宝石

アリクイ

宝石

 仮にも人様の悩みに寄り添うことを仕事にしているのに、自分がこのザマではどうしようもない。デスクで頭を抱える私の口から、今日何度目かもわからない大きなため息が漏れる。

 前の職場から独立してから早くも数年。何もかも思った通りとはいかないまでも、自分のペースでのびのびと働けるこの環境をそれなりに謳歌していた。個人事業主ではなかなか稼げないと聞いていたけれど、私の場合は同業の先輩からお客さんを紹介してもらったりと色々サポートを受けられる状態だったこともあって、幸い仕事に困るような事態に陥ることは殆どなかった……つい数ヶ月までは。

 大規模な感染症の発生を理由に政府が外出の自粛を要請してから、カウンセリングの依頼はめっきり減ってしまった。余所がしているようなオンラインでのサービスも急遽用意してはみたものの、状況はあまり芳しくない。スマホの普及で常時インターネットに接続された生活が当たり前になった現代ではあるものの、客やその家族がビデオ通話のための環境を自前で用意できないケースも意外に多いのだ。


 ……先が見えない状況に不安は募るばかりだが、ずっとこうしていても仕方がない。気分転換にコーヒーでも淹れようと席を立ったその時、玄関でインターホンが鳴った。


「はーい、ちょっと待ってくださいねー」


 簡単に身だしなみを整えて玄関へと向かう。モニターを見てみると、ドアの前に立っているのは一人の女性だった。マスクを着けているため顔はよく見えないが、身に着けている服やバッグからはかなり高級感が漂っている。訪問販売や宗教勧誘の類ではなさそうだが、一体何の用事だろうか?


「あのぉ、すいません。私、芦屋という者なんですけど……」

「はい、なんでしょう?」

「そのぉ、ここなら相談に乗ってもらえると聞いて……」


 詳しく話を聞いてみると、芦屋と名乗った女性はSNSでうちの口コミを見てやってきたらしい。普段は予約制なのだが、このような状況で細かいことも言っていられない。私は女性を中に案内した。


「それで、相談したいことというのは?」

「実はつい先日、詐欺といいますか、人に騙されてしまいまして……」


 私のところを訪れるお客さんの中には、似たような悩みを打ち明けにくる方も多い。特にこの辺りは中高年の多い地方ということもあり、自身、もしくは家族が新興宗教や特殊詐欺の被害に遭ってしまったというケースが後を絶たないのだ。今回もきっと似たようなケースだろう。


「なるほど、詳しく聞かせて頂けますか?」


 私がそう促すと、女性はゆっくりと自らの身に起きたことを話し始めた……



~~~~~~~



 ある日、仕事を終えた私は公園のベンチでお酒を飲んでいました。ええと、普段はそんなことしないんですが……その時は色々とストレスが貯まっていて。私、これでもモデルをしているんです。といっても、洋服屋のチラシとかそういうちょっとした仕事ばかりで全然大したことないんですけどね。それで、もう歳も歳だしこれ以上の伸び代はないのかなとか、今後の人生のことを考えたらもう辞めた方が良いのかなとか色々考えちゃって……ごめんなさい、話が逸れました。本題に戻りますね。

 そんな風に思い悩んでいたとき、一人の男性が私に声を掛けてきたんです。最初はナンパか何かだろうし軽くあしらって終わりにするつもりでした。でも見てみると私よりも全然若いし明らかに仕事中ですって感じの雰囲気だったので、そうじゃないなってすぐに気が付いて。どうせ暇だったので、一応話だけでも聞いてみることにしたんです。

 あっ、そうだ、これ、その時に貰った名刺なんですけど……



~~~~~~~~~~~



 芦屋さんは脇に置いていたバッグに手を突っ込むと、中から名刺入れを取り出した。


「ええと、確かこの辺に……あぁ、これです」


 彼女が差し出した一枚の名刺は真っ黒な紙に銀色の文字と、一般的なビジネス用のものとは明らかに異なるデザインをしている。パッと見た感じでは、夜職の人間などが使ってそうな印象を受ける。この時点でかなりの怪しさを感じながらも、私は印字された文面に目を通した。


『あなたの美、買い取ります』

有限会社 デビルアイ

営業部 神﨑邦弘


 今まで三十年近く生きてきたが、デビルアイという社名は聞いたこともない。彼女の言葉を信じるのなら詐欺紛いのことをしているのだから、当然といえば当然なのだろうが。恐らくこの会社自体は存在しないか、あるいは詐欺行為の隠れ蓑として作られたペーパーカンパニーといったところだろう。


