第2話 仮面の胡騎

 幸か不幸か、王冄おうぜんは友の仇と再び相まみえることとなった。

「私は王冄という者だ。貴様、名は何という」

「……コウガ」

 敵はあの甲高い声で答えた。あの雁門での一件以来、王冄は片時たりともこの少年の声を忘れたことはない。

 王冄の切れ長の目に、殺意の炎が灯った。対するコウガと名乗った胡騎は、少しも顔の皮を動かさない。

 先に動き出したのは王冄であった。殺意を乗せた矢が空を切りながら飛んでいくが、そう簡単に勝負はつかない。コウガはその矢を躱し、そして返礼とばかりに矢を返してゆく。

 艶のある黒髪を揺らし、ぎょくのような雫を首筋に垂らしながら、王冄は馬を走らせる。敵の仮面もまた、小兵でありながらしっかりと馬腹を締めて戦場を疾駆する。

 互いの弓射に決定打となるものは生まれなかった。自らが馬の背で跳ねながら、同じく馬を走らせ動き回る敵を射るのは容易ならざることである。だがそれでもこの二人の狙いは正確であり、並の騎兵であれば立ちどころに射抜かれていたであろう。

 いつの間にか、二人の周りに他の兵の姿はなくなっていた。互いに一人の相手の命を取ることにのみ執着しすぎて、味方から遠ざかりすぎたのだ。

 王冄は甚だ疲労していたが、それ以上に馬が疲れ始めていた。明らかに動きが悪くなっている。だが見た限り、それは相手の馬も同様であった。

 王冄は、再び動き出した。敵に向かって一直線に突っ込むように馬を駆けさせる。それを迎え撃つように、コウガは弓を引いた。すぐに放つことはしない。限界まで引きつけて放てば、確実に仕留められる。それがコウガの算段であった。

 だが次の瞬間、コウガは信じられないものを目にした。

「なっ――」

 普通、騎射での戦いは、相手を自分の左側に収めるよう立ち回るのが常である。馬上から弓を引く場合、右利きであれば正面と左側には矢を射かけることができるが右側には矢を向けられず、そこが死角となるためだ。だからコウガは当然、王冄が自分の左側に向かってくるものと思って弓を構えていた。

 だが、王冄は予想に反して、自分のに突っ込んできたのだ。

 その理由は、次の瞬間に判明した。王冄は、弓を捨てたのだ。そして――

「李解の仇だ!」

「何! 剣だと!」

 王冄はまだ矢筒に矢が残っているにも関わらず、弓を捨てて腰にいている剣を抜いた。想定外の行動に反応しきれず、コウガは弓で白刃を受け止めたが、当然弓は切り裂かれ、自身も刃を避けた際に体勢を崩して落馬してしまった。

 王冄は、賭けに勝ったのだ。一旦通り過ぎた王冄は、再び馬首を返してコウガの方に向き直った。

「……貴様よくも……」

 コウガはすぐさま顔を上げた。その顔を見た時、王冄ははっとした。

 その顔には、黒い仮面がなかった。恐らく落馬の時に外れてしまったのであろう。白日の下に晒された彼の顔貌は、どんな女人よりも艶やかであった。照灼しょうしゃくと輝く美貌に、王冄は呆気に取られてしまった。

 コウガは幼き頃より騎射に長け、神童と持て囃されていた。武を尊ぶ匈奴においては、弓馬に長けることこそ何よりも重たい評価軸である。だが一方でその優しげな、女子おなごとも見紛う麗しい顔によって、他者から侮りを受けることも珍しくなかった。それを常々苦々しく思っていた彼は、黒塗りの仮面を作り、人前では常にこれを用いて顔を隠すようになったのである。

 美しく透き通るような目は、温麗でありながらもやはりそこは戦士というべきか、鷹のように鋭い眼光を発して王冄を睨んでいる。

 王冄は馬を降りた。馬の疲労が溜まりすぎて、これ以上は走らせようがない。自分に近づいてくる王冄に対して、コウガもまた立ち上がって蛮刀を引き抜いた。ここからは、短兵器同士の戦いとなる。

 先に斬りかかったのは王冄であった。コウガはその剣撃を受け止めたが、力で押されて後ずさった。匈奴の得意とするのは騎射であり、実は意外と白兵戦は苦手である。加えてコウガは王冄に体格で劣っているため、どうしても刀剣同士のぶつかり合いでは不利になる。

