「天空の要塞」 バルカ戦記 第4部  勝利の報酬




  

  第一一章 壁を越えて、再び


 一


 プレトリア星系における艦隊決戦の悲劇的結末の詳細は、同星域に派遣された連絡艦隊に収容された敗残艦艇によりウラル星系攻略艦隊にもたらされた。

 

 艦隊決戦の敗北により宙域権を奪取されたプレトリア星系占領部隊は早々に星系を放棄し、ウラル星系に次々と逃げ込んできていた。


 カザフ星系からも離脱に成功した地上部隊もウラル星系に流れ込んできていたが、その数は多くはなかった。


 カザフ星系派遣艦隊はなすすべもなく、優勢なるバルカ同盟軍艦隊の奇襲を受け壊滅していたのだ。


 相次ぐ悲報にウラル星系攻略艦隊には敗北の重い空気が漂い、誰もが次ぎにくるであろう自分達の運命を噛みしめていた。


 カイトウはこの悲報を黙って受け取り、その心情を誰にも語ろうとはしなかった。


 現在の戦況の困難さと、そして次にくるものをカイトウは誰よりも正確に理解していた。

 それ故に、カイトウは誰からの質問にも不機嫌そうな素振りで沈黙の答えを返すだけであった。


そして、その任務を半ば放棄していた。

 作戦会議の場において発言を求められても困惑した笑みを返すだけであり、物憂げで気怠そうな態度を見せていた。


「情報参謀。何か策はないのか?」

 コリンズ中佐の苛立たしげな言葉にも、カイトウはその悪癖である少し人を見下げた冷たい眼差しを向けただけであった。


「この情勢を、情報参謀はどう分析しているのか?」

「困難な状況です」

 気まずい雰囲気を取りなすヤハギ参謀長の言葉にも、カイトウはつれない返事を返しただけであった。


「現在が極めて困難な状況であることは、貴官に改めて指摘されなくてわかっておる」

 この危機的状況に絶望しているのか。

ヤハギ大佐は、コリンズ中佐の非難の言葉に子供のように唇をとがらせたカイトウの青白い頬と気難しげに歪めたその眉を見ていた。


「奇襲迎撃戦を行うしかありません」

 プレトリアでの敗報の詳細に接した直後のことであった。参謀長室を訪れたカイトウは、そうヤハギ大佐に意見具申をしていた。


「プレトリアでの大勝の余勢を駆った敵艦隊が、戦力の再編成と集中を怠り、敗走する味方艦隊の追撃を行ってウラル星系に侵入してくる可能性があります。敵艦隊は我が艦隊の迎撃を予想していないでしょう。効果的迎撃戦を行うことができるかもせれません。敵侵入艦隊の撃破に成功したならば、プレトリア星系周辺宙域を突破しインディラ要塞に帰還できる可能性があります」


「しかし、敵艦隊はそのような愚かなことを行うだろうか?」

 ヤハギの危惧に、カイトウは皮肉に唇を歪めた。


「プレトリアで、彼らが見せたその戦略と戦術は敵ながら見事なものでした。その実績と能力からして、彼らが戦力を分断しうかつな進攻してくるとは思われません。しかし、彼らがその過ちを起こさないとも限らないのです」


 そして、フッ吐息をつき、その頬を緩めた。

「我々は愚かなことを行ってしまいました。今は彼らが戦勝に驕り、作戦的に過ちを犯すことを期待するだけです。そして、私たちはその彼らの僅かな誤りも見逃さずその機会を生かすための万全の備えをする必要があります」


 人恋しげで寂しげな笑みをカイトウは見せて、自嘲気味に言葉を続けた。

「彼らがこの誤りを犯さない限り、我が艦隊は敵中に孤立し包囲されることになります。そして、その包囲からの脱出は困難なことでしょう」

 醒めた口調で、カイトウはそう口にしていた。


カイトウのこの淡い期待も虚しく、バルカ同盟軍は拙速の愚は犯さず敗退するティロニア連邦軍艦隊に対する無謀な追撃戦は行わなかった。


 第七艦隊以下のウラル星系攻略艦隊は、迎撃体制を解除し敗残艦艇の収容後、ウラル星系の奥深くにその身を潜めたのであった。


 カイトウも口を閉ざしたまま、情報課の自席も不在がちにして、ただイデ二曹にだけ私的任務を命じていた。




 カイトウ少佐はこんな人であったのだろうかと、ドイ中尉は訝しんでいた。


 主力艦隊決戦の敗北により、プレトリア星系はバルカ同盟軍に奪還されていた。


 カザフ星系攻略艦隊は壊滅し、後背宙域のアレウト要塞戦線のガンベル要塞は未だバルカ同盟軍の手中にあり、第七艦隊が率いるウラル星系攻略艦隊は敵中に孤立している。


 補給線と情報連絡線を絶たれ、四倍以上の圧倒的戦力の敵艦隊に包囲された艦隊の運命は、風前の灯火ともいえる状態であった。


 この絶対的な危機の下において、全艦隊将兵の注目はインディラ要塞攻略作戦を立案し、また唯一この危機を予言した第七艦隊司令部とカイトウ少佐に注がれていたが、彼は無関心を装い何の作戦案の提示も行わずにいた。


 今もカイトウ少佐はイデ二曹と共に私室にこもり、ヤハギ参謀長の再三の呼び出しにも応じようとしない。


 イデ二曹はまだ二〇歳の若さであり、その階級、職責も重くはない。

 問題はカイトウ少佐であった。


 艦隊将兵の全期待と希望がカイトウ少佐に集まっているというのに、まるで素知らぬ風を装う。

 今も若い愛人を私室に連れ込み、何を行い何を考えているというのか。


 全艦隊の期待を受けることが、カイトウ少佐には耐えられないほど重荷に感じられるというのか。

 今までの軍のカイトウ少佐に対する処遇も、その才能と功績に比較すると遥かに及ばないものであったでろう。

 しかし、今はそのようなことにこだわっている時ではないであろうに、すねた子どものようにひねくれて強情を張っている。


「今はご不在です。帰られたら、必ずご連絡するようお伝えします」

 艦内電話に答えたカトウ中尉に、ドイ少尉は訊ねかけた。


「参謀長からですか?」

「ええ。さっきから、何度も」


「どういうつもりなんでしょうか、カイトウ少佐は?」

 思いきったドイ中尉の質問に、カトウ中尉は迷いのかけらも見せず明るく答える。


「大丈夫よ。必ず、カイトウ少佐が助けてくれるわ」

 カイトウ少佐が、今、誰とどこにいるのか知っているであろうに、そう朗らかな笑みを見せるカトウ中尉に、

「あなたほど、私はカイトウ少佐を信用できないんですが・・・」

 ドイ中尉は、そう声に出さずつぶやいていた。


 三


 ガンベル要塞の主砲が漆黒の宇宙空間に野太い咆哮の雄叫びを上げた。要塞から立ち上る稲妻の奔流が、崩れかけた艦列に食い込む。


「陣形を乱すなッ。要塞主砲の射程距離を見極めろ」

 喧騒にざわめく艦橋に響き渡るヤハギ参謀長の必死の形相の叱咤に、カイトウは、無理なことをと、あきらめの無表情を装う。


 艦隊は、アレウト航路最狭部においてバルカ艦隊の追撃を受け、満足な艦隊運動もできないまま圧倒的な放火に押し捲られ、ガンベル要塞の主砲射程宙域に追い落とされようとしていた。


「このままでは、要塞主砲の餌食だ」

「脱出経路を探せ」

「敵艦列を突き崩すのだ」


 いく度か試みられた艦首をそろえた突撃も、艦隊運動を行う宙域が限られていることから簡単に見透かされ、手痛い反撃砲火を受け悪戯に艦隊の崩壊を速めるだけであった。


「駄目か・・・」

 力ないカイトウの呟きを、装甲をえぐる着弾の重い響きが覆う。

 司令艦橋のスクリーンには、防御シールドを引き裂くエネルギービームの奔流が渦巻き、銀色に磨き上げられた床面を鮮やかに染め上げている。

 打ちひしがれたカイトウは、陽炎のようなそのダンスを目で追っていた。


「戦艦ラー轟沈。同じく、アウリパシャ轟沈。ムスタフ、バルマは大破」

 オペレータの高い声が響き渡る。


 ヤハギ参謀長が、ヤオ司令官の耳元で囁く。

「降伏なさいますか?」

「不名誉なことだな」

「致し方ありません」

「情報参謀は、なにか意見は?」

 そうカイトウを振りかえった、ヤオ司令官の目には冷たい軽蔑のまなざしが宿っていた。


「君に期待したのが、間違っていたよ」

 傍らのヤハギ参謀長の侮蔑にゆがんだ唇は、そういいたげであった。


「おれが、やりたくてやったわけではない。おれにまかした、おまえらの責任だ」

 屈辱と慙愧と怨念に、カイトウは呪いの言葉を吐く。


 そしてなにより辛いのは、悲しげなカトウ大尉以下の部下の表情であった。

 彼らは、カイトウになにも言いいはしない。


「なぜ、なぜ、イルマタルには被弾しないのか」

 生き残り恥をさらすのは、死すことよりも辛い。

 カイトウは、艦橋の自席に凍りついたように腰掛けたまま、すべてを呪っていた。


自分に注がれる冷たい蔑みのまなざしに、カイトウはガンベル要塞の主砲が旗艦イルマタルを捉えることだけを望んでいた。


 今敵砲火に捉えられなければ、この蔑みがこの後数十年の永きにわたる可能性もあることにカイトウは怖気を振るっていた。



 最悪の展開だな・・・・。 

 明かりを落とした自室のベットの中で、カイトウは来るべき未来の想像を止め息苦しげに寝返りを打った。


 これほどまでに、見事に敗けてくれるとは思わなかった。


 それがプレトリア星系の戦いに対するカイトウの率直な感想であった。


 主力艦隊の決戦において、自分を愚弄した宇宙艦隊司令部の教訓的敗北さえ望んでいたカイトウであったが、これほどまでに惨めな大敗を喫するとまでは予想できていなかった。


 そしてその甘い予想のつけを、今確実にカイトウは支払おうとしていた。


 ベットに横たわったままのカイトウは、壁の大型モニターにプレトリアの艦隊戦記録を再現させていた。


 そして再び確認したことは、バルカ同盟軍艦隊の精強さであり、その戦術能力の優秀さであった。


 特に後衛艦隊の強靭な防衛戦闘能力と、離脱しかけたティロニア連邦艦隊への間髪いれぬ追撃戦移行への戦術判断の見事さには敵のことながらは称賛さえ覚えていた。


 この、質的にも量的にも優勢な敵艦隊に対し艦隊戦を挑むことは無謀であることは明らかであった。

 また同時に、ティロニア連邦軍主力艦隊の無能さと無力さには目を覆うだけであった。


「もう少し、ましな戦い方もできたであろうに・・・」

 戦いの後、気楽で脳天気な第三者は当事者の苦労と困難さを理解もせず簡単に必ずそう口にする。

 今のカイトウも、長い嘆きのため息とともに同じ思いであった。


 八個艦隊の味方戦力に対し一四個艦隊という一.五倍の敵戦力との会敵という戦略的に不利な状況に追い込まれたうえに、戦術的にも無策な中央突破戦術を採用しむざむざと敵の罠にはまり歴史的な大敗を喫したティロニア連邦軍の愚かさには、あきれるばかりであった。


