天空の要塞 バルカ戦記

テカムゼ

「天空の要塞」 バルカ戦記 第1部  壁の崩壊


 第一章 ささいな出来事 


 一


 首都星バルカの最高峰、ラフラテの蒼い山嶺を望む避暑地の一角に目立たぬように佇む瀟洒な造りの別荘の一室であった。


「これを飲んで・・・」

 ユリウス・バルカは、かたわらに抱く女性に白い錠剤を手渡した。


 痩せた身体。疲れに澱み、光の失せた鈍い瞳。

夕暮れの光が射し込むベッドの中で、ユリウスは若い愛人を抱いていた。


気怠い雰囲気の中、力のない瞳で抵抗もみせずにセシリア・フェイは手渡された錠剤を唇に運ぶ。


伏せた瞳が閉じられ、その白い喉が動き錠剤が飲み下されたのを確認したユリウスも、数粒の錠剤を唇に運び舌の上でその苦味を味わうように転がしてから飲み下した。


 瞬間的に脳髄に重い衝撃が走り見開いた視界に閃光が煌めいた。意識が針の鋭さで尖り駆け上る。


 ユリウスは身体の中に沸き上がるめくるめく衝動と感覚を抱いたまま汗ばんだ身体を物憂げに動かし、セシリアの上に覆い被さった。


 苦味に痺れ乾いた舌が強張る。肌を重ね合わせると、神経が切り開かれ露出されたかのような刺激が全身を走り、快感がユリウスの血管の中を超光速で跳ね回る。

 歓喜に涎を流しながら、ユリウスは頑ななその意識さえも快楽の中に浸そうした。


 その時、何かしらの違和感を覚えていた。

 セシリアの唇をむさぼりながら、ふと見たその瞳が白く裏がえっていることに気づいたのだ。


濁り澱んだ思考の中でも危険を感じ、薄れゆく視界の中で自分の意識を奮い立たせ、セシリアの身体を抱き起こし、その口中に指をいれて吐かせる。


自分も喉深く指をくわえて胃の内容物を吐き戻しながら、ユリウスにはその嘔吐感さえもが心地よく感じられることに皮肉な笑いを覚えていた。


すぐにその意識は遠のき、ユリウスは甘美な揺らめきの中でセシリアの身体を抱えたままベッドの下に崩れ落ちていた。



「ギム、今度は何ごとだ?」

 壁も天井も白く塗られた軍病院特別室で、ベットに横たわるユリウス・バルカを見つめていたバルカ同盟執政官アジュラム・バルカは、かたわらにたたずむ弟の侍従武官イズマイル・ギムレット少将を振り返った。


 アジュラム・バルカは、この年三二歳。

 黒色の壮厳な同盟軍元帥服に身を包み、その長身を折り曲げて眠り続ける年の離れた弟の顔を覗き込む。

 何も声は掛けず、その目の下に刻まれた隈取りを消そうとでもするかのように軽く指先でなぞった。


「俗に、PXEと呼ばれているものです」

「PXE?。何だ、それは」

「興奮剤の一種です。禁止薬物で、ユリウス様の使われたものは密造された粗悪な物でした。増量剤との干渉作用により、急性中毒症状を起こされたとのことです」


 強張った面もちのギムレットは、バルカ同盟執政官に対し不動の姿勢で答える。

 アジュラムは、弟の顔を覗き込んだままちらりとギムレットの顔を仰ぎ見た。


 イズマイル・ギムレットは、アジュラムより一〇歳も年長である。堂々とした巨躯と綺麗に刈り込まれた力強い頬髭。


本来は大兵を指揮することがふさわしい逸材であるが、今は亡き二人の父の命により前線を離れ、少佐の時からアジュラムと弟ユリウスの侍従武官兼軍事教官として仕えていた。


アジュラムが成人し父の後を継ぎ執政官となってからは、アジュラムの願いにより弟ユリウスの侍従武官を務めていた。


(苦労をかける)

 畏まり、心中の苦悩に頬を歪ませるギムレットに、アジュラムはそう思いやったが、口には出さなかった。

 そのような言葉は、ギムレットの揺るぎない忠誠に対する非礼でしかなかった。


「セシリアの容態は?」

「ご心配にはおよばないとのことです」

「もし、セシリアに万一のことがあれば、ユリウスはソロモンの開拓惑星に追放する」


「それは・・・」

「もちろん、そのときにはギムレット少将にも同行願おう」

 息を呑むギムレットの緊張に、アジュラムは笑みをつくった。


 アジュラムは、ユリウスにセシリアを引き合わせたことを後悔していた。

幼くして両親を失い、唯一の肉親である兄はバルカ同盟の執政官として多忙な政務に携わり、家族愛を知らず広大な邸に一人残された孤独で虚弱な弟。

アジュラムは遠縁で孤児となったセシリアを引き取り、ユリウスの話し相手と身の回りの世話を頼んだのであった。


 寡黙で内気な美少女は、アジュラムの願いに思い詰めた瞳で答えてくれた。


ユリウスは直ぐにセシリアを愛人としたが、ユリウスの行いはそれだけにとどまらなかった。


 士官学校時代からアルコールと薬、何人もの女性との乱れた関係に浸っていた。


自分の目が行き届かなかったのだと、アジュラムは悔いていた。

しかし、アジュラムにはバルカ同盟の執政官としての重責があり、また私人としては妻と二人の子を有する父でもあった。


 横たわるそのまっすぐな髪を指で触り、アジュラムは背を伸ばし弟の侍従武官に対してバルカ家の家長としての命令を下した。


「メディアには、嗅ぎつけられてはいないな?」

「はい」

「この宇宙において、バルカの失政を願っているのはティロニア連邦だけに限らない。そのことに、特に心するように」


 執政官の鋭い眼差しを、ギムレットは受けとめた。

「ユリウスを頼む。暇があれば、また来よう」

 異様なまでに畏まったままのギムレットの敬礼に微笑みを返し、若きバルカの執政官は静かな病室に一陣の風を残して立ち去っていた。



 三


「帰られたか・・・」

 バルカ同盟執政官が立ち去り、ギムレットが安堵のため息をついたときユリウスは目を開いた。


「お目覚めになられておられましたか?」

 力無く起きあがろうとするユリウスの肩を、ギムレットは駆け寄り支える。


「アジュラム様は、怒っておられました」

 ユリウスは、薄い微笑みを返した。

「すまない。セシリアは?」

「別の病室におります。もうすぐ、意識を取り戻すことでしょう」


「すまない。迷惑をかけるな・・・」

 顔を伏せ遠くを見つめる眼差しでそう言葉を吐くユリウスに、ギムレットはいつもそうではないかと思う。


 自分の愚かさを知りながらも、その行いを繰り返す。

 しかしギムレットもまた、これまでと同じようにユリウスを責めも憎むこともできずに、変わらぬ暖かな眼差しをその痩せて細い肩に注いでいた。


 四


 静けさに包まれた病室の中で、ベットに身体を起こしたユリウスはセシリアの姿を目で追っていた。

 目を覚ますと、セシリアはユリウスの病室にいた。

 腰まで届く長い髪を束ね、見慣れぬ白い服を纏い、きびきびとした動作でその裾を翻らせる。


「ご気分はよろしいですか?」

 カーテンを開き、差し込む日差しに眩しげに目を伏せるユリウスに笑顔を向ける。


 いつもと変わらぬ風景。いつもと変わらぬにこやかな微笑み。

 あの日のことなど、遠く夢か幻のことであったかのように・・・。


「おまえは俺の何だ。そして、俺はどうしたいのだ」

 何時もと変わらぬ、やるせなく満たされない想いをユリウスは抱いていた。


 この世界が宇宙という坩堝に生まれた塵ならば、砕け散ってしまえばいい。セシリアも、アジュラムも、バルカ同盟も。

 そしてユリウス自身さえも・・・。


「何か、お召し上がりになられませんか?」

「そうだね、何があるのかな?」

 窓から射し込む朝の白い光は苛立ち荒れた神経を苛みみ、ユリウスは胸中の思いを深く潜めたまま目を細め、病室の床に煌めくその陽射しを見やっていた。


 五


 宇宙の歴史において、バルカの名は大きな輝きを放っている。


 苛酷にして苦難に満ちた宇宙開拓創世期、バルカの一族はその卓越した政治的能力により開拓民を指導し、辺境宙域の開発と発展に大きな寄与を果たしていた。


 やがて、その一族の名をつけられた惑星を中心とした政治的、経済的勢力集団は、辺境宙域の権益の代弁者となり、全宇宙の統治者であったティロニア連邦の苛政に対する抵抗運動の旗手として宇宙に新たなる勢力圏を築いていた。


 ティロニア連邦の無慈悲で苛烈なる弾圧の後、バルカ一族が指導する抵抗運動は、やがて完全なる分離独立を目指すものとなり、惑星バルカを中心とした辺境宙域諸星系によるバルカ同盟の結成を経て、宣戦布告なき独立戦争へと移行していったのだ。


 三〇年の長きにわたるバルカ独立戦争は、圧倒的経済力と連邦軍宇宙艦隊という強大な武力を有するティロニア連邦に対し、貧弱な経済圏と固有の武装兵力を有していなかったバルカ同盟にとり、苦痛と困難に満ちたものであり挫折と敗北の連続であった。


 しかしバルカ同盟は、困難なる闘いの中でバルカ一族を中心とした独裁的軍事遂行体制を確立し、激烈なる独立戦争を戦い抜いたのだった。


 バルカ一族は、幾世代にも渡り軍事、政治両面に卓絶した指導者を輩出し続け、バルカ同盟をティロニア連邦に匹敵する強大な軍事国家へと導いていた。


 やがてバルカ同盟は、工兵総監ヴォーパンにより生み出された強大な出力を有する要塞主砲と「ラヴェラン」と呼ばれる衛星軌道堡塁を組み合わせた要塞惑星戦術理論を実戦に導入し、ティロニア連邦との主航路であったシンガ航路に要塞惑星を設置することによりその最短航路を封鎖した。


 バルカ同盟要塞惑星インディラは、惑星表面に設置された巨大な出力を有する主砲を中心とした要塞活動により接近するティロニア連邦軍艦艇を次々と打ち砕き、ヴォーパンの提唱した要塞惑星戦術の実効性を証明した。


 ヴォーパンの予想を遥かに超えるほど、要塞惑星は艦隊攻撃に対して絶対の優位を見せつけ、航路に鎮座する強大な破壊神としての脅威を宇宙に知らしめたのであった。


 その結果、ティロニア連邦とバルカ同盟とを結ぶ全ての宇宙航路には、両勢力により同種の要塞惑星が設置され、事実上の国境線が宇宙空間に築かれていた。


 この国境線の出現により、バルカ同盟はティロニア連邦軍の脅威から脱し、実質的にその独立を果たしたのであった。


 しかし、バルカ同盟の実質的独立達成後も戦火は止むことなく、両勢力から「壁」と呼ばれた要塞惑星戦線をめぐる戦いは、いつ果てるでもなく長く続いていた。

 

 六


 ユリウス・バルカは、この年二四歳。

 バルカ同盟執政官セリム・バルカの次子として首都星バルカに生を受けていた。


 幼くして父母を失い、年の離れた唯一の肉親である兄は、ユリウスが士官学校に入学する前から亡き父の跡を襲い執政官の職に就いていた。


 ユリウスは幼いときから虚弱で幾多の病気を繰り返し、父母の存命中は父母を煩わせ、父母亡き後は唯一の肉親である兄を心配させていた。


 バルカ同盟の最も主要な一族の一人として軍の要職に就くようになってからも悪い友のみを集め、アルコールと薬の一時的快楽に浸る刹那的な生活を送っていたのだ。


 兄アジュラムも師父である侍従武官ギムレットも、これまでのユリウスの多少の言動には目をつぶってきていたが、今回のことはユリウスの身辺の世話をするセシリアまでも巻き込み、二人して瀕死の状態で病院に搬送されるというものであり、若気の至りというには度が過ぎたものであった。


 まして、執政官職を実質的に世襲するバルカ家の一員として、また、現執政官の弟にしてバルカ同盟軍少将、バルカ同盟評議会特別議員の肩書きを持つ者として当然にふさわしい行為ではなく、責められるべきものであった。


 執政官府の有形無形の圧力により、メディアにこの事件が報道されることはなかったが、首都星の人々の口の端にこの噂が流れることを完全に妨げることはできず、執政官府としても何らかの対応をせざるを得ないものであった。


 この事件の後、ユリウスは中将昇進の辞令とともに、同盟軍軍務省勤務から最前線たる要塞戦線の一つ、カリマンタン要塞戦線の司令官職に異動を命じられていた。


 この人事は、首都星からの一時的追放ともいえる措置であり、またユリウスにとっての初の前線勤務でもあった。


 七


「フッ。中将に昇進の上、カリマンタン要塞戦線司令官を命ずか・・・」

ソファに深く腰をかけて座り、国防大臣から手渡されたばかりの辞令をかざして見せたユリウスは、皮肉げな笑みをつくり目の前にたたずむ自分の侍従武官を見上げた。


「それで、ギムも一緒に行ってくれるのだろうな?」

「もちろんです。私も本日カリマンタン要塞戦線司令官付け将官の命を受けました」


「それは、有り難い」

 その皮肉な光を湛えたままの眼差しを、ギムレットは優しく受けとめる。


「アジュラム様は、ユリウス様がカリマンタン要塞戦線へセシリアをお連れすることを望まれております」

「セシリアをか・・・?」


 その意外な言葉に、ユリウスは不審げな顔を上げた。

「はい。私も、セシリアをお連れになることをお勧めいたします」


「何故に?」

「要塞司令官となられるユリウス様には、当然従兵の配置がなされます。慣れぬ者よりも、セシリアに身の回りの世話をまかせたほうがよろしいでしょう」


「どのような身分で?」

「兵士として徴用なさればよろしいのです。また、軍属として雇用することもできます。いずれにしても、従兵として今まで同様のお世話をさせればよろしいのです」


 首都星で囁かれる醜聞の渦中の愛人を伴い前線に赴く。執政官の不肖の弟の出陣には、極めてふさわしいものであろう。その思いに、ユリウスは己に対する侮蔑に苦く片頬を歪めて見せる。


「それほどまでに、私は信用されていないのか?」

「そういうわけではありませんが、セシリアがお側におられるならば、アジュラム様はご安心なされるのでしょう」


「それで、セシリアはどう言っているのか?セシリアに、この話はしているのか?」

「はい。セシリアも、ユリウス様のお供がしたいと申しております」


 そう、セシリアはそういう女だ。身寄りもなくバルカ家に引き取られている者の立場では、それ以外の返事はしようもあるまい。


 そのことに思いを馳せ、ユリウスは不愉快であった。そして、周りの誰もが思い望むことにただ唯々諾々として従うことはユリウスの好みではなかった。


「いずれ、セシリアはこの館から出すつもりでいた」

 その意外な言葉に、ギムレットの表情に驚愕と困惑が拡がる。

「セシリアが、お嫌いになられましたか?」

「そうではないが・・・。しかし、いつまでもセシリアを私の元に繋ぎ止めておくわけにもいくまい。セシリアには、セシリアの望む人生があろう」


 セシリアが、その望む人生を選ぼうとした時に、その全てを簡単に許せる自信をユリウスは持っているわけではなかったが・・・。


ギムレットは、セシリアの望む人生をユリウスは知っているのかと訝しむ。

 しかし、彼はその問いかけを口にすることはできなかった。


「急ぐ話ではありません。しかし、重ねてセシリアをお連れすることをお勧めいたします。セシリアもそのことを望んでおりましょう。なにとぞ、セシリアの気持ちをお確かめ下さい」

