第三話 交渉
それから三日経った。
久しぶりの大型案件。意識せずとも意識は上がる。口角は上がる。調子も上がる。
とは言え、だ。だからこそ簡単な仕事でもない。
人を殺す。それ自体はボールペン一つでできる。
何も難しいことではないのだが、如何せん、それを仕立てつつ、仕上げつつ、自らの手を汚すことなく、保険金を無事に受け取るのは、簡単ではない。
「ねえ、兄さん」
「なんだ、妹」
まずこの山。書類の山。
ほとんどが保険関係の資料だが、こいつらを片付けない限り、俺の仕事は終わらない。
一番大事なところ。その文章に正しい効力があるのか、また、実際に彼が死んだ後、どれぐらいの金額が降りるのか。その見込み、概算を正確に記していく必要がある。
「いくつか聞いていいかしら」
「ダメだ」
次は電話。連絡。お願い。
保険会社、道具屋、片付け屋、処理屋、殺し屋、榊原——かけるところは腐る程ある。
特に最後。俺のように敵が多くコネクションがあまりない人間にとって、彼女の存在は重要なのだ。
「一つでいいわ。お願い」
「ダメだ」
仕事柄、顔が広い榊原だ。当然、裏の知人にも心当たりは多いだろう。
紹介料も……まあ問題ない。そこまで高くはつかない。相場を考えれば相当に安い方だろう。
せいぜい……一晩。ないし、二晩。あるいは三晩。
彼女のおもちゃになる程度、十分破格な取引に入る。
「文字数を制限する。手短にするから」
「ダメだ」
その後は、実際に足を運ぶ場所が数カ所。
いくらテクノロジー全盛の現代とは言え、対面取引の重要度は変わらない。
初絡みであるならなおのこと。信用度構築には重要だ。
人伝の紹介ならばより一層。金が絡むなら確実に、実際に会うことは、大事だろう。
「この資料、片付けるの手伝うわよ。電話も私がかける。……あ、そうだ、喉渇いたりしてない?」
「ダメだ」
そして最後、高橋さんのパーソナルな部分の情報収集。そしてケアも必要だろう。
あれほど絶望した様子である故、まさか裏はないのだろうし、今更ひっくり返すこともない、とは思う。
だが人間という生き物は不安定。
感情一つ、金一つで簡単に結論を変える。
だからこそ、彼が死ぬまでの誘導は大事だし、死ぬようにケアをするのも大事。
それまで導くのは、当然の業務範囲だろう。
なにせ、この仕事は彼の意思によって発生している。
下手にひっくり返されないよう彼という人間を知ることはどんな仕事よりも大切だ。
「わかった、わかったわよ。私もいい加減覚悟を決めるわ」
なんて。
仕事内容の精査と、資料の整理を同時に進めていながら、ドンッと机が叩かれる。
自然、視線は上に向き、前の女に向いた。
「今日一日、あなたのメイドとしてなんでもいうことを聞く。言っとくけど本当になんでもよ。それでどうかしら」
「……その取引に俺のどんなメリットがある?」
面倒なメイドが二倍に増えることになんら生産性を覚えない。
……と。
そこで、俺の思考は止まった。同時、俺の手も止まった。
「おい」
ため息。ペンを置き、ノートを閉じて前を見る。
机の前。両の手を置き、前のめりにこちらを睨む双葉。
まだ朝も早いというのに、顔から上から服から、隙なくきれいに整えられていた。
「お前、あの時言ったな」
「ええ」
「俺の仕事の邪魔はしないって言ってたよな」
「邪魔はしてないわ」
「俺の力になるとも」
「確かに言ったわね」
「お前が駄々をこねて、地団駄を踏んで、だからそれに根負けして仕方なくこんな助手なんてものをやらせてるんだ。お前が俺の仕事の妨害をしないと言う唯一の条件で」
「ええ、もちろん。ちゃんと覚えてるよ。兄妹とは言え、しっかりとした取引だったもの。当然よね」
「……さっきからお前がしてるのはもう十分すぎるぐらいの妨害だと思うんだが」
おかしい。
先のカウンセリング以降、今のところ俺の思考妨害と自らの呼吸以外なんらしていないこの妹は、一体どうしてここまで堂々としていられるのか。
そんな失礼な疑問が俺の顔に出るわけもないので、双葉は怒ることもなく、純粋に俺の疑問に答える。
「ええ、確かに約束したわ。だから私、妨害なんかしてない」
髪をかき分け、背筋を伸ばす。