 勝利の凱歌に沸く敵艦隊の士気は当然に高いであろう。

 惨敗の味方艦隊の士気は、みすぼらしく尾を垂らした負け犬のものでしかない。


 つけ込む隙があるとすれば、敵の驕りだけであるが、大勝の余勢を駆ってウラル星系に拙速の侵入もしてこないところをみるとその隙も多くは望めないものであった。


 バルカ同盟艦隊は大勝にも驕らず、プレトリア星系の占領による補給線の確保を行い、艦隊の補給と整備、再編成を行い必勝の態勢を整え、大艦隊による堂々の陣形によりこの星系に進攻してくるのであろう。


カイトウは、プレトリアでの勝利に驕ったバルカ同盟艦隊が戦力の再編成を怠り勝利の余勢だけでウラル星系に進攻してくることを期待し迎撃案を練っていたのだが、この状況ではそれは望むべくもなかった。


「やはり、あの策か・・・」


現在の戦況において、包囲下にあるティロニア連邦艦隊が取るべき策は一つしかないことを、カイトウは天性の作戦家の直感で理解していた。


 しかしそのことが作戦会議の場において賛同が得られるためには相応の理由付けが必要であり、大系付け具体化し詳細な作戦遂行案とすることは膨大な労力が必要であった。


 そして、カイトウはその策を未だ一文字の言葉にも具体化できずに苛立っていた。


「俺は疲れているのか?」

 モニターからの白色の光だけが差し込んでいる薄暗いベットの中で、カイトウはつぶやくようにかたわらのイデ二曹に訊ねかけていた。


「俺は苛立っているのか?」

 その細い腕を伸ばしカイトウの首を抱くイデ二曹の返事など聞いてはいない。


 目を見開いて、何か見えざるものの声に耳をそばだてているかのような表情のカイトウを、イデ二曹は何も言わず見つめていた。


 疲労がその顔を覆い、鈍い表情にもカイトウが抱く苦痛が窺えていた。

 イデ二曹はその裸の腕で、カイトウの頭をその胸掻き抱く。


「俺の能力は、もう限界なのか?」

 ささくれだった神経が何物にも敏感に反応し、カイトウを追いつめるように駆り立てていた。


 その知覚は細く鋭く伸びあがり何かを探しもてめるかのように宇宙空間の闇に振りかざされ、その白く光る刃でカイトウ自身をも切り裂こうとする。

 カイトウの脳髄は激しく駆け回り暴走し、自身の制御さえも受け付けなかった。


 責任の重圧はカイトウに重くのしかかり、ブラックホールに近づきすぎた宇宙船のようにその存在は一枚の薄い紙のように押し潰される。

 イデ二曹の白い胸に抱かれたまま、カイトウは闇に中で自分を見つめるその大きな瞳に目を凝らしていた。


 緩やかに気怠い時は過ぎ、闇の中に浮かび上がるイデ二曹の白い裸の背を見て、カイトウはそのほどいた髪が腰にも届きそうなほど長いことに今更のように気づいていた。


 四


 情報課にイデ二曹を伴って帰ってきたカイトウは、参謀長の伝言を聞いても物憂そうにうなずくだけで物思う風情であった。



「殺人事件七件、暴行事件四一件、抗命、不服従、任務放棄等は数知れません」

「何だ?」

 半身に構え、デスクに斜めに座ったカイトウは目の前に立つドイ少尉を見上げた。


「今週、艦隊内で発生した刑事事件です」

 その答えに、カイトウは皮肉な笑みだけを返した。


 敵宙域で厚い包囲下に落ちた艦隊には生還のための一縷の希望さえも示されず、混乱した将兵の間には自棄と怠惰と不安からの意味のない衝動だけが蔓延っていた。


「そうか・・・」

 カイトウはドイ少尉が何を言いたいのかを理解していたが、そう答えただけで直ぐに目を伏せた。

 目の前でドイ少尉が虚しげに首を振ったが、カイトウは素知らぬ振りでいた。


「降下師団司令部から、非公式に作戦案が提出されています」

「降下師団司令部から?」

「はい。興味がおありですか?」

 いつにはないその以て回った言い方に、カイトウは苛立たしげに眉をひそめた。


「どんな作戦案だ?」

「ウラル星系には、五百万人ものバルカ同盟市民がいるというものです」


 カイトウは即座にその意味するところを察し、驚いたように色をなし声を上げた。

「正気かッ。何の罪もない市民を盾にすることは。ティルジットの和約に反する戦争犯罪行為ではないか?」


 その作戦とは、占領下にあるウラル星系のバルカ同盟市民を人質とし、その安全の保障と交換にこの包囲網を脱しようというものであった。

 このような野蛮で破廉恥な行為は、ティルジットの和約が結ばれる以前にも行われたことはなかった。


 名誉な記録を宇宙の歴史に残せる作戦だと、カイトウは嘲りに自虐的に微笑んでいた。

「戦争犯罪人として処罰されるのは艦隊首脳部だけで、他の多くの将兵は助かるでしょう」


「なるほど・・・」

 全責任はヤオ中将以下の艦隊司令部にあり、降下師団首脳はやむを得ぬ善意の共犯者でしかないというわけか。


 都合のいいことだ。

 しかしそのことで多数の人命が救われるのなら、少数の人間の不名誉は甘受すべきではないのか。


 さすがのカイトウもこのような卑劣な策までは思いついてはいなかったが、失われるものと生を永らえるものとの費用対効果の面からは検討の余地があるようにも思えた。


 ドイ少尉は、カイトウが真剣にこの策を検討している様子にあきれ、怒りさえ覚えていた。

「そのような暴挙を行えば、よりこの戦争における憎悪の応酬は増し、ティルジットの和約は破棄され、これからは正義も道理も失われたより一層悲惨で血生臭い戦いが行われることになるでしょう」

「そうだな。我らの都合だけで判断し、これからの歴史における責任を放棄するわけにはいかないな」


 しかし、カイトウは正義というものが、己一つの生命の生存だけを理由として成り立ってはいけないものかと考えた。


 生存してこそ意味はあろう。

 生き残ってこそ、罪もあがなえよう。これからの未来のことなど、誰にもわかりはしない。一人の個人の正義より、より多数の集団の正義が優先されなければならないという道理があるわけではない。


「とにかく、このままでは我が艦隊は自滅します」

「そうだな」

 カイトウは変わらず気乗りうすの素振りで、ドイ少尉の言葉に取り合おうとはしない。


 ドイ少尉は寂しそうに顔を歪め、助けを求めるようにカトウ中尉を振り返った。


「大丈夫。カイトウ少佐が助けてくれます」

 その明るく力強い言葉には、嫌みは感じられない。

 

 人柄なのだろう。いつも皮肉なカイトウさえその言葉を憎めずにいた。イデ二曹も同意するようにうなずきながらカイトウを見つめている。カイトウは少しの苦笑を浮かべ、首を傾げた。


 期待されるの好きではなかった。周囲の期待に応えられない、愚かで弱い自分を晒すことは、カイトウに恐怖を覚え竦ませた。


 過剰に信頼されることも避けたかった。

 その信頼に応えられない弱い自分をカイトウは知っていた。

 逃げ続けられるものなら、いつまでも逃げ続けていきたい。

 それが今までのカイトウの生き方でなかったのか。


 助けてやる。俺が愛する人を。俺を愛する人を。俺が信頼する人を。俺を信頼する人を。そして、俺が憎み嫌う人を。


 自分の回りにいる全ての人を。伸ばせるだけ、この腕を伸ばして。できることはする。そのために今ここにいる。今このときのために、今までの自分の退屈で困難な人生はあったのだ。


 何様のつもりだ。貴様は、ただ一人の人間。一介の少佐参謀でしかない。おまえの任務分掌表には、そのような大それた任務は記載されてはいない。


 混乱しているな。

 カイトウは錯綜した思いを抱く今の自分を笑うしかなかった。


 そして、決意した。

 デスクの上の、冷めかけたミルクティーを一息に飲み干す。


「ガンベル要塞をすりぬけて帰ろう」

 カイトウは立ち上がりそう言った。


「ガンベル要塞を無力化できる何か良い方法があれば教えてくれないか・・・・?」

 冗談のように、そう口にして微笑みを見せる。


「帰れるのですか?」

 ドイ中尉の呼びかけに、力強く答えた。


「もちろんだ。ここにこれだけの数の艦があり、これだけの人がいる。プレトリア星系を越えても、ガンベル要塞を越えても帰還することはできる。問題は、できるだけ犠牲を少なく、できるだけ危険が少なく、できるだけ簡単に、そして楽ができる作戦を考えることだ」


 悪戯っぽく片目だけを細めて、カイトウは笑みを見せる。

 その笑みに応えるカトウ中尉の嬉しさに満ちた笑顔を、胸の奥で痛く受けとめた。


「参謀長室に行って来る」

 取り上げた軍帽の中に頭を押し込みながら、


「これ以上、誰も死なせはしない」

と唾の下で目に力を込めてつぶやく。

 何を偉そうにと自分の中に矛盾は抱くものの、カイトウのその決意は固かった。


 五


 ウラル星系に集結したティロニア連邦軍艦隊の合同作戦会議が行われたのは、カイトウが参謀長室を訪れた日の翌日のことであった。


「現在我が艦隊は、プレトリア両星系からの離脱艦隊を収容し約三個艦隊規模の戦力を有しております」


 旗艦イルマタルの作戦会議室で立ち上がったカイトウはそこで言葉を切り、現在の戦況を改めて説明した。


 その言葉は淡々と現在の困難な戦況を述べたものであったが、その言葉は自信に満ちて力強く悲嘆に疲れたものの心を強く揺り動かすかすものであった。


「すでに、プレトリア星系は失われました。そして、ガンベル要塞は未だバルカ同盟軍の手中にあり、アレウト要塞戦線を抜けるアレウト航路は閉ざされたままです。我が艦隊は敵中に完全に孤立し、本国及び他の友軍艦隊との補給及び通信連絡が全く断たれた状態にあります。敵艦隊戦力の詳細は不明ですが、プレトリア星系に一〇個艦隊以上、カザフ星系に二個艦隊以上の存在が見込まれています。両星系の艦隊は艦隊戦を行ったばかりであり、艦隊の再編成、補給、両星系の再占領に多少の時間はかかりましょうが、いずれこのウラル星系に侵入してくることでしょう。結論として現在我が艦隊は敵宙域内に完全に孤立し、四倍以上の敵艦隊の包囲下にあります」


