「天空の要塞」 バルカ戦記 第2部  侵攻の艦隊


第五章 崩壊の序曲


 一


 インディラ要塞失陥。


 その驚嘆すべきニュースがカリマンタン要塞戦線にもたらされたのは、バルカ歴四六年が明けて間もなくのことであった。


 コルドバ星系及びインディラ要塞方面において、昨年末からティロニア連邦軍によるものと思われる通信妨害が行われてはいたが、それはコルドバ星系侵攻作戦が行われていたものと判断されていた。


 しかしインディラ要塞からの通信途絶が長期に亘り回復しないために、隣接するマレー要塞から派遣された連絡艇により、インディラ要塞表面上におけるティロニア連邦軍艦艇の活動が確認され、インディラ要塞の失陥は確認されたのだった。


 インディラ要塞の突然の陥落は、ティロニア連邦軍の要塞攻略秘密兵器の使用が予想された。

 しかしバルカ同盟軍総司令部からは詳しい情報の提供はなく、各要塞戦線に対しては厳重警戒体制の発動のみが下令されただけであり、ただ要塞陥落の事実だけを突きつけられた各要塞戦線には、恐慌にちかい戦慄とおののきだけが拡がっていた。


 カリマンタン要塞戦線司令官ユリウス・バルカ中将は、インディラ要塞失陥の報に、

「そうか・・・」

との短い一言を発しただけであった。


 この落ち着きはらった対応には、ユリウス司令官にはインディラ要塞失陥の戦略的意味とカリマンタン要塞戦線がおかれた軍事的危機が理解できていないのだとの安易で偏見に満ちた論評だけが流れていた。


 しかしユリウスにも、インディラ要塞の失陥がもたらす軍事的、政治的意味が理解できていないわけではなかった。


 広大なる宇宙空間に、要塞惑星戦線による事実上の国境線「壁」が築かれて二五年が経過していた。

 この間、要塞惑星は難攻不落の軍事拠点として宇宙空間に、脅威の物体として存在し続け、両軍の艦艇をその裾野にさえも近づけることはなかったのだ。


 そして、その暴力的威力に対し、ここ八年ほどの間は、悪戯に犠牲が生じるだけであるとして艦隊による要塞惑星攻略戦は全く行われていなかった。

 その、不朽の要塞惑星が、わずか数日にしてティロニア連邦軍の手に陥ちたのだ。


 要塞惑星不落の神話は打ち砕かれ終わった。

そして、ティロニア連邦軍はバルカ同盟の防壁たる「壁」に穴を穿ち、「壁」が構築される以前のように、自由にバルカ同盟宙域に侵入することができる橋頭堡を手にした。

このことは、バルカ同盟の軍事的危機であると同時に、ユリウスの兄であるバルカ同盟執政官アジュラム・バルカが率いるバルカ同盟の政治的危機であり、バルカ家による統治の危機でもあった。


「悪戯に、未知の要塞攻略兵器を恐れることなど、不要である」


 インディラ要塞失陥に打ちのめされ、困惑と混乱の末、沈黙に浸っていたカリマンタン要塞戦線作戦会議の場において、ユリウスはこれまでの彼の態度からは想像できないほど力強く言葉を発していた。


「この度インディラ要塞において使用された要塞攻略兵器については、後日その全容が判明するであろう。情報参謀以下の情報部員には、その詳細解明に努力してほしい。その詳細が不明な現在においては、厳重な警戒線を構築し、敵艦隊の接近を早期把握に努めることだけでよいのではないか?」


 ユリウスは、前例のないその確固とした意思の表明に当惑の表情を返す副司令官ヴァルファ中将の視線を受けとめ、彼がうなずくまでその視線を外さなかった。


 ユリウスの侍従武官ギムレット中将は、沈黙のまま、その光景を視界に収め頼もし気に目を細める。


「作戦部には、インディラ要塞奪還作戦の立案をお願いする」

 ユリウスの思いがけない発言に、会議室内には驚きのざわめきが広がった。


「なにを驚くッ。ティロニア連邦軍にできたことが、我が軍にできないというのかッ!」

 ギムレットの叱咤に、その場の何人かが背筋を伸ばした。


「コルドバ星系のファイエル艦隊についての情報は?」

「不明です」

 情報参謀の短い言葉に、ユリウスは侮蔑の眼差しを隠さず冷たく答えた。


「確認は?」

「しておりません」

「早急に確認したまえ」


 畳み掛けるユリウスの言葉に、起立したままの情報参謀の顔に赤みがさす。

 ユリウスのつれない沈黙に、情報参謀は副司令官の顔を盗み見て何の加勢も得られないことに不満気音を立て着席した。


「ヴァルファ中将」

 ユリウスは、かたわらの副司令官を振り返る。

「艦隊の出動を願いしたい」


「どちらへ?」

「ファイエル中将の艦隊を迎えに行ってもらいたい。コルドバ星系を離脱したファイエル艦隊は、我が戦線に向け離脱してくるのではないか?」


「いけません。艦隊の不在中に、もしわが要塞にも敵が侵攻してきた場合にはどうなさるのですか?」

 作戦参謀オゥマル中佐の言葉に、ユリウスは冷厳に言い放つ。


「貴官たちが恐れるティロニア連邦軍の秘密兵器は、艦隊がいれば防ぐことができるものなのか。ピケット艦隊とパトロール艦隊を派出し万全たる警戒網を構築し、敵艦隊の接近の早期把握に努めることにより、万が一敵艦隊が接近した場合にも要塞と駐留艦隊により効果的挟撃戦が行えるではないかッ」


 そして、不敵な笑みを見せる。

「艦隊出撃に、同意いただけるかな、副司令官?」


 いつのまに、このような高等戦術を覚えられたか。

 ギムレットは笑みを浮かべながら、バルカの若い司令官の奇襲に打ちのめされた室内を見回していた。



 カリマンタン要塞戦線司令官ユリウス・バルカ中将は、要塞惑星ハンガインの軍港でヴァルファ艦隊全艦二〇〇隻の出撃を見送っていた。

 軍港から、次々と白銀色の艦隊が飛び立っていく。


「ユリウス様も、出撃したかったのではないですか?」

 侍従武官ギムレット中将の言葉に、ユリウスは二三歳の若者らしい笑顔を見せた。


「私も一緒に出撃すれば、この要塞を見捨てたものとしてよりいっそうの動揺が拡がるだろう」


 空っぽになった要塞惑星ハンガインの軍港には、ユリウスの乗艦イラストリアスのみが寂しげに係留されている。


「ギムも、ティロニア連邦軍の本格的攻勢が、迫っているとは思わないだろう?」


「はい。インディラ要塞の失陥が我がバルカ同盟に与えた衝撃と同様に、同じ衝撃がティロニア連邦にも及んでいることだと思います。ティロニア連邦の新たな攻勢まで、まだかなりの時間があるでしょう。しかし、局地的な功績狙いの戦闘はあるかもしれません」


 ユリウスは、目を細め鼻で笑った。

「フッ。確かにティロニア同盟軍は、見事な戦術によりインディラ要塞を陥れた。しかし、彼らの戦略が同様に冴えたものとは限るまい」


「そうですな。もし彼らに確とした政略と戦略があり明確な予定の元にインディラ要塞を攻略したものであるならば、今頃我らも敵の攻勢を受け敗走していたでしょう」


「要塞惑星の攻略など、何時でもできたのだ。ただ、必要がなかったので行わなかっただけのことであることを、彼らは気づいているのか。そして、その結果がこの宇宙の運命に与える影響に、彼らは気づいているのか。そして、これから始まることに彼らはどう対処するつもりなのか」


 ギムレットを振り返る、その若い目は覇気に輝いている。

「それとも、ただ愚かにも、偶発的なことでしかなかったのか」

「おそらくは・・・」


「しかし、それだけでは終わるまい」

「新たなる戦雲が、この宇宙に拡がることでしょう」 

 戦艦イルマタルの優美な艦影を目でなぞりながら、ユリウスはそのことを待ち望んでいる自分に気づいていた。

 そしてギムレットは、その野望を諌めもせずに、いつもの穏やかな笑みを崩さない。


「若き主人とその忠実なる僕か・・・」

 二人から少し離れた位置でその会話を聴くバンゼルマンは、二人に対する自分の愚かな嫉妬心を複雑な想いとともに抱いていた。



 ハンガイン要塞を出港したヴァルファ艦隊は、シンガ要塞戦線との境界宙域でコルドバ星系から離脱してきたファイエル艦隊との遭遇を果たしていた。ファイエル艦隊を執拗に追跡していたティロニア連邦軍艦隊は、ヴァルファ艦隊の艦影を認めると追撃戦をあきらめ、シンガ要塞戦線の奥深くにその身を隠したのだった。


「申し訳ございません」

 補給のためハンガイン要塞に寄港したファイエル中将の、執政官の弟に対する言葉にユリウスは困惑していた。


 その言葉はまた、コルドバ星系放棄に対する執政官への取りなしをうかがわせ、ユリウスに不快の思いを抱かせていた。


「お疲れさまでした」

 ユリウスは、一前線司令官としての言葉で答え、事務的にファイエル艦隊に補給を行わせ首都星バルカに送り出していた。


「よろしかったのですか?」

 ハンガイン要塞の軍港でユリウスとともにファイエル艦隊を見送ったヴァルファ中将の言葉に、ユリウスは訝しむ。

「なにがだろう?」


「ファイエル艦隊をこの要塞にとどめておけば、カリマンタン要塞戦線の艦隊兵力は磐石となります。情報部の判断では、当要塞戦線においてもティロニア連邦軍攻勢の動きがるあようですが?」

「艦隊戦力が必要なのは、我が戦線だけではあるまい。インディラ要塞失陥により、総司令部はより大きな予備戦力が必要なのではないかな?」

 ユリウスは、悠然とそう口にした。


 危機は人を変える。あるいは、今まで隠されていた本質をのぞかせる。


 バルカの人。


 そのような安易な言葉は言い逃れにすぎないとヴァルファは想いながらも、自分の子どもと言っていいほど年の離れたこの上官の存在を再確認していた。


 そしてこの上官も、無言の圧力によりヴァルファに忠誠を求め続けていることも無視できなかった。

 しかし今はそのことも不快とは思えず、それが当たり前のことであるかのように感じられていた。


 生来の指導者。


 そのような資質があるとは思わないヴァルファであったが、今、目の前のこの存在は大きなものとして、ヴァルファの前に立ち塞がっていた。


 四


「小惑星!」

 その小細工に、ユリウスは苦々しく笑った。


 ティロニア連邦軍によるバルカ同盟軍要塞惑星インディラに対する攻略戦の詳報がもたらされたのは、インディラ要塞が失陥して二週間を経た後であった。


 要塞戦線司令官室のデスクの上にレポートを放り出し、ユリウスは目の前にたたずむカリマンタン要塞戦線副司令官ヴァルファ中将を見上げた。


「それで、参謀部の意見は?」

「小惑星そのものは脅威ではありませんが、その質量と運動エネルギーは大きな破壊力を持ちます。要塞主砲による迎撃で破壊は可能ですが、一度に多数の小惑星を使用された場合に、その全てを破壊することは困難であります。ラヴェランと要塞惑星本体を一度に狙われた場合には、ラヴェランの防衛までは手が回りません。現在のラヴェランの軌道変更能力では、小惑星の回避は難しいでしょう」


「そう・・・」

「具体的には、ラヴェランの改良による軌道変更能力の向上と軍開発局による小惑星専用破壊兵器の開発と配備を待たねばなりません」

 ユリウスは、片頬をゆがめて見せる。


 要塞司令官席に座るユリウスの右隣には侍従武官ギムレット中将がたたずみ、左隣には高級副官バンゼルマン少佐が控える。

 そして目の前のヴァルファ中将は、背後に参謀達を従えている。 

 誰もがこの危機に緊張し、頬を強張らせていた。


「それで、・・・」

 物々しく持って回った報告にうんざりしたように、ユリウスは重ねて訊いかけた。


「当面の防御手段はありません。既存の兵器の改良、または応用による対応についても限界があるものと判断されます」


「ふん」

と、ユリウスは鼻で笑った。

 ならどうするというのか。もしティロニア連邦軍が攻撃してきた場合には、無駄な抵抗はせず要塞を棄てて遁走でもしろというのか。


 ユリウスは、いらつきを隠せないでいた。

 何を萎縮しているのか?。たかだか要塞一つの失陥に何を慌てる必要があろう。


「他に、何か意見はないのか?」

 沈黙の返答に、ユリウスは失望をその蔑みに歪めた唇に表した。


「我らの要塞惑星が小惑星攻撃による防御手段を持たない以上、ティロニア連邦軍要塞も小惑星攻撃による防御手段を持たないのではないか。ならば、我々がカリマンタン要塞戦線におけるティロニア連邦軍要塞惑星サバに先制攻撃を仕掛けても良いのではないか?」


 ユリウスの発言は司令官室に驚愕をもたらし、瞠目と反発の相反する二つの反応が生じていた。


「ティロニア連邦軍は、小惑星攻撃を実施するにあたって当然それに対する防御措置を講じているものと思われます。それは、軍事上の常識です」


 軍事上の常識か。

 作戦参謀オゥマル中佐の言葉にユリウスは声を出さずに笑う。


 その常識を覆した小惑星攻撃により、二五年の長きにわたり宇宙空間に不落の鉄壁として君臨してきた要塞惑星が脆くも崩れ落ちたのではないか。

 ティロニア連邦軍は一兵の損失もなく、魔法でも使ったかのようなた易さで「壁」を破りさったのだ。


ユリウスは、静かに立ち上がった。

「オゥマル中佐。我々が敵要塞惑星を小惑星を使用して攻撃することにより、貴官の言うティロニア連邦軍が備えているであろう小惑星攻撃に対する防衛手段の詳細がわかるのではないか。敵が小惑星攻撃に対する有効な防衛手段を有しているならば、我々はそれを知ることができ、我らの要塞の防衛に活用することができるであろう。また、もし敵がその防衛手段を有していなかったのなら、我々は敵要塞惑星サバを奪取もしくは破壊できるではないかッ」