「兄さんの仕事の邪魔はしていないし、今は力になるため声をかけたのよ」
「……それが邪魔だって言ってる」
「邪魔じゃないわ」
むしろ、逆。私は今、兄さんを仕事を手伝おうとしてる。
有益な情報を提供しようとしているもの
手を上げ、胸を張り、堂々双葉は言う。
そして今更よく見て気づいたが、今日はストレートでなく、ハーフアップ。仕事用だろうか。髪飾りもいつもより華やいでいた。
「……手伝う?」
まあ。
そんな変化を指摘して、こいつの好感度など上げたところで仕方がない。
女性が容姿変化の指摘で一喜一憂する生物であることは、俺も経験則からよく知り得ているけれど、とはいえ、そもそもこいつが俺の髪型の変化を指摘された程度でテンションが上下するとは思えない。
「どういうことだ」
だからここはまっすぐ。直接、本題へ。
気になった箇所について、俺は問う。
ようやく話を聞いてもらえると、わかりやすく双葉は、笑って答えた。
「兄さんは忘れてるかもしれないけどね。私と三葉はこれでも一応兄さんと同じ、二木の人間。さらに言えば、実績も十分、有名なオンラインカウンセラーでもある。自分で言うのもなんだけれど、人を見る目には自信しかないわ」
これまた自信満々に。
自信に溢れたまなこの中、胸を叩いて言う双葉にしかし、俺は返す。
「それはあくまで、オンライン上での人を見る目だろ。現実は違うぞ」
「違くない。むしろオンラインだからこそ、人を見る目は必要よ」
双葉は続ける。
「私たちは今日まで、オンラインっていうリアルより情報が少ない中、会話だけで相手を読み取ってきたの。三葉が分析して、私が尋ねる。聴覚以外のほとんど全ての情報を遮断してね。でもその繰り返しだけで、私たちはお金を稼いできた。人を診てきたし見てきた。つまり、リアルなら当然、もっと情報を引き出せるってこと」
トントンと。
自身の耳裏。小さく装着されているインカムを叩く。
そんな悪趣味な成果物をチラリ、一目だけ見る。そのまま視線を机に戻した。
改めて、俺は言う。
「そうだったな。忘れてた」
当然嘘だ。オンラインのメリットも、その機具も、彼女の実力も、俺が忘れているわけもない。
ちょうど一週間前。あの荒っぽい仕事を片付けた際、教えてもらったその機器。
あのインカムは今頃上で掃除をしているメイドのコンタクトレンズとイヤホンに繋がっている。
リアルタイムで、通信をしている。
一心同体。感覚共有。感情伝導。
それをテクノロジーで可能にさせた双子二人が、こいつらで。
実際作ったのは榊原由依だ。
しかし、だ。
俺は嘘をついた。そのまま椅子に深く腰掛け、尋ねる。
「そこまで言うなら。そこまで啖呵を切るなら、じゃあ聞いてやるよ、オンラインカウンセラー。そんな自信があるならちゃんと聞いてやる。さっきの男との会話から何を見た。お前らは何を読み取った、何を感じた」
問いかけ。
それに「ふふっ」と笑う。ようやく話を聞いてもらえて嬉しいのだろう。こういうところは年頃らしく年頃らしい。
「じゃあ……そうね。色々……あるけども。どこから言おうかしら」
勿体ぶるように笑顔を振りまく。それはとても楽しげで嬉しげで。
その端正な顔立ちも手伝って、非常に豊かできらびやかだ。
「早く言え。俺は仕事に戻るぞ」
ただ。それが俺にとって全くの無意味な笑顔であるだけの話だ。
先の一件——彼女たちがこの家にやってきて数日後に来た依頼——で、俺と言う人間のその辺りは双葉も重々承知しているのだろう。
「それじゃあまず一つ。大事なところを一つ」
俺の言葉にも特段気にした様子なく、指を一本立てた。
「高橋さんが、死ぬ理由。死にたい理由について——」
まあ当然、私たちの兄さんなわけだし、もう気づいていると思うけど。
気づいているはずなのだけれど。
と言うか気づいていなかったら、同門として心底軽蔑するけど。
「…………」
急かしたことへの嫌がらせか、そんな怖い前置きを三つ挟んで双葉は続けた。
「もちろん……彼は、お金のため。家族のため。借りたお金を返すため。そのため、だから自分は死ぬ。殺される。殺されなければいけない——なんて」
そんなこと。彼が毛ほども思っていない。
それぐらいは……兄さん、貴方ならもちろんわかってるわよね?