 この事実を会議参加者に再認識させるためにカイトウは言葉を止め、重苦しい雰囲気の漂う室内を静かに見渡した。


「この現在の戦況において、我が艦隊が取るべき戦略は一つ、包囲網の突破によるティロニア連邦宙域への帰還であります。そしてこの包囲網を突破しティロニア連邦宙域への帰路としては、次の三つのルートが考えられます。」


「一つ目のルートは、プレトリア星系周辺宙域を航行し、インディラ要塞に帰還するもの。二つ目のルートは、ガンベル要塞を攻略し、アレウト航路を通過し帰還するもの。そしてもう一つのルートは、カザフ星系方向に突破を行い敵宙域内に深く侵入し、大きく迂回機動をすることによりインディラ要塞、または遥かに遠くソロモン要塞戦線の「壁」の外側を航行し帰還するものです」


 カイトウは傍らのカトウ中尉に指示して三次元ディスプレイに天球図を投影させ、その中央部に描かれた赤い「壁」を潜り抜ける三本の白い矢印を描かせて見せた。


「現在我が艦隊は、武装、弾薬、燃料等補給物資の不足は無く、充分な戦力を有しています。同等以上の敵兵力に対し、艦隊戦において一度の勝利を得ることはできるでしょう。しかし補給線が途絶している現状では、再度の艦隊戦における勝利は望むべきではないと判断いたします。以上のことを踏まえ、先ほど説明いたしました、この包囲脱出の三つのプランの簡単な説明及び実行想定をさせていただきます。」


「まず、プレトリア星系周辺宙域を突破し、インディラ要塞に帰還する案ですが、最短距離の帰投航路であり、場合によってはインディラ要塞駐留艦隊の援護が受けられる可能性もあります。しかし、通信連絡が敵戦線の妨害により絶たれている今、インディラ要塞駐留艦隊との効果的な連携作戦の実施とその援護は期待できません。また我々が、この方面に対して脱出を図ることは敵も充分に予想しているものであり、十分な警戒と迎撃の準備を行っているものと判断されます。この方面への脱出は、敵主力艦隊が駐留するプレトリア星系に接近するため、その強力な艦隊の迎撃が予想されます。三個艦隊が一つとなり戦力を集中し突破を図るか、それとも僅かの可能性を求めて各艦隊が分散し突破を図るかにより成功の可能性は若干変化しますが、いずれにしても成功の可能性は高いものとは判断できません。」


「続いてガンベル要塞を突破し、アレウト航路を航行し脱出帰還する案ですが、未だ、オスマン艦隊との連絡が通じていないことから、ガンベル要塞は敵軍の手中にあるものと判断されます。オスマン提督が、現在の段階においてもガンベル要塞攻略を続行しているか否かも不明であります。我が艦隊がガンベル要塞戦線に向かった場合、バルカ同盟軍敵主力艦隊との会敵は暫くは回避できるでしょう。また、現在においても我が艦隊がウラル星系を勢力下においているためにガンベル要塞はオスマン提督のガンベル要塞攻略艦隊と我が艦隊の間において孤立しております。しかし、その要塞は未だ健在であり、航行可能宙域が狭いアレウト航路の突破を図ることは要塞主砲の砲火を潜り抜けねばならないものであり、無謀に近いものであります。また、要塞駐留艦隊の迎撃も予想され、最悪の場合には狭い宙域内においてガンベル要塞と追撃してきた敵主力艦隊との挟撃に会う可能性もあります。この方面に脱出を図ることも、多くの危険があるものと判断されます」


「最後に、カザフ星系を突破し敵宙域奥深くに侵攻し離脱を図る案ですが、この案は敵の意表を突くことができるでしょう。カザフ星系の突破と敵宙域深部への進入には成功するでしょうが、その後敵勢力下の宙域を補給もなく、敵艦隊との会敵を回避し航行を続け、インディラ要塞または遠くソロモン要塞戦線まで到達することは多くの困難が想定され、この方法も成功の可能性が高いとは判断できません。しかし、以上の三つの作戦案だけが、現在我が艦隊の取り得る作戦戦術であると判断します」


 そう一気に口にしたカイトウは、沈黙の一同に軽く視線流し、座りながら考える。

 第四の方法もある。


 いっそのこと、両軍の損害が悪戯に増えないうちに全部隊が降伏する。既に勝敗は決しているのだ。徒な破壊と犠牲は必要ないではないか。しかし、その場合の汚名を誰が好んで引き受けよう。そしてそのことは、この危機を脱することよりもさらに勇気のいることであるかもしれなかった。


 そして密かに、カイトウはそのことさえ望んでいる自分に気づいていた。

 この第四の作戦は、カイトウにとり、一番簡単で楽な方法であった。カイトウのこの思いをよそに、作戦会議は進められていた。


「以上の各案について、各艦隊の忌憚ない意見を聞きたい。」

 ヤハギ参謀長の司会で進められた合同作戦会議は重い雰囲気から脱することなく、悲観的事実のみが確認されるだけであった。


 ガンベル要塞が健在である以上アレウト航路への突破は無謀であること。


 カザフ星系から敵宙域への侵攻は食料等の物資は各星系からの徴発により補給の可能性はあるものの弾薬等の戦闘物資の補給は困難であり、よほどの幸運に恵まれない限り迂回機動の成功は難しく、また敵艦隊の強力な追撃戦が予想されること。そして艦隊としての指揮の維持が無補給の状態でいつまで維持できるかという当然の問題点の指摘もなされた。


 しかし、最短帰投航路であるプレトリア星系周辺宙域の突破も、数倍の戦力を有する敵艦隊の迎撃が予想され、突破の成算は薄いことなどが改めて認識された。


 このことは、現状の困難さの再認識だけに終わり、悲痛な空気の末の投げやりな空元気さえ生じさせていた。

「プレトリア星系の敵主力艦隊に決戦を挑むのだ。座して死を待つより、栄光なるティロニア連邦軍艦隊の意地を見せようではないか」

 空しく響くリウ中将の力強い言葉に、

「それもいいかな」

と、カイトウは一人つぶやいた。


「そうだ。戦いはやってみないと分からない。戦勝に驕った敵艦隊に、つけいる隙はあるのではないか」

「全艦隊が一丸となり、火の玉となれば、勝機は得られるのではないか」

 戦力的根拠のない強気の発言が一頻り続いたが、やがてそれも現実の重みの前には、空しく消え、再び室内には醒めた重苦しい空気だけが漂っていた。


 カイトウは、その中で素知らぬ顔で下を向きミルクティーをすすっていた。


「カイトウ少佐は、何か策があるのではないか?」


 室内を長い沈黙が支配した末に、ヤオ指令官に声をかけられたカイトウは物思いに浸っていて、傍らのカトウ中尉に肘でこづかれて初めて周囲の注目が自分に注がれていることに気がつく始末であった。

 

 少し恥ずかしそうな笑みを見せて、カイトウは再び立ち上がった。そして、一度唇を引き締め萎えそうな自分を奮い立たせた。


「決断の時です」

 自分に言い聞かせるようにそう強く口にした。


「今は全艦隊の断固とした決意による行動が必要です。私は、ガンベル要塞戦線の突破を図るべきだと判断します」


「しかしオスマン艦隊によるガンベル要塞攻略は、要塞攻略兵器を使用したにも関わらず失敗している。どのような戦術によりガンベル要塞を無力化し突破するのか?」


 リウ司令官の質問に対するカイトウの答は、簡潔でかつ明瞭であった。


「インディラ要塞は攻略しました」

自信を溢れさせたその言葉に会議室にはざわめきが拡がり、やがて春の息吹が吹き込まれたかのように生気づいていた。


 六


「ガンベル要塞攻略の戦術はできておられるのですか?」

 カイトウと共に会議室からのエレベーターに乗り込んだカトウ中尉は、思い切ったようにその背に訊ねかけた。


「うん?」

 いたずら気にカイトウは微笑を返した。


 ウラル星系駐留艦隊の合同作戦会議は、カイトウの力強い発言と主導によりガンベル要塞戦線を突破しティロニア連邦宙域に帰還することが決定されていた。


 カトウ中尉の問いかけに、カイトウは静かな微笑だけを見せる。

 作戦会議の席上、カイトウは要塞攻略戦術の詳細は、後に別途指示するとだけ述べてその場では明らかにはしなかった。


 カイトウのインディラ要塞攻略の実績は周知の事実であり、誰もが自信ありげなその態度からカイトウの胸中には再び要塞攻略の秘策があるものと期待していた。

 

 カイトウもまた、そのように振る舞っていた。

 誰もがその秘策を知りたがったが、カイトウは悪戯っぽく微笑むだけで何も明かそうとはしなかったのだ。

 

 エレベータが作戦室に着き、扉が開いた。カイトウは、顔を伏せたまま歩き出す。


「今から考えるよ」

 その短い言葉に驚き息を飲むように目を見開いて立ち止まったままのカトウ中尉を残して、カイトウは歩き続けた。

 

「成功するのか?」

 合同作戦会議の場で第二一艦隊司令官リウ中将からそう問いつめられたカイトウ少佐を、カトウ中尉は思い出していた。


 腕を組んだまま、不愉快さを隠しもせずに低い声で答える。

「分かりませんな。やってみないことには」

 ぶっきらぼうなその言葉に、好意的でない視線が集まることにカトウ中尉は胸が締め付けられるような息苦しさを覚えていた。

 

 頬をゆがめ、光の失せた暗い視線を落とすその横顔は、意地を張り続けるすねた子どものようだった。周りに誰もいなければ、カトウ中尉は慰めるようにその痩せた肩を抱いていたかもしれなかった。


「今は、少しでも可能性があることに賭けることです」

 思い直したように、髪を振るって顔を上げたカイトウ少佐はそう口にして決意を表したのだ。


 カイトウの痩せた後ろ姿を追いながら、少し疲れられているなと、カトウ中尉は思っていた。


 七

 

