「天空の要塞」 バルカ戦記 第3部 決戦

 第八章 侵攻の艦隊


 一


 宇宙歴一五八年九月。


 インディラ要塞軌道上で待機していた第七艦隊以下のインディラ要塞駐留艦隊は、シンガ航路を抜けてきた主力艦隊を出迎えた。


 漆黒の宇宙空間の中に突如現れた厚い光の群は、第七艦隊以下の発光点滅信号に緩やかな舷側灯の瞬きで答える。

 

光の集団からは、インディラ要塞防衛任務を委ねられたフェイビー中将指揮下の艦隊が分離し、舷側灯の点滅敬礼を繰り返しながら要塞惑星に降下していく。


第七艦隊以下の四個艦隊は光の集団に合流し、バルカ同盟宙域への侵攻艦隊陣列が完成していた。


 各艦隊は、バルカ同盟宙域侵入後に予想される艦隊戦に備えて重層的密集戦闘態勢(ファランクス)を編成した。


外縁部分に重装甲艦を配置し、エネルギーシールドと防盾の厚い紡錘形の傘をつくり、その傘の中に駆逐艦、輸送艦、工作艦、揚陸艦などを配置する。

巡洋艦部隊は、遊撃部隊として紡錘隊形の両翼に展開した。


「一二個艦隊の戦列とは・・・。見事だ」

 戦闘配置である司令艦橋の参謀席で、メインスクリーンに投影された重厚な艦列に、カイトウもコリンズ砲術参謀の感嘆の言葉にうなずいていた。


 大艦隊を率い、広大なる宇宙空間を戦場に敵艦隊に一大決戦を挑み雌雄を決する。


 軍人としてこれ以上望み得る本懐があろうか。

 案外今回の作戦の実行理由の本音はその辺りにあったのでないか。


 宇宙艦隊総司令部において、この不毛なる戦いの帰趨を決すべきバルカ同盟領侵攻計画は長く暖められ続けていた。

 しかし、「壁」の存在はその実施を困難なものとしていた。


 それが、インディラ要塞攻略により突然陽の目を見ることになったのだ。

 ティロニア連邦軍の宿願であったバルカ同盟領侵攻作戦の提案に対し、何者が抗し得たであろう。


 軍事組織において、いやそれは軍事組織だけに限らないことであるが、その組織に取り不利益となる発言を行うことは難しい。


 宇宙艦隊総司令部においても、今回の作戦に対する反対意見も無くはなかったと聞いていた。

 しかし、理性的判断による消極的意見が多くの賛同を得ることは難しいものだ。


 その意見が組織の存在意義を脅かす、組織の拡大を阻む、ましてや縮小の危機さえをもたらすようなものであるならば、特にである。


 本来、シビリアンコントロール体制下において冒険的軍事活動は政治家により抑制されるべきものなのであるが、軍人、軍属、軍需産業三位一体からなる強大な勢力集団は、そのことさえ蝕む。


 カイトウには、今回の作戦の政治的意義と戦略目的は見いだせられなかった。


 彼らは何を望むのか。

 バルカ同盟領の完全征服など、不可能であることは明白ではないか。


 仮にこの作戦が所期の目的を達成しても、また達成し得なかったとしても、次の新たなる作戦が要求されるだろう。

 軍組織は拡大を求め続け、また実際に拡大を続けるのであろう。

 

 その組織を育む大樹を枯らすまで、宿り木は成長を続けるのか。

 それはまるで増殖を続ける癌細胞のようではないか。


 デスクに片頬杖をつき指先でコンソールの端を叩きながら、カイトウはもの思う。


「俺は皮肉屋か」

 この艨艟の壮厳なる艦列を目の前にして、高まりに心の底を揺さぶられる自分を否定できないカイトウはつぶやいていた。


 二


 カイトウが予想した通り、シンガ航路を越えたバルカ同盟宙域に敵艦隊の姿はなく、僅かの浮遊機雷の散布が認められただけであった。


 一大決戦を前に緊張していた艦隊は肩すかしを食い、掃宙艇と駆逐艦に機雷処理を行わせ、四周に監視衛星の設置と偵察艦隊の派出を行いながら、緩やかにプレトリア星系への侵攻の艦列を進めていた。


 進撃を続けるティロニア連邦軍艦隊に怯えたかのように、プレトリア星系宙域にも敵艦隊の艦影はなかった。


 プレトリア星系駐留の敵兵力は既に逃亡しており、プレトリア星系の民間人の大多数も避難し終えていた。

 残された僅かの民間人もティロニア連邦軍への抵抗の意思は示さず、簡単にプレトリア星系占領は成功していた。


 プレトリア星系には一二個艦隊の大艦隊が駐留し、インディラ要塞を経て運ばれてきた大量の補給物資が集積され一大軍事拠点の築造が行われていた。


 敵艦隊の攻撃はなく、また占領活動に対する何の妨害も行われなかった。

 いつしか各艦隊にはバルカ同盟侵入直後の緊張感は薄れ、何か物足りない雰囲気の倦怠感が漂うようになっていた。


 総司令部の策定した作戦計画によれば、プレトリア星系占領後直ちにカザフ、ウラル両星系占領の第二段階作戦の発動が行われるはずであったが、一つの問題が生じ作戦の遂行は遅れていたのだ。


 アレウト要塞戦線バルカ同盟軍要塞惑星ガンベル。

 宇宙艦隊総司令部が用意した要塞攻略兵器を使用しても、宇宙空間の不落の要塞は健在であり、その奪取は未だ成功していなかった。

 

 ティロニア連邦軍の作戦の齟齬は、バルカ同盟軍にしてみれば所定の計画通りのことであるかもしれなかったが、誰もそのことを口にはしなかった。


「期待はずれですね」

 ドイ中尉の言葉に、カイトウは苦笑で答えた。


 情報課室のスクリーンには、遠くアレウト要塞戦線から首都星アストラ、シンガ航路を経由して送られてきたガンベル要塞攻略艦隊の戦闘記録ビデオが映し出されている。


 アレウト航路は航行可能宙域が狭く、ガンベル要塞への艦隊の接近を秘匿し奇襲攻撃を行うことは不可能であった。


 ガンベル要塞に接近したオスマン中将の艦隊は、ほぼ同兵力の駐留敵艦隊の迎撃を受けたのだ。

 オスマン中将は見事な艦隊運動で敵艦隊の砲撃を受け流したかと思うと、少数の艦艇をガンベル要塞の方向に突出させた。

 と見る間に、オスマン艦隊迎撃のために衛星軌道を上昇させていたガンベル要塞のラヴェラン五、六基が砕け飛んだ。


「何ですか。あれは?」

 カトウ中尉が驚くのも無理はなく、ビデオ映像からは何が起こったのか見て取れなかった。


「超大型エネルギー弾らしい」

「カタパルトですか?」

 総司令部のいう要塞攻略兵器とは、小艦艇を改造し、大型エネルギー弾を投射できる磁力カタパルトを装備したモニター艦のことであった。


「役には立たないな」

 カイトウは、そう断定的に口にした。

「エネルギー弾では、大気を有した要塞表面への効果的攻撃は難しいだろう」


 例えラヴェランの鎧を打ち砕いたとしても、要塞主砲の凶暴なる牙を潜り抜ける強襲降下では多くの犠牲を覚悟しなければなるまい。

 まして、同兵力の敵艦隊とも戦わなければならないとなれば。


 オスマン中将は、有能で勇猛な指揮官であるという話を聞いていたが・・・・。


 機敏な艦隊運動で敵艦隊との距離を取りながら、じりじりとオスマン艦隊はガンベル要塞に接近した。モニター艦の群は、要塞裏側のラヴェラン攻撃のため要塞軌道上に展開する。

 そのとき、要塞表面に光芒が走り、要塞主砲が発射された。


 確認された光軸は四本。そのうち二本は、要塞裏側からの射撃であった。

「あれは・・・」

「敵にも、秘密兵器が用意されていたというわけだろうな」

「反射兵器ですか?」


 カイトウはうなずく。

 大量のエネルギーを必要とする要塞主砲は、通常要塞惑星表面に三基から四基設置される。 

 全周射界を確保するため各主砲は均等に離れた位置に設置されていたために、一方向から接近する艦隊に対しては最大二機の要塞主砲しか指向できなかった。


 しかし、反射衛星を使用することにより全砲火を一点に集中することができる。

 想像を超えた主砲の砲火の集中攻撃に、不用意に接近を図ったモニター艦の群は無惨に打ち砕かれていた。


 再びラヴェランが要塞軌道上に現れ、敵艦隊がオスマン艦隊の退却路を遮断しようと運動を起こしたとき、オスマン中将は要塞攻略を断念し急機動により艦隊を要塞から離脱させ、ガンベル要塞攻略戦は終了していた。


「オスマン中将は、良将ですね」

 ドイ中尉の講評に、カイトウはうなずきながらも考える。


 確かに、オスマン中将指揮の艦隊艦隊運動とその戦況判断は見事ものであった。この愚かな攻略戦を、最小の犠牲で終結させたといえる。

 しかし本当の良将であるならば、この愚かな攻略戦に艦隊を率いて参加するのであろうか。


「それで、どうなるのですか?」

 カトウ中尉に見つめられて、カイトウは首を傾げて微笑んだ。

「明日、プレトリア星系駐留全艦隊参加の作戦会議が開かれる。その場で、バルカ同盟侵攻作戦の第二段階の発動と今後の作戦内容について決定されるはずだ」


「どうなるのでしょう?」

 どうなるのか。どうすべきなのか。それはカイトウ自身が聞きたいことであった。

 カイトウはカトウ中尉の顔を見上げもせずに、顔を伏せたまま曖昧な笑みをつくっていた。


 三


 ティロニア連邦歴一五八年一〇月三日。

 プレトリア星系駐留一二個艦隊参加の合同作戦会議は、総旗艦ビシュヌの大会議室で行われた。


 長大な会議卓には宇宙艦隊総司令部を中心に各艦隊司令部が居並び、さしもの大会議室も人いきれで満ちていた。


「戦況の変化に鑑み、バルカ同盟侵攻作戦の一部変更を行う」

 総参謀長ドルマン中将の力強い言葉に、カイトウは首を傾げた。


 戦況の変化。

 明確に発言すれば、作戦の失敗ではないのか。


「ガンベル要塞の奪取は未だ成就していないが、オスマン提督のガンベル要塞攻略艦隊には本国駐留の予備兵力より二個艦隊の増援兵力が送られ、引き続きガンベル要塞攻略を行う予定である。シンガ要塞戦線においてはマレー要塞の攻略に成功し、ソロン要塞の封鎖も順調に行われ早晩攻略成が予定されている。現在、我が艦隊は十分なる戦力を有し、補給連絡線も有効に確保され活動している。第二段階の作戦開始になんら障害はないものである。よって明日を期して、第二段階作戦への移行を行う」


 そこで言葉を切り、全員に周知させるよう室内全体をゆっくりと見渡した総参謀長は、こう言葉を続けた。


「作戦の一部変更事項は、第七艦隊以下のウラル星系攻略艦隊の任務に、アレウト航路のバルカ同盟領側よりガンベル要塞攻略の任務を追加するものである」


 その言葉に対する室内のざわめきの中で、カイトウは目を上げた。オスマン艦隊にはガンベル要塞攻略のために新たに二個艦隊が増援されるのではないのか。


 そのうえにウラル星系攻略艦隊にガンベル要塞攻略をも命ずるとは。宇宙艦隊総司令部においてもオスマン艦隊によるガンベル要塞攻略の成功に疑念を抱いているということなのか。


 それにしても、わずか二個艦隊の兵力しか有していないウラル星系攻略艦隊にガンベル要塞攻略を命ずるとは無謀ではないか。

 カイトウの動揺をよそに、ヤオ司令官、ヤハギ参謀長ともに前方を見据えたまま動こうとはしない。


「何か、質問は?」

 喉元までこみ上げてくる言葉をカイトウが抑えていたとき、発言をしたのはヤハギ参謀長ではなく、ヤオ司令官であった。


「ウラル星系攻略艦隊にガンベル要塞攻略任務が追加されるということだが、ガンベル要塞攻略のためには艦隊進撃路及び補給線の確保のためにもウラル星系攻略の成功が前提条件として必要であるが、そのように判断して差し支えないのか?」


「もちろんです」

とドルマン総参謀長は答え、

「もし、第七艦隊以下の艦隊がウラル星系攻略中にオスマン艦隊がガンベル要塞を攻略すればそれで問題ありません。ウラル星系攻略成功後の段階においてもガンベル要塞攻略が成功していない場合には、オスマン艦隊とともにアレウト航路の両側からガンベル要塞を攻略していただきたいのです」


「しかし、航路の両側から攻略戦を行うといっても間に敵要塞惑星を挟んでは、敵の通信妨害によりオスマン艦隊との連絡がとれず、有効に攻略戦が実施できないものと判断しますが?」

 ヤハギ参謀長の問いかけへのドルマン総参謀長の回答は簡単なものであり、また皮肉なものであった。


「オスマン艦隊への連絡は、宇宙艦隊総司令部が取り次ぎを行う。もし、オスマン艦隊への連絡通信の有効な維持が困難な場合においては、独力でガンベル要塞の攻略をお願いする」


「要塞攻略の戦術については?」

「ウラル星系には小惑星帯が散在している」


 ドルマン総参謀長の皮肉な発言に室内には失笑が漏れ、カイトウは自分の戦術が愚弄されたものと頬を紅潮させた。


 宇宙艦隊総司令部においては、小惑星を利用したインディラ要塞攻略戦術が児戯的な邪道戦術であるという評価がなされているという噂をカイトウは耳にしていたのだ。


 何も為し得なかった者に、何を言う資格があるのか。カイトウは蔑みの思いとともに憎しみさえ覚えていた。


「他に、何か質問は?」

「敵艦隊に関する動向情報の分析はどのようになっておりますのでしょうか。侵攻作戦の開始以来、未だ敵艦隊とは遭遇しておりません。このことにつき、総司令部ではどのように判断されておられるのでしょうか?」


少佐参謀風情の口にすることではないと思いながらも、屈辱の怒りに駆られて発言していた。

 そして、カイトウに向けられた総参謀長のあからさまに冷たい素振りにも、始めたものは止めるわけにはいかなかった。


「敵艦隊の動向については、把握されていない」

「敵艦隊は、我が艦隊が兵力を分派する時を各個撃破の好機と待機しているものと考えられますが、そのことについてはどのように判断されておられるのでしょうか?」


「カザフ、ウラル両星系攻略艦隊の進発を契機として敵艦隊が我が艦隊に攻撃を挑んできた場合には、我が主力艦隊は両艦隊及びインディラ要塞防衛艦隊と共同し敵艦隊を迎撃、撃破する予定である」