 吐き捨てるように言い放つと、ヴァルファ中将の顔面に羞恥の色が広がる。ユリウスは、その顔を見据えた。


「良い参謀を持つ」

 しかし、ユリウスはその皮肉は声にはしなかった。


 その時司令官室のドアが開き、入室した士官が通信文を通信参謀に手渡した。一読した通信参謀は、緊張した面もちでヴァルファ中将に電文を示した。


「ピケット艦隊からの入電です。敵艦隊を発見したとのことです。敵艦隊規模約三個艦隊。敵艦隊は、小惑星を曳航するとのことです」


 室内に広がった驚愕と怯えの交錯したどよめきを、ユリウスは無視した。

「駐留艦隊全艦の出撃を命じる。敵艦隊を迎撃せよ」

 そこで、言葉を切る。


「私も出撃しよう。ヴァルファ中将及び駐留艦隊司令部は、我が乗艦イラストリアスに座乗してもらう」


 このことは、カリマンタン要塞戦線司令官であるユリウスが、カリマンタン要塞戦線副司令官にしてカリマンタン要塞戦線駐留艦隊司令官であるヴァルファ中将を差し置き、艦隊戦を直接指揮することを意味していた。


 何かいいたげな、オゥマル中佐の唇をユリウスの鋭い視線が縫いつけるように貫いていた。


 唇を堅く横に結び、

「承知しました」

と、ヴァルファ中将は答える。

 ぞんざいな敬礼で、ユリウスはヴァルファ中将以下の敬礼を見送った。


「行こうか」

 ユリウスは、微笑みながら自分の侍従武官を振り返った。


ギムレットは、いつもの慈愛に満ちた微笑みを返す。

「バンゼルマン少佐は、何か意見があるのかな?」

「いえ、至当なるご決断と判断いたします」 

 カリマンタン要塞戦線司令官付け高級副官は、司令官室を出る上官の背を敬愛の眼差しで見送り、その後に続いていた。


 五


 ユリウス・バルカの座乗艦、バルカ同盟軍最新鋭戦艦イラストリアスは、今戦場に臨もうとしていた。

 要塞惑星ハンガインの軍港を飛び立ったユリウス・バルカ直卒艦隊は、補給艦など補助艦船を要塞惑星ハンガインに残置し、戦闘艦艇だけの機動力を重視した編成で、重厚なる艦列を組み上げていた。


「なぜここにいる?」

 出撃後初めて司令官私室に入ったユリウスは、そこに自分の愛人の姿を見つけて驚いていた。


「申し訳ございません。現在イラストリアスには駐留艦隊司令部が臨時乗艦しておりますので、居室が不足しております。ギムレット少将の許可を得てここで待機しておりました」


 セシリアは少しおどけたように敬礼をして見せる。そういえば、セシリアがユリウスに対して敬礼するのは始めてであった。


「そういう意味ではないだろう」

「従兵は、いつも司令官のお側におります」

 それは皮肉か。微笑みの中の思い詰めた眼差しに、ユリウスは戸惑った。


「だめだよ。危ないとこにきては」

 沈黙で対抗するセシリアに、ユリウスは卑怯だと思う。


 その愛しさに負けてしまうではないか。舷窓には、戦場に臨む艦列の光の帯が流れているというのに・・・。

 その制服の肩を抱いても、セシリアは拒みはしなかった。


 六


「醜いではないか」

 旗艦イラストリアス艦橋で司令官席に座るユリウスは、メインスクリーンに投影されている小惑星を曳航する無様な艦列の敵艦隊に見入っていた。

 右手にはヴァルファ中将、左手にはギムレット少将が控え、後方には駐留艦隊司令部とユリウスの副官が居並ぶ。


「敵艦隊は、我が主力艦隊の接近に気づいておりません」

 ヴァルファ中将の言葉に、ユリウスはうなずきを見せ司令の声を発した。


「敵艦隊を横撃し、次いで退路を遮断してもらいたい。徹底的に敵艦隊を撃破し、小惑星攻撃の無力さと愚かさを彼我両軍に知らしめすのだ」

ユリウスはその戦略的意図を説明する。


 インディラ要塞攻略の成功は、奇策による奇襲の成功がその要因である。

 奇襲による奇抜な戦術の採用により有効な防御手段の発動を制したからこそ、要塞惑星の攻略に成功したのだ。


 種が明らかとなったマジックに、何の有難みがあろう。小惑星を引きずった艦艇など、自らの足に鎖をつないだ象と同じではないか。


「以後の艦隊指揮は、駐留艦隊司令官のよろしきように」

 勝利を確信し、ユリウスは艦隊指揮をヴァルファ中将に委ねた。

 勝敗は会敵の前に決している。

 完全なる奇襲の成功が約束されたこの状況下では、バルカ同盟軍の勝利は揺るぎ無いものであった。


「全艦、艦隊軸左四〇度転舵。敵艦隊を左舷方向より攻撃する。以後、反時計回りに運動し半球状に包囲展開し敵艦隊進路及び退却路を遮断、包囲撃滅する」


 ヴァルファ中将は、その声を張り上げる。バルカ同盟艦隊四個艦隊は、獲物を狙う獣のように忍びやかにティロニア連邦軍艦隊の側面に回りこみ、突如その牙を剥ぎ羊の群に襲いかかった。 


「最大戦速!」

 メインスクリーンに、小惑星を曳航する航行隊形のティロニア連邦軍艦隊が大きく投影されている。その艦列に、奇襲攻撃察知の動揺が認められた。


「気づいたようですな。我々に・・・」

 ギムレットの言葉に、足を組んでスクリーンに見入るユリウスはうなずいた。

「しかし、遅い」


「砲撃を開始してよろしいですか?」

 ヴァルファの問いかけに、ユリウスは言葉を発せずただうなずきを見せた。


「各個砲撃開始ッ!」

「各戦隊ごとに目標を選定。敵指揮艦を重点に破壊に努めよ」

「通信妨害開始」


 メインスクリーンには光が溢れた。エネルギービームの狂おしい奔流はティロニア連邦軍艦列を引き裂く。

 白い航跡をうねらせてミサイル弾は乱れ飛んだ。


「一方的攻撃ですな」

 傍らのギムレットの呟きを聞くまでもなく、急襲を受けたティロニア連邦軍艦艇はエネルギービームと降り注ぐミサイルの雨から逃げまどい、艦隊運動を取る余裕もなく引きずる小惑星とともに打ち砕かれていく。

 宇宙空間には、次々と動力炉破裂の鮮やかな火球の花が咲き乱れた。


「左転舵一八〇度。両翼展開。接近戦を行う」

 わずかの抵抗を受けただけで、バルカ同盟艦隊は艦列の乱れたティロニア連邦軍艦隊をその包囲下に捉えた。


「空母部隊に連絡。戦闘機隊出撃。離脱を図る敵艦艇を補足し撃破せよ」

「駆逐艦部隊に連絡。重装甲魚雷により落後した敵艦艇の完全破壊に努めよ。一艦たりとも敵艦隊を逃すな!」


 わずか数分の出来事であった。敵艦列は次々に撃ち砕かれ、組織的反撃も無く各艦が逃げまどいただ動く標的となっている。


 バルカ同盟軍は一方的に破壊の限りをつくし、通信回線の中には慈悲を乞う悲鳴にも似た叫びのみが飛び交っていた。


 圧倒的勝利に高揚する旗艦イラストリアスの艦橋に、ユリウスは不機嫌な声を発した。

「ヴァルファ中将。敵艦隊に降伏を勧告せよ。降伏の受諾は、各戦隊指揮官に委ねる」


 立ち上がり、

「後は任せる」

と、立ち去ろうとするユリウスに慌てたバンゼルマン少佐が駆け寄り声をかけた。


「何か、ご不満でも?」

 面白くない。

 あまりに脆すぎるではないか。

 ヴァルファ中将の指揮権さえ侵して勇み、自らが艦隊を率いて出撃してきたというのに。

 ユリウスは敵艦隊との熾烈な戦闘のうえの勝利を期待していたのだ。


 ユリウスは自らの愚かさを恥じた。

 しかし、そのことを言葉にはできなかった。

 バンゼルマンに乾いた視線だけを投げかけて、ユリウスは艦橋を後にする。


 傲慢なのさ。ユリウス・バルカは。

 敵にも、味方にも完全な服従を求める。

 冷笑の中に、ユリウスは混乱していた。


 七


 勝利したのか、敗北したのか。

 それさえもセシリアは訊かない。


 私室に帰ったユリウスをにこやかな笑顔で迎え、脱ぎ捨てた軍服を抱える。

 シールドのため艦外の映像を投影する舷窓は閉ざされ、砲撃を伝える重い衝撃も今は絶えている。


「何か、お飲みになられませんか?」

 ソファに脚を投げ出して座り、不愉快そうに唇を歪めるユリウスの返事も聞かずいそいそとなれた手つきでコーヒをいれる。

 面白くもなさそうに、ユリウスはその姿を目で追っていた。


「戦闘終了いたしました。完璧な勝利です。敵艦は全て破壊するか、もしくは降伏いたしました。我が艦隊の損害は、流弾を受けた艦艇が数隻あるだけです」

 艦内通信のディスプレイの中で、淡々と戦闘の結果を説明するヴァルファ中将を、ユリウスは頬づえをついたまま見つめていた。


「ハンガイン要塞への帰還の許可をお願いいたします」

「いいだろう・・・。投降兵の一部に小艦艇一隻を与え、敵戦線に帰還させよ。この戦闘の結末とその意味を、彼らにも理解させるのだ」

「承知いたしました」


 そう答えるヴァルファの眼差しには昨日までとは違う瞠目と尊敬の色を感じさせていたが、ユリウスの乾いた眼差しは変わることはなかった。


 艦内通信を切ったユリウスは、自分を見つめるセシリアの笑みに気づいた。


「そういうことだ」

 少し恥ずかしそうに、そう口にする。


「勝ったよ」

 変わらぬ笑みだけを、セシリアは返している。


 無惨な敗北の果てに力尽き疲れはて、地位も名誉も財産も失ったときにも、セシリアは今日のように迎えてくれるのだろうか。

 この時のユリウスには、わからないでいた。


 八


 カリマンタン戦線におけるティロニア連邦軍侵攻艦隊の壊滅により、各要塞戦線における戦況は再び安定を取り戻していた。


カリマンタン要塞戦線においてティロニア連邦軍艦隊により再び試みられた小惑星利用の要塞攻略戦術は、インディラ要塞失陥の再現となることはなく、無惨な失敗と帰した。


この戦いの結果、小惑星攻撃に向かう艦隊の艦隊戦における脆弱性が露呈されるとにより、インディラ要塞攻略の成功が要塞防御の油断につけ込んだ奇襲的状態でのみ可能であったことが確認され、各要塞戦線は恐慌状態から脱していた。


しかしこの戦況の安定は誰の目にも一時的であり、今後はティロニア連邦軍に奪取されたインディラ要塞をめぐる戦いが行われることは明らかであった。


 カリマンタン要塞戦線司令官ユリウス・バルカ中将は、本国艦隊付けの提督に異動の内示を受けていた。


この人事は、カリマンタン要塞戦線においてティロニア連邦軍艦隊を撃破した執政官の弟に、インディラ要塞を侵攻拠点にバルカ同盟宙域に侵攻してくるであろう敵艦隊の迎撃を委ねるためのものであると噂されていた。


若干二三歳の中将にバルカ同盟の命運を委ねるほど執政官アジュラム・バルカは不明であるわけではなかったが、バルカ同盟を維持するためにはバルカの一族による支配が必要であり、そのためにはバルカ一族の軍功が大きな意味を有していた。


そのためには、アジュラム直卒による敵艦隊の撃破か、またはアジュラムの名代としてのバルカ一族の者による艦隊指揮による勝利が必要であった。


 そしてこの若きバルカは、カリマンタン戦線における「壁」の危機に対して特筆すべき軍功を上げ、比類無い軍事的能力の片鱗を示していた。


 本国艦隊への異動が明らかになった後、ユリウスの元には多数のカリマンタン戦線の将兵が詰めかけ、ユリウスと共にティロニア連邦軍を迎え撃つことを望んでいた。


 六カ月前の執政官の不肖の弟の着任に対する冷たい視線とは一八〇度の方向転換であったが、ユリウスは、何の反応も示さず淡々と残された日々を司令官業務の引継に費やしていた。


 ユリウスの高級副官バンゼルマン少佐は、自分の身の振り方について躊躇していた。

 部下であるもう一人の副官コトウ中尉は、首都星バルカへの帯同を直訴し、ユリウスの本国艦隊異動後も副官勤務を続けることを認められていたが、ユリウスは人事の私物化を嫌い、その他の将兵の懇願に対しすべて侍従武官のギムレット少将に対応を任せ拒否していた。


 バンゼルマンはユリウスの複雑な人となり、その卓越した指導力に興味と魅力を感じ、できれば今後もユリウスのそばで副官の任務を続けたい想いであった。


 しかしバンゼルマンには現在の自分の地位と階級が自分の能力により与えられているものだという自負があり、ユリウスへの帯同の希望がバルカの一族に接近することにより栄達を望むものと他人に思われることは心外であった。


 また、他の将兵のユリウスへの直訴がコトウ中尉の例外をのぞいてすべて拒否をされていることに不安とためらいも覚えてもいた。


「少佐は、ユリウス司令官とご一緒されないのですか?」

 コトウ中尉のその無神経な質問に対するバンゼルマンの答えは、彼自身にも強がりに聞こえるものであった。

「私はカリマンタン要塞戦線司令官の高級副官であり、ユリウス司令官の私的副官ではない」


 そうは言ってみたものの、楽しそうに異動の荷造りを行うコトウ中尉をバンゼルマンは複雑な思いを抱きながら横目で見ていた。


「バンゼルマン少佐は、今後の任務の希望はありますか?」

 司令官室に呼ばれたバンゼルマンに対して、ユリウスは数秒の逡巡の後そう訊いていた。


「いえ、別に・・・・」

 その気のない答えに、ユリウスは物思い気にバンゼルマンを見上げている。

「私は砲術士官ですから、できれば砲術部門に配置いただければ幸いですが」


「そうですか・・・・」

 この嘘つきめ。

 バンゼルマンは自分の思いを素直に口に出せない自分に呪いの言葉を投げかける。バンゼルマンの心の中には、重く暗い失望と後悔が黒い染みのように広がっていく。


「私は、人見知りが激しい」

 しばらく視線を泳がした後、ユリウスがそう口を開いた。


「私の希望として、一緒に任務に就き良く働いてくれた者には変わって欲しくない。貴官も知っているように、私は気むずかしく人使いも荒い。良い上官ではないであろう。好かれるより嫌われ、憎まれることが多いようで、敵も多く、今後の栄達も約束はできない。君の今後のためにはプラスにならないかもしれないが、できれば君にも一緒にきて欲しい。本国艦隊に帰還後は、私は数個艦隊を指揮し侵攻してくるであろうティロニア連邦軍迎撃の任に当たることになると思う。困難な任務ではあるが、バルカ同盟軍士官として重要で誇るべき任務であると思う。そして、君にはその能力があると思うのだが・・・」