「陽動作戦を行います」

 司令官デスクの前に立ち、ヤオ司令官を真っ直ぐに見つめながらカイトウは自分の立案した作戦案を口にした。


「ガンベル要塞攻略のためには、時間稼ぎが必要です。そのために、まず一個艦隊をカザフ星系に分派し、再侵攻の陽動作戦を行います。インディラ要塞に対しては、無人連絡艇を派遣しましょう。プレトリア星系宙域を迂回し、インディラ要塞に帰還するので援護艦隊派遣の準備をされたいという偽の命令を持たせます」


「また、同時にガンベル要塞陥落の噂も同時に流します。ガンベル要塞を陥落させたティロニア連邦軍艦隊が、一〇個艦隊の規模でプレトリア星系の奪還を図るというものです。相反する情報ですが、少しでも敵艦隊の掣肘となれば、ウラル星系への侵攻時期の遅延を図ることができるかもしれません。そしてガンベル要塞には、降伏勧告を行います。敵主力艦隊は撃破され、ウラル星系はティロニア連邦軍の完全占領下にあるので、無駄な抵抗は止め開城するようにという内容です。降伏勧告をより現実的に見せるために、ガンベル要塞に隣接した星系を強行占領し避難民を故意にガンベル要塞に逃げ込ませます」


「そして、バルカ同盟軍艦隊の敗北とティロニア連邦軍大規模攻略艦隊近接の噂を広めさせます。要塞孤立後もガンベル要塞が降伏していないことから要塞の降伏は難しいでしょうが、要塞駐留艦隊の出撃の牽制ができるでしょう。陽動作戦から帰還した艦隊と合流後、ガンベル要塞攻撃を実施し要塞を無力化しアレウト要塞戦線を突破し帰還します」


「どうやってガンベル要塞を攻略するのか?」

「情報工作により降伏させることができればベストですが、インディラ要塞の早期降伏に対する反省がバルカ同盟軍にあり、要塞惑星の早期降伏を禁じているようなので、小細工の効果は期待できません」


「しかし、ガンベル要塞を占領する必要はないのです。我々がガンベル要塞周辺宙域を突破する間だけ無力化すればよいのです。ラヴェランと要塞主砲を破壊できれば、少ない損害で要塞戦線を強行突破することができるでしょう。もしガンベル要塞の一時的無力化ができないようなら、未踏派のアレウト星系にでも分け入りティロニア連邦宙域への新航路の発見に努めるというということもできます。それでもだめなら、名誉なことではありませんが降伏でもせざるを得ないでしょう」


 ヤオ中将は、何かに憑かれたように作戦案を話し続ける自分の子とさほど歳の違わない若い少佐参謀を見つめていた。

 疲れ切った表情は黒い隈に縁取られている。しかしその目には強い光を湛え絶えず何かを訴えかけている。


 このような男であっただろうか。司令部内において物静かで目立たぬ男であったが、時として鋭い毒舌を吐いていた。どこか捨て鉢で、頼りなく肩を怒らせていた孤高の男。今は歯咬みしながらウラル星系の全艦隊の運命をその両肩で支えている。


「作戦立案は君の自由にしたまえ。全ての責任は、私がとろう」

 今にも目の前で崩れ落ちそうなカイトウに、ヤオ司令官はそう言葉をかけた。


 ぞんざいな敬礼をしながら、望むとおりの命令を得たカイトウは歯を見せ不敵な笑みをつくっていた。


 八


 ティロニア連邦歴一五八年一一月一八日。カイトウの立案したガンベル要塞突破作戦は発動された。


 陽動作戦として、プレトリア星系を迂回し帰還するのでインディラ要塞接近後は援護艦隊を出撃願いたい旨の長文暗号通信がインディラ要塞に向けて発信された。


 航路をプログラミングされ一定地点で同様暗号通信を発信する無人連絡艇が一〇隻それぞれ個別の航路を設定されインディラ要塞に向け派出された。


 通常連絡艇の派遣は有人により行われるが、敵艦隊による捕捉が見込まれることから敢えてカイトウは無人としていた。


 人員の損害を極力抑えることを今回、の作戦の重点としたためだ。


 第二一艦隊をカザフ星系方面に陽動として大兵力に見せかけるため散開させ進発させた。


 ガンベル要塞に一番近い有人惑星テオリアに強行降下占領を行い、わざとガンベル要塞に向け避難民を脱出させた。


 バルカ同盟軍主力艦隊の敗北と、ガンベル要塞攻略の根拠地としての惑星テオリアの占領、ティロニア連邦軍大規模艦隊によるガンベル要塞の攻略という欺瞞情報を故意に漏洩しその避難民にもたらす工作を行った。

 

 降下師団特殊部隊によるガンベル要塞侵入作戦も検討された。

 鹵獲した民間船に避難民に変装した特殊部隊二〇〇人を乗り込ませ、惑星テオリアから離脱した民間船団の中に紛れ込ませ要塞内に潜入させる。流言の流布とともに、艦隊攻撃時に破壊活動を行い要塞主砲の活動を妨害する。艦隊突破後は、敵の混乱に乗じ敵艦船を奪取し脱出するというものであった。


 この作戦は降下師団から正式にヤオ司令官のもとに持ち込まれたものであったが、カイトウは強行に反対していた。

 潜入成功後の要塞内における破壊活動の効果については否定できなかったが、要塞表面に対する攻撃目標の中には軍港も含まれており、作戦実施後の特殊部隊の要塞脱出が不可能であることは明らかであった。


 そのうえ捕虜となった場合、民間人に偽装することからスパイとみなされ、ティルジットの和約による戦時捕虜の取り扱いがなされない恐れがあった。


「プレトリア星系、カザフ星系で多くの降下師団の仲間が失われました。せめて我ら降下師団にも何か仕事をさせていただかないと・・・。我らはただの便乗者ではないのですから」


 作戦会議の場において、そう言って静かに微笑むバルドス少佐に、カイトウは何も言葉を発することはできなかった。

 

 バルドス少佐は、この特殊部隊の指揮官に志願し内定していたのだ。


 しかし、カイトウはなおも強行に反対を続けた。

「今回のガンベル要塞突破作戦の目的は、包囲下からの脱出であります。本職は今回の作戦の立案にあたり、人命の優先を最重要目的といたしました。この特殊部隊侵入作戦は、その作戦目的に反するものであります。本職は、その意味からもこの侵入作戦の実施にはあくまでも反対いたします。降下部隊の将兵には、もっと有益な戦場での活躍を期待いたします」


「それでは、貴官は我が軍全将兵の生還を保証できるというのか?」

 イーラム少将のいらだたしげな言葉に、カイトウは少将が視線を外すまで乾いた眼差しを向けることで答えた。


「プレトリア星系における主力艦隊の壊滅により、すでに我が軍に勝利はありません。今はただ、一人でもより多くの将兵を壁の向こうに連れ帰ることが私の願いであり、また義務であると考えております」


 一同はこの叫びにも似た発言に沈黙で同意を示し、アレウト航路突破作戦はカイトウの強力な主導により策定されていた。


 通信妨害衛星の設置による情報の遮断化は徹底して行われた。敵艦隊の接近が予想される宙域には航行を妨害するため浮遊機雷の設置が幾重にも行われた。考えられる作戦は短時間のうちにすべて検討され、効果が少しでもあると思われるものは実行された。


「できることはするさ」

 カイトウは、何度もそうつぶやいていた。


 九


カザフ星系の陽動機動作戦から帰還した第二一艦隊と合流し、ティロニア連邦軍艦隊がアレウト航路に侵入を開始したのはティロニア連邦歴一五八年一二月二日のことであった。


 ガンベル要塞の警戒体制が厳重であったことは予想できたので奇襲は試みず、わざと艦隊の接近を知らしめ余裕の体制を見せてガンベル要塞の警戒線への接近を行った。


 艦隊の兵力を縦深に配置し、ガンベル要塞から全兵力が把握されないように偽装していた。


 アレウト航路の反対側、ティロニア連邦側宙域のオスマン艦隊の消息は、航路に頑強に立ちはだかるガンベル要塞の通信妨害により不明であった。


 半数をオスマン艦隊の攻撃により破壊されたとはいえ、ガンベル要塞はまだ六基の衛星機動堡塁ラヴェランを有し、反射衛星の使用により四基の高出力要塞主砲の全周射撃が可能であり、その破壊力は敗残の艦隊には脅威であった。


 ガンベル要塞攻略のためカイトウの立案した要塞無力化の戦術に何も目新しいものはなかった。既存の兵器と既知の戦術を駆使し、ただそれらをより多量に用い効果的に組合せただけのものであった。


「オスマン艦隊のモニター艦が欲しい」

「あれは役に立たないと言われたではないですか」

 独り言のぼやきにドイ中尉が答えて、カイトウは少し恥ずかしそうに笑った。


「情勢が変わったのさ」

 使えるものは、何でも使いたいカイトウであった。


 一〇


 ティロニア連邦歴一五八年一二月七日、第七艦隊が率いるティロニア連邦軍バルカ同盟領侵攻艦隊敗残の三個艦隊はガンベル要塞をその視界に捉えた。


カイトウの予想通り、二回目の降伏勧告も無視されていた。


 インディラ要塞失陥の反省から、バルカ同盟軍は要塞戦力が枯渇するまでの要塞降伏を固く禁じていたのだ。


 要塞主砲射程外に展開したティロニア連邦軍艦隊に対し、ガンベル要塞守備隊は駐留艦隊二個艦隊を出撃させ、要塞主砲射程内のラヴェラン背後宙域に展開させていた。


 その配置を確認したカイトウは、インディラ要塞の失陥の反省がよく検討されていることを感じ困難な戦闘と艦隊の犠牲を覚悟した。


「紅茶でも、どうですか?」

カトウ中尉は、カイトウと目があったことにいつもの笑顔を見せる。


 穏やかで、一点の不安の曇りさえもうかがわせないたおやかな笑顔。そのときカイトウは、その笑顔にすがりつくような視線を見せた自分に気づき、少し恥ずかしげな笑みを返した。


「そうだな。これ以上の肥満には耐えられないから、ミルクは少な目にもらおうか」

 カトウ中尉は健康そうな大きな白い歯を見せて微笑む。カイトウは、その笑顔に眩しげに目を細めた。


「そろそろ」

 司令艦橋で司令官席の傍らにたたずむヤハギ参謀長は、そうヤオ司令官に声をかけた。そしてヤオ司令官のうなずきと同時に力強い声を張り上げた。


「攻撃開始ッ!」

 アレウト航路に展開した艦列の中から小惑星を曳航する艦艇が進み出し、要塞軌道上に姿を見せたラヴェランに向けて小惑星を放つ。


「二度も同じことをするとは、我ながら芸がない」

 緩やかな回転を見せながら要塞惑星に吸い込まれていく小惑星の軌道を目で追い、カイトウは自嘲気味につぶやく。


 ガンベル要塞攻略戦とインディラ要塞攻略戦における小惑星戦術の違いは、小惑星の一斉大量使用であった。


 一つのラヴェランに対し異なる角度から数個の小惑星が一度に放たれていた。


 要塞惑星表面に向けても、無作為に近い形で多数の小惑星の放出が行われた。

 音も無く宇宙空間を駆け抜け接近する小惑星に対し、ガンベル要塞の要塞主砲が迎撃の砲火を開き宇宙空間に巨大な火柱を噴き上げた。ラヴェランが軌道制御エンジンの最大噴射により衛星位置を変更する。