 ソファに深く腰掛けたまま思案顔を崩さない若き主人を見やりながら、ギムレットはそう声をかけていた。


 八


「セシリアか・・・」

 ユリウスの部屋を出たギムレットは、コーヒーカップを乗せたトレイをささげたままドアの陰に肩をすぼめるようにたたずむセシリアを見出していた。


「はい。もう、お帰りですか?」

「うむ」

ギムレットは、少し気まずそうな表情を作っただけで、何も声をかけなかった。

 若い者の間のことは、若い者同士で決めるのだ。少し厳ついその後姿がそう語っているようであった。



「ギムは、帰ったよ」

 傍らに跪きテーブルの上にコーヒーカップを差し出すセシリアに、ユリウスはそう声をかけた。

 そして、トレイの上の二つのカップに目をやった。


「お前も飲みなさい」

 その言葉に促され、ユリウスの目の前のソファに腰掛けた。

 しばらくカップを手のひらの中でもてあそんだ後一口のコーヒーをすすったセシリアは、その目を上げ思い切ったように問いかけた。


「私が、お邪魔でしょうか?」

「聞いていたのか?」 

「聞こえました」

「そう・・・」


 その思い詰めた眼差しを外して、ユリウスは遠くを見る眼差しを見せる。

 セシリアは、そっと目を伏せた。


「セシリアは、かまわないのか?」

「はい。私はユリウス様のお供をさせていただきたいと思います」

「それが、セシリアの望みか?」

「はい」


 その言葉に偽りの響きは感じとれなかったが、セシリアの眼差しを受けとめたユリウスの瞳は乾いたものであった。


「好きにすればいいさ」

 その投げやりな言葉に、セシリアは悲しげな顔を伏せたまま小さく唇を噛む。

 そしてユリウスは、その表情を認めながらも気づかない振りをしてコーヒーカップを唇に運ぶのだった。



 第二章 要塞戦線


 一


 カリマンタン要塞戦線は、バルカ同盟とティロニア連邦とを遮断するために構築された五つの要塞戦線の一つであり、シンガ要塞戦線とフレイア要塞戦線に挟まれた宙域にある。


 要塞惑星を連ねた「壁」の内側には、居住可能惑星を多数有したザルド星系、エルトリア星系などを抱え、バルカ同盟市民の二割がこの要塞戦線後背宙域に居住していた。


 バルカ同盟において、カリマンタン要塞戦線はバルカ同盟とティロニア連邦とを結ぶ主要最短航路に構築されたシンガ要塞戦線に次ぐ重要な戦線であると位置づけられ、主要要塞惑星ハンガインを中心として四つの要塞惑星を有し、常時五個艦隊が駐留していた。


 このようにカリマンタン要塞戦線司令官の職責は重く、保有する戦力は強大なものであったが、ここ八年ほど要塞惑星に対する直接攻撃は実行されておらず、バルカ同盟の最前線たる要塞戦線司令官職も閑職同然となっていた。


 ましてや今回のユリウスのカリマンタン要塞戦線司令官就任にあたっては、カリマンタン要塞駐留艦隊司令官ヴァルファ中将がカリマンタン要塞戦線副司令官としての任命も受けており、司令官職の実務はヴァルファ中将が行うものとみられていた。


 要するにバルカ同盟軍内部においては、今回のこの人事は素行の芳しくない執政官の弟の一時的な追放懲罰人事であると理解されていたのだ。

 そのなによりの証拠には、この若きバルカはその醜聞の相手である若い愛人に軍服を着せ、自分の従兵として要塞惑星に伴っていたのだ。


 二


 カリマンタン要塞戦線幹部を集めた場におけるユリウスの新司令官就任訓辞は、前例を破る異例なものであった。 

 大会議室に参集した要塞戦線幹部を前にして、ユリウスは何の原稿も持たず次のような短い訓辞を行ったのだ。


「私が、この度カリマンタン要塞戦線司令官の命を受けたユリウス・バルカである。カリマンタン要塞戦線司令官職就任にあたり、諸君に話しておきたいことは一つだけである。私の要塞司令官就任にあたっては、貴官達もいろいろな風評を耳にしていることと思う。私はそれらの風評のすべてについて熟知しているわけではないが、それらの中には真実に縁取られたものもあれば、また虚飾に染め上げられているものもあろう。それらのことはともかく、貴官達に理解しておいてもらいたいことは、これらの風評がいかなるものであるとしても、バルカ同盟におけるカリマンタン要塞戦線の重要性に何ら変わりはなく、貴官ら各位の任務の重要性及びバルカ同盟及びバルカ同盟市民に対する責務に何も変わりのないということである。私が貴官らに望むことは、今後とも従前と同じくその職責を全うすることのみである。以上」


 それだけを発言すると、ユリウスはあまりにも簡潔で異例の訓辞内容に唖然とした一同に不敵な笑みの一瞥を投げかけたのであった。


 新司令官のこの訓辞に一番驚いたのは、新たに要塞戦線司令官付きの高級副官に任命されたロイ・バンゼルマン少佐であった。


 要塞戦線駐留艦隊の砲術参謀からカリマンタン要塞司令官高級副官への異動辞令を受けたバンゼルマンは、この人事に不満であった。


「何で俺が、バルカの馬鹿息子の面倒をみなければならんのか!」


 下級官僚の息子であるバンゼルマンは、砲術の専門家としての能力と実績により現在の階級と職責を得たものと自負していた。

 それが、一〇歳も年下のお飾りの司令官の副官とは・・・。


「優秀な副官を配置してもらいたいとの、執政官のご内命なのだ」

 バンゼルマンの抗議に対し、ヴァルファ中将は冷厳にそう答えを返すのみであった。

「私も、要塞戦線副司令官の内命を受けている」


 バンゼルマンは、アジュラム執政官を尊敬し支持していた。聡明な思慮と公正な治世。幾度かの執政官選挙において、バンゼルマンはアジュラム執政官に信任の投票をしていた。


「だからといって、その弟を支持しなければいけない理由はない」


 最新鋭戦艦イラストリアスから降り立った新司令官が、息をのむような美女を従兵として引き連れていたのを見たとき、バンゼルマンのその憤りは頂点に達していた。


「場合によっては、少し文言の変更をしても良いかな?」

 ヴァルファ副司令官の指示により、バンゼルマンの作成した型どおりの着任訓辞草案を流し見て、新司令官はこう言ったのだ。


「司令官の訓示ですので、ご自由に」

 敵意さえ窺えるバンゼルマンの冷たい返答に、新司令官は複雑な笑顔で答えていたのだが・・・。


「新司令官の訓辞は、貴官が作成したものか?」

 新司令官着任訓辞の後、ヴァルファ中将に呼び出されたバンゼルマンはそう訊ねられていた。


「いえ。私が起案したものは、副司令官のご決裁を受けたものだけです」

「そうか・・・」

(だから・・・?)


 ハンガイン要塞の要塞副司令官室で、目の前に佇むバンゼルマンの思いには答えず、ヴァルファ中将は多くを語らず物思いに浸っていた。


 それから幾度となく、同じ質問をバンゼルマンは要塞戦線幹部から受けたのだ。

「短くてよかっただろ」

 いつかしらバンゼルマンは、素っ気ない答えを用意して返すようになっていた。


 三


 ハンガイン要塞の奥深く、広大で壮厳で造りの司令官室で、この場に不似合いな自分に気づいているユリウスは手持ちぶさたにデスクに座っていた。


 司令官として目にすべき書類は多く、決定しなければならない事項も少なくなかったが、カリマンタン要塞戦線司令官であるユリウスの場合、副司令官ヴァルファ中将の同意がなければすべての決定が効力を有さないシステムに改編されており、結果としてユリウスの仕事は各種情報の確認と事後決裁書類へのサインだけであった。


 ユリウスには専属の幕僚さえなく、司令官付けの将官と副官二名が配置されただけであり、軍事的事務はヴァルファ中将の駐留艦隊司令部に委ねばならないなど、形式的にも実質的にも何の権限も有さない飾りの司令官であった。


 セシリアの処遇については紆余曲折があったが、結局は兵長待遇の軍属としてユリウスの従兵業務をさせることになっていた。


 ユリウスは、セシリアに兵長として他の兵員と同じく軍務に従事することを命じ、従兵業務のない時間には自由にさせていた。


カリマンタン要塞戦線勤務兵士約二万人。バルカ同盟軍の場合、前線勤務の兵士の二〇から三〇パーセントは女性兵士であった。数千人の女性兵士がいれば、きっと魅力的な女性もいるに違いない。

 追放同然に首都星を追われてきた自分の立場も忘れて、ユリウスは身勝手な想像に浸るのだった。


 そして、目の前でユリウスの礼装用軍服を片づけるセシリアの軍服の身体の線を目でなぞっていた。

 いつもは下ろしている長い髪を、堅く結び上げている。見慣れぬ軍服姿もまた新鮮であり、魅力的であった。


「そばに来て」

 司令官デスクに頬づえをついたまま、そう突然口にする。

「勤務中です」

 いつにないセシリアのつれない返事に、声をたてずに笑う。


「そう。だから要塞司令官命令さ」

 その身体を抱き寄せながら、ユリウスはそう嘯ぶいていた。


 四


「あの司令官も、困ったものだ」

 そういう挨拶が、ユリウスの着任以来カリマンタン要塞戦線司令部においては日常茶飯事に交わされていた。


 ユリウスが着任以来司令官室に在室しているのは勤務開始後の午前中の一時間ほどだけであり、簡単に決裁書類にサインをすませると後は毎日ギムレット少将と副官を引き連れて要塞の中を見回っていた。


 ユリウスは、司令官専用コンソールから抜き出した要塞図面を片手に、高級副官バンゼルマン少佐を案内人にした要塞探検家のようであった。


 要塞主砲、水耕プラント、動力炉から兵員居室、民間人居住部門のショッピングモールから競技場まで。

 ユリウスは足を運びその目で確認していた。


 それは衛星軌道堡塁「ラヴェラン」から駐留艦隊の戦艦、駆逐艦から補給艦にまで及んでいた。


いつも静かな微笑みをうかべて、その場にいる者を誰かれとなく捕まえては質問を繰り返す。

 あからさまに疎まれ厭がられても気にするでもなく、要塞司令官の尊厳など微塵も見せず理解し納得するまで何度も聞きかえしていた。


 この若い要塞司令官の奔放な行動に対し、ギムレット少将が甘やかし過ぎている、ヴァルファ中将の諌言も無視され見放されているなどの噂が要塞惑星には飛び交っていた。


 バンゼルマン少佐には、

「貴官も苦労をするな」

とか、

「なぜ、あの馬鹿息子を諌めないのか」

などの勝手な言葉が浴びせられていた。


また、新司令官が風評通り早くも数人の女性士官を司令官を私室に招き入れたとの噂が流れており、その噂の一部は、バンゼルマンも目撃し確認していた。


 圧倒的に女性兵士が少ない要塞戦線勤務において、女性がらみの醜聞は致命的ともいえるものであり、新司令官に対する圧倒的非難の渦を掻き立てていた。


 ユリウスも耳にしているであろうに、そういった噂など気にかけるでもなく、自分の若い愛人を連れてトレーニングルームに現れたりするものだから、よりいっそう非難と悪評は広まっていた。


 しかし、バンゼルマンはユリウスの身近に仕える者として、その人のなりと才を見極められないでいた。


 このようなことは、バンゼルマンの短くもない軍隊経験の中で初めてのことであった。

 単なる、愚かさであるのか。大人になりきれていない子どもなのか。あるいはそれとも、何か計りかねる隠された能があるのか。


 バンゼルマンの常日頃の意地悪な観察にもかかわらず、ユリウスはその実像を捉えさせず、彼は掴みかねていた。


 五


「もう少し、司令官に行動をお控えになるよう進言なさったらいかがですか?」

 ユリウスへの憎悪と悪評が高まることに耐えられなくなったバンゼルマンの進言に対するギムレット少将の答えは意外なものであった。


「貴官は、ユリウス司令官の行動の真意が理解できているのかね?」

 首を振るバンゼルマンに、ソファを勧めたギムレットは笑顔を見せてその脚を組む。


「私はユリウス様にご幼少の頃から仕えているが、未だにそのご性分を理解できてはいない。今回共に前線にきて、その思いは強くなるばかりである。私は、理解できないものはうかつに手を出すことなく様子を見ることとしている」

 そして、従兵に短く二つのコーヒーを指示した。


「少佐は、今回のユリウス様のカリマンタン要塞司令官就任人事は誰の意向によるものか知っているかね?」

「アジュラム執政官ではないのですか?」

「違うな。今回の人事は、バルカの独裁に反対するバルカ自由同盟に代表される勢力の強い意向によるものだ」

「なぜですか?」


「分からぬかね。若木を枯らせるには、根が腐るほどの肥料を与えるのがよい。彼らはそう考えているのだ」

「そのことに、ユリウス司令官はお気づきになられているのですか?」

「どうであろうか」

 ギムレットは、悪戯げな笑みを見せた。


「今の自分はもう少し、ユリウス様の人となりを見させていただきたいと考えている」

 そう言って慈愛に満ちた眼差しでバンゼルマンを見つめたギムレット少将は、今もにこやかな笑顔を見せながらユリウスに元素循環システムの説明をしている。


バンゼルマンの部下である司令官付副官コトウ中尉は、ユリウス司令官と同年輩であり、その飾り気のない性格と中尉と中将の階級差などまったく感じさせない司令官の接し方に今は完全に取り込まれている。


彼ほど純粋で単純ではないバンゼルマンとしては、新司令官の無視できない存在の扱いに手を拱き半ば憮然として傍観するだけあった。



「ですから、軍には軍における秩序というものがあるのです!」


 バンゼルマンは、ユリウスと二人だけの要塞司令官室で声を張り上げていた。

 どうしてこのようなことになったのか、自分でも取り乱し気味で後悔とユリウスからの侮蔑に対する恐れに囚われていたが、始めたものは最後までいくしかなかった。


 今日もユリウスはいつものように、ギムレット少将とバンゼルマンとコトウ中尉を引き連れ要塞内を見回っていた。


 昼食時のことだ。ユリウスは近くの兵員食堂に入り、他の兵員と同じようにトレイをとり給食の列に並んでいた。背後には、ギムレット以下三人の従者を従えて・・・。


 周囲には好奇の目の渦が描かれていたが、バンゼルマンは無視を装っていた。今までにも、何回かこのようなことはあったのだ。

 しかし、その後艦隊主計長から給食の邪魔になるとの理不尽な抗議を受けて、バンゼルマンは自分でもくだらないことだと思いながらも食事は司令官室で取るよう進言していた。


「わざわざ司令官室に戻って食事をすることは、時間の浪費ではないかな?」

 穏やかなユリウス司令官の言葉が正しいとは思いながらも、バンゼルマンは口走っていた。


「軍には軍の秩序があり指揮命令関係があるのです。あなたは司令官として、命令を下さなければならない立場にあります。時には部下に死を覚悟させる命令を下さなければならない場合もあるでしょう。そして、部下にはその命令に疑念を差し挟まず受け入れさせなければならないのです。そのためには、司令官としての威厳と尊厳が必要なのです」


 なぜ、このような話しにならねばならないのか。なぜ、自分はこのようなことを話さなければならないのか。

 その時のバンゼルマンの上気した脳髄には判断できなかった。


「部下に交わりすぎることは、良いことではありません。部下に対する過度の温情は、司令官として時にその必要な決断を鈍らせ、より多くの損害を軍に与えることがあるのです」