「しかし、未だソロン要塞の攻略に成功はしておりません」

「貴官は何を言いたいのだッ!」

 ドルマン総参謀長の怒気にも、カイトウはひるまなかった。


「カザフ、ウラル両星系攻略艦隊は、攻略作戦開始後の段階において主力艦隊決戦に参加することは容易ではありません。インディラ要塞防衛艦隊がソロン要塞攻略に手間取る場合、プレトリア星系は八個艦隊だけで敵艦隊を迎撃せざるを得なくなります。敵艦隊は、我が侵攻艦隊と同規模以上の兵力の動員が可能と判断されています。敵艦隊が兵力の分散をおこなうことなくプレトリア星系に進出してきた場合には、兵力的に著しく不利な状況においての戦いを強いられることとなるのではないでしょうか」


「インディラ要塞攻略戦において、コルドバ星系から離脱する敵艦隊を見逃しその戦力を温存させたのは貴官ではないかッ!」

 不意に立ち上がりそう発言した総司令部作戦参謀シェフーリン大佐の発言は攻撃的であり、カイトウに向けられた視線は敵意と憎しみに満ちていた。


「インディラ要塞攻略戦における戦略目的は、インディラ要塞とコルドバ星系の占領でした。小官は、現在の戦況における最重要戦略目的はプレトリア、カザフ、ウラル星系の確保であるのか、敵艦隊の撃破であるのか、それともガンベル要塞の攻略による補給線の確保であるのかを確認したいのであります」


「全てである」

 傲慢な切口上のシェフーリン大佐の言葉に、再びカイトウが唇を開きかけたことを僅かな肘の動きでヤハギ参謀長は抑えた。

 不満顔を露にして、それ以降カイトウは沈黙を守った。


 不機嫌なとき、自分に都合の悪いとき、すねた子どものようにカイトウは押し黙るのだ。


 既に行動は決定しており、作戦の第二段階は予定通り発動されることに決していた。


「失礼しました」

 総旗艦ビシュヌの格納甲板において、カイトウは連絡艇に乗り込む司令官に作戦会議の場における非礼を詫びた。 

 カイトウの前を歩くヤオ司令官は、口元にわずかの微笑みを見せただけであった。


 ヤハギ参謀長は、

「全く失礼だ」

と苦笑いをつくる。


 そして、明るい笑顔を見せた。

「あれでいい。総司令部も、少しは慎重な艦隊運用を行うだろう」


「いい度胸をしている」

 コリンズ中佐の言葉は、誉めているのか貶しているのか判断できなかった。


 不器用に伏せた唇を歪めるカイトウは、何を言われどう慰められても、屈辱による惨めな傷心に沸き上がるわだかまりと暗い怒りの炎は消すことはできなかった。


 四


「一応、計画通りというところですね」

 バンゼルマン中佐の言葉に、ユリウスは静かな微笑みを返した。


 バルカ同盟領宙域に侵入したティロニア連邦軍艦隊は、約一二個艦隊。バルカ同盟軍の計画想定の通り、侵攻艦隊はプレトリア星系を占領したが、アレウト要塞戦線のガンベル要塞は堅守を誇り、ティロニア連邦宙域からの攻勢を跳ね返していた。


 そして今、バルカ同盟軍艦隊は一八個艦隊の戦力で、ティロニア連邦軍侵入艦隊との決戦の場を宇宙空間に求めていた。


「他の要塞戦線におけるティロニア連邦軍の攻勢活動は認められていないのか?」

 旗艦イラストリアス艦橋の司令官席に座を占めるユリウス・バルカは、艦橋後部の参謀席に居並ぶ自らの幕僚を振り返った。


「ソロモン戦線において、小艦艇の威力偵察活動が認められる程度で平穏であります」

「今回の侵攻作戦に、ティロニア連邦は二〇個艦隊近い艦隊を動員しております。他の戦線においては、陽動作戦以上の作戦遂行余力は無いものと判断されます」

 情報参謀ヒューイット中佐の答えに、作戦参謀バンゼルマン中佐の言葉が続いた。


 ユリウスは自分の幕僚を編成するに当たり、出身星系にこだわることなく能力を重視し選任していた。


 参謀長に、自分の侍従武官ギムレット少将。

 作戦参謀には、前高級副官にして中佐に昇進をしたバンゼルマン。

 航海参謀には老練なる航海士官バルディス中佐。

 情報参謀には執政官府から推薦されたヒューイット中佐。

 補給参謀には、補給実務に明るいマヌハイム少佐。


 彼らの中には、反バルカ星系出身者も含まれていたが、ユリウスは拘泥しなかった。

 幕僚編成に当たり、ユリウスの元には自薦他薦の候補者が引きも切らず現れたが、ユリウスはそれらの推薦者の存在を無視し、参謀候補者名簿の中から実務能力のみを重視して選考したのだ。


「マレー要塞の失陥は残念でありますが、未だソロン要塞は健在であります。ティロニア連邦軍占領下にありますプレトリア星系の我が情報組織は効果的活動をしており、敵艦隊の動静は確実に把握されております」

「後の問題は、何時の時点で攻勢を開始するかということだけだな?」


 ユリウスの問いかけに、バンゼルマンは自信に満ちた笑顔を見せる。

「現在プレトリア星系には、約一二個艦隊の敵艦隊が駐留しております。我が艦隊は全一八個艦隊の戦力を集結しており、敵戦力の一・五倍の戦力があります。現在の状況に置いて敵艦隊に決戦を挑みましても、我が軍の勝利は揺るぎ無いものと判断いたします」


「では、作戦参謀は現時点において艦隊決戦を挑むべきだと・・・?」

「いえ、より完全な勝利を得るためにはまだ十分であるとはいえないでしょう。もう少し待てば、プレトリア星系に駐留している敵艦隊の一部がカザフ、ウラル両星系への攻略に向かい、敵戦力は分散されるものと判断されます。その段階において決戦を挑めば我が艦隊の勝利はより確実なものとなりましょう。しかし、・・・」


「それまでの間にガンベル、ソロンの要塞が陥落すれば、それぞれの攻略艦隊が行動の自由を取り戻し、敵艦隊は増強される」

 司令官席で足を組み片頬杖をつくユリウスの静かなつぶやきに、腕を組むギムレット参謀長はうなずきを見せる。

「難しいところだな」


「先ほども申し上げましたとおり、プレトリア星系における情報機関は有効に活動しております。敵艦隊の動静は確実に把握され、情報戦においては明らかに我が軍が勝利しております。

 

 もし、ソロン、ガンベル両要塞が失陥し敵艦隊が合流しようと接近してきた場合には、敵艦隊の二倍ほどの戦力を分派し迎撃させればよろしいでしょう。敵主力艦隊との決戦はその後に行えばよいことです」

「なるほど。どちらにしても、我が軍の勝利は確実というわけですな」


 バンゼンルマン中佐の説明に、航海参謀バルディス中佐が感嘆の声を上げる。

 商船学校出身で徴用士官である彼はすでに白髪を有し、ユリウス機動艦隊幕僚の最長老である。


「情報戦の威力は、それほどまでに大きいということですか?」

 補給参謀マヌハイム少佐は若々しい洞察を見せ、ユリウス機動艦隊最年少幕僚である彼に、ギムレットは暖かな眼差しを向けた。


「戦力の優勢とは、全体の艦艇数のみでもって計られるものではない。実際の戦場に会し、砲火をまみえることができるものこそをいうべきである」

 ユリウスは、参謀長の言葉に皮肉に思う。


 彼らは今、何を思っているのかと。彼らはバルカ同盟宙域への侵攻に際し、周到なる作戦を練り上げ兵備を整えてきたはずである。

 それが今、ガンベル要塞とソロン要塞の攻略遅延により、全艦隊がプレトリア星系で立ち往生している。彼らはこの状況に、どう対処しようとしているのか。


 あの、鮮やかにインディラ要塞を攻略した戦術の冴えはどこに忘れてきたというのか。


 今、彼らの補給連絡線は長く伸び不安定で、たやすく断ち切れるものである。単に艦隊戦における勝利だけを求めるものであるならば、いくらでもその機会はあるであろう。


 しかし今は待たねばならない。

 この戦いから最高の結果を引き出すために。

 それは軍事的な勝利のみならず、政治的な勝利をも意味していた。


 今回の作戦の総指揮はバルカ同盟軍宇宙艦隊司令長官バヤジット大将が執っていたが、彼はバルカ同盟の全軍権を掌握する執政官アジュラム・バルカから極秘の内命を受けていた。

 それは攻勢作戦の発動に際しては、ユリウス・バルカ中将の同意が必要であるというものであった。


 バヤジット大将の立場は複雑なものであり、たとえそれが執政官とその弟だけしか知らないことだとしても、彼の指揮権を侵すこの命令は十分にその矜持を傷つけるものであるだろう。

 

 その複雑な心境を思いやり、やはり、自分が全艦隊を直卒すべきであったろうかと、ユリウスは、今更ながらに悔いていた。


 五


「退屈ですか」

 セシリヤにそう訊かれ、司令官私室のソファに無造作に腰掛けたユリウスは少年のように不満げに唇をとがらせ、うなずいた。


 バルカ同盟軍艦隊はプレトリア星系周辺宙域に集結し、決戦の時は近づいていた。艦隊決戦戦術は決定し、あとは機が熟すのを待つのみであった。


 ユリウスに今なすべきことは何もなく、ただ待つだけであったが、彼はただ待つことに慣れてはいなかった。


 そろそろ、あの作戦が行われるはずであった。

 ユリウスは今日のことを見越して、アジュラムに一つの謀略を進言していた。


 それは、カザフとウラル両星系の反バルカ勢力にティロニア連邦軍への内応を図らせることであった。

 反バルカ勢力に、または反バルカ勢力を名乗った諜報組織員に、ティロニア連邦軍に対し両星系への侵攻を要請させるのだ。


 そのことは、ティロニア連邦軍の両星系への侵攻を促すと共に、この戦いの後の反バルカ勢力との政争に一つの有利な材料を提供しよう。


 このユリウスの深謀にアジュラムは驚きを表したが、また訝しみもした。

「それは確かに効果的な謀略ではある。しかし、策におぼれてはならない。公正なる統治は、謀略により維持されるものではないのだ」

 そう諭す兄に対し、ユリウスは乾いた眼差しを向けたのだった。


 そう。あなたはその公正さと聡明さで民衆の支持を得て、バルカの統治を行っているかもしれない。

 しかし、あなたのその公正さは、反バルカ勢力により深く危機感を抱かせ先鋭化させているのではないか。

 

 この独裁体制が、その独裁者の高邁なる資質により民衆の圧倒的支持を得続け永遠に続くのではないかという畏れ。

 彼らはそのことにおののき、より窮地に追いつめられているのかもしれない。


 優しさが、優しさのみで受け取られ、優しさだけで返されるとは限らないのですよ。兄上。


 ユリウスは、セシリアを抱きながら思う。

 お前のその優しさが、より追いつめていることを知っているのか。兄上も、ギムも。誰も私のことなどわかりはしない。

 何を望み、何をなしたいのか。

 バルカの統治などひとときの幻に過ぎない。


 怯えを見せるその閉じた睫毛に、ユリウスはそっと息を吹きかける。


 六


 行わなければならないことはいくらでもあった。


 ウラル星系の敵艦隊情報の収集と分析。各惑星防衛戦力情報の収集と分析。惑星占領地上部隊の配置計画。最短期間の占領行程の策定。万が一のための迅速な撤収計画の策定。

 それに加え、ガンベル要塞の攻略手段の検討。


 カイトウは、自室にこもって二つのモニターと散乱した書類を交互に覗き込みながらぼやいていた。

「こんなはずではなかったのに」


 一つの検討が終わる度に新たな問題点が生じ、作戦シュミレートは一向に進まないでいた。

 そして、この作戦立案後も、採用させ、実行させるための説得の困難さも予想でき、より一層カイトウを追いつめていた。


「もしガンベル要塞攻略が成功したとしても、戦功はみんな奴等のものではないか。何で奴等の作戦失敗のしりぬぐいを、俺がッ!」

 胸中のしこりに苛立ちデスクの上のコップを壁に投げつけたとき、背後にイデ二曹が立っていたことに気づいた。


「何だ?」

 いつにない不機嫌なカイトウの声に、イデ二曹は怯えたようにその身体をすくませた。


「ガンベル要塞の、ラヴェランの軌道変更能力の解析ができましたのでお持ちしました」


「ノックぐらいしろ!」

「いたしましたが、お気づきになられませんでしたか?」


「ならなかったね」

 カイトウは投げやりな言葉を吐く自分の目の中に怒りが宿っていることに気づき微笑んだが、その光を消すことはできなかった。


「ガンベル要塞駐留艦隊の情報は?」

「作戦本部の分析が終了していないとのことで、入手できませんでした」


「なぜだッ。戦うのは我々で、奴等ではない!」

「申し訳有りません・・・」

 理不尽な問いつめに、悲しげにその美貌を歪める部下の姿に、カイトウは何か心地よいものを感じていた。

 そして、不愉快げに片方の瞳だけを細める。


「資料は置いておいてくれ」

 そう言い捨てて背を向け再び書類を取り上げても、イデ二曹は部屋を出ていこうとはしなかった。


「まだ何か用があるのか?」

「何か、欲しいものはありませんか。食事とか、お茶とか・・・。何も口にされていないようですが」


 何でそんなに怯えたように言う。雨に濡れて震える子犬のように・・・。


 カイトウはいらついていた。それほどまでに、俺は恐れ嫌われる暴君の上司なのか。

 自らへの嫌悪感に、カイトウは嫌みな笑みを浮かべる。


「いらない」

「でもそれでは、お身体が・・・」

「うるさいッ」


 大声を出すことのほとんどないカイトウが、ここまで感情を表すことももめずらしかった。

 そしてカイトウは寂しげに目を伏せるイデ二曹を見つめながら、不意に思いついた皮肉に唇を歪めていた。


「欲しいのは、君さ」

 悪い冗談のつもりであった。しかしカイトウの言葉に思い詰めた眼差しを返すイデ二曹の瞳は、冗談を冗談でなくそうとしていた。


「いやなのか?」

「・・・いえ」

 少しだけカイトウの顔を仰ぎ見たイデ二曹は、再び目を伏せて首を振る。


 カイトウは逆立った神経が張りつめ、指先にまで力が漲っているのを感じていた。乱暴に傍らのベッドにイデ二曹を押し倒し、覆い被さったカイトウは明かりもそのままに欲望のまま動いていた。


「いいのか?」

 その胸をはだけて両腕を掴みあげ、イデ二曹の顔を覗き込み今更ながらにそう言う。彼女が目を閉じたままうなずくのを見てカイトウは勝ち誇っていた。


「卑怯な男さ。いつも俺は」

 自虐の思いに心の傷を嘗めながら、カイトウは荒々しく他人の体を自由にしていた。


 それは、空母「アトラス」に乗艦していたときのことだった。

 カイトウは戦闘機搭乗配置についていた。


 戦闘機操縦者(ファイターパイロット)となることは若い兵士の憧れであったが、実戦における戦闘機操縦者(ファイターパイロット)の損耗は激しく、一度の戦闘で平均一割を超える戦闘機操縦者(ファイターパイロット)が未帰還となっていた。


