がうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうんがうん

 河原の土手を進んだ。


 小休止を取りながらではあるが数時間歩き続け、明らかに郊外へ出たとわかる間延びした景色が続くようになってから、やっと私たちは橋の下に腰を落ち着けた。


 日はとっくに暮れていた。


「喰うかい」


 焚き火に照らされて影を作ったアイザワの顔はいつもよりも真剣みを帯びて見えた。

 私はありがたく彼の手からカワハギの干物を受け取る。

 手持ちのライターと枯れ草、打ち捨てられていたゴミのおかげで火が焚けた。

 まだ夜は冷える季節だったが、交代で火を絶やさなければなんとか朝までしのげそうだった。

 何しろ泊まるあてもない、今夜は野宿になるようだった。そう思えばアイザワの干物の存在はありがたかった。

 何しろコンビニもスーパーも飲食店もコインランドリーになってしまえば、食料の調達にも苦労する。この先は彼の干物に頼る場面が多そうだ。


「うまいな……」

「だろ。……炙りなよ、いけるぜ」

「ああ……」


 手を焼かれないように気を付けながら炙り、食う。

 うまかった。




「流行り病なんだ……」

「え」


 唐突だった。

 その呟きの元が、いま我々が逃げてきたモノを指していると気が付いたのはしばらくしてからだった。


「気持ちの病は流行るって言っただろう。君も罹ったあれさ。大学の、他のやつらと同じように、僕や君の住んでいる町ではあの病が流行っていた。必要以上にモノを捨てる、病的に部屋を片付ける、そして臥せる。そんな病」

「ああ、あれか……」


 臥せっていたことすら今は遠い昔のように思えた。


「気持ちの病は伝染するわけでもないのになぜ流行るのか、わかるかい」

「そりゃあ、なんていうか……みんなそういう気分になる風潮というか……時代というか……うまく言えないな」

「そういうことだよ。風潮。時代。時勢。気持ちの病はつまりは社会の病とも言える。社会構造が病を作る……と言うより気持ちの病と社会構造はセットなんだ。人間の精神構造は社会構造に影響されて変化する。産業、政治、テクノロジー、娯楽、福祉……社会の、生活の形によって気持ちの形も変わってくる。そうして、それに伴う気持ちの病も変わる。だから同じ社会構造や時勢の中で暮らしている人間たちには同じ病が流行る」

「俺が罹ったのも?」

「うん、大学の時のやつらに多かったのは、同じような精神構造の仲間だったからだろうね」

「そんな単純な」

「しかし実際にそうなった」


 アイザワはまた別の干物を焚き火で炙り、咀嚼した。貝ひものようだった。

 いくつかまとめて口に放り込みその内の一本はだらりと口の端からのぞいたままだ。


「これも同じことなのさ。コインランドリーが増える病」

「馬鹿な、そんな病があるか」

「……君はなぜ町にコインランドリーが作られるか考えたことはあるかい」

「なぜ作られるかって言ったって……それは……だから…………そんなこと考えたこともない。いつだってコインランドリーはただそこにあるだけだ。欲しいと思って誰かに嘆願したことも、邪魔だと思って排斥の声をあげたこともない。気が付いたらある、そういうものだろう」

「そうなんだ。気が付いたら、ある。そういうものなんだよ。コインランドリーもまた現代の社会構造が生んだ流行り病みたいなものさ。店舗を出すと次々に潰れるようなスペースがある……しかし遊ばせておくには忍びない……何かを置かなければ……次は何が建つんだろう……人々は町の空白が気になる、そういった場所はコインランドリーへと変わるんだ。そうすると不思議と気持ちが落ち着く、なんとなくしっくりくる。次は何に変わるのかといつも気になっていた店舗はただの風景へと戻る。町の空白を良しとしない集団の無意識がコインランドリーとして顕現するというわけさ」

「馬鹿馬鹿しい……集団の無意識? 顕現?」

「町の意思と言ってもいいよ。同じ社会構造に暮らす人々の集合的無意識が町の意思として働き、世論や風潮を形成し現実の町を作り替えていくんだ。現代人は毎日服を着替え、洗い、干して、また着る。洗濯の頻度は当然減ることはない。コインランドリーは「なくてもそれほど困らない、けどあっても困らない」だろう。隙間を埋めるにはちょうどいいのさ。普段であれば、それは町の空白を埋めるだけの現象でしかなかった。しかしそれが加速した……洗濯機の故障でね」


 私は思わずアイザワの顔を見た。狂ったのかと。


 彼の表情はいつも通りに鷹揚とした薄い笑みをかたどっていたが口の端からはまだ貝ひもがだらりと垂れていた。


 それが私には薄ら寒く思えた。


「……大手メーカーの洗濯機が初期不良で動かなくなる。君や僕の町は新築のマンションが何棟も建っていたからね、入居時に家電を買い替えた家庭はそこそこあったんじゃないかな。となれば同時期に多くの洗濯機が動かなくなり、コインランドリーの需要は局所的に跳ね上がっただろう。人々が無意識にコインランドリーを強く求めた。普段使っていた人々も、いつものコインランドリーが混んだことでコインランドリーの増設を望んだだろう。テレビや報道を観ていた人にしたって、家庭用洗濯機の動作不良のニュースを見て同様にコインランドリーの存在を強く意識したに違いない。であれば、町の意思がそれに答えるのは必定だったわけだ。普段なら空白を埋めるに過ぎないコインランドリーの顕現システムは一時的に高まった需要から暴走し、やたらめったら町にコインランドリーが増え始める。町に増えていくコインランドリーを見た人々は「最近コインランドリーが増えている」と認識する。その認識が町の意思を加速させてさらにコインランドリーは増えていく。町の空白を埋めて安定化するだけのはずだったシステムが町を呑み込み始める……そうか、これは免疫系の暴走なんだ……複雑化していた町という生命体の免疫がアクシデントを処理しきれなくなったんだ。この暴走は起こるべくして起こった……コインランドリーが世界を呑み込み、すべての町がコインランドリーに呑み込まれる。無数の洗濯物、止まらない回転、我々は生活のために洗濯をするのではなく、洗濯のために生活するようになる。いや、それを言うならそんな状況はずっと前から始まっていたじゃないか。生活が目的なのか目的のための生活なのか我々は文明社会は生の意義をずっと見失っていた……であればその意義が洗濯槽の回転になったとしても何の問題があるんだ。回転と、駆動と、清浄と生活と、我々にはそれが……」



 意味を成しているとも思えない呟きを最初の内は怯えながら聞いていた。

 しかし止まらないその音の流れは次第に疲れた体へ眠気を呼んでくれた。


 音の煩わしさと火の仄温かさを身体の一部分で感じながら私はいつしか眠りについていた。

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