 小惑星は緩やかに回転しながら、あるものは空しくガンベル要塞の衛星軌道を駆け抜け、またあるものは要塞主砲の奔流の中に消えた。大量に小惑星を投入したにも関わらず、破壊できたラヴェランは僅かに一基だけであった。


 カイトウは唇をゆがめ不気味に笑った。小惑星による攻撃は陽動であり、小惑星軌道により計算予測されたラヴェランの退避地点に向けて、巧妙に接近していた駆逐艦隊が必殺の重装甲魚雷の集中射撃を行っていた。 


 有線誘導による大型ミサイルの一種である重装甲魚雷は、鈍重であるが遅延信管とその弾体に納められた大量の炸薬により命中時の破壊力は強大なものであった。


 エネルギー砲による防禦砲火を潜り抜けた重装甲魚雷がラヴェラン上に次々と着弾し、巨大な衛星堡塁が打ち震えるのがモニタースクリーン上からも見て取れた。


 同時に遠隔操縦による無人艦艇の体当たり突入攻撃も同時に行われ、次々と六基のラヴェランは軌道上の残骸と化した。


 それと同時にガンベル要塞駐留艦隊に対しては、要塞主砲射程外からの長距離ミサイルの雨が降り注いでいた。


 ガンベル要塞衛星軌道を駆け抜ける小惑星と味方である要塞の主砲の火柱から逃げまどっていたガンベル要塞駐留艦隊は、ティロニア連邦軍のミサイル一斉攻撃に混乱の渦中に陥り、あるものはミサイル弾の着弾により装甲を喰い破られ、またあるものは要塞主砲の業火に巻き込まれ、そしてまたあるものは無秩序な回避運動による味方艦同士の衝突により破壊され失われていった。


 ほぼ一瞬にして、ガンベル要塞は要塞主砲以外の全武装が失われ、裸に近い状態となっていた。


 ミルクティーのカップを手にしたカイトウは、司令艦橋の参謀席で顎をさわりながら正面のメインスクリーンを手持ちぶたさで見つめている。


 ヤハギ参謀長は振り返り、カイトウのその姿を見ながら考える。


 これまでの二五年間、宇宙に無敵要塞として聳え立っていた「壁」とは何であったのかと。


 これほどまで簡単に要塞惑星の能力を奪うことができるとは、カイトウ以外の誰が知っていたことだろう。


 過去、何度「壁」に立ち向かった艦隊がその前に跪き宇宙の塵とされたことか。今まで何者にもなし得ず、想像さえすることさえできなかったことなのに、その結果が当たり前のようにカイトウは考え行い、この時を迎えている。


 これからは、誰もが「壁」はた易く超えられるものと思うであろう。


 ヤハギ大佐の視線に気づいたカイトウは、悪戯気な笑みでその視線に答えた。


「火力投入量全て計画通りです」

 カイトウのデスクモニターに、作戦室のドイ中尉が映し出される。


「盛大な花火に、砲術士官は皆ご満悦です」

「ティロニア連邦軍創設以来の砲撃戦だからな」

 カイトウは、皮肉な笑みだけで返した。

「後は、航海士官の仕事です」


「了解した」

 ドイ中尉は、モニターの中のカイトウの醒めた眼差しに緊張した敬礼を返す。

 カイトウは、僅かにその目を細めただけであった。


「恐ろしい人だ」

 ドイ中尉はカイトウのことをそう思っていた。

「総火力の計算をしてみろ」

 数日前のことであった。ガンベル要塞の破壊が可能であるかと、その胸中の不審を口にしたとき、カイトウはそうあっさりと答えていた。


「今回の作戦で我が艦隊がガンベル要塞に放つ総火力は、ガンベル要塞の主砲総火力に匹敵するものだ。もちろん、その破壊力、集密度においては劣るものの、恐るべき火力の集中であることに間違いはない」

「では、ガンベル要塞の破壊は可能なのですね」

「もちろん」

 カイトウは自信ありげに答える。


「どのような鉄壁の防御力を誇る要塞惑星であっても、ある一定以上の火力の集中の前には必ず崩れさる。今までなぜ要塞惑星が不朽のものであったのか。それは、それだけの火力を集中することが、要塞惑星一つと引き替えにしての費用対効果の経済原則に合わなかっただけのことさ」


 そして、カイトウはフッと息を吐き自嘲気味に笑って見せた。


「包囲下に陥ちて、初めてその費用対効果が変わったのさ。次の戦いのない状況では、全弾薬を一瞬で消費できる。そして、鹵獲されるか破壊せざるかを得ない艦艇ならば、自爆突入させても誰も文句を言いはしない。しかし、今回の作戦を通常時に提案しても、愚かな浪費作戦として誰も相手にしてくれなかっただろう」


「では、この追いつめられた危機的状況であるからこそ、今回の作戦は可能であると」

「統合作戦本部の軍事官僚には、思いつかないだろうな」

 いつもの醒めた顔で、デスクの上のミルクティのカップを取り上げる。

「そして、このような作戦を立案するようでは、費用対効果の経済性を重視する軍事官僚として失格だ」


「それは、皮肉ですか」

「冗談さ」

 カイトウは笑いもせずに言葉を続けた。


「でも、ガンベル要塞にも、カイトウ少佐と同様に考える人がいるかもしれません」

 憂いに眉を曇らせたドイ中尉の懸念に、

「その時は、我々はこの航路上で壊滅する」

 そうあっさりと、カイトウは言い切った。


「もし、ガンベル要塞駐留艦隊が要塞主砲射程外に進出してきて、艦隊戦を挑まれたら、安易な勝利は難しい。艦隊戦に消耗し火力は削られ、要塞の破壊は不十分なまま航路の突破をはかなければならない」


「その時は・・・」

「艦隊の八割は突破を果たすことはできない可能性がある」


 額にかかる前髪を振るって、カイトウは顔を上げた。

「検討すべきことは検討し、為すべきことは為した」

 その頬に決意の厳しさを滲ませる。


「後は、最良の結果を求めるだけだ。そして、その結果など、俺は知りはしない」

 その醒めた眼差しには、非情さえ窺えていた。


 一一


破壊の炎に縁取られたガンベル要塞が投影されたメインスクリーンを前に、司令部員は誰もが口ごもり息を呑んでその時を待っていた。


「敵主力艦隊が接近しています」

 カイトウは司令官席に近づき、そうヤオ司令官に報告した。


「惑星テオリアは、奪還されたものと判断されます。航路入口の監視衛星は約八個艦隊の戦力を確認した後通信を絶ちました。敵主力艦隊により破壊されたものと思われます」


 カイトウは、普段のカイトウらしくなく力を込めて敬礼をして見せる。

「要塞に対する攻撃はこれで十分でしょう。第二段階作戦の発動をお願いします」


 ラヴェランと要塞惑星表面に対する攻撃は、さらに小戦闘集団による一斉突入攻撃、無人輸送艦による要塞惑星衛星軌道上の自爆などさらに何種かの作戦が用意されていたが、それらは必要なかった。


 しかし、要塞惑星の裏側であるティロニア連邦領宙域に向け設置された二基の要塞主砲に対しては効果的攻撃の術がなかった。


 三回目の降伏勧告も無視され、今は全艦による狭隘な航路の強行突破しか取るべき道は残されていない。


 ヤオ司令官は前方を見据えたまま小さくうなずき、ヤハギ参謀長は余裕の微笑みさえ見せた。

 カイトウは、固い敬礼の姿勢を崩さない。



 アレウト航路航行可能宙域中央に鎮座するガンベル要塞の要塞主砲射程ぎりぎりの宙域に、艦隊は半球状に整列した。


 残された小惑星が、全て要塞惑星表面に向け放たれる。

 その後を、再び編成された無人艦隊が続く。今度は陽動として、無人強襲降下艦隊も要塞表面に降下する。

 宇宙空間に、再び反射衛星を使用した要塞裏側の要塞主砲の砲火が煌めいたそのとき、ヤオ司令官は力強く下命した。


「全艦全速。突破せよ!」


 第七艦隊以下の三個艦隊は全艦最大速力で要塞主砲射程内のアレウト航路周辺部を駆け抜けようとする。


 その瞬間ガンベル要塞司令官は、ヤオ艦隊の意図を察知できなかった。


 例えヤオ艦隊の作戦意図を把握できた者がガンベル要塞の司令部にいたとしても、要塞惑星表面に接近する小惑星を放置することはできなかった。

 それは、強襲降下艦隊の接近も同様であった。


 全艦がガンベル要塞のティロニア連邦側宙域に駆け抜けるまで、ガンベル要塞の主砲はヤオ艦隊には向けられなかった。


 四基の要塞主砲のうちバルカ同盟側の二基は破壊されていたが、ティロニア連邦側の要塞主砲二基は今もその機能を有し、航路内のヤオ艦隊に向けてその砲火を開くことが可能であった。


「光学欺瞞装置射出ッ」

「全ミサイルを放て!」

「自爆輸送艦隊を突入させよ」

「全艦全速!」


 考えられる戦術は全て実行された。ガンベル要塞の表面は、きらびやかな爆発光の閃光に彩られる。


 しかし、すぐにアレウト航路の突破を図るヤオ艦隊の意図はガンベル要塞司令部の知るところとなった。

 