 そこでバンゼルマンは一息を継いだ。


「司令官たるもの、そのありうべき立場があり、守らねばならない秩序があるものと本職は考えます」

 司令官デスクにかけたまま沈黙を保っていたユリウスは、バンゼルマンの目を貫くような眼差しを向け

「わかった」

とだけ短く答えていた。



「バンゼルマン少佐は率直な人です」

 退出したバンゼルマン少佐と入れ替わるように司令官室に入ってきたセシリアは、しばらくして離れた位置からユリウスの目をちらりと覗き込みそう言った。


セシリアがユリウスに意見することなど、今までに一度もないことであった。


「争ってはなりません」

「聞いていたのか?」

「聞こえました」


 その言葉は、前にも聞いたとユリウスは思う。

「バンゼルマン少佐は、ユリウス様の心強い味方となられる方です。些細なことで争い、失われるには惜しい方です」


「別に、争ってはいないよ」

 少し首を傾けて、その視線を外す。

「誰とも、争っていないし、誰をも憎んではいない」


 セシリアは、そうつぶやくユリウスの目の光を見ていた。


 彼女だけが知る、ユリウスの嘆き。猛り。その身体の中には、ユリウス自信さえも抑えることのできない猛々しい炎が燃え盛っているのをセシリアは知っていた。


そして、セシリアはその身体でユリウスの昂ぶりを受けとめていた。そのことに、身体の奥底で喜びを感じている自分をセシリアは知っていたのだ。


 七


 バルカ歴四五年六月。

「今度のコルドバ星系侵攻作戦には、どのような意味があるのか?」

 ユリウスの問いかけで、カリマンタン要塞戦線における定例作戦会議は始まった。


天球図の投影されたメインスクリーンを背に、会議室の中央席に座るユリウスのかたわらで、その横顔を見やるギムレットは考えていた。


 ユリウス様は変わられた。いや、この戦線にきて、自分がユリウス様のまた新しい一面を発見できたのかもしれないと思う。


 ギムレットの知るユリウスは、兄のアジュラムを思わせる端整な顔立ちであったが、いつも神経質で苛立ち落ちつかぬ視線を周囲に投げかけていた。


小柄な身体で背を丸め、視線を落として歩く姿は偉大な執政官の弟にふさわしいものとはいえなかった。


しかし今この場において、さも当然のように悠然と中央の司令官席に座り、緩やかに自分の幕僚を見渡すその落ちつき振りにはバルカ同盟軍中将の威厳が備わっていた。


 なによりこの場に居合わせる者の多くが、数々の風評にかかわらずユリウスを飾りものだけの司令官としては扱えないことに気づかされ、今やその存在は誰にも無視できないものとなっていた。


 すこし太られたかなと、その頬と顎の線を目でなぞったギムレットは思う。


「コルドバ星系は、シンガ要塞戦線における我が要塞惑星インディラと敵要塞惑星シンガとの中間宙域にあります。この星系には有人惑星が存在せず、幾度もの戦闘において荒廃し星系そのものに資源価値はありません。しかし、この星系は敵要塞惑星への侵攻根拠として、また前進防御拠点としての軍事的価値をも有しております。近年、シンガ要塞戦線における戦闘はこのコルドバ星系の争奪戦に終始し、三年ほど前からはティロニア連邦軍の占領下にあります。今回の作戦は、コルドバ星系を奪還し、シンガ要塞戦線における我が要塞の防衛を磐石にすること及び来るべきティロニア連邦軍要塞惑星シンガへの攻略作戦に備える目的とがあるものであります」


カリマンタン要塞戦線駐留艦隊司令部作戦参謀オゥマル中佐の型どおりの説明に、ユリウスは面白くもなさそうに乾いた視線を向けていた。


 要塞惑星攻略作戦など、過去八年間一度も行われていないではないか。ましてや「壁」の間隙星系に何の価値も認めなかったからこそ、執政官は三年もの間放置していたのではなかったか。


 ユリウスは、不機嫌に唇を尖らせた。

「当戦線における敵情勢に変化は?」

「特段確認されておりません」


「副司令官のご意見は?」

 ヴァルファ中将は、自分が仕える二〇歳以上も年下の執政官の弟に謹厳な姿勢を崩さず答える。


「シンガ要塞戦線における防衛態勢をより堅固なものにするため、本作戦が決定されたものと判断します。情報管理の徹底による奇襲の実行、敵に倍する圧倒的兵力の集中により、本作戦の成功は確実なものと思われます」


 士官大学校口頭試験の模範解答に似たこの言葉に多くの同意のうなずきが見られ、不愉快気にユリウスは沈黙した。

 その後は、一言も発せずヴァルファ中将を中心に行われる会議の様子を見守っていた。



 バルカ歴四五年七月。

 バルカ同盟軍によるシンガ要塞戦線コルドバ星系攻略作戦が実行された。


 ファイエル中将指揮のコルドバ星系攻略作戦は、コルドバ星系主要惑星パレルモへの急襲降下に始まり、ファイエル艦隊によるティロニア連邦軍救援艦隊の撃破によりバルカ同盟の勝利に終わった。


 作戦経過記録を要塞司令官室のスクリーンに投影させながら、ユリウスはぼんやりとその画面を見ていた。


「理想的勝利です」

 コンソールを操作していたバンゼルマン少佐は、自分の仕える司令官にそう声をかけたが、それに対する返事は意外なものであった。


「この作戦は、必要だったのか?」

 驚いたように顔を上げるバンゼルマンを、ユリウスは見つめ返す。


「執政官は、無用な戦いを好む人ではなかったはずだ」

 そして、自分の侍従武官を振り返る。

「次の執政官選挙まで、まだ二年もある」


 バンゼルマンは、ギムレット少将の顔に会心の笑みが広っているのを見た。

「ユリウス司令官のせいではありません」

 ギムレットはそう力強く口にして、ユリウスの疑念を晴らそうとした。


「アジュラム執政官は、その優れた資質により執政官の職責を全うされております。執政官のご家族の私的行動など、その治世に何ら影響を与えるものではありません」


 執政官の弟に対する悪評と、それを庇い軍要職を歴任させることへの政府及び軍内部の反感に対する政治的配慮から今回のこの作戦は行われたのではないのかと、この若い司令官は案じていたのだ。


「コルドバ星系攻略作戦案は、参謀本部により幾度も策定され執政官府に提案されていました。それがこの度執政官の裁可を受け発動になったことは、明らかに政治的目的のためでありましょう。それは、軍事的成功を望む軍部とその支持基盤である軍事産業勢力への懐柔工作の一部と判断すべきでしょう」


 バルカ同盟の独立戦争は苦難の連続であった。強大なティロニア連邦軍に対する、武装商船を中心としたバルカ同盟軍との絶対的兵力差。

 職業軍人の不足による軍事技術の稚拙から続いた敗戦。

 同盟構成惑星間の主導権争いから生じる政争、造反、裏切り。


 これらの困難を、バルカ同盟は、惑星バルカを中心とした独裁的政治経済体制と効率的軍事遂行体制の確立により切り抜け、要塞惑星戦線の構築によりその独立を果たしていた。


 独立を果たした後も、ティロニア連邦からの脅威を理由に、強大な軍事組織とバルカ一族と惑星バルカを中心とした独裁体制は維持されていた。


 しかし、要塞惑星戦線による恒久的国境線「壁」の構築によるティロニア連邦軍の脅威の減少は、バルカ同盟構成諸星系の首都星バルカに対する独裁的支配体制への不満を掻き立てていた。


 バルカ同盟の政治権力体制は、各惑星ごとに民主的直接選挙により選出された評議員によるバルカ同盟評議会と、バルカ同盟全成人市民による直接選挙により選出されたバルカ同盟執政官により率いられた執政官府により構成されていた。


バルカ同盟執政官は、全バルカ同盟市民の代表者として軍権全体を把握すると共に各惑星の代表者により構成されたバルカ同盟評議会に対して拒否権を含む優越権を持ち、バルカの独裁は維持されていた。


 バルカ同盟成立以来、初代サミュエルから四代アジュラムまで、すべての執政官はバルカの一族により独占されていた。

 バルカ同盟内における知名度からもバルカの声望は高く、バルカ家の者でなければ三五〇億に達するバルカ同盟市民の過半数もの支持を得ることはできなかったのだ。


 そして、四代にわたるバルカ家の治世もその支持を裏切ることはなかった。


 しかし、バルカ同盟評議会には歴然とバルカの支配に反対する勢力が存在し、バルカの支配の弱体化を望んでいた。


 また、バルカ家を中心とするバルカ士官学校出身者による軍部要職の独占は他の士官学校出身者の当然の反感を招き、執政官が全権を掌握する軍部においても二つの派閥の熾烈な主導権争いが生じていた。


 バンゼルマンは、ユリウスが身体は同じカリマンタン要塞戦線の司令官室にありながらも、思考の立場が自分とは全く違うことに驚きを覚えていた。


「さすが、バルカを名乗られる方は違う」

 そのつぶやきに向けられる、ユリウスの視線は複雑な色を帯びている。



 第三章 壁を撃ち砕くもの


 一


 漆黒の宇宙空間を、荷粒子ビームの鮮やかな光の剣が切り裂いた。

 危険な粒子の奔流は、艦体を厚く覆うエネルギーシールドの厚い壁に阻まれ、眩い煌めきを残しながら乱れ散り宇宙の深い闇の中に溶け込んでいく。


 鮮やかな曳光弾により描かれた幾重もの防禦砲火の幕を潜り抜けたミサイル弾は、戦艦が重く纏った装甲防盾を紙細工であるかのようにた易く剥ぎ取った。


 エネルギーシールドと装甲の盾を失った戦艦は、腑を引きずるように内部構造を吐き出し、のたうちながら戦列から崩れ落ちる。


 穴の開いた戦列はすぐに後続の戦艦により埋められるが、孤艦となった損傷艦は降り注ぐ砲火を支えきれず大きな火球に包まれ消え去った。 

 

荷粒子ビームとミサイル、カタパルトから射出されたエネルギー弾が彼我の宇宙空間を飛び惑う。


広大な宇宙空間の一点で遭遇した二勢力の艦隊は、二匹の蛇が絡み合うような長い艦隊運動の末にやがて大蛇がより小さな蛇を飲み込む形へと変化を遂げていた。


完壁な球形包囲陣。

大蛇に追いつめられ身を竦めるように丸まった小蛇は、宇宙空間に一つの煌めきが輝く度にその姿を小さく縮めていた。


 二


「このままでは、全滅だな」

 ティロニア連邦軍第七艦隊旗艦イルマタルの司令艦橋で、カイトウはそう低くつぶやいた。

 コンソールをのぞきこむその横顔に、四周のスクリーンに映し出される僚艦の最後の煌めきが映えている。


 艦隊戦の敗北は決定的であった。


 カイトウのこの思いは司令艦橋の全員に共有され、そしてまた同時に、艦隊戦の指揮を執る総旗艦ハイヌヴェレでも十分に認識されているはずであった。


 しかし、この包囲陣を突破する有効な戦術を見いだせないのか、ただ誰もが手をこまねいているだけで、艦隊の損害はいたずらな時の経過と共に増えていくばかり。


 やがて、誰の脳裏にも降伏か全滅かの不幸な二者選択が始められ、その呪縛から逃れられなくなる。

 ベタ金の階級章も、偉そうに右肩から下げられた銀の参謀飾緒も、今は何の役にも立ちはしないのだ。


 カイトウは、司令艦橋後方の司令部要員席から中央の司令官席を眺めた。

 第七艦隊司令官ヤオ中将は兵士からの叩き上げの勇将であり、実戦経験も多く果断実行の人といわれていた。

 この危機的状況において、微塵の動揺もその後姿に見せていないことは戦士として立派なことかもしれないが、ただそれだけのことだ。


 司令官の傍らの参謀長ヤハギ大佐も作戦理論家として名の知られている人だが、今は司令艦橋正面のメインスクリーンに投影されている包囲下の打ち崩された我が艦隊の惨めな陣形を凝視するだけである。


 その回りを取り巻く参謀達にいたっては、ただ慌てふためき艦橋を右往左往するだけのこと。

 防盾へのエネルギー弾の着弾の振動が司令艦橋の足元をも揺るがし、インターカムの中では僚艦の断末魔の叫びが聞こえているというのに・・・。



 ティロニア連邦軍第七艦隊は、第三艦隊とともにシンガ要塞戦線コルドバ星系第五惑星パレルモへと向かっていた。

 指揮は、先任である第三艦隊司令官フェイビー中将。


要塞惑星群により築かれた「壁」には数カ所の間隙宙域があり、ここ八年ほどは彼我の主要戦闘はすべてこの間隙宙域において行われていた。


 シンガ要塞戦線におけるコルドバ星系もその間隙宙域の一つであり、過去多くの戦闘がこの星系周辺宙域で行われ、コルドバ星系は数年ごとにその支配者を変えていた。


 ティロニア連邦歴一五七年七月。

 バルカ同盟軍は、長らくティロニア連邦軍の勢力下にあったコルドバ星系の主要惑星である第五惑星パレルモへの奇襲降下作戦を実行したのだ。


 コルドバ星系駐留守備部隊からの救援要請に応え、急遽逆降下作戦がシンガ要塞戦線司令部により策定され、降下部隊を護送するために駆り集められたのがこの二個艦隊であった。


 コルドバ星系宙域進入後僅か二日、ティロニア連邦軍二個艦隊は、二倍以上の戦力を有する敵艦隊と遭遇したのだった。


 降下師団輸送艦艇を護衛するティロニア連邦軍艦隊の艦隊運動は鈍く、また的確な情勢判断による退却の決断も遅かった。


 バルカ同盟軍による戦術教範どおりの包囲殲滅運動の結果、愚将が率いるティロニア連邦軍艦隊はランチェスター法則の通り徐々にその戦力を削りとられ、やがて圧倒されその包囲下に落ちたのだ。


 今やこの段階では勝利など望むべくもない。


 この包囲陣をどう切り抜け逃げ延びるか。

ただそれだけの明白な状況であるのに、なにを逡巡する必要があるというのか。


 未だ総旗艦ハイヌヴェレからは何の指示もなく、我が艦隊司令官殿は、艦隊の防禦指示を下すのみで敵陣突破の意見具申をするでもない。このままでは、やがて敵陣突破のために必要な最低限の戦力も削り取られてしまうだろう。


「馬鹿ばかりか...」

 艦隊司令部付けの情報分析担当将校であるカイトウには、この壊滅的危機状況にあっても味方艦隊の損害状況の集計しか任務はなく、一人モニターに毒づいていた。


「戦艦バーラム破壊」

「戦艦マウリヤ被弾。戦列から後退します」

「陣形が維持できませんッ」

「損傷艦多数ッ」

「落ち着くのだ!」


 混乱した監視オペレーター員の叫びに、ヤハギ参謀長は苛立ったように声を荒げる。

「球形防御。装甲の厚い戦艦を前衛に配置。損傷艦は退避させろッ。艦隊を分散させるな」

「指揮艦との連絡線が維持できません」

「通信参謀、中継艦を派遣せよ。指揮系統を維持するのだ」

 ヤハギ参謀長は、怒気をその頬に滲ませたまま通信参謀ヨウ少佐を振り返った。


「総旗艦からの命令は?」

「何もありません」

「フェィビー中将は何をしているのだッ!」


彼が幾ら艦橋を踏み締め歯咬みしても、敗色の陰りは拭いようもない。

 混乱と狼狽に満ちた艦橋に、一人醒めたカイトウは半ばあきれて苦笑を漏らしていた。


 捕虜収容所での生活というのはどういうものであろうかと、カイトウは考える。


 あまりいい噂は聞いていなかったが、捕虜取扱協定を定めたティルジットの和約はバルカ同盟においてもそれなりに守られているであろうし、過去捕虜交換が全く行われなかったわけでもなかった。


 少なくとも、名誉の戦死、一階級特進よりはましであろうか。


不愉快な想像を打ち消して、手持ちぶたさに喉の渇きを思い出して艦橋後方に控える従兵を振り返った。

「ミルクティーをくれないか。アイスで、氷を多めに」


 いつのまにか年月は過ぎ、今は下腹の方が若干出てきたのをカイトウは気にしていたが、現在のこの絶望的戦況ではそのようなことを気に病む必要もなかった。


少なくとも、噂に聞く捕虜収容所の生活ではダイエットだけは十分にできそうであった。


 数分後、カイトウの目の前に差し出されたティーカップは震える細い腕に支えられていた。


 コンソールにこぼされないように慌ててカップを取り上げ、その腕の持ち主を見上げたカイトウの目には、怯えきった少年兵の姿が映っていた。


「も、もうしわけありません」

 謝罪の言葉を吐く、その声までもが震え掠れている。

 カイトウは、話すときの癖である目を細めたまま少年兵を見上げ問いかけた。


「どうした?」

「・・・大尉殿は、怖くはないのですか?」

 正直にそう答える少年兵は、カイトウより一〇歳は若いであろう。


 死ぬのは怖いのかと、カイトウはその血の気の失せた顔を見つめながら皮肉に考える。


 もしお前がこの後一〇年の間生き残れるとして、その一〇年が真に生きるに値する年月であるとは限るまい。

 怠惰と苦渋と慚愧に満ちたものかもしれまいに・・・。


 カイトウは、自分のこの一〇年とを重ね合わせて考える。

 しかし、そのような思いは真摯なその眼差しに口にはできなかった。

「心配するな。死ぬときは、みんな一緒だからな」


 カイトウの投げかけた慰めにもならないありきたりの言葉にも、紅顔の少年兵は縋りつくようにうなずいて見せた。


 薄い微笑みでその背を見送ったカイトウは、以前にも今と同じ問いかけを受けたことを思い出していた。


 それは、カイトウが空母アトラスに乗艦していた時のことだった。


 カイトウは空母搭載の戦闘機操縦者(ファイターパイロット)であった。幾度かの出撃を繰り返し、武運に恵まれ五機以上の戦果(スコア)を挙げ撃墜王(エース)の称号を得て、列機を率いる立場となっていた。