 当然のように戦闘機操縦者(ファイターパイロット)の心はすさみ、搭乗員待機室には酒と薬と乱れた性関係が満ちていた。


 そのどれをもにも手を染めないものは、性格異常者か少なくとも変人であると見られていた。


 カイトウはその少数者の一人であったが、幾度かの実戦経験後一人の若い女性戦闘機操縦者(ファイターパイロット)と関係を持つようになっていた。


 今ではもうその名前さえも忘れかけていたが、その痩せた筋肉質の肉体でカイトウの身体を受けとめながら、闇の中で見開かれていたその目の強い光を今も鮮やかに覚えている。


 ただお互いの生命の存在を確認しあうためだけに肉体を求めぶつけあうだけの関係であり、一度もカイトウは彼女に優しい言葉をかけたりはしなかった。

 彼女もまた、カイトウに優しさを望む素振りを見せもしなかった。


 ある日の戦闘で、彼女は未帰還となった。

 カイトウはそのことに悲しみというものを感じなかったが、その心に虚しい喪失感だけを抱いていた。

 次の出撃において、カイトウは列機の位置を離れ怒りに駆られるままに無理な格闘戦を行い敵機を二機撃墜していた。


イデ二曹は、彼女とは違う。

 目を閉じたままで、カイトウの動きに耐えている。

 その顔を見おろしながら、わざとイデ二曹の嫌がるであろうことを行い短い声を上げさせた。


 その髪を解き指に絡め、白く薄い乳房に顔をうずめる。そのあらがう腕を組みしいて、背を仰け反らせる。

 その胸を掻き抱いて、高鳴る鼓動と息遣いに耳を傾けた。


 再び彼女が目を開いたとき、カイトウは優しくその髪を撫でその身体を離した。


 背を向け再びモニターを覗き込むカイトウに、何も言わずイデ二曹は身繕いをして部屋を出ていった。

 背中にドアの閉まる音を聞きながら、カイトウはまた一つ煩わしいことが増えたとだけ思っていた。


 情報課室に帰ってきたイデ二曹を見て、ドイ中尉は何かその異変に気づいたが口にだすことはできなかった。


 色づいた頬と思い詰めた瞳の色。


 カイトウ少佐の怒気に触れ泣いたのであろうか。

 カイトウ少佐は部下に対し良き理解者であり良き上司であったが、時として暴君的な粗野な素振りを見せ、暗に服従を強いる振る舞いをすることがあった。

 そしてまた独善的でもあり、他者とは相いれない孤高を装っていた。


「カイトウ少佐は、どうされていたの?」

 カトウ中尉に尋ねられたイデ二曹は、

「ガンベル要塞の戦力情報の分析をされてました」

と、その顔も上げずに答えていた。


 そのよそよそしげな返事に室内には何か気まずい沈黙が漂い、その横顔をカトウ中尉は見つめ続けていた。



ウラル星系の占領は困難ではなかった。ウラル星系内に敵艦隊の艦影はなく、各惑星の敵地上兵力は少なく占領への抵抗は僅かであった。


 カイトウが労力を要したのは、ウラル星系攻略地上軍司令官イーラム少将と艦隊司令部に派遣されている連絡将校のバルドス中佐との作戦遂行のための折衝任務であった。


 カイトウはヤオ司令官に進言し、ウラル星系の五つの恒星系に対する占領作戦を変更し縮小と簡易化を行っていた。


 一度に占領の手を広めず、人口の多い居住可能惑星の占領を中心とし、部隊を集中的に配置し撤収への即応体制を整える。


 連絡将校として第七艦隊司令部に派遣されていたバルドス中佐はカイトウの占領計画の変更に理解は示してくれていたが、艦隊独断の占領計画変更は納得がいかないとしてイーラム少将の降下指揮艦までヤハギ参謀長と共に呼びつけられ理由の説明させられるに及んではカイトウの忍耐も極限に達しようとしていた。


「我が師団は、ウラル星系全体の占領と恒久的防衛体制の確立を宇宙艦隊司令部から命じられている。そのことは、ヤオ中将も知っておられるはずである。それが作戦遂行直前のこの段階においての、艦隊司令部からの一方的作戦変更指示には承服できない。作戦変更の納得できる理由が聞きたいものだ」


 デスクの前にカイトウとヤハギ参謀長を立たせたまま、背後にその幕僚を従えたイーラム少将は傲然とその脚を組んで見せた。


(そんなことができるものか)

 その思いが顔にでたのか、イーラム少将の背後でバルドス中佐が頬を歪めてたしなめの視線を送っている。

 カイトウは密やかに息を吸い、事務官僚の無表情を装った。


「先のプレトリア星系における合同作戦会議において、我がウラル星系攻略艦隊にはアレウト要塞戦線ガンベル要塞攻略の任務が追加されました。少将もご存じのように未だガンベル要塞は陥落せず、アレウト航路は我が艦隊に閉ざされたままです。シンガ要塞戦線においても、ソロン要塞攻略が成就していない今、早急なるガンベル要塞の攻略が望まれております。そのためにも、ウラル星系の攻略を急がねばなりません」


 ヤハギ参謀長の説明に頷きながらも、イーラム少将は鋭い視線をカイトウに送る。

「それは分かる。そのためにウラル星系の攻略を簡略化することは賛成するが、攻略開始前から撤退作戦の準備するとは、あまりに悲観的に過ぎないか。この有り様で、いかにして部隊の士気と占領地域の治安を保つのか。ウラル星系の各星系住民はわが軍の占領に好意的であり、こぞって軍の進駐を求めている」

 

「聞くところによると、貴艦隊司令部の一部においては敗北主義がはびこっているという噂があるが・・・」

(敗北主義じゃない。現実的判断さ)

 呟きの冷笑を、カイトウは視線を逸らして抑えた。


「インディラ要塞攻略の歴史的戦歴を有した第七艦隊司令部の武勇はどうしたというのか?」

「撤退作戦の準備については、あらゆる局面に備えての対策の一貫としてお考えください」


 装甲降下師団司令部の好奇な視線に耐えながら、カイトウはヤハギ参謀長の言葉に無理に浮かべた追従の笑みを送っていた。


「これ以上の忍耐は、限界を超えます」

 降下指揮艦の帰途、カイトウは連絡艇の隣の座席の参謀長にぼやいた。

 誰かに、そう口にでもしなければやってられない心境であった。


「おや、貴官も少しは忍耐をしていたのか?」

「少しはですけれど」

 参謀長のとぼけた答えに、カイトウは苦笑をつくる。


 崩れるようにだらしなく座席に腰掛け、疲労がにじんだ頬に物憂さを漂わせる。

 その横顔を、ヤハギ参謀長は横目で盗み見て、カイトウが体力的にも精神的にも限界に近づいていることを感じていた。

 しかし慰めにかける言葉も見つからず、舷窓の中の宇宙空間を見やった。


(彼にやってもらわねば)

 ウラル星系攻略艦隊の運命が、カイトウの肩にかかっていることをヤハギ大佐は知っていた。

 

 無限に続くかに思われたカイトウの孤軍奮闘も、無駄には終わらなかった。

 バルカ同盟軍が突如攻勢に転じたことにより、カイトウの予想したとおりの戦況がこの宇宙空間に現出したのだ。


 

 第九章 名誉と栄光のために


 一


 バルカ歴四六年一〇月九日。

 プレトリア星系に駐留していたティロニア連邦軍艦隊はその戦力を分派し、カザフ、ウラル両星系の占領作戦を開始した。


 その報を受けたバルカ同盟軍艦隊の合同司令官会議は、バヤジット大将の乗艦ハーミスにおいて行われた。


 その場において、プレトリア星系に駐留していたティロニア連邦軍はそれぞれ二個艦隊をカザフ、ウラル両星系に分派したことが確認された。

 その結果、現在、プレトリア星系に駐留しているティロニア連邦軍艦隊は八個艦隊であった。


「カザフ星系に対しサラディン中将指揮下の二個艦隊を派遣し、ウラル星系にはギル中将指揮下の二個艦隊を派遣する。」


「これらの艦隊は、両星系がティロニア連邦軍により占領された後両星系に進出し、情報機関から敵艦隊の情報提供を受けながら、敵艦隊が星系占領のため艦隊兵力を分散した好機を捉え奇襲攻撃を行うものとする。これらの艦隊は、あくまで、主力艦隊決戦に対する陽動と牽制がその任務である。このことに特に留意し、悪戯に艦隊戦における勝利に拘泥されないように注意されたい。」


「主力艦隊は、両星系の占領作戦が本格的に開始されるであろう一〇月二五日を持って本格的攻勢を開始するものとする。艦隊主力決戦においては、私が直卒する一〇個艦隊で前衛を構成し、ユリウス・バルカ中将が率いる四個艦隊が後衛を務めるものとする。決戦戦術においては、既に周知の通り、故意に前衛艦隊を敵艦隊に突破させ、後衛艦隊と共同し挟撃することであり、その最終目的は敵艦隊を完全に包囲撃滅することである。以上この作戦について、何か質問は?」


 バヤジット大将が説明を行ったこの作戦案は、事前にユリウスに説明され、実行時期と併せ同意を得ていたものであった。


「後衛艦隊の戦力が少なすぎませんか。敵戦力は八個艦隊。前衛艦隊突破後の敵艦隊の猛撃を受けた場合、撃ち崩されたならば包囲戦術の遂行は困難となりますが?」

 浅黒く精悍な顔立ちのクーリッジ中将が、そう当然の疑念を口にした。


「クーリッジ中将は、私の艦隊指揮に疑念をお抱きですか?」

 ユリウスの少し意地の悪い発言に、

「いや、そのような意味ではなく、単純に戦力比較として倍する敵艦隊の攻勢を受けとめることは容易ではありません。戦力的に困窮しているわけではないので、もう少し後衛艦隊の戦力を増加しても、全体の作戦遂行に影響はないものと本官は判断するわけであります」


 クーリッジ中将は、執政官の弟の言葉に戸惑いを見せながらも正しい戦術分析をしてみせた。

 ユリウスがバヤジット司令官から当初説明を受けた作戦案でも、後衛艦隊は六個艦隊となっていた。

 しかし、ユリウスはその作戦案に修正を求めたのであった。


「前衛があまりに薄すぎると、敵艦隊に策を見破られる恐れがあります」

 もちろん、敵に我が策が看破される可能性は常にあり、その場合における対応策も策定済みではあった。


 しかし敵艦隊が前衛艦隊突破を望まず、平行砲撃戦等に陥った場合には、敵艦隊の撃滅は困難となる。


 前衛艦隊の延翼運動による包囲戦術を見せつけることにより、敵艦隊は中央突破戦術の必要性を認識する。

 そのためには、前衛艦隊には、包囲の脅威を覚えさせるほどの多数の艦艇が必要であった。


 例えユリウスの後衛艦隊が壊滅しても、前衛艦隊が機敏な艦隊運動を行えば、ユリウス艦隊とティロニア連邦軍艦隊との交戦の間に包囲陣を完成でき、消耗した敵艦隊を撃滅できる。


 この戦いにおいてアジュラムとユリウスが求めたものは、圧倒的勝利であった。


 ただしバヤジットの立場にすれば、たとえ敵艦隊を完璧に撃滅し勝利を得たとしても、執政官の弟を戦死させたとなれば栄達はおろか、その軍歴に終止符を打たれ、下手をすれば国家反逆罪の軍事法廷が待ち受けているかもしれなかったが・・・。


「私は四個艦隊を率いさせていただきます。私の艦隊が壊滅するまでに、敵艦隊を包囲し打ち砕いてくれることを期待しています。それが、この作戦実行への同意に対する私の条件です」


 ユリウスの余裕さえ窺える悪戯な笑顔に、バヤジットは同意せざるを得なかった。


 合同作戦会議は、バヤジット司令官が提出した作戦案が決定され、実行されることに決したのであった。



 バルカ歴四六年一〇月二五日。

バルカ同盟軍の反攻作戦は、発動された。


 周到に準備された作戦により、ティロニア連邦軍占領宙域で一斉にバルカ軍の軍事活動は開始された。


 ティロニア連邦軍が設置した偵察監視衛星は突如に各星系内に潜んでいたバルカ同盟特殊部隊により破壊され、通信妨害衛星が一斉に活動を開始し、ティロニア連邦軍の通信網を混乱させた。


 ティロニア連邦軍占領下の惑星上ではコマンド部隊によるティロニア連邦軍地上部隊への奇襲攻撃が行われ、またによる組織的サポタージュ、ストライキ、デモが実施されていた。


 カザフ、ウラル両星系にはクーリッジ、ギルの両提督が率いる艦隊が進出し、バヤジット大将指揮下のバルカ同盟軍主力艦隊一二個艦隊は、重厚な艦列を組みティロニア連邦軍の偵察監視衛星を破壊しながらプレトリア星系に接近していた。


 二


 ティロニア連邦歴一五八年一〇月二六日、一通の電文がウラル星系攻略に従事していた第七艦隊に届けられた。


「プレトリア星系に、敵艦隊が接近中とのことです」

 情報課の自席で、その報告を受けたカイトウの反応は鈍いものであった。


「そうか・・・」

 デスクの上に両肘を突いて力の失せた視線を落とし、首を傾げたまま目の前のイデ二曹を見上げようともしない。


 予想はしていた。六時間前から突如ウラル星系内各地で敵勢力の活動が始められ、通信妨害と補給線への奇襲攻撃が加えられていた。


 また、覚悟もしていた。

 しかしそれが現実のものとなったとき、これから生じる悲劇的運命の結末までもが垣間見え、カイトウの心を重く塞いでいた。


「参謀長から、司令艦橋にすぐおいでいただきたいとのことです」


 兵力が分散した状況におけるプレトリア星系での接敵。

 それは、バルカ同盟のしたたかな戦術がうかがえた。

 最悪の可能性。

 カイトウは敗北の匂いを嗅いだ気がしていた。


「・・・カイトウ少佐?」

 訝しげに覗き込むイデ二曹の顔に、カイトウは微笑みを返し、気怠そうにゆっくりと立ち上がり軍帽を取り上げた。


「ウラル星系各占領部隊の撤収計画のチェックと発動の準備を頼む」


「承知しました」

 そう答える、カトウ中尉の顔にいつもの朗らかな笑顔を認めた。


 カイトウは横目でカトウ中尉の表情を捉えたまま、司令艦橋へのエレベーターに乗りこみながら考える。 


 バルカ同盟軍の動員可能戦力は、何個艦隊なのか。

 バルカ同盟領へのティロニア連邦軍侵攻艦隊兵力を正確に把握できているのならば、他の要塞戦線への新たな侵攻作戦実施の恐れをバルカ同盟軍は抱くまい。


 だとすれば、バルカ同盟軍は二〇個艦隊以上の兵力をティロニア連邦軍侵攻艦隊の迎撃に差し向けることができるであろう。


 それを、彼らは我らに対しどのように配分し攻勢を仕掛けてくるのであろうか。

 その可能性は幾通りも考えられ、そしてその決定権はバルカ同盟軍にあった。

 カイトウは暗い敗北の思いに囚われ続け、振り払えずにいた。


 第七艦隊旗艦イラストリアスの司令艦橋は、喧噪と興奮に包まれていた。司令官席周辺には各参謀が集まり、カイトウが近寄り敬礼をするとヤハギ参謀長が振り返る。

 その肩先の向こうのメインスクリーンには、漆黒の宇宙空間が投影されている。

「プレトリア星系だ」


 その言葉に、カイトウはうなずきを返した。

「敵戦力は、何個艦隊ですか?」

「不明だ。強力な通信妨害が行われ、断続的にしか総司令部からの通信を受電できていない」


「総司令部から我が艦隊への指示は?」

「今のところ、何もない」


 艦隊戦が行われる場合、当然通信妨害は予想される。

 ましてここは敵地である。どこに敵兵力が潜み妨害や監視などのゲリラ活動を行っているか分かりはしない。


 ティロニア連邦軍が設置した通信中継衛星は突如組織的に破壊され、妨害電波の放出が断続的に行われていた。

 プレトリア星系への補給線上には敵性艦艇が出没し、輸送艦隊が襲われていた。


「通信回復と補給線の確保のため、プレトリア星系への連絡線の確保が必要です。通信維持のため中継衛星と補給線維持のための監視衛星の設置。護衛艦艇の配置の措置も必要でしょう」

