僕の、営業先での、話

椋畏泪

 数年ぶりに、僕は大学という場所に来ていた。勉強しようだとか、何かの調べごとだとか、そんな能動的な理由ではなく、仕事で。

 僕の行動理由は生まれてから現在に至るまで、いつだって受動的なものだったようにも思う。それに気が付いたのも、僕自身の短い人生で見てもごく最近だが、そんな僕の調子を知ってか知らずか上司が指示を出してきた。

 『某有名大学で営業してこい』と。

 その大学(僕が今足を運んでいるということを含めて考えれば『この大学』だが)は、偏差値が特別高いだとか、何かに特別に力を入れているだとかと言った高尚な理由で有名なのではなく、平均的な文系の高校生の滑り止めとして、受験しやすいからという、ある意味で受動的な僕の営業先としてはぴったりな場所であった。

「あの、パンフレット貰っても良いッスか?」

 目を上げると、金髪にピアスの「いかにも」なお兄さんがいた。

「あ、はい……。どぞ……」

 僕は天性の人見知りを遺憾無く発揮し、吃りながらもなんとか回答できた。事前に上司から聞かされていた返答も満足にできなかったのは、嫌な方向での平常運転。

「ども。ところでなんスけど、免許ってしょーじき合宿の方が楽っスか?」

 辛うじて、目の前のお兄さんが僕のことを年上と認識してくれているからか、荒めの敬語(?)で話してくれていることに気がついた。僕自身、まともに話を聞いてもらえるとは思っていなかったので、焦って手元の資料に目を通しながら話を進めようとしてしまう。

「あ、はい。えと、ですね……。合宿でなら短期での免許の取とk……」

「あ、そういうの、良いんで。楽なんスか?」

 金髪は僕の話にかぶせて言ってくる。普通の人間なら、内心ムッとくるところなのだろうが、ずっと内向的に、保身と無難な対応だけを考えて生きてきた僕は、そんな感情よりも恐怖と焦りが思考の広範囲を占領して、頭の中が真っ白になってしまう。

「あ、いや、えっと……」

 なんとか言葉を繋いで、一秒後の自分に全てを託そうとするが、託されたところで一秒後の自分が何もできないことは、他ならぬ自分が一番よく分かっている。

 当然、上手く切り返す事なんてできそうにもなかった。

「あ、すんません。分からないなら良いです。じゃ、俺行きますわ」

 ……。金髪はジャラジャラとアクセサリー塗れの手をひらひらさせて去っていく。

 説明すらまともにこなせなかった事で、金髪の青年の背中が完全に見えなくなってから無性に腹が立ったが、それが金髪に向けられた感情なのか、自分自身に向いた感情なのか、すぐにはわからなかった。

 またいつも通りの失敗をしてしまったのかと、すぐに後悔を反省へと切り替える。あいも変わらず沈んだ気分のままだったが、それでも次の人間を待とうとして仕事を継続する意識が残っているのが、ここ数年で僕が成長できたところなのだろう。こんな切り替えのはやさばかりが、年々早くなっているのを内心で自嘲気味に嗤うが、これまでの人生でどうしようもなかった僕自身の特性なので、これから先も簡単に治ってくれるものでもないのだろう。

「あの、合宿の免許って、どれくらい普通の免許と違うものなんですか?」

 また自分の世界に、分厚いカラの中に閉じ籠ってしまいそうなところに声をかけられ、少々驚きながらも顔を上げる。先程の反省も取り入れつつ、すぐにマニュアル通りの対応を頭の中に浮かべて口を動かす。

「はい、通常のコースと合宿のコースが免許取得にはあって、合宿だと通常のコースよりも短期間での免許の取得が可能なので、そこが一番異なっているところになっています」

 営業用のスマイル、はうまくいかなかったが、それでもなんとか聞き取りやすく話すことができたとは思う。僕が正面を向いた際に見えた顔が、先程の金髪とは異なる黒髪に制服の少年だったため、無性に安心感を覚えた。

「具体的にどのくらいでいけるものなんでしょう……?」

 少年は、緊張した様子で質問を重ねる。その様子に、自分だけでなく、目の前の少年も人と話すときに緊張してしまうのだと、安心感から親近感めいた感情も、僕は抱いた。

「金額でしょうか? それとも期間……?」

 どちらとも取れてしまう少年の質問を明確にするため、さらに追加の質問を今度はこちら側から提示する。少年は少々考え込むような表情を浮かべた後、「どちらも気になるが、ともかく金額の方が気になる」という旨の返答をした。見たところ、まだ高校生らしい少年(制服だし、何より垢抜けた印象が無い)には当然かと思ったのと同時に、しかし自分が免許を取得した際には少年よりも二つくらい年上だったのにも関わらず、費用を親に出してもらった記憶があると、当時のことを思い出した。その頃の私も、今目の前に緊張しながら話を聞いている少年のように、当時の大人たちには写っていたのかと考えると、懐かしいような、気まずいような感じがした。

