第3話 零落の少年
あの戦いから帰った後、王冄は娼館に
王冄がいつも使命するのは、とある胡人の男娼であった。彼の顔立ちは、あのコウガに何処となく似ている。コウガの生き写しのようなその少年に、王冄は惑溺していった。
仮面が外れ、露わになったコウガの素顔――王冄の頭には、彼の秀麗な顔貌がこびりついて離れなかった。彼は死して尚、王冄の心を絡め取って離さない。狂おしいまでの妄執が、王冄の心を支配してしまっていた。胡人の少年を抱くのは、ある種の代替行為のようなものであったかも知れない。
やがて王冄に、じわじわと
そしてある日、彼は訳の分らぬことを叫びつつそのまま外に飛び出し、厩舎に入って馬の背に跨ると、闇の中へ駆け出した。それきり、彼は姿を消してしまったのである。彼がコウガを討ち取ってから、二年後の話であった。
それから暫くして後のことである。
雁門の
ある秋の日であった。
「や、やめてくれ!」
泣き叫ぶ男の脳天に、矢が突き刺さった。矢を放った者は、そのまま次の獲物を探して視線を振っている。
農村に、例の賊が出現したのだ。男が殺され、女が犯され、家畜が奪い去られる。歩騎入り混じった野蛮な賊たちが、暴風のように無抵抗な村を荒らしてゆく。
「そこまでだ!」
風と共にそこに駆けつけたのは、県の軍隊であった。歩兵は弩を構えて賊を睨み、騎兵は左右に翼を張って弓を引いている。
「やべぇ! 官軍じゃねぇか!」
「逃げろ! 逃げろ!」
「待て! 逃がすものか!」
尻尾をまいて逃げ出す盗賊。それに対して県軍の弩兵は矢を放ち、騎兵は左右に展開して囲い込む形を作った。盗賊の内、
さて、残るは騎馬のみであるが、これは手強かった。敵に相当な騎射の手練れがいるのか、県軍の騎馬にも犠牲者が一人また一人と出てしまう。それでも県軍は数の差を恃みに、賊の騎馬を追い詰めていく。
この県軍の騎兵隊に、
彼は賊の一団の中に、奇怪なものを見た。それは、恐ろしげな黒い仮面をつけた騎馬の賊であった。様子を見てみると、どうやらその異様な仮面の男が全体の統率者であるらしい。彼を射倒せば全てが終わる。そう思って、彼はこれを追い始めた。
この仮面の頭目の馬さばきは、実に巧みであった。李邑は度々弓を射かけるが、そのどれもが回避されてしまう。明らかにこちらに無駄打ちをさせている。李邑は苦虫を噛み潰したかのような表情になった。その上、敵の返してくる矢の狙いも正確で、李邑は幾度も命の危機に瀕した。少しでも集中を乱せば、敵の矢は忽ちに自分の体を貫き命を奪うであろう。そういった緊張感が、この騎馬の少年にはあった。
その時であった。李邑の後ろから、味方の騎馬が一騎、飛び出してきた。この騎兵はすぐさま敵に射倒され馬の背から転げ落ちたが、その直前に放った矢が敵の右肩に命中した。今が好機だとばかりに、李邑も矢を引き絞り放つ。その放たれた矢は敵の
「貴方は……王冄殿ではありませんか!」
李邑は今しがた自分の射倒した敵の素顔を見て、驚愕の色を露わにしたまま、ほぼ叫び声のような声を発した。李邑は彼の顔を覚えていた。兄李解の友人として共に切磋琢磨していたあの褐色の美少年、王冄である。
「お前は……李解の弟か」
「はい、解の弟、邑です」
「本当に……似ているな……」
王冄は出奔した後、賊の頭目となって各地を荒らし回っていたのである。だが、李邑の記憶には、兄と陽気に笑い合っている姿しかない。あれがどうして賊の頭目などに零落してしまったのか、李邑には全く理解が及ばなかった。
「どうして賊などに……」
「分からぬ……思えば私はあの時、死ぬべきであったのだろうな」
王冄はもう息も絶え絶えになりながら、かすれたような声で亡き親友の弟に語り掛けている。李邑には、「あの時」が何を指しているのか分からなかった。
李邑の背後から、馬蹄の音が聞こえた。見ると、そこには漢の旗がはためいている。味方が近づいてきているのだ。
「これも天命というものだ。
「はい、そうさせていただきます」
「李解。死す時は同じ、とはならなんだが、とうとうそちらに向かうこととなったぞ」
それが、王冄の最後の言葉となった。李邑はその剣を振るい、王冄の首を斬り飛ばしたのであった。
何処からともなく、梟の鳴き声が聞こえた。冷たい風に頬を撫でられながら、李邑は再び馬に乗り、味方の方へと駆けていった――
凶矢風塵を裂く 武州人也 @hagachi-hm
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