 続け様に二度三度、剣をぶつけ合った。そのいずれも、コウガの方が押されている。そしてとうとう、力負けしたコウガが蛮刀を取り落としてしまった。

「勝負あったな……」

 剣の切っ先を、憎き仇に向ける王冄。コウガは逃げ出すでもなく、王冄を睨み返した。

「これが天命というものか」

 コウガは天を仰ぎながら呟く。その声色に、怯えは感じられない。

「お前は、我が友李解の仇であった。天が私に仇を討つよう導いてくれたのだ」

「ならば、その友とやらを俺が射たのも天命だ」

「ああ、そうかも知れぬ」

 王冄の胸中には、目の前の敵に対する怒りも悲しみも湧かなかった。仇討ちの高揚感さえ生まれない。

「俺も天命にしたがい、戦場の土となろう」

「言われずとも」

 王冄は剣を横薙ぎに振るった。胡人の美しい顔は胴から切り離され、赤い飛沫を散らしながら宙を舞う。そうしてそれは空しく地面に転げ落ちた。

 王冄は、深く呼吸をした。その脳裏には、今は亡き李解の姿が浮かんだ。彼の仇を、今ここで討ち果たしたのであった。


 趙充国の部隊は、包囲を破って敵陣を大いにかき乱した。李広利もそれに続いて敵に猛攻を加え、囲みを解いて脱出することに成功した。その様はさながら破れた袋から水が零れ出るが如きである。そうして、漢軍は窮地を脱することができたのであった。

 長安に帰参した趙充国を見た武帝は、驚愕と共に嘆息せざるを得なかった。激戦の最中にあって自らの身を危険に晒した彼は、二十数か所に渡って矢傷を負っていたからだ。これによって趙充国は中郎(皇帝の近侍の武官)となり、車騎将軍長史(高位の将軍である車騎将軍の属官)に任じられた。

 その後、趙充国は武帝、昭帝、宣帝の三代に渡って仕え、匈奴、ていきょうなどの異民族と戦って大いに軍功を挙げた。それによって彼は後漢代、班固が現した歴史書「漢書」内に「趙充国辛慶忌しんけいき伝」という列伝を立てられ、そこに彼の活躍が記述された。宣帝の使者に「羌の勢力はどれほどか。我々はどれだけの兵力を用意すればよいか」と問われた際に彼が答えて言った「百聞は一見に如かず」という言葉は、今日の日本人の多くが知る所であろう。

 一方の李広利はどうか。彼はその後、中山靖王ちゅうざんせいおう劉勝りゅうしょう(この名前に思い当たる節がある人は三国志の愛好家であろうと推察する。蜀の劉備は中山靖王劉勝の子孫を自称し、劉勝の父親である景帝の血を引いているとしていたからだ)の子で武帝の甥に当たる丞相劉屈氂りゅうくつりと謀り、李広利の妹李夫人の産んだ昌邑哀王しょうゆうあいおう劉髆りゅうはくを太子として立てようと画策した。武帝の崩御後に外戚として権力を握ろうと目論んだのである。

 ところがこの目論見は李広利にとって悪い方向へ進んだ。郭穣かくじょうなる者が「劉屈氂夫人が呪詛を行って陛下を呪い殺そうとし、李広利と共に昌邑王を次代の帝にしようと祈祷している」と上奏したのだ。劉屈氂はこれによって腰斬ようざん刑に処せられ、その妻子もまとめて族誅された。李広利もまた共謀者とされ、彼の妻子にも連座制が適用されて同様に処刑された。

 この時、李広利は七万の軍を預けられて五原ごげん郡より出撃し、匈奴討伐の陣中にあった。本国で自らの妻子が巫蠱ふこ(木製の人形を地中に埋めて対象を呪詛するという呪術)の疑いをかけられ誅殺されたという報を受けた李広利は大いに憂懼ゆうくしたが、軍功を挙げようと進軍を続けた。功があれば許されると踏んだのかも知れない。その後李広利軍は敵の左大将を討ち、多大な損害を敵に与えたが、属官たちが「弐師将軍は衆兵を危険に晒して軍功を求めているが、必ず敗れるに違いない」と言い、共謀して李広利を捕縛しようとした。李広利はこれを斬って尚も戦闘を続けたが、激しい戦いに漢軍、匈奴共に多くの死傷者を出した。その後、匈奴が後方から奇襲をかけ、漢軍はさんざんに打ち破られてしまった。

 ――これはもう敵わない。

 ここに至って、李広利はとうとう降伏したのである。

 匈奴に降った李広利は、単于に優遇された。しかし、李広利が自分よりも高い位に昇ったことを恨んだ衛律なる亡命漢人が単于に彼のことを讒言した。単于は怒って李広利を処刑したのであるが、李広利は死の間際に「私は死しても匈奴を滅ぼさん」と言い残した。その後、匈奴に災いが降りかかった。雪が数か月降り続き、家畜が死に、人々は疫病にかかり、作物も実らなかったのである。単于は恐れを為して李広利のために祠を作り、そこに彼を祀ったのであった。

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