「我が艦隊に対する敵艦隊の攻撃も予想されますので、艦隊周辺の索敵の強化と艦隊位置の変更もお願いします。地上部隊の撤収準備、カザフ星系攻略艦隊との連携のための連絡艇の派遣及び通信線の維持確保についても措置が必要と判断します」


 カイトウの言葉にヤオ司令官が振り返りもせずうなずき、ヤハギ参謀長の指示により通信参謀チェ少佐と航海参謀アブドール少佐がそれぞれの任務を行うため司令官席を離れた。


「それで、我が艦隊はどうすべきか?」

 ヤハギ参謀長に問われて、カイトウは思考をめぐらしていた。

 その横顔を、ヤハギ参謀長は見つめている。


「イーラム少将より入電しました。占領活動中の装甲降下師団が敵正規兵部隊の奇襲攻撃を受け現在交戦中とのことです」

 バルデス中佐の報告に、ヤハギ大佐はうろたえさえ見せる。

「正規兵ッ?。民兵かゲリラ兵ではないのか?」

「完全装備の、装甲師団と遭遇したとのことです」

「どこに潜んでいたというのか」

 ヤハギ参謀の絞るような嘆きの声に、カイトウは振り返りもせずに更に暗い予感に思いを沈めていた。


 三


「それでは、プレトリア星系の宇宙艦隊総司令部から、ウラル星系の占領維持に努めるよう指示があったわけですね」

 第七艦隊旗艦イルマタルの会議室の壁に掛けられた通信用スクリーンに投影された、第二一艦隊司令官リウ中将の画像は口を開いた。


 その背後には、第七艦隊とともにウラル星系攻略に従事している第二一艦隊司令部幕僚の姿が居並ぶ。

 ウラル星系攻略開始以来、ヤオ指令官は第二一艦隊を分派することなく、常時艦隊兵力の集中に努めていた。


「プレトリア星系に接近中の敵艦隊は約八個艦隊ですか。我が主力艦隊とほぼ同兵力ですね」

 ヤオ司令官のうなずきにリウ司令官は、

「いよいよ待ちに待った艦隊決戦というわけですか」

と、剛毅に笑う。


 そうだろうかと、ヤオ司令官の背後に他の幕僚と居並ぶカイトウは訝しむ。


 バルカ同盟軍は、我が艦隊兵力をほぼ正確に把握しているであろう。バルカ同盟領侵攻艦隊の兵力が分派されたこの時期に始めて敵艦隊が出現し、そして同時に各占領惑星での抵抗活動が始まったということは、バルカ同盟軍の周到な迎撃作戦の存在が感じられる。


 だとすれば、彼らは必勝の戦略のもとにその行動を起こしたのではないか。


 カイトウは傍らのカトウ中尉の横顔を見ていた。

 いつも明るいその横顔も、今は緊張の色に縁取られている。


 情報分析用コンソール操作のために、カイトウが特に参謀長に要請してカトウ中尉をこの会議に列席してもらっていた。

 自分でコンソールを操作し、かつ考えながら説明を行うことは苦痛であった。そしてまた、その底抜けの天真爛漫な明るさは、いつも落ち込みがちなカイトウの心の救いであった。


「それで、我らは引き続きこのウラル星系において堅守の体制を維持するわけですか?」

「その件につき、情報参謀のカイトウ少佐から現在の情報分析について説明をしてもらう」

 ヤオ司令官に促されて、カイトウは立ち上がった。


「第七艦隊情報参謀のカイトウです。現在の戦況につきまして、所信を含めて説明させていただきます」

 カトウ中尉を振り返り、天井から吊り下げられた大型ディスプレイに天球図を投影させる。


「現在、バルカ同盟領における我がティロニア連邦軍艦隊は、プレトリア星系に八個艦隊、カザフ星系に二個艦隊、ウラル星系に二個艦隊と三個機動艦隊に分派されております。そして今、プレトリア星系に敵艦隊接近の情報が伝えられ、それと呼応するようにウラル星系における我が占領惑星で敵勢力による抵抗活動が始めらました。」


「この意図的活動につきまして、本職は敵艦隊の本格的反攻作戦の開始と判断いたします。我が艦隊は敵宙域にあり、敵反抗作戦が我が艦隊の兵力分散を確認してから開始されたことからも、敵艦隊は我が艦隊兵力及び作戦意図ををほぼ正確に察知しているものと判断されます。現在プレトリア星系の主力艦隊が把握している接近中の敵艦隊は八個艦隊のみですが、敵艦隊動員可能戦力から推定してもこれに倍する規模の敵艦隊の攻撃が予想されます。我が艦隊はこれらの状況を踏まえた上での体制を準備する必要があるものと思います」


 言葉を切ったカイトウに、スクリーンの中のリウ司令官は少し考え込む様子であった。

「具体的には、どのような敵の反攻作戦が予想されるのか?」


 カイトウはヤオ司令官を覗き込み、肯定のうなずきを確認して言葉を続けた。

「プレトリア星系に対し、敵主力艦隊の奪還作戦が行われているものと判断します。現在確認できている敵艦隊は八個艦隊ですが、それ以上の艦隊がプレトリア星系周辺宙域に集結している可能性があります。そして、カザフ、ウラル両星系については、地上特殊部隊による惑星占領部隊への陽動攻撃及びこれら星系の攻略艦隊に対しての敵艦隊の奇襲、牽制攻撃が予想されます」


「我らの艦隊が攻撃される可能性があるということか。それで、艦隊位置の移動を行ったわけか?」

 リウ司令官の問いかけに、カイトウは無言でうなずいた。


「ウラル星系に向かってくる敵艦隊は、比較的小規模のものであると判断します。敵艦隊はプレトリア星系奪還作戦にその戦力を集中するでしょう。我らが徒らに艦隊兵力の分派を行わず、敵艦隊の奇襲にさえ警戒を怠っていなければその排除は困難でないものと判断します」


「では、我らどうするのか。たとえ接近する敵艦隊の迎撃に成功しても、我が主力艦隊がもし敗北を喫しプレトリア星系を奪取されれば我らは敵中に孤立することになる」

 カイトウは、再びかたわらのヤオ司令官を振り返る。


「宇宙艦隊司令長官から、我らにはウラル星系の確保のみが命令されている。我らはウラル星系の占領維持に当面努めることとするが、現在の戦況分析を踏まえ、いかなる状況にも対応できるよう周到な準備をしておくのは無駄ではないと考えている」

 ヤオ司令官の力強い言葉に、スクリーンの中のリウ中将がうなずきを見せ作戦会議は締めくくられた。


「カザフ星系との通信は未だ回復できません」

 第二一艦隊との合同作戦会議が終了した会議室で、通信参謀チェ少佐はそう報告した。


「幾重もの通信妨害が実施されております。プレトリア星系との通信も断続的にしか維持できない状況であります」


 通信が回復しないのは、敵の妨害のせいだけであろうか。


 味方の怠慢、そしてバルカ同盟市民の抵抗。

 皮肉な思いに、カイトウは唇を歪めた。


「ミルクティーをくれないか」

 疲れた目をコンソールに落として、カイトウはかたわらのカトウ中尉を振り返る。


「思いっきりミルクを入れてくれ」

 疲労感に投げやりな言葉に、カトウ中尉は白く丈夫で健康そうな歯を見せて微笑む。


「どう思うかね?」

 ヤオ司令官にそう声をかけられ、カイトウはこれでそう訊ねられるのは何度目かと考える。


 訊ねるのは気楽で簡単だが、答えるのはそう簡単ではない。


 カイトウは天才でもなければ神でもない。ましてやボタン一つで最適の戦術を編み出す戦術コンピューターでもない。


 カイトウは疲れを感じ、投げ捨てるように今まで口にしなかった自分の率直な予想を述べた。


「プレトリア星系の主力艦隊は、敵艦隊との決戦を求めて出撃するでしょう。彼らはそのために遠く遥かに「壁」を越えてここまできているのですから。艦隊決戦の勝敗の帰趨は明らかではありません。しかし、敵艦隊は我が主力艦隊の兵力を正確に把握したうえで決戦を挑んできたのですから、決戦宙域への我が主力艦隊以上の兵力の集中が見込まれます。艦隊決戦における兵力の集中、情報の把握において我が主力艦隊は劣り、勝利は難しいでしょう。」


「プレトリア星系は制宙権を失い奪還される可能性が高いでしょう。そして我が艦隊は補給連絡線を断たれ、敵中に孤立することになります。カザフ星系については、この段階においても連絡が回復していない以上最悪の場合を想定しなければいけません。カザフ星系はウラル星系より敵勢力圏に近く、より早く敵艦隊の侵入が行われている可能性があります。星系占領に攻略艦隊を分派している状況下において、敵艦隊の奇襲を受けた場合には艦隊戦の勝利は望むべくもありません。最悪の場合を想定し、プレトリア、カザフ両星系に向けて連絡艦隊を再び派遣し、敗戦に備えて離脱してきた艦艇の収容の準備をする必要があると思います。少しでも残存兵力を集中し、一人でも多く連れ帰り残された戦力の集中を図らないと・・・」


「不吉なことを言うなッ。なにを根拠にそのような発言をするのか。貴官は予言者にでもなったつもりか!」

 コリンズ中佐の怒号に面罵され、カイトウは顔を伏せたまま冷笑を浮かべた。


「ただ、私は想定される一つの可能性を述べたにすぎません」

 そう言葉を吐き捨てる。


 室内を重い沈黙が支配し、誰もが暗い思いに浸っていた。

「とにかく、情勢の変化に応じた即応体制の確立が必要だ」

 暗く落ち込んだ室内に、ヤハギ参謀長はそう言葉を吐き締めくくろうとする。


 何も言わず目の前に差し出されたミルクティーのカップに、カイトウは顔を上げてカトウ中尉の悲しげなその視線を受けとめた。


 もし自分がバルカ同盟軍の司令官であったなら、ウラル、カザフ両星系など放置してインディラ要塞を攻略する。そうすれば、ティロニア連邦軍の侵攻艦隊はすべてバルカ同盟領内に孤立し各個撃破され壊滅せざるを得ない。


 今は、それよりはましな状況なのか。


「敵艦隊発見。高速接近中です」

 会議室にもたらされたその知らせに、再び自分に室内の注目が集中されたことを感じながら、カイトウはミルクティーのカップを覗き込んでいた。


 四


バルカ歴四六年一〇月二七日。

 バルカ同盟領ウラル星系宙域。


「情報部は何をしているかッ。敵艦隊はどこにいるッ!」

 バルカ同盟軍ギル機動艦隊司令官、アイユ・ギル中将はその旗艦「イグナチウス」艦橋で怒声を張り上げていた。



 緊張に表情を鈍くした情報参謀がうわずった声で答える。

「バジル機関からの最新報告では、敵艦隊はこの宙域に駐留しているとのことでした」


「いないではないかッ」

「艦隊位置を変更したのではないでしょうか」

「なぜ艦隊位置を変更したのか?。バジル機関の監視部隊は何をやっているのか!」


「現在、この宙域のバジル機関監視部隊との連絡は取れておりません」

「すぐ偵察艦隊を編成しろ。ウラル星系全宙域に偵察網を敷くのだ」


「了解しました」

 畏まった情報参謀の敬礼に、冷ややかな視線だけを返す。


「バジル機関の情報に頼りすぎたか」

 ギルは舌打ちしていた。バルカ同盟全軍を動員してのティロニア連邦軍侵攻艦隊に対する迎撃戦に、ギルは二個艦隊からなる機動艦隊の指揮を委ねられ、ウラル星系に侵攻したティロニア連邦軍艦隊を撃破する任務を命じられる栄誉に浴していた。


 彼に任された戦力は二個艦隊と多くはなく、ウラル星系に侵攻した敵艦隊と同戦力であったが、彼にはウラル星系内に張り巡らされた国防省情報局特殊情報機関バジルからの詳細な敵艦隊情報が与えられるはずであった。


