第14話

 薄藍に包まれた山中を、夜の生き物が疾駆しつくしている。

 渇いた血が残る大きな布のかたまりを抱いている。ひと一人分はあろうかというその重さなど無いように、駆ける足に乱れはない。

 塊がもぞりと動いた。かすれた声が、呼ぶ。

「つち」

 起きたか、と問う声音は穏やかだ。

「もぐってろ。すぐ陽光が差さぬ場所に連れてってやるから」

 すすめに反して、塊は布から己の両手を突き出す。まじまじとそれを見つめる。滑らかな、白い手を。

「おい、よせったら」

 強めにいさめられて、慌てて腕を引っ込めた。どうしてだろう、逆らえない。この声に逆らってはいけない、と理屈では無い何かが命じている。本当は、もっとよく見たいのに。あれほど望んだ、ひとと同じ肉体――。

 熾火おきびの眼が伏せられる。

「……加減が分からないなあ。私は”子”をこさえるのは初めてなんだ」

 このひとは、どうしてこんなに悲しげなんだろう。

「ごめんな」

 独り言のような呟き。

「ほんとうは、お前のともだちになりたかったんだ。ただのともだちに」

 それがもう決して叶わないと、知っている声だった。

 何か、慰めめいた言葉を口にしようとして、まぶしさに眼を細めた。

 どうしてだろう。辺りは明るくなり始めているのに、夜は明け始めているのに、自分の目はどんどんかなくなるようだ。

 さっきから ”どうして”ばかりだ――そう思うと、我ながら可笑おかしかった。分からないことだらけだ。けれど、気分は悪くなかった。全く悪くなかった。

「お前に名前をつけないといけないね」

 明るくて目出度めでたくて景気のいい名前にしよう。

 しもそら、なんて冷たいのじゃなくてさ。

「――賽子さいころ

「なに?」

「名前を、頂けるなら、賽子さいころ、が、いい」

 ぶはっと吹き出すような声が振ってきた。

賽子さいころ――さいか。悪くないんじゃないか」

 ああ、良かった。安堵あんどして目を閉じる。

 くじらの骨の賽子さいころならば、どこへだってついてゆける。

 

 そうして、かつて霜霄そうしようと呼ばれた山犬と、彼の親は、飛ぶように山を下りていった。



―終―

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無限の月 ランバージャック @tank1123

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