僕は未来を変えたくない

小石原淳

僕は未来を変えたくない

憂人ゆうと、生きてる~?」

 三年間同じクラスで部活も同じ文芸部の神辺かんべ憂人を学校の男子寮に訪ねた。二〇二〇年八月一日のことだった。

「生きてるっ」

 ドアを開けるや元気のいい返事があった。うむ、死んでいないのは確かだ。

 私立新寺しんでら学園はそこそこお金持ちの高校であり、寮は個室の冷暖房完備、食事付き。インターネットし放題(ただし学園側からの通達で個別に制限が掛かる場合あり)。風呂とトイレは共用だが、どうしても一人で入浴したければ申請により時間を確保してもらえる。

 これほど恵まれた環境でもし仮に生徒に死なれては、学園側の面目丸つぶれというもの。

「冗談の質問に真面目に答えないで。お互い、いらいらするだけだよ」

 履き物を脱ぎ、室内へ上がり込みながら忠告した。

「だったら最初からジョークを言うなっての」

「そうかっかせずに、差し入れ持って来たよ。肉まんとアイスクリーム、どっちがいい?」

 左右に一つずつ持った袋を掲げてみせる。予想通り、部屋の冷房はがんがん効いてる。

「肉まん売ってた?」

「レンジで温めるやつ。チンしてから持って来た」

「ここのレンジを使えよ」

「で、今食べるとしたらどっち?」

「両方食べる。実は昼飯抜きでやってたんだ」

 長期休暇中は食事は出ないとはいえ、抜くなんて。

「肉まんは冷房効き過ぎかもと思って買ったのに」

「所有権が移った時点で僕がいかなる意味合いで口にしようが自由だろ」

「まあね。食べ物を粗末にしない限り文句ない」

 コーンタイプのアイスを渡し、肉まんは皿に移した。お茶も入れてあげよう。

「捗ってるのかな」

「このアイスうまいな、ありがと。進んでるが量多すぎ」

 捗っているかと聞いたのは受験勉強のことではない。神辺は自作小説の手直しに追われているのだ。

「どういたしまして。にしても何で二〇二〇年を選んだのさ?」

 神辺は発表時点で近未来であった二〇二〇年を物語の舞台によく選ぶ。だがジャンルは近未来SFや時間物のSFではない。現代のリアルな日常の若者、いや、“人”が将来を見据えて進む物語を好んで書く傾向が強いと言える。

「想像、想定がしやすかったんだろうな。僕にとっての卒業学年だから」

「おかげで偉い目に遭っていると」

「まったくだ」

 机に向かってパソコンのキーを叩くのをやめ、片手で頭をかく神辺。

 何がどういうおかげで書き直す羽目になったのか。察しのいい向きはとっくにお気づきだろうけど、念のために説明しとこうっと。

 まず、神辺憂人は小説はなるべくリアルでありたいと考えるタイプである。堅苦しい、ときに非情さすら漂わせる“リアリズム”とはまた違う、現実味のある、ごく普通の人の身に起きておかしくない物語を書く。さらに現実世界を舞台に日付まで明記して描くからには、可能な限り実際の世界に沿うようにしたいとも考える。

 法律が変わって祝日が移動になれば無論合わせるし、流行り廃りも後年になってから読み返して古めかしさを感じない程度に取り入れる。天気だけはいちいち照会していられないので、物語の空間的舞台は現実にはない、架空の都市にすることがほとんどだ。

 以前、年号が平成から令和になると決まったときは、神辺も笑いながら「年号が変わる瞬間に立ち会えるなんていい経験だ」と言い、自作を手直ししていた。

 ところが今年冒頭に始まった大きな変化は、笑えないものであった。

 新型コロナウイルスの世界的流行。

 平穏無事な世界として描いていた神辺の二〇二〇年が、突如として病の流行る世界になってしまった訳。

 彼が書くのは、カイとソラの幼なじみ二人を主人公にした学園物が多い。二〇一四年頃の小学生時代を描く『少年は少女を忘れない』を皮切りに、『逆転』『念じても通じない』と成長していく連作で、各編の要所要所に未来、つまり二〇二〇年の話が断片的に挟まれる。じれったさと爽やかさとおかしさをちりばめた話は自分も好みだ。

 順調に書き進められ、次はいよいよ二〇二〇年編に突入という矢先の今年一月。ウイルスの流行で、現実の生活が一変してしまった。これを作品世界に反映させるには、ちょっとやそっとの手直しじゃ無理。何しろ、これまでの全作に二〇二〇年のシーンが挿入されているのだから。

「結局、全部でいくつ? 手直しが必要なのは」

「『カイソラ』シリーズを含めて十九あった」

「あきらめたのは例の一つだけ?」

 以前聞いた手直しの構想を思い起こし、確認の意味で聞いてみた。すると神辺は「あきらめたんじゃないぞ。二〇二〇年から一年ずらしたんだ」と不満げに答えた。

 彼の言う一年ずらし作品は『カイソラ』番外編で、二〇二〇年に催される予定だったオリンピックを物語の大きな軸にしていた。二〇二一年に延期と言われたら、変えざるを得まい。……神辺のためにも、今度の東京オリンピック、二〇二一年には無事開かれますように。