 強大な出力を有する要塞主砲は、例えめくら撃ちであっても十分にその暴虐的威力を発揮する。

 着弾の煌めきの中で、要塞主砲射撃炎を認めた。


「敵要塞主砲、我が艦隊に向け発射されましたッ!」

 この時に、誰に何ができるのであろうか。カイトウも司令艦橋の他の乗組員と同じくただ座席の肘掛けを握り締め前方を見据えていることしかできなかった。


 振り向いて監視オペレーター員の報告を確認する必要もなく、視界の中を鮮やかな光で満たし要塞主砲の巨大な火柱がアレウト航路を駆け抜ける艦隊を追い越していった。


 結局、要塞主砲の射程内を脱出するまでにヤオ艦隊は二斉射を受け、艦隊は一八隻の艦船を失っていた。


「全艦隊、ガンベル要塞主砲射程内から離脱しました。ガンベル要塞突破に成功しましたッ!」


 監視オペレーター員の興奮に喚きあげるような報告に総旗艦イルマタル司令艦橋は大きな歓声に包まれた。


 思わず立ち上がったカイトウは傍らのコリンズ中佐のごつい腕の抱擁に振り回され、軍帽を振り落とされながら不器用な笑顔で答えていた。


 一二


「結局、単に敵さんの広いお庭の一部を観光旅行しただけのことさ」


 これが、バルカ同盟侵攻作戦の結果に対するカイトウの率直で皮肉な感想であった。


 損失艦船、戦闘艦艇三百二隻、輸送艦等特務艦船二百隻。損失人員三万五千名。

 これだけの多大な犠牲を払ったにも関わらず、ティロニア連邦が得たものは何もなく、失われたものは膨大なものであった。


 第七艦隊は、シンガ要塞戦線インディラ要塞からシンガ航路を通りバルカ同盟領宙域に侵入し、遠くウラル星系を経てアレウト航路に入りアレウト要塞戦線ガンベル要塞を突破しティロニア連邦軍宙域に帰還した。


 ただ、それだけのことであった。

 ただそれだけのために、多くの人命と艦艇が失われていた。


「どうなるのですか?」

 独り言のぼやきの中に割り込んできたドイ中尉の言葉に、カイトウは皮肉を込めて答えた。


「もとのままさ。作戦開始前と、何も変わりはしない。変わるのは、国防大臣、軍令部総長、軍令部作戦部長、宇宙艦隊司令長官、宇宙艦隊総司令部参謀・・・」

 カイトウは指を折って数えた。


 再び、宇宙は「壁」により遮断された二つの世界に戻る。

 艦隊の損害が著しいティロニア連邦軍には、再びバルカ同盟領内に侵攻する力はない。


 これからは、復讐の牙を研ぐバルカ同盟軍との「壁」の突出部であるシンガ要塞戦線インディラ要塞をめぐる激しい戦いが引き起こされるのであろう。


 しかし今は、疲労がカイトウの身体に重くまとわりついていた。

「後を頼むよ」


 死ぬことと眠ることの違い、それは後者の場合は再び目を覚ます確率が高いこと。

 ただ、それだけのことではないか。


 おぼつかない足どりで作戦室を出ようとしたとき、何かいいたげな眼差しのイデ二曹と目があった。


 カイトウがゆっくりと首を振って合図したことを、カトウ中尉が気づき振り向きもせず緊張に背筋を伸ばしたのをカイトウは見た。


 しかしカイトウの疲れた頭脳は何の感想も吐き出さず、足下から這い上ってきた睡魔はその瞼を重くしていた。



 一三


 舷窓には、戦列を組む僚艦の舷側灯の光の帯が流れている。


 シンガ航路からバルカ同盟領に侵攻を開始したときには舷窓から溢れるほどの大艦隊であったが、今は見る影もない敗残の艦列であった。


 第七艦隊では、ガンベル要塞惑星の破壊とアレウト要塞戦線の突破成功の一時的興奮は直ぐに収まり、今回のバルカ同盟領侵攻作戦の敗北が改めて重く再認識されていた。


 ウラル星系攻略に派遣された第七及び第二一艦隊の損失は少ないものであったが、カザフ星系攻略艦隊及びプレトリア星系に駐留していた主力艦隊は壊滅的打撃を受けており、これらの星系占領作戦に従事した地上部隊も多くは帰還しなかった。


 インディラ要塞を越えてバルカ同盟領に侵攻した一二個艦隊のうち、無事ティロニア連邦領に帰還できたのはわずか四個艦隊規模の戦力だけであり、ティロニア連邦軍艦隊戦力全二〇個艦隊の内の約四〇%の戦力がこの作戦により失われていた。


敗北の色。敗北の味。敗北の匂い。


 カイトウは今回の戦いの結果を噛みしめ、苦い敗北という思いの飴を舌の上で転がし舐めるように味わっていた。


 艦艇と兵員の損失を表す肉屋の勘定書と呼ばれる損害リストは膨大な量にわたり、ティロニア連邦軍がその失われた戦力を回復するためには長い年月と多大な労苦が必要であると思われた。


 カイトウは今回の作戦に楽観を抱いていたわけではなかったが、これほどの惨敗を喫することになろうとは予想していなかった。

 大敗が現実のとなった今、カイトウは自分の判断が甘かったものと慚愧の思いに苛まれていた。


「お疲れになりましたか?」

 誰もいない情報課室でデスクの椅子を後ろに回し、舷窓に両足をかけてぼんやりと宇宙空間に目をやっていたカイトウは、いつの間にかかたわらにカトウ中尉が佇んでいることに気づいた。


「過労状態だね」

 その顔も上げず、いつも通りのなげやりな言葉を吐くカイトウの肩先にカトウ中尉は微笑を投げかける。


 そして、カイトウの傍らで舷窓をのぞき見入った。

「私を、さけてられてますか?」

 意表を突いたその質問に、カイトウは警戒の思考を巡らす。


「そのようなことはないよ」

 カイトウは自分の行動に嘘をつき、できるだけ平静を装い声を出した。


「そうですか・・・」

カトウ中尉は静かな言葉を吐く。

 カイトウは、自分の行動に反省していた。


 カトウ中尉とカイトウには上司と部下の関係しかなく、何も特別なものはなかった。

 それなのに、カイトウが何か後ろめたいことをしているようにふるまう必要はない。

 そのことは、かえってカトウ中尉を傷つけているかもしれないではないか。


 たとえカトウ中尉の素振りにその好意を感じていたとしても。


 カイトウもまたカトウ中尉に好意を感じ、その好意はともすれば好意以上のものに発展する可能性があったものだとしても・・・。


「酷い敗戦だよな・・・」

「カイトウ少佐は負けられてはいません。ウラル星系でもガンベル要塞でも。我が艦隊を勝利に導き、多くの将兵を帰還させました」

つぶやきに似た言葉への返事に、カイトウは慰めを見つけていた。


 そのカイトウの穏やかな横顔を見つめるカトウ中尉の目が思い詰めたように光った。

「少佐は、私を勘違いされておられます。私にも感情はあります。私にも悲しみはあります。私にも苦しみはあります。私も人を恨みます。人を妬みます。私にも、堪えようのない嘆きがあるのです」

 絞り出すようなその突然の言葉に、カイトウはうろたえた。


「我が艦隊には、カイトウ少佐がおられました。しかし、兄のいた第八艦隊には・・・」

 カトウ中尉が、肩を震わせたことにカイトウは気づいた。第八艦隊はプレトリア星系における戦いに参加し、壊滅的敗北を喫していたのだ。


「それでは、プレトリアで・・・」

 驚いて見上げたその伏せた横顔は、カイトウが始めて見る憂いを帯び悲しみに満ちた横顔であった。

「優しい兄でした。兄がいたから、私も軍に入ったのです」


 泣くな。君に、涙は似合わない。

 カイトウは歯咬みする思いで立ち上がりカトウ中尉の肩に触れた。

「すみません。ただ・・・」


 目を細めて優しさを見せその目をのぞき込み、カイトウは不器用に抱き寄せる。

 その涙を軍服の胸に滲ませて、震えるその唇に思わず口づけしていたのはカイトウの弱さであった。


 そしてカイトウは、腕の中のカトウ大尉の身体がイデ二曹の身体よりも重いことに気づいていた。




 第一二章 勝利の報酬


 一


 その時、ユリウスは旗艦イラストリアスの司令官室で、プレトリア星系の戦いにおける論功行賞案に目を通していた。


 プレトリア星系における戦いから七日。


 ユリウス機動艦隊はバヤジット大将の指揮のもとプレトリア星系宙域に駐留し、未だティロニア連邦占領下にあるウラル星系の攻略戦に備え、弾薬の補給と傷ついた艦艇の修理、整備による戦力の回復に努めていた。


 突然ドアの向こうで乾いたハンドガンの銃声が響き、ユリウスはかたわらの副官コトウ中尉と不審の目を合わせた。


「なんでしょう?」

「衛兵が警備銃を暴発させたのか?」

「確認して参ります」


 コトウが司令官室のドアに近づいたとき、ハンドガンを構えた見慣れぬ士官が二人、司令官室に押し入ってきた。


「何者ッ!」

 ドアの向こうに倒れている警備兵を見つけたコトウが叫び上げた時、その士官は何も言わずその手の中のハンドガンの引き金を絞っていた。


「何をするッ!」

「動くな。我らが司令官殿」

 崩れ落ちるコトウ中尉に驚いて立ち上がるユリウスに、ハンドガンの狙いを定めその見慣れぬ士官はうわずった声をだした。


「無駄な抵抗は、止めていただきたいですな」

 二人の士官の背後から現れたのは、情報参謀のヒューイット中佐であった。

 落ち着いた素振りの彼の手にも、ユリウスに狙いを定めたハンドガンが握りしめられている。


「ヒューイット中佐。貴官は・・・」

「残念ながら、そういうことです」


 ユリウスはこの時、正確にこの事態を悟っていた。


 バルカ家の者として、暗殺の危険は常につきまとっていた。

 ユリウスの父母も、反バルカ勢力のテロによりその生を終えていたのだ。


 しかし、まさか自分の幕僚に裏切られ、座乗艦イラストリアスの司令官室でこのようにして命を狙われることとなるとは想像さえしていなかった。


 ヒューイットがバルカ自由同盟勢力下の星系出身者であることは、ユリウスもその軍歴調書により承知はしていた。

 そのことにより、彼の昇進とその処遇が、その才能と軍功と比較し同期仕官よりも遅れていることも、また承知していた。


彼はそのことに不平を漏らすわけでもなく軍務に勤しみ、その経歴と交遊の記録に何ら怪しむべきところはなかった。


痩身にして、苦渋をかみ締めて耐える鉄の神経をうかがわせる土気色の顔。ユリウスの幕僚として着任後の任務遂行状況は堅実正確なものであり、ユリウスの期待に十分以上応えるものであった。