 バンゼルマンは、望んでいた言葉に全身を緊張させる。

「どうだろうか?」


「喜んで、閣下」

 不器用なことだ。お互いに・・・。

 その会話を素知らぬ顔で聞き流していたギムレットは、緊張の解けた若い二人の笑顔に苦笑いを浮かべるだけであった。

 


第六章 壁のむこうにあるもの


 一 


 ティロニア連邦歴一五八年。

 二五年にわたりティロニア連邦とバルカ同盟を隔てていた要塞惑星戦線「壁」に、穴が穿たれた。


ティロニア連邦軍の小惑星を利用した奇襲攻撃によるバルカ同盟軍シンガ要塞戦線インディラ要塞惑星の失陥は、ティロニア連邦、バルカ同盟双方に政治的、軍事的に新たな局面を生み出すはずであった。


 バルカ同盟宙域への侵攻橋頭堡を手に入れたティロニア連邦軍による侵攻作戦の発動か。


 はたまたバルカ同盟軍によるインディラ要塞奪還作戦の発動か。


 それとも、他の要塞戦線における新たな作戦の実施なのか。


 カイトウは考える。

軍事作戦の結果による新たなる局面の出現は、新たな政治的行動の契機とはならないのか。


過去二五年間、宇宙は二分された二つの勢力による「壁」をめぐる限定的戦争状態が続いていた。

その「壁」が破られた今こそ、新たなる政治的行動の時ではないのか。


辺境諸星系の独立を目指した戦いは、「壁」が構築された時点でその目的を達成していた。辺境諸星系が、壁の向こう側で完全な独立を達成した時点でこの戦争は終わるべきものであったのだ。


しかしこの戦争の過程において生じたティロニア連邦とバルカ同盟双方の憎しみと不信は根深く、また「壁」の成立による完全な遮断状況の出現は、両勢力の政治家の和平への努力を怠らせ、長く「壁」をめぐる局地戦が続く原因となっていた。


 この「壁」をめぐる限定的戦闘は、この戦争をティロニア連邦、バルカ同盟双方の社会体制と経済体制の中に組み込むこととなっていた。

 戦争は日常となり、誰もが戦争状態に不信を抱かぬ社会。

 その成立の原因は、この戦争が市民社会に与える脅威が、「壁」が構築された以後は大きく減少したことである。


 「壁」が造られる以前の両国の境界宙域周辺の星系は、絶え間ない侵攻作戦の応酬により荒廃し、多くの市民の生命とその生活が犠牲となっていた。


 謀略戦の交錯による各星系政府の寝返りと造反、報復的占領とその後の見せしめの処刑の繰り返しによる憎悪の相克。


 「壁」の成立は、その両側の世界に一時の平和をもたらしていた。そして、「壁」に護られた安心感が市民の戦争に対する危機意識を薄めさせ、和平への気運の醸成を妨げていた。


 時の経過とともに、わずかずつではあるが着実に軍は軍需産業を引き連れて膨張を続け、市民社会に兵員の血と戦闘のための物資の提供を求め続けていた。そしてその要求は、増えることはあっても決して減ることはないものであった。


 「壁」が破られた今こそ、この停滞した軍事状況に陥った宇宙には新たなる政治の季節が必要なはずであった。

 

 それともまだ、人類の歴史に平和がもたらされるためには、流される血と破壊の量が足りないというのであろうか・・・。


 カイトウのこの嘆きは、言葉にされることなく重くにその心の中に澱んでいた。



 インディラ要塞攻略に成功した第七艦隊は引き続き要塞に駐留し、艦隊司令官ヤオ中将が要塞司令官及び駐留艦隊司令官を兼ねることとなった。


 参謀長ヤハギ大佐は、今回の軍功により准将に昇進していた。作戦参謀シェフーリン中佐も大佐に昇進し、宇宙艦隊総司令部へ栄転した。情報参謀チョン中佐も軍令部へと転属となった。


 そしてカイトウも少佐に昇進し、第七艦隊情報参謀の命を受けていた。


 シェフーリン中佐転任後、第七艦隊には作戦参謀の配置は行われず、形式上はヤハギ参謀長が作戦参謀職を兼務することとなったが、この人事は情報参謀であるカイトウに作戦立案任務全般が委ねられるものと第七艦隊司令部においては理解されていた。


 インディラ要塞攻略成功後、攻略作戦の立案がカイトウ指揮下の情報分析班で行われたことは広く艦隊中に知られていたのだ。


 ヤオ司令官はカイトウの作戦参謀就任を望んだが、司令部内の筆頭参謀である作戦参謀に参謀大学校も出ていない新任少佐を配置することは、軍令部人事課に人事政策の秩序を理由に拒否され、このような折衷的な人事になったのであった。


 カイトウにとり、そのような幕間の事情はどうでもいいことであったが、昇進し給料が上がったことは金銭的に素直に喜ぶべきことであった。

 佐官に昇進したことは、近頃老いが目立ち始めた父が聞けば喜ぶかもしれないと思っていた。


 情報分析班長から情報参謀に昇進してもカイトウの艦内生活に変わりはなく、ただ情報分析班の看板が情報課に変わっただけであり、自分のデスクに座るカイトウが見る風景に変わりはなかった。


 艦内時間〇九:〇〇から一八:〇〇までの一直勤務を主に情報課のデスクで過ごす。

 特別の情報が把握されていない現在の状況においては、週一回の定例幕僚会議に出席するだけで、後はカトウ中尉とドイ中尉から回されてくる情報報告に目を通し、参謀長に提出する情報分析書を作成するだけの毎日であった。


 参謀長からはインディラ要塞防衛に関する防衛作戦案の検討を指示されていたが、カイトウは概略案のみを立案し提出していた。


 インディラ要塞防衛において注意すべきことは、監視衛星の展開とパトロール艦隊の派遣による警戒体制の確立とその効果的活動による早期敵情把握だけであった。


 カイトウは、適切な時期に接近する敵艦隊を把握できれば、どのようにも対処できると考えていた。

 もし圧倒的な戦力を有する敵艦隊が来襲し旗色が悪いようであるならば、要塞など破壊してさっさと逃げだしてしまえばいい。  


 宇宙艦隊総司令部の意向など一顧だにせず、そう軽く口にしてしまうところがカイトウの悪いところであり、その才能と功績に比して上層部から冷遇され忌避されるところであった。


「インディラ要塞攻略作戦と同じ戦法を敵が実行してきた場合の防御方法は、どのようなものがあるのか?」

 定例の幕僚会議の席上、そうヤハギ参謀長に聞かれたカイトウは少し微笑んでこう答えていた。


「簡単なことです。小惑星を引きつけてから、エネルギー弾を中心部分からはずれた位置に集中して砲撃すれば簡単に小惑星の軌道を変えることができます。小惑星に補助エンジンを装着していても、加速してからの急激な軌道の修正には限界があります。あの作戦は、あくまで奇襲により敵の防衛手段の発動を封じ意表を突いたことに意義があります。今後、同種作戦が実行されても成功は難しいのではないでしょうか。しかし、だからといって、今後要塞惑星の攻略が不可能と言うわけではありません。いろいろな戦術を用いれば、要塞惑星の攻略は可能であると思います。あの作戦の本当の意義は、要塞惑星、いわゆる「壁」が難攻不落のものではないということが認識されたことだと思います」


 そして、手のひらの中でコーヒーカップをもてあそびながら続けた。

「もし敵艦隊が、今回我々がインディラ要塞に対して行ったものと同じ戦術を用いてきたならば、それは敵艦隊撃破の良い機会です。小惑星を曳航して運動能力の落ちた艦隊など、艦隊戦で撃破することは容易ではありませんか・・・」


「ということは、貴官はインディラ要塞攻略戦において我が艦隊をその危険にさらしたということか?」

「そうですよ。お気づきになられませんでしたか?」

 わざと驚いたような参謀長の発言に、カイトウは悪戯っぽく笑って答えていた。



 二匹目のドジョウをねらったのは、カリマンタン要塞戦線のティロニア連邦軍艦隊であった。

 カイトウの予想した通り、カリマンタン要塞戦線のバルカ同盟軍は警戒体制を強化しており、侵攻したティロニア連邦軍艦隊は要塞に接近する前に敵艦隊の迎撃を受けていた。小惑星を曳航し運動能力の劣ったティロニア連邦軍艦隊は艦隊戦の主導権を失ったままさんざんに打ち負かされ逃げ惑うばかりの散々な完敗を喫したのであった。


「馬鹿なッ。何のために小惑星を曳きずっているのだ」

 カイトウは情報分析課のディスプレイに投影させた戦闘報告を検討しながら、そうぼやきを口にしていた。


 ディスプレイには、バルカ同盟軍に面白いように追い回され、包囲され消滅していくティロニア連邦軍艦隊の軌跡が描かれていた。


「敵艦隊と会敵したとき、小惑星を敵艦列に叩き込んでしまえばよかったのだ。そうすれば、少なくとも敵艦隊から離脱できる時間を得ることができたろう。また、有利に艦隊戦を戦える好機を得ることができたかもしれない」


「硬直的戦闘ですか?」

 カイトウの説明に、ドイ中尉が答えた。

「少なくとも、作戦を実施する前に敵艦隊との遭遇を想定して対策を立てておくべきだったな。会敵してから艦隊戦の戦術を考えるようでは遅いだろう」

 コンソールから戦闘記録ディスクを取り出してデスクの上に放り出す。


「ところで、私が考えた戦術が無断で使用されたわけだが、戦術に知的財産保護権はなかったかな?」

 大して機知のないカイトウの冗談に、ドイ中尉は軽く答える。


「負け戦ですからね。欠陥戦術ということで、かえって賠償の訴えが起こされるかもしれませんよ」

 カイトウは肩をすぼめてみせ、室内には明るい笑い声が続いていた。



 軍事目的は、政治目的の達成のためにある。

 この戦争の政治目的が、ティロニア連邦にあっては、銀河宇宙統一の維持であったことは明らかである。

 しかし「壁」の構築によりバルカ同盟は実質的に独立を果たし、この政治目的の維持は困難となっていた。


 それにも関わらず、「壁」の内側の統一の確保のためにこの政治目的は掲げ続けられてきた。

 そして「壁」が破られた今、ティロニア連邦は使い古されたこの政治目的のもと軍事力を行使し、バルカ同盟領内に侵攻の兵を送るのであろうか。


 今更の宇宙再統一に、何の政治的意味があるというのか。


 宇宙の統一が、ティロニア連邦市民に、またバルカ同盟市民に何の利益をもたらすというのであろうか。


和戦の決定は、政治家の仕事である。

 もし仮にバルカ同盟領内への侵攻作戦が遂行されるとしても、それは軍事指揮権を有する市民政治家であるティロニア連邦統領が決定し、作戦詳細は宇宙艦隊総司令部が立案すべき内容である。

 一介の艦隊参謀でしかないカイトウが関知すべき内容ではなかった。


 しかし、インディラ要塞の防衛に責任を有する者として、今後の戦略に関する意見具申を宇宙艦隊総司令部に行うことは無駄ではないと考えていた。


 カイトウは、シンガ要塞を防衛軸とした専守防衛体制の作戦案を策定した。その内容は、バルカ同盟軍がティロニア連邦軍の突出橋頭堡であるインディラ要塞を攻略しようとした場合には、多量の出血を強いるためのものであった。


 常時五個艦隊の駐留。監視衛星の展開による三重の警戒体制の確立。縦深的機雷源の設置。ラヴェランの増設。ラヴェラン重装甲化による虎口(タイガーファング)戦術の確立。


 これらのインディラ要塞防禦体制強化策は、カイトウにすれば、それは本質的には戦術、戦略というよりも政略に近いものであった。

 インディラ要塞の絶対化によりバルカ同盟政府に軍事行動の空しさを認識させ、和平交渉のテーブルにバルカ同盟側からつかせることを最終の目標としていた。


カイトウにすれば、シンガ要塞戦線の解放による和平の実現を望んでいたが、そのようなことは艦隊の一参謀の考えるべきことではなかった。

 しかし作戦立案の際には何らかの軍事目的が必要であり、軍事目的とはすなわち政治的目的の達成を意味していた。

 

 カイトウは、銀河宇宙の和平実現を夢見ていた。

 このことは、軽々に明らかにできることではなく、この防衛作戦案の目的は、表向きにはインディラ要塞の恒久的確保とバルカ同盟軍艦隊のインディラ要塞の活用による撃破であるとして提案されていた。


 そしてカイトウの作成したこの作戦案は、参謀長、司令官の修正を受けることなく決裁を受け、インディラ要塞駐留艦隊防禦作戦案とされ宇宙艦隊総司令部に上申されていたのだ。

 

 五


「新作戦が発令されるらしい」

 週に一度の昼食会を兼ねた幕僚会議において、ヤハギ参謀長がそうきりだしたのは、食後のコーヒーが配られた時のことであった。


 その言葉を白のクロスの掛かったテーブルの端の席で耳にしたカイトウは、コーヒーに大量のミルクを入れていた手を止めた。

 

 幕僚会議は毎週行われていたが、敵艦隊接近の情報のない現状においては特に討議すべき事項もなく、ただ雑談だけに終始することも多かった。


 参加するのは、司令官ヤオ中将、参謀長ヤハギ准将。

 砲術参謀コリンズ中佐、航海参謀アブドゥール中佐、制空参謀ノボトニー少佐、通信参謀チェ少佐、補給参謀タダ少佐、情報参謀カイトウ少佐の各参謀と司令官付け副官カイテル大尉の九名であった。


「正式な通達はまだないが、近く作戦参加艦隊の司令官会議が開催される。我が艦隊も、作戦参加の内示を受けた。後日開催される司令官会議には、司令官以下全参謀が参加の予定だ」


「空前の大侵攻作戦になりそうですね」

 参謀長の発言を受けたコリンズ砲術参謀の言葉に、カイトウは驚いて振り返った。


 参謀の中で先任のコリンズ中佐は大柄、剛腹な人柄であり、良くも悪くも率直な性格であった。

「砲術参謀は、お聞きになられていたのですか?」

「何だ、情報参謀は知らなかったのか。情報参謀がそういう重要情報に疎いことでどうする」


 カイトウは揶揄の言葉に一瞬ぶ然としたが、

「もし君なら、どのような侵攻作戦を立案する?」

 と参謀長に問われ、立ち上がりコンソールを操作して壁に備え付けられた三次元ディスプレイに天球図を投影させた。

 

