“現実”
急なログアウトによって、まさに突然夢から覚めた感覚を味わった。
でも、いつもと変わらない現実だ。
昼のログアウトは2時間しかない。
いつも通り昼飯を食べることにした。
ラーメンをすすりながら“雨のにおい”の彼女のことを考える。
―――就活中というと大学4年生くらいだから、2020年のあのときは、まだ小学生?……俺よりずっと小さなころから“夢”のなかで生活しているのに、“雨のにおい”がわかるのはすごいな……
あの辺りの会社の面接を受けに来ていたのだろう。またあの公園で会えるかもしれない。
俺は、なんとなく“夢”の続きが見たい気持ちだった。
―――まぁ、ログインしたら“行動履歴”をみてみよう。
“行動履歴”には、“夢”のなかで話した人が記録される。連絡先まではわからないが、簡易なプロフィールだったらわかるはずだ。
そう思って時間通りログインをすると、一件の連絡が来ていた。
『2030/7/31 11:30頃 システム障害が発生いたしました。現在は無事復旧しております』
その後、俺は“行動履歴”を確認した。しかし、“雨のにおい”の彼女と出会った記録はどこにもなかった―――
次の日もその次の日も予定外の雨が降ることはなかった。
そして、俺は大きな木のある公園に行きつづけたが、“雨のにおい”の彼女と会うこともなかった。
何だか彼女に会ったことすら、なかったことのように思えてくる。
それでも、俺はあの日の“夢”を忘れられなかった―――
その日は、午後から予定通りの雨が降っていた。
俺は仕事中に窓から規則的な雨粒を見つめた。
「なにボーッとしようの?」
同じ部署の先輩が話しかけてくる。
気さくな人柄で社内でも顔が広い人だ。
「……いや、考えごとをしていて」
「そういえば、この間バグで雨が降った日、帰り道大丈夫だった?」
「ああ、なんとか。でも、公園で雨宿りして、そのままログアウトになりました」
「うわぁ。私会社にいて良かったー」
人の不幸を聞いて、楽しそう笑っている。
「私、あの日、会社で見たことない子がいるなぁと思って、就活生っぽい子を人事部まで案内したんだけどね」
「え、あの日うちも採用面接しとったんですか!?」
俺は思わず立ち上がって言った。
「……うん、そういう時期だからね」
先輩は、突然の俺の態度にびっくりした様子だった。
「なるほどですね……」
「それでさ、びっくりなのは、その案内した子が、行動履歴に記録されていないの」
「ええええ!」
俺が大きな声を出したので、先輩は、さらにびっくりしていた。
「……まぁ、私も今更気づいたんだけど。人事にいる同期とも話したら、人事にも、その子の記録なくて。これもバグかなぁって」
「そうですね……」
俺は、一度落ち着いてから、ゆっくり尋ねた。
「覚えてたらでいいんですけど―――その子って、小柄でボブでくりっとした目だったりしませんか?」
先輩は明らかにハテナマークのついた顔をした。
「そんな感じだったけど……あと、話し方が少しなまってて。薩摩の方かなあ…………てか、知り合い?」
俺は、彼女のことをもう一度よく思い出した。
薩摩のなまり
家の近くの神社
すごくすごく大きな木―――
俺は、どうしてももう一度“雨のにおい”の彼女に会いたくなっていた。
幸い、今のところ神社やお寺は宗教上の都合で外出許可がおりる。
夜のログアウト時間は、朝までの8時間だ。
何年かぶりの“現実”の街並みは、荒廃した空き家と真っ白で無機質なデータセンターのコントラストが、異様な感じだった。
想像はしていたけど、これじゃどっちが“夢”かわかんないな。
俺は外出申請と一緒に予約しておいた自動運転の車に乗り込んだ。
車は、静かで禍々しい街並みを縫うように走った。
時間は真夜中。
雨がしとしとと降ってきた―――
目的地について、うとうとしていた俺は、自動音声によって起こされた。
雨は上がっていて、空は明らんできている。
車から降りて少し歩いたところで、俺は思わず立ち止まった。
まだうす暗くて全貌は見えないが、凄まじい威厳を感じる。
―――で、でかい
その大きさは、想像より“すごくすごく大きな木”だった。
木の下に立つと、データセンターのわずかな光も全く見えなくなった。
最初その大きさに恐怖を感じたが、だんだんと護られているかのようで、穏やかな気持ちになってくる。
俺はただその“すごくすごく大きな木”を見上げて立ち尽くした。
朝日がだいぶ顔を出してきた。
水たまりに朝日が当たって
水面に反射した光がキラキラと駆けてゆく―――
ああ、夏だ。現実の夏だ―――
俺は深呼吸をした。
「あれ……」
俺は、その声に振り返った。
巫女さん姿でほうきを持った人影が見える。
それは間違いなく“雨のにおい”の彼女だった。
―――奇跡だ……
「……“夢”じゃないですよね?」
“雨のにおい”の彼女も言った。
「ええと……“現実”です」
彼女がふわっと笑った。
やはり現実は、まぶしくて綺麗で澄んでいた。
夏の日差しと、“雨のにおい”の彼女 あさのころも @asanokoromo
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