第3話 零落の少年

 あの戦いから帰った後、王冄は娼館に屡々しばしば足を運ぶようになっていた。それもただの娼館ではなく、そこには年若い少年のみが集まっているのだ。

 王冄がいつも使命するのは、とある胡人の男娼であった。彼の顔立ちは、あのコウガに何処となく似ている。コウガの生き写しのようなその少年に、王冄は惑溺していった。

 仮面が外れ、露わになったコウガの素顔――王冄の頭には、彼の秀麗な顔貌がこびりついて離れなかった。彼は死して尚、王冄の心を絡め取って離さない。狂おしいまでの妄執が、王冄の心を支配してしまっていた。胡人の少年を抱くのは、ある種の代替行為のようなものであったかも知れない。


 やがて王冄に、じわじわと狂悖きょうはいの性が現れ始めた。端緒となったのは、縁談を進めてきた父を突然殴打し負傷させてしまったことである。それ以来、彼は度々奇行を見せるようになった。ある時は急にどっと大笑いしたかと思えば、その次には泣き出しては亡き友李解に許しを乞うたり、またある時は手がつけられない程に暴れ出したり、といった具合である。王冄の私生活は、荒廃を来していった。

 そしてある日、彼は訳の分らぬことを叫びつつそのまま外に飛び出し、厩舎に入って馬の背に跨ると、闇の中へ駆け出した。それきり、彼は姿を消してしまったのである。彼がコウガを討ち取ってから、二年後の話であった。


 それから暫くして後のことである。

 雁門の武州ぶしゅう県に、屡々盗賊が出現しては、官吏や民を殺害し、物品を強奪するといった事件が起こるようになった。ほとほと困り果てた県令は軍を出動させ、これの鎮討に当たらせた。それでも、決まった拠点もなく動き回り続ける盗賊を捕捉するのは容易ならざることであった。

 ある秋の日であった。

「や、やめてくれ!」

 泣き叫ぶ男の脳天に、矢が突き刺さった。矢を放った者は、そのまま次の獲物を探して視線を振っている。

 農村に、例の賊が出現したのだ。男が殺され、女が犯され、家畜が奪い去られる。歩騎入り混じった野蛮な賊たちが、暴風のように無抵抗な村を荒らしてゆく。

「そこまでだ!」

 風と共にそこに駆けつけたのは、県の軍隊であった。歩兵は弩を構えて賊を睨み、騎兵は左右に翼を張って弓を引いている。

「やべぇ! 官軍じゃねぇか!」

「逃げろ! 逃げろ!」

「待て! 逃がすものか!」

 尻尾をまいて逃げ出す盗賊。それに対して県軍の弩兵は矢を放ち、騎兵は左右に展開して囲い込む形を作った。盗賊の内、徒歩かちの者たちは弩の斉射で殆どが斃れた。

 さて、残るは騎馬のみであるが、これは手強かった。敵に相当な騎射の手練れがいるのか、県軍の騎馬にも犠牲者が一人また一人と出てしまう。それでも県軍は数の差を恃みに、賊の騎馬を追い詰めていく。

 この県軍の騎兵隊に、李邑りゆうなる少年がいた。彼はかの李解の二つ下の弟である。兄に似て白い肌を持ち、騎射の巧みな、将来有望な少年であった。

 彼は賊の一団の中に、奇怪なものを見た。それは、恐ろしげな黒い仮面をつけた騎馬の賊であった。様子を見てみると、どうやらその異様な仮面の男が全体の統率者であるらしい。彼を射倒せば全てが終わる。そう思って、彼はこれを追い始めた。

 この仮面の頭目の馬さばきは、実に巧みであった。李邑は度々弓を射かけるが、そのどれもが回避されてしまう。明らかにこちらに無駄打ちをさせている。李邑は苦虫を噛み潰したかのような表情になった。その上、敵の返してくる矢の狙いも正確で、李邑は幾度も命の危機に瀕した。少しでも集中を乱せば、敵の矢は忽ちに自分の体を貫き命を奪うであろう。そういった緊張感が、この騎馬の少年にはあった。

 その時であった。李邑の後ろから、味方の騎馬が一騎、飛び出してきた。この騎兵はすぐさま敵に射倒され馬の背から転げ落ちたが、その直前に放った矢が敵の右肩に命中した。今が好機だとばかりに、李邑も矢を引き絞り放つ。その放たれた矢は敵の鳩尾みぞおちの辺りに刺さり、今度こそ敵は馬から落ちたのであった。そのままとどめを刺すべく、李邑は下馬し、抜剣してこれに接近した。敵は腰に剣を佩いているが、右腕に矢が刺さっている以上最早それを振るうこともままならないのであろう。仮面の頭目は抵抗の意思を失ったようで、易々と目前に迫った李邑は、手にかける前にこの仮面の内の素顔を見たくなった。李邑は敵の顔に手を伸ばし、その黒い仮面を取り去った。

「貴方は……王冄殿ではありませんか!」

 李邑は今しがた自分の射倒した敵の素顔を見て、驚愕の色を露わにしたまま、ほぼ叫び声のような声を発した。李邑は彼の顔を覚えていた。兄李解の友人として共に切磋琢磨していたあの褐色の美少年、王冄である。

「お前は……李解の弟か」

「はい、解の弟、邑です」

「本当に……似ているな……」

 王冄は出奔した後、賊の頭目となって各地を荒らし回っていたのである。だが、李邑の記憶には、兄と陽気に笑い合っている姿しかない。あれがどうして賊の頭目などに零落してしまったのか、李邑には全く理解が及ばなかった。

「どうして賊などに……」

「分からぬ……思えば私はあの時、死ぬべきであったのだろうな」

 王冄はもう息も絶え絶えになりながら、かすれたような声で亡き親友の弟に語り掛けている。李邑には、「あの時」が何を指しているのか分からなかった。

 李邑の背後から、馬蹄の音が聞こえた。見ると、そこには漢の旗がはためいている。味方が近づいてきているのだ。

「これも天命というものだ。く首を取るがいいさ」

「はい、そうさせていただきます」

「李解。死す時は同じ、とはならなんだが、とうとうそちらに向かうこととなったぞ」

 それが、王冄の最後の言葉となった。李邑はその剣を振るい、王冄の首を斬り飛ばしたのであった。

 

 何処からともなく、梟の鳴き声が聞こえた。冷たい風に頬を撫でられながら、李邑は再び馬に乗り、味方の方へと駆けていった――

 

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凶矢風塵を裂く 武州人也 @hagachi-hm

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