 写し出された銀河宇宙の天球図は、中央に赤く描かれた「壁」により二分されている。

 その赤い帯の中で、一カ所欠けている箇所がインディラ要塞が位置する宙域である。


 カイトウは、バルカ同盟領に対する侵攻作戦案の私案を説明した。

 それは不必要であると判断していたために詳細に立案していたわけではなかったが、漠然と一つの可能性として考えていた作戦であった。


「個人的にはあまり気のりする話しではありませんが、もしバルカ同盟領に侵攻作戦を行うとすれば、一番成功の可能性があると判断されるのはインディラ要塞からバルカ同盟領内に侵攻し、プレトリア星系を攻略拠点とする作戦であると思います。そこから時計回りに侵攻し、カザフ、ウラル両星系方面に進出し占領します。この結果、アレウト要塞戦線を我が陣中に孤立させることができ、またシンガ要塞戦線の大部分の要塞惑星をも手中に収めることができます。この作戦の結果、バルカ同盟領の約四分の一の宙域を占領することができます。この宙域には居住に適した惑星が少なく人口は多くはありませんが、豊富な鉱山惑星が多く各種兵器工廠が点在しております。この宙域の占領はバルカ同盟の戦争遂行能力に多大な影響を与え、またその政治体制に与える衝撃は計り知れないものと考えます。しかし・・・」


 カイトウは、思いつくままのバルカ同盟領侵攻作戦案を口にしていた。

「この作戦を実施した場合には、当然敵艦隊の頑強な抵抗が予想されます。各要塞惑星の封鎖、補給線の確保、敵艦隊の排除、諸星系の占領と維持に少なくとも一五個艦隊以上の艦隊の動員が必要でしょう」


 一五個艦隊。それだけの大規模戦力を編成維持し有効に展開活用する能力が、今の宇宙艦隊総司令部にあるとはカイトウには思えなかった。


「アレウト要塞戦線に存在する敵要塞惑星はガンベル要塞ただ一つしかありませんが、その要塞規模はインディラ要塞に匹敵するものです。また、シンガ要塞戦線で包囲下に墜ちるマレーとソロンの両要塞は小規模なものですが、いずれにしても艦船修理能力などある程度の持久抗戦能力があります。要塞惑星は動きませんが、それぞれの要塞惑星の駐留艦隊は活動するでしょう。それらに対する備えは、十二分に必要です。この作戦を成功させるためには、敵要塞惑星の攻略、迎撃艦隊の撃破、補給線の維持確保等に多くの困難が伴い、作戦成功のためには多くの幸運が必要でしょう」


 カイトウは天球図に大きな矢印を描き、占領予定地域を白く点滅させた。室内を沈黙が支配したことに、カイトウは何も言わずに腰を下ろし冷めたコーヒを口にした。


「補給参謀の意見は?」

 補給参謀のタダ少佐は、ヤハギ参謀長の問いに簡単に答える。


「今のカイトウ参謀の説明によるプレトリア星系を進出拠点とする作戦の補給体制の運用ですが、技術的には一五個艦隊以上の補給運用も十分可能であると判断します。しかし、今のカイトウ参謀の案では全艦隊の補給拠点であるプレトリア星系が最前線に位置することになります。特にシンガ要塞戦線内の敵要塞惑星攻略前の作戦初期の段階においては、補給線の確保は大きな危険を伴うでしょう」


 カイトウは思う。この作戦案は現在のティロニア連邦軍の艦隊動員能力及びその占領能力から実行は可能であり、作戦成功の可能性はある。


 その可能性は大きくないものであるが、我が軍以上にバルカ同盟軍が過ちを犯す可能性は常にあるのだ。

 しかし、敵が我が軍以上の過ちを犯すことを前提とした作戦案は正常な作戦とはいえまい。

 そして、バルカ同盟軍が我が軍の侵攻をむざむざと指をくわえて傍観してくれるほど愚かとは思えなかった。


 カイトウは、口を開いた。

「敵艦隊の迎撃は、侵攻のいくつかの段階により考えられます。まずは、敵宙域への侵入直後の段階。次いで、プレトリア星系攻略の段階。そしてカザル、ウラル両星系などアレウト要塞戦線後背宙域侵攻の段階です」


「君は、どの段階での迎撃が一番可能性が高いと考えるかね?」

「一番可能性が高いのは、一番効果的な段階での迎撃です。それは補給線が伸び、兵力が分散した段階での迎撃です」


「ということは、プレトリア星系攻略後の段階というわけか・・・」

「そうです。プレトリア星系攻略後、カザフ、ウラル両星系への占領艦隊を分派した段階での迎撃が一番脅威的であると判断します」


「しかし、これらの星系を一時的にもバルカ同盟は手放すでしょうか。インディラ要塞失陥に続きこれら多数の星系を我らに占領されるとなれば、バルカ同盟には政治体制の大きな危機となるのではないでしょうか?」

 タダ参謀の疑念に、カイトウはうなずきながらまた別のことを考えていた。


 ティロニア連邦政府にとり、カザル、ウラル両星系の占領は政治的に利用できる。

 両星系を直ぐにティロニア連邦に編入することなく、暫定傀儡政権を樹立する。


 そして、敵宙域への和平宣伝工作を行えばバルカ同盟政府に対し大きな政治的効果が期待できる。

 また、バルカ同盟内の穏健和平派との連携と協調ができるならば・・・。


 執政官独裁体制であるバルカ同盟の中にもバルカ家の独

裁に反対する反バルカ勢力があり、バルカ家により弾圧下の状態にあるという噂がティロニア連邦内では信じられていた。


 しかし、このバルカ同盟の危機は逆に利用される危険性もある。


 バルカ同盟においてもティロニア連邦と同じく、民主共和制の名のもとにバルカ同盟憲章が定められ直接民主制が維持されている建て前となっているが、その実体はバルカ一族による執政官制という独裁的政治体制である。


 バルカ同盟を構成する諸星系は、困難な辺境開発のため効率的組織運営の名のもとに完全独裁の君主政治体制が取られている星系もあれば、厳格な宗教国家星系もあった。


 これらの多種多様の星系が首都星バルカとバルカ一族の下に一つの政権を維持できているのは、ティロニア連邦による侵攻と占領の恐怖があったからである。


 バルカ同盟政府にとり、ティロニア連邦による侵攻と占領は自らの政権の存在意義とその正当性の確認となろう。

 そしてそれは、バルカ同盟市民に対し、今以上の国防のための犠牲を強いるためのよき契機となるのではないであろうか。

 軍事力の増強を図り復讐の牙を研ぐバルカ同盟に対し、連邦はどう対処するのであろうか・・・・。


「宇宙艦隊総司令部は、今回の作戦の攻勢終末点についてはどのように考えているのでしょうか?」

 カイトウは、大きな疑念を口にした。


「今回の作戦では、まさかいきなりバルカ同盟領全域の完全征服まで計画されているわけではないでしょう。作戦術として今回の作戦が第一段階として、成功した後にはどのような第二段階が用意されているのでしょうか?ティロニア連邦政府は、今回の戦争の最終目的をどのように考えているのでしょうか?」


 このことは既に何度もカイトウが口にしていることであり、聞きあきたという風に砲術参謀コリンズ中佐が顔をしかめた。

 コリンズ中佐には、往々にして艦隊参謀の職分を越え政治的言動を行うカイトウに不快感を抱いていたのだ。


「そのようなことは、政治屋が決めることだッ」

 カイトウは、コリンズ中佐の吐き捨てた言葉を無視して自分の考えに浸っていた。


 その政治屋を操っていたのは、軍ではなかったか。


 軍事組織の維持と拡大のために、軍と軍需産業は一体となり連邦議会に対し強力なロビー活動を行って圧力をかけ、また多くのシンパを議員として送り込んでいるではないか。


 軍がティロニア連邦議会に対して穏然たる勢力を有し、最高権力者たる連邦統領に対し少なからぬ影響力を維持していることは、周知の事実であった。


 軍事組織とは官僚組織の一部であり、官僚組織はその政治目的達成のために組織され存在する。

 しかし、一度組織された官僚組織は、その政治目的が達成された後もその組織の防衛と拡大のために、その存在意義と拡大の必要性を自らが創造するようになる。


 軍は、その組織維持と拡大のために戦闘が必要であり、そしてその戦闘は華々しく壮大なものが好まれる。


「いつまでも、このインディラ要塞の中にこもっているわけにもいくまい」


 コリンズ中佐の現状肯定的で断定的な発言とその周囲に漂う暗黙の同意の沈黙に、カイトウは攻勢と侵攻が必然であり宿命づけられたものであるかのように考えがちな軍と軍人の宿唖を感じ取っていた。


 一人憮然とし腕を組み、空になったコーヒーカップをいつまでも睨みつけ、迂闊であったなと自分を責めていた。


 自分の予想した最悪の選択が今為されようとしていた。

 というより、カイトウの知らぬ間に既に為されていたのだ。

 自分の無力さに、カイトウは歯咬みをしていた。



「防御体制に移行するのではなかったのですか?」

情報課室に帰ってきたカイトウが、バルカ同盟軍全体に対する軍事的能力の収集と分析、シンガ要塞戦線に隣接するバルカ同盟諸星系の情報を求めことに対して、その意図を察したドイ中尉が非難めいた声を上げた。


「そうではなかったということだな」

 デスクに腰掛けて、カイトウは他人事のように素知らぬげに答える。


「噂は耳にしています」

「噂が流れているのか?」

 カイトウの驚きに、ドイ中尉は苦々しげな表情を見せる。


「はい。バルカ同盟領への大規模な侵攻作戦が行われることに決定されたとの噂が、すでに艦隊中に広まっています」


「まだ決まったわけではない」

 機密管理の粗雑さに、カイトウは言葉を吐き捨てた。


「プレトリア星系の占領を望まれているのですか?」

 ドイ中尉の望む言葉は分かっていたが、その言葉を素直に口にするカイトウではなかった。

 また、カイトウの立場もそのことを許さなかった。


「インディラ要塞にしろ、コルドバ星系にしろ、望んではいなかった」

「成功するのですか?」

「やってみなければ、分からないな」

 視線を上げないまま、そう投げやりにカイトウは嘯いた。


 そして、自分に与えられる、次の役割を考えていた。

 できることならば、あまりにも惨めで愚かな役はごめんこうむりたかった。


 今更、退官すると言っても許されまい。

 なるようになるさ。そして、なるようにしかならないのだ。

 カイトウは頬を歪めたまま天井を見上げた。


 七


 ティロニア連邦歴一五八年五月。

 バルカ同盟領侵攻作戦の司令官会議は、作戦参加予定各艦隊司令部と宇宙艦隊総司令部及び軍令部の合同で行われた。


 インディラ要塞駐留各艦隊司令部は、インディラ要塞大会議室の超長距離通信システムにより司令官会議に参加していた。


 インディラ要塞大会議室のメインスクリーンには厳めしい金ピカの肩章のお偉方が、それぞれ背後に参謀や副官連中を従えてテーブルを囲む姿が投影され、動きの鈍い画面からは大きすぎる音声だけが止めどもなく流れ続けていた。


「起きてろよ」

 会議室最後方の席に座り、壁にもたれてていたカイトウは、隣の席のタダ補給参謀に肘でこづかれて目を開いた。


「眠ってはいませんよ。深く傾聴していただけですから」

 カイトウの皮肉な響きの抗議に、タダ少佐は片頬を歪めてみせる。


「艦隊意見は貴官が起案するんだろう?。会議復命もな」

「どうせ会議後に、作戦案詳細の配布があるでしょう」


 周りの各艦隊の参謀は、一心不乱にメモを走らせている。

 傍らのタダ参謀のタブレットには、数字に明るい補給参謀らしく特に細かな文字がびっしりと並べられている。

 カイトウは一応タブレットを用意していたが、最初の乱雑な二行だけで放り出していた。


「メモを取る暇があるぐらいなら、もっと頭を使えよ」

 カイトウは、声に出さずに毒づいていた。


 時折ノイズの走るスクリーンの中で、宇宙艦隊総司令部の上席作戦参謀であるケアル准将は淡々と作戦案を読み上げている。


 その作戦案は、カイトウの予想したものと大きくは違わないものであった。

 艦隊の一情報将校でしかないカイトウに簡単に予想できることがバルカ同盟軍にできないこととは思えず、祖国防衛に全力を賭して迎撃してくるであろうバルカ同盟軍を撃ち破りうる必勝の戦略と戦術はこの作戦案の中には見いだせ得なかった。


 このことは、カイトウ以外の誰でも気づくことであった。

 しかし今、バルカ同盟領侵攻作戦は粛々と決定され発動されようとしている。カイトウは苛立ちに、腕を組んだまま舌打ちしていた。


「各艦隊は本日の会議において示された作戦案を検討の上、意見がある場合には二週間以内に艦隊意見を提出するように。なお、本作戦案は極秘事項であるのでそのことに特に留意をお願いする」