 初陣の列機(ウイングマン)と組んだ出撃の時のことであった。


 その時も今と同じように「怖くはないのか」との質問をカイトウに投げかけ、今と同じ曖昧な答えを得た年若い列機(ウイングマン)は、この少年兵と同様にただうなずきを見せただけであった。


 しかし、その思い詰めた瞳は、カイトウに訴えかけているように見えたのだ。


 私を、護ってくれと。


「大丈夫。初めは、誰でも、そうなのさ」

 怯えを見せる年若い列機(ウイングマン)にそう微笑みかけながら、

(護ってやる、誰にもお前を墜とさせはしない)

と、カイトウは固く誓ったのだった。


 その日の空戦は、初心者(ルーキー)には辛い戦いであった。


 優勢な敵編隊の攻撃を受け、空母アトラスの戦闘機隊は困難な防御戦闘を強いられていた。

 カイトウは、激しい戦闘機動に追随できず機位を失い編隊位置を離れた列機(ウイングマン)を二度も探し出した。

 そして、三度目に列機(ウイングマン)を見失ったときのことだ。


 カイトウは空戦場を必死に探し回った。

 機銃のエネルギーは空となり、燃料も底をつき、管制官の帰艦命令も無視してやっと探し出した列機(ウイングマン)は敵戦闘機に尻を食らいつかれ、散々に追い回され泣き声もでない状態であった。


「どうかしているのさ・・・」

 そうつぶやいただけで、カイトウはヘッドセットの中で喚き続ける管制官の制止命令を無視してフルスロットルで流星のように敵戦闘機の背後から体当たりをしていた。


 三日前に初めて出会った列機(ウイングマン)を救うために・・・。


 体当たり攻撃は、僅かな衝撃でしかなかった。


 操縦の自由を失い急旋回に陥った機体の操縦席の中に閉

じこめられたまま、薄れいく意識の中で砕かれた右翼が漆黒の宇宙空間に矢のように駆け込んでいったのをカイトウは覚えている。


 体当たりを受けた敵戦闘機は破壊され、危機を脱した列機(ウイングマン)は無事母艦アトラスに帰還した。


 推力旋回(パワースピン)に陥り宇宙空間を漂っていたカイトウも、数時間の後救難艇に救出された。


 結果として、カイトウは約束を守り、部下は救われた。 


 しかしこの飛行の後、カイトウは戦闘飛行隊総監部で行われた査問会において飛行規範違反、管制無視、機体喪失の責を問われ、危険操縦者(デンジャラスパイロット)と判断され操縦資格を失ったのだ。


 それでもカイトウは、列機(ウイングマン)を失わなかった自分の行為に悔いを抱いてはいなかった。

 その体当たり攻撃の衝撃は、今もカイトウの手の中に残り確かな記憶の一部となっている。


 そして今、その不思議に心地よい感覚の記憶を取り戻していた。


「できることは、するか」

 いつの間にか自分の手のひらを見つめていたカイトウは、目を上げてモニターを覗き込む。

 

 カイトウに、このパズルの答えはわかっていた。

 この包囲陣から逃れるためには全艦隊の砲火を統制し、全火力を一点に集中し敵艦隊の包囲運動を撃ち破る。

 そして、その間隙宙域に重装甲戦艦を突入させ敵陣背後への突破機動を行うことだ。


 そのために必要なものは、統一指揮によるある程度まとまった戦力の行動と艦隊の損害を厭わない堅固な指揮官の意志だけである。

 急がねば、そのために必要な最低限の戦力と指揮統制能力も失われるであろう。


攻勢点はどこでも良いのだ。

混沌とした戦場の霧の中で全てを見渡している者などいはしない。確固たる意志による行動が勝利への導きとなる。


ただ、攻勢点選定の合理的理由がないということだけなのか。


 第三艦隊司令部は敗北の衝撃に混乱し、我が艦隊司令部は独断攻勢による孤立とその後の抗命の指弾を恐れている。


 カイトウはコンソールを操作し、モニター上にその答えを映し出す。

 球形包囲陣を構成する敵艦隊の砲撃状況を、その艦隊運動に会わせモニタリングしたのだ。

 包囲陣の敵艦隊が、すべて戦闘艦艇で構成されているわけではない。包囲陣を構成する敵艦隊の中にも輸送艦等の非戦闘艦が含まれているはずだ。計算されモニターディスプレイの中に弾き出された火力の薄いその宙域が、敵包囲陣の脆弱部である。

 カイトウは、その地点を確認した。


 カイトウは艦内通信のインターカム回線をオープンにし、司令艦橋に響き渡るようにわざと大きな声を張り上げた。


「六番オペレーター、艦隊軸一〇時方向仰角六〇度の敵艦隊詳細について報告せよ。この宙域からの砲撃が薄いのはなぜか?」


 そしてその答えを待たず、ゆっくりと首を回して艦橋中央の司令官席を見やる。


 ためらわず、振り返ったヤオ司令官の鋭い視線を受けた。


「敵損傷艦の退避位置と判断されます」

 気の毒に、いきなり怒鳴りあげられた監視オペレーター員の声は緊張で震えていた。


「・・・了解」

 一呼吸おいてそう短く答え、司令官と参謀長の視線を頬に感じながらゆっくりと視線をコンソール上に落とした。


 できることはしたさ。後は、司令官の決断次第。これで分からねば、言葉を尽くし説明しても分かりはしまい。


 参謀長がなにごとかを司令官に耳打ちし、司令官が小さくそれにうなずくのをカイトウは視界の片隅で盗み見た。


「艦隊全艦に指令。陣形を変更する。紡錘隊形。非戦闘艦を、艦隊後部中央に。輸送艦隊司令部にも同様通知。敵包囲陣の一点突破を図る。砲術参謀、全砲火を統制集中せよ。地点、艦隊軸一〇時方向仰角六〇度。総旗艦に連絡。我、突出す!」


 ヤハギ参謀長は、次々と命令を下す。

 ヤオ司令官は、前方を見据えたまま身じろごうともしない。


 カイトウはその光景を視界の片隅に捉えたまま、次々と繰り出される指示にいちいち同意するようにうなずきそうになるのをこらえていた。


 これ以上出しゃばるのは、プラスではない。

 いつのまにか長い軍隊生活の中で身に付いた官僚精神が、そうカイトウに囁いていた。


 カイトウは表情を押し殺して、本来の任務である戦闘情報の収集という退屈な任務を行っていた。


「全砲火、放て!」

「突撃せよッ」


 それは短いショーでしかなく、包囲陣の突破は簡単に成功した。


ヤオ司令官とヤハギ参謀長の的確な艦隊指揮によるミサイル弾と荷粒子ビーム砲の集中砲撃。

その爆発光への重装甲戦艦の突撃により包囲陣脆弱部に突破口は切り開かれ、引き続く艦隊主力の突入により敵艦隊の包囲運動はた易く破られた。


球形包囲運動を第七艦隊の突出機動により打ち破られた敵艦隊は、脆弱な艦隊後背部を我が艦隊の砲火から護るために距離をとり、艦隊運動を再編せざるを得なかった。        

その隙を衝き、第七艦隊は第三艦隊とともに残存輸送艦隊を護衛し戦闘宙域を離脱したのであった。


 総旗艦ハイヌヴェレからの通信回線が回復し、全艦隊の指揮統制が完全に復活することができたのは、コルドバ星系宙域を完全に離脱し終えてからのことであった。


 包囲陣突破に沸く司令艦橋で、カイトウは誰からも声かけられることなく、皮肉な笑みを浮かべていた。


 自分の担当任務外のことであり、艦隊首脳部からの賞賛の言葉を期待していたわけではなかったが、全くの無反応というのも心楽しいことではなかった。


「そういうことさ・・・」

 カイトウは、少し寂しげにそうつぶやくだけであった。


 艦隊は戦場を離脱し、戦闘体制は解除された。

 カイトウはちらりと司令官席を見やっただけで司令艦橋を離れ情報分析将校の本来の配置である作戦室の自分のデスクに戻り、情報参謀に提出する第六次パレルモ戦と名付けられた今回の戦闘の戦果及び損失状況の集計を行った。


 戦闘日時 ティロニア連邦歴一五七年七月二五日

 戦闘宙域 コルドバ星系第五惑星パレルモ周辺宙域

戦闘参加兵力   二個戦闘艦隊 一〇〇隻

          一個輸送艦隊 三七隻

 遭遇敵戦力    五個艦隊 約二五〇隻

 戦果   撃沈確認七隻 撃破約一五隻(推定) 

 損失   完全破壊五隻 破壊遺棄一八隻 損傷二六隻 


この戦いの結果、救援の望みを絶たれたティロニア連邦軍守備部隊は降伏し、惑星パレルモはバルカ同盟軍の手に陥ちた。


 ティロニア連邦軍にとり今回の作戦は、パレルモ救援という戦略目的を達せず、また艦隊戦による戦術的勝利も得ることはできなかった。

 倍以上の戦力を有する敵艦隊への冒険的見敵必戦主義の実行に奇跡は起こらなかったのだ。


 この戦いの後、ティロニア連邦軍総司令部、はコルドバ星系の一時放棄を決定した。

 この戦闘の結果は、「壁」の間隙地点である一つの星系の支配者が変わっただけのことであり、ティロニア連邦軍とバルカ同盟軍の基本戦略には何の影響も及ぼさないものであった。

 ただ、両軍併せて二千近くの将兵が宇宙の露と消えただけのこと。


 今も要塞戦線は天空に健在で、宇宙空間を二分する「壁」として聳え立っていた。


 三


 ティロニア連邦とバルカ同盟との間に設けられた通称「壁」は、五つの要塞戦線により構築されている。


 その一つ、シンガ要塞戦線は、ティロニア連邦とバルカ同盟とを結ぶ主要航路であったシンガ航路を塞ぐ形で設けられ、ティロニア連邦軍要塞戦線は、惑星シンガを中心とした三つの要塞惑星により成っていた。


 シンガ要塞に帰還した第七艦隊には、損失艦艇の補充が行われ、引き続きシンガ要塞への駐留が命じられた。

 第六次パレルモ戦において多くの艦艇を失った第三艦隊は、第二一艦隊と交代となり首都星アストラへの帰還命令を受けていた。


 第七艦隊司令部情報課の情報分析将校として任務を続けていたカイトウが、司令官ヤオ中将からの呼び出しを受けたのはシンガ要塞帰還後二週間の後のことであった。


 広くはあるが大型の司令官用デスクと応接用のソファがあるだけの簡素な司令官室で、デスクに腰掛けたヤオ司令官のかたわらにたたずむヤハギ参謀長からカイトウが受けた新たな命令は簡単なものであったが意外なものだった。


「このたび、艦隊司令部の組織の一部改編を行うこととした。情報分析斑を新たに設置し、統合的情報の収集と分析検討を担当させる予定である。ついては、貴官に新設する情報分析斑を委ねる。要員は貴官以下四名を予定しているので、貴官の判断により司令部要員の中から選任すること。情報分析班は情報課に属し情報参謀のチョン中佐の指示を受けることになるが、随時私の直接指示も受けることとする。詳細は、司令部任務分掌表により別途指示する」


司令官デスクの前で、不審気に小首を傾けるカイトウにヤハギ大佐は言葉を続けた。


「第三艦隊の本国帰還により、今後シンガ要塞戦線では我が艦隊が先任艦隊となり、ヤオ司令官が駐留艦隊の司令官の内命を受けられた。今回の措置は、これに対応するものだ」


 要塞駐留艦隊の総司令部として、情報部門を強化することは理解できる話であった。

 しかし、情報課の中にわざわざ情報分析斑をつくる必要があるのだろうか。

 屋上屋を重ねるとは、このことではないか。

 そのうえ、司令部全体を束ねる参謀長と情報部門の責任者である情報参謀、両者の指示を受けるとは・・・。


 カイトウは不審を抱いたが、軍人として下された命令に口を挟むことはしなかった。

「班員の選任を行い、明後日までに報告するように」

「承知いたしました」


 機敏とはほど遠い動作で敬礼し司令官室から退出するカイトウの後ろ姿を見送ったヤハギ大佐は、傍らのヤオ司令官を振り返った。

「役に立ちますでしょうか?」

「わからんね」


 その短く素気ない返答に微笑み、六〇歳に近い小柄な司令官の固い意志を示す力強い顎の線を見ながら、ヤハギ大佐はカイトウの個人履歴記録を読み上げた。


「ティロニア連邦歴一四八年、ナムサ士官学校予備士官教程卒業。

 席次四五〇人中二七四番。参謀教程評価C。情報分析評価B。砲術教程評価C。戦闘機操縦教程評価B。陸戦教程評価D。総合評価C。第三三訓練飛行隊一年。戦闘機専修。最終評価B+。

 カリマンタン要塞戦線要塞惑星サヴァ分遣第三二三戦闘機隊勤務二年。空母アトラス戦闘機隊勤務一一カ月。フレイア要塞戦線要塞惑星ミネルヴァ補給管理部二年。管理部軍務局二年。軍令部情報局二年。

 大尉任官三年四カ月。艦隊戦経験八回。戦闘機による出撃回数二一回。交戦回数一四回。撃墜戦果単独一七機。共同撃墜二七機以上。

 短期間で撃墜王(エース)の資格を有しています。撃墜機のうち一機は体当たりによるもので、その件で飛行資格を剥奪されています。

 上司評価では、優秀、明晰、公平、真面目であるが、独善、不平屋、協調性欠如、不服従、怠惰、危険行為常習者と・・・。まあ、相反する評価が並びよく分かりませんが、才能はあるものの扱いにくい人間のようです」


「しかし、この前の戦闘では彼に救われた・・・」

「そうです。あの混乱した戦局の中で、冷静に戦況を見つめ分析できていたのは彼だけです。その才と能を確かめてみる必要はあるでしょう。使える可能性のある人材は、使ってみなければ」


「そうだな」

「それと、特記事項があります。」

「何だね?」


「婚約者を病気で亡くしております。それで一時自殺願望の疑いももたれているようです。五年近くも前の話ですが、刹那的傾向は今もあまり変わらないようです・・・」

「そうか・・・」


「役に立ちますかね」

「分からんな」

 デスクに腰掛けたままのヤオ司令官は、そう簡単に答え、寡黙な彼にしては珍しく頬をゆがめて笑って見せた。


 四


 ティロニア連邦歴一五七年九月。

 第三艦隊司令官フェイル・ヤオ中将はシンガ要塞戦線駐留艦隊総司令官兼務となった。

 そしてカイトウは、第七艦隊司令部情報課情報分析班長の命を受けた。


 気にとめる人の少ない下級将校の些細な人事でしかなかったが、後の戦局と宇宙の歴史に与えたその影響の大きさは、誰をもの想像の域を超えるものであった。



 情報分析班室は、第七艦隊旗艦イルマタルの艦体中央部、作戦室情報課の一画を区切って設置された。

 細長い室内に、情報端末装置設置のデスクが四台。中央に作戦地図投影用の大型ディスプレイ。応接用のソファが片隅に一組。


 班員の選任はカイトウの独断と趣味で司令部要員の中から自由に選ぶことができたので簡単であった。


 士官学校を優秀な成績で卒業した、レイ・カトウ中尉。

 大柄な美人であるが、どこか間の抜けているのんびりとした雰囲気をもっている。たおやかな顎の線と健康そうな白くて大きな歯が印象的であった。


 笑ったときのその心底嬉しそうな笑顔がカイトウはたまらなく好きで、疲れ気分が沈んだ時には視界の中にその姿を捉えているだけ元気づけられそうに思えた。


 高級官僚養成大学を好成績で卒業したにも関わらず、不景気による就職難のために士官学校の予備士官教程に入り直し軍人となったカイル・ドイ少尉。


 その頭脳の明晰さは、司令部内において広く知られていた。カトウ中尉より年上であるが、回り道をしているために階級は下となっている。それでもカイトウよりは五歳も年下である。


