忘れないうちに……

紫 李鳥

忘れないうちに……

 


 早葉子さよこは、まだ四十前だというのに、物忘れが激しくなった。


「……あれっ。なんで二階に上がったんだっけ」


 よくよく考えても思い出せなかった。


 夕飯の買い物に出掛けてもそうだ。


「肉も野菜も買った。……あれぇ。もう一つ買うものがあったはず。……何だっけ」


 どうしても思い出せなかった。


 それからは、買うものをメモするようにしたが、しゅうとめからの叱責しっせき容赦ようしゃなかった。


「私より二十以上も若いあんたがボケてどうすんだい。私なんか、一週間前に食べた夕飯のメニューさえ覚えてるよ。ま、あんたのメニューはバラエティがないから覚えやすいだけなんだけどね。フン」


 嫁いだ当初からいじめられていたが、夫が仕事の事故で他界してからは更に酷くなった。子ができなかったのが理由だろうか……。


「息子も逝ったんだから、籍を抜いて出ていけばいいのに」


 いや。籍を抜く前に貰うもん貰わないと。


 ……この姑さえ居なければ、どんなにか天国だろう。


 あっ! もう、こんな時間。浴槽に湯を入れないと。






 そうそう、姑の好きな熱めのお風呂にしないと。






 でも、今日は寒いから、いつもより、……もっと熱めにしないと。






 ――忘れないうちに。

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忘れないうちに…… 紫 李鳥 @shiritori

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