 宇宙艦隊総司令部参謀長ドルマン中将の重い一言で、バルカ同盟領侵攻作戦の司令官会議は締めくくられた。


「で、本日の会議に対する情報参謀のご感想は?」

「退屈でした」

「そう?では、そう復命することだな」

 タダ少佐の辛辣な言葉に、声を出さずカイトウは笑っていた。



 第七艦隊旗艦イルマタルは、旗艦専用戦艦であった。

 攻撃力より防御力と指揮通信情報管理能力が重視された設計であり、強力な通信設備と艦隊司令部を収容するための旗艦設備が設けられていた。

 幕僚会議室もその旗艦専用設備の一つであり、司令官席を中心とした半円形のテーブルには軍服の胸に参謀飾緒を飾った各参謀が居並んでいる。


「それでは、今回の作戦案に対する各参謀の意見を述べてもらう。発言事項は各参謀の所掌にこだわることなく自由に発言してもらいたい」

 司令官会議から三日後の第七艦隊作戦会議は、ヤハギ参謀長のこの発言によって始まった。


 カイトウは、自分の目の前のコンソールモニターに映し出された今回の作戦案に目を落とした。


 作戦名称 バルカ同盟領侵攻作戦。

 秘匿作戦名 「春の目覚め」

一、作戦開始予定日時。ティロニア連邦歴一五八年八月。


二、参加兵力。

 本国艦隊、八個艦隊。

 インディラ要塞駐留艦隊、四個艦隊。

 アレウト要塞戦線駐留艦隊、三個艦隊。

 予備艦隊、三個艦隊(他の要塞戦線より抽出編成する)。

 合計一八個艦隊。戦闘艦艇八百隻。

 降下師団一五個師団。

 各種輸送特務艦船千五百隻。


三、作戦概要。


 第一段階作戦。艦隊を以下の三個機動艦隊に編成分派する。


(一)プレトリア星系占領艦隊。第一艦隊以下一二個艦隊。

 任務。シンガ要塞戦線インディラ要塞より敵宙域に侵入し、敵艦隊排除後バルカ同盟領を侵攻しプレトリア星系を攻略する。

 指揮官 宇宙艦隊司令長官 コリングウッド元帥。総旗艦ビシュヌ。


(二)インディラ要塞防衛艦隊。第三艦隊以下三個艦隊。

 任務。インディラ要塞防衛及びプレトリア星系への補給及び連絡線の確保維持。シンガ要塞戦線内の敵要塞駐留艦隊の監視及び排除。

 指揮官 第三艦隊司令官 フェイビー中将。旗艦ハイヌヴェレ。


(三)ガンベル要塞攻略艦隊。第八艦隊以下三個艦隊。

 任務。ガンベル要塞の攻略及び占領維持。

 指揮官 第八艦隊司令官 オスマン中将。旗艦レー。


 第二段階作戦。第一段階作戦終了後次の作戦を実施する。


(一)プレトリア星系攻略後占領艦隊を次の三個機動艦隊に分派する。

 プレトリア星系駐留艦隊。第一艦隊以下八個艦隊。

 任務。プレトリア星系の維持及び敵主力艦隊迎撃。作戦全般の統括的指揮及び補給線の維持。

指揮官 宇宙艦隊司令長官 コリングウッド元帥。総旗艦ビシュヌ。


カザフ星系攻略艦隊。第九艦隊以下二個艦隊。

 任務。カザフ星系の攻略。指揮官 第九艦隊司令官。ハムフン中将。旗艦スサノオ。


 ウラル星系攻略艦隊。第七艦隊以下二個艦隊。

 任務 ウラル星系の攻略。

 指揮官 第七艦隊司令官。ヤオ中将。旗艦イルマタル。


(二)インディラ要塞防衛艦隊は、プレトリア星系攻略完了後、シンガ要塞戦線内のマレー及びソロンの敵要塞を攻略し、補給線の完全確保体制の確立を行う。


(三)ガンベル要塞攻略艦隊。プレトリア星系攻略完了後、要塞攻略兵器を使用しガンベル要塞を攻略する。要塞攻略後はアレウト要塞戦線を通過し、ウラル星系攻略艦隊と合流、ウラル星系攻略完了後プレトリア星系において総予備兵力となる。


 第三段階作戦。最終段階。

 インディラ要塞からプレトリア星系、カザフ星系、ウラル星系へ至る防衛戦を構築し、恒久的占領体制を構築する。


 作戦遂行留意点。


(一)艦隊戦について。

 本作戦発動後、インディラ要塞、プレトリア星系から継続的に偵察艦隊を派出することにより敵艦隊の接近に備え厳重なる監視体制を確立する。敵主力艦隊接近把握後は、宇宙艦隊司令長官直卒のもとに全艦隊兵力をもって敵艦隊の殲滅を期す」


「さすが、宇宙艦隊総司令部が策定しただけあって、各艦隊の効果的運用が計画されています」

 砲術参謀のコリンズ中佐の言葉に、カイトウは小首を傾けた。この作戦案には我が艦隊の運用の予定はあっても、敵艦隊の動きが見えてはこないことにカイトウは不安を覚えていた。


「各作戦段階において、予備兵力が確保されています。しかし、・・・。何というか、その肝心の敵艦隊との艦隊決戦の戦法等が不明確であるところに一抹の不安は感じます。まあ、敵艦隊の接近を事前に察知できればどのようにも対処できると思いますが・・・。総司令部でもそのことを配慮し、監視体制の強化と予備兵力の確保による兵力の集中には留意しているのでしょう。それとも何か、敵艦隊の大規模な行動が予想されないという特殊情報でもあるのか・・・」


 振り向かれて、カイトウは首を振って答えた。

「そのような特殊戦略情報は何も耳にしておりません。それよりも、要塞攻略兵器とはどのようなものなのでしょうか?。そのような特殊兵器が開発されていたとは聞いてはいないのですが」

 そのようなものがあったのなら、早く前線に出してくれていればインディラ要塞攻略も早期に達成できていただろうにと、カイトウは口の中で毒づいた。


「私も知らないな。この作戦案でも機密事項になっているので、直接要塞攻略に参加する艦隊以外には知らされていない。どうも急遽できたもののようなので、既存の兵器を改良したものではないだろうか。あまり、大きな期待を抱かないほうがいいのではないかな」

 コリンズ中佐の言葉に、カイトウはうなずきを返した。


「本作戦における各要塞攻略については、インディラ要塞降伏の際のような安易な期待があるのではないでしょうか。もしガンベル以下の各要塞が堅守の体制を取るならば、例え要塞惑星の孤立化には成功しても攻略成功には困難が伴うものと思われます。もし、幾つかの要塞惑星の攻略に時間をとられるならば本計画の実行そのものが根底から危うくなるでしょう」

 カイトウはインディラ要塞攻略の際の自分の苦心を思い出し、彼らがその時の自分と同じ身を刻むような配慮と苦心を行っているのだろうかと訝しむ。


「補給参謀の意見は?」

 参謀長の質問に、タダ少佐は謹厳な姿勢を崩さず答えた。


「補給の面に関しては、この作戦案の通りアレウト要塞戦線及びウラル星系が我が軍の完全な勢力下に入ればインディラ要塞を経るものと併せ二本の補給線を確保でき全く問題はないものと思われます。しかし、もし情報参謀の発言のように各要塞惑星の攻略に手間取るようなことがあれば、全艦隊の補給体制は危機に瀕することになります」


「要は、再び要塞攻略の成否が全てを決めるというわけか?」

 タダ少佐の疑念に答えたコリンズ中佐は、腕組みをして天井を見上げた。天井中央にはスクリーンが設置され、広大なる天球図が投影されている。


「悪い例を残しましたか?」

 ヤハギ参謀長は、苦笑いを浮かべて司令官を振り返る。

「インディラ要塞のあまりにもあっけない陥落から、宇宙艦隊総司令部は要塞惑星は簡単に攻略できるものと勘違いしてしまったのかもしれません」

 その言葉に、ヤオ司令官はわずかに目を細めただけであった。


 それは、まるで反動のようなものであった。

 つい数カ月間までは、要塞惑星は天空に鎮座する破壊神として無類の恐怖を振りまき、怯懦に駆られた誰もがその傍らにも近づこうとしなかったのに、今は脆い紙細工のように扱われている。


 長きの頚木から解放されたのはいいが、その軍事的能力を軽んじてはいけない。

 ただ虚構だけで、「壁」は天空に在ったわけではない。


「この作戦案では、プレトリア星系攻略後にガンベル要塞の攻略を開始することになっていますが、別にガンベル要塞攻略成功後にプレトリア星系攻略にとりかかっても問題はないと思われます。要塞攻略に効果的兵器があるのであれば、プレトリア星系攻略艦隊による敵艦隊の陽動も必要ないでしょう。補給線の確保が確定的になり、要塞攻略兵器の効果を確認してから敵宙域への侵攻を行ってもよいものと思われますが?」


 カイトウの発言に司令官がうなずきを見せ、他の参謀からの発言もなかったために第七艦隊のバルカ同盟宙域侵攻作戦に対する意見案はこのカイトウの発言をもとにしてまとめられた。


 しかしカイトウは、この艦隊意見案が宇宙艦隊総司令部に採用される可能性は低いと考えていた。

 参加各艦隊に対して示された作戦案に対する意見提出要求は単に事務手続上のものとして慣例的に行われることが多く、艦隊意見が真摯に宇宙艦隊総司令部において検討されているとは思えなかった。


 また、宇宙艦隊総司令部の権威的態度として、一度策定し提示した作戦案はよほどのことがない限り大きな変更をされることはなかったのだ。


「これは全体の作戦案には関係のないことですが、艦隊の弾薬食料等の補給物資を規定量以上積載することを提案します。この作戦においては、補給の成否が大きな鍵を握るものと判断します」

「本官も、情報参謀の意見に賛成します」

 カイトウの発言に、補給参謀のタダ少佐が同意の口添えを行う。


「侵攻艦隊全艦隊に対する補給量は膨大なものとなります。それに加え各星系の占領施策のための必要物資の補給も必要です。一艦隊としてはそこまで配慮することではないのですが、補給の失敗は全艦隊の戦闘能力を著しく損ないます。補給には万全の備えが必要であると判断します」

 カイトウは薄く微笑み、かたわらのタダ少佐の飽くまでも謹厳な言葉を聞き流していた。



「今回の作戦中止を提案しないのか?」

 幕僚会議室を退出しようとしたカイトウを呼び止めて、ヤハギ参謀長は真顔で訊いかけていた。


「貴官は、今回の作戦が不成功に終わると判断しているのではないか?」


 作戦の成功は難しいかも知れない。

 それどころか、カイトウは完全なる敗北の予感さえ覚えていた。

 しかし、カイトウの口から出た言葉は皮肉なものだった。

「参謀長は、どうお思いなのですか?」

 わざと訝しげに問い返す。


「作戦は実行してみなければその結果は分かりません。我々以上に敵が誤りを犯す可能性もあるでしょう」

「しかし・・・」


「参謀長は、何か今回の作戦に疑念がおありなのですか?」

「いや、特にそういう訳ではないが」

 口ごもる参謀長に、カイトウは乾いた視線を投げかけて背を向けきびすを返していた。


 参謀長が今回の作戦に反対であるのなら、自分でそう発言すべきだ。

 一介の少佐参謀でしかない自分に何を行わせるつもりなのか。参謀長は准将でありその職責は重く、給料もカイトウよりずっと多いではないか。たとえカイトウが作戦会議の場において作戦中止の提案を行ったとしても、多大な労苦を費やした説得の末、各参謀の同意を得て作戦中止の艦隊意見を作成し提出したとしても宇宙艦隊総司令部から無視されることは分りきっているではないか。

 

 無駄であり、煩わしいことだ。もし参謀長が今回の作戦案に危惧を抱いているのなら、自分の責任においてそう発言すべきではないのか。カイトウは、そう思い不愉快であった。


 カイトウとしても、今回のバルカ同盟領侵攻作戦の成功がたやすいことであるとは思っていなかった。

 それどころか、失敗する可能性が高いと感じていたほどであった。


 この作戦の失敗による敗北の後の戦略及び人事のことまで考慮し、今の時点で無視されることが明らかでも反対の意見具申を行うことが艦隊参謀としての勤めなのであろうか。


 敗北を糧としての栄達。その不純で不愉快な想像に、カイトウは自己嫌悪に浸っていた。


一〇


「ウラル星系の情報は集まっているのかな?」

 作戦会議から作戦課室に帰ったカイトウは、両手を後ろで組み笑顔を振りまきながら自分のデスクでコンソールに向かうイデ二曹に背後から声をかけた。


 イデ二曹の返事を聞くまでもなく曖昧な笑顔を見せたままひょうひょうと歩いて、今度はドイ中尉のコンソールを覗き込んでいる。


 その老人臭く背中を丸めた歩き方を見ながら、イデ二曹はカイトウ少佐がわざとそのような素振りを見せているのだと思った。

 ドイ中尉の観察によれば、カイトウ少佐は、ほんとに不機嫌なときにはにこにこと笑っているらしい。


 部下を大声で叱ることなどまったくしないカイトウ少佐ではあったが、よく政府や総司令部に対する不平、というよりもぼやきを口にしていた。


 ドイ中尉によれば、カイトウ少佐はぼやくことでストレスを解消しているらしかった。

 カイトウ少佐はアルコールや薬の類は全く口にせず、パーティなどで騒ぐことは嫌いで、ただひとりぼうっとしているのが好きということであった。


 インディラ要塞の陥落によりカイトウ少佐の名前はその知謀とともに全艦隊中に知られることとなったが、カイトウ少佐の普段の素振りに全く変わりはなかった。


 不思議なものだと、イデ二曹は思う。

 何も変わっていないのに、カイトウ少佐に対する司令部内の女性兵士の評価は変わっていた。


 イデ二曹もよくカイトウ少佐に恋人はいるのかと、女性兵士に聞かれるようになっていた。

 

カイトウ少佐もその辺のことは感じているらしく、近頃特に他の司令部員の前では今のようにわざと情けなく不恰好な素振りを見せるようになっていた。


 そういうところも、カイトウ少佐らしく思われた。

 またイデ二曹自身も、他の司令部員にカイトウ少佐がカトウ中尉とつきあっているのではないか等と訊ねられたときなどは平常心ではいられない自分に気づいていた。


 ティロニア連邦軍においては艦隊内における男女交際は公式には認められてはいなかったが、実質的に黙認されていた。


 女性兵士居住区には軍警察女性士官が二四時間歩哨に立ち男性兵士の侵入を禁じていたが、男性兵士居住区への女性兵士の立ち入りは自由であった。また、上級士官による階級的高圧による性的強要、また兵士による強姦事件などは後を絶たなかったが、カイトウはそのようなこととはまるで関係がなかった。


 カイトウは、部下とのつき合いにおいて階級差があるような接し方はしなかった。そのかわり上官に対する配慮も最小限のものでしかなかった。

 人目につくことは嫌っており、艦隊報道班の取材に対してもいつの間にか任務分掌表の変更を行い、広報任務をドイ中尉の担当に変更にしていた。


「ドイ中尉は昇進したからな」

 自分も少佐に昇進したことなど気にもとめずに、カイトウは任務分掌の変更をそう説明したのだった。


「艦隊意見は決定したのですか?」

 自分のデスクに頬杖をついて目の前に差し出されたミルクティーのカップをぼんやりと見つめていたカイトウは、ドイ中尉の言葉に目を上げた。


 不機嫌そうに言葉を吐く。

「決定したよ」


「では、今回の作戦案に対しての反対の意見がまとめられたのですね」

「どうしてそう思う?」


「カイトウ少佐が、今回のような無謀な作戦に賛同されるはずはありません。カイトウ少佐がこれまで策定された作戦案は、全て悪戯で無謀な攻勢計画を排除したもので、今回の作戦計画とは相いれないものです」