「これを見たとき、怪しいとは思ったんです。でも……」


 芦屋さんは悲しそうな表情を浮かべる。まぁ彼女には彼女なりに何か事情があって、神崎という男を信じるに至ったのだろう。先ほど仕事のことで悩んでるなどという話も出ていたし、そういった心の隙間を巧みに突かれてしまったといったところか。いずれにせよ、これ以上は彼女の口から語られるのを待つしかない。話を続けるように私が促すと、芦屋さんは再び口を開いた。



~~~~~~~~~~~~~



 会話を始めて早々、彼はこう言ったんです。もしかしてお仕事のことで何かお悩みではないですか、って。私、それを聞いて驚きました。先程も言った通り、もう芽が出ないであろうモデル業を続けるべきかどうか悩んでいるところだったので……それで、そのことを彼にも打ち明けたんです。すると彼は、私にこう言いました。「そういうことでしたら、うちでバイトをしてみませんか?」って。聞いてみると、安定してそれなりに稼げるということだったので……半信半疑ながら、試しにやってみることにしたんです。それがまさかこんなことになってしまうなんて……



~~~~~~~~~~~~~~



「それで、そのバイトというのは?」

「ええと……それなんですけど、言ったところで信じて貰えるかどうか……」


 そう言うと彼女は難しそうな顔で俯いてしまう。様子を見るに、一般的な詐欺や怪しいスカウトの類いとはまた違った何かだったということだろうか?


「芦屋さん、安心してください。私の仕事は話を聞くことですから。どんな内容でも遠慮なく打ち明けてくださって大丈夫ですよ」


 もちろん話したくなければ別ですが、と付け加える。


「ありがとうございます……そのバイトというのは"宝石を作る"というものだったんですけど……」

「宝石を?」


 人工的に作られた宝石というと、合成ダイヤのようなもののことだろうか?あるいは、ガラスなどを使ったイミテーションの類?いずれにしても、道端でわざわざスカウトしてやらせるような仕事ではないような……私が疑問を口にすると、芦屋さんは首を横に振った。


「いえ、そういうのじゃないんです。なんというか、特殊な作り方で……だから信じてもらえるかわからないと思ったんです、私」

「特殊な作り方、というと?」

「ええと、それでは初めてバイトに行った日の事から話しますね」



~~~~~~~~~~~~~



 神﨑さんに声を掛けられた日から一週間くらい経った頃でしょうか、私はその名刺に書かれた住所の場所に足を運びました。デビルアイの事務所は小さな雑居ビルの片隅に構えられていて、確か中には彼を含めて三、四人の従業員がいたと思います。そして中の応接室、というか来客用スペースに通された私は、そこで初めてバイトについて詳しい話を聞いたんです。

 神崎さんに代わって業務の説明を担当していた男性、名前はええっと……すみません、ちょっと思い出せないんですけど、とにかくその方の説明はなんだか要領を得ないものでした。このバイトは本当に他より稼げるだとか、あの有名女優も過去にここでバイトをしていたことがあるだとか、そんな話が30分ほど続いて……休日だったとはいえ私もそんな話を聞きに来たわけではありませんから、いい加減具体的な話をしてくださいってお願いして、それでようやくちゃんとした説明が始まるような始末でした。

 それで肝心の内容なんですが、さっきもお話しした通り宝石を作るというものでした。ただ、なんと言ったら良いか……そうだ、口で言うよりは見てもらった方が早いですね。 



~~~~~~~~~~~~~



 芦谷さんは再びバッグに手を入れると、今度は香水瓶のような小さいピンク色の容器を取り出した。


「ええと、これは?」

「"宝石の素"です」

「宝石の……素?」

「はい。デビルアイの社員がそう呼んでいただけで、本当はちゃんとした名前があるのかもしれませんが……」


 そこまで聞いて、彼女がどのような目に遭ったのかなんとなく見当がついた。私の勘があっていれば、この"宝石の素"とやらを高値で売りつけられたのだろう。ここまで突飛な内容のものは聞いたことがないけれど、儲け話を目の前にぶら下げてモノを買わせるタイプの詐欺と考えれば合点がいく。しかし、直後に起きた出来事は私の想像を覆すことになる。


「それでこの素なんですけど、こうやって使うんです」


 芦谷さんはこちらに手を差し出すと、容器の液体を自らの手の甲に垂らした。するとその瞬間、じゅうぅ、という肉が焼けるような音と共に、液体が触れた部分の皮膚から煙のようなものが漂った。


「ち、ちょっと!?大丈夫ですか!?」


 思わず叫び声が出てしまった私の前で、芦谷さんは平然とした表情を浮かべている。


「最初はびっくりしますよね。私もそうでした」


 でも大丈夫ですよ、全く痛かったり熱かったりはしませんから。と彼女は続けた。


「ほら、見てください。こんな風に肌の一部が変化して宝石になるんですよ」

「こ、こんなことって……」


 煙を吐いていた彼女の肌は徐々に硬質化し、透き通った輝きを帯びつつ液体の触れていなかった部分から分離していく。彼女の肉体の変化が完全に収まると、その腕に埋まるような形で小さな一粒の石が出来上がっていた。