 砲火の数での優位は与えられなかったが、情報戦の優位はバルカ同盟軍にあるはずであった。

 反攻作戦発動以来、ギルはティロニア連邦軍がウラル星系占領のためにその戦力を分散する機会を窺っていたが、ティロニア連邦軍はその愚は犯さずにいた。


 業を煮やしたギルは、プレトリア星系での艦隊決戦も間近に迫ったことから、情報戦の優位を生かし奇襲攻撃により雌雄を決せんと図ったのであった。


「油断するな。敵艦隊はそう遠くには行っていないはずだ」

 艦隊の秘匿にこだわり、偵察活動さえ控えていたことをギルは後悔していた。

 バジル機関が行っている通信妨害も今は逆手に取られ、バルカ同盟軍の通信も断続的に妨害され始めていた。


「なんたることだ。このざまでは、艦隊の指揮を委ねてくださった執政官にどう申し開きできよう」

 歯咬みしたギルが握り固めた拳で司令官席のコンソールを殴る。司令官の怒気に、怯えた幕僚は近寄ろうともしない。


 この瞬間に続く数秒の間に、彼は貴下艦隊の指揮能力を失っていた。

 被弾の衝撃音と怒号と叫びの交錯する艦橋でコンソールに両の手をついた彼は、不思議そうに床に転がる自分の右脚をぼんやりと見つめている。


 スクリーンが砕け落ち、天井はひしゃげ、艦橋に紅蓮の炎は満ちた。苦痛や、悔恨を抱く間もなく、彼の身体はその座乗艦と共に宇宙空間を彩る火球の瞬きの一つと化していた。


「戦闘準備、完了いたしました」

 緊張感に包まれた司令艦橋のスクリーンに、第二一艦隊リウ司令官の顔が浮かび短い敬礼とともに消える。


「敵約二個艦隊。方位、艦隊軸三時方向俯角三〇度」

 監視オペレーター員の報告に、カイトウは自分の席のモニターに見入っていた。


 彼らは、まだ気づいておらず、事前に得ていた情報宙域に我が艦隊がいないことに戸惑いつつも、周辺宙域の索敵に努めている。


「右斜形陣。右旋回八〇度。全艦第二戦速」

 ヤオ指令官の指令の元、二個艦隊二百隻の艦船は艦列を斜形に延ばし、エンジンの炎を大きく吐き獲物の背後へと忍び寄る。


「通信妨害開始。光学欺瞞ポッド射出」

 前衛の駆逐艦隊から放出されたフレアの群の一際大きな炎の点滅が眼球を灼きながら宇宙空間を這い回る。


「最大戦速」

「最大戦速ッ!」

「右舷砲戦用意」

「右舷砲戦用意ッ!」


 司令官の短い司令を、力強く参謀長が復唱する。

 司令艦橋の床面をも揺さぶり、戦艦のエンジンはその重い鼓動を伝える。


「いいぞ。絶好の射点だ。参謀長、砲撃目標は敵艦隊中央部でよろしいですか?」


 砲術参謀コリンズ参謀の興奮気味の問いかけに、ヤオ司令官に続きヤハギ参謀長がうなずいた。


「敵艦隊。砲撃有効射程内に入ります」

「統制砲撃。敵艦隊左舷中央部へ集中射撃」

 モニター監視員の報告に、ヤオ司令官は司令官席から指令を発する。


「砲撃を開始せよ」

「砲撃開始ッ!」

 参謀長の復唱を受け、旗艦イルマタルの主砲一五門の斉射砲撃を皮切りに二個艦隊は全砲火を敵艦隊に放った。


 荷粒子ビームの七色の光軸に白色のミサイルの航跡が重なる。鈍重な装甲魚雷はその細長い胴体を細かく揺らしながら敵艦隊に迫る。


 奇襲をすべき艦隊が、逆に後方からの奇襲攻撃を受けたのだ。メインスクリーンの中には見る間に着弾の閃光が拡がり、すぐに敵艦隊を覆いつくす。縦列航行隊形の敵艦列の左舷中央部は炎の縁取りに覆われ、一頻りの輝きが消えたときには、空しい漆黒の空間だけが残されていた。


「接近せよ。砲撃継続!」

「陣形変更。半球形包囲陣」

 敵艦隊は瞬時に有効な指揮統制を失い、各艦がバラバラな退避運動を見せる。


 あるものは急速回頭により反撃を試み、またあるものは全速離脱により距離をとろうとする。


 一方的な攻勢が一頻り続き、ヤオ中将指揮下の艦隊は半球状に艦列を広げながら獲物を追いつめ、敵艦隊は組織的抵抗を見せないまま打ち砕かれていく。

 艦隊戦は最初の数分でその勝敗が決まり、後はただ逃げまどう兎の群とそれを追う猟犬の群に分かれていた。


「完全勝利です」

 コリンズ中佐の笑顔に、

「敵艦隊への突入と戦闘機隊の出撃により敵艦隊を孅滅しましょう」

とノボトニー制空参謀の言葉が続いた。


 ヤハギ参謀長が、意見を求めるようにカイトウを振り向いた。

「深追いは、必要ないと判断します。次の戦いに備え艦列の再編と戦力の温存を優先する必要があるでしょう」

 カイトウのこの進言が採用されたが、艦隊戦の快勝にコリンズ中佐の機嫌は悪くなかった。


「脆いものではないか。この調子だと、プレトリア星系の主力艦隊もそう心配しなくて良いのではないか?」

 その言葉にカイトウはうなずきながら、そうだと良いのだがと心底から思っていた。


 五


 ウラル星系攻略艦隊は敵艦隊の迎撃を予想し備えていたが、カザフ星系攻略に従事していたハムフン中将指揮下の艦隊にその備えはなかった。


 ハムフン中将の指揮するティロニア連邦軍カザフ星系攻略艦隊二個艦隊は、占領作戦を効率的に行うためその戦力を星系内に分散していたのだ。


 一個艦隊を各戦隊ごとに三分し、同時に三カ所の惑星攻略を平行して行い、残る一個艦隊を星系中心宙域に警戒艦隊として配置していた。


 軍歴二七年。軍人ながら小柄な身体のティロニア連邦軍中将、ドゥム・ハムフンは旗艦スサノオの司令艦橋で何の懸念も抱かず自信に満ちた風情で周囲を威していた。

 今も二個艦隊約一〇〇隻の戦闘艦艇を完全に掌握し、三個降下師団の星系占領作戦も順調に行われている。


「杞憂に過ぎなかったのだ」

 彼としても、兵力分断の愚は承知していた。

 第七艦隊の若い参謀、今はその名さえ忘れていたが、その憂慮に彼もうなずかない分けではなかったが、作戦は成功させなければならず、主導権を敵に渡すわけにはいけなかった。


 カザフ星系の早期占領を果たし、プレトリア星系後方宙域の安全を図るとともに、来るべき主力艦隊決戦に参加し我が軍を勝利を導く。


 その軍功と栄誉は比類ないものになるであろう。

 そのためには、一刻でも早くの星系占領が必要であった。

 その焦りが、一時的な戦力分断の愚を犯すことを彼に許していた。


 そしてそのことが、彼とその指揮下の艦隊に大きな悲劇をもたらしたのであった。


 突然の敵妨害電波による通信の途絶は、彼の指揮下の戦力の集中を阻み、偵察警戒体制の確立を怠っていたことは、瞬時にして彼の耳目を失わせていた。


 ウラル星系において艦隊戦が行われる三〇時間前、カザフ星系においては占領行動のため分散していたティロニア連邦軍艦隊は、数倍の敵戦力による一方的奇襲を受けていたのだ。


「熱源反応。艦隊軸方向八時。俯角五度」

 監視オペレーターのその報告も、最初は何の疑念も抱かさず、ハムフン中将の反応も穏やかなものであった。

「どこの軍艦(フネ)だ?」

「敵味方識別装置(IFF)に反応ありません」

「敵性艦船か?」

「味方ではありません」

「数は?」

「一〇〇ッ。急速接近中です」

「二個艦隊規模か・・・」

「我が軍の倍です」


 作戦参謀の重ねる言葉に、ハムフンは事態の重大さを認識していたが、その反応は鈍かった。

 心中で恐れていた事態の出現に、彼の思考中枢は拒否反応を示し、不愉快な想像を阻んだのであった。

 この一瞬の逡巡が、彼の艦隊の悲劇をより一層増幅したのだ。


「ご命令をッ」

「戦闘用意」

「既に交戦中でありますッ」

 作戦参謀の声は、悲鳴に近い響きを帯びていた。


「不明艦艇エネルギー波放出。ミサイルと思われる小熱源多数接近ッ」

「防御戦闘。対ビーム防御増幅。対空弾幕展開ッ!」

 しかしその命令は間に合わなかった。


 スクリーンには艦体を灼くビームの煌めきに覆われ、撃ち続くミサイル弾の着弾に悲鳴と轟音が彼の耳を塞いだ。

「敵襲、敵襲ッ・・・。味方は不利、援軍を。援軍を・・・」


 何を成す術もなく、衝撃に倒れ伏し冷たい金属の艦橋の床に頬をつけた彼は薄れゆく意識の中で救援を叫び続ける通信オペレーターの声だけを遠くに聞いていた。

「助けて・・・」

 その声も虚しく、反撃らしい反撃も為さないままハムフン中将の艦隊は壊滅的打撃を受けていた。


「愚かな」

 バルカ同盟軍サラディン機動艦隊司令官、マリ・サラディンはその旗艦艦橋で一方的な戦況を見つめながらつぶやく。


 腕を組み、少しその顎先を摘んで微笑み長い髪を振るい上げる。バルカ同盟軍最年少の女性中将である彼女のその美貌は、三〇台の半ばを超えた今でも輝きを保ち、艦橋でその姿を崇める者の息をのませる。


「彼らは、ここが戦場であることを忘れていたのだ」

 周辺宙域の偵察を怠り、艦隊戦の準備を怠っていた。


 サラディン機動艦隊の漆黒の宇宙空間からの突如の一斉砲撃に一方的に打ちのめされ、スクリーンに投影されている着弾の閃光に彩られた敵艦隊の艦列からは混乱と狼狽のみが伝えられ、統制と闘志のかけらさえも窺われない。


「両翼を展開。包囲陣により敵艦の完全せん滅を期す」

 サラディンは、澄んだ高い声で指示を下す。


「降伏は拒まぬ。ただし、敵艦の離脱は許すな。一艦たりとも、この宙域から逃してはならぬ!」

 艦橋正面のスクリーンを見つめながら完全な勝利に笑みを浮かべる。

「執政官に、バルカの名に恥じぬ勝利を捧げるのだ」


 その横顔を見つめながら、作戦参謀のビューイン中佐は彼女と執政官との間のロマンスの噂を思い出していた。

 現在の彼女の地位が執政官との個人的関係により与えられたとの下賎な噂を、今、彼女はその手の中に抱く勝利の栄冠により打ち砕こうとしている。


 彼女は、背後に控える幕僚を振り返った。

「敵主力艦隊は撃滅した。残る三分された敵艦隊を各個撃破する。敵艦隊の退路を遮断し得るもっとも近い敵艦隊はどこか?」  

「惑星テルミー周辺宙域です」

 ビューイン中佐の答えに、サラディンは怜悧な笑みをその美貌の唇に見せる。


「バジル機関に連絡を。敵降下部隊及び残存艦艇の離脱を阻止するように」

「了解しました」


 昨日までとは違う自分に対する畏敬の振る舞いを見せた年若い幕僚の応対に、サラディンは皮肉に思う。


 今回の勝利は戦略的にもたらされたものであり、自分の才能によるものではない。ただ、自分は勝利を得やすい戦いの場を与えられ、求められた役割を忠実に果たしただけに過ぎない。


 今回の勝利は、自分以外が司令官であっても得られたものである。

 増長、慢心は避けねばならない。聡明な彼女はそう自分を戒めていた。


 しかし司令官に対する畏敬と信頼の念は艦隊司令官としての統率に必要なものであり、彼女はあえて部下のその視線を拒もうとはしなかった。

 聡明な彼女にしても、尊敬の眼差しを注がれることは心地よいと思わずに入られなかった。


「敵残存艦隊から、降伏信号が送られてきます」

「受諾せよ」

 ビューイン中佐の報告に短く答えたサラディンは立ち上がり、一際大きな声で司令を発する。


「転進する。一個戦隊を降伏艦隊の収容にあたらせよ。主力艦隊は惑星テルミーの敵艦隊をせん滅する」


 艦橋にはひとしきりの歓声があがり、その指示にうなずいたビューイン中佐は美貌の上官に追従を述べる。

「完璧な勝利です。執政官も、ご満足されることでしょう」

 その言葉の裏に込められた皮肉の匂いに、サラディンは冷笑を返す。


「我らは与えられた任務を遂行するだけのことだ。最終的勝利は、プレトリア星系において決せられるであろう」


 サラディンは、畏まり頭を垂れたままの幕僚の顔を見やる。

「我らは脇役でしかない。しかし、脇役がいなければ芝居は演じられない。今頃は、主役がその舞台に上がっている頃であろう」 


 そのサラディンの言葉通り、プレトリア星系においてはもう片一方の主役ティロニア連邦軍の主力艦隊が、この戦いの雌雄を決すべく出撃しようとしていた。



 第一〇章 運命のプレトリア


 一


「全艦出撃せよ」

 敵艦隊接近の報に接した宇宙艦隊司令長官コリングウッド元帥は、総旗艦ビシュヌ艦上でそう厳かに命じていた。


 八個艦隊の大兵力を従えてプレトリア星系を進発した総旗艦ビシュヌの司令艦橋にたたずむ宇宙艦隊総司令部上席作戦参謀ケアル准将は、敵艦隊発見の急報を受けて開催された緊急作戦会議の場において、接近中の敵艦隊迎撃のための艦隊出撃には同意していたものの来るべき決戦での艦隊戦の帰趨には不安を抱いていた。


 プレトリア星系周辺宙域では大規模な通信妨害が行われ、カザフ、ウラル両星系への各派遣艦隊及びシンガ要塞戦線との連携は困難となっていた。

 また、周辺宙域に設置されていた偵察監視衛星の組織的破壊が行われ、十分な敵艦隊の情報把握ができないままの出撃となっていた。


「こんなはずではなかったではないか」

 バルカ同盟領侵攻作戦における艦隊決戦想定演習では、プレトリア星系周辺宙域において厳重なる偵察監視体制下に敵情報収集を徹底し、敵に勝る兵力を集中して敵主力艦隊を迎撃するはずであった。


 それが、ガンベル要塞の攻略が遅延しているためにオスマン艦隊の三個艦隊の到着が遅れ、そのうえソロン要塞の攻略も同様の理由により遅れたためにフェィビー中将の三個艦隊も未だシンガ要塞戦線に張り付いたままであった。


 さらにカザフ、ウラル両星系攻略のための艦隊を分派したとことにより、バルカ同盟内に侵攻したティロニア連邦軍戦力は極度に分散された状態であった。


 そのうえガンベル要塞攻略遅延のためアレウト航路を利用した補給路の確保ができず、バルカ同盟領侵攻艦隊の補給路はインディラ要塞を抜けるシンガ航路の一本しか確保できないでいた。

