がうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうん

 空が白む頃に起きたアイザワはいつも通りの彼だった。

 焚き火の前での異常な語りは、暮れ行く空の下で夜への恐怖が見せた幻かのようだった。



 私たちはそのまま川の流れに沿って歩いた。

 わずかに電池が残っていた私のスマートフォンでニュースサイトやSNSを見たが、どこにもコインランドリーの怪異は取り沙汰されていなかった。


「人々はこのことを異常だと思っていない。気が付くこともないだろう。それは町に一つコインランドリーが増えても誰もさほど気にも留めないのと同じことなんだ。町の意思が町をそう作り替えただけのこと。無意識下でそれぞれが考えていたことが現実化しただけのこと。あくまで日常の延長線上にこの事態はあるんだよ」


 歩きながらそう話したアイザワが一時焚き火の傍らに戻ったようで、私は歩調を早めた。




 郊外に住む我々の共通の知人は快く遠路から来た友人をねぎらってくれた。


 彼もまた、平時と変わらない様子であり、こうなるとおかしいのは我々で、コインランドリーの増殖云々というのもそれこそ我々が気持ちの病にでも罹って何かを思い違いしているのではないか考えたほどだった。


 タカミネという彼は中古の一軒家の地下をスタジオとして改装して使っているミュージシャンで、一番近くの建物まで百メートルほど離れているという人気のなさが気に入ってこの家を購入していた。


 町からはさらに充分遠い。

 少し人嫌いな面もあり、普段から買い物全般は通販で済ませ、仕事の用事か親しい知人に会いにしか町には出ない。コインランドリーなど使うこともない。


「アイザワはともかくお前が来てくれるとはな、嬉しいよ」

「すまんな、こんな突然」

「いやいいさ、ちょうどツアーも終わって何もない時期だったんだ、誰かと飲もうかと思ってた。夜はアイザワは客間を使いたいって話だから、お前は地下でもいいか?」

「どこでも構わないよ。なんならリビングでもいいんだ」

「馬鹿、あんなボロいソファに客を寝かせるほど白状じゃないよ、俺は」


 重い防音扉を開けコンクリートの階段を下る。


 また防音扉があり、肩でそれを押し開けると安心感があるオレンジがかった灯りに照らされた部屋が現れる。


 レコ―ディング設備らしい機械の向こうにガラスで隔てられた部屋が見える。


「仮眠用のエアベッドが閉まってあるんだ、それを広げよう、ちょっと待っててくれ」

「いや……」


 私は立ち尽くし、ガラスの向こうを眺めていた。


 防音ガラス越しに聞こえてこないはずの音が私の頭の中に響いていた。


 録音設備と楽器があるはずのガラスの向こう側では綺麗に並んだ五台の洗濯機とその上部の壁に設置された乾燥機が回転をし続けているのだった。




 以来、友人の家は訪ねていない。




 野宿をしながらアイザワと連れ立ってどんどん人気のない方へ進んだが、うっそうと茂った緑をかき分けてたどり着いた山中の神社に真新しいコインランドリーが併設されているのを見つけた日に、その足も止まった。



 翌日、私が起きると傍らに干物が数枚置かれ、アイザワは姿を消していた。


 絶望して自ら命を絶ちに行ったか、それとも疲れ果てて回転に呑み込まれるべく町へ戻ったか。私は追うこともしなかった。


 ただ人のいない所、人が生活圏と認識していないどこかへ逃れようと進んだ。



 アイザワの置き土産はすぐに尽きた。



 幸いすぐに不法投棄のゴミ穴に出くわして刃物やビニールシートなどを手に入れられたので生活は捗ったが飢えとは常に戦う羽目になった。


 虫はもちろん、野草から木の皮まで食べて死なないものはすべて口に入れて生を繋いだ。山中を移動しつつ暮らし続けた。



 何度か町へ降りたこともあった。



 平穏で何事もない装いに安心して歩く内、いつの間にかコインランドリーばかりが通りに並んでいることに気が付くとその度に慌てて逃げ帰った。


 この横穴にはもうひと月以上いるはずだ。

 近くに水場もあり、小さな野生動物も簡単な罠で捕れる、何より人影を見ることがない。もうしばらくは腰を落ち着けられそうだった。



 夜ごと、悪夢を見る。



 悪夢の中で私はとても快適な都市生活を送っていて、硬い地面に寝ることはなく雨に凍えることもない。


 ただがうんがうんという駆動音が休まず街中に鳴り響いていて私はその回転を……居並ぶコインランドリーの中で無数の洗濯機と乾燥機が休まず動くさまを……にこやかに眺めている。


 私はコインランドリーに布団を敷いて眠り、体は薄汚れ、数少ない配給食糧を日ごと分けながら食べている。


 しかしその生活に疑問を持つことはない。服だけは常にコインランドリーを稼働させているため清潔に保たれている。


 がうんがうん、という回転の音が私の生活のすべてを占めている。その駆動のためだけに私の生活はある。





 悪夢から戻り、目覚めながら私はいつもまず耳を澄ませる。




 目覚めた世界にあの駆動音が聞こえてこないことを確認して息を吐く。




 時折アイザワの言葉を思い出す。


 町にコインランドリーが増える病。


 社会構造と付随する病。


 彼はそう言っていた。


 あの言葉が本当だとするなら……。


 私がこの横穴で暮らし続け、私だけの生活圏をここで築き上げた時、快適な生活をここで実現出来た時、この私だけの町にもやはりコインランドリーは現れるのだろうか。

 そうでなかったとしても、この私ひとりの生活にもコインランドリーと同様にやはりそれに付随するような病が発生し、私を脅かすようになるのだろうか。


 その時私は、どこへ逃れられるのだろう。



 そもそも私は何から逃げているのだろう?



 あの駆動音に呑み込まれることをなぜ拒否しているのだろう?



 コインランドリーに呑み込まれる前から私の生活には意義も意味もなく、自由や意思すらあったかどうかもわからない。

 コインランドリーに囲まれて暮らすことが私の何を損ねるというのだろう……。



 傾き始めた気持ちをねじ伏せるように、最近は食糧調達以外の時間では寝ていることが多くなった。



 夢の中ではがうんがうんという駆動音が鳴り続けている。



 浅い眠りを動物の気配や雨風に妨げられて目を開きながら、私は先ほどまで聞いていた駆動音が夢の中だけの幻かそれとも現実の音かどうか確かめようと耳を澄ませる。



 しかしどちらを望んでいるのか、今はもう自分でもわからなくなっている。

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うず 森宇 悠 @mori_u_you

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