「そうかな・・・」

 カイトウは皮肉に思う。


 壮大にして完璧な攻勢計画を策定し指揮する。

 勝利の栄光を掴み凱歌の雄叫びを上る。

 その自分の欲望をカイトウは否定できなかった。

 しかしまた、その自分の感情を冷静に見つめるもう一人の人格の存在もカイトウは感じていた。


「今日決定された我が艦隊の意見は、今回の作戦計画に対する一部の修正意見でしかない。バルカ同盟領に対する侵攻計画は、すでにティロニア連邦統領により政治的決定がなされている。この作戦は、遂行されるだろう」

 不満顔をあらわにしたドイ中尉を無視し、顔を伏せたカイトウはティーカップを取り上げる。


「そして、我々は命令を受ける立場にある」

 その視線を光らせて、カイトウはいつか聞いたその言葉を口にしていた。


 今回のバルカ同盟領侵攻作戦案について、カイトウはその戦略的な必要意義は除き純粋に戦術的に言えばさして愚かな計画であるとは思っていなかった。


 今回の作戦案は、それなりにではあるがかなり詳細に検討されているようであった。

 カイトウの悪い癖で、他人の作成した作戦案などろくに検討したわけではなかったが、要塞攻略の新兵器がある以上、今回の作戦は成功するかもしれないと淡い期待を抱いていた。


 そして何よりも今回の作戦遂行に当たって、カイトウは特段何もする必要はなかった。


 プレトリア星系占領までは艦隊運動も含めて宇宙艦隊総司令部の指揮に従うだけであり、ウラル星系占領についても非武装に近い星系の占領など造作もないことであった。


 また、惑星降下占領作戦についても降下師団の参謀が立案し実行することであり、艦隊には連絡将校が派遣されるだけのことで、艦隊の任務は敵艦隊の抵抗がない以上単なる占領部隊の運搬役でしかなかった。

 カイトウの肩にかかる責務はないに等しかった。


 敵情の収集と分析だけに注意すればいい。

 カイトウは部下にバルカ同盟領宙域全体についての情報収集と分析検討を指示し、自分は万が一のことを考え規定量以上に艦隊に補給物資を積み込むことに対する総司令部への言い訳だけを考えていた。

 そして、このティロニア連邦軍創設以来の大作戦の気楽な傍観者を気取ろうとしていた。


 一一


 バルカ同盟領侵攻作戦における第二回司令官会議が開かれたのは、一カ月後のことであった。


 前回提示された作戦案は一部訂正がなされ、ガンベル要塞の攻略開始が早められ主力艦隊のプレトリア星系攻略開始と同時に変更されていた。


 第七艦隊から提出された艦隊意見の一部が反映されたものとなっており、作戦案変更の理由はうかがい知れないものの第七艦隊以外にも同様意見の具申が為されていたのかもしれなかった。


 でき得るならば、ガンベル要塞攻略成功後にプレトリア星系攻略を実施とすれば補給線の確保が確実となり、より完璧であるとカイトウには思われたが、プレトリア星系攻略がガンベル要塞攻略の牽制効果もあることは否定できなかった。


 インディラ要塞大会議室の中で腕を組み壁際にもたれて座るカイトウが乾いた眼差しを向けるスクリーンの中で、ティロニア連邦軍総司令部参謀長ドルマン少将は淡々と艦隊序列の通知を行い、バルカ同盟領侵攻作戦の実行は最終決定された。出撃への昂揚のざわめきが満ちた室内に、カイトウは冷めた笑みだけを浮かべるしかなかった。


 一二


 ティロニア連邦歴一五八年八月二〇日。ティロニア連邦軍によるバルカ同盟領侵攻作戦は開始された。


 ティロニア連邦軍艦艇のバルカ同盟領への侵攻は「壁」の出現以来の二五年ぶりのことであった。

 ティロニア連邦市民はこの四半世紀ぶりの壮挙に驚喜し、連邦政府及び連邦軍を絶大なる信任をもって支持していた。


 その理由は連邦政府のマスメディアに対する働きかけがあったのはもちろんであったが、長きに渡り停滞した政治的軍事的状況の中で潜在的に蓄積されていた鬱屈の噴出ともいえるものであった。


 熱狂的世論の沸騰の中で理性的な平和論は封殺され、バルカ同盟領侵攻作戦への反対意見を吐く者には冷たい侮蔑の視線だけが注がれていた。


 時のティロニア連邦統領、ハベル・タイロンは愚劣な衆遇政治の扇動者ではなかったが、彼の政治的立場を維持するためには、世論の要求を無視することはできなかった。


「軍は何を考えているのだ。最高軍事指導者である私の許可無く勝手に要塞惑星を攻略し、世論を焚付けた挙げ句に無謀なるバルカ同盟領侵攻作戦を私に押しつけるとは!」


 ティロニア連邦政府統領執務室の壁に掛けられた巨大スクリーンに投影された宇宙連邦軍主力艦隊出撃の艦影を彼は睨み付けた。見栄えのする端整な顔立ちに、有権者には決してみせられない怒気を浮かべている。


「しかし、この作戦が失敗すると決まっているわけではありません。成功した場合には、あなたは我がティロニア連邦の歴史に一際大きな輝きを加えることができるではありませんか?」


 ハベル・タイロンの個人的政治ブレーンであるアストラ連邦大学の政治学教授アイユーブは、追従の笑みを連邦軍統領に送った。


「もし今回の作戦が成功を収め、軍から提案のあった次の作戦が行われバルカ同盟領全体の占領が成功した暁には、あなたはティロニア連邦中興の祖としてルイス・アストラに次ぐ名声を歴史に残せるのです」


「私は連邦統領として、この国の国力を的確に把握しているつもりだ。そして、それは我が軍である宇宙連邦軍の軍事的能力についても同様だ」


 彼は少し顔を伏せ、皮肉に満ちて表情で唇を歪める。

「仮に今回の作戦が勝利に終わることになっても、私はすぐに次の侵攻作戦を命じなければいけない立場に立たされるだろう」


「恐らくは・・・」

「奇跡というものが、何度も我らにだけ都合が良く起こり続けるものだと思えるほど、私は楽天家ではない」


 宇宙連邦軍から提出されたバルカ同盟領侵攻作戦案には、世論の熱狂的賛同という輝かしい飾り箱に収められ、与野党を問わない大多数の宇宙連邦議会議員からの賛成動議のデコレーションが盛り付けられていた。


 彼には、このプレゼントをにこやかな笑みを浮かべて受け取るしか政治的選択の余地はなかったのだ。


「誰が、インディラ要塞を攻略しろと命じたのだ。余計なことをしおって」 


 あまりにも突然の「壁」の崩壊に、新たな政治的局面へのビジョンを用意する前に軍部からのバルカ同盟領侵攻作戦がマスコミを通じて流布され喧伝されたために、そのこと以外の施策を世論は受け付けなくなっていた。


 ティロニア連邦における最高権力者である彼にも為す術はなく、バルカ同盟領侵攻作戦は当然の如く決定されたのだ。

 ティロニア連邦統領ハベル・タイロンは、この壮挙の時に自らの運命の皮肉を呪っていた。

 


第七章 バルカの戦い


 一


ユリウス・バルカ。

 バルカ同盟軍中将にしてバルカ同盟評議会特別評議員。 

 バルカ同盟成立以来執政官を輩出するバルカ家の一員であり、第三代執政官セリム・バルカの次男。そして、現執政官アジュラム・バルカの実弟であった。


 カリマンタン要塞戦線司令官からバルカ同盟本国艦隊の将官に転属となり、新たな艦隊の編成と新作戦が発動されるまでの間、統合作戦本部に不定期に出仕する身であった。


 ユリウスがセシリアを伴いアジュラムの公邸を訪ねたのは、首都星バルカに凱旋した数日の後のことであった。


 兄、アジュラムは三二歳。

 バルカ同盟執政官としてバルカにおける政治的最高指導者であり、またバルカ同盟軍全権を掌握する者であった。


 そして、家庭的には、妻クレアとの間に七歳と三歳の二人の男児を有する父であった。


「大将昇進を断ったそうだな」

 にぎやかな食事の後、コーヒーを前に応接間のソファにくつろいだアジュラムは年の離れた弟にそう問いかけていた。その言葉に非難の意味は感じられず、穏やかに発せられたものであったが、ユリウスは畏まり肩をすぼめていた。


「すいません。せっかくのご配慮を」

 ユリウスは、この年の離れた父親代わりの兄に頭が上がらなかった。


 今までの数々の不行状に対し、兄は庇うのみで咎めることはなかった。

 少なくとも、ユリウスに対する非難を、その柔和な表情に見せることはなかったのだ。

 そのことは、ユリウスにとり、より重い負担としか感じられないものであったが・・・。


「私の名代として艦隊を率い、ティロニア連邦軍艦隊を撃破する自信はないか・・・」

 ユリウスは、兄の問いかけに笑顔を見せる。


「状況にもよります。敵艦隊に倍する兵力を率いて戦場で会敵することができ得るならば、私でも勝利を得ることができるでしょう」

「すると、私は艦(ふね)だけをかき集めて送り出せばよいのか?」

 少し意地悪な含みを見せる兄の言葉にも、ユリウスは笑顔を崩さない。


「戦力とは、艦船の数だけで計れるものではありません。その艦(ふね)の性能、将兵の錬度、指揮官の才、使用する戦術の質、情報収集及び分析能力等の総合力で構成されます。しかし、やはり一番重要な戦力要素は射程内の戦列に並べられた砲の数です」

 弟の言葉にうなずきながら、アジュラムは真剣な眼差しを見せ問いかけた。


「それで、ユリウスはどうしたいのだ?」

「数個艦隊を預けていただいて、戦場でバルカ同盟軍の一員としての軍責を果たしたいと思います」


 ユリウスは、バルカ同盟軍大将としてバルカ同盟軍全艦隊を率い侵攻してくるであろうティロニア連邦軍艦隊を迎撃する任を、バルカ家の一員として、またバルカ同盟軍の一軍人として望まないわけではなかった。


 また、その決戦において勝利を掴み取る自信をもユリウスは有していた。

 しかしその勝利の暁には、ユリウスはバルカ同盟軍元帥としてバルカ同盟軍最高の栄誉により報いられることになるであろう。

 バルカ同盟内におけるユリウスの武勲は比類無きものとなり、その名望は兄に匹敵するものとなる。


 バルカ家は、同時に二つの輝く巨星を宿すのだ。


 その時にも自分は今日のこの日と同じように、敬愛する兄として坦懐に接することができるのであろうか。


 バルカの覇権を争うものとして、対立する政治的立場を有することになるのではないかと、人知れずユリウスは恐れていた。


 思い上がったこと。

 そう思わないでもなかったが、ユリウスは大将昇進を辞退し、来るべき決戦場では脇役たる分遣艦隊司令官を希望していた。


 ユリウスの沈黙に暫し考え込んでいたアジュラムは、弟に意外な奇襲を行った。


「ところで、ユリウスは結婚しないのか?」

 思いもかけなかったその問いかけに、ユリウスは戸惑いを見せた。

「はい・・・?」

「セシリアとは、結婚するつもりでいるのか?」

「いえ、別に、そうではありませんが・・・」


 自分がもし結婚をするようなことがあるとしたら、その相手としてはセシリア以外には考えられなかったが、ユリウスは自分が結婚をし家庭を持つことなど今まで考えたことはなく、また想像もできないことであった。


「セシリア以外に、花嫁候補はいないだろう?」

「セシリアは違います」

 セシリアは、ユリウスにとりそのような立場の者ではない。もっと大切で重要な、分身といえる者ではないのか。ユリウスは漠然とそう思うだけでうまくは説明できずにいたが、・・・。


「そうか・・・」

 物思うアジュラムの沈黙に、その時ユリウスはその意図を深く考えたうえでそう答えたわけではなかった。


「まだお話は終わっていないの?」

 ドアの隙間から、アジュラムの次男クライフが覗いた。その後ろには長男アレフの影が覗き、ドアの後ろからクライフの肩をつついている。


「ユリウス叔父様とお話が終わったらゲームがしたいって。アレフが・・・」

「ユリウス叔父様はティロニア連邦軍に勝ったから、ぼくにゲームでティロニア連邦軍に勝つ方法を教えて欲しいんだ」


アレフが弟の応援に口を出す。

「この前来たとき、ゲームで遊んでくれると約束したよ」

 ユリウスが兄の顔を覗き込むと、アジュラムはおかしそうに頬を歪めた。


「おまえは、子どもには人気があるんだな」

 それはどういう意味ですかと、ユリウスは問いかけはしなかった。


 夜も更け、セシリアがユリウスを迎えに子供部屋にいってみると、ユリウスは子ども二人に抱きつかれてゲームのモニターにかじりついていた。

 少し恥ずかしそうにセシリアを振り返りき、ユリウスは唇をとがらせた。

「ゲームのほうが、実戦より難しい」


「まだ帰っちゃダメだ」

 立ち上がるユリウスにまとわりつく幼児に、

「またな」

とわざとうるさげに言う。

「本当は嬉しいのに」

 優しげな笑顔を崩せないユリウスを見ながら、セシリアはそう思っていた。


 二


 カリマンタン要塞戦線おけるティロニア連邦軍撃破の功績により、ユリウス・バルカはバルカ同盟特別黄金綬顕章を贈られることとなった。

 大将推薦を辞退したユリウスは、バルカ同盟における最高級の勲章授与により報いられたのだ。


 その授賞祝賀パーティーにおいて、兄アジュラムとともに来客の挨拶を受けていたユリウスは一人の女性を紹介されていた。


 エクセラ・フュリオ。小柄な身体に短く活動的な髪。白い顔に不釣り合いな大きめの鼻。そして、少しきつめにつり上がり気味の大きな瞳。万人が認める美人というには少し無理があるが、その理知的な容貌は十分に魅力的で人を惹きつけるものであった。

 しかし、その隣で人好きのする笑顔を顔いっぱいに満たした格幅の良い紳士が問題であった。


 ジスイット・フュリオ。

 バルカ同盟評議会第二勢力である、バルカ自由同盟の党首である。バルカ自由同盟はバルカ同盟内における反バルカ勢力の政治的団体であり、穏健的自治権拡大派からバルカ同盟からの即時完全独立を要求する急進派までの幅広い政治勢力を代表していた。