 近頃は肥満の兆候が顕著で二枚目の看板に多少の傷が付き始めているが、本人は、肥満は艦隊勤務のストレスが原因であると抗弁している。


 そして、アキコ・イデ二等兵曹。

 幹部候補生学校を卒業したばかりであり、まだ二〇歳にもなってはいない。少しきつめのまっすぐな眉に長い髪を結び上げ、その大きな瞳には憂いの色が似合う。


 その事務処理能力は未知数であったが、カイトウは美しい女性を眺めていることは好きであった。


「そういうことなので、よろしく」

 情報分析班の室内に班員を並べ、辞令を交付したカイトウの挨拶はあっけないほど簡単なものであった。



 狭い情報分析班の一番奥の班長席のデスクに深く腰掛け、カイトウは、頭の後ろで両腕を組み班員に第六次パレルモ戦の艦隊戦胸章を配るイデ二曹をぼんやりと眺めていた。


 灰色の軍服を飾る艦隊戦胸章は飾りだけではなく、艦隊戦経験を重ねるごとに昇級年次の短縮や退官時の年金計算加算がなされる。


 カトウ中尉が本当に嬉しそうに微笑みながら、その豊満な胸を包む軍服の胸章に艦隊戦胸章を加えている。

 胸章はその色と形の組み合わせにより、それぞれの所属と階級、戦闘経験を表すよう定められていた。


「大尉は、なぜ撃墜記章(エースシンボル)をつけられないのですか?」

 カトウ中尉の突然の発言に、他の班員がカイトウに好奇の目を向けた。


 艦隊乗組員にとり戦闘機搭乗配置は一度は憧れる花形の勤務であり、ましてや撃墜機数五機以上の戦果を有した撃墜王(エース)は別格の存在であった。


「大尉は、撃墜王(エース)の資格をもたれているのでしょう?」

「本当ですかッ。それはすごい。何機撃墜ですか?」

「単独一七機、共同撃墜多数よ。戦傷もされているわ」

「知らなかったなぁ」


 ドイ少尉の質問に、カイトウより先に答えたのはカトウ中尉であった。

「一七機撃墜なら、この艦隊でもトップスコアですよ。胸章をつけてくださればいいのに。制空参謀のノボトニー中佐よりも撃墜機数が多いじゃないですか」


 カイトウは、少し恥ずかしそうな笑みをつくる。

「まあ、撃墜機数で参謀任務ができるわけではないからね。それに、私は出撃経験が少ないから・・・」


 何が楽しくてことさら自慢するように個人の戦歴をぶら下げて歩けるのかと、カイトウは言葉を濁した。

 カイトウは自分の軍服には階級と所属を表す最低限の胸章しかつけていなかった。


「それより配置についてだけれども、航海配置は一直体制とするから。当面緊急の任務はないのだけれど、カトウ中尉は敵情報の収集分析、ドイ少尉は味方戦力の分析を主に行ってもらう。イデ二曹は、班全体の総務処理と二人の任務の補助をしてもらうことにする。詳細は、任務分掌表を作成して配布するのでそれでお願いするから」


 そう言ってカイトウは班員との気楽な雑談を打ち切り、デスクの整理とコンソールの環境整備を始めた。


 六


 新たに設置された情報分析班に参謀長のヤハギ大佐から指示された任務は、戦略概況の分析であった。


 分析内容の具体的指示はなく、またその目的も不明であったが、カイトウには雑務的な事務処理と情報概況の通読しか当面の任務はなかったので、現在の戦況を歴史の一部として省みて分析し再検討を行うことにした。


 宇宙。

 その広大なるフロンティアに、人類がその歩みを進めて数世紀が経っていた。


 太陽系第三惑星、地球という一つの惑星に生まれ育まれた人類は、その有限なる惑星上に生存を目的とするひたすらの活動の末、溢れることとなっていた。


 人類は自らの生存活動の結果としての種の爆発を抑えることができず、地球という一つの惑星の限られた資源の醜い分捕り競争にそのエネルギーの全てを費やす年月が続いていた。


 人類は、人種、地域、民族、宗教、思想主義等ありとあらゆる自己を取り巻く環境の中で集団を形成し、個人的には僅かでも有利な集団への帰属を求め、集団的には他の集団を省みず自らの帰属する集団のみへのその限られパイの分け前を大きくするための苛烈で醜悪な闘争を繰り返していた。


 志は失せ、品位は損なわれ、あきらめと嘆き、欲望と衝動だけがその星には満ちていた。


 そして、人類が各個人と集団の利己主義の戦いに倦み、その怨嗟に満ちた世界が崩壊の岐路に立たされた時に、人類という種は一人の救世主を得たのだった。


 ルイス・アストラ。

 一地方自治区の政治指導者であった彼は、醜い有限のパイの分配競争に疲れた人類に、一つの甘い夢を囁いた。


 それは彼でなくても誰もが密かに心の奥底で意識し感じていたことではあったが、その誰もが不可能であると諦め口にすることさえしなかったことであった。


 彼もまた、そのことが近未来に現実のものになると確信があったわけではなかった。


 ただ彼には、この人類の危機を救うためには理想と理念が必要であり、その理想と理念には当面の現実性は必要であるとは思わなかったのだ。


 アストラが示した理想と理念とは、人類に宇宙空間という空間的物質的フロンティアを与えることにより、精神的拠り所となるニューフロンティアを創りだすことであった。


 有限世界である地球上に存在した一〇〇億の全人類に、平等で満足な物質世界と空間世界、豊かな自然環境など与えることは誰にもできはしない。

 ましてや、何の理念を持って増え続ける人口とその果てしない欲望の抑制ができるというのか。


 彼は人類に夢幻とも思える理想世界を提供することにより醜く虚しい争いをやめさせ、人類の英知と技術文明の粋を結集することにより、宇宙という無限ともいえる空間世界にその目を向けさせたのだ。


 そして、その理念の名をもって人類に協調と共生、そして忍耐と服従を強いたのだ。


 ルイス・アストラの確固とした信念に基づく指導のもとに、地球衛星軌道上への植民宇宙ステーションの設置、月や火星、金星の開発によりその人口が一五〇億を越えたとき、人類は本格的宇宙開拓のための技術文明を所有することができた。


 重力制御システム及び恒星間航行エンジンの開発。元素循環システムによる限られた空間での生命維持技術の確立により、人類はその生まれ育った星、太陽系第三惑星地球から銀河の海に次々と開拓の船出を行った。


 人類は、銀河宇宙全体へと生存圏を拡大したのだ。


 ルイス・アストラ亡き後もその遺志は引き継がれ、理想と希望に満ちた人類は、困難なる宇宙開拓に敢然に立ち向かった。


 宇宙開拓の成功により拡大する人類世界から地球は取り残され、各植民惑星は次々と平等なる自治を確立していった。


 西暦三〇八年、新たにその亡き指導者の名を取った首都星アストラを中心とするティロニア連邦が成立し、新たに人類の暦はティロニア連邦歴と改められた。


 しかし、人類の栄光の時は長くは続かなかった。

 拡大を続ける人類の生存圏に対し効率的経済管理体制と実効的官僚体制の整備が追いつかず、首都星周辺宙域と辺境諸星系の間に大きな政治的経済的格差が生まれていた。


 通信技術の未発達も重なり、ティロニア連邦の集権体制はささやかな意思疎通の齟齬から辺境と呼ばれる宙域からの独立問題を抱えることとなっていた。


 ティロニア連邦政府からすれば公平なる資源分配も、宇宙の彼方なる辺境で苛酷な惑星開拓に従事する宇宙移民からは無慈悲なる搾取としか映らなかったのだ。


 辺境諸星系の宇宙移民の不満はティロニア連邦政府への忠誠心を揺るがし、やがて彼らの中の一部の過激分子は暴力という実力行使により富と資源の再分配を行うようになっていた。


 急速なる宇宙開拓の拡大の中で落とし子的に発生した陰の暴力集団である彼ら宇宙海賊は、その犯罪行為の結果としてティロニア連邦政府の暴力組織、ティロニア連邦軍を成立させていた。


 官僚組織としてのティロニア連邦軍は、組織の維持拡大のために、その存在意義であるティロニア連邦政府及びティロニア連邦市民の「敵」を創造し続けた。


 その「敵」とは、初期には宇宙海賊の残虐非道行為であり、宇宙海賊のほぼ完全掃討の後は辺境諸星系の完全独立を目的とした過激派組織のテロ行為であった。


 ティロニア連邦軍の存在意義誇示のための過剰演出ともいえる過激派への苛烈なる弾圧は、辺境諸星系のティロニア連邦に対する憎しみと恨みを増幅し、独立支持勢力の拡大と一部過激派のティロニア連邦市民に対する更なる深刻なテロを誘発し、再び人類間には憎しみの種が蒔かれたのだった。


 ティロニア連邦と辺境諸国の憎しみの応酬は、辺境諸国のティロニア連邦からの離脱と、独立急先鋒であった惑星バルカを首都星とするバルカ同盟の結成、宣戦布告無き独立戦争へと移行した。


 幾たびか和平交渉の場が持たれたが、バルカ同盟とティロニア連邦双方がお互いに敵対陣営の切り崩し工作を続けたためにその実を結ぶことはなかった。


 ティロニア連邦とバルカ同盟の勢力圏の境界宙域では艦隊戦による戦闘と各星系での焦土作戦の応酬により荒廃無人化し、やがてその境界宙域沿いの星系に延々と防衛要塞が築かれ「壁」と呼ばれる目に見えない境界が銀河宇宙には築かれていた。


 銀河に築かれた「壁」は、その完成後に二つの歴史的意味を持つことが明らかとなっていた。


 一つは、「壁」の存在により二つの勢力圏が完全に分断され固定されたことである。


 このことは、バルカ同盟においてはその戦争目的であるティロニア連邦からの完全独立が達成されたことを意味し、またティロニア連邦においては連邦を構成する「壁」の内側の諸星系の独立運動の抑制成功を意味していた。


 もう一つの意味は、要塞惑星上に建設された高エネルギー荷粒子ビーム砲と「ラヴェラン」と呼ばれる衛星軌道堡塁の運用による要塞惑星防衛戦術の完成により、艦隊による要塞惑星本体の攻略及び「壁」の向こう側の敵勢力圏内への侵攻作戦の実施が困難となったということであった。  


 このことは、宇宙空間に難攻不落、鉄壁の国境線が出現したことを意味した。


 その結果、両陣営において敵対する陣営からの侵攻を恐れる必要が薄れ、戦争状態の解消を目指すべき政治家の和平への努力を怠らせることとなり、限定的な戦争状態が長く続く原因となっていた。

 

 やがて両陣営においては交戦状態にありながらも戦争が日常のものとなり、市民の戦争に対する危機感は薄れ、戦争そのものが社会機構の中に組み込まれ経済活動の一部となっていた。


 軍も軍需産業も戦争の継続を暗に求め続け、「壁」をめぐる局地的でありかつ限定的な戦争状態が長く続いていた。

 その過程において、着実に社会機構の中で軍及び軍需産業は自己増殖を繰り返し、社会システムに占める割合は増大のみを続けていた。


 結果は、心有る者には明らかであった。


 ティロニア連邦においてもバルカ同盟においても、気づいたときには軍及び軍需産業の政治に対する発言力は無視できない状態となっており、空しき戦いを憂う政治家の和平への努力を打ち砕き続けていた。



カイトウは、ここまでコンソールに人類の歴史を打ち込んで手を止めた。

 カイトウには未来の具体的可能性がいくつか見えていた。


 現在の段階で政治家が軍を押さえて和平を実現させない限り、軍及び軍需産業は果てしなき膨張を続けるだろう。


 そして、社会経済機構が強大なる軍及び軍需産業を支えきれなくなり市民生活に重大な支障が生じ始めたときどうなるのであろうか。


 誰が軍及び軍需産業の増殖の渇望を抑えられるというのか。

 軍は、クーデターによる軍権国家を設立し、多大なる市民生活の犠牲の上により強大な軍を組織し「壁」を打ち破ろうとするのではないか。

 それ以外に、この果てしなき欲望の完結は望めまい。


 破綻への暗い思いに沈む心に、カイトウは肩の力を抜きため息をついた。


「そのようなことまで、俺が思い悩むことではないさ」

カイトウは、そうつぶやいて続ける。


 今、銀河宇宙は「壁」により二分されている。アレウト要塞戦線、シンガ要塞戦線、カリマンタン要塞戦線、フレイア要塞戦線、そしてソロモン要塞戦線。


 これら五つの要塞戦線により築かれた「壁」に我がティロニア連邦軍は二〇個艦隊を配備し、また一〇個艦隊の予備艦隊を擁している。


 バルカ同盟軍も、ほぼ同数の宇宙艦隊兵力を有しているものとみられている。

 各情報機関の分析によれば、彼我の経済格差は六対四とティロニア連邦が優勢であるが、バルカ同盟を構成する辺境諸国においてはフロンティアの尚武の気風が色濃く残り、またバルカ家を中心とする独裁的指導体制による軍事遂行能力は侮りがたいものであった。

 

 総合的戦争遂行能力として、彼我の戦力は伯仲しているか、またはそれに近い状態であるものと判断されている。


 以上の分析結果から、ティロニア連邦軍における現在の戦略として、現在我が軍が要塞惑星を連ねた「壁」を打ち破りバルカ同盟軍の全艦隊を殲滅しその首都星を攻略する軍事的能力がない以上、みだらに攻勢に出ることなく、要塞惑星をその本来目的である防禦戦闘に効果的に活用し、必要最小限の兵力を持って現状の戦線を維持すべきである。


 当シンガ要塞戦線においては、先日の第六次パレルモ戦において惑星攻防戦及びそれに付随した艦隊戦において敗北を喫し、「壁」の間隙部であるコルドバ星系をバルカ同盟の手中に委ねることとなったが、コルドバ星系はシンガ要塞戦線における我が要塞惑星シンガと敵要塞惑星インディラとの中間間隙地帯に過ぎず、敵艦隊にとりコルドバ星系の戦略的意義はティロニア連邦軍シンガ要塞惑星に対する攻勢の単なる足ががり地点を得たに過ぎない。


 シンガ要塞の本領は敵攻勢を受けとめるにあり、ティロニア連邦市民の税金により構築された惑星要塞はそのために宇宙空間に存在している。


 以上のことから、現在の戦況において早急なコルドバ星系奪還作戦等の悪戯な攻勢活動は必要ではなく、シンガ要塞による防御堅守態勢を確立すべきものであると判断できる。


 結論としていえば、何もする必要はないということであった。

 軍人の常套的思考判断として、消極的防御策は忌み嫌われる結論ではあったが、カイトウとしては当然の結論でもあった。


カイトウは、歴史的経過を省いた現状認識と要塞防御体制の確立についてのレポートを取りまとめし、連邦歴一五七年九月現在の戦略概況及び基本戦略案として参謀長ヤハギ大佐に提出していた。

 


 七


 カイトウの提出した戦略概況報告及び基本戦略案に対する採点は、皮肉で辛辣なものであった。


 第七艦隊作戦部情報課情報分析班長に就任して一ヶ月後、再び司令官室に呼び出されたカイトウは、新たな作戦の指示を受けていた。


「情報分析班には、新たな任務をお願いしたい。この度シンガ要塞駐留艦隊は、コルドバ星系奪還作戦の実行を命令された。参加兵力は、第七、第九、第一五、第二一の四個艦隊。降下兵力は、二個装甲降下師団。総指揮は、ヤオ中将が執られる」