 その唯一の補給路も、ソロン要塞攻略が成就されていないために常に敵艦隊の脅威を受ける不安定な状態におかれていた。


 このような状況の中で大兵力の敵艦隊のプレトリア星系への接近が確認されたのだ。


 急遽開催された作戦会議においては、その場に居合わせた誰もが現在の戦況が有利なものであるとは考えてはいなかった。


「カザフ、ウラル両星系攻略艦隊を呼び戻しますか?」

 決戦を控えたにしては沈痛な雰囲気に包まれた作戦会議の場において、そう提案したケアル准将の表情には、その心中の不安が現れていた。


「現在確認されている敵艦隊は約八個艦隊です。我が艦隊と同程度の兵力でありますが、敵艦隊の動員可能戦力から、現在未確認の敵艦隊の出現も考えられます」

「では、上席作戦参謀は敵艦隊との決戦を回避し、カザフ、ウラル両星系攻略艦隊が帰還するまでの間この星系で篭城しろというわけですか?」

 作戦参謀シェフーリン大佐の言葉に揶揄と悪意を感じながらも、ケアル准将はその発言を無視した。


「もう少し敵艦隊情報の収集に努めるべきではないでしょうか」

「上席作戦参謀は、我が艦隊が艦隊戦に敗れるとお思いですか?」

 ケアル准将はかたわらのシェフーリン大佐を見やった。  

 燃え食い入るような挑戦的眼差しでシェフーリン大佐は見つめ返している。


 彼は功績を欲しさらに上を狙っている。

 総司令部内でそのことは評判であった。軍組織内において昇進を望まぬものなどなかったが、今の彼は特にそのことを強く願っていた。


 なぜならば、総司令部作戦参謀に栄転後、奇跡と呼ばれたインディラ要塞攻略が彼の功績によるものではないということが広く総司令部内に知られていたのだ。


 彼は、彼の能力とその存在をティロニア連邦軍全艦隊内に認めさせようと焦っていたのだ。


 しかしそのことはともかく、ケアル准将にも自分の発言が現在の状況において現実的ではないことは理解していた。


「プレトリア星系の宙域権を敵艦隊に渡すことは、本国からの補給線の断絶と通信の途絶を意味します。ウラル、カザフ両星系攻略艦隊については、合流命令を発しても惑星占領作戦従事中のためそう簡単に引き返せはしないでしょう。また、両星系への敵艦隊の侵入の恐れもあります。インディラ要塞戦線においては、フェィビー中将の艦隊から現在に至るまで何の連絡もないことからしても、未だソロン要塞の攻略に成功していないものと判断されます」


「すると、当面はこれ以上の戦力の集中は望めないということか?」

 ケアルは、ドルマン総参謀長の瞳を見つめ返し静かにうなずき言葉を返した。

「敵艦隊は、今この時もこの星系に接近を続けています」


「敵艦隊接近の今こそ、念願の敵艦隊撃破の好機です」

 ケアルは背後からのシェフーリン大佐の言葉に振り返り薄く微笑む。

「艦隊を整備し、兵を鍛え、遠く壁を超えここまで来たのも今日のこの日のためではありませんか?」

 その真情を偽り、ケアルは力強い言葉を続けた。


「戦力的に劣っているわけではないこの段階で、プレトリア星系の宙域権を放棄することはできないことです」

「すると、ケアル准将も現段階における艦隊出撃に同意するのだな?」


 ドルマン総参謀長に問いかけられて、ケアル准将は無言でうなずき全艦隊による迎撃戦の実施が決定された。


 ケアル准将を見やる、シェフーリン大佐の冷たく眼差しは勝ち誇っている。


 この状況において、他に何の選択肢があろうか。ケアルはそう思わざるを得なかった。


 彼なら、同じ選択をしたのであろうか。

 第七艦隊情報参謀カイトウ少佐。プレトリア星系における合同作戦会議の場において、青白い顔に怒気をみなぎらせて彼は今日の情勢を予言していたではなかったか。

 彼なら、この状況においてどう判断し、どう行動したのであろうか。


 プレトリア星系における合同作戦会議の後、総旗艦ビシュヌの会議室を出るカイトウ少佐を呼び止めたケアル准将の問いかけに、彼はこう答えていた。


「戦力を集中すべきです。戦場では情報、兵力、戦術などの総合戦力が優るものが勝利を得ます。具体的には、てウラル、カザフ両星系の艦隊を呼び戻し戦力を集中させ、敵主力艦隊の撃破を最優先とすべきでしょう。星系など、艦隊戦において勝利さえすればた易く手に入れられるものです。ウラル、カザフの両星系の艦隊を呼びもどすことが不可能であるならば、一時的にどちらかの星系に退避し態勢を立て直すことです。いたずらな冒険主義や見敵必戦主義などは愚かなことではないですか」

 その言葉に続いたのは、彼の冷笑でしかなかった。


「しかしその時に、合流すべき艦隊がこの宇宙空間に健在であるとは限りませんが・・・」


 その不敵な笑みはそれ以上の質問を許さないものであった。

 そして、その肩を怒らせたまま、その背を見せたのであった。


 今、この状況においてバルカ同盟侵攻の最重要拠点であるプレトリア星系を一戦もせず放棄することなど、できもしない選択であった。


 決戦に臨むこの時、この状況に追い込まれたことこそが敗北であると、気づかされたケアルであった。


 二


 バルカ歴四六年一一月一三日。

 ユリウス機動艦隊旗艦イラストリアスは戦場に臨んでいた。


「出撃してきましたな」

 前衛艦隊から中継されてきたティロニア連邦軍艦隊の布陣を映し出す艦橋正面のメインスクリーンを見やりながら、ユリウス機動艦隊参謀長ギムレット少将はかたわらの司令官席のユリウスに話しかけた。


「当然だ。彼等はこの日のために、わざわざ壁を越えてやってきたのだからな」

 旗艦イラトリアス艦橋の司令官席で、頬杖をつくユリウスはそう皮肉げにつぶやいた。


 スクリーンに投影されたティロニア連邦軍艦隊は、見事な重層紡錘陣形を組み速力を上げ迫ってくる。それを迎え撃つバヤジット指揮下のバルカ同盟軍前衛艦隊は、薄く両翼を延ばした鶴翼の陣形でティロニア連邦軍の攻勢を受けとめ包囲を図ろうとする。


「どちらに行かれるのですか?」

 会敵を前に突如司令官席を立ち上がったユリウスに、ギムレットは驚いて声をかけた。

 ユリウスは、顔も上げずに歩みを止め薄く微笑む。


「私室に一度帰ってくるから、その間指揮を頼む」

 そして、エレベーターに一緒に乗り込もうとする副官コトウ中尉に首を振った。


「どうされたのでしょうか?」

「さあな・・・」

 心配げなことコトウ中尉の問いかけに、意味ありげにバンゼルマン中佐は微笑み首を振って見せた。


 明かりを落とした司令官私室は舷窓が閉ざされ薄暗い室内で悄然と首を落としソファに腰掛けていたセシリアは、突然入室したユリウスに驚いてその顔を上げた。


 そして、少しの怯えをその頬に見せたまま笑顔をつくりユリウスに向ける。


「何をしている?」


 その怒りさえも窺える言葉にも、セシリアは笑みを崩さない。


(お帰りをお待ちしておりました)

 セシリアはその思いを言葉には出さなかったが、ユリウスはその眼差しに答えを得て苛立たしげに首を振った。


「こんなところに引きこもっているな。従兵は、戦闘中は艦橋でその任務を行うのだッ」

 荒々しく言葉を投げつける。


「艦橋に来て、側にいろ」

 苛立たしげに唇をとがらせ、セシリアの返事も聞かずに背を見せる。


 セシリアは少しの戸惑いを感じながらもユリウスの肩先に拒めない強い意志を感じて何も言えずにその後に続いた。


 ユリウスがセシリアを引き連れて艦橋に戻ったことに、ギムレットはちらりとその目をやって眺めただけで何も言いはしなかった。


 ユリウスは、不機嫌そうに司令官席に音を立てて腰掛ける。


 バンゼルマンはその肩を張った後ろ姿を見ながら、少し微笑み声を掛けた。

「戦闘開始に際し、将兵に何か訓辞をなさいますか?」


「その必要はあるまい。彼らは、この時に何を為すべきか分かっているはずだ」

 振り返りもせずに、ユリウスは素気ない言葉を吐いた。


 巨大な艦橋正面のメインスクリーンには漆黒の宇宙空間を背景に幾つもの光点の艦影が映し出されている。


 艦橋の周囲には監視オペレーターがそれぞれのモニターを覗き込み、艦橋中央の司令官席にはユリウスが悠然と腰掛けその背後には彼の幕僚がつき従う。

 

 バルカ歴四六年一一月一三日、二〇時二一分。

 バルカ同盟軍一四個艦隊とティロニア連邦軍八機艦隊は、プレトリア星系宙域において射程距離圏内にお互いの艦影を捉え、今その砲火を交えようとしていた。


 三


 ティロニア連邦軍プレトリア星系駐留八個艦隊は、プレトリア星系を背に布陣した。


 重層密集隊形(ファランクス)の突撃による敵陣突破後背機動包囲戦術により、敵主力艦隊の殲滅を図る。

 それが、宇宙艦隊総司令部が策定した決戦戦術であった。


 敵主力艦隊と相見えたとき、ティロニア連邦軍艦隊の眼前に現れたバルカ同盟軍艦隊は、初期の情報より増強されており、約一〇個艦隊の兵力規模であった。


「勝てるかもしれない」

 敵陣形を確認したとき、宇宙艦隊総司令部上席作戦参謀ケアル准将はそう甘い期待を抱いた。


 敵陣形は薄い球形横陣であり、延翼戦術によりティロニア艦隊の包囲を企図していることは明らかであった。


 敵艦隊に陣形変更の猶予を与えてはならない。

 その意思は司令艦橋の全員に共有されていた。

 

 総旗艦ビシュヌの司令艦橋で全幕僚を背後に従え司令官席に腰掛けるコリングウッド元帥は、右腕を挙げ振り下ろすとともに重い声を発した。


「全艦最大戦速。突撃せよ」

「砲撃開始」


 その指示を受け、ケアルは艦橋後方を振り返り声を張り上げる。

「統制集中砲撃開始。目標、敵陣中央部。敵艦列を撃ち崩せッ!」

 砲術参謀の復唱に、ティロニア連邦軍全艦艇の砲火はその艦体を打ち振るわせて一斉に放たれた。


 八個艦隊の砲口を揃えた荷粒子ビームの奔流とミサイルの雨が放たれ、重層密集隊形(ファランクス)は一団の力の塊としてバルカ同盟艦隊艦列中央部に叩きつけられた。


 着弾の炎の煌めきの中にその鋭い艦首触角を振りかざして重装甲戦艦が敵艦列に突入する。狂おしいまでにも燃え盛る砲火の猛りの中でティロニア連邦軍艦艇は被弾し崩れ落ちる味方艦を振り捨てて突撃を続け、バルカ同盟軍艦隊の横陣を引きちぎり戦艦列の突破に成功していた。


「敵陣突破しました!」

 監視オペレーター員の歓喜の報告に、総旗艦ビシュヌの司令艦橋は歓声に満たされた。

 

 しかしその時、ケアルは一つの疑念を抱いていた。

 あまりにも、敵艦隊の突破が簡単に成功しすぎたと疑念を抱いたのだ。

 

 罠か。


 「監視オペレーター。前方宙域の索敵に注意せよ」

 そう指示を発し、自席のコンソール操作して敵艦隊の動きをモニターしたケアルの恐れは、はかない期待も虚しく現実のものとなりつつあった。


 四


 バルカ同盟軍宇宙艦隊司令長官、フォッグ・バヤジット大将は表情も変えずに旗艦インディファティガブル艦橋正面の大型スクリーンに投影される戦況を見つめていた。


 筋肉質の引き締まった長身に、精悍な浅黒い肌。身じろぎもせず艦橋に立ち、幕僚からの戦況報告を聞き流していた。


 彼の率いる一〇個艦隊は所定の作戦通りの展開を行い、ティロニア連邦軍艦隊の中央突破戦術を誘発させていた。


 そして今、ティロニア連邦軍艦隊は薄く長く展開した彼の艦隊を中央部から引き裂いた。

 恐らく彼らは、このことがあらかじめ仕組まれていたことに気づいてはいまい。


「敵艦隊、後方宙域に離脱しました」

 そう報告する参謀の言葉に、腕を組み立ち尽くしたままの彼はうなずきもしない。


「敵艦隊の後方を遮断する」

 ティロニア連邦軍の猛撃に中央部から引き裂かれたかに見えたバルカ同盟軍艦隊は、その二つに引き裂かれた艦列に微塵の同様もみせずにティロニア連邦軍艦隊の後方宙域に半球状に展開しその後方の遮断を行った。


「敵艦隊は、完全に我が軍の術中にはまりました」

 参謀の称賛に満ちた言葉にも、バヤジットは笑顔を見せない。


 作戦の第一段階は、計画通りに推移した。

 この段階おいて、ティロニア連邦軍艦隊には二つの選択肢があった。


 その一つはバルカ同盟軍艦列の突破成功が罠であるとは見抜けず、分断し混乱しているであろうバルカ同盟軍前衛艦隊を包囲撃滅するために反転することだ。

 その時には、四個艦隊の後衛艦隊とバヤジット直卒艦隊の挟撃により敵艦隊は壊滅の時を迎えるであろう。

 

 もう一つの選択肢は、バルカ同盟軍の策を見破り、包囲下に陥ることを逃れるために前衛艦隊突破時の運動エネルギーをそのまま後衛艦隊にぶつけ再びの突破を図る。


 その場合には、バヤジットは直卒する前衛艦隊を率い、後衛艦隊が敵艦隊の攻撃を支えている間にその後方より接近し包囲し敵艦隊のせん滅を図る計画であった。


 そのどちらの場合においても、ティロニア連邦軍艦隊に勝利の可能性は少ないものであった。

しかし、この絶対有利な戦場においてもバヤジットの心は晴れなかった。


 バルカ同盟軍宇宙艦隊司令長官としてバヤジットの有する権限は絶大なものであったが、彼の指揮権はバルカ同盟軍最高指揮官であるアジュラム・バルカ執政官の特命により掣肘を受けていた。


 この戦場においても、後衛艦隊は執政官の弟であるユリウス・バルカ中将に率いられ、プレトリアにおけるこの決戦の最終決定も彼の同意を得なければならなかった。


 このことは彼の矜持をひどく傷つけるものであり、勝利への昂揚に水を差していた。


「敵艦隊、反転せず直進しております。ユリウス・バルカ中将指揮の後衛艦隊の突破を図るものと思われます」


「全艦全速ッ。敵艦隊の後方を叩く。陣形は現在のままで後衛艦隊と共同し敵艦隊の包囲撃滅を図れ!」


 敵艦隊も愚かではない。

 挟撃下の反転の愚は犯さなかった。

 今、敵艦隊は全力を挙げて四個艦隊の後衛艦隊の撃破を図ろうとしている。

 戦力比は倍に近い。


 バヤジットは急がねばならなかった。

 たとえこの戦いに勝利を得ることができたにしても、執政官の弟を戦死させては公人としての将来は望めない。


 ましてやバヤジットの艦隊の攻撃が間に合わず、この戦いにも勝利を得られなかった場合には軍事法廷の場が彼を待つはずであった。


「砲撃開始ッ!」

 未だ敵艦隊との距離は遠かったが、彼はそう命じていた。

 微動だにもせず、彼は胸中の苦悩を押し隠したまま後衛艦隊に撃ちかかるティロニア連邦軍艦隊の姿を見据えていた。


 五


「脆すぎる」

 コンソール上に弾き出された解析結果から、総旗艦ビシュヌの艦橋でそうつぶやいたケアル准将は、司令長官を振り返った。


「いけませんッ!」

 分断した敵艦隊を各個撃破するために全艦反転を指令しようとしていたコリンズ元帥は、ケアル准将の叫びに声を止めた。


「どうした?」

 いつも穏和でどのような危機にも声を荒げたことのない上席参謀の緊張に縁取られた怒声に驚いたドルマン総参謀長の質問を、監視オペレーター員の叫びがかき消した。


「新たなる敵艦隊発見。約四個艦隊。艦隊軸〇時方向ッ!」


「罠かッ」

 歯がみして、ドルマンは声を絞り上げた。


 新たな敵艦隊の出現の理由は、誰の目にも明らかであった。

 敵艦隊は我が艦隊の中央突破戦術を予期し、二段に布陣していたのだ。


 後方宙域において分断されたかに見えた敵艦隊は陣形に乱れも見せず旋回運動を行い、ティロニア連邦軍艦隊の後方宙域を完全に遮断しようとしていた。


 「このまま前進し新たな敵艦隊を突破すべきですッ」

 一瞬にして陥った苦境に動揺する艦橋に響く、ケアル上席作戦参謀のその声は悲鳴に近かった。


「しかしそれでは、プレトリア星系を放棄することになる」

 ドルマン総参謀長の嘆きにも似た問いかけに、ケアルは勇を振るって言葉を畳み掛ける。


「艦隊兵力を温存すれば奪還の機会はあります。このまま反転すれば、倍の兵力を有する敵艦隊に包囲されます。新たに出現した敵艦隊を撃破することにより包囲陣の完成を阻むべきです」