「ごめん、そうだったね。でも分かんないなあ。残り十八作品も一年先にすれば?」

「……」

 神辺はくわえていたアイスのコーンをばりばりかみ砕いた。口の水分を取られただろうから、お茶の入ったグラスを渡す。彼は喉を鳴らして半分ほど飲んだ。

「――サンクス。前に言わなかったか、それができない理由」

「聞いたけど、ほわっとしすぎてていまいち理解が」

 確か「実世界と連動しているから絶対に変更できない、二〇二〇年でなければ駄目なんだ」とかどうとか。

「そうか」

 文書の保存を確認した神辺は、パソコンをスリープ状態にした。そしてこちらへ椅子ごと向き直る。やや前屈みの姿勢で、両手が膝の上に置かれている。

「な何、改まった感じ出しちゃって」

「卒業記念号の原稿は九月一日締切で動かせないよな?」

「伝統だからね。ウイルス関連で多少の変更はあり得るんだろうけど、現時点では望み薄でしょ」

「だったら……当初の執筆予定からだいぶずれまくったからな。峰岸みねぎしさんとも落ち着いて話す機会なんて、もうないかもしれない訳だ」

「はい?」

 唐突に名字で呼ばれて戸惑いが膨らむ。普段は「みね」とか「おまえ」なのに。こっちが下の名前で呼んでも、同じようにはしてくれないのに。

「ラストは今までの『カイソラ』と関係してくる。だから手直しは必要」

「部誌に載せた『カイソラ』、十二本ぐらいだっけ。だったら無関係の六つは直さなくても」

「普段からリアルリアル言ってきた手前、放置できないよ。いよいよとなれば『カイソラ』優先で直すが」

「いやもう“いざ”でしょ。受験あるんだからね」

「うん、だから間に合わなかった場合に備えて、今言っておこうかと」

 さっきから何なのだろう。言いたいことって。

 神辺は机の一番下の段、深さのある引き出しを開けると、中から部誌を出してきた。

「『カイソラ』の各タイトルをどれくらい覚えている? できたら順番に書き出していってほしいんだけど」

「え?」

 一瞬戸惑ったけど紙と鉛筆を差し出され、その気になった。

「最初の方は印象深かったから割と覚えてる。幕開けが『少年は少女を忘れない』で、中学生編でいきなり『逆転』、それから『念じても通じない』でしょ、『見えない関係』と来て、『はいかイエスで答えてね』。これがもう一つあるんだよね。何作あとだったかまでは覚えてないけれども、『はいかイエスで答えてね2』。そのあとはちょっとあやふや」

「すごいな。いやー、感動した」

 はにかんだ風に笑う神辺。

「あ、最新のはさすがに覚えてる。『今そこにある嬉々』」

「充分だ。全部覚えていられたら、部誌を取り出した甲斐がなくなるところだった」

 神辺は部誌の目次のとこを開き、欠けた部分を埋めていく。ほどなくして『カイソラ』シリーズのリストが完成した。


  少年は少女を忘れない

  逆転

  念じても通じない

  見えない関係

  はいかイエスで答えてね

  ラインはLie

  その日のアリバイ

  でも……

  くらいを超えて

  某所某月

  はいかイエスで答えてね2

  今そこにある嬉々


「あと、卒業記念号に載せる分を加えて。仮題だが『片思いはいくつ?』」

「ふうん」

 ウイルス流行のため二回分、部誌を出す機会が失われたけど、この題名からは主役二人の片思いが解消されて一気に最終回を迎えるのかな。どうなるにしても楽しみ。私はリストの最後に書き足した。

「そのリストを見ただけで分かってくれるのを期待するのは無理があると、一年ぐらい前に気付いたよ。そもそも他人の作品なんてリストにしない」

「うん? 意識してこのリストを見たら何かが分かるって意味?」

「そう。難しくする必要がないから、ごく単純な暗号にしたんだけどね」

 ごく単純な暗号と聞いてすぐ思い浮かべたのが授業で習った折句。各題名の頭文字を拾ってみる。漢字では意味をなしそうにないから、平仮名にして一文字目を拾おう。

「しぎねみはらそでくぼはいか……?」

「惜しい! ヒント。惜しいは石尾いしおになる」

 叫んだ神辺の目の下辺りが少々赤い。

「おしいがいしお……分かった」

 抜き出した文字を逆から読んでみた。

「かいはぼくでそらはみねぎし――峰岸?」

 自分の名に驚きつつも心の片隅で予感していたのかも。案外冷静な声で返せた。

「『カイは僕でソラは峰岸』か。憂人はそんなこと考えてたんだ」

「だから絶対今年度の話にしたかった。それで答はいつになる?」

「今日の差し入れってところね」

「どっち?」

「どちらでも同じ」

 アイスは「愛す」、真夏の肉まんは「アツアツ」に通じる。そう説明してあげたのに、神辺はしばし考えて言った。

「夏にアイスで『とろけちゃう』じゃ駄目か」

 ……いいけど。


             *           *


「今読み返すと苦笑しか出ないな」

「ええ」

 神辺の言葉に私・峰岸愛はため息交じりに、本当に苦笑を浮かべた。

 彼はオフセット印刷の卒業記念号を手に、自作のページを押し広げると、指差しながら続けた。

「これを書いていた頃は終息、もっと早いと思っていたんだがな」

「先はまだ長そうね」

 外出禁止令の下、テレビ電話でデート気分を味わっていた。


 終

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僕は未来を変えたくない 小石原淳 @koIshiara-Jun

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