6. 折れた割り箸
辺りに散乱したゴミをやはり僕一人で片づけて、改めて話の続きを聞くことになった。僕は自分の席に座り、会長は前の机に腰かける。僕の視線上には太ももがきていて、結構惜しい状況だ。
会長は机に手を置いて仕切りなおした。
「私が楊枝に着目した経緯から話そうか。割り箸が目的でないことまでは説明したね。それなら、他のメリットを考えればいい。市販品の割り箸なら素冠だが、君の割り箸はコンビニ産だった」
コンビニで貰う割り箸はフィルムで梱包されていて、爪楊枝が入っていることも多い。僕のストックしていた割り箸も、例外じゃなかった。
「フィルムは活用が難しい。だから、その割り箸には爪楊枝も封入されていたと予想したんだ。楊枝なら使い道は豊富だ。歯間掃除以外にもフルーツに刺したり、隙間を掃除したり、変わったところでは、ネイルアートだってできる」
会長があげた活用法はどれも学校内で可能な範囲だ。柏木さんが楊枝で歯間掃除するのは、想像したいような、したくないような複雑なところだ。
「それから、放課後の柏木くんの言動だ。『大丈夫だったよ』。それから『予定があったから。急いでるんだ、またね』。……本当は予定じゃなくて、用事だったんじゃないか?『大丈夫だったよ。用事があったから』。それと、『急いでるんだ、またね』」
「!」
脳に電流が走り、記憶が鮮明に蘇ってくる。
「そうだ!あのとき彼女は『楊枝があったから』と言っていたんだ!」
「君はセンテンスの区切りを間違えたんだ。『ヨウジ』は急ぎの予定でなく、大丈夫だった理由の方だったんだよ。単純な話なのに君は失敗への動顛から、勘違いしてしまったんだね」
憐れむように言って、会長は組んだ足を直した。もう話は終わりだという雰囲気だけど、僕は一つだけ、納得できないことがあった。
「ちょっと待って下さい。まだ半分です。『折れた割り箸でも良かった理由』は分かりました。それなら、『折れた割り箸の方が良かった理由』は何ですか」
その問いも予想していたのだろう。会長の口は淀みなく動く。
「それは君のためさ。爪楊枝だけ使うにしても、梱包フィルムを開ける必要がある。だから柏木くんは元々、余った割り箸も自分が貰うつもりだったんだろう」
「そうか。柏木さんはそれを遠慮したんですね」
「その点、折れた割り箸ならあと腐れがなくてすむ。元々使い道がない割り箸なら、爪楊枝だけ取り出してゴミ箱に捨てても、君に不利益はない」
折れた割り箸と無傷の割り箸。どちらでもよい使い道だったから、彼女は折れた割り箸を選んだんだ。僕に割り箸を残すために。
僕は額を抑えて溜息をつく。
「結局この事件は、彼女の気遣いと合理性によって生まれた喜劇だったんですね」
「君のおふざけと不注意が生んだ悲劇だよ。解決に無駄な時間を費やした」
「……でも、どうして柏木さんは楊枝を手に入れたかったんですかね」
たしかに会長の挙げた楊枝の使い道はどれもあり得そうだ。けれど、わざわざ僕に割り箸をねだってまで、必要だったとは思えない。例えば隙間掃除ならシャープペンシルで事足りる。歯間掃除は今日だけするのも変だし、何より柏木さんに似合わない。となると……
「君は何に楊枝を使ったと思う?」
「お弁当の品に刺す、とかですかね。他は代用できる気がします」
「私も同感だ。その上で、彼女の一日のストーリーを考えてみようか。まず彼女はあの日、お弁当を手作りした可能性が高い」
「え?どうしてですか」
「君に割り箸を貰いに来たのが2時限目終わりだったからだよ。昼食に楊枝が必要だと気づけたのは、学校でお弁当箱を開いたか、自分で作ったかの二択だ」
「タイミング的にお弁当を開いた可能性は低そうですね。なら、柏木さんの手作り弁当か……」
柏木さんの手作り弁当。なんて素敵な響きなんだろう。語感だけでも、美味しいことが確定している。
「話は変わるけれど、柏木くんの投稿を集めて君に共有したよね」
「はい。とても素晴らしい写真で……まさか、あれも推論の材料ですか?」
「いや。あれは只のベストショットだ」
「さいですか!」
「しかし投稿全体を見てみると、彼女は甘いもの特にフルーツが好物らしい。それを踏まえて彼女のお弁当には、フルーツとたれ付きのおかずが入っていたと予想するよ」
「たれ付きのおかずって、ケチャップハンバーグとか肉団子ですか」
それって冷凍食品じゃ……いやいや、柏木さんの手作りならレンチンさえも立派な調理だ。うん。
「たれの着いた箸でフルーツを食べたら、味が損なわれるからね。なのに今日の手作り弁当ではフルーツに楊枝を刺し忘れてしまったんだろう。彼女は家を出てからそれに気づいて、やむなく君に楊枝を借りたんだよ」
ほっと、息をつく。会長の推論は理路整然としていた。僕はそうに違いないですと、会長を賞賛するつもりだった。でも何故か、そうできない。この推論には何か抜け落ちている部分があるからだ。会長と視線を交わす。その瞳は落ち着いていて、僕を試すかのようだった。僕は確信する。
