のほうが背が高いので、少しかがんで違和感のある姿勢になっている。


「あー……たまに家で作って、妹と飲んだりはしますね」


「そういえばご令妹がいらっしゃるんでしたね」


「自家製だなんて素敵。だったら好みの問題はないわよね!」


「既製品よりは落ちるかも知れませんが、手作りだって十分美味しくできているつもりですよ!」


「ム~~~~~……」


 フィオナさんの顔が真っ赤になってきた。わざわざ自分から作って飲んでいる物を、嫌いというハズはないからね。ネクタールが美味しいのは勿論分かるし、フィオナさんの無駄遣いを避けたがる気持ちもわかる。今僕に出せる折衷案としては、これがベストかな。

 

「そうだ。マーシアさんのお住いにミキサーはありますか?」


「あるわ。あんまり使ってないけど、ミキサーがどうしたのかな?」


 マーシアさんは両の拳をきゅっとにぎって、上下に小さくうずうずと動かしている。さてはこの人、僕が何を言わんとしているかわかっていてとぼけているな。その様子に演技がかったものはない。今なら素直に、可愛らしい人だなと評することができる。


「だったら、今日は果物を買って、自分たちで作って飲むことにしませんか。ここまで高い物をごちそうして頂くのはちょっと気が引けますし」


「やったぁ! 果物ついでに一緒に好きなもの買ってあげる!」


「作って貰うって……感謝の気持ちがどうとかは一体どうなったのですか!?」


 果物もそんなに安いものではないけれど、ネクタールそのものを買うよりは材料を揃える方が半額ぐらいで済む。そのついでに何か買ってくれるということだったので……マーシアさんはほとんど料理をしないようで、下宿先にも調味料を置いていないそうだった。ネクタールを作るには砂糖が欠かせない。なので、市場では結局お菓子と、各人思い思いの果物。そして砂糖を買って出ることにした。

 

「あ! ちょうどいいところに」


「え、まだ食べ物を買うつもり……?」


 マーシアさんの下宿先へ向かう道の途中、急に立ち止まった彼女はパティスリーに指を向けた。お店の外観は結構おしゃれな感じで、ルディングからは若干浮いているぐらいだ。こんな所にこのようなお店があるなんて知らなかったなあ。

 最早フィオナさんは呆れて開いた口がふさがらないようだった。野外だと言うのに、動揺して素が出かけている。


「だって。好きなものを買っていいって言ったのに、ステラさんたら材料の果物と、砂糖しか買ってないもの」

 

「うーん……ステラさん、ケーキでもいいです?」


 あまりに困ることが多くて、頭が回っていない様子のフィオナさん。なんだかマーシアさんとは会ってからというものの、何かを買ってもらってばかりだね。

 結局、僕の分にはミルクレープを買ってもらった。これが美味しかったら、そのうちイレーナにもお土産を買って帰ってあげたいな。今日の帰りでは、時間帯によっては厳しいだろうか。

 

「おおお、おまっ、お待たっせしました。どどうぞこちらです」


「ありがとうございます」


「どっどうか、これからもご贔屓に!」


 ここまでのマーシアさんが買ってたお菓子以外の荷物は、フィオナさんに全てひったくられていた。その上にケーキまで運ぼうとするのは流石に危険だ。箱を水平に持たないと崩れてしまうからね。マーシアさんのお支払いを待って、ケーキは僕が受け取った。

 ところで、ケーキを渡してくれた若い男性店員の態度が若干おぼつかない。心なしか顔も赤いような……女装が疑われた訳じゃないよね? やっぱり同性の目は危険かも知れない。また来るのは、忘れられた頃にしようかな?

 

 ようやくたどり着いたマーシアさんの下宿先。こちらもヴァイオレットの今の住まいの様に、あまり使われていない別荘を借り受けて使っているようだ。

 流石に侯爵家であるラガヴーリンの別荘と比べるのは酷だけど、人が二人住まう分には十分立派な建物だった。フィオナさんは学院の研究室に寝泊まりしているようだけど、本来はこちらで暮らす体で着たのかな。入学の書類には現住所の記入が必要だから。

 なんせ、ステラ・モーレンジの現住所はラガヴーリンの別荘になっているのだから。設定に則って妹が記入して申し込んだ書類は、なんの問題もなく受理されたそうな。

 

 中に入れてもらい、生菓子は案内してもらったキッチンの冷蔵庫にしまっておいてと。……立派なキッチンだけど、台上に調味料の類いは見受けられない。戸棚の中までは確認してないけど、手の届く範囲に道具が殆どない。マーシアさんも料理はあまりしなさそうな印象だった。