今までの彼のユリウスに対する素振りには敬意こそ感じられても、何らの敵意も認められていなかった。


「デスクから、離れていただけますか」

 ユリウスがデスクの引き出しに手を伸ばしたことを認め、ヒューイットが醒めた声を出した。


 ユリウスは、指先に力を込めたまま唇を咬む。

 バルカ同盟軍においては、憲兵隊士官と部下への非常制裁権を持つ艦長、軍司令官のみが常時武器を帯びることを許されていた。


 しかしユリウスはその必要性を感じず、いつも無造作にデスクの中に放り込み、武装することはなかったのだ。


「止めろッ!」

 司令官室の床に蹲り短い呻きを上げ続けていたコトウ中尉が、顔を上げ、その手を伸ばしたことに再びハンドガンは短く乾いた銃声を響かせた。


 一瞬の煌めきを弾かせて、その身体を貫いたのだ。

 さらにとどめをさすように銃口が向けられたことに、ユリウスは叫び上げていた。


「貴様達の狙いは私であるはずだ。私だけを倒せば良かろう」


 油断であった。ユリウスの元に暗殺者が現れているということは、おそらく兄のもとにも暗殺者の手は伸びているのだろう。


 この危急の時に何をしているのだ。ギムも、バンゼルマンもどこにいる。


 時間を稼がねば。


 ユリウスは、そう自分に語りかけ、落ち着くように努めた。


 そして、この場にセシリアがいなかったことを幸いと感じていた。


「バルカ同盟解放戦線のテログループか?」

「さあ、どうでしょうか・・・」


 ユリウスに銃口の狙いを定めたまま、ヒューイットは不敵に笑う。

「そしてもう、あなたには関係のないことだ」

 ユリウスの視線を反らし、その笑いを蔑みに変える。


「あなた個人には、憎しみも恨みも抱いているわけではない。それどころか、その将才には畏敬すら覚えた。しかし、あなたはバルカの家に生まれ、私は辺境の開拓惑星に生まれた。ただ、それだけのこと・・・。そして運命は、私にこの機会を与えた」


 その指の動きを見て跳ね飛んだが間に合わなかった。

 ハンドガンの光軸が腹部を貫き、ユリウスはその衝撃だけを受けとめて床に崩れ落ちた。


 司令官室の冷たい金属の床を腹這いながら、うめき声がの上がるのを歯を食いしばり抑えた。

 手を当てた自分の腹部から溢れるように流れ出る暖かな血の匂いにむせる。


「ユリウス様・・・」

 コトウ中尉が呻くように言葉を発した。


 ユリウスはもがきながら立ち上がろうとする。


 侵攻してきたティロニア連邦軍を打ち破れば、バルカ家の指導力など必要はないということか。


 これほどまでに、奴等が周到に準備していたとは。


 うかつだった。


ユリウスは、コトウの身体に指を伸ばした。

「迷惑をかけるな」


 それだけを語りかける。

 血の気が失せ苦痛にゆがんだコトウの顔が、僅かにうなずいたかのように見えた。


「見つけた。ああ、ここにいる。奴は今、死にかけているところだ」

 ヒューイットが、そう無線機に話しかける。

「女はもう必要ない。始末し、脱出を図れ」

 

 女?。セシリアか・・・。


 やってくれるな。

 

 ユリウスは突き上げる怒りに歯がみし、残された全力を振り絞り跳ね飛んだ。床を転げ回り、手近の男の足を払った。倒れたその男に組み付きその手の中のハンドガンをもぎ取ろうとする。


「悪あがきを!」

 ヒューイットはその手を蹴り上げる。


「バルカめ。バルカめ。バルカめっ」


 麻薬でも使っているのか、一人の男が狂ったように腹這うユリウスを蹴りつけた。


 腹を蹴り上げられて吐き戻し、気味の悪い汗にまみれ呻きながら転げ回り、司令官室の床に血糊の帯を広げた。


 そしてユリウスは、今の自分の惨めな姿に呻きながら、苦悶の中に怒りを猛らせていた。


「もういい。止めろッ」

 ヒューイットがその男を遮り、静かにユリウスにその銃口を向ける。


「バルカの一族らしく、名誉な死を」


 勝手に決めつけるな。


 死への恐れを超えるほどの憎しみを込めてその銃口を見上げたとき、すさまじい閃光と共に司令官室のドアが吹き飛んだ。


 攻撃型手榴弾のすさまじい破裂音と閃光弾の眩い輝きが同時に室内に溢れた。

 どっと室内になだれ込む装甲服の警備兵達の中に、見慣れたギムレットの広い肩をユリウスは見た。


 短い一方的な銃撃戦の後、三人の暗殺者はユリウスと同じ高度に崩れ落ちた。


「ユリウス様ッ」

 ギムレットの太い腕に抱きすくめられ、ユリウスは傷の痛みに声を上げた。


 取り乱したギムレットが口の中で言葉を押し殺し、その腕の力を緩めた。


「遅いぞ・・・」

 血の気の失せたユリウスの弱々しい微笑みに、ギムレットは嘆きの息を吐く。


「申し訳ございません」

 ユリウスはその口元を見つめ、弱く手を動かして音響弾に耳がやられていることに首を振った。


「セシリアは・・・」

「バンゼルマンが向かっております」

 ギムレットはその耳元に口を寄せ大きな声を出す。


「セシリアにもしものことがあれば、俺もギムもソロモンに流刑だぞ・・・」

「承知しております」


「コトウは?」

 傍らのコトウは、広い流血の海に沈み身動きもしない。

「早くコトウを治療室へ・・・」

「しゃべらないでください。直ぐに、ユリウス様と共にお運びします」


 軍服を切り開かれ、傷口に応急パッキンがなされる。ユリウスは咳込み、少量の血液を吐いた。


 ギムレットが恐怖に青ざめ、怒気と恐れに、ユリウスを抱く腕を振るわせる。


「早くするのだッ」

 軍医を低く叱咤する。


「ギム、兄上に連絡を。暗殺者に備えるように・・・」

「承知しました。直ちに。・・・お願いですから、もう何も話されずに」


「もう、手遅れかもしれないがな」

「お願いですから、何もお話しになられず」


 そう哀願するギムレットの見慣れぬ怯えと動揺に、ユリウスは口元を歪めた。


「もう一つだ。俺が意識を失ってい間、あらぬ譫言を口走らないように側で見張っていろ。誰かに耳にされると、バルカの権威が揺らぐかも知れないぞ・・・」

「承知しました」


 ユリウスは微笑み、弱く頷いた。

「ギムは、遅れたからな・・・」

 そしてユリウスは、薄れ行く意識との戦いを止め力を抜いた。

 深い海の底に吸い込まれるように、ユリウスは意識を失っていた。

 

 ギムレットは、その身体を抱えたまま猛獣のように怒りの唸り上げる。

「早く応急処置をッ。もしユリウス様に万が一のことがあれば、お前達もタダではすまぬぞ」


 そう怒鳴り上げられ、軍医は寡黙に手を動かし続け、司令官室の警備兵はギムレットの怒気におののき徒に走り回っていた。


「参謀長・・・」

 そう声をかけたバルディス航海参謀は、温厚な参謀長の始めて見る怒りの色に染め上げられた眼差しを叩きつけれてひるんだ。


「何だ?」

「バンゼルマン少佐から連絡です。ユリウス様の私室に侵入者を確認とのことです」

「うむ」


「私室にはセシリア従兵が居られたらしく、今は囚われの身となっている模様で、救出作戦の実行の許可を求めておりますが・・・」


「許可する」

 問いかけられ、これ以上のない怒りに音がなるほど歯噛みしたギムレットの言葉は短いものだった。

「バンゼルマンは周到な男だ」


 そうつぶやき、懸念を振り払ったギムレットは野太い声を張り上げ命令を発した。


「艦長を呼べ。隔壁を閉じ、全艦内を閉鎖する。戦闘態勢下令。全艦隊に通告。今後許可無くイラストリアスに接近する艦艇は、敵対艦艇とみなし撃沈すると」


この有り様では、アジュラム様に合わせる顔がない。ユリウス様には・・・。


 ギムレットは、医療カプセルと共に歩きながら、自分のうかつさに怒り狂う。抱えた小銃の銃身を頬に寄せ、怒気を漲らせた眼差しで辺りを睥睨し周囲の者をすくませていた。


 二


「何者ですかッ」

 突然の侵入者に対するセシリアの気丈な叱責に男は冷笑で答えた。


 衛兵を射殺し、ユリウスの私室に侵入した二人の男はその銃口でセシリアを射すくめていた。


「司令官の女か?」

 蔑みの眼差しでセシリアを見やりながら、室内に目を配る。


「バルカの若造はどこにいる?」

「存じません」


「いいご身分だな。大艦隊を率いて仇敵を迎え撃ち、歴史的勝利を得てベットで美しい愛人と戯れる」

 歯を剥いた卑しい笑いの中に、男は言葉を続ける。


「辺境の開拓惑星の暮らしを、お前は知るまい」

 そして、セシリアの身体を銃口でなぞる。

「何ならその身体に、いますぐ教え込んでやろうか」


 侮辱に身体を竦めるセシリアに、男の嫌らしい冷笑は注がれ続ける。

「待て、大事な人質だ。それよりも、ユリウス・バルカを探すのだ」


 セシリアは、ユリウスのデスクを見やった。そこにはユリウスの護身用の銃があるはずであった。


 救わねば。早くその側に行き、護らねば。


 デスクに向け駆け出したセシリアに、足をかけた男はよろめき揺れるその長い髪を鷲掴み白いその横顔をねめつける。


「騒ぐな!」

 セシリアの手を掴み、そのか細い柔らかさに驚いたように声を上げる。


「開拓惑星の女の手は、こんな手じゃないんだぜ」

 銃口を額に突きつけられ、男の手に身体をまさぐられ、セシリアはおぞましさに身もだえた。


「そうか。了解した」

 通信機を手にした男が振り返る。


「司令官室で捕まえたらしい」

「やったのか?」

「ああ」


 その怜悧な笑みをセシリアは忘れられない。

「連絡艇を奪って脱出しよう。この女は、大事な人質だ。愛人のバルカは、すでにこの世にいなくてもな」


 その言葉に、立ちすくむセシリアの瞳を男は覗き込んだ。

「どうせ、バルカの権力に無理に従わさせられていたんだろう。俺達と行かないか?。お前の知らない別な世界があるぜ」


ユリウス・バルカの死。

 セシリアは、その衝撃を全身で受けとめた。

 そして、その心は砕け飛んだ。


 もう何年、ユリウスと一緒にいたのだろう。

 バルカでも、ハンガインでも、イラストリアスでも。


 涙など流れはしない。何も見ることはできない。深い漆黒のブラックホールの淵に座り込み、その闇を覗き込む。


 心が凍える痛みだけを抱えて、木霊のようにその受け入れがたい事実だけが繰り返される。


 力失せ、今にも膝をつきそうなまま強引に手を引かれ、ドアに近づいたときに爆発が起こり、セシリアも男達と一緒に跳ね飛ばされていた。


「捕まえろッ!」

 装甲服の衛兵と共に司令官私室に駆け込んだバンゼルマンは、ハンドガンを構え起きあがろうとする男の顔を蹴り上げた。


「下司がッ」

 火薬の匂いが立ちこめる中、衛兵が飛びかかりわめき続ける男に馬乗りになり拳をふるう。


「殺すなよ。そいつらには大事な用があるからな」

 そう呼びかけたバンゼンルマンは、探していた人影を爆炎に煙った司令官私室の床上に見つけていた。


「ご無事ですか?」

 バンゼルマンはセシリアのかたわらに跪き、見開いたその瞳からただ涙だけが流れ落ちるのを見て当惑していた。


「セシリア様、お怪我はありませんか?」

 その言葉はバンゼルマンの口から自然に出たものであった。


 今まで、ユリウス・バルカでさえ様をつけて呼んだことはないバンゼルマンであった。


「ユリウス様は、ご無事です」

 その言葉に涙に塗れた瞳がゆっくりと動き、バンゼルマンの視線と重なった。


「ご安心ください。ユリウス様は、ご無事です」

 まだ確認したわけではなかったがバンゼルマンはそう信じ、そう言い聞かせるようにゆっくりと言葉を放った。


 それは、バンゼルマン自身にも聞かせる言葉であった。


 三


 全身に数条の銃創を受けたユリウスの容態は重傷であったが、命に別状を及ぼすものではなかった。

 

