第3話

「何故だ! 何故自殺を許した!」


 報告を聞いたピエールは、額に血管を浮かばせながらそう叫んだ。


「もっ、申し訳ございません。ですが……」

「ですがもくそもあるか! 貴様は取り返しのつかない事をしたのだ!」


 ピエールはそう言うと、机にペンを叩きつけた。

 ガシャンと言う音がして、インク壺がはじけ飛び、テーブルに黒い染みを作った。


「ですが、ですが、今まであの女にそんな兆候は……」


 報告に来た男は、そう言って語尾を濁す。

 今までどれ程の拷問を行おうと、幾たびその身を汚そうとも、こちらが恐怖を抱くほどにけして希望を失わなかった少女だ、それが突如として自殺を行うなど、彼には理解が出来なかった。


「だから私は何度も注意したのだ! あの女を殺してはならぬと!」


 死したカリスマほど厄介なものはない。

 それは狂信者たちの中で、無限に神聖化されていく。

 そして、ピエールはふとした違和感に気が付いた。


「まて、報告では包帯をロープ代わりに首を吊ったとあったな?」

「はっ、はい、私もそれが疑問でして」


 ジャンヌが自殺するリスクを最小限にするためにひも状物の持ち込みは厳重にチェックしてある。

 だが、彼女の牢獄に包帯を差し入れたという報告は上がってきていない。


「だれだ? だれがあの小娘の自殺に力を貸した?」


 ピエールは再度報告書を洗い直す。

 昨日は何時もの拷問を行った後は、誰も少女の牢獄を訪れていないはずなのだ。


「だが、誰かあの小娘に包帯を差し入れたものがいる」


 ピエールは必死になって記憶を探る。


「昨日、昨日は……」


 机に視線を落とし、ブツブツとそう呟くピエールの耳に、聞きなれない声が響いて来た。


「もし」

「!?」


 ピエールはその女の声に、反射的に頭を上げる。

 彼の執務室にはいつの間にか女がひとり立っていたのだ。


「もし」

「なっ、何だ貴様! いったい、いつここに入って来た!」


 ピエールはそう叫び、椅子から立ち上がる。

 記憶に奇妙なもやがかかる、甘く、とろけるような粘つくもやが。

 自分は昨日何をした?

 この女はいったい誰だ?

 目の前の女は柔らかな微笑みを浮かべながら、ただやんわりと立っている。


「うふふふ。何か、お困りのことがあるのではないでしょうか。ピエール様」

「貴様、私の名を……」

「うふふふ。そんな事はどうでもいいではないですかピエール様」

「いっ、いや……いや、うん、そうだな」


 女の声は脳にからみつく様に染み込んで来た。

 ピエールは、魂が抜けたようにストンと椅子に腰かけた。


「うふふふ。それでいったいどうしたのですかピエール様」

「女が、あの小娘が自殺してしまい……」


 女の声に導かれるように、自分の口からするすると言葉が漏れて来る。

 ピエールは自分の置かれている境地を余すことなく漏らしてしまった。


「うふふふ。死人に口なしという言葉があるではないですか」

「だめだ、奴らはそんなものでは止まらない。私たちが殺したと言うに決まっている」


 殉教者。

 少女は死ぬことで、真に聖女となったのだ。

 その叱責はジャンヌの処理を任せられた自分にのしかかる。

 それは、順調にキャリアを重ねて来た自分にとって終わりを意味していた。


「あらあら、それは大変ですわ。

 ですが、何が大変だと言うのでしょう」


 女はそう言って小首を傾げる。


「殉教者、聖女、シンボル。反乱軍共は、敵討ちとばかりに、死力を尽くして最後の抵抗に出るだろう」

「ですから、それが何の問題で?」

「我が国も限界なのだ、これ以上の内乱は他国が付け入る隙となる。それだけでは無い、反乱軍とは言え奴らはれっきとした労働力なのだ。このままでは来年の収穫に大きな影響が出る」

「ですから、それが何の問題で?」

「国が滅びる、終わってしまう」


 ピエールはよだれを垂らしながら、うわ言のようにそう呟いた。

 女はその答えに満足した様に、満面の笑みを浮かべる。


「ですから、それが何の問題で?」

「もん……だい……」

「ええ、そうですわ」


 女はそう言って手を合わせる。


「どうせ、この国は亡びるのです。それがほんの少し早まったぐらい、何の問題がございますでしょう」

「ほろび……る」

「ええ。そうでございます。飢饉に襲われているのはこの国だけではございません。四方の国も皆同じ事。反乱の火種が自分の国に飛んでくる前に――処理するはずではございませんか?」

「だめ……だ、だめ……だ、火に……火に飲まれて……しまう」

「ええ、そうでございます。全てはもう、手遅れなのでございます」


 女はそう言って、にっこりと、ほほ笑んだ。


 ★


 ジャンヌが殺された事を知った反乱軍は、狂気に取りつかれたように反撃の狼煙をあげた。

 その勢いは凄まじく、多数の犠牲者を出しつつも、ついには王城を飲み込んだ。

 だが、それは終わりの始まりでしかなかった。

 隣国が反乱で滅びたとあっては、それを看視する訳にはいかなかった。

 周辺諸国は、反乱の火が自国へ及ぶことをおそれ、また、行きがけの駄賃に死体あさりをするために、その国へと攻め入った。


 ★


 道端には、幾人もの死体が路傍の石のように転がっていた。

 腐肉には蛆が湧き、痩せ衰えた野犬がそれをむさぼっていた。

 そんな街道を、微笑みながら歩を進める女の姿があった。

 それは、見ようによっては少女とも成熟した女性とも見える不思議な女だった。


「うふふふ。ああ、国が滅びると言うのはこう言った味ですのね」


 女はとろけるような笑みを浮かべてそう言った。

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バビロンの淫婦 まさひろ @masahiro2017

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