「後方の敵艦隊、砲撃を開始しました!」

 監視オペレーター員の報告を聞くまでもなく、重層密集隊形(ファランクス)は、脆弱部である装甲の薄い後方からの砲撃にた易く破壊されていく。

 動揺が、八個艦隊の分厚い艦列に走った。


「司令長官ッ」

 決断を促す部下の声に、コリングウッド元帥は司令官席で固く拳を握りしめた。


 このような愚かな戦いをするため、遠く「壁」を越え何百光年もの長征をしてきたというのか。


 バルカ同盟軍に輝かしい勝利の歴史を刻ませるために、自分の長く苦難に満ちた軍歴はあったというのか。


 今のこの地位を得るために、バルカ同盟軍との生死を賭けた戦いのみならず、幾人ものティロニア連邦軍エリート軍人との苛酷で熾烈を極めた醜い出世競争にも勝ち抜いてこなければならなかったというのに・・・。


「ご決断を」

 何の意見も述べず、全ての責任を押しつけ、ただ指示を求めるドルマン総参謀長の無表情なその顔を怒りに満ちた眼差しでねめつけた。

 そして、まだ敗北したわけではないと自らを奮い立たせる。


「突撃せよ。前方の新たなる敵艦隊を蹴散らすのだッ」

「全艦、最大戦速。砲術参謀、砲撃を統制し、砲火を揃えよ!新たなる敵艦隊の艦列を引き裂くのだッ」


 再び、宇宙空間は荷粒子ビームの煌めきと艦艇爆発の白い閃光に覆われた。しかし新たに出現したバルカ同盟軍後衛艦隊は一歩も退くことなく、激しい砲火の応酬でティロニア連邦軍艦隊の突撃に応えたのだ。


 コリングウッド元帥の願いも虚しく、ティロニア連邦軍艦隊によるバルカ同盟軍陣形の再度の突破機動は成功しなかった。

 ティロニア連邦軍艦隊の前方に出現した敵後衛艦隊は、柔軟な漏斗状の陣形により倍する兵力の猛撃を受けとめた。


 そしてその漏斗の蓋は、一〇個艦隊の大兵力により閉じられた。


 煮えたぎる魔女の釜の中に放り込まれたかのように、ティロニア連邦軍艦艇は見る間に打ち砕かれていく。


 プレトリア星系宙域には幾つもの艦体爆発の火球の花が咲き乱れ、艦隊の指揮統制は失われ、通信回線の中には断末魔の叫びと諦めの呟き、そして呪いと慈悲を請う言葉が交錯していた。


 六


「そろそろだな」

 振り返ったユリウスの視線を受けて、ユリウス機動艦隊参謀長ギムレット中将は野太い声を旗艦イラトリアス艦橋に張り上げた。


「戦闘準備!」

 その声を耳に納め、ユリウスは司令官席で足を組み、モニターに映る戦場を見上げた。


「長距離ミサイル装填、遠距離砲戦用意」

「敵艦隊、前衛の味方艦隊に対し砲撃を開始しました」

 スクリーンの中のティロニア連邦軍艦隊は、砲火を前衛艦隊の中央部に集中する。一瞬、横陣の中央部が融けたように輝いた。艦体破壊の火球が、いくつも輝いては重なって消える。


「敵艦隊、運動開始」

 モニター監視員の声を聞くまでもなく、一団となった敵艦隊は前衛艦体の中央部に突撃しその鋭い触角で切り裂いた。


 前衛艦隊の艦列突破に成功した敵艦隊との距離はすぐに縮まり、ユリウスの艦隊をこの段階において発見した敵艦隊は賢明にも包囲の危機を察知し、再び紡錘隊形にその艦列を整え、ユリウスの艦隊を撃破突破しようと迫りくる。

 すぐに、両艦隊はお互いの艦影をその射程距離内に捉えたのだった。

 

 ユリウスは、短く命令を下した。

「砲撃せよ」

「砲撃開始ッ!」


 ギムレットの叩きつけるような復唱とともに、荷粒子ビームの迸る火流が敵艦隊の触角部に集中し弾けた。左右から、白い航跡の尾を曳いたミサイル弾が襲いかかる。一瞬、ひるんだかに思えた敵艦隊は、しかしその速力を緩めることなく砲口を揃え、ユリウスの後衛艦隊に襲いかかってきた。


「当然だ。我が艦隊を打ち破らねば、彼らに勝利はあるまい」

 ユリウスは冷笑とともにつぶやく。


「防御隊形」

「全艦に通知。円錐防御隊形に陣形変更ッ」


ユリウスの言葉を、ギムレットがまた復唱した。敵艦隊の猛撃を、ユリウスの後衛艦隊は漏斗状に陣形を変更し受けとめていた。


 スクリーンに荷粒子ビームの光芒が映える。ミサイル弾が、次々と艦列に飛び込み防盾が打ち砕かれ舷側を削り取られる。艦列を並べていた艦艇が火炎を吐いて崩れ落ち戦列が乱れる。操艦の自由を失った艦艇が戦場をのたうち回り、僚艦を道連れに艦列の中に一層大きな火球をつくる。


「退くな。撃ち返せッ!」

「陣形を崩すな。艦列を埋めろ」


 柔軟な艦隊運動により、敵の衝撃を受け流す。

 損傷艦を入れ替え、戦列艦の厚い防御陣を維持する。


「接近戦用意」

「全砲火を放て!」


 艦橋には艦隊戦指揮の怒号が満ち、ユリウス座乗艦イラストリアスまでもが艦列に並び、荷粒子ビームの奔流に打ち震えている。


「少し旗艦を後退されますか?」

ギムレットの耳打ちに、ユリウスは少し笑って首を振った。


「まだ早いだろう。もう少し、様子を見てはどうか」

「承知しました」


「遅いな。バヤジット提督は・・・」

 バンゼルマンのつぶやきに、ユリウスは瞳を光らせて力強く答えた。


「前衛艦隊を頼るな。我が艦隊だけで敵艦隊を撃滅するのだ。全艦にその旨通知しろ」

 本気ではない。ユリウスは緊張に畏まるバンゼルマンに笑って見せた。


「こちらも苦しいが、敵も苦しかろう。歯を食いしばってでも、耐え抜いた者が勝利を得るのだ」

「はい」


 バンゼルマンは恐縮し赤面していた。今までの自分の実戦経験は何であったのか。

 ユリウス司令官に教わらねばそのようなことも判断できないとは・・・。


 通信士官に指示をして、バンゼルマンは艦橋中央を振り返った。

 ユリウスはいつものように司令官席で足を組み、片頬杖をついたまま戦闘を映し出すメインスクリーンを見やっている。


 その傍らで、ギムレット参謀長は後ろ手を組み佇む。

 時折、ユリウスに静かに何かを語りかけている。

 その二人の後ろ姿からは、メインスクリーンの向こうの激戦は少しも感じとれなかった。


 しかし、このわずか十数分の間に、ユリウス機動艦隊はティロニア連邦軍の必死の猛砲撃によりその戦力の三分の一に渡る艦艇に損傷を受けていた。


 そして今は、イラストリアスまでもがティロニア連邦軍戦艦との舷舷相摩す近接戦闘を行っているのだ。


「全艦載機出撃。駆逐艦部隊も戦列に加えよ。一艦たりともこの戦場から離脱させてはならない。砲撃を統制し、確実に、各個撃破に努めよ」


 ユリウスは、四周のスクリーンに映し出される指揮下の艦艇の断末魔を示す鮮やかな爆発の閃光に頬を染めながら傍らのギムレットを振り返る。


「艦隊全将兵に通知するのだ。バルカ同盟全市民及びアジュラム・バルカ執政官は、各将兵が各自その持ち場においてその義務を全うすることを望むと」


 そして不敵な笑みを見せる。

「死ぬのなら、この場でともに死のう」


 その眼は、ギムレットの厚い肩先の向こうにセシリアの笑顔を捉えていた。


 四個艦隊のユリウス機動艦隊と、八個艦隊のティロニア連邦艦隊との苛烈な砲撃戦は長くは続かなかった。


 両軍の兵士にすれば、それは永遠に続くのかと思われるほどの息が詰まる物苦しいまでの長い時であったが、固い意志のもとユリウス艦隊は倍する兵力を有する敵艦隊の猛撃を損害を省みず一歩も引かずにくい止めたのであった。


 そして突然の息継ぎのように、敵の砲撃は衰えを見せた。


「味方です。バヤジット艦隊です!」

 待ち望んでいたモニター監視員の言葉に、旗艦イラストリアスの艦橋は歓声に包まれた。


 倍する戦力を有するティロニア連邦軍艦隊の捨て身の猛砲火により撃ち崩されかけたユリウス機動艦隊は、敵影の向こうに待望の味方艦隊艦列を確認したのだ。


「やっとですな」

 ギムレットの安堵の言葉に、頬杖をついたまま首を傾げユリウスは笑みをつくる。


 そして少しの息をついて脚を組み替えた。

「早かったな。思ったよりも・・・」


 その物足りなげなその表情を、ギムレットは頼もしげに覗き込んでいた。


 七


 僚艦が次々と鮮やかな火球に包まれ消えていく映像がメインスクリーンに映し出され続ける。


 誰もが敗北の衝撃に打ち砕かれたかのように首を落とした総旗艦ビシュヌの司令艦橋で、上席作戦参謀ケアル准将は声を張り上げた。


「全艦離脱ですッ。司令長官!。どこでもいい。包囲陣の一角を突き崩し離脱を図るべきです」


「どこへだ?」

 ドルマン総参謀長の冷笑に、ケアル准将は叩きつけるように言い放った。


「インディラでも、プレトリアでも、ウラルでも、逃れられるところならどこへでも」


 勝利より敗北の時こそ、その人の真価が試されるのではないか。ケアルはそう自分に言い聞かせる。


「それでは、敗北ではないか・・・」

 悄然と首を折るドルマンの力無い言葉に、ケアルは冷然と言い放つ。

「現在の戦況において、勝利は望むべくもありません」


「何か、他に策はないのか・・・」

「ありません。今我らが取るべき策は、来るべき未来の戦いのために少しでも多くの戦力を温存することです」

 そう言い切るケアル自身にも、自分の軍人としての未来がこの大敗の先に残されていないことを理解していた。


 しかしまたケアルは、自分が今何を為すべきかも理解していた。

 ケアルは無理に緩やかな素振りで、一度口元に笑みをつくって見せた。

「司令長官、全艦離脱をッ」


 ケアルの張り上げた声に、コリングウッド元帥は無言のうなずきだけを示した。


「艦隊軸四時方向、俯角三〇度の敵包囲陣が脆弱部です。この地点に向け、一点突破を図りましょう」

 今まで沈黙を守っていたシェフーリン大佐の突然の言葉に、ケアルは振り向いた。


 血の気のない神経質そうな顔の中で、怯えた瞳が落ち着かなげに震えている。

「包囲攻撃開始以後の敵艦隊の砲撃状況をモニタリングしていました。このポイントの敵戦力は脆弱です」


 そして、周囲の注目が自分に集中したことにさらに怯えを見せ唇を歪める。


 ドルマン総参謀長は、コンソールを操作しモニターにシェフーリン大佐の言葉の結果を投影させうなずいた。


「いけません。これは、敵の罠です」

ケアルの言葉に、驚いたようにドルマンは振り向いた。


「その理由は?」

「ご覧下さい。艦隊軸四時方向、俯角三〇度方向の敵戦力は確かに脆弱ですが、その周辺の敵包囲陣は不必要に厚いものです。おそらくは故意にこの地点への突破を誘い、円筒状包囲陣により我が艦隊を完全掃滅するつもりなのでしょう」


ケアルはコンソールを叩き、モニター上に敵艦隊予想陣形図を投影させた。突破を図るティロニア連邦軍艦隊は、たやすく包囲下に陥り、司令艦橋に佇む将兵の深いため息を誘った。


「ならば、どうすればよいのだッ」

司令艦橋の床を蹴って歯咬みする総参謀長に、ケアルは乾いた目を向けた。


「この敵の罠を利用するのです。この地点に艦隊の一部を突出させ、敵が球形包囲陣から円筒状包囲陣に陣形変更を行う隙をつき、艦隊運動により生じた敵兵力の間隙部に主力艦隊の突破機動を行いましょう。この策以外に我が艦隊がこの包囲下から脱出できる可能性はないものと判断します」


「上席作戦参謀。その場合の、脱出可能戦力は?」

「おそらく、まとまって脱出できるのは二個艦隊ほどの戦力でしょう」

「わずか、二個艦隊か・・・」


「このままでは全滅です。この突破機動により敵艦隊の包囲運動は乱れ、その他の艦艇にも脱出できる可能性が生じるでしょう」

 ケアルは自信に満ちた笑顔をつくり、そう司令長官に語りかけた。


 非情に徹するのだ。

 囮となる艦隊が犠牲となり壊滅するであろうことは自明のことであった。

 しかし今は、囮艦隊を犠牲にしてでも、他の艦隊を救わねばならない。


 生き延びねば、死者に詫びることさえできないではないか。


 冷血無比の鬼となるのだ。

 囮艦隊を犠牲とした罪は己の宿命として受け入れよう。

 ケアルは何も口にせず、歯を食いしばったまま艦橋の床を踏み締めていた。


「ご命令を・・・」

「上席参謀の策を採用する」

 コリングウッド元帥のうなずきを確認し、ケアル准将は間髪を入れず命令を放った。


「第三艦隊及び第八艦隊は第一次突破艦隊として艦隊軸四時方向、俯角三〇度に突撃せよ。他の艦隊は援護砲火を放てッ」

「砲術参謀。砲撃を統制せよ。集中射撃により、突破機動を援護するのだ」

「砲撃開始!」


 ケアル准将の予測は的中した。一瞬脆弱部から崩壊したかに見えたバルカ同盟軍艦隊の包囲陣であったが、その宙域への第三艦隊及び第八艦隊の突入と同時に見事な艦隊運動で円筒形包囲陣に陣形を変更しようとした。