 そう一息に口にして、ヤハギ参謀長は言葉を切った


「ほう」

 思わずそう口にしてしまったカイトウは、自分の唇をゆがめたまま司令官デスクの前に立ちつくしていた。


「不満か?」

 そう聞かれ、「はい」と答えそうになり目を覗き込まれ首を振った。


「いえ」

 不満であったわけではない。これまでのコルドバ星系争奪戦の経過を見れば、当然の結果でもあった。


 しかし、カイトウの胸中には虚しさがわだかまるのはとめようもなかった。


再びコルドバ星系を攻略して、何の戦略的意味があるというのか。仮にコルドバ星系攻略が成功したならば、同盟軍要塞インディラへの攻略戦を行うつもりであるのか。

 艦隊による要塞惑星の攻略は無謀でしかないとして、過去八年間、要塞惑星攻略戦は全く行われていないではないか。


 それとも、コルドバ星系を失ったまま退官することになれば、軍令部総長と宇宙艦隊司令長官の経歴に傷がつくとでもいうのだろうか。


「しかし、前回の作戦では敵五個艦隊の迎撃を受けたはずですが?」

「そう、だから現場で工夫をしろというのだろうな」


 カイトウの問いかけに対するヤハギ参謀長の答えは明快であったが、同時にその真意は計り難いものであった。

 

 ため息と共に、カイトウは投げやりな言葉を吐いた。

「工夫と言うのは簡単ですが、実際に工夫し実行することは難しいものです」


 工夫にも限界はあろう。

 創意工夫。言うのは簡単だ。しかし新たな工夫を生み出すためには、能力と時間が必要であり、その実行のためには兵力と物資が必要なのである。


「そのとおりだ。しかし、命令は下されたのだ」

 謹厳な表情を崩さないヤハギ参謀長の顔を見つめながら、カイトウは自分に何を望むのだろうかと訝しむ。


「私に、なにをしろと?」

「本作戦案を想定し、当該作戦実行にかかる情報分析とその実行に対する結果を報告書にまとめてもらいたい」


 それでは、まるで作戦そのものを立案しろと言っているのと同じではないか。

「その結果が戦術にわたることになり、作戦参謀の職分を侵す可能性があるのですが、それでもかまわないのですか?」


 カイトウは不満を口にした。

 カイトウは一介の大尉の階級を有した情報将校にすぎず、艦隊作戦の立案の重責を委ねられた作戦参謀ではない。


「かまわない」

 それまで沈黙を保っていたヤオ司令官が、初めて口を開いた。


「先に君から提出された戦略意見に異論を唱えるわけではないが、我々は命令を受ける立場にある。そしてこの命令は、例え我々が拒否しても誰か他の者に与えられ行われるであろう。私は、本作戦の遂行が最小の犠牲により最高の結果が得られることを望んでいる。艦隊全将兵には、この作戦が成功するためにできうる限りの能力を発揮してもらうつもりだ。そしてもちろん、その中には君も含まれる」


 ヤオ司令官の鋭い視線に射すくめられながら、その傍らの参謀長が力強く同意のうなずきを示すのをカイトウは見た。

「分かりました。それでは、私案を作成し近日中に参謀長に提出します」


 そう畏まり敬礼し、退出しながらカイトウは 、

「世の中、いつもうまくいかないものなのさ」

と肩をすぼめ、不愛想な視線を投げかける司令官室の衛兵に口の中でそうつぶやきかけていた。



「怒られてる」

 司令官室から情報分析班室に帰ってきたカイトウを見て、カトウ中尉はそう感じていた。


 何も言わず軍帽をソファに投げ出したカイトウは、細長い室内の一番奥の班長デスクの椅子に深く腰をかけ、両手を首の後ろに組み目を閉じている。


 イデ二曹がミルクティーのカップを目の前に差し出しても、薄く目を開いて口ごもるように礼を言っただけであった。

 隣のデスクのドイ少尉が、不愉快げなカイトウの態度に緊張した面もちのイデ二曹に小さくウインクして微笑みかけている。


 ケイン・カイトウ大尉は中肉中背。その容姿に、特に特徴はなかった。黒い髪を額に垂らし、三〇歳はとうに過ぎているはずであるが、どう見ても二〇台半ばの年齢にしか見えなかった。


 カイトウは自分が年相応に見えないことについて、いつも苦笑しながら「苦労が足りないからさ」と自嘲気味に口にしていた。


 カトウ中尉はカイトウのことをハンサムだと思っていたが、そう思う女性は少数派であるらしかった。

 あまり目立つのが好きではないらしく、司令部内では影の薄い存在ではあったが、気難しく不平屋であり辛辣な皮肉屋であるという評価だけは確立していた。


 情報分析班の設立により上司である情報参謀のチョン中佐からはあからさまな白眼視を受けていたが、カイトウは我関せずと素知らぬ顔でいた。


 ドイ少尉の分析によると、カイトウは上司からの冷遇と無視には慣れており、せいぜいかえって反抗心をあおられるぐらいであろうとのことであったが、近頃はそれすらも煩わしいという風情であった。


 カイトウは勤務中は口数も少なく、いつも何か思慮に浸っていた。

 そしてカトウ中尉は、その物思いに沈んだカイトウの横顔が好きにな自分に気づいていた。誰が、カイトウをケインと呼ぶのだろうと気になっていた。


 しばらくの間、目を閉じたまま椅子を左右に小さく回していたカイトウはやがてゆっくりと目を開いた。そして、何かを決めた強さをそのまなざしに見せて言葉を発した。


「カトウ中尉、シンガ要塞戦線におけるバルカ同盟軍の各要塞戦闘能力と駐留艦隊詳細について調査し報告してくれないか。ドイ少尉は、コルドバ星系の詳細についてだ。星系構成惑星と、恒星の状況についても調べてくれ。小惑星帯の情報も欲しいな。イデ二曹はシンガ星系の駐留艦隊兵力と装甲降下師団の戦闘能力詳細を頼む。できるだけ、早くに、だ」


 カイトウが部下に指示を下すときは、いつも的確であり明確であった。

 そして待つことは嫌いらしく、いつも速やかな報告を求めるのだった。


「新たな作戦ですか?」

 ドイ少尉の質問に、カイトウは少しの笑みを見せる。

「お偉方は、飽きもせずコルドバが欲しいらしい」


「では、コルドバ星系は再び支配者が変わるわけですね」

「たぶん、な」

 カイトウは、悪戯気に目を細めて微笑み、そう答えていた。



 なぜ、コルドバ星系が幾度となく戦場となるのか。


 現在、銀河宇宙は要塞惑星を連ねた「壁」によりティロニア連邦領とバルカ同盟領とに二分されている。


 「壁」は、幾つものブラックホールと宇宙潮流の存在により狭隘な航行可能宙域しか有しないアレウト要塞戦線、ティロニア連邦の首都星アストラとバルカ同盟の首都星バルカとを結ぶ最短主要航路上に開設されたシンガ要塞戦線、バルカ同盟側宙域に多数の居住可能惑星を有するカリマンタン要塞戦線、ティロニア連邦側宙域に豊富な鉱山惑星が点在するフレイア要塞戦線、そして未開発の辺境宙域が多いソロモン要塞戦線の五つの要塞戦戦により構築されている。


 バルカ同盟の独立戦争の過程において、ティロニア連邦領宙域との主要最短航行路であったシンガ航路は攻防戦の中心舞台となり多くの主要戦闘がこの航路上において行われていた。


 ティロニア連邦軍要塞惑星シンガ、バルカ同盟軍要塞惑星インディラがシンガ航路中心部に構築されてからは、両要塞惑星の中間宙域にあるコルドバ星系をめぐり数多くの戦闘が行われ、多数の戦闘艦艇がこの宙域で失われていた。


 そしてまた再び、この星系をめぐる戦闘が行われようとしていた。


 なぜ、コルドバ星系が必要なのか。コルドバ星系を征服したものは、対立する敵要塞惑星への攻勢拠点を得ることができる。


 過去、誰もがそう考えていた。


 しかし、本当にそうなのであろうか。

 過去八年間、コルドバ星系を制したどの陣営も敵要塞惑星本体への直接攻撃を行ってはいない。


 なぜなのか?。


 ラヴェランと呼ばれる重装甲の衛星防衛堡塁に守られた要塞惑星には巨大な出力を有する高エネルギー荷粒子要塞主砲が設置され、その宙域への進入をはかるものを宇宙の塵と変えていた。


 ラヴェランにはミサイル発射機と荷粒子エネルギー砲、戦闘攻撃機が配備され、要塞の外壁として強固な防衛線を構築していた。強大な要塞主砲とラヴェランの組合せによる防衛戦術は鉄壁の防衛線を構築し、艦隊による要塞攻略を無謀なものとしていた。


 この要塞防衛戦術はバルカ同盟軍の工兵総監ヴォーパンにより編み出され、最初の要塞惑星インディラがシンガ航路に設けられたのは二七年も前のことであった。


 インディラ要塞はその暴力的破壊活動によりティロニア連邦軍艦隊に多大な犠牲を強い、その軍事的脅威を宇宙に見せつけていた。

 要塞惑星の威力を認識した両軍により、銀河宇宙には同様の要塞惑星が勢力圏沿いの宙域に延々と設置され、「壁」が築かれることとなったのであった。


 そして今も、難攻不落の要塞惑星戦線の不朽の伝説は今も続いていた。


 しかし、カイトウは問う。

「コルドバ星系攻略は、何のためなのか?」


 インディラ要塞攻略のための準備作戦であるならば、いっそのこと直接インディラ要塞攻略作戦を実施すればよいのではないか。


 バルカ同盟軍は我が軍による奪回作戦を予想しコルドバ星系の防備を固め、我が艦隊と同等以上の規模の敵艦隊を駐留させているものと判断されている。

 コルドバ星系にそれだけの艦隊を駐留させているならば、後背のインディラ星系に駐留する敵艦隊は少数であろう。

 

攻勢は、敵戦力の脆弱部に対し行うべきではないのか。


 カイトウが立案した作戦は、次のような斬新なものであった。


「作戦名称 インディラ要塞攻略作戦 


参加兵力

主力侵攻艦隊

 シンガ要塞駐留四個艦隊、二個装甲降下師団

後衛部隊 

 シンガ要塞防衛二個艦隊


概略

 隠密機動によりコルドバ星系をかわし、インディラ要塞への直接艦隊攻撃を実行する。

 通信妨害による要塞の情報孤立化を実施し、奇襲により要塞主砲及びラヴェラン破壊後、二個装甲降下師団を降下させ占領する。占領後は速やかに主砲他の要塞機能の回復をはかると共に、艦隊による防衛体制を確立し同要塞の恒久的維持を目的とする。

 また、後衛艦隊はシンガ要塞のラヴェランの一部移設を行う。

 なお、同要塞占領後維持不可能と判断された場合には、速やかに要塞施設の完全破壊を行い撤退する。


要塞攻略詳細。


一、ラヴェラン攻撃

 小惑星を利用する。

 小惑星数十個を艦艇により曳航し、要塞重力圏に投入し非誘導質量兵器とすることによりラヴェランを衝撃破壊する。

 ただし、小惑星中数個については、補助推進装置を装着することにより軌道変更を行い要塞主砲による攻撃及びラヴェランの軌道変更に対応することとする。


二、要塞主砲無力化攻撃

 要塞の主兵器である要塞主砲についても、ラヴェランと同様小惑星を利用した攻撃により破壊する。

 但し、攻略後の要塞主砲の活用を考慮し当面の破壊目標は地中主動力部及び砲口制御部は除外することとし、要塞表面のエネルギー供給ラインの破壊による一時的機能喪失を目的とする。

 なお、要塞占領が不能と判断された場合には、要塞主砲の完全破壊を期す。


三、インディラ要塞駐留艦隊攻撃

 インディラ要塞には、二個艦隊程度の敵艦隊の駐留が見込まれる。

 インディラ要塞攻略に際し、敵艦隊が出撃してきた場合には全艦隊兵力を集中し艦隊戦により排除する。 

 ただし、可能であるならば敵艦隊出撃前に小惑星による奇襲攻撃を実施し軍港破壊による封鎖を図ることとする。


四、本作戦実施における留意点

 本作戦は、インディラ要塞の占領及び占領後の我が軍による活用を目的とする。

 ラヴェラン及び要塞主砲破壊後は速やかに降伏を勧告し、要塞機能をできるだけ維持した状態での占領を図る。要塞占領後は、早急に要塞主砲以下の要塞能力の回復を努める。そのための工作艦及び工兵部隊を帯同する。

 また、本作戦は奇襲を旨とするものであり、小惑星による要塞主砲及びラヴェラン無力化が失敗した場合には強襲は行わず本作戦を中止し早急な撤退行うこととする。


五、コルドバ星系陽動作戦

 一個艦隊により、コルドバ星系に対する陽動及び通信妨害作戦を行う。

 陽動艦隊は交戦は極力回避し、コルドバ星系駐留敵艦隊の牽制を最優先目的とする。インディラ要塞攻略成功後、同艦隊は引き続きコルドバ星系駐留敵艦隊の監視及び牽制任務を遂行する。


六、コルドバ星系駐留艦隊迎撃作戦

 本作戦が敵に察知され、インディラ要塞攻略艦隊に対しコルドバ星系駐留敵艦隊が迎撃に出撃してくることを前提に、進撃が予想される宙域に宇宙機雷の設置を行う。

 敵艦隊接近の場合にはインディラ要塞攻略を断念し、全艦隊による迎撃艦隊戦を行う。

 本作戦発動の場合には以後のインディラ要塞攻略は放棄するが、迎撃成功の場合にはコルドバ星系の攻略を行う。


七、要塞惑星強行偵察艦隊

 小惑星による攻撃後の艦隊による要塞直接攻撃支援のため、遠隔操作による無人艦隊を編成し強行偵察及び陽動任務を行わせる。」


 カイトウは、この作戦の成功に自信があった。動かぬ要塞惑星など何の役に立つというのだ。カイトウは、要塞惑星攻略に何の恐れも抱いてはいなかった。


 「壁」があるから、為政者達は平気で戦争を続ける。


 「壁」が今までそうであったように、今後も自分たちを守り続けてくれるというのは幻想にすぎないではないか。


 軍の存在意義の誇示と軍人の功績稼ぎのためだけにコルドバ星系奪還作戦のような小規模戦闘が繰り返されていた。そして小規模の戦闘ではあっても、必ず何らかの損害は生じ、兵員の損失は無益に続いていた。


 愚かしいと、カイトウは舌打つように思っていた。


 しかし、「壁」の神話が崩れたとき、この戦争を取り巻く情勢は大きく変わることとなる。

 特に「壁」の向こう側への橋頭堡を手に入れたティロニア連邦軍は、今後の戦略をどのような政略により決定するのであろうか。


 無謀、かつ不毛なるバルカ同盟領内への侵攻作戦を再び行うのではないか。その作戦により生じる両軍の犠牲は、これまでの「壁」をめぐる戦いを大きく上回るものとなるではないか。


 少なくとも「壁」が築かれた後、この戦争による民間人の犠牲は激減していた。

 要塞惑星が攻略され「壁」が打ち砕かれたとき、再び敵対宙域への侵攻作戦が繰り返され、「壁」が築かれる以前の多数の民間人をも巻き込む悲劇的戦闘が各星系において繰り返されるのではないか。 

 そのことに、カイトウは大きな危惧を抱いていた。


 九


「もし、この宇宙から壁が無くなればどうなると思う?」


 カイトウは、自分の疑念を確認するために部下にそう問いかけていた。情報分析班室のデスクに両肘を突いて、穏やかな声で続けた。


「現在の情勢下において、壁が無くなればどうなるのだろう」

 その問いかけは、誰に話しかけるでもない曖昧なものであった。


「いつかは無くなるものです。壁が築かれて二五年になりますが、それは永遠に宇宙空間に存在するものではありません」

 ドイ少尉の冷静な言葉に、カイトウは遠くを見つめる眼差しのままうなずいてみせる。


「もし今壁が崩れたならば、戦闘状況は壁が築かれる前の状態に戻るでしょう」

「そうだとすれば、また両軍艦隊の敵宙域への侵攻が自由となり、お互いの星系が再び奪い合われることとなります。市民生活にも、大きな犠牲が生じるのではないでしょうか」


 イデ二曹が、その顔を曇らせる。

「だからといって、いつまでも壁をめぐる無益な戦いを続けるのは意味のないことです。壁があるからといって戦闘が無くなったわけではありません。戦争は続き、艦艇の損失と将兵の戦死は続いています」