 ところで、過ぎたキッチン観察はマナー違反だ。マーシアさんの研究部屋へと足を踏み入れる。案の定、思わず僕の目を引く物がそこら辺に散らばっていた。……足の踏み場を探す必要があるほどに。今よりもう一歩、足を踏み出すことは難しい。


「うわぁ~……すごい……」


「うふふ。見てもいいよ?」


「感心したって言うより呆れたんじゃないの?」


「えうぅ」


 辛辣な言葉を投げかけるフィオナさん。机や床の上に広げられた、びっしりと字や図が書き込まれているノート。部屋中に同じような冊子や用紙、参考資料などが散見される。余りにもどこにでも置いてあるので、思わず取りそうになった手を引っ込めた。申し訳のないことに……マーシアさんの勧めには従えない。手と顔をブンブンと振ってお断りした。イレーナならこの場合、きっとそうするだろうし。

 この光景を僕は間違いなく感心していたけど、一般論で言えばフィオナさんの言葉に間違いはなかった。マーシアさんも素直に受け止めて小さく唸っている。


「いえ、いーえいえいえいえいえ」


「わわわ。そんな慌ててどうしたの」


「せっかくですが、やっぱり見せて頂くことはやめておこうかと思います。良くして頂いていてなんですが、やっぱり実力で貴女に挑みたいんです」


「まあ素敵。その挑戦、受けて立つわ! 負けないからね!」


 僕が時々やってしまうように両拳を胸の前で握りながら、にっこりと微笑んでいるマーシアさん。僕としては見てみたい気持ちが一杯だったけれど、それは今後イレーナが成果を出した時、その栄光に後ろめたさを残してしまいそうだから。


「チャンプ気取りもいいけど。こんな紙の山の中でやっても格好つかないでしょうが。まずは片付けるよ。挑戦を受けるのもお祝いもその後!」


「えうぅ、全くもってそのとおりです……」


 フィオナさんに片付けられていく研究資料の山。涙を飲んでそれを見送っていく。……っと、ボーッと見ているだけではいけない。僕も手伝わなきゃ。


「私も掃除します。どこに片付けましょう?」


「ん? ステラさんは座ってお待ち下さいな。これはただマーシアの不始末を処理しているだけですから」


「えうぅ……」


 マーシアさんもしょぼくれながらではあるものの、テキパキと書類をひとまとめにしてから書架に戻していった。


「ですけど、この量のお掃除は大変では……」


「手伝ってくださってもいいんですけど。うっかり見えてしまわないですか? 資料」


「あ。……大人しくしておきます」


「ウフフッ、ウフフフフフフフフフフ」


 それを言われてしまうと仕方がない。うっかり気になるワードが目に入ったら最後、熟読を始めて掃除どころではなくなりそうだ。ここは大人しく待っておこう。

 

 二人とも片付け慣れているのか、それほど待たされることもなく部屋はまとまった。そう、一箇所にまとまった。ある程度、何かに間に合わせる為の片付け方だ。ノートを書架に入るだけ書類を詰め込んでいた。食べ物を広げるスペースを確保するだけならそれでも良いもんね。

 そういえば、研究室には食べ物に関するゴミは殆どなかった。食べながら研究をする人ではないのかも。……フィオナさんの研究室では何やらお菓子を食べていたようだけど、本当に邪魔ばかりしていたのかも? それならそれであまり感心できないことだ。

 

「ふぅー。マーシア。今後は週に一度、必ず掃除をするように」


「うえぇ。多すぎる……月に一回」


「じゃあ少なくとも、三日に一度だ。これからは点検のために都度、帰宅することにしよう」


「えなんで頻度増えたの!? 普通、十日に一度とか間隔開けていくものじゃない!?」

 

「ぐうたらが交渉しようっていう魂胆が甘いんだよ」


「えうぅ……参りました」


「あはは。そろそろ、下ごしらえをしましょうか」


 マーシアさんは肩を落として小さくなっている。それでも、女性として平均的な身長のフィオナさんよりは、ちょっとばかり背が高く見えた。僕ももうちょっとだけ身長が欲しいなぁ。

 お母さんの小人遺伝子を少しだけ恨めしく思いつつ、キッチンの方に進む。二人とも早速果物を広げて、やる気たっぷりだ。

 

「準備よしですね。ネクタール作り、始めましょう」


「んふふ、楽しみ~」


「指示には従いますから、ぜひ私達を使って下さいね。ステラさん」


「あはは、ありがとうございます。でも、皮を剥いたらそれほどやることはありませんよ」

 