「一般的な普通車の、ATの免許でしたら、合宿で二十万円から三十万円くらいですね。その他の、自動車以外なら免許であれば、もう少し安かったりと様々ですが……」

 そこまで言ったところで、少年の顔色が緊張から焦りのものへと変化したことに気がついた。やはり、少年には大きすぎる金額だったらしく、徐々に紅葉していくような少年の顔色が、見ていてこちらが悪いことをしているような気分にさえなってきた。

「あ、あの……。また、高校卒業して、アルバイトして、お金貯めてから考えます……。ごめんなさい……」

 少年はそれだけ言い残して逃げるように去って行った。本当はまだ説明していない事や、説明したい事も残っていたが、私が何か言うよりも早くに立ち去ってしまっており、それ以上言葉を交わすことは叶わなかった。

 またしても、少ししてから少年の様子に「なんだったんだ」と腹が立ってしまったが、どうにも自分と重ねてしまい、さらに「なんだったんだ」と思ってしまった自分にも気がついて、さらに気分が落ち込んでしまった。そして、もしかすると先刻の少年のように必要な事や人生における好機を、自分では気付かぬうちに自ら手放してしまっているのではないかと、今更ながらに気が付いてしまった。

 やるせない気持ちを考えすぎないようにするため、またしても手元の資料を見るでもなくぼんやり眺めていると、今度は女性の声に話しかけられた。かなり長い時間そうしてぼんやりしていたように感じたが、顔を上げて時計に目をやると、意外にも五分と経過していないことに驚き、声をかけてきた女性が存外美人であり二度驚いた。

「あ、はい……。なんでしょう……?」

「え、いや、免許の資料貰ってこうと思ったんですけど……?」

 今の僕の仕事を考えれば当然のことだ。しかし、女性と話すことすらこれまでの人生でまともになかったことと、久しぶりに話したのが美人ということで、正常な反応が、この僕にできるはずもなかった。

「あ、どうぞ。えっと、何かわからないことがあれば、僕でよければ説明とかしますけど……」

 どもらずに話せたことは、自分でも驚いたが、相変わらず思考が浅い段階で話てしまっている感覚は否めなかった。

「いや、まぁ、なんとなく調べてるんで、大丈夫ですけど……。この近くの教習所ってどんな感じなのかなーって」

 おそらく大学生の女性はそう言った。特に何か深く考えているわけではないようであるが、不思議と思慮深い印象を受ける。

「……」

 何か話そうかと思ったが、必要とされていない雰囲気を感じ取って黙ってしまう。威圧的ではない女性だが、女性というだけで僕が黙る理由には充分であった。

「あー。えっと、ごめんなさい」

 不意にこちらに目をやった女性が謝罪する。僕はどんな理由で謝られているのかがわからずに戸惑ったが、兎にも角にも「ごめんなさい」と誤っておく。

「ふふふっ……」

 すると女性は何を思ったのか急に笑い声を上げた。非常に控えめではあるが、その笑い声は、またしても僕を焦らせることには充分な威力を持っている。

「あ、えっと……」

 なんとか言葉を紡ごうとするが、どうにも言葉にならずに、また黙ってしまう。女性はこちらを見て、笑いを押し殺したような表情になって向き直った。

「なんだか、二人とも謝ってるのがおかしくって……」

 どうやら、両者ともに謝罪していること(それも「なんとなく」の謝罪ということ)が、彼女の笑のツボだったらしく、未だにやけて力の抜けた表情になってしまっている。

 このことを、彼女が飲み会のネタなどにするのだと考えると、心底「やってしまった」と思ったが、それもこれも後の祭り。今更悔いたところでどうなるわけでもない。

「ま、お兄さんも頑張ってください。私、これからオープンキャンパスの受付の係りに戻らなくちゃいけないので」

 軽く会釈をして、女性は去って行った。今日初めて「頑張って」と言われたなと、人ごとのように感じていた。しかし、それは悪い気分のするものではなく、なんとなく今の自分の仕事にやりがいを見出せるような、そんな感情を、ほんの少し感じないでもなかった。

「頑張ってとか、ありがとうとか、俺も言ってみるようにするかぁ……」

 僕は女性の去って行った方を眺めながら口の中で呟いた。三人目まで、与えられている仕事を何一つこなせていない僕ではあったが、「ごめんなさい」とか「すみません」、「申し訳ありません」なんかではなく、少しでも「がんばれ」や「ありがとう」などと言ったポジティブな言葉を言えるように、生きていくのも悪くはないかと、久しぶりの大学で、そう思えた。

 もしかすると、あの上司のことだから、久々に学生に揉まれると、僕自身が意識改革を起こすのだと踏んでいたのかもしれない。思い通りに動いてしまったようで癪ではあるが、それでも差し引きプラスに感じている自分がいる。

 仕事の残り時間も二時間と少しなので、最低そこまでは、女性の言葉を裏切らず頑張ってみようと思う僕なのであった。

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