 包囲陣は、陣形変更機動のために一時乱れを見せる。


「今ですッ」

 ケアルの言葉に、間髪を入れずコリングウッドの言葉が続いた。


「全艦突撃!。全砲火を放てッ」

陣形変更の僅かな隙をついて、ティロニア連邦軍艦隊は突出した。


 その想定外の機動に、バルカ同盟軍の艦隊運動に動揺が走る。

 一瞬、ティロニア連邦軍艦隊の突破機動は成功するかに見えた。

 しかしその背後を、バルカ同盟軍の後衛艦隊が襲っていた。


 包囲陣の脱出を図るティロニア連邦軍の艦列は撃ち崩され、やがてそれは無秩序で惨めな敗走へと変わっていった。


 八


「前衛艦隊、包囲網を構成し接近します」

 モニター監視員の言葉を裏付けるように、目の前の敵艦隊は次々と無防備な後方から撃ち崩され、陣形を乱し戦意を喪失していく。


 いつの間にか、ユリウス艦隊への砲撃の圧力も和らいでいた。


「お待たせいたしました」

 メインスクリーンに、安堵の表情を見せるバヤジット大将が投影される。


「包囲陣の構築に成功いたしました。ただいまから近接殲滅戦に移行します」

 ユリウスはうなずいて敬礼を返した。


「承知しました。我が艦隊は、損害が著しいため艦列の再編成後包囲陣に参加いたします」


 鉄の包囲網の中で、ティロニア連邦軍艦隊は身を竦めて逃げまどい、やがて魔女の釜の中で煮込まれていくように次々と宇宙空間に漂う塵の群に変えられていく。既に組織的抵抗は失われ、各艦ごとに包囲網に突撃し離脱を図っている。しかし、それも長くは続かなかった。


「敵艦隊が突破離脱を図ります」

「罠とも知らずに、愚かなこと・・・」

 モニター監視員の報告に、バンゼルマンのつぶやきが重なる。


 長時間に渡る包囲戦を忌避するため、バヤジットは敵艦隊を完全に撃滅するための策を用意していた。

 包囲陣を構成する艦列に脆弱部を露に見せつけ、故意に敵艦隊の突出を誘う。そしてその突出運動に合わせて艦隊運動を行い球形から円筒状の包囲陣に追い込み一気に敵艦隊の息の根を止めるはずであった。


「そうだな・・・」

 ユリウスはティロニア連邦軍の無能ぶりに失望の言葉を吐く。


 しかし、ティロニア連邦軍とてただバルカ同盟軍に名をなさしめるためだけにこの大遠征を行ってきたのではなかった。

 

 仕掛けられた包囲陣の脆弱部に突破を図ったティロニア連邦軍二個艦隊は、囮の生け贄であった。

 その動きにつられて陣形変更を行おうとしたバルカ同盟軍の間隙を突き、ティロニア連邦軍主力艦隊は予想されていなかった宙域への突出を図ったのだった。


「あ、あれは・・・」

 バンゼルマンの驚きの声と共に、その意表を突いた行動にバヤジット艦隊の運動は乱れ、ティロニア連邦軍残存艦隊の主力は包囲網から離脱しようとしていた。


「全艦最大戦速。敵艦隊に離脱を許すな。全砲火をもって敵艦隊をなぎ払えッ」

 間髪を入れないユリウスの力強い指示に、ユリウス機動艦隊は脱出を図るティロニア連邦軍に後背から猛然と襲いかかった。


 包囲陣から離脱しかけたティロニア連邦軍艦隊はこの攻撃により統制を失い、態勢を立て直したバヤジット艦隊との挟撃を受け一部の敵艦の逃亡は許したものの大部分の敵艦艇は再び完全なバルカ同盟軍の包囲網の中に墜ちたのだ。


「掃討攻撃を命じましょうか?」

 ギムレットの言葉に、ユリウスはうなずいた。

「適宜降伏を勧告し、損傷艦の回収に努めるように」


プレトリア星系の戦いは、こうしてバルカ同盟軍の完勝に終わった。


 ティロニア連邦軍艦隊はその多くの艦艇を失い、総旗艦ビシュヌの以下の一部の敗残艦隊のみがインディラ星系に逃げ込み得たにすぎなかった。


 プレトリア星系に残留していたティロニア連邦軍は、艦隊戦の敗北とそれに伴う宙域権の喪失により、多大な補給物資を残したまま一大軍事拠点であったプレトリア星系を放棄し、ウラル星系に逃亡していた。


 主力艦隊決戦に勝利したバヤジット艦隊は、何の抵抗も受けずにプレトリア星系の奪回を果たしていた。


 九


 第七艦隊旗艦イルマタルの作戦会議室には、ウラル星系攻略に従事する第七、第二一艦隊司令部と降下師団司令部が参集し、刻々ともたらされるプレトリア星系の戦況に固唾を呑んでいた。


 彼らに取り、プレトリア星系の主力艦隊決戦の帰趨は他人事ではなく、彼らの、明日の運命に大きく関わることであった。


 プレトリア星系宙域の制宙権の喪失は、彼らの敵陣営内での孤立を意味し、包囲下への陥落の結果は誰の目にも明らかであった。


 それは、彼らに死か、虜囚かの未来を暗示するのだ。


「横陣か」

 中央部のメインスクリーンに投影された敵艦隊の陣形を目にして、第二一艦隊司令官リウ中将は腕を組む。


「敵兵力は一〇個艦隊ほど・・・。それほどの遜色は認められません」

 第七艦隊参謀長ヤハギ大佐の説明に、最前列の二人の艦隊司令官がうなずいた。


 プレトリア星系駐留の主力艦隊八個艦隊は、密集隊形による突撃で長大な敵艦列の分裂を図っていた。

 

「ありきたりな・・・」

 後席のカイトウは、手元のディスプレイに目をやりながら深いため息をつく。


「カイトウ参謀のご感想はどうかな?」

リウ中将に振り向かれたカイトウは、あからさまに嫌げな顔をして立ち上がった。

「現状における私の判断から言えば、この作戦は不適切だと思われます」


「その理由は?」

「今回の戦闘における情報優勢権は敵艦隊にあります。敵の艦隊動員能力から見て、一〇個艦隊というのは、戦略的に優位にある敵艦隊が決戦を挑んできたにしては少なすぎると判断します」


「では、敵艦隊には伏兵があり、敵陣突破を図ることは敵の策略に陥るだけだと・・・」

「そういうことです」


「では、貴官ならどうするというのか?」

 その意地の悪い質問に、カイトウは薄い苦笑いだけを返していた。


「主力艦隊が運動を始めました」

 気まずい沈黙の中で、スクリーンの中の光点の塊の動きをヤハギ大佐が口にして室内の注目が自分から離れたことに、カイトウは静かに息を吐いて腰を下ろした。


 隣に座るカトウ大尉の心配げな眼差しに、片目を細めて見せる。


「見事!」

 リウ中将の感嘆の言葉を聞くまでもなく、スクリーンの中の主力艦隊はいともた易く教科書通りの敵陣突破をやってのけていた。


 幾人かの幕僚がカイトウを振り返り、降下師団長イーラム少将の眼差しには悪意さえ感じられたが、カイトウの冷笑には敵意が返されていた。


「やはり伏兵か・・・」

 リウ中将のつぶやきに、室内にはざわめきが拡がった。


 新たなる敵艦隊に、再び艦列を整えた主力艦隊は包囲の危機を逃れるために再びの突破を図る。その艦列の後方を分断されたはずの前衛艦隊が動揺も見せず襲いかかる。

 そして、不意にスクリーンの映像は途切れた。


「どうしたッ」

「敵艦隊の妨害電波により、通信が途絶いたしました」

 リウ中将の怒声に、通信参謀であるチェ少佐が声を張り上げる。


「通信の回復に努力せよ」


(それは、無駄でしょう)

 ヤハギ大佐の指示に、カイトウは口中で答えた。

 

 長い沈黙が続いた後、カイトウは物憂げにゆっくりと立ち上がった。

「プレトリア星系への帰還を進言します」

「何のために?」

 敗残艦隊の収容と、放棄されるであろうプレトリア星系から逃れてくる艦艇を収容するためにであったが、現在の段階でカイトウはそのことを口にできなかった。


「増援のためです。現在まで確認された戦況は残念ながら我が軍に有利なものではありません。万が一のためにも、プレトリア星系への急行が必要であると判断します」


「宇宙艦隊司令部の指示なくか?」

「はい」

 力強く、カイトウはそう答えた。


 宇宙艦隊司令部が今、激戦の中で敗北の時を迎えようとしていることを、この場の誰もが思い始めているのではないのか。

 

誰かが、口にして行動しなければ、間に合うものも間に合わなくなる。

 もう、手遅れなのかもしれないけれど・・・。


「万全の備えを為すために、全ての状況に即応できるよう、備える必要があると判断します。宇宙艦隊司令部との交信も、何時回復するか判断いたしかねます。我らに、増援命令がもたらされるかどうか不明ですが、増援の命令がある場合に備え、少しでもプレトリア星系に接近しておくべきでしょう」


「しかし、ウラル星系の占領維持命令は今も有効である」

(そのとおり。しかし・・・)

 うつむいたカイトウは、リウ中将の鋭い視線を外す。


 愚かな指揮官ではない。その剛胆さの中には、周到な知謀が窺われていた。


 この混とんとした戦況の中で拙速な行動により無謀な行動と抗命の危険を冒すことはできないということであろう。


「以て回った言い方はよせ。貴官は、主力艦隊の敗北を予言したいのだろう」

イーラム少将の詰問に、カイトウは苦々しげに唇を歪めた。


 この戦況で、勝利を予言することのほうが難しいではないか。

 開きかけた、カイトウの口を閉ざさせたのは、ヤオ司令官の力強い言葉であった。


「プレトリア星系における艦隊戦の帰趨は不明である。現在把握している情報だけからも、我が軍の主力艦隊が優勢であるとは判断できまい。幸いにして、ウラル星系では敵艦隊の撃滅に成功し、占領体制は磐石の状態にある。カイトウ参謀の意見を参考に、全艦隊がどのような状態を迎えても対応できる、即応体制を整えるべきであろう」

 ヤオ司令官の口添えの言葉にも、カイトウは唇を侮蔑に歪めたままであった。


 そして今、この時にも、バルカ同盟内のティロニア連邦軍は破滅への急坂を転がり落ちていた。


 一〇


「ギル中将は何をしていたんだ」

 突如もたらされた敗戦の悲報に、バンゼルマンは怒鳴り上げた。


 プレトリア星系での戦勝に沸く艦内の中で、ウラル星系から一つの敗北の通知が舞い込み完全なる勝利の余韻に水を差していた。


 別働隊として、ウラル星系のティロニア連邦軍艦隊の攻撃に出撃していたギル中将指揮下の二個艦隊は、奇襲をかけるべきところを逆に敵艦隊の奇襲迎撃を受け一方的攻撃により壊滅し、ギル中将も乗艦と共に戦死していた。


 ほぼ同じ状況でカザフ星系に出撃したサラディン中将の艦隊は、星系占領のため分散していたティロニア連邦軍艦隊を各個に撃破し完全な勝利を収めたというのにである。

          

「ギル中将がそれほど凡将であったとは思えないが?」

 ユリウスの言葉に、ギムレットがうなずきの同意を見せる。


「バルカ同盟の存亡を掛けた戦いに、執政官が愚将を派遣なされるわけはありません」

 ギル艦隊の戦闘記録を司令官室の大型ディスプレイに再現させながら、ユリウスは思う。


 ティロニア連邦軍はバルカに完全な勝利を収めさせるため遠く「壁」を越えて艦隊を派遣したわけではない。

 彼らも、我らと同じく勝利を渇望しているのだ。


「敵にも我が作戦を看破し、備えていた者がいたわけですな」


 ディスプレイの中のティロニア連邦軍艦隊は兵力分散の愚は侵さず、ギル中将の艦隊が事前情報により得ていた艦隊駐留宙域は、光学欺瞞兵器と通信妨害衛星に満たされていた。


 敵艦予想宙域に突入したギル艦隊は、いきなり艦隊の目と耳を塞がれた上に、後方からの強烈な痛撃を受けていた。


「ティロニア連邦軍も、やるではないか。うかつに突入したギル艦隊は愚かであったが、巧妙な敵の罠は称賛に値しよう」


「彼らを舐めてはならない。プレトリア星系における戦いにおいても、彼らは我らの策を見破り、我らをだし抜きかけたではないか」


 ユリウスの言葉に頷きながら、ギムレットはバヤジット大将の伝言をユリウスに伝えた。


「そこで我が軍は、ティロニア連邦軍が逃げ込んだウラル星系の掃討作戦が必要なわけですが、艦隊の補給と整備のために一時プレトリア星系に駐留したいというのがバヤジット大将の意向であります」

「いいだろう。ウラル星系の敵艦隊は完全に我がバルカ同盟軍の包囲下にあり、逃げられはしない」


 しかしそこで言葉を切り、ユリウスは首を傾げてみせる。


「しかし、ウラル星系の敵艦隊の能力は侮りがたいものだ。少し気にかかるな。指揮官は判明しているのか?」

「ヤオ中将であるということです」

「ヤオ中将?」

「インディラ要塞を攻略した艦隊司令官であります」

 ユリウスは苦笑を見せ、バンゼルマン中佐が続けた。

「それは大変。今度はガンベル要塞が攻略されるかもしれません。それとも、もっと奇抜な作を講じるか・・・」


冗談めいたその言葉にも、自分ならそうするかも知れないとユリウスは思い、一抹の不安を抱いた。


「ガンベル要塞についての情報は?」

「未だ通信は回復していませんので敵艦隊の封鎖下にあるとは思いますが、陥落の報も届いておりませんので健在であるものと判断します」


「ウラル星系の敵艦隊戦力は?」

「流入した敗残艦隊を含めても、約三個艦隊程度であると判断されます」


「無理に急ぐ必要はないが、艦隊の一部を派遣しウラル星系の敵艦隊の動静を把握しておく必要があると思うな。小勢力だからといって侮ってはならない。敵以上に、備えておくに越したことはない。その旨、バヤジット大将に伝えておいてくれ」

「承知しました」


「そしてギム、バヤジット大将にこうも伝えてほしい。本日以降我が艦隊はバヤジット艦隊の完全指揮下にはいるので、ご承知願いたいとな」


「承知いたしました」

 この戦いにおいて、ユリウスはバルカ家の一員として求められた以上の責務を果たしたのだ。


 誇らしげにユリウスを見やりながら微笑むギムレットに、ユリウスは少し恥ずかしげな笑みを返していた。

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