 やること自体は本当に単純だ。今回は桃とリンゴとオレンジを採用した。まずはそれぞれの皮を剥く。


「やっぱりフィオナ器用ね。早ーい」


「単純作業ならお手の物です。これを機に料理を覚えても良いかも知れませんね」


 やったことがないと流石に難しいだろうに、フィオナさんはスルスルと果物の皮を剥いていった。おかげさまで早く下ごしらえが済みそうだ。果物を程よい大きさに切り分けて、桃を鍋に放り込んで砂糖と一緒に煮る。砂糖は結構入れる必要がある。使う予定の果物の重さの、少なくとも五分の一ぐらいは入れたい。

 

「そんなに砂糖を入れてしまって大丈夫なのですか?」


 どぼどぼと入れる姿を見てか、フィオナさんは流石に不安に思ったらしい。ちょっと引き気味の顔で注がれる砂糖を眺めていた。


「はい。これでも、既製品よりは控えめな甘さになりますよ。大抵のお菓子もそうです。もうちょっと甘いほうが良いですか?」


「いえ、程々で構いません……」

 

 煮込み始めるとかなり灰汁が出るのでしっかりと除去。十分弱煮るとちょっと水がくたっとしてくる。そうなったら桃を鍋から取り上げて、ミキサーに放り込む。ここに来てようやく、同じく切り分けていたリンゴとオレンジも一緒に入れる。

 十分混ぜられたら、ある程度冷まして、後は冷蔵庫で……あれ?

 

「あっ。これ、お掃除の前にやるべきでしたね……冷やす時間を忘れていました」


「あははっ。ステラさんでもうっかりすることがあるのね」

 

「冷やすなら、私にお任せ下さいな」


 フィオナさんがミキサーの中に指を向けて、緩やかに氷の光線を撃ち出した。いつか蜘蛛に向けられたものと違って、むき出しの殺意が感じられるものではなく、優しくネクタルを冷やしていく。

 

「このぐらい冷やせば大丈夫でしょうか?」


「あ」


「えっどうかしました?」


「ああいえ、そのぐらいで大丈夫ですよ。飲んじゃいましょう」


 しまった。ちょっとぼーっとしていたら、フィオナさんが不安げに赤い瞳をぱちぱちとさせていた。正直言って、ちょっと冷えすぎてしまっている……けれど、まあシャリシャリしてそれはそれでおいしいぐらいで留まっているんじゃないかな。グラスに注げる程度には液体の様相を留めている。あとは、氷を入れ……る必要はないか。小さめのグラスを三つ借りて、どろどろと注いでいく。


「ケーキも取ってきたよー、一緒に食べましょう!」

 

 マーシアさんが完成に合わせてケーキを持ってきてくれた。それぞれの分を配膳していく。……あれ? 僕の分のミルクレープにイチゴが載ってる。ケースに入ってたのは、生地とクリームだけのシンプルなケーキだったはずだけど。わざわざ指摘しに行くのも変だし、ありがたく頂いてしまおう。いざ皆でグラスを握る。

 

「ではここは、ステラさんに乾杯の音頭を取って頂きましょうか」


「えっ」


「おぉ、いいわね! なんせ、今回の一番の功労者だもの。じゃあステラさん、お願いします!」


「え~~~~……では、おほん。今後も学院で勉強が続けられる事を祝して、乾杯?」


「乾杯?」


「乾杯!」


 僕らは軽くグラスを打ち合わせた。チンと上品な音が響いた。良いグラスなのかな。

 音頭取りは失敗だったかも。いつもどおり元気良さそうなマーシアさんはともかく、フィオナさんは首をかしげながらグラスに口をつけていた。喉が一度動いた辺りから、やたらと冷や汗を流し始めている……。

 

「ぷはっ、うーん、なんかシャリシャリしてる~」


「ちょ、ちょっと冷やしすぎたのでしょうか」

 

「あはは……硬いとお思いなら、ちょっと手で温めながら飲みましょう。ケーキもあることですし、ゆっくりと」


「……そうですね。ケーキも頂いてしまいましょう」


 ちびっとだけ飲んで口を離したマーシアさん。ゆっくりと顎を動かして、咀嚼の際にはシャリシャリと音を立てていた。やっぱりちょっと冷えすぎてしまっているかも。

 だけど、いつか家で作ったネクタルよりおいしい気がする。凍結魔法を仕上げに使えたらこうなるんだろうか。二学期からはやっぱり、攻撃魔法の学習をしっかりやりだしても良いかも知れないなぁ。動機が変な気もするけど。

 このお祝いを楽しみつつ、一緒に今後の勉強についても可能性が広がったようで、とても充実した気分を味わうことができた。

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兄+妹÷2=パーフェクト女生徒の方程式 どうぞう @douzou

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