「しかし、市民が犠牲になるよりはいい」


 ドイ少尉の言葉にカイトウは小さく言って、沈黙を守っていたカトウ中尉に尋ねた。

「君は、どう思う?」


椅子に腰掛けたまま振り向いたカトウ中尉の答えは、明確すぎるものであった。


「もし今、壁を崩すことができるならばすぐにでも崩してしまうべきだと思います。壁があるから、バルカ同盟の人たちと話ができないんです。壁を崩すことさえできれば、この戦いも終わらせることができるかもしれません。壁がある限り、この戦いは変わらないでしょう。もし、私にその力があるのなら、壁なんかすぐにでも打ち砕いてしまうのですが」


 妙に力んだその答えに室内は明るい笑い声に包まれ、苦笑を漏らしたカイトウはその声に背を押されるように自分の作戦案をヤハギ参謀長に提出していた。


 作戦を策定し提出することは自分の任務であるが、それを採用し実行する責任を有するのは司令官ではないか。

 カイトウはそのことを思い、気休めを見つけていた。


 一〇


 インディラ要塞攻略作戦案を提出したカイトウが、再び司令官室に呼ばれたのは一週間後のことであった。


 ソファを勧められ、目の前にコーヒーを出されたカイトウの心境は合格発表を待つ受験生のように落ちつかなかった。


「君の作戦案を検討させてもらった」

 いつになく、ヤハギ参謀長は穏やかな声で切りだした。


「面白い着想であるし、この作戦案では作戦の成功は必然でもあるかのように描かれているが、すべてこの作戦案の通り進展し作戦は成功すると思っているのかね?」


 これではまるで士官学校参謀教程の口頭試験だなと思いながらも、カイトウは慎重に言葉を選び答えた。


「作戦案は、単に案に過ぎません。実戦は作戦案とは異なるでしょう。しかし作戦案を策定する場合には作戦遂行に際し起こるであろう可能性のすべてを検討し、起こりえる事項を想定する必要があると考えます。この作戦案も、起こりえる可能性の高いことを想定し策定したつもりです」


「それでは君は、君の立案したこの作戦が成功すると判断するわけだね?」

「はい。現状において成功の可能性が高いものと判断します」


「大した自信だな」

 ヤハギ参謀長の笑みに、カイトウは冷静に言葉を返した。


「敵兵力の間隙をつくことは、用兵の鉄則であると判断します」

「そのとおりだ。しかし、君も知っているとおり要塞惑星に対する攻略は過去一度として成功しておらず、それどころかここ八年ほどは要塞惑星に対する攻略戦さえ全く行われてはいない。それを、君は行えというのか?」


「・・・いつか、誰かが行うことですから」

 司令官室には沈黙が漂い、カイトウは静かにコーヒーカップを唇に運んだ。



「驚きましたね、司令官。この奇策は成功する可能性が高いと思われませんか?」

 カイトウが退出した司令官室で、ヤハギ参謀長の言葉を背にヤオ司令官はソファから立ち上がり司令官室の舷窓からシンガ要塞の軍港を見下ろした。


「成功するだろうね。艦隊の運用さえ間違えなければ。幸いに、本作戦の立案と運用は私に一任されている。そして、もし失敗しても艦隊の犠牲は少ないだろう」


「そうですね、司令官と私が恥をかいて責任を取るだけですみますし・・・」

 あっさりと、ヤハギ参謀長は答えを返す。

「この行き詰まった戦局を、変えることができるかも知れません」


過去二五年変わることのできなかった戦局を、自分たちの手で変えられるかもしれない。


 その思いに、ヤハギ大佐は昂揚感を覚えていた。

 ロイ・ヤハギ大佐が士官学校を卒業し少尉に任官した二五年前、最初の要塞惑星がシンガ航路に出現していた。

 要塞惑星の出現はそれまでの艦隊戦術に大きな変革をもたらし、大規模な艦隊戦は影を潜め不毛なる要塞惑星攻略戦が戦闘の中心となっていた。


 そしてその戦闘の中で、多くの艦隊が要塞惑星の前に力つき跪いてその旗を降ろしたことをヤハギ大佐は知っていた。


 その不落の要塞惑星を、それもバルカ同盟にとり最重要戦略要塞であるインディラ要塞を攻略しようというのだ。


「しかしまだ、コロンブスの卵は割られてはいない。賭けてみる価値は、十分にあるにしても・・・」

 そしてコーヒカップを覗き込み、さらに小さくつぶやいた。

「そしてその後のことは、誰にも分かりはしない」


 ヤオ司令官が見おろす要塞惑星シンガの軍港では、駐留艦隊がその銀色の艦影を連ね静かに出撃の時を待っていた。


一一


 司令官室から帰ったカイトウは、いつもよりさらに不機嫌であった。


「ラヴェランを衝撃破壊するために必要な小惑星の質量と速度、衝突角度の計算をみんなで行ってくれ。それに、艦船から投射された小惑星の軌道制御の技術的検討もだ」


 ぶっきらぼうにそう言っただけで細かい説明はせず、デスクの上に軍帽を放り出しソファに横になり目を閉じた。


 班員の驚きをそのざわめきの中に感じていたが、気怠くそして煩わしく思え無視をした。


 自分が退出した後の司令官室の会話などカイトウは知るはずもなく、またカイトウは今回の作戦案の実行そのものについては自分の頭の中で何度も検討を重ねていたので不安は抱いていなかった。


 しかし、いざその作戦が実行されるとなると立案者として作戦遂行とその結果に対する責任を感じざるを得なかった。そして、インディラ要塞奪取後のティロニア連邦軍が取るであろう戦略について思いを巡らし、カイトウは大きな危惧を拭い去ることができなかった。


 「壁」の無い世界など簡単に想像もできないほど、長くこの宇宙に「壁」は存在していたのだ。


 「破壊槌(ウォールハンマー)作戦」

 インディラ要塞攻略作戦はそう秘匿名が付けられ、極秘のうちに準備が進められた。


 今回の作戦実行における技術的問題は、小惑星射出地点と必要射出速度の計算、そしてその軌道制御技術に関しての検討であり、また要塞主砲無力化のため効果的攻撃目標の選定であった。

 細かい計算の苦手なカイトウはカトウ中尉とドイ少尉に任せていたが、気楽な最終解決案だけは用意していた。


「雨のように降らしてやればいいのさ。どれか、当たるだろう。小惑星を引っ張っていく艦の数には不自由しない。艦隊には当面他の仕事もないわけだし、全艦で小惑星を引きずっていけばいい」


 ドイ少尉などはあきれるばかりであったが、カイトウは本気であった。艦隊に損害が生じる恐れがあるなら隕石の雨でインディラ要塞をクレーターばかりの砂の惑星にしてもよいとさえ考えていた。

 

 しかし、その場合のバルカ同盟軍の莫大な人的損害についても考慮せざるを得なかった。敵とはいえ悪戯に将兵の犠牲が増えることはカイトウの好みではなく、またインディラ要塞の完全破壊よりも攻略後の再利用が今回の作戦の優先目標であった。


いかにすれば速やかに敵指揮官が降伏してくれるかについては、敵要塞司令官の性格や攻撃開始時間による効果も含めて心理的面からさえも熟慮と検討を重ねていた。


 この作戦の最重要課題は奇襲の成功であった。そのために最も必要なことは、機密の保持と通信妨害によるコルドバ星系とインディラ要塞の通信分断による孤立化であった。


 機密の保持については、作戦の詳細立案を情報分析班で行い、敵情報機関への陽動としてコルドバ星系攻略の作戦立案が作戦課において行われるとともに意図的な欺瞞情報の漏洩が行われた。


 カイトウも特別に参加した各艦隊司令官との作戦会議おいて、インディラ要塞攻略作戦の最終調整及びその実行の決定がなされた。


 すべては特別機密事項とされたが、参謀長が情報分析班に煩雑に出入りし情報分析班員が何か特殊な秘密作戦の検討立案を行っていることは、やがて全司令部員の知るところとなっていた。


 そしてカイトウ自身についていえば、上司である情報参謀のチョン少佐からだけではなく本来の任務である作戦立案用務から外され脇役としての情報欺瞞工作を行わされることとなった作戦参謀のシェフーリン中佐からもありがたくない恨みと沈黙の非難を受ける身となっていた。


 そのことへのカイトウの反応は、侮蔑の歪みを唇に見せただけであった。


 様々な思いを乗せて、第七艦隊が率いるインディラ要塞攻略艦隊がシンガ要塞を出撃したのはティロニア連邦歴一五七年一二月七日。


 情報欺瞞工作は完全な成功を収め、艦隊を見送る要塞守備部隊はおろか見送られる艦隊将兵までもが再びコルドバ星系の奪還に向かうものだと信じていたのだ。 



 第四章 虚空の要塞


 一


 シンガ要塞戦線バルカ同盟軍要塞惑星インディラ。

 二五万ギルの高エネルギー荷粒子ビーム砲六基を主砲として惑星表面に装備し、衛星軌道上には一二基の軌道衛星堡塁「ラヴェラン」を配している。


 重装甲の各ラヴェランには荷粒子ビーム砲とミサイル発射機、三〇機の戦闘攻撃機が装備搭載されており、インディラ要塞は守備兵六万五千名を擁するバルカ同盟軍最強の無敵要塞であった。


 シンガ要塞戦線司令官ハワード中将は、ティロニア連邦軍がインディラ要塞に対する直接攻撃を計画しているとは夢想だにしていなかった。


 コルドバ星系攻略の成功により最前線は遠ざかり、インディラ要塞が戦火にまみえることがあろうとは考えられなかったのだ。


 現実として、ここ八年以上要塞惑星をめぐる直接戦闘は行われておらず、自分の要塞司令官としての任期もただその軍歴の一部としてしか捉えていなかった。


 コルドバ星系からの通信が途絶えたときにも、ティロニア連邦軍によるコルドバ星系奪還作戦が始まったものと判断しただけであった。


 コルドバ星系防衛はコルドバ星系駐留艦隊司令官の責任事項であり、わずか二個艦隊の駐留艦隊しか有していないハワードとしては積極的艦隊行動も行うこともできず、ただコルドバ星系駐留艦隊からの補給増援等の要請に対しての備えしか行っていなかった。


 要塞周辺宙域の警戒については以前から厳重とはいえないものであったが、コルドバ星系攻略後は更にお粗末となりパトロール艦隊の定期派出さえもやめてしまっていた。


 最初に隕石の接近について報告を受けたとき、ハワードには星系図から漏れていた隕石の接近としか考えられなかった。就寝中のことであり、ラヴェランに隕石衝突の危険が及ぶようならその軌道を変え回避するよう指示しただけであった。


 だが次の報告は、血相を変えた副官の寝室への侵入により行われた。

「慌てるでないッ。何事だ!」

 無礼を叱りつける要塞指令官の声は、副官の悲鳴に似た叫びにより遮られた。


「隕石の雨です。避けきれません!」

「うろたえるなッ」


 寝間着姿のまま要塞司令室に駆け込んだハワードが見たものは、大型スクリーンに投影された溢れるほどの隕石の群であった。


「こんな馬鹿なッ。考えられん。天文観測部は何をしていたんだ」

 言葉を飲むハワードに縋り付くように、高級副官のセルブ大尉が叫んだ。


「ご命令をッ」

「要塞に接近する隕石は要塞主砲により破壊しろ。ラヴェランは・・・、ラヴェランは・・・」

「間に合いませんッ!」


 スクリーンの中で隕石と重なったラヴェランは次々と砕け散り、大気圏の中に吸い込まれ燃え尽きていく。


「・・・・・」

 息をのみ、言葉もなくハワードは立ち尽くし要塞の防壁が剥ぎ取られる光景に言葉を失っていた。


「不思議だ、この隕石は。軌道を変えやがった」

 監視オペレーター員の言葉に、我を取り戻したハワードもその事実を確認していた。姿勢制御エンジンの最大噴射により衝突を寸前にかわすかに見えたラヴェランに向かい、確かに隕石がその軌道を変えたのだ。


「隕石に推力機関が・・・」

 ハワードがその答えを得る前に、隕石のうち殊更巨大なものが要塞惑星の大気圏に突入してきた。要塞主砲が射撃準備を整える前に赤い巨大な炎の尾を引いた隕石は要塞表面に着弾した。


 その衝撃に要塞司令室は大地震に襲われたかのような振幅の大きな横揺れに襲われ、轟音の中に打ち振るえ弾けるように天井の照明が砕け飛び、不機嫌な獣の呻きのような警報音が響く。

 非常電源の橙色の光の中で、弾き飛ばされたハワードが副官のセルブ大尉により助け起こされたそのときに、監視オペレーター員の発した言葉がその耳朶を打った。


「敵艦多数ッ、接近します!」

 その時、ハワードは全てを理解した。


 二


インディラ要塞攻略艦隊旗艦イルマタル艦橋では、スクリーンにラヴェランが砕け飛ぶ映像が投影される度に大きな歓声が上がっていた。


 艦橋後部の司令部要員席で、要塞攻略戦の指揮を執るヤオ司令官の後ろ姿を見やっていたカイトウは、そのとき舌打ちをしていた。


 小惑星の軌道計算を行う際、直撃を想定しラヴェラン中心部を目標としていたが、結果としてラヴェランの無力化には小惑星の直撃は必要ではなかったのだ。直撃はしなくても、小惑星との衝突衝撃だけでラヴェランを衛星軌道から弾き飛ばすことはできたのだ。


 それだけで、十分な戦術的効果が得られたのだ。


 一つのラヴェランには千人を超える兵員が配置されている。直撃破壊では多くの生存者は望めまい。

 衛星軌道から弾き飛ばされるだけなら、いくらかの生存者救出の可能性があった。

 それは、あまり高い確率があるものとはいえないものであったが・・・。


 作戦案については齟齬がないように幾種もの想定シュミレートを実施し検討に検討を重ねたつもりであったが、至らぬ部分はあるものだとカイトウは今更ながら苦い思いを抱いていた。


 少数の機敏なラヴェランが荷粒子ビーム砲を放ち応戦するが、僅かに小惑星の表面の一部を剥ぎ取るだけである。姿勢制御エンジンの最大噴射により軌道を変え小惑星から逃れようとするものもあるが、所詮は緩慢な軌道制御用でしかないためにその挙動は鈍く、小惑星に取り付けた補助エンジンの僅かな噴射による軌道変更で対応はできた。


「要塞惑星本体への小惑星の突入が始まります」

 監視オペレーター員の経過報告を聞くまでもなく、一際大きな小惑星が要塞惑星本体に大気圏との摩擦熱による炎に包まれながら突入し、その直撃の衝撃波が要塞惑星表面を走る光景がメインスクリーンに投影される。

 

 次々と、小惑星は吸い込まれるように要塞惑星表面に降り注ぐ。司令艦橋では、誰もが言葉を飲み壮大なその光景に見とれていた。


「ラヴェランの完全破壊に成功しました。要塞表面への小惑星の着弾も予定通りです。要塞主砲の砲火は確認できておりません。軍港の破壊も成功し、敵艦隊の出撃も行われてはおりません」

 ヤハギ参謀長の報告に、司令官席のヤオ中将はその姿勢を崩さず沈黙を守っている。


「小惑星による第二次攻撃は必要ないでしょう。念のため、無人艦艇による強行偵察を行ってみます。まあ、あの様子では、要塞主砲は破壊されその機能を喪失したものと思われますが・・・」


「装甲降下師団の降下準備を」

 ヤオ司令官は、短い指示を下す。

「承知いたしました・・・」


「何だ?」

 いつになく、自分の指示に敬礼を返えさずかたわらから離れない参謀長に、ヤオ司令官は顎を上げた。

 