「まだです。まだこの推論は不十分だ。そうでしょう」
「ほう、面白い。言ってみなさい」
促されて、ただ思考のまま言葉を吐き始める。自分の推論がどこへ行くのか見当もつかないまま。
「彼女は誰かと食事をする予定がありました。場所は少なくともこの教室以外です。さらに今日の彼女はお弁当を手作りした。この2つは偶然でしょうか」
「続けて」
「いくら彼女がフルーツ好きとはいえ、わざわざ爪楊枝を貰ってまでおかずのたれを気にするでしょうか。もし気にしたならそれは、自分が食べるわけじゃないから。つまり、誰かに食べさせたからじゃないですか」
僕はやっと、自分のたどり着く恐ろしい結論に気づく。それでも高ぶった感情の波は止めることはできない。
「これは爪楊枝の利点でもある。一人で食べるなら、割り箸と箸で使い分けても良かった。でも他人の口に運ぶなら、小さい楊枝の方が適しています。分かりますか?あーんですよ、あーん!彼女は誰かとイチャイチャするために、僕に割り箸を貰ったんですよ!」
最後の方は殆ど絶叫だった。誰か寄ってくるのではないかと危惧したけれど、僕の渾身の叫びも、運動部の声だしにかき消されたみたいだ。
ほとほと情けない気分になって僕は項垂れた。流石に不憫に思ったのか、会長の声色は珍しく優しさを帯びる。
「まあそう落ち込むことはない。私たちが証明したのは彼女が楊枝を取り出したということまでだ。恋人云々なんてのは、悪い想像でしかない」
「止めてください。半端な慰めが一番傷つくんです」
椅子に寄りかかり、天井を見上げる。腹痛から始まって、この仕打ちか。今日は本当に不憫な1日だ。
「どうせ僕は、端役だったってことですよ」
柏木さんと、どうにかなれる立ち位置じゃない。それは十分理解しているつもりだった。あれだけ器量がよくて、恋人がいない方がおかしいとも分かっていた。しかし小道具として利用されたのでは、あまりに惨めじゃないか。
僕の自嘲を嫌うように、会長はやれやれと床へ降りた。僕の机へ手を伸ばして、残っていた無傷の割り箸を取り出す。そして、僕に先端を差し出すように割り箸の頭を持ち、諭す口調で提案をする。
「賭けをしないか。私と君で割り箸の両端を持つ。そして掛け声を合図に、割り箸を上か下に引っ張るんだ。二人の引っ張る方向が違えば割り箸は折れるだろう。そのときは推論を妄想として否定してくれ。引っ張る方向が同じなら割り箸は折れない。そのときは推論を信じるなり、君の好きにすればいいさ」
僕はこれに賛成した。立ち上がって、割り箸の先を持つ。この賭けの勝敗が、事実に影響することはない。けれど、推論の真偽を運に委ねるという一種の諦めが、暗雲とした気分をいくらか晴らした。
上だ。僕は上へ腕を振る。会長がどうするかは分からないけれど、どちらの結果になっても素直に受け入れられる気がした。自分の意思決定でないからこそ、かえって前向きに従うことができる。割り箸が折れなければ、推論を事実と認める。もしも折れたときは、結論を保留する。そして明日の朝、柏木さんに真相を聞こう。
会長と目線が合う。僕は頷く。いよいよ、合図がなされた。
「せーのっ」
暗い教室に、割り箸が高く上がった。僕らはそのまましばし硬直する。割り箸は折れなかった。つまり、推論は正解になった。柏木さんは恋人とお昼を食べたのだ。
がっくりと席に落ちて机に伏せこむ。状況は賭けの前に戻っただけだ。それなのに落ち込んでしまうのは、僕が何処かで推論の否定を期待していたからだろう。覚悟なんてできてなかったじゃないか。自分の未練がましさがほとほと嫌になる。
「とうっ」
耳元で、ぽきっと軽い音がした。林道で小枝を踏んだ時のような乾いた音だ。顔を上げると、やはり意地の悪い笑みの会長が割り箸を握っていた。僕の視線はその割り箸に釘付けになる。
それは真ん中ではっきりと折れていた。さっきの音は、会長が割り箸を折った音だったのだ。
「見ろ。この通り割り箸は折れたぞ。さて、この場合君はどうする決まりだったかな」
それきり沈黙して、僕の言葉を待つ。ああ、この人には本当に適わない。割り箸が折れてしまっては、僕の選択肢は一つしかないじゃないか。
「推論はただの妄想でした。事実は明日、柏木さんの口から聞きます」
僕は努めて神妙に言った。それが滑稽に映ったのか、あるいは自分の茶番に耐えかねたのか、会長は声を上げて笑う。彼女の屈託のない笑い声を、僕は久しぶりに聞いた。それを見ていると、さっきまでの憂鬱が馬鹿馬鹿しくなって、僕もたまらず笑いだす。
割り箸は折れた。不憫な1日だったかの判断は、明日への持ち越しにしよう。
(了)
折れた割り箸 むち @mitilate
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