 ジスイット・フェリオは、アジュラムに劣らない長身にして巨漢。その柔和な笑顔の裏にはこずるい狐の爪を隠すと親バルカ勢力からは見られていた。


 バルカ同盟における官警組織の全力を導入しても未だその証拠を挙げることはできなかったが、ジスイットは反バルカ勢力の陰の部分に対しても大きな影響力を有し、バルカ一族の独裁に反対する過激派テロ組織、バルカ独立解放戦線に資金的援助を行い、陰において操るものとみられていた。


 バルカ独立解放戦線は、バルカ一族の専横と横暴を非難し暴力の行使による排除を訴えていた。

 そのテロ活動の結果、アジュラムとユリウスの父母は不慮の死を遂げていたのだ。


「さすが、執政官の弟にしてバルカの人。バルカ同盟の存亡を脅かすティロニア連邦の暴挙をよくぞ打ち破ってくださった」

 中将の礼装に身を包み、新たに授与された勲章をぶら下げてアジュラムと並ぶユリウスは、緩やかな笑みでジスイットの挨拶を受けた。


「不幸にしてインディラ要塞は未だ敵の手にあるものの、兄君と共にこれからも何卒バルカ同盟の独立を護りくださらんことを」

 ジスイットは慇懃にその巨躯を折ってみせた。


「こちらにおりますは私の娘にして、エクセラともうします。よろしく御見知りおきのほどを」

 不器用に、紫のドレスに身を包むエクセラは膝を折る。


「エクセラともうします」

 顔を上げ、ユリウスに向けられたその眼差しは、無防備に構えていたユリウスを後ずらせるほど強く攻撃的でさえあった。


 隣でその光景を見ていたアジュラムが微笑を浮かべる。 

 ユリウスはその微笑みに気づいていたが、その時はその訳までは思い至らないでいた。


 あの娘は、父親に似ず幸運であったな。それがユリウスのエクセラに対する唯一の感想であったが、その敵意とも見まがう瞳の強さは強く印象に残っていた。



「結婚しないか?」

 パーティが終わり、控室で礼服の喉元をゆるめたユリウスにアジュラムは突然そう切りだした。


「おまえに、結婚の申し込みがきている」

「誰とですか?」

 驚くユリウスの反応を楽しむかのように笑みを浮かべながらアジュラムは続けた。


「誰だと思う?」

「わかりません」

「ジスイットの娘だ。ジスイットは、自分の一人娘エクセラをお前の嫁にもらって欲しいそうだ」


 ユリウスは、先ほどのエクセラの瞳を思い出していた。

 それであのような瞳で見つめていたのか。


「年は二二歳。才媛にして、父に似ず真摯。際立つほどの美貌というわけではないが、魅力的ではあるだろう?」

 弟の困惑に上機嫌の兄に、ユリウスは思考を立ち直らせて切り返した。


「政治的サインですか?」

 ユリウスの言葉に、アジュラムは僅かに片方の瞳だけを細めうなずいた。

 ジスイットの申し出は、インディラ要塞の失陥と次に予想されるティロニア連邦軍の侵攻に対しての、反バルカ勢力の共闘の申し出でといえた。


 ティロニア連邦の侵攻によるバルカ同盟の敗北は、反バルカ勢力の消滅をも意味する。

 アジュラムとユリウスの両親の暗殺に荷担しておきながら、自らの危機の場合には己の一人娘さえをも差し出すというのか。

 嫌悪と打算が交錯するユリウスの複雑な思いを見透かしたかのように、アジュラムは言葉をつなげた。


「バルカ同盟の危機を、反バルカ勢力も重大に受けとめているというわけであろう」

「逆にも考えられます。我々を油断させておいて、この危機と混乱を利用しようという・・・」


 アジュラムは不敵な笑みを見せうなずいた。

「また、彼らも警戒をしているのだろう。我々がこの機会を利用し、彼らに非常大権を行使するのではないかと」


「それで、ジスイットの娘を・・・」

 指で顎を触りながら考え込む弟を見ながら、アジュラムは弟の政治的センスを確かめ、かつその機微に富む洞察力に驚いていた。


「来たるべきティロニア連邦軍の侵攻に対し、兄上はバルカ同盟政治勢力の結集を望むのですか?」

「もちろんだ。そしてそのことは、ティロニア連邦軍の侵攻を撃退した後のことを考えてのことでもある」


「しかし、セシリアは・・・」

 思わずそう口にしたユリウスの戸惑いに対するアジュラムの答えは、ユリウスを十分に打ちのめすほどのものであった。


「セシリアは承知している。セシリアは、今まで通り愛人とすればよい」

 可哀想だが・・・。アジュラムは、その思い詰めた瞳の色を思い出していた。


「話されたのですか?」

 息を呑むユリウスの問いに、アジュラムは沈黙で答えた。


「何時ですか?」

「この前、一緒にわが家に来たときにだ。セシリアはおまえとの結婚を望まず、今のままで十分すぎるほどだといっていた」


 そうだろう。セシリアは、そういう女。

 ユリウスは混乱した思考をまとめようとしたが、それはまるで奇襲を受け無防備な横腹に重装甲魚雷を食らった戦艦のように漆黒の宇宙空間をのたうっていた。

「話されたのですか。あなたは・・・」


 弟のあまりに予想外に打ちのめされた姿に驚きながらも、アジュラムは続けた。

「バルカの一族として、なすべき義務がある」


 アジュラムの妻クレアも有力なバルカの一族の出身であり、アジュラムの結婚もまた政略結婚であった。

 しかし、アジュラムにはセシリアはいなかったではないか。

 そして、ユリウスはアジュラムではない。


 思い詰めたすえに、ユリウスは問い返した。

「兄上は、私がイズイットの娘と結婚しないと我がバルカ同盟がティロニア連邦軍の侵攻に対処できないとお思いですか」

「そうではない。ティロニア連邦軍の侵攻を撃退した後のことをも見据えて、私は言っているのだ」


 それもあるだろう。しかし今のユリウスには、混乱しその先を見通し判断するだけの精神的余裕はなかった。

「少し、時間をくださいますか?」

「良いだろう。しかし、考えておいてもらいたい」


 そして、再びアジュラムはそう口にした。

「バルカの一族には、果たさなければならぬ義務があるのだ」


 そう、あなたはバルカ同盟の執政官でしたね。そして、私はその弟。打ちひしがれ、崩れ落ちそうな肩をやっとのことで支えながら、ユリウスは自分の屋敷に帰っていた。


 四


 気づかなかった。

 アジュラムの公邸から帰った後も、セシリアはそのような態度を少しもみせていなかった。

 今もいつものようににこやかにユリウスを出迎え、乱暴に脱ぎ捨てられた礼服を抱えている。ユリウスの中に沸き上がり、満たされているのを知りもせずに・・・。


 背後からセシリアを抱きしめる。

 驚きに震わせる長い髪を鷲掴みその首をのけぞらせた。振り返るその瞳を無表情に受けとめる。


「久しぶりに、その涙を見たい」

 その髪の流れから覗く耳に言葉を吹き込んで、腕の中のその身体をすくませた。


 あれはユリウスがセシリアと出会い、そして初めて抱いた日から数カ月の時が経った日のことであった。


 ユリウスはまだ一〇代で、セシリアの身体に浸っていた。

 セシリアにとりユリウスが初めての男であったように、ユリウスにとってもセシリアは初めての女であった。ユリウスは初めての自由にできる自分以外の人間に、考えられること、あらゆることを行い、セシリアはそれを受け入れ耐えていた。


 それは、士官学校の悪友から買った興奮薬をセシリアに使っていたときのことだ。

 ユリウスはセシリアの様子がおかしいことに気がついた。


 その薬には、副作用として自白剤の効果があったのだ。

 ユリウスは意識を失った人形のセシリアにいろいろな質問をして楽しんだ。初めて唇を交わした男。初めて抱かれた男。ユリウスを愛しているのか。それらの質問に対するセシリアの答えはユリウスを喜ばせるだけであったが、セシリアの初恋の人に対する質問の答えはユリウスに恐怖を覚えさせていた。


「アジュラム様・・・」

 瞳を閉じた人形のセシリアはそう答えたのだ。


 そして恐怖の中に発された、ユリウスとアジュラム、どちらが好きかとの質問に対する答えには、首を振るだけであった。


 兄、アジュラムはいつもユリウスの前にいる。

 偉大で、公正で聡明な兄。二三歳にしてバルカ同盟の執政官となり、バルカ一族の誇りと呼ばれる男。


 アジュラム様を見習われますように。アジュラム様はこうなされました。アジュラム様はそのようなことはなさいませんでした。アジュラム様は・・・。


 幾度となく繰り返されたその言葉は、ユリウスをその度に激しく傷つけた。

 そしてこのセシリアに対してさえも、ユリウスは兄アジュラムの幻影を追わねばならないのか。


 その時ユリウスは狂おしくセシリアの身体を襲い、激しく傷つけた。

 そしてその時の傷は今も薄く、セシリアの身体に残されている。


 嵐のように時は過ぎ、ユリウスはベットに横たわるセシリアに言葉を投げつけた。


「どこにも行くな。俺の命令がない限りお前は俺のそばにいるのだ。おまえが老いやつれて醜くなり、俺がもう顔を見たくないからどこかへ行けと命令するまで、俺のそばにいろ」


 可哀想なセシリア。

振り乱した髪の中に涙を隠して、何度もうなずきを見せた。


 可哀想なセシリア。

 ユリウスは懊悩で混乱した思考の果てにそう感じるだけで態度には見せず、不機嫌そうにセシリアに背を向けていた。


 与えられたもの。

 セシリアも、今の階級も、権力も、全て兄から与えられたもの。


 カリマンタンにおける勝利さえも、ユリウスは与えられた役目を忠実に果たしたに過ぎない。


何一つ、ユリウスの手で得たものはない。


 失うことはできても、得ることはできないのだ。


 狂おしく呪うように、ユリウスは夜を過ごした。

 

 そしてまたいつかのように、セシリアは何事もなかったのかのようにユリウスに接する。


 ユリウスもまた、心に思いを深く沈めたまま、全てを忘れてしまったかのようにセシリアに接するのであった。


 そしてまたいつかのように、ユリウスは空しさに抱かれながら早く全ての終わりが来ることだけを願っていた。


 五


 執政官府、同盟政府及び軍合同のバルカ同盟防衛会議は、執政官公邸会議室で行われた。


 執政官アジュラムを中心とした長大なテーブルを囲む出席者は、バルカ同盟政府から首相グライム、国防大臣シャーウッド、情報大臣インゲル等の主要閣僚。


 バルカ同盟軍からは、参謀総長クライブ大将、作戦部長パク中将、情報部長ユニアス中将。


 バルカ同盟軍宇宙艦隊からはバヤジット、ファイエル、クーリッジ、ギル、サラディン等の艦隊司令官が列席していた。

 そして、ユリウスも艦隊司令官の一人として侍従武官ギムレット少将を帯同し参加していた。


この日の防衛会議の議題は、ティロニア連邦軍艦隊の侵入情報とその迎撃作戦の策定についてであった。


「情報機関が入手した諸情報を分析しましたところ、ティロニア連邦軍はインディラ要塞を策源拠点とし、シンガ航路から我が同盟領に一五個艦隊以上の大規模兵力で侵入し、プレトリア星系を前進拠点として占領後、カザフ、ウラル星系方面を占領し、アレウト要塞戦線を奪取することを目的とした作戦を遂行するものと判断されます」


 情報大臣インゲルの説明に続き、首相グライムが立ち上がる。

「本日の会議は、予想されるティロニア連邦軍の侵攻にあたり、我がバルカ同盟の迎撃基本方針を決定するために執政官にご臨席を賜り行うものである。各自、忌憚のない意見を述べてもらいたい」


 バルカ同盟の政治体制は、バルカ同盟憲章により二重構造をとっている。


 一つは各有人惑星から人口比により選出された評議員により構成されたバルカ同盟評議会及び同評議員により選出された、首相を中心としたバルカ同盟政府。


 そしてもう一つは、バルカ同盟全成年市民により選出される任期四年の執政官と執政官の個人的ブレーンにより構成された執政官府であった。


 執政官の権限は、軍権全体に対する指揮監督権及び同盟評議会議決に対する拒否権となっており、またバルカ同盟評議会の事後承認議決が必要とされていたが、執政官勅令制度により同盟政府を超越する独裁者的権力の行使が可能な構造となっていた。


 バルカ同盟成立後四六年。執政官は四代にわたりバルカの名を有するものにより世襲され、執政官選挙は毎回圧倒的多数によりバルカ一族の者を選出していた。


 バルカ同盟政府についても、バルカ家を支持する惑星バルカを中心としたバルカ同盟評議会第一政党であるバルカ独立同盟の手により組織され、この独裁的性格の強い二重権力構造は破綻せず保たれていた。


 しかし「壁」の構築後二五年が経ち、ティロニア連邦による侵攻の脅威が薄まるにつれ、惑星バルカとバルカ一族の独裁に対する反対勢力は徐々にその力を増していた。


 それは政治的にはバルカ評議会における第二政党バルカ自由同盟の勢力拡張であり、バルカ軍内部においてはバルカ士官学校出身者による軍部要職独占に対する他の星系士官学校出身者の非公然対抗勢力の形成として現れていた。


 これらの反バルカ運動は官憲の弾圧により過激行動組織としてバルカ独立解放戦線を生み出し、その非合法テロ活動により第三代執政官サミュエル・バルカは妻とともに執政官公邸前に仕掛けられた指向性爆薬の業火に巻き込まれその生涯を終えていたのだ。


 そして今、バルカ同盟は、シンガ要塞戦線バルカ同盟軍要塞惑星インディラの失陥により、二五年ぶりに自国宙域へのティロニア連邦軍艦隊の侵攻を許そうとしていた。


「ティロニア連邦軍侵入艦隊に対する我が軍の動員可能艦隊は?」


「他の要塞戦線における敵艦隊の陽動作戦も予想されますので、二〇個艦隊ほどが限度であると考えています」

 グライム首相の問いに国防大臣シャーウッドが答える。


「二〇個艦隊の戦力で、インディラ要塞から侵入してきた敵艦隊を完璧に撃破できるのかね?」

「当然に敵艦隊も我が艦隊の迎撃を予想していることでしょう。我が宙域に侵入直後は敵艦隊の士気も高く備えは万全であることでしょう。艦隊戦による完全な勝利は絶対とは言い難いものです」


 クライブ参謀総長の答えに、グライムは考え込む。

「完全な勝利のためには、プレトリア以下の星系の一時的放棄もやむを得ぬか・・・」


「一時的に星系を放棄しても、次の決戦において必ず勝利を得ることができるという保証はありません。ティロニア連邦は、プレトリア星系を占領した時点でどのような政治的、軍事的行動に出るのか完全な予想は不可能です」