 ヤハギ大佐は、司令官の眼差しを受けて笑みを返す。

「カイトウ大尉から、降伏の勧告を行って欲しいとの進言が出されています。降伏を拒否するならば、小惑星による徹底した第二次攻撃を行うと伝えたらバルカ同盟軍も受諾するのではないかということです。本官も、その意見に賛成いたします」


 振り返って見ると、カイトウは腕を組み難しい顔を司令官席方向に向けている。


 ヤオには珍しく、その謹厳な表情を崩して見せた。

「いいだろう。時間を与えれば、彼らも降伏するのではないかな」


「そして、これもカイトウ大尉からの進言ですが、コルドバ星系駐留艦隊の出撃が予想されますので、周辺宙域の警戒強化と牽制任務の第二一艦隊への連絡艇の派遣を要請しております」

「いいだろう」


「彼は、この作戦への責任を感じているようですな」

 その言葉に、ヤオ司令官はうなずきの同意を示した。

「当然だ。彼には、その能力と職責に応じた責任を果たしてもらう。これからもな。そのために、軍は彼に給料を支払っているのだ」


「そうですな」

 ヤハギ参謀長は、何時になく多弁な司令官の幅広の肩を見おろし微笑みを見せた。


 ヤハギ参謀長が起案したインディラ要塞司令部への降伏勧告は、簡潔で明解なものであった。


「宛 バルカ同盟軍インディラ要塞守備司令官殿。

 発 ティロニア連邦軍インディラ要塞攻略艦隊司令官ヤオ中将。

貴官に、降伏を勧告する。

 降伏受諾後の貴軍将兵の取り扱いについては、ティルジットの和約を遵守することを確約する。

 本勧告が受諾されない場合、我が軍は最終的第二次攻撃を実施し、要塞の完全破壊を行う。

 回答猶予時間は、本勧告実施時より二時間とする。

 ティロニア連邦歴一五七年一二月二一日 一四:〇〇」


 この降伏勧告は複数の通信回線を通じて、圧倒的奇襲攻撃により打ちのめされたインディラ要塞にもたらされた。 

 そして第七艦隊以下のインディラ要塞攻略艦隊は、シンガ航路上に艦列を揃え、静かに傷ついたインディラ要塞を見おろしている。

 

 四


 インディラ要塞司令室において、青ざめた顔を司令官デスクにうつむかせる寝巻姿のままの司令官の肩を、要塞司令官付け高級副官セルブ大尉は見おろしていた。


「不幸な人だ」

 そう、セルブは自分の上官のことを思う。

 歴史上、初めて要塞惑星を失った司令官として彼はこの宇宙の歴史にその名を残すのであろう。


 すでに、降伏勧告がなされてから一時間の時が経っていた。ティロニア連邦軍による攻勢は休止し、戦場には静寂が訪れていた。


 しかし脅威は去ったわけではなく、ティロニア連邦軍艦船が固い艦列を組み衛星軌道上を駆け抜けていた。

 わずかに生き残った砲台からは砲撃許可を求める要請通信が相次いでいたが、セルブは控えさせていた。


 すでに勝敗は明らかであり、これ以上の無用な犠牲は必要でなかった。


 そして打ちのめされた要塞司令官は、この悲劇的現実を受け入れることができず先ほどから沈黙の自己の世界に逃避している。


 セルブ大尉は時折時計を見ながら、要塞司令官に降伏受諾を勧めるタイミングを計っていた。

 そしてその打ち震える肩を見やりながら考える。


 あなたは不名誉な記録を宇宙の歴史に残すだろうが、歴史の片隅にもその名を記すことなく一瞬にその生を戦場に捧げた幾多の将兵がいるのだ。

 例えそれが汚辱にまみれた不名誉な記録であるとしても、あなたはまだましなのかもしれない。残されたこれからの人生がどれほどの茨に包まれたものだとしても・・・。


 メインスクリーンに投影されている、勝利の美酒に酔いしれているだろうティロニア連邦軍艦隊の艦列を見やりながら、セルブ大尉はこれから長く続くであろう自分の暗く惨めな捕虜生活を思い描いていた。



インディラ要塞攻略艦隊司令官ヤオ中将の旗艦イルマタルの司令艦橋は、いつもと変わらぬ静寂に包まれていた。 


 インディラ要塞からの降伏受諾通信がもたらされたときには一際大きな歓声が沸き上がったものの、すぐにその喧噪はおさまりいつもの謹厳な雰囲気の満ちた艦橋に戻っていた。


「要塞が陥ちたのだ」


 あの難攻不落と思われていた虚空の要塞を、一兵士の損失もなく陥落させたのだ。

 この壮挙を完全なる勝利と言わなければ、何をもって完全勝利というのか。

 

 ドイ少尉は不満に思っていた。司令官は降伏の報にうなずいただけで笑顔すら見せなかったし、参謀長もそのかたわらにたたずむまま動こうともしない。


 カイトウ大尉は、「おめでとうございます」というドイ少尉の賞賛の言葉に一度笑顔を見せただけで、後はコルドバ星系の敵艦隊に動きがないことを確認すると司令艦橋の自分のデスクに頬ずえをついて頻りに何かを考え込んでいる。


 自分達が立案し実行した作戦が見事に成功し完全な勝利を収めたというのに、なぜ皆素直に喜びを表さないのか理解できなかった。


「艦橋当直を変わるわ。作戦室は、大変な騒ぎよ」

 作戦室から司令艦橋に上ってきたカトウ中尉が笑顔を見せた。


 司令艦橋のエレベーターに乗り込み振り返ると、カトウ中尉がカイトウ大尉の顔を覗き込みながら微笑みかけている。

 カトウ中尉の手が、カイトウ大尉の腕に触れていた。


「あの二人、そういう関係になっていたのか」

 カトウ中尉がカイトウ大尉に好意を抱いているらしいことは気づいていたが、カイトウ大尉はいつも素知らぬ顔でいたのだ。

 

 いつの間に・・・。そんなことを考えながら、着いた作戦室はお祭り状態であった。

 人の輪の中でシャンペンが抜かれ、歓声と笑い声が満ちている。


「こうじゃないとッ」

 笑顔を顔に弾かせて、ドイ少尉はその輪の中に飛び込んでいった。


 六


「どう思う?」

と、司令艦橋でヤハギ参謀長に問われ、カイトウは、

「そうですね・・・」

と、気乗りうすに答えていた。

 

 コルドバ星系に派遣され監視任務に従事していた第二一艦隊から、コルドバ星系駐留艦隊の出撃の報告がもたらされていた。


 敵艦隊はインディラ要塞の陥落により補給連絡線を断たれためにコルドバ星系を放棄し、隣接するカリマンタン要塞戦線方面への脱出を図ったのだ。

 

インディラ要塞陥落後三日。インディラ要塞への敵艦隊の接近はなかったが、未だ主砲以下の要塞能力は回復していなかった。


 カイトウは考えていた。


 いますぐ艦隊を編成し追撃戦を実行すれば、敵艦隊がカリマンタン要塞戦線に逃げ込むまでに敵艦隊を捕捉できるであろう。


 第二一艦隊の報告によれば、敵艦隊規模は約四個艦隊。インディラ要塞攻略艦隊全てを率い、第二一艦隊と合流できたとしても味方戦力は四個艦隊であり戦力的には同規模でしかない。


 我が艦隊には第二一艦隊の触接報告があり、自由な宙域での奇襲待ち伏せ攻撃を行うことが可能である。


 有利な艦隊戦が行えるであろう。

 四個艦隊の戦力を有する敵艦隊の一部にでも損害を与えることができれば、バルカ同盟軍のインディラ要塞奪還作戦の発動を遅らせることもできるかもしれなかった。


 しかし、全てのラヴェランを失い要塞主砲の機能も回復していないインディラ要塞を艦隊の護衛のないまま残置しておくことは危険が伴った。


 周辺宙域への監視衛星の設置により警戒体制は確立していたが、隣接要塞惑星からの敵艦隊の接近が全くないとはいえなかった。


 カイトウは自分の考えを次々と口にしながら考えをまとめようとした。


 少し時間は欲しかった。

 しかし、最終的にはこれ以上の戦闘を望まないカイトウの思いが結論を下していた。


「追撃は必要ないと思います。離脱しかけている敵艦隊に追撃戦を実施しても、決定的損害を与えるほどの勝利を得ることは難しいでしょう。戦術的奇襲により、緒戦では我が艦隊が主導権を得ることができるでしょうが、戦力的優勢がありませんので決定的勝利を得ることは難しいものと判断します」


 参謀長が自分の言葉にうなずくのを見つめながら、カイトウは更に心に思いついた一つのことを口にしていた。 

「本作戦がインディラ要塞及びコルドバ星系の占領を作戦目的とし、それを達成した以上、その維持を優先し離脱敵艦隊に対し追撃戦を実施しないことは、誰からも非難されるべきものでないと判断します」


 官僚的自己保身重視の発言だな。

 自分でそう口にしておきながら、カイトウはその思いに顔を赤らめていた。


 逸らした視界の中でヤハギ参謀長が再びうなずくのを確認して敬礼をし、自分の席に戻りながらカイトウは思う。


 インディラ要塞の失陥はバルカ同盟にとり青天の霹靂ともいうべき予想外の突然のできごとであり、指導部は一時的に混乱し、大艦隊を動員した奪還作戦は当面早急に行われることはないであろう。

 要塞を裸のまま放置しておいても安全であるとカイトウは判断していた。


 ここで追撃戦を実施すれば、我が艦隊は少ない損害によりそれに倍する損害を敵艦隊に与えられる。


 しかし、それは戦略的には何の意味もないことであった。

 インディラ要塞の恒久的確保にカイトウは自信があった。

 また、要塞惑星の攻略に必要なのは、艦隊の数だけではないことを今回の作戦は実証したのではなかったか。

 これ以上両軍に犠牲は必要ないとカイトウは考えていた。


 目の前のコンソールディスプレイには、今回の作戦結果が映し出されている。


 要塞破壊施設一覧。破壊艦船一覧。拿捕艦船リスト。要塞司令官以下の捕虜リスト。そして、バルカ同盟軍戦没者二千三百四十七名のリスト。わずか一日の作戦で、これだけの人命が失われたのだ。これ以上、何が必要だというのであろうか。カイトウはリストから目を逸らし、司令艦橋の天井を見上げた。


 決定するのは、司令官の仕事であり、カイトウに課された任務ではない。


 さきほどから、司令艦橋の片隅で作戦参謀のシェフーリン中佐が険しい眼差しでこちらを見つめていることに、カイトウは気づいていた。


 冷遇には慣れてはいたが、あからさまに憎しみに満ちた敵視は嬉しくはなかった。


 シェフーリン中佐としても、艦隊の作戦遂行に関し作戦参謀である自分を差し置き一情報将校に参謀長が意見を求めていることは心楽しいことではあるまい。

 また、今回の作戦に関するカイトウの口出しともいえる司令官への再三の進言を、快くは思っていないであろうことも察していた。


 しかしカイトウがうかつにそのことについて口にし、作戦参謀の立場を思いやることはかえってその自尊心をさらに傷つけるだけに終わり、逆効果になるだけとも思われた。


 また、そのことは何よりも煩わしく面倒なものであり、カイトウは無視だけを返していた。


 何をなすにしても、なさぬにしても、生きているといろいろと悩みの種は尽きないものだ。


 カイトウは疲れを感じ、深く腰掛けて軍帽を目深にかぶり直し、目を閉じた。


 ヤハギ参謀長はカイトウの意見を司令官席から動こうとはしない司令官にそのまま伝え、自分もその意見に同意する言葉を続けていた。


 ヤオ中将は何かを察したように唇に薄く皮肉な微笑みを

見せる。寡黙にして表情を変えることの少ない彼にして珍しいことであった。


「第二一艦隊には、敵艦隊がシンガ要塞戦線宙域からの離脱を確認後、本体に合流せよと通信するように」

「承知しました」


「参謀長・・・」

 敬礼を残し通信文を発送するために立ち去ろうとしたヤハギ参謀長を、ヤオ司令官は呼び止めた。そして少し考え込みながらこう口にした。


「彼の処遇については、考えなければいけないな。もう少し、ふさわしい立場で働いてもらってもいいのではないか」


「はい。それだけの働きを、彼は行っています」

 司令官の言葉にうなずきながらも、ヤハギ大佐は懸念を抱いていた。


 カイトウ大尉は確かに優秀な人材である。今回の作戦立案と遂行にあたって実証したその非凡な作戦家としての能力は驚くべきものであった。


 その才能は、うまく使えば非常の働きを見せるのであろう。


 しかし、優秀すぎるほどの頭脳を持ち、他人には覗くことのできない未来が見えすぎるほどに分かることは、その人にとり幸いなことばかりではないであろう。


 不幸なことでもないか。


 カイトウの冷めて乾いた視線と、その不安定な言動にヤハギ大佐は不安を覚えていた。


 自己の存在さえも超越したかのような客観的、現実的、そして合理的判断をもたらす理性力。


 そして、その裏腹の研ぎ澄まされた鋭敏な感性が一個の人格の中に共存している。


 そのことに、ヤハギ大佐は不安を感じ、また何かしら危険さえも覚えさせていた。



「敵艦隊の追撃は、行わないのですか?」

 物思う参謀長を呼び止めたシェフーリン中佐は、問いつめるような言葉を吐いた。

「敵艦隊撃滅の絶好の機会ではありませんかッ」


 その緊張に強張った白い顔を見ながら、ヤハギ大佐はまた一人救わねばならない人間が身近にいたことに気づいていた。


 シェフーリン中佐は、カイトウ大尉と同年齢であった。

 士官学校、参謀大学を首席で卒業し、シンガ要塞戦線艦隊の作戦参謀を任されながら、自分の職分である作戦立案及び遂行業務からこのような形で疎外されようとは夢にも思わなかったのであろう。


 ヤハギ大佐は、シェフーリン中佐の刺のある言葉に自分が無意識に身構えるのを感じながら言葉を選んでいた。


「確かに貴官のいうとおりシンガ要塞戦線から離脱中の敵艦隊撃破の好機であるが、インディラ要塞への敵艦隊による攻撃の可能性も否定できない。要塞主砲の機能が回復していない現状においては、インディラ要塞を不必要な危険にさらすことはできないのだ。貴官の・・・」


そこまでの言葉を、シェフーリン中佐の甲高い声が遮った。

「それでは、戦闘報告に本官のこの進言の記録をお願いします」


 目を見開いて、ヤハギ大佐は血走ったシェフーリン中佐の顔を見つめ返した。


 このようなことを言う人間ではなかったはずだ。それとも、優秀な官僚にありがちなことではあるが、いつも自分が物事の中心にいなければその人格が維持できないだけの人間であったのか。


 敵意のある眼差しとともに短い敬礼を投げつける、その肩を張った後ろ姿を見送りながら、ヤハギ大佐はつい先ほどまでかけるつもりでいた慰めの言葉をさえ忘れていた。


 ティロニア連邦歴一五八年一月。

 バルカ同盟軍コルドバ星系駐留艦隊がカリマンタン要塞戦線宙域へ離脱したことを確認した第二一艦隊が、インディラ要塞の攻略艦隊本隊に合流したことにより、インディラ要塞攻略作戦は終了した。


 ティロニア連邦軍は一兵の損失もなく、長く難攻不落と信じられていた要塞惑星の攻略に成功したのだ。


 インディラ要塞は工兵隊の活躍により要塞主砲の機能が回復し、シンガ要塞から急遽ラヴェラン四基が運ばれ設置されたことによりその要塞防衛能力の再建が行われた。

 

 第七艦隊以下のインディラ要塞攻略艦隊には、引き続きインディラ要塞駐留任務が命じられていた。


 インディラ要塞失陥による「壁」の崩壊は、バルカ同盟政府、ティロニア連邦政府双方に大きな衝撃をもたらしたが、その結果が政治的に軍事的に目に見えるものとしてこの宇宙世界に現れるまでには、まだ少しの時が必要であった。

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