「信じられませんよね。でも、これが事実なんです」


 そう言いながら、芦谷さんは腕に嵌った宝石を指で摘み取る。石のあった場所にはぽっかりと空いた窪みだけが残った。


「こうやって作った石を、彼らは高値で買い取ってくれました。これでだいたい何万円かになるはずです。顔や胸元の皮膚ならもっと良いものができるんですけど」

「…………」


 人体がこんな風になるなんて、普通に考えてありえないけど、今私は実際にその光景に立ち会っていた。そう、本当に起きた出来事なのだ。常識が目の前で崩壊する様を見てしまった私は、ただただ茫然としてしまう。

 ……いけない、私の仕事はあくまで話を聞くこと。この現象がどんな理屈で引き起こされたものだとしても、することに代わりはないのだから。


「なんとなく内容は分かりました。それで、騙されたというのは?」


 効果のないものを売りつけられた訳でもなく実際に宝石の買取も行われていたというのであれば、バイト自体は成立していたということになる。にも関わらず被害に遭ったというのであれば、他に何か問題があったはずだ。


「そうですね、そろそろ本題の方に入りましょうか……」



~~~~~~~~~~~~~



 デビルアイの事務所で初めて宝石の素を試した時、私もあなたと同じように驚きました。こんなこと、今まで生きてて一度も経験したことがありませんでしたから。でもそれと同時に「これだ」とも思ったんです。普通のバイトと違ってこれならすぐにお金になるし、今の仕事を続けながらでもやれるんじゃないかって。それで、私はこのバイトを始めたんです。誰にでもできて、尚且つ高収入。最高の仕事だと思っていましたが、暫く経ってひとつ問題があることに気が付きました。宝石を生み出したときに出来た穴が、いつまで経っても塞がらないんです。

 私はこのことを神崎さんに相談しました。こうなるなんて聞かされていなかったし、仕事柄このまま体に跡が残ったままでは困ります、と。すると、彼からひとつ提案がありました。


『でしたら穴を塞ぐ薬をご用意しましょう。ただ、こちらについては少しばかりお金を頂きますが……』


 あちらの説明不足が原因なのにお金を取れれるのは少し納得がいきませんでしたが、通常の価格よりも安く売ってくださるということだったので私は提案を飲むことにしました。それでも瓶一本で10万円近くしたのは驚きましたけどね。

 それからは、宝石の素と購入した薬を併用しながらバイトをするようになりました。石を売って、そのお金の一部で薬を買って、また石を売る……最初はかなり大きいと感じた薬の出費も稼げる額を考えれば微々たるもので、これほど美味しい仕事は他にないだろうなと思っていました。つい先日までは。


 ちょうど一週間ほど前、私はデビルアイの事務所に薬を買いに行っていました。普段はなくなる前に買い足すようにしていたんですが、その日はうっかりしていて薬がない状態で石を作ってしまったんです。薬を買うようになってからはすぐに治せるからと一度に沢山の石を作っていたということもあり、全身には幾つもの穴が空いたまま。なんとか厚着をして隠しましたが……。

 それで、なんとか事務所についた私は神崎さんに薬の購入をお願いしました。いつものように事務所の奥から瓶を持って現れる彼を見て私は安堵しましたが、その日はなんだかいつもと様子が違ったんです。曰く、薬の原材料が高騰していて価格を上げなければならないのだとか。それで提示された金額が、今までが割引価格だったことを差し引いても明らかに桁違いで……



~~~~~~~~



 芦屋さんは、そこまで話すと頭を抱えてしまった。


「石を売ってできたお金も値上がり前の薬代だけ残して使ってしまっていたので、とても支払いなんかできなくて、私……」

「ええと、このことは警察には?」

「明らかに法外な値段だと思って相談はしました。でもなかなか取り合って貰えなくて……」


 これ以上、掛ける言葉が見当たらなかった。彼女の言葉に嘘偽りがないのだとすれば衣服の下はどうなっているか、想像に難くない。甘い話に易々と飛びついた報いだと言ってしまえばそれまでだろうけど、仮にも同じ女性として彼女の置かれた状況にはどうしても同情してしまう。私にできることが何もないであろうという事実がなんとも歯痒い。


「話してくださってありがとうございます。あまりお力にはなれなさそうで申し訳ないのですが……」

「いえ、こうして吐き出せただけでも十分です、それに……」

「それに?」


  こちらに向けられた彼女の目が、不気味に笑った。



「先生はお綺麗ですし、良い石がたくさん取れそうですから」



 ばしゃり、と冷たい液体の感触が私の顔を包んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宝石 アリクイ @black_arikui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る