「…………」
「ね、そうよね?」
「ああ、もちろんだ。当たり前だ」
もちろん、何もわかっていない。
今、俺はめちゃくちゃびっくりしてる。
え、何それ。どう言うこと?
あの人、金に困ったから死ぬんじゃないの?
そう言う話じゃなかったの?
嘘ついていたってこと?
なんで嘘ついたの?
どういうこと、どういうこと?
教えて頼むよ双葉さん。
——なんて素直に聞ける性格をしていれば、俺は最初からこんな仕事などしていない。
それに。
今俺は二木ハジメ。彼女たちの兄にして二木家の長男。つまり、兄。
そして兄が妹に劣ることなどあってはいけない。いけないのだ。
俺は目を伏せ、双葉を睨む。言った。
同時、疑問の答えを引き出すように言葉を選ぶ。
「おい、お前、まさかとは思うが、そんなわかり切っていることをわざわざ言うためだけに、声をかけたなんて言うんじゃないよな」
「あら、別にいいじゃない? こんなただの確認。特別邪魔にはなっていないと思うわよ」
「確かに確認は大事だな。ただ、お前のそれは確認じゃない」
「じゃあ何かしら」
「時間の無駄っていうんだよ」
「……あらあら」
随分と言われてしまったものね。
やれやれと言った感じで首を竦めて笑う双葉。
そのこめかみに怒りマークが浮かんだのを俺は見逃していない。
芝居がかった型で双葉はスカートの裾を掴む。
「じゃあ……そうね。なるほどわかったわ」
そのまま優雅に頭を下げて足を交差、片目をつぶってウィンクを見せる。
「これはこれは、なんともすいませんでした。あまりにも当たり前な事実を確認するのにお時間を取らせてしまい、兄さんの大切な時間を無駄に消費してしまったようで、大変申し訳ありませんでした」
「…………」
「でもです。兄さん。この若輩。ご指摘の通り、非常に残念な頭なのです。故に高橋さんがおっしゃって言ったことが嘘だと言うことはわかっても、しかし、その本当の理由を推察することができません。いまだ……できておりません」
「…………」
「ですのでどうか。どうかお願いいたします。いかがでしょうか。彼が死にたがっていた理由。殺されたい理由。その——本当の理由。それをこの妹に、若輩なる妹めに、ぜひお教えていただけませんかしら」
ねえ、兄さん。
「…………」
わざとらしい。憎らしい。うざったい。
なんの当て付けかは知らない。
しかし、こいつのことだ。
常人ならざる『口』と『眼』を持つこいつのことだ
全てではないにしろ、俺の真意は読み取れているのだろう。
真意。
考え。
俺がどこまで掴んでいるか。
それがわかっているからこその、セリフ。
追い込みだろう。
「さあ、お兄様。私よりも賢いお兄様。ぜひ、教えてくださいなお兄様。まあきっと確認もならない程度、時間の無駄かもしれませんが。それでもさあ。妹のためを思って、さあさあ」
それに加え。
冷静に見れば、その瞳、彼女の瞳に疑いはない。
兄を疑う、妹の目ではない。
それよりはむしろ。その自分から出る興味関心、仮説検証。
それらを俺相手に戦わせることが、ただ楽しい。
それだけの気もする。
——だって。
彼女が浮かべるその笑み。表情。
いつの間にか、近くまで来ている——その笑顔。
それはとても晴れやかで、禍々しくて。
それでいて何故か、純粋な色をしていたから。
今日から詐欺師は、妹として、双子二人を飼うことになりました。 西井ゆん @shun13146
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