「では、参謀本部としての意見はどういうものか?」

「我が宙域に侵攻した時点での迎撃を進言します。たとえ一敗地にまみれたとしても、予備艦隊動員能力、修理補給能力において地の利を得ている我が軍は有利な状況にあります。幾たびかの戦いの後の我が軍の最終的な勝利は間違いありません」


 バルカ同盟の勝利は間違いあるまい。

 そのことに、アジュラムは危惧を抱いていなかった。


 しかし、バルカ同盟の未来のために、どのような勝利をどのように掴むか、そのことが重要なのであった。


 沈思するその視界の中で、謹厳な表情を装ったユリウスがアジュラムの視線に気づき、少しだけその頬に笑みを見せていた。


 六


「ユリウスは、どう思う?」

 会議の後、執政官執務室にただ一人招き入れられそう訊ねられたユリウスは、静かに微笑み目の前のソファに緩やかに腰掛ける兄に対してバルカ家の一員として言葉を発した。


「政治的、経済的、軍事的に最も効果的方法を採るべきです」

 アジュラムは、弟の怜悧な答えに不敵な笑みを浮かべる。


「その方法とは?」

「プレトリア、カザフ、ウラルの各星系からは情報及び特務機関を除いて全ての軍を撤収させ、ティロニア連邦軍艦隊を我が宙域に招き入れます。アレウト要塞戦線のガンベル要塞、シンガ要塞戦線のマレー、ソロン要塞の要塞戦力、艦隊兵力を増強させティロニア連邦軍の攻勢に対し徹底抗戦させます。この結果、ティロニア連邦軍は補給線を脅かされるでしょう。この段階で、インディラ要塞を奪還すれば、ティロニア連邦軍艦隊は我が軍の完全な包囲下におちます。後は敵艦隊の動静を見極めながら、徐々に敵兵力を削りとるだけです。我が宙域内で艦隊戦を行うことは情報戦において完全に有利な立場に立ち、効果的兵力の集中と運用ができるものと判断します」


「インディラ要塞を奪還する戦術は?」

「小惑星でも大型ミサイルでも、効果的に使用すれば完全攻略とはいかなくても破壊することは十分可能でしょう。まあ、無理に要塞攻略戦を行わなくても、敵艦隊が戦力を分散した状況を見極めて、プレトリア星系に侵攻し占領すればほぼ同じ結果を得ることができますが・・・」


「プレトリア星系以下の星系をティロニア連邦の手に委ねることは危険ではないか?」


「バルカ同盟の存続のために、ティロニア連邦の脅威は必要です。これらの星系のティロニア連邦軍による占領は、同盟市民へのバルカ同盟存続意義の再確認の良き機会となりましょう。また、これらの星系は、バルカ自由同盟の有力支援星系でもあります」


「しかし、これらの星系の市民がティロニア連邦に弾圧が加えられることはないか?。いくらバルカ自由同盟の支援星系であったとしても、バルカ同盟市民に変わりはない」


「その心配は必要ないでしょう。ティロニア連邦はこれらの星系の恒久的占領を図るはずですし、以後の侵攻作戦におけるバルカ同盟市民の抵抗も考慮し、かえって懐柔政策を実施するのではないでしょうか。仮に、ティロニア連邦がこれらの諸星系に対し弾圧を加えた場合にしても、バルカの維持には不利なことではありません」


 いつの間にと、アジュラムは感嘆していた。

 刹那的で衝動的にして皮肉。いつもでも少年の危うさを見せていた弟。

 それが今、この目の前の弟はバルカ軍中将の軍服を当然のように身に纏い、老練な為政者のように怜悧な言葉を吐く。


アジュラムにはそのことが嬉しく、また頼もしく思えていた。

「ユリウス」

「はい」

「私に万が一の時には、お前がバルカ家に残された唯一の成人男子となる。その時には、おまえの自由にするがよい」


 何気なく吐かれた言葉であり、また聞いた者もただ賛辞の一部としてしか捉えていない言葉であった。

 しかし、これからの二人の運命に、この言葉は長く暗い影を落とすのだった。 


 七


 バルカ同盟は、執政官アジュラムの強力な指導のもと全国力を動員し来るべきティロニア連邦軍艦隊の迎撃体制を築き上げていた。


 バルカ艦隊の再編成が行われ、一八個艦隊の迎撃艦隊が編成された。

 執政官勅令の発布により戦場となる可能性のあるプレトリア、カザフ、ウラルの各星系からの軍民資産の撤収が行われ、民間人の半強制的な避難措置が行われた。


 これらの諸星系の一時放棄に関しては、バルカ同盟評議会等においてバルカ自由同盟の反対活動はあったもののティロニア連邦軍艦隊侵攻の脅威は何者にも否定し難く、執政官の措置はやむを得ないものとして大多数のバルカ同盟市民の支持が得られていた。


 もちろん、世論を誘導するための情報宣伝工作を怠るアジュラムではなかった。


 ティロニア連邦軍艦隊迎撃任務の一翼を委ねられ、艦隊の編成業務に多忙を極めていたユリウス・バルカが、突然の来訪者を私邸に迎えたのは夜半前のことであった。


「誰?」

 その聞き慣れない名前に首を傾げたユリウスに、セシリアは少し困惑した表情を見せた。


「エクセラ・フェリオ様と申されております。バルカ自由同盟党首のジスイット様のご令嬢の・・・」


「通せ」

 その名に思い至り、心中の動揺を隠すようにユリウスは短く答えていた。


「夜分、突然失礼いたします」

「いえ、私に何用でしょうか?」


 応接室のソファを勧められたエクセラは、その存在を耳にしているのかコーヒーを差し出すセシリアに鋭く乾いた一瞥を投げかけた。


 ぎこちないドレス姿とは違い、着慣れているのであろう灰色のスーツ姿のその容姿はその知的な美貌を引き立てている。


 セシリアが応接室から退出したことを確認し、その唇を開く。ユリウスは、その唇の動きを目で追っていた。


「ユリウス様は、この度の戦いをどのようにお考えなのでしょうか。本日はそのことをお教えいただきたくお邪魔いたしました」


「どのようにとは、どういうことでしょうか?」

「誰のための戦いであるとお考えですか?」

「誰のため・・・?」


「バルカ同盟市民全てのためですか?。それともバルカ独立同盟を支持するバルカ同盟市民のためだけなのですか?」


「あなたは、どのような答えをお望みでしょうか?。私が、バルカ家のためだけに戦うのだと答えでもしたらご満足なのでしょうか?」

 ユリウスの皮肉な問いかけにも、エクセラはその真摯な表情を変えたりはしなかった。


「ユリウス様の本当にお考えになられていることを・・・」

 その挑むような真っ直ぐな眼差しに、セシリアには感じたことのない種類の好感を抱きユリウスはその頬を緩めた。


「現在、父は苦しんでおります。ティロニア連邦軍がバルカ同盟領への侵攻を企て、そして執政官が一時的とはいえプレトリア以下の各星系を放棄するということに。ユリウス様もご存じのように、バルカ自由同盟は分裂の危機に瀕しております」


 ティロニア連邦軍の侵攻の危機に際し、バルカ自由同盟は表向きには全党を挙げてその撃退に協力すると宣言していた。


 しかしその一部勢力はこの機会を利用しバルカ同盟の政治体制の変革を企て、そしてバルカ同盟解放戦線に代表される急進派はそれ以上のことを望んでいたのだ。


 バルカ自由同盟にとり有力選挙地盤であったプレトリア以下の各星系の放棄は、執政官の敵対行為とも判断されており、党首ジスイットのプレトリア等の各星系放棄容認と一人娘エクセラとユリウスの婚約の噂に代表される妥協的政治的言動は一部急進派からは裏切行為とさえみなされていた。


エクセラは父の苦悩を思い、そしてまた自分の未来の伴侶となるかもしれない可能性のある男の考えを聞いてみたかったのだ。

 そして今、緊張に肩を強張らせるエクセラの目の前で、執政官の弟は緩やかに微笑みコーヒーカップを唇に運んでいた。


「・・私とユリウス様との婚約の件につきましても、先日執政官府からまだ時期尚早であるとのご返事をいただき、父はより苦しい立場に追い込まれています。いたずらに父を孤立させることは一部の過激派に好機を与えるだけのことです」


「あなたが、それほどまでに私との婚約を望まれているとは恐縮の限りです」

「そういう意味ではありませんッ」


「失礼しました」

 半ばうろたえ気味に気色ばむエクセラにユリウスは歯を見せて笑う。


「このままでは、バルカ自由同盟はバルカ同盟からの独立の道を選択せざるを得なくなるということです」

「ティロニア連邦への服属を選択するのですか?」


「その選択しかなし得ない状況になれば・・・」

「・・・おそらく、その選択の機会は訪れないでしょう」


「何故ですか?」

「来るべき戦いで我らが勝利すればバルカ同盟の支配はより堅固なものとなるでしょう。そして、もし我らが敗れるようなことになれば、・・・おのずとその結果は明らかになります」

 沈鬱な表情でエクセラは黙り込む。

 ユリウスはその言葉を待った。


「・・・バルカ独立解放戦線のバルカ家に対する憎悪を軽んじるべきではないと思います。彼らは、本来の敵であるティロニア連邦よりも、より身近な存在であるバルカ家に対して深い憎しみと強い復讐の思いを募らせています。彼らの思いを迂闊にもてあそぶことはあまりに危険が過ぎると思います」


「・・・ありがたいご忠告、心に留め置くことといたします」

 少し芝居がかったユリウスの答えに、エクセラはより悲しげにその肩を落とした。


 その姿に、とりなすようにユリウスは声を掛けた。

「ご心配には及びません。我らがこの戦いに負けることはありませんから」

「自信がおありなんですね」


「そのために、我らは兵を鍛え、艦船(ふね)を揃え、策を練っているのですから」

 ユリウスの若い笑みにエクセラもわずかに頬を緩める。


「・・・ユリウス様は、このたびの戦いに何をお望みですか?」

「私が答える前に、まずあなたの考えを聞きたいな・・・」


「私はジスイット・フェリオの娘ですが、バルカ自由同盟の政策全てに賛同するものではありません。私はこのたびの戦いがバルカ同盟市民だけではなく、ティロニア連邦市民のためにもなる戦いであって欲しいと望んでおります」


「それは、我が軍の敗北を望んでいるということですか?」

「それが、全人類には、より望ましい結果であるならば・・・」


「宇宙市民主義ですか?」

「そう思われてもかまいません。私はバルカ同盟の隆盛より、人類全体の利益のためにこの虚しい戦いの早期の終結を望むものです」


 人類全体の利益。

 それはどのような尺度で、誰が計るというのか。傲慢な考えではないのか。

 しかしユリウスは、その皮肉な考えを口にはしなかった。


 宇宙市民主義。

 それはティロニア連邦創世記において掲げられた理念であった。その理念のもと、個人の利益よりも人類全体の利益を優先し、全人類の英知を結集することにより困難な宇宙開拓の創世記を切り抜けた歴史があった。


 しかしティロニア連邦の版図が拡大し、その政治的経済的体制が矛盾を呈し崩壊するにつれ廃れていったものであったが、そこに掲げられた高邁な理念は人類の歴史に深く刻み込まれ、今も細々とではあったがその息吹は人々の記憶の中に息づいていた。


 その歴史に思いを巡らせた後、ユリウスは静かに口を開いた。

「それでは、来るべき戦いに対する私の望みをお話ししましょう。私は、私のために戦うのです。バルカ家のためでも、バルカ同盟のためでも、ましてやティロニア連邦のためなどではありません。私の全力を尽くして来るべき戦いを戦う。それだけが、今の私の望みです」


「ユリウス様の、名誉と栄光のためにですか?」

「そのようなものは意味のないことです。私は、私という存在を確認するために戦うのです。私のためだけに。その結果が、果たしてあなたと望むものと重なるものになるのかは、今の私には分からないことです」


 そして、ユリウスは皮肉な笑みをつくる。

「この答えで、ご満足いただけましたか?」

 ユリウスの目の前で、エクセラは思い詰めた瞳を伏せ、ユリウスの言葉を真摯に受けとめていた。


 今まで、今日のように心の中の思いをそのままに口にしたことはなかった。


 それは、アジュラムはもちろん、ギムレットやセシリアにもしたことはないことであった。


 そして不思議と身構えることなく、余裕を持ちエクセラと話ができていた。


 なぜだろうかと、今まで感じてことのない満足感に包まれながら、目の前のエクセラに対する好意の再確認をしていたユリウスであった。


 八


 バルカ歴四六年八月。

 ティロニア連邦軍は、二五年ぶりに宇宙空間に築かれた事実上の国境線、要塞惑星を連ねた「壁」を越えてバルカ同盟宙域への侵攻作戦を開始した。


 バルカ同盟は、執政官アジュラム・バルカの指導のもと後退戦術を実施し、シンガ要塞戦線に隣接したプレトリア星系はティロニア連邦軍の手にたやすく墜ちた。


 しかし、ティロニア連邦軍のバルカ同盟宙域への侵攻と同時に実施されたアレウト要塞戦線におけるバルカ同盟要塞惑星ガンベル要塞攻略作戦及びシンガ要塞戦線におけるバルカ同盟要塞惑星マレー、ソロン両要塞攻略作戦に対しては、各要塞惑星への駐留艦隊兵力増派とと要塞守備兵器の増強とが功を奏し、連邦軍の猛攻に対し大きな犠牲を強いながら堅守を続けていた。


 そして、同年九月。

 ティロニア連邦軍迎撃にあたり、バルカ同盟軍はバヤジット大将を総司令官として迎撃艦隊の編成を行った。


 ユリウスは四個艦隊の指揮を委ねられ、ユリウス機動艦隊として迎撃艦隊の一翼を担うこととなった。


 機動艦隊参謀長に、ユリウスの侍従武官兼務のギムレット少将。作戦参謀に、昇進したバンゼルマン中佐。副官は、同じく昇進したコトウ大尉。


 そして、兵長待遇のセシリアを再び従兵として伴い、ユリウス機動艦隊旗艦イラストリアスはその白銀の翼を広げ再び宇宙空間に飛び立った。


 バルカ同盟領に侵攻したティロニア連邦軍艦隊を迎え撃ち、撃滅するため。そしてバルカの名を、再び宇宙の歴史に深く刻み込むために・・・。


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