 旗艦イラストリアスの医務室の奥に設けられた特別病室。

 ユリウスは医療カプセルの中で苦悶の表情を見せたまま眠り続けていた。


「あのように、今は休まれておられる。お前も安心して治療を受けなさい」

 血の気の失せた顔を硝煙に煤けさせたまま立ちすくむセシリアに、ギムレットは優しく声をかけた。


 ユリウスの私室から救出されたセシリアは、声を失ったかのように何も言葉を発せず硬い表情のまま傷の治療さえもかたくなに拒んでいた。


 唇をかみ締めセシリアは、カプセルの透明シールドにその手を触れさせる。


「さあ、傷の手当を。その顔では、ユリウス様が驚かれるではないか」

 肩に手を置いたギムレットの言葉に、始めて少しの笑みを見せた。

     

「無事だったか?」

 意識を取り戻したユリウスは、傍らで心配げな眼差しを投げかけているセシリアに、苦痛のために眉間に深く刻まれていた皺を緩めてそう静かに語りかけた。


「怪我をしたのか?」

 そして、セシリアの額と手の甲の白い包帯に少し目をやる。


「コトウが死んだよ。残念なことをした」

 そうつぶやき、天井を見上げて目を閉じる。

 その悲しみを、僅かにゆがめた頬に見せていた。


「うかつだった・・・。イラストリアス艦上で襲われるとは・・・」


 アルカイックな微笑みを見せて、セシリアはユリウスの手に触れた。ユリウスは、その甲に巻き付けられた包帯を指先でなぞった。


「お前が、無事でよかったよ」

 ユリウスの言葉を間近で聞けることに、打ち震えるような歓びの衝撃を、そのときセシリアは抱いていた。



 四



「無礼なッ」

 ユリウス機動艦隊旗艦イラストリアスの医務室へ続く艦内通路に設けられたチェックポイントで、装甲服の衛兵による執拗なまでの入念なボディチェックを受けたバルカ同盟軍艦隊司令官クーリッジ中将は怒りの声を上げた。

「我らは、バルカ同盟軍の艦隊司令官であるぞ!」


 艦隊司令官の特権である銃まで取り上げられ、降伏兵士であるかのように両手を上げさせられ身体検査を受けさせられることに、帯同した艦隊司令官の数人から賛同の声が上がった。


「誰の命令だ?」

 威圧するように周囲の衛兵を睨みつけ怯ませたクーリッジ中将の声に答えたのは、まだ年若い中佐の階級を持つ男であった。


「私です」

 警備兵の人垣をかき分け居並ぶ艦隊司令官の前に現れたバンゼルマンは、鋭く目を光らせ居並ぶ艦隊司令官を見やった。


「何か、ご不満でも?」

「無礼ではないかッ。我らが何者であるのかを知らぬとは言わせぬぞ!」


「存じ上げております。しかし、もし我らが行う身体検査に従っていただけない場合には、何者といえどもユリウス様へのご面会はお断り申し上げます」


「中佐参謀風情が、何の権限でそのようなことをッ」

「私の判断です。私が必要と判断した場合には、例え大将の階級を持つ方といえども、素裸になって身体検査を受けていただきます」


「ふざけるなッ!」

 クーリッジの怒声への無表情なバンゼルマンの沈黙に、背後に控える衛兵の銃の安全装置が外される音が続いた。


「我が名はバンゼルマン。つい先日、敬愛する上官を傷つけられ、愛しむべき部下を喪いました。その惨劇を再び繰り返さないため、我らは必要と判断されることを行っております。我らの確認なくば、何者といえどもこの先へお通しするわけにはまいりません」


「バンゼルマン中佐。我らは、ユリウス司令官に戦況の報告とお見舞いに参上しただけだ。もちろん、君の必要とする身体検査にも協力しよう」

 いきり立つクーリッジを抑えるバヤジット大将の言葉に、静かにバンゼルマンは身を退いた。

 しかしその身体には緊張の力がみなぎり続け、今にも獲物に飛びかからんばかりの獣のように身構えていた。


「バルカの忠実なる兵士か・・・」

 バヤジットは、その緊張に張った肩先を頼もしげに見やる。

 しかしまた、彼は軍律をも超えたユリウスへの個人的忠誠の発露に一抹の不安をも覚えていた。



 ユリウス襲われるの報は全艦隊内に衝撃をもたらし、一部の艦艇では自由バルカ同盟支持星系出身兵が理由もなく私刑を受けるなど混乱が生じていた。


 特に、ユリウス指揮下の艦艇での緊張は限界に近く、連絡艇の接近にさえ発砲する艦もあるほどであった。


 この混乱のため、ラウル星系の攻略は遅れ、敗残艦隊のアレウト星系の突破を許すこととなっていた。

 そして、執政官府ではこの異常事態を憂慮し、ユリウス機動艦隊への首都星帰還命令が出されていた。


 ギムレット少将を背後に従えベットに半身を起こしたユリウスは、バヤジット大将以下のバルカ同盟軍艦隊司令官を病室に迎えていた。


 儀礼通りの見舞いの言葉に続き、これまでの戦況の概要が語られ、ユリウス機動艦隊の帰還命令が告げられたのであった。


「承知いたしました。それで、艦隊主力はどうするのですか?」

「ティロニア連邦軍に、再侵攻の戦力は無いものと思われますが、ガンベル要塞は破壊され、インディラ要塞は未だ敵中にあります。我らは、執政官のご命令により、プレトリア星系を根拠地に、敵に備えることとなります」


「それは、ご苦労なことです」

 戦場から離れることへの寂しさを見せるユリウスに、バヤジットは若い戦士の覇気を覚え目を細める。


「一刻も早く回復され、戦場に復帰されることを臨んでいます」

「ご厚情、感謝に堪えません」

「では、これで」


「ご武運を」

 不自由な左腕で敬礼し、ユリウスは退出する上官を見送った。


 この日、ティロニア連邦軍侵攻艦隊を打ち破ったバルカ同盟軍は三分された。


 サラディン中将は三個艦隊を率い、ガンベル要塞の防衛に向かい、バヤジット大将は六個艦隊でプレトリア星系に駐留し、シンガ要塞戦線の封鎖にあたると共に残敵の掃討にあたる。


 そしてユリウスの率いる艦隊は、首都星への帰還の途についたのだった。


 そしてこの日、バルカ歴四五年二月二一日を持って、ティロニア連邦軍迎撃戦は終了したのであった。


 バルカ同盟は、その領域内に侵攻した敵艦隊に多大な損害を与え撃退し、歴史的勝利を手にしたのであった。



 五



「君が正しかったよ。あまり部下に深く交わりすぎていたのかもしれない。ヒューイットも信じていたし、コトウのことは悔やみきれない」


「いえ、間違っておりましたのは私です。ユリウス様はそのようなことに惑わされるような方ではございませんでした」


 畏まり答えるバンゼルマンに、医療用ベットに横たわったままのユリウスは静かな視線を送った。


「コトウの遺族には篤い措置を。ヒューイット外には公正な裁きを」

「承りました」


(公正な裁きとは)

 病室を背にしたバンゼルマンはつぶやく。


 ユリウス暗殺未遂事件の後、執政官府によるバルカ同盟解放戦線を筆頭に反バルカ勢力への追及、捜査は執拗なまでに厳しく、民間、官僚のみならず軍中枢までに及び、バルカ同盟には猜疑と不信の渦が巻き起こっていた。

 

 それは重い滓のように宇宙の中に沈み込み溜まっていくかのように思え、バンゼルマンの心を暗くさせちていた。


 また、ヒューイットが執政官府の推薦であったことは、ユリウス艦隊内に執政官府への疑念を抱かせていた。


 華麗で圧倒的、伝説的な勝利と栄光を手にしたのではなかったのか。


 ユリウスは、今回の戦いで何を得たのかとバンゼルマンは思った。そして、自分は何を得たのかという問いも・・・。 


 六


なぜ、このように変わってしまったのかと、ユリウスは訝しむ。


 厳重な警備下にある特別病室で治療用ベットに横たわったままのユリウスは、その変化に戸惑っていた。


 ユリウスに代わって艦隊の指揮を執るギムレットは、心労から急激に疲れと衰えを見せていたし、バンゼルマンはこれまでにないあからさまな忠誠をユリウスに見せるようになっていた。


 そしてセシリアは、身辺警護用の電気銃を腰に下げ、今まで見せたことのない厳しさにその唇を噛みしめていた。


「どうした?」

「何がですか?」

「そんな、怖い顔をして」

「そうですか」

 ユリウスの言葉にも、取り合おうともしない。


 病室の片隅のソファベットで眠り、もう軍服は着ずに、いつしか見慣れた白い服で傍らに傅く。


 今までと同じように、ユリウスの思いを拒みはしなかったが、今まで見せたことのなかった怒りと憎しみ、そして強さがその仕草から感じられていた。


 お前に、憎しみや怒りは似合わない。

 何を望む。

 やるせない憂鬱のなかで、ユリウスはそれらの思いを口にできないでいた。


「眩しいですか?」

 舷窓に溢れるばかりの星々の海に、セシリアは振り返る。

 ベットで半身を起こしたユリウスは、目を細めたまま首を振った。

 セシリアは、笑みを見せて舷窓の光量を絞る。


「何かお召し上がりになりますか?」

「何か、あるのかな?」


 いつかの会話に、ユリウスはやすらぎを覚えた。

 そして、セシリアの笑みにこの戦いの勝利の報酬を、ユリウスは感じていた。

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天空の要塞 バルカ戦記 テカムゼ @tekamuze

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